Colorful☆STAR -そして誰も要らなくなるか?-(後編)

Colorful☆STAR -そして誰も要らなくなるか?-(後編) ◆ZnsDLFmGsk


第三回放送直後 【夜】
からのIF





※※※※



 暗い森の奥深く、地図上ではG-5と記載された地点。
 メクラの吸血鬼を隣に、普通だった魔法使い霧雨魔理沙は居た。

 昼間でさえ薄気味悪かった魔法の森は夜を迎えた事により完全に闇に呑まれた。
 森は今や瘴気を孕み、薄霧立ち籠める異界の如き様相を呈している。
 霧の発生は日没後の急速な気温低下に因るものだろう。
 同様に気温低下の影響を受け霜が降りてきており、地面はグズグズとぬかるんでいた。
 武骨な木の根に覆い尽くされ、苔類の蔓延る地面はただでさえ足を取られやすいと言うのに、ここまで悪条件が重なってしまっては、魔理沙にとっていくら其処が勝手知ったる魔法の森だとしても留まり続けるのは困難に思えた。

「やっぱりこりゃ早いとこ永遠亭に向かった方がいいな……」

 そう独り言ちて魔理沙は頭を掻くと、傍らに寄り添う吸血鬼を見た。
 フランドール・スカーレット
 かつて煌びやかな衣装を纏っていた吸血鬼のお嬢様は今や乞食と見紛う姿に成り果てている。
 輝く金色を誇っていた髪も汚れきって色も解らぬ程にくすみ、衣服も泥に塗れぼろぼろに摩り切れ、どころか痛々しい生傷があちらこちらから顔を覗かせている。
 その悲壮感漂う姿に魔理沙の心は打ちのめされ、申し訳のなさでいっぱいになった。

 一人霊夢の元へ向かうフランを止められなかったのは自分だ。
 また、そこが禁止エリアになるぎりぎりまで香霖の亡骸から離れられなかったのも自分だし……
 そんな時間猶予の無い状況で尚、永琳と約束した場所へ急ぐことを決めたのも自分だった。
 結果、足場の悪い森の中で盲目のフランを引っ張り回すことになってしまった。
 “今更辿り着いたって無駄足かも知れない”なんて、そんな事は最初から解っていたのにな。
 それなのにフランをあんなに急かして、何度も転ばせて、ここまで傷だらけにして……
 それで結局、永琳にだって会えもしない。
 私は……いったい何やってんだろうな。

 そう、魔理沙は自らを責め続ける。
 其程までに彼女は純粋で、またどこまでも不器用だった。
 自らの行動の責任から目を逸らす事も誤魔化す事も出来ず、故にただまっすぐにその心を剥き身のまま傷付けていった。

――だからこそ、私たちにはお前のような者が必要なのだ

 それはまだほんの数時間前、遠退く意識の中聞き取った八雲藍の言葉。
 私より知恵や実力を備えた人妖なんて幾らでも居たのに、それでも藍は誰よりも私を買ってくれて、私をリーダーとして立ててくれた。

――ごめんね、それと――ありがとう

 私の事を自身の命以上に“大切”だと言って、一人霊夢に向かっていったフラン。
 霧雨魔理沙というこの心身には、いつだってその器に余る程の想いが注がれている。
 だからこそ苦しかった。
 不甲斐ない自身と併せ、その想いは胸を痛ませ、何処までも私を惨めにさせる。
 もしかして皆は私の限界を解ってて、わざとそんな事を言ってるんじゃないか?
 その優しさは私を苦しめる為に存在してるんじゃないだろうか?
 なんて、落ち込みきったこの馬鹿な頭はそんな妄想をも時に容易く創り出してしまう。

 このままじゃあいけない。
 強くなりたいと思った。 もっと強くならなくちゃ駄目だと思った。
 分相応に堆く積み上がった期待や責任に耐え、それに応えられるぐらい立派な人間になりたかった。
 次々と命が零れ落ちてゆく中、せめてこの目に映るものだけでも守れる強さが欲しかった。
 今この瞬間においては、手の平で繋った小さな腕ひとつ……
 フランだけでもちゃんと守り切ってやりたかった。

 事の発端が霊夢の凶行、フランの独断専行にあったとして……
 その上、フランの視力喪失や現場の禁止エリア化等、度重なる不幸があったとして……
 また親友以上の情を抱いていた霖之助や友人達との死別を経て、自身の心が飽和状態にあったとしても……
 それでも私には、フランの身に刻まれた傷ひとつひとつに自身の責任を感じずには居られなかった。

 深まった闇は蔓延する瘴気と合わさり視界をより一層不明瞭なものにしている。
 木々の隙間から僅かに零れる月明りだけが、二人の行く道をぼんやりと浮かび上がらせていた。
 その不確かな道を、けれど確固たる意思を以て魔理沙は歩む。

 そうして、霧雨魔理沙が自らの責任と相対していた時。
 手を引かれ隣を歩く吸血鬼もまた、同様に悩んでいた。

 フランドール・スカーレットの視界は未だ回復の兆しも見えない。

 暗やみなんて、別に何でもないと思ってた。
 吸血鬼として先の見通せない夜の暗さなんてとっくに慣れてるつもりだった。
 けどそんなのはちょっとばかり夜目が利くってだけの話で、暗やみを克服した訳じゃなかったんだって……
 例え吸血鬼であっても、例え日の光がどれだけ苦手であっても……
 それでもやっぱり光が無くちゃ何も見ることは出来ないんだって。
 そんな当たり前の事を今更になって私は知った。
 400年以上生きてきて、私はやっと暗やみが怖いって気持ちが分かったんだ。
 じゃあ魔理沙は? 魔理沙も、ずっとこんなキモチと戦ってたの?

 魔理沙の手を借りてよろけながら、支えられながらも懸命にメクラな私は歩いていた。
 不可視の世界に放り出され、もう指で触れる事でしか物事を知覚出来ない私にとって、手汗と一緒に握り込んだ魔理沙のか細い掌こそが道しるべで、その温もりを含んだその他の全部……
 身体を通り抜け鼻孔を擽る土臭い湿り風も然り、その風に唆されてざわめき立つ木々の葉擦れの音もまた然り、自らの足運びが立てたグズグズという腐葉土の攪拌される音ひとつひとつに至るまで……
 自身を取り囲むあらゆる腐臭、物音、それら全てが私の居場所を確かめる為の大切な命綱だった。
 また掌の温もりを除いて、その全てが死を香り立て不安を煽り立てる恐怖そのものでもあった。

 先は見通せず足下すら確かにならないその闇の中で、仲睦まじく手を繋ぎ私たちは歩く。

 大昔からヒトにとっての夜は、孤独や恐怖、忌避するべき死の象徴だったんだと思う。
 だからこそ火を携え、祈りと共に眠り、その擬似的な死を以て夜を遠ざけていたんだって。
 ならきっと、相対する私たち吸血鬼にとって、夜は迎合するべき自由と生の象徴だったんじゃないかしら?
 天道に追いやられ、あらゆる枷を填められたこの身体が解放される唯一の時間だったんじゃないかな?
 死の運び屋とも言える伝染病を起源に持って、また他者の生を啜るその姿と合わせて、吸血鬼はこの地でいちばん死や恐怖って現象に祝福された種族だったんだと思う。
 そんな超常の存在とも言える吸血鬼が、この私が、今は闇やみを怖がって人様と同じみたいにびくびくと怯えてるなんて。
 ふふっ、それってなんだか可笑しいよね?
 私は自分を取り巻くあべこべな環境や、それらに伴って沸き上がる感情の全部がすごく新鮮に思えた。
 そして慣れない感覚に戸惑いながらも、それがまるで魔理沙と同じ恐怖を共有しているみたいで、不謹慎かも知れないけどちょっとだけ嬉しかった。

 でも勿論、そんなのは全部ほんの少し前までの話。
 当たり前だけれど、この不自由な身体は……思うままに出来ない感情は、ありとあらゆる面で私達を困らせた。
 本当なら夜の支配者である自分こそが魔理沙を助けなきゃいけないのに……

 繋いでいた右手がすべって離れた。
 露出した木の根に躓いて、泥濘に頭からべちゃりと倒れ込む。

「……大丈夫か?」

 それは疲労がありありと染み込んだ、魔理沙の気怠いことば。
 泥塗れで地面に張り付いた私に降ってきたことば。

「ごめん……まだ、その、よく見えなくって」

 それは何度口にしたかもわからない謝罪のことば。
 か細く消え入りそうな弱々しいことば。
 お互い疲労困憊と言った感じ。

 頬を擦り、身体の泥を払うと、風の香を頼りに右腕を伸ばす。
 見当違いの方向に伸ばしてないか、空を切ってしまわないか心配だったけど、伸ばした手はちゃんと魔理沙に届いた。
 そして魔理沙の手を、その温度を確かめるみたいにぎゅっと強く握って、離れないよう指を絡める。
 足回りはとにかく最悪で、地をうねり這っている太い根を避け、鬱蒼と茂る草木を踏み分けて歩いてきた。
 魔理沙に道を作ってもらい、また手を引かれ、何度も声をかけてもらって……
 それでも何度も躓き転んじゃって、そのたび魔理沙に迷惑をかけてる。
 まったく嫌んなっちゃうなぁ……
 魔理沙の為にがんばろうって、みんなに迷惑かけないようにって、その為に一人で行動したのに、結局こんなことになっちゃった。
 想いって、なかなか形にならないものなんだね。

 光にやられた私の視界はまだまだ回復しそうにない。
 暗やみによって仕切られたこの内側の世界は輪郭も無くぼんやりとしていて、目蓋の隙間から漏れる僅かな明りと繋いだ掌から伝わる温もりだけが唯一、この世界にカタチをもたらしてた。
 それ以外に形を成すものなんてなくて、この暗澹とした世界にずっと浸ってると、次第に自分の存在すら容易く闇に溶け出しそうな、そんな曖昧なモノに思えてくる。
 この感覚は何だかとても懐かしくって、紅魔館の地下室に閉じ籠っていた頃を思い出した。

 かつて私の意識は、これと同じ様な感覚に包まれながらも不都合なんて感じたりしなかった。
 それどころか胎児にとって母の胎盤がそうだったみたいに、この狭く閉ざされた世界こそ害ある世界から隔離された、ただひとつ私の居場所なんじゃないかって、そんな風に考えて日々を過ごしてた。
 思えば私は、ずっとそうやって外界との繋がりを曖昧に放棄して生きて来たんだと思う。
 家族に囲まれながらも独りきりで、それこそ魔理沙と出会うまでずっと、ずっと……
 だけどもう、そんなのはイヤだった。
 私たちはやっと今、一緒に同じ恐怖の中を歩いている。
 だったら私が、私の方が魔理沙を支えられるくらいに強く在りたかった。

 落ち込み沈みがちになっていた私は、またも不注意から足を取られ転倒した。
 “またかよ”と、殺しきれず洩れたんだろう魔理沙の舌打ちが頭上から降ってくる。
 それは普通なら聞き取れないくらい小さな音だったけど、泥濘で喘ぐ今の私とってそれは何よりも大きく響いてきた。
 蹲り倒れ伏したまま、思わず大地に爪を立てる。

「悪ぃ、気が立ってたんだ。
 転んだ事なんて気にすんなよ、別に……仕方ないだろ」

 舌打ちして直ぐ後悔に襲われたんだろう、取り消す様に魔理沙の謝罪の言葉が降ってくる。
 バツが悪いのか、一層優しく壊れ物を扱うように丁寧に助け起こしてくれた魔理沙。
 その気遣いがかえって心苦しくて、居心地の悪いなんだか嫌な気持ちになった。

 こんなの私がぜんぶ悪いのに……

 ほんと、お荷物になってる自分が恥ずかしくって泣きたい気持ちになる。
 もっと強くなりたい。
 やりたい事や変えていきたい事がいっぱいあって、それらをどうにか出来るぐらいに強くなりたかった。
 抱いた気持ちと向き合って、一人立ち出来るくらいの強さが欲しかった。

 沈み込んだ気持ちをどうにか奮い起こせないか頑張った。
 今はまだ何も見えないけれど、それでもちゃんと前を向いて歩きたい。
 不甲斐ない自分を変えるんだって、そう強く決意したら……ふと、心のすみっこの方にじんわりとあたたかいモノが“居る”事に気付く。

 気付くと同時に、視覚とも触覚とも違う第六感とも言うべき部分で、“何か小さな生物が近付いて来ていること”も感じ取った。

 これは吸血鬼として産まれ持った鋭敏な感覚のお陰なのかな?
 でも、今までこんなはっきりと“何か”を知覚出来たことなんてなかった。
 もしかして私が抱いた前向きな気持ちが眠っていた才能を開花させたの?
 ……ううん、違う、きっとこれは授かったモノなんだ。

 スターは、ずっと私の側で支えてくれている。

 私を助けてくれた小さな妖精の事を思い出す。
 スターの能力は今も私に寄添い、この胸の奥深くに芽吹いていた。
 その力が、彼女の残した意思が、暗い不可視の最中にあって誰よりも早く私に“それ”の接近を教えてくれたんだ。

「ねぇ魔理沙……気をつけて、何か小さな生き物が近づいてくるよ」

 緊張の中、繋いだ手に力がこもる。
 私の視界は未だ真っ暗で、けれどそれだけで無力だなんて思いたくない。
 だって私は強くなるんだって決めたんだもん。
 私こそが魔理沙を守るんだ。

 がさりがさりと“茂みを何かが這い寄る音”が遠くから聞こえてくる。

 吸血鬼が決意を新たにした一方、手を繋ぐ魔法使いもまた同様に覚悟していた。
 せまる何某かに対し、一分の隙も見せるモノかと……
 今度こそ、必ず自分がこの幼い吸血鬼を守るのだと、そう決意し、また願っていた。
 迫り来る恐怖を前に、これまで降りかかった数多の不幸や不安を想起して……
 傍らに立つ吸血鬼の汚れきった顔を眺めては……
 “なんでこんな健気な少女が苦しまなきゃいけないんだ”と憤り、迫り来る運命に対し情状酌量を乞うていた。
 彼女達は確かにこの殺し合いの場において、常に正しくは居られなかったのだろう。
 だとしても、これ以上に踏みにじられる覚えは無い筈だと……
 そう、繋いだ掌に力を込めて、二人はせめて穏やかな未来を願った。

 がさりがさりと目の前の茂みが大きく音を立てる。

 さて、“願えば叶う”という言葉の陳腐さは筆舌に尽くし難いモノだ。
 こと殺し合いの場において幸福の期限は甚く短い。
 けれど今この場において、彼女たちのひたむきな願いは叶った。

 茂みを飛び出したのは百鬼悪霊などの物々しい類では無く、馴染みある可愛らしいモノであった。
 腕で軽く抱えらられる程度の小さな体躯に、まるまるとした体つき、すべすべの外皮……
 緊張が解けた反動か、魔理沙の顔にも喜色が浮かび思わず明るい声を上げた。

「おいフランやったぜ、こいつは“ツチノコ”だ」

 現れたツチノコは何か怯えているみたいで、逃げ込む様にフランの胸に飛びつき、その襟口から中へ潜り込もうと躰をくねらせている。
 目が見えない所にいきなり飛びつかれた驚きと、こしょぐられた胸元のこそばゆさから、わぁわぁとあられの無い声を上げ暴れるフラン。
 端から見ていた魔理沙には、その様子は何だか小動物同士がじゃれている様に見え……
 先程までの沈み込んだ気分、最悪を想定し緊張しきっていた様子とのギャップから、それがとても微笑ましく感じた。

「大丈夫だ、安心しろよフラン。 ツチノコは害のある生き物じゃないぜ。
 どころかとっても可愛らしいやつなんだよ。
 私はペットとして飼っていたからツチノコには詳しいんだ」

 必要以上に明るく投げ掛けられた魔理沙の声。 
 抵抗に必死なフランに悪いと思ったのか、笑い声を小さく押し殺しながらの説明。 

「それにツチノコってのは、つまり槌の子……
 草の神である野槌の使いで、僅かとは言え草を操る力だって持っているんだ。
 元から此処に居たのか、誰かの支給品に紛れ込んでいたのかは知らないけど……
 上手くいけばこの鬱蒼とした魔法の森を少しは歩きやすく出来ると思わないか?」

 未知が恐怖をもたらすとすれば、既知がもたらすモノは安心だ。
 自身のその妙案をとても自慢げに、そしてなるだけ明るく話す魔理沙。
 一方のフランはと言うと、ツチノコがいよいよ服の中に潜り込みつつあって、くすぐったさからそれどころでは無かったが……
 無害である事が解った為、ある種安心して笑い転げる事が出来ていた。
 そうして冗談みたいに大袈裟に騒ぎ、暗い森を笑い声で仄かに色付けてゆく。
 いつの間にか、二人の間に先程まであった沈んだ空気は消え去っていた。

 “願えば叶う”などと言う言葉を容易に信じる事は出来ないが……
 このツチノコを……
 このほぐれた空気や笑顔をもたらしたのが、私達の願いによるものなら……
 案外捨てたもんじゃ無いな、と……そう、心の中で思い、魔理沙は笑みを溢した。

 格闘が続くこと数分……
 結局、ツチノコはフランの胸元に躰を埋め襟口から頭を出す体勢で落ち着いた様だ。
 笑いすぎて息を切らし、涙目になりつつあるフラン。
 そのくすんだ金髪を撫で、魔理沙は襟口のツチノコを眺めると……
 『それなら、どうかフランを守ってやってくれ』と心の中でだけ小さく呟いた。

 心に描いたのは困難を打倒し、笑い合う互いの姿……
 願ったのはそんなささやかな未来……

 さて、繰り返しになるが“願えば叶う”という言葉は脆く、殺し合いの場において幸福の期限は甚く短いのである。
 事が起きたのは直後だった。

 “何故そんな突然に”と、そう問うなら……
 フランの意識が乱れていた事にその原因があったと答えよう。
 またツチノコについて、“誰かの支給品に紛れ込んでいた”とまで推測しておきながら、“その持ち主”の事まで思考が及ばなかった魔理沙の失態でもある。

 草木を掻き分けツチノコの跡を追うようにして……
 鈴仙・優曇華院・イナバと西行寺幽々子がその姿を現した。



※※少し時は巻き戻って※※



 この空はご主人様の元へ続いていないのかもしれない。
 かつて飛んだ空とこの空は似ているがまるで違う、此処は別の世界だったのだ。
 陽も落ちた暗がりを飛び惑う中で、とうとう白鴉はその事実に気が付いた。

 白鴉は途方に暮れた。 けれどご主人様への想いに陰りは無い。
 必ず元の世界に……ご主人様の元へと戻るのだ。
 そう意気込んで、何か元の世界へ繋がる手がかりは無い物かと白鴉は探し回った。

 そもそも自分はどうやって此処へ連れてこられたのか……
 いったい誰が自分をこんな場所へ連れて来たのか……
 そんな疑問巡らせた先、白鴉は思い出した……いや、見付けたと言って良いだろう。
 この世界で初め、氷漬けになった自分を草原に捨て去った人物……
 深い森の中佇む寂れた雑貨屋、その建物の脇で両の手を合わせている薄桃色の髪をした少女……

 そう、西行寺幽々子の姿を……


※※※※


 そして忘我の幽霊嬢と月兎一匹による逃避行は、昏い森の奥へとその場面を移した。

 西行寺幽々子が息を切らせ髪を振り乱し、元来の穏やか姿から想像付かない程の懸命さを以て走り続けていた。
 その鬼気迫る表情に圧倒され、追い立てられる様にして怯えた白鴉も必死に飛ぶ。
 闇夜にあって浮かび上がる様に白く、木々の隙間をすり抜けてただ懸命に、白鴉は飛んでいた。
 闇夜に舞い飛ぶモノは鳥では有り得まい、ならばきっとあれは蝶なのだと……
 追い掛ける幽々子がそれを蝶と見紛うのは必然であったのかも知れない。

「幽々子様、待って下さい! ねぇ、いったいどうしたんですか!?」

 幽々子の背中越しに響くのは鈴仙の声。
 まるで追い縋る様にして発せられた制止の声。
 けれどそんな必死の叫びも幽々子の耳には入らない。
 彼女の頭の中は、ただ不定形の焦燥感が支配していて他の事など考える余地は無かった。
 ひらりひらりと、ともすれば容易く見失ってしまいそうなその朧気な道標を……
 我を忘れて、ただ幽々子は追い続ける。

 何故なら彼女にとってそれはとても大切なモノである筈だったのだ。
 だからこそ今まで箱の奥深くに仕舞い込んで、大事に大事に守って来た。
 決して壊してしまわない様に……
 例え壊したとて、決して無くしてしまわぬ様に……
 誰の目にも触れない様、頑なに守り通してきたのだろう。

 そこまでして来て、けれど未だに彼女は不安を拭い切れずにいる。
 ひょっとしたらこの箱は空っぽになってはいないだろうか?
 守り通してきた筈のそれは箱の内で腐ってやしないだろうか?
 本当に、まだちゃんと大切なモノのままここに在ってくれているだろうか?

 怖い、けれど彼女は不用意に箱を開けて確かめる様な馬鹿な真似はしなかった。
 その箱は目に映らないし、そもそも形の無いモノだから……
 覗き込んだ所でどうせ何も分かりはしないのだ。
 ならば彼女にとって、万が一にも中身が漏れ出さないよう箱を押さえ込み、閉じ込めておくことの方が大切だった。
 決して亡くしてしまわぬ様に……
 決して壊してしまわない様に……
 必死に、ただ必死に箱を閉ざし続けるしかなかったのだ。

 箱の中のそれは確か、とても大切なモノであった筈なのだから。


「待って、ねぇお願いだから行かないでっ」


 舞い飛ぶ夜蝶に手を伸ばし、■■■■と自身ですら判別付かない誰かの名前を叫んで幽々子は走る。
 揺らめく夜蝶は後悔か? はたまた誰かの面影か?
 否、飛び疲れた様に高度を落とし、地を這ってゆく姿は蝶では有り得ない。
 端から見てソレは……



※※そして現在※※



 鈴仙・優曇華院・イナバと西行寺幽々子。
 草木を掻き分けて現われたその二人組を目に、魔理沙は戸惑いを隠せずにいた。

 魔理沙の記憶に残った幽々子の最後は、錯乱し抜け殻になった酷く痛ましいモノだった。
 しかし目の前、胸に手を当て息を整え『やっと追い付いた』と笑みを溢す幽々子からはかつての狼狽振りは窺えない。
 触れるモノ皆傷付けずにはいられなかった惨劇時の様子と比べるに、今の幽々子は至って普通に……少なくとも表面上は平常通りに見える。
 とは言え幻想郷で酒を交えて居た頃と比べれば、纏っている雰囲気が何処か違う様にも感じる。
 喉に小骨が刺さった様な違和感に、魔理沙は言葉も出せずただ戸惑っていた。

 そして事態を測り兼ねているのは鈴仙も同じであった。
 こんな突然の遭遇など予定している筈もなく、魔理沙と幽々子、二人の顔を見ておろおろと慌てふためくばかり。
 そんな最中にあって迷いも無く、行動を起こしたのは彼女だけだった。

 華やぐみたいに突如その表情を綻ばせた幽々子。

「あぁ、やっぱり……
 生きていてくれたのね■■■■、何処に行ってたの? ずぅっと待っていたのに……」

「……え?」

 目尻から涙を溢れさせ、いつぞや見せた数割増しの朗らかさと狂気を以て……
 しな垂れ掛かる様に“フラン”に詰め寄り、幽々子は頬笑んだ。
 そのままフランの頬に手を添え、輪郭をなぞり、体温を愛しむみたいに吐息を寄せる。
 どこかほんのりと上気した頬。 余りに自然に紡がれたその名に、誰もが耳を疑った。
 彼女の口にしたそれは既に失われた筈のモノでは無かったか?

 錯乱した彼女はかつて何を為した?

 恐怖を取り戻し、ハッと我に返る思いで慌てて幽々子を引き剥がした魔理沙。
 二人の間に強引に割って入ると、事態把握が出来ていないフランの前に庇い立つ。
 身構え牽制を掛ける魔理沙に対し、幽々子は軽く首を傾げ……

「そんな邪険にする事ないじゃない。
 私はただ愛しい“従者”との再会を喜んでいるだけなのに」

 そう、まるで悪びれること無く拗ねた声を出した。
 余りに場違いな言葉、声色……

 対処に困って、唖然と立ち尽くす魔理沙……
 理解及ばずただ事態の推移に身を任せたフラン……
 皆が幽々子の纏う異様な雰囲気に呑まれ自身を失っていた。
 そんな中、幽々子のその不気味な発言を受けてただ一人……
 鈴仙・優曇華院・イナバ、彼女だけが事態を理解し、得心がいった表情をしていた。

 以前、竹林にて鈴仙が三妖精達の能力を完全に無効化して見せた様に……
 狂気の源である波長を操る鈴仙には、幻覚や錯覚といった類の力は“彼女がそれを望まない限りにおいて”通用しない。
 だから彼女には、幽々子にフランの姿を誤認させている原因がはっきりと視えていた。
 そう、幽々子の理解不能な言動は、何も彼女の精神状態のみに端を発するモノでは無かったのだ。
 そして鈴仙が視たその“原因”はフランの胸元から顔を覗かせ、その体内に深く根を張っていた。

 通称“正体不明の種”。

 それはかつて京の都を恐怖に陥れた大妖……封獣ぬえの使役する謎の生物群の呼び名である。
 それに取憑かれたモノは正体を無くし、本来の姿を知っている者を除き、皆に正体を誤認されてしまうという。
 正にその能力こそ、幽々子がフランにかつての従者を重ねた原因であった。

 鈴仙は一目見て、その特性とそれがもたらした現状について理解した。
 そう、鈴仙は間違いなくこの奇妙なやり取りの原因について理解はしていたのだ。
 理解して、けれど、それでも彼女はその事を打ち明けようとはしなかった。
 何故ならその時、彼女の関心はそれとは別の未来に注がれていたのだから。

 鈴仙はきっとこれまでも……
 そして恐らくはこれから先だって、決して死者に成り代わる事は出来ないのだろう。
 その事は彼女自身が嫌と言う程に痛感させられていた事実でもある。
 だが、正体不明の種……自らの正体を失わせるその力を手に入れさえすれば……
 死者に成り代われないにしても、少なくとも他者が望んだ自分でいられる。
 望まれるままの“本物”でいられるのだ。
 鈴仙の瞳は輝いていた。
 最早彼女は自分が自分自身である事にさえ、然したる執着も抱いてはいなかったのだ。

 四者四様に事情は入り乱れ、事態は混沌の極みにあった。
 フランに躙り寄り、どうして自身を拒むのかと戸惑い訴えかける幽々子に……
 その手を遮り、フランを守るべく懸命に立ち塞がる魔理沙。
 そしてその傍らに立って、幽々子を宥めつつ物事の推移を見守り続ける鈴仙。

「あぁ、そうね分かった……
 あなた達フランドールの事を気にしているんでしょう?」

 事態が大きく動いたのは、またも幽々子の発言からであった。
 皆が見つめる中、手を合わせ一人納得した顔を浮かべる幽々子。

「大丈夫よ■■■■、もう迷わなくたって良いのよ。 私もあなたを信じるわ。
 あなたの事を脅かすモノはこれから全部、私が取り除いてあげる。
 だからね、ほら、一緒にあの憎き吸血鬼……フランドールを討取りにいきましょう」

 さも妙案と言わんばかりに持ち出された提案。
 何故か自らを拒み続ける従者に対し、幽々子なりに歩み寄り、理解を示そうとしたが故の言葉。

――どうかお考え直しを! あの中にはフランドール・スカーレットが

 かつて自分の従者が必死にその危険性を訴えていた吸血鬼……
 以前はその言葉をきちんと酌んであげる事が出来ず、その結果悲劇が起きた事は幽々子も朧気ながら覚えていた。
 だからこその譲歩、決意や優しさの込められた言葉だった。

 悲劇の原因はあなたでは無く、全てあの吸血鬼にあったのだと……

 フランの顔が悲しみに引き攣った。
 あの一連の悲劇は未だその心に色濃く陰を落としている。

 もしもあの時、自分が妖夢を軽々しく挑発したりしなければ……
 もっとその言葉に耳を傾け、向き合っていれば……
 などとそんな風に考え……
 事実フランはずっと、事の発端に自らの軽率な行いが在ったのではないかと後悔していたのだ。

 その傷を抉り返す様な言葉に……
 胸に氷塊を差し込む様な凍えた事実に、フランは顔を歪め、言葉無く立ち尽くしていた。

 そんな彼女の葛藤は、傍らに立ち掌を結ぶ魔理沙にも痛い程伝わっていた。
 掌にフランの爪が食い込んで、物理的にも痛かった筈だ。
 だが今の魔理沙にとって手の痛みなどまるで気にならない。
 自身の痛みよりも何より、フランの心境についてばかり心配していた。
 余りに超然とした幽々子の物言いが到底理解出来ず、煮えくり返る様な怒りに魔理沙は堪えて居た。

 フランドールを討取る、だって?
 おい幽々子、何だそれ? お前本気で言ってんのか?

 絶句……ただ、ただ言葉を失った。
 それまで悩んでいた事も、考えも、頭の中から全て等しく吹き飛ばされた。
 代わりに、空いた空洞を埋める様に怒りばかりが脳内を浸食してゆく。

「ねぇ魔理沙……あなたも当然協力してくれるわよね?
 あなただってあの子のやった事を許したりなんて出来ないでしょう?」

 皆の反応の悪さが心配になったのか……
 はたまた責任過多な“従者”に対し、皆の賛同を以て慰めようと思ったのか……
 私の心情なんてそっちのけで、まるで当然と言わんばかりに幽々子は続けた。

 何なんだよこれ? ひでぇ話だ……
 時にここまで、これ程までに人は自分勝手に振る舞えるもんなのか?
 全く理解が出来ない。
 なぁ幽々子、今のお前にとっての妖夢はまだ死んじゃ居ない事になってんだろ?
 だったらそれは良いよ、お前にとって妖夢はそれだけ大切な存在だったって事だろ?
 でもよぉ、それなら一体全体何の罪でフランを裁くつもりなんだ?
 筋が通らないじゃないか、なぁ……

 頼むよ、本当は分かっているんだよな?
 まさか本気でこんな訳分かんねぇ事言ってる訳じゃないよな?
 こんなの質の悪い冗談か何かでさ、私をからかってるんだ。 そうだろ?
 なぁ、そうだと言ってくれよ。
 ……お願いだからさ、そう言ってくれよ。

「勿論あの吸血鬼にだって何か言い分はあるんでしょうけれど……
 だからと言って起きた悲劇を無かった事には出来ないし、してはいけないと思うの。
 みんなの気持ちを酌んであげるのも重要だけれど、それで何もかもなぁなぁで済ませてしまったらきっと大切なモノを見失ってしまうわ。
 だからね、やっぱり私達は厳しくあの吸血鬼に物事の正しい在り方を教えてあげないと」

 説き伏せると言うよりは、聞かん坊相手に言って聞かせるみたいに……
 幽々子はその後も飄々と持論をのたまい続けたが、私には妥当性なんて微塵も感じられなかった。
 あの痛ましい一件が幽々子の胸の内にどれ程の影を落としたのか。 それは分からない。
 けれど、妖夢を喪った直後に見せた幽々子の狼狽しきった姿は記憶に焼き付いている。
 幽々子にとって妖夢はそれ程までに大切で大きな存在だったんだろう。
 それを思えば、こうして幽々子がおかしくなってしまったのもそう不自然な事では無いのかも知れない。
 だとしても……
 だとしてもだ、やっぱり私は赦せないよ。

 白玉楼で幽々子に寄り添い、はにかんでいた妖夢の幸せそうな姿。
 馬鹿正直で、いつも幽々子に煙に巻かれるような事を言われてからかわれていた生真面目な庭師。
 その最期を思い出す。
 確かに勘違いはあったし、取られた手段は極端なものだったのかも知れない。
 けれど妖夢は最期まで幽々子、お前を守る為……お前の為にって行動していたんだぜ?
 その信頼が……その想いの行き着く先がこれなのか?
 なぁ幽々子、お前だって辛かったんだろうと思うよ。
 その気持ちを理解できるだなんて軽々しくは言えないけどさ……
 でもよぉ、こんなのあんまりじゃないか。 これじゃあ妖夢が報われないぜ。

 記憶の喪失は、その想いの大きさ故だと解ってはいても……
 それでも私には幽々子の現状が妖夢を事を蔑ろにしているみたいでいたたまれなかった。
 彼女の的外れな主張が口を出る度、どす黒い感情が支配を強め、堪らなく掴み掛かりたい衝動に駆られる。
 出口の見えない空しさと憤りばかりが心中を支配していた。

 ここにきて流石に幽々子も、自らの主張や立ち位置が周りから浮いている事実に気が付いたんだろう。
 周りの無理解に対し汗を滲ませ戸惑いながら……
 それでも“かつての従者”の言葉を思い出し、必死にフランの危険性を訴え続けている。

 今の幽々子は膨張した風船と同じだ。
 その精神はもう限界で、破裂するギリギリの所で騙し騙し何とか保っているだろう。
 フランもきっとその事が解っているからこそ、辛くても必死に堪え忍んでいるんだと思う。
 フランの胸中を考えると悔しくて仕方ない。

 繋いだ片腕、食い込んだ爪……
 フランはずっと耐え続けていた。
 目尻に涙を滲ませ唇を噛んで、言われるがままにずっと気持ちを抑え込んでいる。
 震えた手の平越しにフランの感情が痛い程伝わってくる。

 一向に理解を得られない現状に焦ったのか、幽々子の発言は更に言葉を選ばず過熱してゆく。
 そして……

「だからね、私達の手であの吸血鬼を××××べきなのよ!」

 先に耐えきれなくなったのは私の方だった。
 頭の芯に火が点っている様で、今ならどんなモノでも容易く壊してしまえそうだった。
 もしかして、昔のフランはずっとこんな感情を持て余して居たんだろうか?

 濁流の様に言葉が溢れ出すのを止める事なんて出来なかった。
 激情に任せ幽々子の胸ぐらに掴み掛かる。

「ふざけんなよっ! なぁ幽々子、あの時お前が何をしたか教えてやろうか?
 あの一件が悲劇的な形で幕を下ろした、その最終的な原因はぜんぶっ!
 全部お前の……」

 “全部お前の所為だ”
 “全てお前の自業自得だ”

 そう、ぶちまけてしまいたかった。
 溜め込んだ憤りの捌け口が見当たらなくて……
 拳を振り下ろしても許される相手が欲しかったんだ。

 この怒りは一体、何処から来たモノなんだろう?
 そして一体、何に向けられたモノなんだろうか?
 理解の及ばない幽々子の暴言に対してか?
 私達を置き去りにして勝手に死んじまいやがった妖夢に対してか?
 それとも……

――あんたは何もわかってない

――甘いな、お前は

 それらを止める事も、幽々子に寄り添う事も出来なかった自分自身の不甲斐なさに対してか?

 勿論こんなのは全く私の本心じゃなかった。 本心であるもんか。
 だから……

「それは違うよ」

 言い切るより早く、フランが私を止めてくれた事が本当に嬉しかった。
 さっきまで俯いていたはずなのに、フランの言葉はハッキリとしていて、どこか確信に満ちた芯の強いモノだった。

「そ、そうよ……そうだわ。
 何があったのかなんて、私はよく知らないけれど……
 此所で起きた出来事が誰か一人の所為って事はきっと無いハズだわ」

 その言葉尻に乗っかるようにして、怯えながらも仲介に入った鈴仙。
 そのまま私の肩に手を置き、どこか言い聞かせる様にして力説を続ける。

「いいじゃない、幽々子様の思う通りにさせておけば……
 もしも“フランドールが見付かる様な事があれば”言われた通り退治すればいいのよ。
 ねぇ魔理沙、あなたも解ってるんでしょ?
 ここで私達が下手に言い争ったって、幽々子様の気分を害するばかりで何も良い事は無いわ。
 そうでしょ? 私の言いたい事、ちゃんと分かるわよね?」

 目と目を合わせ、真正面から向けられた言葉。
 鈴仙の顔には何故か笑みが浮かんでいて、その瞳はやたらギラギラと輝いていた。
 必死に訴えかけるその表情は暗に、幽々子は何も判っていないのだと……
 私達の知る幽々子はもう戻ってこないのだと、そう言っている様に感じた。

――ここで消えてもらわねば、犠牲者が増える一方だ

 あの時の酷く痛ましい錯乱しきった幽々子の姿を、そしてそれを藍がどう評したかを思い出した。
 私達が“助ける事は出来ない”と……
 “居なくなった方が安全なんだ”と……
 そう言って置き去りにした幽々子に、今まで付き添ってくれたのはきっと鈴仙なんだろう。
 言動に未だおかしな部分はあるものの、今の幽々子にかつての狼狽ぶりは窺えない。
 これはたぶん鈴仙が取り戻してくれた感情なんだ。
 鈴仙の方が私なんかより幽々子の事を理解している。

 握り込んだ手に知らず知らず力が籠もる。
 指が食い込み、フランのか細い掌を傷付けてしまいそうになって少し焦った。

 そうだよ、大体ここで幽々子の矛盾を指摘してどうなる?
 また以前みたく惨劇を引き起こすだけじゃ無いのか?
 まだフランの視力は回復していない。
 ここで何かが起きた時、真っ先に犠牲になるのはフランだ。
 私はフランを守るってそう決めたんだろ? 一時の感情に任せて台無しにする気か?

 頭の中では答えは出ていたが、どうしても頷く事だけが出来ずに居た。
 どうにかして現状を呑み込もうとする度、感情がそれを撥ね付けやがるんだ。
 なんだって言うんだろう。
 私はこんなにも物わかりが悪くて、弱い人間だったのか?

「きっとね、あの場所では色んな人が色んな事を間違えてたんだ」

 掌を通して私の葛藤が伝わってしまったのか、フランが突然言葉を発した。
 自分が一番傷付けられている筈なのに、それでもフランは幽々子を思い遣り言葉を選ぶ。

「フランドールはね、きっと私の事を下に見て馬鹿にしてたんだ。
 挑発したってどうせ乗ってこない半人前、半身半霊の弱っちい人妖だって……
 あの吸血鬼はね、結局、力があるだけの何にも知らない子供だったんだよ。
 地下室に籠もって、ずっと守られて生きてたから、そんな簡単な事さえ気付いてなかった」

 肩を震わせながら淡々と淀みなく続くフランの言葉。

「今にして思えばホントにささいな事だったと思うんだ。
 後少し、もうちょっとだけでもあいつが気持ちを考えられたなら防げた筈なんだ。
 仲良くなれたかまでは分からないけど、それでもずっと良くなる筈だったんだよ。
 もしも天罰みたいなモノがあったら楽なんだけど、此処にはそんなモノないし……
 だからやり直すって訳にもいかないけれど……
 それでもみんながあの吸血鬼を、フランドールを倒す為なら協力できるんだったら……
 今度こそちゃんとやれるって言うんなら。
 その為だったら……私、我慢するし何だってするよ。
 “幽々子様の従者”として、ちゃんと頑張る」

 そう言って最後にフランは強がって笑顔を作ろうとしていた。
 表情は引き攣っていて、とてもじゃないが痛々しくて見ていられなかった。

 従者の了解が得られた事が大層嬉しいらしく幽々子が華やいだ笑みを浮かべて居る。
 隣立つ鈴仙も、これで問題は解決したと言わんばかりに安堵した表情をしていた。
 張り詰めていた空気が緩和され、場に一種の安心感らしきものさえ漂い始める。

 血が上っていた頭が急速に冷まさされてゆく感覚だ。
 胸の底には依然、溶かしきれず蟠った苦い感情ばかりが残っている。

 私達はどうしたって独りでなんて生きられない。
 きっと私達はみんな、支え合って進んで行かなきゃいけないんだろう。
 だとしてもその為には、ここまでしなくちゃいけないんだろうか?
 健気な彼女に鞭打つみたいな、こんな酷い論理さえ肯定しなくちゃいけないのか?
 こんなモノまで呑み込まなくちゃ私達は生きていけねぇってのかよ。

 握ったフランの手は震えている。

 もし妖夢が此所にいたら何て言うだろう?
 こんな私達の結末を祝福してくれただろうか?
 死んだ自分より生きている人達を優先するのは当然だって……
 そう理解してくれただろうか?

「大丈夫だよ……私は、魔理沙を信じてるから」

 意を決したとばかりに絞り出されたフランの声。
 けれど一体、フランは私の何を信じてくれるって言うんだろう?
 いったい私の何に味方してくれるって言うのか?

 私の決断を?
 私の保持する力量を?
 私の内に宿った信念を?

 よしてくれ、私はそんな器じゃ無いんだ。
 フラン一人を守るのでさえ精一杯な、ただただ“普通”な魔法使いなんだ。
 私にはその責任に見合う力なんて持っちゃいねぇよ。

 フランの手はか細く、けれど力強かった。
 その顔には精一杯の“強さ”が溢れている。
 今をもってもよく解らない事だけれども、私の中の何かがフランにここまで期待させてしまっている。
 だったら仕方無いよな?
 だったら私はそれに見合った答えを返してやらなきゃいけないんだ。
 力量が足りない分だけ必死に、何かを示さないといけないんだろう。

 いつだったか香霖と一緒に眺めた星空を思い出した。
 寒空の下互いに躰を温め合いながら交わした星座の話、私を魅了して離さなかった星の逸話。

 かつて航海士達は昏い海の真ん中で途方に暮れた。
 何も見えなくなったって、自分が何処にいるのかさえ解らずに……
 だからこそ彼らは道に迷わぬよう星座を作った。
 空をキャンパスに星と星を結び付け、自分達だけの名前を付けて道標にしたんだ。
 どんな時もまっすぐ進める様にって。

 想い馳せるように夜空を見上げる。
 鈴仙達が不思議そうな顔をしていたが気にも留めない。
 月に負けじと、夜空いっぱいを埋め尽くすように星々が輝いていた。
 昏いばかりだと思っていた夜の空は、けれど全く淋しいモノなんかじゃ無かった。

 そうだ、私はこれが素晴らしいモノだって……そう思ったから魔法を星で彩ろうって思ったんだ。
 太陽が昇ってしまえば容易く掻き消えてしまう。
 それでも集まればこんなに素敵な景色を見せてくれる。
 こんな星みたいに素敵な魔法で自分を……世界を彩りたいってそう思ってたんだ。
 かつて暗雲立ち籠める大海原に繰り出した航海士達が、行く道に迷わぬよう星々を結んだのと同じく……
 暗い森を行く私達もまた、ふたつ手の平を結んでそれぞれの道しるべと成したんだ。

 それこそ遍く人々が移ろえば消えるちっぽけな星くずにこそ願いを掛けた様に……
 まるで夜空を宝石箱に、その心を彩り燦めかせる様にして……
 死への恐怖も、強きも弱きも一様にその小さな胸へと詰めていったのだ。
 この暗やみの中でも迷わない為にって……

 私は多分ずっとフランの事を誤解していたんだな。
 こんなにも強い女の子を他には知らないってのに……

「なぁ鈴仙、少しの間だけフランの事を頼んでもいいか?
 ひょっとしたら危なくなるかも知れないから、離れていて欲しいんだ」

 繋いでいたフランの手をゆっくりと離す。
 フランは私が守ってあげなくちゃいけないような存在じゃ無い。
 二人とも私の突然の提案に驚いて居たが、私の決意を感じ取ってくれたらしく、理由も聞かずに従ってくれた。
 多分これから私が何をしたいのか解ってくれたんだと思う。

 離れる際ほんの一瞬、鈴仙が不穏な表情を浮かべたのだが……
 あれはいったい何だったんだろうか?
 まさか、これから先の不穏な気配を察して逃げる口実を得た事を喜んでいたのか?
 ……いや、今は考える事は止そう。
 私はフランの事を、みんなを信じる事にしたんだ。

 だってこれは、たぶん私のどうしようもないわがままだ。
 周りからは酷く馬鹿な真似をしている様に見えるのは仕方ない。

 鈴仙に手を引かれフランがその場を去ると……
 幽々子がその後を追おうとして、また取り乱し暴れ出した。
 その四肢を抑え、精一杯の力で何とかその場に押し留める。
 そうしてちゃんと目と目を合わせ、ゆっくりと語り掛ける。

 そうだ、まずは信じる所から始めるんだ。

「お前はひょっとしたら思い出したく無いのかも知れない。
 きっと私は酷い事をしようとしてるんだ。 それは分かるよ。
 でもよ幽々子、私はお前の事をもっと信じたい、信じていたいんだ。
 だから、頼むよ……」

 私達はきっとどう足掻いた所で独りでは生きられない。
 私達は支え合って進んで行かなきゃいけないんだ。

 私だってフランが居たから強くなれた。 フランを守る為だって言い聞かせて前へ進んだ。
 だけど今、この手はフランを手放してしまった。
 何だろう? 酷く自由になってしまった気分だ。

 背筋からぞくりと冷たい感覚が迫り上がってくる。
 その無責任な自由に負けない様に、強く意思を保つ。

 嗚呼、もしかしたら……
 正義や強さって奴はそんな大層なモノでも素敵なモノでも無いのかも知れない。

 だとしても……
 だとしても私はそいつが欲しいんだ。


「思い出してくれよ幽々子。 お前はあの時……」


 はっきりと真実を告げた。

 直後、風に煽られ分厚い雲が容易く月を覆い隠してしまった。
 途端に影が私達ごと魔法の森を呑み込み、一寸先すら見通せない暗闇の中へと落ちる。
 勿論、暫くすればこの闇にも目が慣れて、ちゃんと見通せるようになるのだろう。
 けれどそれを待てるだけの時間は私には残されてはいないみたいだ。

 完全な暗闇の中、ただ幽々子の息遣いだけが聞こえる。
 その表情はまるで窺えない。 ここは依然として影の真ん中だ。
 それでもどうにか幽々子の表情を、その心を取りこぼさない様に必死に闇を睨み付けた。
 自分の鼓動が速まってゆくのを嫌でも感じてしまう。

 そして幽々子は……






【霧雨魔理沙】
[状態]蓬莱人、帽子無し
[装備]ミニ八卦炉、ダーツ(3本)
[道具]支給品一式、ダーツボード、文々。新聞、輝夜宛の濡れた手紙(内容は御自由に)
    mp3プレイヤー、紫の調合材料表、八雲藍の帽子、森近霖之助の眼鏡
[思考・状況]基本方針:日常を取り返す
 1.霊夢、輝夜、幽々子を止める。
 2.仲間探しのために人間の里へ向かう。
 ※主催者が永琳でない可能性がそれなりに高いと思っています。


【西行寺幽々子】
[状態]健康、親指に切り傷、妖夢殺害による精神的ショックにより記憶喪失状態
[装備]香霖堂店主の衣服
[道具]支給品一式×2(水一本使用)、藍のメモ(内容はお任せします)、八雲紫の傘、牛刀、中華包丁、魂魄妖夢の衣服(破損)
    博麗霊夢の衣服一着、霧雨魔理沙の衣服一着
[思考・状況]妖夢の死による怒りと悲しみ。妖夢殺害はフランによるものだと考えている。
1.鈴仙は私の従者だ
2.フランを探す。見つけたら……
[備考]小町の嘘情報(首輪の盗聴機能)を信じきっています

※幽々子の能力制限について
1.心身ともに健やかな者には通用しない。ある程度、身体や心が傷ついて初めて効果が現れる。
2.狙った箇所へ正確に放てない。蝶は本能によって、常に死に近い者から手招きを始める。制御不能。
3.普通では自分の意思で出すことができない。感情が高ぶっていると出せる可能性はある。
それ以外の詳細は、次の書き手にお任せします。






※※いつか鈴仙の見た夢、その続き※※



 嗚呼、これが私の望んでいた光景なのかしら?

 暫く月に魅入られ空を見上げていたけれど、流石に首が痛くなって視線を切った。
 そうすると再び師匠の柔和な表情が景色の中心に戻って来る。
 けれどふと、とても見過ごせないモノが視界端に映った気がして、すぐに私は視線をずらした。

 ぴとりぴとりと、雨樋からは今も雨の名残が滴となって音を奏でています。
 そう言えば、さっきから兎達のはしゃぐ声が少しも聞こえて来ない。
 まぁ、けれど考えてみればそれも当然の事で……
 いくらやんちゃな兎達でも、雨上がりの庭先ではしゃぎ回ったりはしないでしょう。

 あぁそうよ、気づいてしまった、見えてしまった。
 髪を梳いてくれる師匠の優しい表情、その向こう側……
 たなびく銀髪越しに覗く雨で泥々に泥濘んだ庭先。
 放置され雨晒しになった例月祭の餅搗き道具に泥まみれの月見団子。

 既に夜は更けり、今にもお月見を始めなければいけないのに、その為の準備は全て台無しになっていた。
 なのにそれを咎める声がまるで聴こえない。 此処には何の声も無い。
 庭先は墓所の如く静まり返り、師匠は依然何一つ気に止める事なくただ無機質に微笑み続けている。

「大丈夫よ、ウドンゲは何にも心配しなくていいの」

 本当に? 本当に私はこのままでいいの?
 空の天辺では今も、てらてらと薄気味悪い月が輝いていた。

 嗚呼、これが本当に私の望んでいた光景なのかしら?






【鈴仙・優曇華院・イナバ】
[状態]疲労(中)、肋骨二本に罅(悪化)、精神疲労
[装備]64式小銃狙撃仕様(11/20)、破片手榴弾×2
[道具]支給品一式×2、毒薬(少量)、永琳の書置き、64式小銃弾(20×8)
[思考・状況]基本方針:保身最優先
1.幽々子様にお仕えする。命令は何でも聞く
2.自分を捨てた輝夜、永琳はもういらない


【フランドール・スカーレット】
[状態]右掌の裂傷、視力喪失(回復中)、魔力大分消耗、スターサファイアの能力取得
[装備]無し
[道具]支給品一式 機動隊の盾、レミリアの日傘、楼観剣(刀身半分)付きSPAS12銃剣 装弾数(8/8)
    バードショット(7発)、バックショット(8発)
[思考・状況]基本方針:まともになってみる。このゲームを破壊する。
1.スターと魔理沙と共にありたい。
2.庇われたくない。
3.反逆する事を決意。レミリアが少し心配。
4.永琳に多少の違和感。
※3に準拠する範囲で、永琳が死ねば他の参加者も死ぬということは信じてます
※視力喪失は徐々に回復します。スターサファイアの能力の程度は後に任せます。






XX:Colorful☆STAR -そして誰も要らなくなるか?-(前編) 時系列順  
XX:Colorful☆STAR -そして誰も要らなくなるか?-(前編) 投下順  
XX:Colorful☆STAR -そして誰も要らなくなるか?-(前編) 鈴仙・優曇華院・イナバ  
XX:Colorful☆STAR -そして誰も要らなくなるか?-(前編) 西行寺幽々子  
XX:Colorful☆STAR -そして誰も要らなくなるか?-(前編) 霧雨魔理沙  
XX:Colorful☆STAR -そして誰も要らなくなるか?-(前編) フランドール・スカーレット  

黒白境界、人狼なりや、儚い砕月に引き続き月をテーマにした没話です。
どうせ没話という事でその次に書こうと思っていた星のテーマにも片足突っ込んでいます。

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最終更新:2018年01月31日 01:40
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