Colorful☆STAR -そして誰も要らなくなるか?-(前編) ◆ZnsDLFmGsk
からのIF
命を運ぶと書いて運命と呼ぶ。
ならばこの数奇な巡り合わせは命の運びに因るものなのか?
もしこれが幾重に偶然が重なった結果だと言うならば、正しく運命なのだろう。
もしこれが彼女達の選択の積み重ねに因るものであるならば、これは必然なのだろう。
果たして、彼女達を引き合わせたモノの正体は……
地図上でF-3と記載された地点。 その茂みの中にソレは捨てられていた。
拘束され、身動き取れない姿で放置された、なんて不憫で可哀そうな姿だろうか。
勿論のこと、このような殺し合いに巻き込まれた方々は皆一様に分け隔て無く可哀そうだとは思うが、その子に関して言えば他と少々事情が異なっていた。
何故ならこの場においてその子はただの“支給品”に過ぎなかったのだから。
傍から見てその子は、氷漬けにされ地面に転がる手の平大の蛙の様に見えた。
ご主人様から遠く離され、別の世界に捨て置かれた蛙は、思うまま行動することも非人道的な扱いに苦言を呈する事すらも叶わず……
見るも無惨な姿を晒し堪え忍びながらも、ただある瞬間を待ち続けていた。
そして、遂に今その刻は来た。
陽光に晒され続けた氷は既に数割方が溶けて、内側に大きく水溜りを作っている。
諦める事無くもがき続けた蛙の身動ぎに合わせ、今もびしりびしりと氷にヒビ入る音が聞こえてくる。
さぁ、今こそ自由に向かって凱旋だ。
蛙は大きくその身を震わせると、短い四肢を一杯に伸ばして自らを閉じ込める忌々しい氷を突き破った。
氷から飛び出し、その躰に僅かに残る砕氷をふるふると振り払うと、小さな体躯でしかと大地に足つ。
そう、蛙は再び自由を手に入れたのだ。
在りし日を想い空を眺めては、涙腺を持たぬ瞳に夕日を染みさせて……
これでようやくご主人様の元へ帰れるのだと……
それこそ感極まる想いで、その両の手足をぱたぱたとはためかせ、夕日を湛える空を目掛けて高く高く羽ばたいた。
それは第三回放送より遡ること半刻僅か足らず。
解き放たれた蛙はただ自らの想いを胸に空を往く。
空を往くならばきっと、それは蛙ではなかったのだろう。
傍から見てそれは運命を導く白鴉に見えた。
※※いつか鈴仙の見た夢※※
幼い頃、自分には無限の可能性があるんだと信じていました。
それは依姫さまが稽古場に顔を出す度に私を褒め、能力を買って下さっていたからかも知れません。
その頃はただ純粋に、自分が誰かに認められ期待されているという事実が嬉しくて、依姫さまや仲間達に、より一層自分の頑張りを見て貰いたいというその一心でひたすら特訓に明け暮れていたよう記憶しています。
毎日、塹壕を掘っては埋めてを繰り返し。
血の一滴すら通っていない板切れをどれだけ正確に撃ち抜けるかを競い合い。
月の清らかな流儀の中、さしたる痛みも覚える事無く自らの技術を磨いてゆきました。
幼い頃の私は、日々振り回しているその武器の意味すらも、実はよく分かっていなかったのではないでしょうか。
けれど自分の未来には輝かしい幾つもの可能性が広がっていて、私はこの技術を磨く度それに向かって進んで行けるのだと、そう考えていました。
頑張れば頑張った分だけ道は拓けてゆくと、純粋にそう思っていたんです。
個人によってその多寡に違いこそあれ……
努力は報われるのだと、そう信じて疑いもしませんでした。
自らを取り巻くこの世の中というものが、案外そういう風には出来ていないのだと、そう気付いてしまったのは一体いつだったでしょうか?
可能性なんてモノは所詮、選び取らねば絶えて行くだけのモノだったのだと、そう気付かされてしまったのはいつだったでしょうか?
それは、磨き続けてきたこの技術がいずれ誰かを傷付けてしまうのだと知ってしまった時でしょうか?
『レイセンにはとても素質があるのだけれど……』
褒められていると勘違いしていた。
依姫さまが後を濁す様にして口にする、その言葉の意味に思い当たってしまった時でしょうか?
『貴女のネックは精神面よ。 もっと心身共に鍛えなさい』
依姫さまより向けられているモノが期待などではなく、酷く劣った問題児に対する失望や失意に類する感情なんじゃないかと……
自分という生物が救いようも無い、実にどうしよう無い類の存在ではないかと……
そんな不安に囚われて抜け出せなくなった時でしょうか?
そうしてそのまま、向けられる感情や評価に真摯に向き合えなくなってしまった時でしょうか?
果たして、それとも……
『地上の民が 』
月面に頑と突き立てられた星条旗、里中を飛び交う不吉な噂話。
仲間内に立ち籠める不穏な空気と高まり続ける期待と重圧。
近づく開戦を前に、恐怖に駆られた身体は言うことを聞かず、仲間達の静止の声さえも遥か遠く……
遠く……
そうして、気が付くと私は幻想郷の大地から月を見上げていました。
月への帰属意識よりも死への恐怖の方が勝ってしまったんです。
其処に逃げ付くまでの記憶は何だかとても曖昧で……
決心だとか決意だとか、そんな大層な感情など無くて、ただ恐怖に駆られるまま気が付くと其処に辿り着いてしまったと言う様な有様でした。
そんなものですから、故郷を捨てたのだと言う事実にも中々実感が伴わず、本来足元に在るべき月が頭上で浪々と光を溢している様子を目の辺りにしても、
『嗚呼、自分は下賤な地上に降り立ってしまったんだなぁ』と、ぼんやり思うばかりでした。
そんな風に現実から乖離した心情を、当時はつくづく不思議に感じたものです。
あれ程に忌避し、恐れ忌み嫌ってきた地上だと言うのに、然したる恐怖も不安も感じることはなく、なるがままに立ててしまったのですから。
私が大切に護り抱いてきた月への想いは一体いつの間に無くなってしまったんでしょう?
もし仮にそれがこんなにも容易く掻き消えてしまうモノだったと言うのなら、どうして私は今までそんなモノを律儀に守り続けていたのでしょうか?
そして、ならそれは一体どこへ消えてしまったのでしょう?
果たして、消えてしまったその想いは、いつかまたこの胸に取り戻せるのでしょうか?
あれから三十数余年、私は未だ幻想郷で生きている。
いずれ郷愁の想いが蘇って、再び私を月へ連れ去って行くんだと思っていたけれど……
結局それも無い。
かといって幾ら慣れ親しんだとて、かつての月みたく特別な感情をこの地に抱く事もまた無い。
もしかするとそれは、一度失ったらもう二度と取り戻すことの出来ない類の感情だったのかも知れない。
まぁけれども、それがどうしたって言ってしまえばそれだけのことで、別段困る事なんて無かった。
何も思い起こす事無く済むんなら、もうそれでいいのよ。
寧ろ思い煩った所でそんなのどうにもならないし、気苦労が増えるだけなんだから。
そうよ、私はもう地上の兎なんだ。
昔、見下していたこの大地で生きて、そして死んでゆくんだ。
……なんて、懐かしい夢を見た。
微睡みの中、微かに水滴の跳ねる音が聴こえる。 通り雨でも降ったのだろうか?
しとりしとりと雨樋から滴の落ちるその音が妙に耳に障り、我慢ならず私は目蓋を開いた。
そうして、開けた視界には月明かりに照らされ仄かに色づいた師匠の顔がありました。
その整った顔立ちに見惚れながらも私は、なぜ縁側で師匠の膝枕なんぞを受けているのかと、自身の置かれた不可解な状況に必死に考えを巡らせておりました。
けれども半覚醒状態の鈍りきった頭では物事を整理立てて考えることが出来ず、結局その心地良さに負け、弛んだ意識を免罪符にされるがままになっておりました。
心に居残ったのは、頭に乗せられた師匠の手の温もりばかりです。
けれど残念な事に、はじめこそ夢心地であったものの、意識の覚醒に順い様々な事柄を思い出してゆきます。
例えばそう、今夜が例大祭でお月見の準備をしなければいけない事、だとか……
それなのにてゐが仕事を放棄し、どこぞ勝手に遊び呆けている事……
またその所為で兎達が全く言うことを聞いてくれず、益々準備が遅れている事など……
思い出したくないような悲惨な現状が、次々と脳裏を駆け巡っていきました。
そうよ、本来こんな所で横になっていられる状況じゃ無いハズだわ。
ちょっとした休憩のつもりだったのに、どうしてうたた寝なんてしてしまったんだろう。
師匠にまで迷惑を掛けて、何て失態、ほんっと最悪だわ。
焦りと申し訳なさが心を覆い、居ても立っても居られず私は飛び起きました。
いえ、正確には“飛び起きようと”しました。
言い訳じゃないけど、ほんとに“私は”起きようと努力したのよ?
けれど一度持ち上げた頭を、師匠がやんわりと自身の膝元へと押し戻したんです。
そして理由が判らず眼を白黒させている私に向け、柔らかく微笑むと……
『心配しなくても大丈夫』と、そう言って、優しく髪を梳くように撫でてくださいました。
何となくこの辺りから私は、これが夢である事実に気づき始めていたんですが……
結局、私の心の弱さはその泥濘を受け入れ、流されるままになっていました。
「大体ね、ウドンゲは日頃からして働き過ぎなのよ。
根が真面目過ぎるのかしらね、少しぐらい適当にしてたって誰も責めやしないのに……
疲れたのなら休んだって別に良いのよ? それは決して悪いことじゃないの。
ねぇ、ほら、そんな風に気を張り続けているといつかおかしくなってしまうわ」
師匠の優しい声が耳をくすぐる。
けど、本当にそうなのかしら? 私は頑張り過ぎているんだろうか?
師匠の話は何だか虫が良すぎて、騙されているような気分になる。
今の今までずっと不足ばかりを指摘されて来たのに、突然そんな事を言われても困惑するばかりだわ。
ほんとは何かの間違いなんじゃ、それこそ勘違いだったりしないのかしら?
“優しくされている”という現状がこそばゆくて、心がそわそわ浮ついて、引き込まれる様に師匠から目が離せなくなる。
「余程疲れが溜まっていたのね。
さっきだって随分とうなされていたみたいだし、相当無理をしていたのね。
本当、気付いてあげられなくてごめんなさい。 私ったら悪い師匠よね」
確かに、連日働き詰めで疲れが溜まっていたのは事実だった。
一生懸命働いている時は気付かなかったけれど、こうしてただ横になっていると身体が鉛のようだ。
けれど儚げに微笑む師匠の顔を見てると胸が痛む。
雰囲気に飲まれていた所為もあったかもしれない。
だけどそれだけじゃなくて、悲しそうな師匠に私の気持ちを伝えたくって……
師匠の所為なんかじゃありませんって、そう言いたくて……
それでその時私は、普段口にしない様な心の内側までも吐き出してしまったんです。
「全部おかしな夢の所為なんです。 だから師匠が謝ることなんて何もないです。
何だかとても懐かしい月での事を夢に見て、それで色々と思う所があって……
うなされていたのは全部きっとその所為なんです。
師匠の所為なんかじゃないです。 師匠は……とても良くしてくれてます」
月から逃げてきた私と違って師匠は月に居られなくなった身の上。
そんな師匠にこんな話をするのは少し無神経なんじゃないか?
そう思いながら、けれど私には全てを打ち明ける以外に気持ちを伝える術を思いつかなかった。
だから悲しまれるよりは叱って欲しくて、ただありのままの言葉を零す。
「此処での暮らしに不満なんて殆ど無いんです。
兎使いはもの凄く荒いけど色々頼りになる師匠が居て、優しい姫様が居て、生意気だけどよくよく元気づけてくれる同居人が居て、可愛らしい兎たちに囲まれて……
故郷を捨てた私がこんなにも倖せでいいのかなって、ほんとに申し訳ないくらいなんですよ?
そりゃ夢見が悪かったりすれば当然不安になる事もあります。
でもそれだって永遠亭や師匠に不満がある訳じゃ無いんです。
ほら、夢って無意識から来る願望とか欲求の現れってよく言うじゃないですか。
だから“もしかしたら”って少し悩んでしまっただけなんです。
本当の私は、月で皆と一緒に戦って死んでゆく事を望んでいたんじゃないか、とか……
私はまだ本当の意味で永遠亭の一員になれていないんじゃないかって……
そんな風に考えて、いつか皆と居られなくなるのが怖くなっただけなんです。
皆のことが本当に好きなだけなんです。
それで何か私にも……私にだって役立てる事があるんだって、それを知りたくて……
だから私はほんとに、自分の為に頑張っているだけなんです」
師匠の為の話だった筈なのに、いつの間にか自分に対する弁明の様になっていた。
それでも師匠は文句ひとつ言わず、静かに私の話に耳を傾けてくれた。
「だから私、苦労してるなんてちっとも思ってないんですよ?」
最後の呟きは微睡みと共にあって、ちゃんと師匠の耳に届いたかも定かでは無かった。
これが夢だと言う事はもう分かってる。
だとして、この夢は私の願望が創り出したまぼろしなんだろうか?
それとも、いつだったか実際にあった光景なのかしら?
頭越しに伝わる師匠の体温はとても暖かく、その優しい香りと合わさって、再び私を夢心地の世界へと誘ってゆく。
「大丈夫よ、ウドンゲは何にも心配しなくていいの。
私の言う通りにしていれば全部うまく行くんだから」
風に遊ばれて銀色に煌めく師匠の長い髪と、その隙間……
頭越しに見えた満月がとても美しかった。
嗚呼、これが私の望んでいた光景なのかしら?
※※現在、鈴仙の置かれた現実※※
シャツが汗で肌に張り付いて酷く気色悪い。
顔に跳ねた土を袖で乱暴に拭うと、私はまた地面にシャベルを突き立てる。
ただ一心不乱に穴を掘り続けていました。
けれど暫くして眩暈に近い疲労を覚え、息をつく様に空を見上げる。
そこは香霖堂の傍ら、地図上ではF-4と記された地点。
かつて吸い込まれそうな程青く澄み渡っていた空は今や朱が交じり、急き立てる様に刻まれた時間の中で昏い蒼へ還ってゆこうとしています。
溶け合う様に、はたまた染み渡る様に、止めどなくその色を変えてゆく奇抜な空模様。
芸術めいた色彩の変遷、それはまるで絵画の様で……
大自然が、沈みゆく太陽が、それこそ決死の覚悟で創作活動を行っている様にも思えました。
消えてしまわない様に、潰れてしまわない様に十重二十重に色を塗り重ねて。
世界がたったひとつ、一世一代の芸術作品を描き上げようとしている様に感じたのです。
けれど夜が近付くにつれ必然的に色彩は暗く淀み、キャンパスはどろどろに爛れた良く解らない色へと変質してゆきます。
そうして感動も何もかも、帳が降りれば全て等しく塗り潰されてゆきました。
それが私には何とも憐れに思えて、まるで自らの行く末を暗示されてるみたいで何だか憂鬱な気持ちになりました。
景色の移り変わりはそれ程までに容赦が無く、けれど心を奪われて仕方の無いものでした。
そうして、澱みきった空には今や月がだけが白々しく輝いています。
闇夜に在って尚白く、まるで塗り損じの様な不自然さを放つそれに見守られながら。
再び、思い出した様に私は地面にシャベルを突き立てる。
空の行く末なんて本来何も関係無いんだ。 今の私はとにかく穴を掘らなければいけないの。
ただ、ただ一心不乱に墓穴を掘った。
正しい行いをしなくてはならないとは常々思っていました。
けれどよくよく考えてみればその“正しい”っていうのが一体どういう事なのかよくわかって無かったんですよね。
いえ、みんながどんな状態を指して正しいって言ってるのか、そういう青写真的なものは何となく想像出来ていました。
それってきっと絵画の様に調和のとれた完成された状態なんでしょ?
殺し合いの運命に翻弄される事も無く、恐怖より自らの理念に寄添う様な……そんな感じ?
ええ、解ってはいたのよ。 嘘じゃ無く、ほんとに……
けどね、そんな情景に交じって笑う自分の姿がどうにもしっくりこないのよ。
どうしたって不自然に思えてしまう。 嘘臭くて堪らなくなる。
輪に混ざる自分の姿を思い浮かべるだけで痛ましい、目を覆いたくなる程のおぞましさだわ。
相性というのかしら? 多分私にはそういう正しさに対する才能ってやつが足りないんだと思う。
大体、私は今まで自分の力で何かをやり通した事なんて無かったもの。
だからきっと努力の集大成みたいなその正しさってモノを受け入れる事が出来ないんでしょうね。
人殺しに勤しんだり、人助けに精を出したりと、善悪に関わらずここではみんな思い思いの行動を選択しているんだろうと思うけど……
私に関して言えばそのどれもが中途半端だった。
善意も悪意も全く続かず、場当たり的な感情に流されてふらふらと失敗を積み重ねてばっかり。
そうして何もかも台無しにしながら、ふと気付けば此処まで運ばれていたというのが私の現状。
だけどもうそんなのはイヤだった。
うんざりなのよ。 何で私ばっかりこんな思いをしなくちゃいけないのかしら。
揺るぎない信念だか摂理だか知らないけれど……
私だって何かそういう大きなものに縋っていたい。 従属していたかったの。
知らず苦笑が漏れる。
あぁ、だから今私は、土に塗れて墓穴なんかを掘っているのかしら?
汗水垂らして、努力した風で……
頬伝いに零れた汗が地面に染みを作っていた。
苛立ちのまま、その跡を踏みにじって掻き消す。
所詮、私は転がり落ちるガラス玉なんだ。
流れ水が決して上へは昇らない様に……
最も低く安定した場所に辿り着くまで転がり堕ちて行くしかないんだ。
だったら、別にいいじゃない。
――永琳を助ける為、主催者の趣旨に沿うよう動いてるわ
そう言って姫様は私を捨てた。
――鈴仙には、私を守ってもらわなきゃ困るし、強くなってくれなくちゃいけないの
そうして幽々子様はかつての過ちを忘却した。
みんなだって誰かの為とか何だとか好き勝手に理由を付けて、それこそ記憶を捏造してまでやりたい放題やっているじゃない。
私だって少しくらい好きにしてもバチは当たらないハズよ。
がつんがつんと憤りに任せて振り下ろしたシャベルが幾度も腐葉土を巻き上げる。
吹き荒ぶ夜風が木々を唆し、私の胸中をざわざわと騒がせていた。
此所に納められるモノやその提案者の現状を思うと、この行為に対する徒労感ばかりが膨らんでゆく。
既に無くなってしまったモノにここまでの労力を捧げる価値なんてあるのかしら?
私は何か、努力の矛先を間違えているんじゃないかしら?
悩む事数秒、軽く頭を振って感傷を締め出す。
実質が徒労に近い行いだったとしても、私が感じている疲労感は本物に違いないハズよ。
だったら内容の是非はともかく、労力を捧げた分だけそれに見合った結果へ運ばれるべきなんだわ。
八つ当たりみたいに大地を虐め続けること半刻近く……
木の根やら何やらが幅をきかせていて随分と苦労させられましたが、
無事、大人一人をすっぽり収められる位に深い穴を掘り上げる事に成功しました。
苛立ち、興奮気味になっていた気持ちもその頃にはどうにか冷めていて……
どころか求められた水準の仕事を遂げる事が出来た自分自身に対し、僅かながら達成感らしきものさえ感じています。
つくづく思うのですが、私の感じているこの気持ちや感覚と言うものは何ていい加減に出来ているんでしょうか。
つい先程まで感じていたハズの憤りは何処へやら。
私は汗でべとべとになったシャツごと搾るみたいにして心身を解きほぐすと、一仕事終えた後の高揚感に任せ意気揚々と、幽々子様の待つ香霖堂へ引き返しました。
そして幽々子様へ報告を上げ労いの言葉を戴くべく、香霖堂の入口、その取っ手に手を掛ける。
……その瞬間の出来事です。
『多分、その戸を開いたら後悔するんじゃ無いかしら?』
不意に、背後から聞き覚えの在る声が届きました。
暗闇を滑り抜ける様に透き徹った声色。
それは、確かに姫様の声で……
「…………ッ!!」
思わず嫌な汗が噴き出し、身構えるように振り向く。
こめかみは鈍痛を訴え、鼓動を喉から吐き出し兼ねない程に心臓が跳ねる。
それは幻聴? それとも錯覚?
振り向いた先に佇んでいるのは、やっぱり見紛う事なく姫様の見姿。
“やっほー”とそう言わんばかりの気楽さで手をひらひらさせ、朗らかに頬笑んでいる。
――いつかは殺さなければいけないというのも確かなの
つい数時間前に交わされた会話が脳裏を過ぎった。
約束の期限は確か、次に姫様と出会うまで。
死にたくなんて無かった。
当然でしょ? 誰だって死にたくなんて無いハズよ。
叫び逃げ出したい衝動に駆られたけれど、腰が抜けてしまい飛び退く事すら満足に出来ません。
腰砕けにへたり込み、ただ金魚か何かになったみたいに口をぱくぱくさせるばかり。
そんな情けない私の有様を見て、くすくすと息を零した姫様。
『ごめんね。 そんなに驚かせるつもりは無かったの。
私はね……鈴仙、あなたを助けに来たのよ』
じゃじゃーんと自前で効果音を付けて両の腕を広げた姫様。
こちらの緊張を解そうと試みたのか、殺し合いの場に不釣り合いな明るい声色。
これは一体なんなのかしら? 私はまた欺かれているの?
言葉が上滑りするばかりでまるで頭に入って来てくれない。
寧ろそうやって明るく振る舞われる事で、返って疑わしさが増している嫌いすらあった。
そんな失礼な事ばかり考えていると……
多分に私の心情を読んだのだろう、姫様が拗ねるように唇を尖らせ弁明の言葉を紡ぐ。
『勘違いするのも仕方ないと思うけど、あの時は本当に仕方が無かったのよ?
私も永琳を助けなくちゃいけないのに、鈴仙ってばどこか覚悟しきれていない様子で頼りなかったし……
あのままじゃすぐ死んでしまうんじゃないかって、私なりに心配したんだから。
そりゃあ……ね、殺しを強要するのは私自身もどうかとは思ったわよ?
でも、可愛い身内より他人の命の方が軽いのは当たり前の事でしょう?
あれはきっと一種の母性、親愛の様なものね。 うんうん、そうに違いないわ。
だってこれでも鈴仙を焚き付ける為、私だって心を鬼にして頑張ったんだから』
そうして繕われた言葉は、やはりその内容に反して鼓膜を素通りするばかりだった。
『私だってちゃんと反省したのよ。
永琳はきっと自分で自身を救えるだけの賢さと強靱さを重ね備えてる。
なら私が寄添うべきは、突き放されて怯えてるあなたの方だったんだって。
ねぇ鈴仙、どうか分かって……私はあなたを目指して戻ってきたのよ?
もしかして余計なお世話だった? 迷惑だったのかしら?』
こちらの心情の変化を決して取り零さぬ様、身振り手振り一生懸命に訴えかける姫様。
そんな姫様の姿を見ていると、ひょっとして私は姫様を信じたいんじゃないか?
……なんて、末恐ろしい考えさえ真実味を帯びてしまう。
頭が痛い、これはなんて息苦しい会話なのかしら。
未だ突き放された時に向けられた、あの冷たい表情を脳内から払拭出来てはいない。
だけど……
だけどもし本当に姫様の言う通りだったとしたら……
あの時、あの言葉にそんな想いが込められていたのだとしたら、その意味は反転したのかしら?
そして、それだったら私の抱く感想は変わっていたの?
――自分にとって都合の良い物事を、たいして疑いもせず
投げ掛けられた言葉を想い返す。
そうね……後ほんの少しだけでも、私に目を逸らす勇気があったなら受け入れる事が出来たのかも知れない。
「放送、聞きましたよ」
自分自身に対する失望を隠さないまま、素っ気ない態度で対応する。
そんな私の応対に不満げに頬をふくらませ、非難めいた視線を向ける姫様。
何だか咎められている様な気分になるけれど構うもんか、だってもう姫様は死んでしまったんだ。
無くなってしまったモノへのご機嫌取りなんてただ虚しくなるだけだわ。
『そう、だから死んだのは偽物でこの私こそが“本物”って訳。
可哀相な鈴仙を助けてあげる為にわざわざ此処まで来たんじゃない。
頑張ったんだから褒めてくれてもいいのよ?』
諦め悪く、戯ける様に胸を張った姫様。
まったくやってられない。
それが本当だったならどんなに良かったか、どれだけ救われただろうか。
過去を想い感傷に浸る事、一拍、胸中の空虚さに気付いてすぐ思い直す。
……いや、実際の所どうなんだろう?
別にそれ程嬉しくもないのかもしれない、どうでも良いのかもしれない。
事実、放送で姫様の死を知った時も涙の一滴だって流してあげる事が出来なかった。
姫様に“見捨てられた”事を思い出して虚しい気持ちになっただけ……
ホントそればっかりで、悲しいって気持ちが表に出てきてはくれなかった。
私ってば、どうしようも無い薄情者だったんだわ。
ズキズキと頭が痛む。
冷静になって思い返せば、こんな妄想に取憑かれた原因にも思い当たる。
初めて香霖堂を訪れたあの時、何気なく零れた独白が私を縛り付けているんだ。
――鏡の向こうの瞳が私を狂わせてくれるのならば、もっと楽になれるのかも
そう、考えてみればこの会場に来てから、ずっと能力に制限が掛かっていたのよね。
どんな制限なのかあんまり意識して無かったけれど、知らず知らずにタガが弛んでいたのかも。
いつだったか秋穣子達の幻影を見た事もあったし……
妄想に語りかけられる度に頭痛がするのは、ひょっとして無意識に能力を行使していたって事なのかしら?
にこにこ頬笑む姫様を横目に、ひとつ溜息を零す。
だとしたらなんて下らない。 ほんと、自分で自分が情けない限りだわ。
こんなの、たださもしいだけの一人遊びじゃない。
そりゃ本当に溺れる事が出来たら幾分か楽にはなれるんでしょうけど、けどそれがどれだけおぞましい事なのか。
私だって流石に、ソレを理解できるだけの分別は残っているつもりよ。
いつかは其処に至るのだとしても、まだ暫くは留まる努力を放棄する訳にはいかない。
傍らで喧しく騒ぎ立てる姫様を無理矢理に無視して視界から締め出す。
そうして私は、自らの未練を振り切るようにして強く香霖堂の扉を開いた。
そして私はその光景の眩さに思わず、見惚れる様に動けなくなった。
瞬きに追い遣られたみたいに、騒がしかった姫様の声もいつの間にか止んでいます。
店内は元々からして人気が無く、風情以上に哀愁の漂う場所ではありました。
湿り気を帯び土の香を呼び込んだ隙間風に、生き物の気配も無く静寂にたゆたう薄暗い室内。
僅かに開かれた窓からは朧気に月明かりが差し込み、舞い上がる埃を染め上げて光のベールを作り上げています。
そんな寂寥感に浸り切った室内で、ただひとつ仄かに浮び上がる様な明るさを纏って幽々子様が座っていました。
その膝元には魂魄妖夢の亡骸が横たわり、それをまるで慈しむかの様に……
母親が我が子に向けるような柔らかな面持ちで……
それこそ聖母を思わせる穏やかさで以て幽々子様が抱き抱えていました。
声を掛ける事も忘れ、心なしか高鳴る胸を押さえ、深く息を零す。
室内に灯っていたのは視覚的な灯りではなく、感傷に極めて近い情緒的な温もりそのものでした。
ルーミアによってズタズタにされたハズの遺体は修繕され、五体満足の状態で抱えられています。
所々どうしようも無い欠損部分については包帯等で誤魔化していましたが、それ以外に目立った外傷は見受けられません。
幽々子様によって施された死化粧は縫合痕等の醜い部分を見事に彩り隠し、生者と見紛うまでに整え上げていたのです。
「どう鈴仙? なかなか見事なものでしょう。
今にも起き上がってきそうな位じゃないかしら?」
胸中の感嘆符を見透かされてしまったみたいで……
淋しげな表情に喜色を僅か滲ませて、顔を綻ばす様に幽々子様が言いました。
医療に携わる者としては素直に褒め難い気持ちはあったのだけれど……
それでも本当に見事な出来映えでした。
手酷く囓られ解体されていたものだから、修繕した所で酷い有様になるだけだろうと思っていたので、その見栄えの良さには驚きを禁じ得ません。
遺体を相手にする限りに置いては私なんか足下にも及ばないんじゃないかしら。
そうは思えど、どうしてもそれを素直に褒める事は出来ませんでした。
心を照らし上げたその優しげな灯火は、私の内にある後ろ暗い感情をも色濃く浮かび上がらせていたのです。
この上なく綺麗に整えられ、穏やかに眠りに着いた妖夢の遺体。
その安らかな面持ちを眺めていると、胸の内がざわめく。
眩しいモノはどうしてこうも私ばかりを傷つけるんだろう?
此所はもう私の居場所なんだ。 今更それを死人なんかに奪われてたまるもんか。
幽々子様はちゃんと私が守るから……
だからどうか……
どうかお願いだからあなたは安らかに眠ったままで居て頂戴。
まばゆく、きれいなモノに蓋を……
私は一刻も早く、妖夢を冷たい土の下へと埋葬してあげたかった。
なのに幽々子様は中々その遺体から離れようとしてくれなくて、それが何だかもどかしくって……
それで意地の悪い気持ちが首をもたげ、思わず黒い言葉を吐き出してしまったのです。
「幽々子様はどうして“見ず知らずの彼女”を埋葬してあげようなんて思ったんですか?」
自らの口を出たそのあんまりな言葉に、口にしてすぐ深い罪悪感に駆られます。
けれど開き直りに近い露悪趣味的な感情に覆われて、何とか居直る事が出来ました。
口元に手を当て横たわる亡骸に視線を落とすと、よく判っていない風に首を傾げた幽々子様。
「そう言えばどうしてかしらねぇ。
志半ばで倒れた彼女の意思を少しでも慰めてあげたいって、そんな気持ちがあったのかしら?
ほら、やっぱり“他人”とは言え、亡骸を放置しておくのは忍びないでしょう?
きっとそういう事なんだわ」
そうして穏やかに紡がれたその言葉に、私はつい口角がつり上がるのを抑える事が出来ませんでした。
ルーミアによる死体損壊現場を目撃して以来……
幽々子様の現実はまたほんの少しズレて、その心を幾何か滑落してしまわれました。
最早ここに横たわっているモノが魂魄妖夢だという事実すら、今の幽々子様には正しく認識出来ていないご様子です。
それでも、最早他人であるハズの妖夢の遺体にここまで心を割いて……
また、悪鬼フランドールを討ち取るという目的意識にブレは見られません。
本来、それらの間には明らかな矛盾が存在しているハズなのに……
幽々子様の脳内において、それらは一体どう言う風に道筋立てて繋がっているのかしら?
その事が妙に気になって、心の中に蟠って仕方がありませんでした。
以前の言葉を翻す形にはなるけれど……
もしかして“無くなってしまった”と思っているのは私だけで……
本来それはどうしたって無くしきる事の出来ない心の染みみたいなモノなのかしら?
だとしたら、これはなんて忌々しくて憂鬱な事柄なのかしら。
幽々子様に言われるまま妖夢の亡骸を抱き抱え表へ出ると、冷たい夜風が私の髪を浚った。
月明かりはずっと穏やかに私達を見守り、包み込んでくれている。
木々を揺らし吹き荒ぶ湿り風が、私の心を乾かし続けていました。
つんと張り詰めた空気、どこか神経が研ぎ澄まされてゆく様に感じる。
何故かしら? その感覚は酷く懐かしくって月での出来事ばかりを思い出しました。
指先が震えてしまわない様に注意を払いながら、妖夢の遺体をゆっくりと墓穴へ沈めてゆく。
最初は徒労だとばかり思っていたけれど……
労力を掛けて作り上げた墓穴が、私の努力が、こうして何らかの形で活用されている。
そのささやかな事実だけで、まるで報われているみたいな、自らの価値を認められている様な穏やかな気持ちになれる。
だから、きっとこれでいいんだ。
『あーあ、そこで眠っているのはきっとあなたの現し身なんだわ。
埋葬なんかしちゃって本当に大丈夫? もう、後戻り出来ないわよ?』
耳鳴りと頭痛。
水を差す様にして耳元で盛大に溜息を付いた姫様。
安堵して気が緩んだ所為かしら? それとも肌寒い外気に心を晒し続けた所為?
またも姫様が煩く囃し立て、くすくすと嗤い声を上げ始めます。
全く鬱陶しい事この上有りません。
どうにかして追い払いたいのだけれど、幽々子様が見ている前で不用意な発言をする訳にもいきません。
だってこの姫様は私にしか見えては居ないんです。
そんなモノに返事なんてしてしまったらオカシク思われてしまうに決まっています。
きっと姫様は私を破滅させようとしているんだわ。 そんな思惑に乗せられるもんですか。
貝の様に口を閉ざし、少しでも強く鮮明な意思を保ち続ける事で何とか妄想を押し留める。
そうして、想い殺め続ける事数分……
いよいよ遺体も埋め終わり、後は土を押し固めるだけといった段になって……
うわ言の様にぽつりと幽々子様が漏らす。
「優しい月明かりに看取られて眠りに着く事が出来るなら……
この子の最期は少しでも救われたモノになってくれたのかしら?」
憐れむと言うより懺悔に近いその呟きを受け、咄嗟に何の表情も取り繕う事が出来ませんでした。
せいぜいが肯定の形を繕う様に口端を引き攣らせた程度。
促されるまま空を見上げ、月明りに顔を埋めます。
暗闇を着飾る木々の隙間からぽっかりと丸く、白々しいまでの穏やかさで月が微笑んでいました。
死体を足元に埋めながら幽々子様と姫様と三人、ただ静かに夜空を見上げる。
色々な事があり過ぎた所為でしょうか?
私にとって其処は、ただ優しいだけのモノでは無くなっていました。
それが例えどんなに優しげに見えたとしても……
どれだけ想い焦がれたとしても、その光は結局ただの反射光に過ぎないんだって……
所詮は此所よりちょっとばかり偉ぶった処に浮かんでいるだけの土塊なんだって……
そんな風に感じて、つまらない事ばかりが頭を埋めているのです。
視線を落とし、傍らに立つ幽々子様の顔色を窺う。
幽々子様は亡くなった者を偲ぶ様に目蓋を下ろし、両の手を合わせています。
私にはその胸中を想い量る事は出来ません。
きっと此所に生きる誰もが皆、喪失を許容出来るだけの強さを持っているんでしょう。
けれど、逃げ出してしまった私達は多分その限りじゃ無い。
穏やかな面持ちで祈りを捧げる幽々子様を見ていると、またも胸がざわついた。
これは何かしら? 別にもう妬ましくなんて思って無いハズなんだけど……
お揃いに両手を合わせて、私は埋葬された過去の残骸へ黙祷を捧げる。
最終更新:2018年01月31日 01:09