If~ニビイロノ弾丸ハ撃チ抜ケナイ~(前編)

If~ニビイロノ弾丸ハ撃チ抜ケナイ~(前編) ◆ZnsDLFmGsk


第二回放送直後 【真昼】
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 活気溢れた本来の姿からはほど遠い、葬儀場の如く静まり返った表通り、がらんどうの人里。
 喧騒を剥ぎ取られ、ただの廃墟と成り下がったその里中を三人は静かに歩いていた。
 萃香を亡くした悲しみを引き摺ったまま、まるで喪に服する様にただ黙々と……

 河城にとり、レティ・ホワイトロック、サニーミルク。
 彼女達の間で明るい言葉が交わされる事はない。
 敗走者同士、顔を見合わせるのも惨めさが募り、来た道を顧みれば後悔が募り、
かといって未だ過去を過去と割り切れるだけの気力も取り戻せてはいない。
 妖怪の山で最強と謳われた鬼でさえ容易く殺されてしまうその不条理を前に、彼女達は何処までも無力だった。

 泣き疲れ、叫び疲れて、とぼとぼと歩きながら。
 河城にとりはまた涙が溢れそうになって、堪える様に空を仰いだ。
 突き抜ける様に広がる群青と、その隙間を縫って悠々と流れる雲の群れ。
 真昼の太陽は高く、圧倒される程の目映さで顔面を灼く。
 この途方のない熱量が、涙と一緒に心の中の悲しみも全て枯らしてくれればいいのに……
 そんな風に思いながらにとりは、目を細め、羨む様にその果てのない空を眺めた。
 そうして、在るがまま漂い自由に空を泳ぐ雲を見つめていると、
また心の内側から悔しさがぽろぽろと零れ落ちてゆくのを感じる。

 届かぬ空を見て、掴めぬ雲に手を伸ばす。

 あの雲の果てに萃香は行ってしまったのだろうか?
 何故あの先に萃香は行ってしまったのか。
 何故もう戻って来ないのか、どうして喪ってしまうのか。
 馬鹿らしく思いながら、けれど考える事を止められない。

 “人生とは常に二択の繰り返しである”と誰かが言っていた。
 ならば何故自分はこの道を選び取ってしまったのか、いつからそれは綻び始めていたのか。
 考えても詮無い事だとは解っていた。
 時の流れが戻らない以上、そんな間違い探しは虚しいだけだと解っていた。
 命にIfは無い。
 人生にIfは無い。
 誰もが苦しみ、足掻き、選び取って生きてゆく以上、それは在っちゃいけないモノだとも判っていた。

 けれど、やっぱりどうしても考えてしまう。
 何処で分岐したのか、何処で違えてしまったのか。

 妖怪の山に住み、河のせせらぎと共に在ったかつての日常。
 穏やかで、常々何か面白い事は無いかと退屈を噛み殺し、将棋を差していた平凡な時間。
 最早取り戻しがたい、あの何気ない日々を……
 此処と似ている様で全く違う、懐かしき幻想郷を……
 想起し、目蓋の裏に映し込み、ただ想い、ただ考えた。

 そうして振り返ってみれば、以前の私は鬼という種族を余り好んでいなかった様に思える。
 寧ろ自身に比べ強大すぎる力を持ったその存在を怖がり、怯え、苦手に思っていたハズだ。
 そうだよ、思い出した。 鬼達が山を去った時なんて随分と喜んだじゃないか。
 もう二度と戻って来ないで欲しい、なんて事も……そう、確かに思っていた。
 それなのに……
 それなのに私は今、萃香を喪ってこんなにも悲しい。

 でも、だってしょうがないじゃないか。
 幻想郷は平和過ぎたんだ。
 忘れてたんだよ。
 鬼があんなにも頼れる存在だったなんて……

 もしもこれが天罰なのだとしたら、なんて酷い。
 どうしてこうも的確に心をえぐり取って行くんだろう。

 なんで? ねぇ、どうして時間は戻らないの?
 なんで何もかも無くなってから気付いてしまうの?
 なんで私はもう萃香に何もしてあげられないの?

 非力さが悔しい。
 無力さが悔しい。

 どんなに手を伸ばしても、この手はやっぱり空に届かなかった。
 太陽なんて眩しすぎて、見つめることすら出来やしない。
 ああ、残酷すぎる程に空が遠いよ。

 堪えきれず、ぽろりと涙が頬を伝う。
 そんな時だった。

『それでは死んでリタイアとなった方々のお名前を発表しますわ』

 多量にノイズを含ませた音声が空気を震わせる。
 図ったように無神経なタイミングで響き渡ったそれは、私達に再度現実を突き付けようという悪魔の放送だった。

『秋穣子、犬走椛、キスメ……』
『八坂神奈子、魂魄妖夢、アリス・マーガトロイド……』

 死者の名前がひとつ読み上げられる度、心臓は跳ね、身体が萎縮する。
 耳を塞ぎたくなる様な恐怖と緊張の中、懺悔し祈る様にしてその懼れるべき名前の到来を待つ。
 けれども……

『以上、6名。残り34名……』

 そんな私の必死な覚悟に反し、何故か萃香の名前が読み上げられる事は無く、
拍子抜けする程に呆気なく放送は終わりを迎えてしまった。

「……ひゅい?」

 思わず変な声が洩れてしまう。
 静けさを取り戻した空の下、訳も判らず私はただぽかんと佇む。

 一体これはどういう事なんだろう?

 質の悪い冗談を聞かされた様な空寒い感情ばかりが胸中を満たしていた。
 だって、脳裏にはまだ自分達を庇い撃ち抜かれた萃香の姿が鮮明に焼き付いている。
 本当に訳が分からない、一体全体何が起こっているのか?
 まるで脳が働いてくれない。 何を直視すれば現実に立ち戻れるのか完全に忘れてしまったみたいだ。
 けれど一秒、二秒と時が進むにつれ脳が現状を租借し、あり得るハズも無い一つの解答を導き出してゆく。
 “萃香の名前が呼ばれなかった”
 それが私の聞き逃しや間違いじゃ無いんだとすれば、それはつまり……

 理解に伴って湧き上がるのは恐怖に限りなく近い驚喜、脳が痺れる程の激情。
 信じ切るのは怖過ぎる、けれど信じずにはとてもいられない。

「ねぇみんな、これって喜んでいい事なんだよね?
 だってまさか萃香が本当に生きているかも知れないなんてさ……
 もしかして私、萃香の名前を聞き逃しちゃったのかな?
 ねぇ、怖いよ……私が変になっちゃった訳じゃ無いんだよね?」

 願望と現実の境界すら自分では見極められず、混乱して、誤魔化す様に口早に捲し立て、私はみんなの顔を見回した。
 そのわずか一瞬……レティの戸惑いと逡巡が見て取れた。
 本当に、それは本当に一瞬の出来事だった。
 私の視線に気付いたレティは直ぐさま柔和な笑顔を取り繕って、まるで何事も無かった様にやわらかい口調で応える。

「ええ、大丈夫よにとり、聞き間違いなんかじゃないわ。
 あなたの言うとおり、きっとまだ萃香は生きているんだわ」

 そうして返された言葉は何処か他人事みたいで、妙に陰のある後ろめたさを感じさせるものだった。
 この僅かの間にレティが何に悩み、何を躊躇っていたのか……それは分からない。
 この時の私は萃香の事で頭が一杯で、レティの胸中に思い巡らせる余裕なんて無かった。
 それよりも、どんな形であれ受け入れて貰えたのが嬉しかった。 実感できた事が嬉しかった。
 ほんとの本当に萃香は生きているんだって、それはもう間違いないんだって。
 そう信じ込める事がただ嬉しかった。

 じわりと染み渡るように胸中を温かいものが充たしてゆく。

 “人生は常に二択の繰り返しである”と誰かが言っていた。
 だとしたら私はきっと、そのやり直しのチャンスを得たんだって。
 そう想い、悦びに浮かされるまま来た道を振り返り、萃香に想いを馳せて……
 “さあ今度こそ萃香を助けに行こう”って、思わず口に出しそうになった所で……
 とても残念な事に、ホント残念でしょうがないけれど……
 そこで私も気が付いてしまった。

 私達は所詮“やり直し”のチャンスを得たに過ぎないんだ、って……

 だって、さっきの放送は輝夜の耳にも入ったはず。
 それなら萃香に止めを刺そうとして、輝夜が戻ってくる事は十分にあり得る。
 萃香を助ける為に、私達はまた輝夜に立ち向かわなくちゃいけないの?

 過ぎ去ったハズの恐怖がフラッシュバックする。
 向けられた銃先、萃香の絶叫、苦悶の表情、不可避の暴力、そして流れる夥しい血液。
 折角逃げ延びたって言うのに、またあの恐怖の中に戻らなきゃいけない。
 萃香を助けるには、あの惨劇や絶望感、無力感をまたやり直さなきゃいけないんだ。
 鬼でさえ敵わなかった輝夜を相手に、今度は私達だけで?
 そんなの嫌だ。 勝てる訳が無いじゃない。 無理に決まってるよ。

 萃香を助けたいと思う気持ち、輝夜を畏れる気持ち……
 相容れぬ二つの感情が鬩ぎ合い、思考が攪拌される。

 そういえば、さっきの放送に椛や八坂神奈子の名前が出て来たじゃない。
 妖怪の山で一緒に将棋を差していた旧友も……
 幻想郷に来るなり山に陣取ってやりたい放題していたあの勇猛果敢な神様さえも、既にこの世を去ってしまったんだ。
 そんな冷酷無比なこの場所で、私なんかのちっぽけな力が何の役に立つのかな?
 “水を操る程度”
 あの時は萃香が一緒だったから……
 いいや、運が良かったから上手く逃げ延びる事が出来たんだ。
 そんな私達が今更のこのこ戻った所で萃香を助ける事なんて出来るの?
 大体、そもそも論として本当にまだ萃香は生きているのかな?
 首輪が体温や脈拍を随時モニターしてると仮定しても、主催者がどの時点のデータを以て放送しているかは分からない。
 さっきは浮かれてて考えが及ばなかったけど、出血によって放送の後に死んでしまった可能性もあるじゃないか。
 そうだよ、あの時萃香は確かに重傷だった、出血量からみても助からない状態だった。
 だったら危険を冒して戻った所で萃香の死を再確認するだけなんじゃ?
 また自分の無力さを思い知らされるだけなんじゃないのかな?
 本当の所、私はただ萃香を見殺しにしたっていう罪悪感に贖いたいだけなんじゃないの?
 この眼で見たことも忘れ、現実をもねじ曲げて、それでみんなを危険に巻き込んで一体なんになるって言うのかな?
 私がやろうとしていることは何の意味も無い、無駄な事なんじゃないの?

 考える程に思考は乱れ、推論は形を成さず、頭の中がちぐはぐになってゆく。
 その内に私は、自分が本当に萃香を助けたいのかどうかさえ判らなくなっていた。
 都合の良い解釈を繰り返し、ただ、ただ必死に恐怖から目を逸らす。
 そうして逡巡のなか視線を彷徨わせていると、不意にレティと目があった。
 そして瞬間、レティが一体何を思い悩んでいたのか、あの時の表情と躊躇いの正体に思い至る。

 そっか、多分レティには最初からわかっていたんだ。
 たとえ萃香が生きていたとして、結局私達には何も出来やしないんだって。
 何かを成そうにも私達は余りに非力すぎるんだって。

 あぁなんだ、結局この程度なのかな。 この程度が私達の限界で結論なのかな。
 あれだけ悔しい思いをして、奇跡的に挽回のチャンスを貰ったのに、結局やっぱり何にも出来ないの?
 助けられないなら、何で私は『萃香が生きている』だなんて言ってしまったんだろう……

 考れば考える程に気分が落ち込んで行く。
 レティと私……互いに限界を思い知った者同士。
 何だか鏡合わせに自分の弱さを晒し合っているみたいで、それが嫌で嫌で……
 それで私は、助けを求めるみたいに……それこそ逃げ込む様にしてサニーを見た。
 私以上にか弱くて無力な妖精だから、きっと自分の抱えているこの恐怖も理解してくれると、そう思った。
 けれどそれはとんだ思い違いで、私の期待に反してサニーは何処までも前向きだった。
 瞳には怯えよりも色濃く『萃香を助けたい』『助けなくちゃ』っていう意志に溢れている。
 そのまっすぐな想いが更に私を追い詰め、傷付けた。

 ひどいやサニー……これじゃ私がただの意気地なしの臆病者みたいじゃないか。
 でも違う、きっとこれは違うよ、サニーのは違うんだ。
 これは私の方がより現実的な視点を持ってるってそう言う事なんだよ。
 たぶん妖精だから、萃香を助けられないって言う可能性に考えが及んでいないんだ。
 何もわかってないからあんな風に前向きでいられるんだよ。
 頑張っても意味が無いかも知れないって……
 自分達がどれだけちっぽけな存在なのかって……
 ほんとそう、全然わかっていないから、サニーは頭がわるいから……

「にとり……」

 背中越しに掛けられたその優しい声に、思わず身体がびくりと震える。
 振り返り見れば、愁える様な面持ちでレティがこちらを見つめていた。
 その儚い笑みが目に痛くて……
 まるで弱っちい私の胸中を見透かされてるみたいで、とても居心地がわるくて……
 凄く自分が恥ずかしくなって、心がそわそわして……
 それで私はその視線から逃げるみたいに俯き、ぎゅっときつく唇を噛んだ。

「ねぇにとり、貴方は何だかとても悩んでいるみたいだけれど……」

 その切り出しと声色から、レティが言わんとしている事はすぐに分かった。
 そして同時に、ソレは本来なら自分が切り出すべき事柄なんじゃないかとも思った。
 けれど私の頭の中はまだ取り繕いに必死で、ちゃんとした答えなんて用意出来ていなかった。
 私が言い出せない代わりにレティがその役を被るのだとしたら、私はなんて残酷な事をさせているんだろう。
 レティはそんな私を気遣うように、それこそ掬い上げる様に優しく言葉を繋ぐ。

「貴方がそんな風に苦しむ必要なんて無いのよ。 これはきっと仕方の無い事だと思うの……
 悲しいけれど、やっぱり世の中どうしようのない事ってあるんだわ。
 私は、ね……萃香を助けるのは無理じゃないかと思っているわ。」

 申し訳なさのあまり顔を上げることが出来なかった。
 こんなにも残酷で決定的な言葉をレティに言わせてしまったのだと、自分の無責任さに腹が立つ。

「鬼の力でどうにもならなかったんですもの、私達に出来る事なんてもう何も残っていないわ。
 悔しいとは思うけど、それで情に駆られてあの場所に戻っても同じ事の繰り返しになるだけだと思うの。
 だからね……何もにとりが責任を感じたり、これ以上思い悩む必要なんてないのよ。
 ほら、せっかく萃香が身体を張ってまで守ってくれたこの命じゃない、
せめてこれだけでもしっかり守り通していかないと……
 萃香の為にも私達は、私達が生き延びる事に一生懸命になるべきじゃないかしら?」

 そう言って最後に困った風に眉を下げ、微笑んだ。

 それはまるで私を慰めてくれてるみたいで……
 責めてくれているみたいで……
 なんだかとても、とても……

 あぁ、やさしさってこんなに心に切り込んでくるものだったの?
 『仲間』って言葉はこんなに重たくて大きなものだったのかな?

――河童と人間は古来からの盟友だから

 今まで自分はどれだけ軽々しくソレを口にしていたんだろ。
 もしかしたら……ううん、もしかしなくても私は、恐怖から逃げる口実が欲しかっただけなんじゃ?
 自分の弱さを言い訳に、萃香を見殺しにしようとしてるんじゃないだろうか?

 レティに返す言葉に詰まった。
 傍らでは、サニーが怒気を含ませた顔でレティの提案に食って掛かっている。
 それを宥め、言い含める様に優しく諭し続けるレティ……
 私は……?
 私は、どうなんだろう?
 私はまだ悩むばっかりで、そのどちらの立場にも立てていない。
 爪が食い込む程に強く拳を握って、『でも、だって』って何度も言い訳をしようとして……
 その度言葉を飲み込んで、逃げ出したくなる気持ちを必死に抑え込んで……
 だけどどうやっても恐怖を拭い去る事なんか出来なくて、やっぱり返す言葉が出てこなくて……

――聞けぇ! 私は伊吹の鬼、大江山の伊吹萃香だ!

 目蓋を下ろせば、豪快で勇敢だった萃香の姿がまぶしいくらい鮮明に蘇る。
 萃香はどんな気持ちで私達を守ってくれていたんだろう?
 もしかして……もしかしたらだけど、萃香もホントは怖かったのかな?
 そうだったらいいな。

――私にもあんたにもまだやれることは残ってる

 つい数時間前に自分が萃香にかけた言葉が頭の中で反芻された。
 目蓋を開けば、心配そうに私の言葉を待つレティやサニーの表情が視界に入る。
 私はもう、その表情をこれ以上曇らせたくはなかった。

 あぁ、なんだ結局、私にはこれしかないんじゃないか。
 思わず笑みが零れる。
 迷いを払ったのは理屈でも後悔でもなくて、単純で酷くありふれた気持ちだった。
 そうさ、仲間の為に戦えなくて何が河童だ、何が盟友だよ。
 私は多分どうしたって恐れ知らずな戦士になんてなれやしないんだろう。
 これはきっとただの空元気、張りぼての鎧なんだろうけれど、別にそれでも構わない。
 深く、肺を空っぽにするくらいに息を吐いた。
 それから、とにかく不敵で無敵な作り笑いを浮かべて、思いきりみんなに見せ付けてやった。

 私の纏う雰囲気が突然軟化した為、レティは驚いてぱちくりと目を瞬かせていた。
 けれどそのまま暫く見詰め合っていると何やら得心がいった様子で、小さく息を零すと肩を竦めてからりと微笑った。
 そうしてレティが浮かべた表情はそれはそれは晴れやかで清々しくて……
 その笑みに救われる想いで、私は更に仰々しく調子付いた言葉を繋ぐ。

「ねぇレティ、私がここで仲間を見捨てちゃうような薄情な河童に見える?
 見くびらないで頂戴。 心配する様な事なんて何ひとつないよ。
 何も怖がる必要なんて無かったんだ。 これはとても明快な事だったんだよ。
 大丈夫、輝夜なんて見つけたらこの私がぎったんぎたんにしてみせるんだから」

 芝居がかった台詞を恥ずかしげもなく言い切って……
 大袈裟に腕を曲げると、そのぺたんとした自慢の力こぶをレティ達に見せつけた。
 やっぱりそれはあからさまな空威張り、到底叶いそうもない大言壮語。
 だけど平気だ。 サニーのまっすぐな想いがこの背中を押してくれる。
 レティだってわかってくれている。

「さぁ、萃香を助けに行こうっ!」
 そう、高らかに腕を振り上げると、二人もそれに続いて声を上げた。

 勿論、力不足なのは解っていた。
 そんなの、痛いくらいちゃんと解ってたんだ。
 けれど私達の想いは止まらない。 放たれた弾丸みたいに真っ直ぐに進んで行く。



※※そして※※



 墓所の如き静謐を湛えた人里、何処までも続く無機質な石畳。
 軒を連ねた民家や商家の隙間を縫って、私達はただ黙々と人里を進み続けた。
 身を寄せ合う様にサニーの能力範囲を共有し、姿を隠蔽しながらの行進。
 人目を憚り、風向きや身動ぎの音にさえも気を配ったその慎重な姿勢が功を成したのか、
それなりの距離を移動したにも関わらず襲撃を受ける事は無く、五体満足のまま再び悲劇の舞台へ足跡を付ける。
 そこには未だ幾つもの血痕や銃痕が残されたままで、ひび割れた石垣と併せ、かつての争いの凄惨さを物語っていた。
 また結構な時間が経っているにも関わらず、一帯には未だ鉄錆びた様な血の匂いが立ちこめている。
 そんな痛ましい様相を見せる表通りを、ぞっとする様な気持ちでにとり達は歩き続けた。

 なんて酷い有様だろう。
 こんな場所に萃香一人を残し逃げ出してしまったのかと、今更にまた強い後悔の情が沸き上がる。
 想い急かされる様に辺りを見渡し、萃香の姿を探し求めた……けれど、見当たらない。
 萃香が倒れていたハズの場所には、代わりに夥しい血量の血溜まりが残されていて……
 またその血溜まりを起点に、身を引き摺った様な血痕が河川の如く延々と通りの向こうまで伸びていた。
 それは萃香がかつて生きていて、移動できるだけの体力はあったという証でもあるのだけど……
 それを好材料だなんて思えない程に、その残された血量は鬼気迫るものがあった。
 噎せ返るような血の臭いは否が応でも最悪の結末を予期させる。
 だとして、それでも此処で立ち止まる訳にはいかない。 私達は“萃香を助ける為に”此処まで来たんだ。
 萃香が本当に危ない状態にあるのなら尚のこと私達が頑張らなくっちゃ。
 自らを奮い立たせる様に首を振り、何とか負のイメージを追い払う。

 それでもやっぱり逸る気持ちを完全に抑え込むのは不可能で……
 焦燥感に焦がされるままに血痕を追い、その足取りは段々と早く、駆け足へと変っていった。

 いったい誰が責められるだろう?

 息を乱しひた駆ける通りは、血痕が散在し、舗装も随所で砕け地面が露出している様な悪路。
 不可視の力を共有しようと取られた姿勢もまた、小柄な妖精に合わせ極端に身を屈めた不自然なモノで……
 焦りや各々の体格差も相まって、駆ける都度その歩調はズレ、歩幅は開いてゆく。

 いったい誰が責められるだろうか?

 能力で姿を隠し声を殺しているが故に、誰も注意喚起が出来なかった。
 また私もレティも萃香の身を案じる余り、注意散漫になっていたのは確かだろう。
 けれど最終的にはサニーミルク。 彼女が血溜まりを飛び越えようと踏み出した一歩……
 正にその一歩こそが致命的だった。
 目測を誤ったのか、はたまた先を急ぐ私達に引き摺られ回避出来なかったのか。
 その一歩が血溜まりを越えることは無く、勢いのままに血溜まりを踏み抜いてしまった。

 びしゃり……と、飛沫の弾ける不吉な音が響く。
 物音それ自体は想像していた程に大きくはなかったと思う。
 けれど、それ以上にハッキリと耳を穿った死のイメージに、みんながその手遅れを悟った。
 恐る恐る振り返り見れば、路上に赤く点々と、既に数歩分の足跡が刻まれてしまっていた。

 最後の最後でそれは余りに致命的なミス。
 勿論それだって見られてさえいなかったなら、気付かれさえしなければ……
 『ちょっと不注意だったね』と、軽く流せる程度の失敗でしかなかったハズだ。
 だからこれは、もしかしたら輝夜の注意深さにこそ驚嘆するべき事柄なのかも知れない。

 みんなが恐怖と後悔に身を竦める中、耳に届いたのは小さな風切り音だけだった。
 多分それは死の羽音だったんだと思う。

 直後に鮮血を散らし、レティが崩れ落ちた。
 銃声なんて誰の耳にも聞こえはしなかった。
 銃撃を受けたという事実はみんな、レティが倒れるのを見て初めて理解したくらいだ。
 穿たれた右太腿を両の手で押さえ、苦悶の表情で蹲るレティ。
 動脈を傷付けられたのか押さえる端から止め処なく血液は溢れ、彼女の白い肌を真っ赤に染めてゆく。

 萃香を救おうと此処に引き返して来た直後の出来事。
 この余りに出来過ぎたタイミングでの襲撃に、けれど私は待ち伏せられたとまでは考えない。
 だって永琳の情報を渇望する輝夜にとって、戻って来るかも分からない私達を待ち受けるより、
負傷してまともに動けないだろう萃香を狙った方がずっと効率的なハズだから。
 そう、だからこれは引き返してきた輝夜と偶々鉢合わせしただけなんだ。
 きっと不幸過ぎる偶然だったんだろう。
 じゃなきゃ輝夜が萃香を見逃す理由なんて、それこそもう萃香が……
 この出来過ぎた襲撃に、けれど私は待ち伏せられたなんて決して考えてはいなかった。

 たった一発の弾丸、ただ一度の攻撃で、既にみんながその先にある結末を連想出来ていた。
 不可視の能力こそ健在だけど、居場所が知られた以上その事に大した意味なんて無くて……
 また、逃げるにしたってレティの出血量ではどうしたって跡を残してしまう。
 なんて事だろう。 ほんの一瞬気が緩んだだけで全ての努力が瓦解してしまった。

 “どうする事も出来ない”

 ここに来る前、必死に振り切ったハズの現実が再び頭の中を埋め尽くす。
 嘆息し諦めかけたその時、けれど私は見付けてしまった、見てしまったんだ。
 蹲るレティを助け起こそうと、その肩に掛けた自らの左腕……
 その袖口から覗くツヤのある特殊繊維……
 それは一度起動すれば自身の姿を完全に風景と同化出来る高等技術武装。
 今になって思い出した。 私は今までずっと服の下に光学迷彩を着込んでいたんだって。
 こんな極限状況にあってなお、私にはまだ逃げ延びる手段があった。
 そう、“私にだけは”その手段があったんだ。

 いったい誰が責められるだろう?

 誰にだって、心変わりする時はある。
 例えば数秒後に殺されてしまうかもっていう、今この瞬間こそがそうさ。
 どんなに仲間を想っても、どれだけ強くなろうと頑張ってみても……
 それだけで心のスミのスミっこまで充たせるハズがないんだ。
 私はやっぱり、どうしたって弱っちい妖怪なんだよ。

 レティを支えていた腕を乱暴に引き抜く。
 バランスを崩してよろけたレティが、傍らのサニーを巻き込んで盛大に尻餅をついた。
 動揺から見開かれた双眸。 向けられた二人の視線が深く私の心を抉る。
 見えなかったフリをして視線を逸らすと、私は二人に背中を向け距離を取った。
 ……それこそ、逃げるように?
 あはっ、まるで“逃げるように”だって?
 頭に浮かんだそのあんまりな例えに、つい苦笑が漏れる。 だって何の例えにもなっちゃいない。

 光学迷彩は起動済み。
 逃げ出す私の背中は輝夜はおろか、置き去りにされるレティ達にさえ視えはしないだろう。
 私はずるい。 恐がりで意気地なしで本当に弱くてちっぽけな妖怪なんだ。
 だから……だからこそ私は、その分強く叫び声を上げた。

「―――――――――――――――!!」

 あらん限りに上げられた声。 これで置き去りにされるレティ達にもちゃんと伝わったかな?
 恐怖や劣等感、使命感といった全ての感情が心の内から熱く喉を震わしていた。
 聞こえているか? たとえ視えなくてもちゃんと私を見ているか?
 駆け出すその足で血溜まりを思い切り踏み抜いて、石畳に赤々と私の意志を刻み込む。

 きっと、私はどうしたって恐れ知らずな戦士になんてなれやしない。
 心のスミっこまで照らせる強い想いなんて持ってやしないんだ。
 それでも、こんな極限状況にあってなお私だけ……私だけが事態を変えられるなら。
 その為なら、私は何度だって叫ぶよ! 幾らだって知らしめられるんだ!
 声にならない声を振り絞って“私は此処にいるんだ”ってこの小さな心体を突き抜ける様に!!

 本当は……仲間の前に庇い立ち輝夜と戦えたなら、きっとそれが一番いいんだろう。
 だけど私は弱い、かっこ悪くてちっぽけだ。

 振り返ること無く、通りを駆け抜ける。
 幾つもの曲がり角を越え、がむしゃらに足を動かし、ひたすらに遠くを目指して……
 息も切れ切れで、頭の中はずっと不安が渦巻いている。
 ちゃんとレティ達は隠れていられるだろうか?
 輝夜はちゃんと私を追い掛けて来てくれているだろうか?
 あぁもうっ、何かを考える度に潰れてしまいそうだよ。
 別れる瞬間のレティ達の顔を思い返すだけで胸が張り裂けそうだ。
 だけど、弱い私に出来ることなんて、こんな程度だ。
 立ち向かう事なんて到底無理で、喚き散らして囮になって、みんなから輝夜を引き離すのが精々さ。
 ほんとかっこ悪くて泣きそうになるね。 まぁ実際、怖くて泣きじゃくってるんだけど。
 それでも私が稼いだ1秒が、1センチが、レティ達の安全に繋がるのなら……
 私は叫び、走るよ。

 人里を縦横無尽に駆ける、駈ける。
 時間の感覚なんてもう当てにならない。
 だけどどれだけあの惨劇の場所から距離を稼いでも、私が死を振り切れないのは分かってた。
 だって今、私こそが死を引き連れているんだから。
 死を引き離さない様にって、そんな風に頑張って走っているんだから。

 誰にだって、心変わりする時はある。
 例えば数秒の後に殺されてしまうだろうって瞬間こそがそうさ。
 ずっと、ずっと怖かったんだ。
 心変わりして、土壇場でみんなを裏切ってしまわないかって。
 でも……だから今は少し安心してる。
 どうせ逃げ切れやしないって分かりきっているからかな?

 顔面を涙でふやかして、口元には小さく笑みを……
 砕け腰の及び腰。 姿勢を整える事も忘れて、幾度も躓き蹌踉けながらも通りを駆ける。
 涙で弛んだ視界の中、自らの行く先すら満足に捉えられない。
 けど、それで困ることなんてもう何もなかった。

 幾つ目かの角を曲がろうとして、後ろからガッシリと腕を捕まれた。
 とうとう死に追いつかれちゃったみたいだ。
 結局、私は最後まで恐がりのまんまだったな。
 ほんと、かっこ悪いや。

 裏路地に引き込まれて行く最中、私はただレティ達の無事を祈った。





103:思い通りにいかないのが世の中なんて割り切りたくないから 時系列順 XX:If~ニビイロノ弾丸ハ撃チ抜ケナイ~(後編)
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最終更新:2017年03月04日 18:39
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