Who's lost mind?

Who's lost mind? ◆Ok1sMSayUQ



昔、或る所に、死霊を操ることのできる少女が居た。

いつ、どのようにして彼女がその力を身につけたのかは分からない。
人ならざる者の力。人間の理を超えた、異形の力。

彼女は自らの力を示すことはなかった。
恐れていたのは、彼女自身もであったからである。
心優しく、少し寂しがりやであった彼女は力のせいで人との間に境界を作りたくなかったのだ。
それでも少女は力を嫌うことはなかった。

死霊を操るということは、死霊と会話することも可能だった。
何十年、何百年と前の死霊たちと言葉を交わし、当時の様々な知識や文化を聞くことができた。
良家の子女という立場であった少女にとってはこの上もない娯楽だった。
立場、身分に囚われることなく、自由に会話することが何より楽しかった。
中には若くして逝去した同じ年頃の女性の霊などもいたから、自らの悩みを相談することさえできた。

少しずつ、少女は喜怒哀楽を身につけるようになった。
いつだって立場を気にしなければならず、毅然とした態度でいなければならない少女には、
同世代の友人どころか知り合いさえも少なかった。まして力を知られまいとすれば尚更だった。
それでも誰かが欲しかったのだ。冗談を交わし、戯れることのできる『誰か』が。
少女は求めていたものを手にすることができた。心を安らげる日々が、これからも続くのだと思っていた。

しかし、『力』は彼女の望まぬ形で変容を遂げることになった。
死霊を操る力は、突如として他者に牙を剥いた。
ある貴族が、糸が切れた操り人形のようにばたりと倒れた。
貴族は死んでいた。健康で、病気などあるはずがなかったのに。

それを契機にして、少女の周りで次々と死が蔓延した。
死んだ者は、一様に魂を抜かれたように呆けた表情をしていた。
焦点の合わぬ、虚ろな目は「なぜ」と言っていた。
言葉は間違いなく、少女に向けられたものであった。
理由もなく、突然生を奪われた事実に対する「なぜ」。怒りや恨み、憎しみの念はそこにはなく、ただ疑問だけがあった。

少女は何も言うことができなかった。
彼女には命を奪うつもりなどなかったのだから。
自らも制御できない、予測不可能な力が命を奪っていったのだ。

どこからか飛んできた、ひらひらと舞う不可思議な色の蝶があった。
誰かが死ぬとき、いつもその蝶は飛んでいた。
少女は以前のように振る舞うことが出来なくなった。
いつ、どこで誰が死ぬかも分からない。分かったとして、制御不可能な力をどうすることもできない。
そして命を奪われた者は、一様にひとつの問いを投げかけてくる。

なぜ。

あまりにも短すぎる一言が、優しかった少女の心を追い詰めていった。


蔓延する死は、周りの環境にも変化を与えた。
死を招く不吉な家。亡びを招く、魍魎の住処――
噂が噂を呼び、悪意が悪意を呼んでいった。
家は次第に暗澹たる空気に包まれていった。
邸内ですら誰も言葉を交わさず、いつ命を奪われるか分からない恐怖に支配されていた。
まるで無人のような邸内を歩くことすら少女には苦痛だった。

誰も喋らない。
誰も笑わない。
自分だけでなく、他人ですら。

こんなことを望んだわけではないのに。
わたしは、ただ、誰かと話したかっただけなのに。

庭ではいつもの蝶が舞っていた。
真冬だというのに、ひらひらと元気よく飛び回っている。
冷たい雪景色の中で、それはあまりにも美しかった。
少女は蝶に手を伸ばした。

ねえ、教えてよ。
わたしは、どうすれば良かったの?

簡単に死を招いてしまう自らの力。
使わなければ良かったのだろうか。
何もせず、自らの立場さえ受け入れていれば、せめて周囲は幸せでいられたのだろうか。
分不相応な望みを抱いてしまったから、罰が下されたのだろうか。

蝶が指先にとまった。
かくん、と少女の体が崩れ落ちる。
命が吸われたことを自覚しながら、少女は笑っていた。

ああ、とってもきれい――

それは、死んで、全てを忘れてしまうことが救いであると知った顔だった。



そして死を畏れなくなった少女の名を、西行寺幽々子という。

    *     *     *

ごりごり、ごりごりと。
物音が聞こえていた。
時折混じる、にちゃりという粘ついた音から、恐らくは柔らかく水分を含んだものを切っているのであろうと推測した。
それはつまり、誰かが部屋の奥で道具を使っているということ。

西行寺幽々子の後に続きながら、鈴仙・優曇華院・イナバはごくりと喉を鳴らした。
ここにいるのは悪魔の妹ではないのではないか。
幽々子が言うところによると悪魔の妹の能力は跡形もなく破壊してしまう力であるらしいから、道具を使う必要性がない。
この部屋の奥には、悪魔の妹以外の誰かがいる。
しかしそんなことより、何かを切る物音の方が不味いと鈴仙は思っていた。

切られているのは何だ?

答えるまでもない。切られているのは恐らく、体だ。
実際聞くのは初めてであるが、ほぼ間違いはないだろうと思っていた。
問題はその先だった。切られているのは誰かということ。
幽々子は物音にも顔色一つ変えず、板張りの廊下を淡々とした表情で進んでいる。
歩調に焦りは見られない。気付いているのかいないのかも判然としない。
お嬢様であるから物音の正体が分からないのか、それとも……

考えようとしたところで、ならば一体自分には何が言えると鈴仙は自問した。
一度ここを訪れたとき、鈴仙は二つの死体を目にしている。
一つは小柄な少女。名前も知らない、黒髪の妖精。
もう一つは魂魄妖夢。幽々子の従者であり、自分たちがここを訪れている理由だ。

前者ならばまだ良かった。
だが後者なら不味い。妖夢の体が切られているということは、死体を穢されているということだ。
幽々子の胸中がどうなっているのかは分からない。
しかし、これだけは鈴仙にもはっきりと理解できることがあった。
幽々子にとって妖夢は家族同然の大切な従者であること。
そうでなければ悪魔の妹を探し出して償いをさせようなどと言い出さないだろうし、
幻想郷にいたころから考えてもあの二人の絆は強いことが分かる。
そんな妖夢の遺体が切り刻まれていると知ったら?

先ほどは「ゆっくりと償いをさせる」と幽々子は言っていた。
だが所詮口で語ったことに過ぎず、実際の現場を目にしたらどんなことになってしまうか鈴仙には分からない。
それだけの危うさがあると見ていた。
殺さないと幽々子が語ったとき、視線が揺れ動くのを鈴仙は見逃さなかった。
言い訳するとき、逃げを打とうとするときの目だ。
本心からの言葉ではない。

けれどもこの推測が本物だったとして、幽々子を止められるだけの言葉を鈴仙は持たなかった。
鈴仙自身、未だに逃げ続けているから。
自分だけが助かり、自分だけが慰められればいいと未だに考えているから。
自分で考えた言葉すら持てない己に説得力などあるはずがないことは鈴仙自身が一番自覚していた。
寧ろ下手に何かを言ってしまえば、それこそ妖夢の死を冒涜していると取られかねず、
だんまりを決め込むしかなかったのが鈴仙だった。

ここに至って我が身のかわいさでしか行動できていない自分に辟易する一方、
身を守るためなら仕方がないじゃないかと思う自分もいた。
保身のために故郷も捨て、心を慰めるためだけにかつての仲間さえ見捨てた自分にはもうこうするしかない。
今更他者のことを思ったところで、所詮偽善でしかない。
だから、悪くない。今とっている行動に間違いはないと断じて、鈴仙は無言を貫いた。

「誰かがいることは間違いないみたいね」

小声で幽々子が呟く。
閉じられた襖の奥では、今も音が聞こえている。
こちらの存在に気付いた様子もない。完全に作業に没頭していると見て間違いはなさそうだった。
こくりと頷いて、どうしますかと目で伝える。

ここから先は思考など意味を為さない世界だ。
状況に応じて動ける判断力だけが要求される。
踏み込んで中にいる誰かを捕らえろと言われれば、鈴仙には出来る自信があった。
一応は軍人として訓練を積んできた身ではある。基礎的な体術も身につけている。
接近戦では一日の長がある、と鈴仙は思っていた。

「……様子見しましょう。こっちは二人なんだもの、捕らえるなら簡単だわ」
「様子見、ですか」

踏み込めと言われるかと予想していただけに、少々拍子抜けする思いがあった。
首を傾げる鈴仙に、幽々子は「何か言いたいことがあるの?」と命令する口調を寄越した。
声質こそ柔らかいが、強いる調子に鈴仙が言い返せるはずがなく、「いえ」と応じるに留まった。

幽々子の行動にはところどころおかしい部分がある。
時折まるでそうしなければならないというように、理に外れた行動を取る。
悪魔の妹を殺さないと言ったこともそうであるし、今の言葉にしたってそうだ。
理屈を重視する鈴仙だからこそ感じ取れたことだった。

だが下手に反論して幽々子の気を害するほどの気概は持てない。
様子見をしろという言葉に従っていればいいと考えて、鈴仙は襖に手を掛ける。
ちらりと幽々子の方を見やったが、相変わらずの無表情からは何も読み取れない。
これでいいのかと鈴仙の中に燻るなにかが問いかけたが、無視するように、襖を少しだけ開けた。
それはパンドラの箱だったのかもしれない、と中の光景を見た後で、鈴仙は思った。

僅かな隙間から見えたのは、赤いリボンに短い金髪。手に持っているのは、鋸。
周りに転がっているのは、細長い円柱のような何かだった。
どれもべったりと赤色に染まり、周囲に赤の水溜りを形成している。
紛れもなく、それは。
人の、欠片だった。

「あ――」

鈴仙は思わず声を出してしまった。
恐ろしいものを見た恐怖からではない。

「鈴仙?」

幽々子の手が、肩にかかる。

ダメだ。
これは、見てはいけない……!

鈴仙は幽々子を遮ろうとした。
恐ろしいのは人の欠片ではなかった。
幽々子の目が、襖の奥に向けられる。
間に合うわけがなかった。
止められなかった。いや、止めようとしなかったのだろうか。
奥を除く幽々子の姿を呆然とした気持ちで眺めながら、鈴仙は妖夢の姿を思い出した。

こんなことになるなら、遺体を埋葬しておくのだった。

それは妖夢に対する気遣いではなく、こんな場面に居合わせることになってしまった自分への後悔だった。
幽々子はきっと、もう目撃しているのだろう。
五体全てがバラバラになり、無造作に転がっている、妖夢の首を。

    *     *     *

大して広くもない、六畳ほどの空間。
そこが今どうなっているのか、幽々子は一瞬理解できなかった。
正確には理解を拒否しようとしたのかもしれない。

畳に転がっているあれは何だろう。
畳を染めているあれは何だろう。
その中央に居座る、あれは何だろう。

おぞましい匂い。饐えた匂い。
広がる空気は、人から正常な判断を奪ってしまう毒だった。
眺めてはいけない。ようやく頭が下した命令だったが、幽々子は視線を動かすことすら出来なかった。
全てを受け入れることを拒否してしまった頭が、反射的に目を逸らすという本能すら拒んだのかもしれなかった。

息を止めてしまいそうなくらい、自分の体は活動を止めてしまっている。
手は襖を掴んだまま、足は止まったまま。
怯えた声を上げた鈴仙の様子が気になって身を乗り出した姿勢のままでいる。
視線は部屋の中央で座り込んでいる一人の姿に向けられていた。
何やら楽しそうに鼻歌を歌っている。体がリズム良く、左右に揺れている。
ゴリゴリという音が聞こえる。彼女の鼻歌に合わせた、伴奏だ。

彼女? 自身の頭に浮かんだ言葉から、幽々子はようやくあの少女の名前を思い出した。
ルーミアだ。以前妖夢と再会したときに鉢合わせた、人喰いの妖怪。

ああ、だったら、彼女は、何をしているのだろう。

物事をすぐに掴み取ってしまう頭が、ルーミアの不自然さを考えてしまう。
考えるな。どこかで警鐘が鳴らされたが、一度回転を始めると止まらなかった。
人喰いが、なぜ人を喰っていない。
転がっているものを、どうして食べようとしない。

ゴリゴリという音が途絶えた。同時にルーミアが喜色を滲ませた声を出し、何かを持ち上げた。
嬉しそうにはしゃぐルーミアの手には、足が。
正確には腿から先がない、踵からつま先までしかない部分だった。
しかしルーミアは嬉しそうにするだけで、一向に食べようとはしなかった。
食べずに、その横にあるうず高くなにかが積まれた山の中にそれを放り込む。
幽々子の目がそちらに動いた。足を目で追っていたからそうしたのだった。

ああ、あれは、人。

小さく切り分けられ、ひとつの部分あたりは片手でも持てそうな人が、積まれている。
山の麓には、鞠ほどの大きさのものが転がっている。
球状に近しいからだろうか、山に積めなかったのかもしれない。
それが、幽々子を見た。
何かの拍子に転がっただけなのだろう。けれども確かに、幽々子を、見ていた。
血に濡れた銀色の髪の間から、二つの瞳が凝視する。

なぜ。

ただ一言の、それは疑問だった。
感情ではなく、問いだった。
この目を、自分は知っている。
なぜと問う、感情の抜け落ちた瞳を知っている。

「ち、がう」

震える声で、幽々子は反論していた。
そう言わなければ全てが壊れてしまうような気がしていた。
故に幽々子は言った。

これは妖夢じゃない、と。
こんな死んだ目を、妖夢は寄越さない。
こんな目で、自分を見るはずがない。
不器用で、真面目で、いつでも一生懸命なのが妖夢だ。
夕食時に一日の終わりを微笑で締めくくってくれるのが妖夢だ。
口では文句を言いながらも、敬愛の意思を態度で示してくれていたのが妖夢だ。
だから、これは、違う。

こんなものを、従者に持った覚えはない。
なら、と『妖夢』を拒否した自分が問いかける。いつだって聡明な頭が、問いかける。

あなたの従者は、誰?

既に『妖夢』と認めていないいつもの冷静な自分が、『妖夢』が誰かと問う。
幽々子は答えることができなかった。
妖夢以外に、心を許すことのできる、家族同然の存在はいなかったから。

友人ならばいた。ただ友人は友人でしかなく、家族とは違うものだった。
だからと言って、いないと答えることは幽々子にはできなかった。
そうしてしまえば、ひとりであると認めてしまうことになるから。
白玉楼にいたのは、最初から自分ひとりだけだったということになってしまうから。
未来永劫、西行寺幽々子はずっと一人なのだと。
生まれ落ちたときから、死を司ってきたが故に一人なのだと。

泰然自若としながらも、幽々子はいつでも孤独になることを恐れていた。
死を操るという、亡霊にしては破格の力を持ちながらも無闇矢鱈に力を行使することはなかった。
死に誘うことはあったが、それは生死に対して絶望していた者に対してだった。
死も生も、恐れるものではない。だから楽しみましょう。そう言ってきた。
皆が楽しく生きて、死んでくれればいい。幽々子はそう思っていたからだった。

孤独であること、重苦しい雰囲気であることを、幽々子は本能的に拒否していた。
どうしてその思想を持つようになったのかは覚えていないが、特に疑問を持つことはなかった。
楽しくいられればそれでいい。皆と、楽しくいられれば。
だが幽々子は畏れられた。どんなに軟化した態度でも、いつでも死に誘えるのには変わりない。
人間にとって、やはり死は恐怖の対象でもあった。
幽霊も幽霊で、いずれは生まれ変わる立場で、いつかは去ってゆく。

白玉楼に留まる者はいなかった。幽々子は一人だった。
そんなときに現れたのが専属の庭師、魂魄妖忌だった。
半人半霊だから、人間の世界に居場所はなく、さりとて霊界にも居座れない。
だから生と死の通過点であるここにいることにした、と妖忌は語っていた。
理由などどうでも良かった。一人でなくなることが嬉しかった。

これは幻想郷が用意してくれた贈り物なのだと思うことにした。
大切にしようと誓った。幻想郷で自分だけの、大切な従者。
やがて代は移り変わり、妖忌から孫の妖夢に庭師は変わったが、幽々子の愛情が変わることはなかった。
世間知らずでひたすら剣術に打ち込む妖夢が可愛くて仕方がなかった。
子供っぽく、勘違いも多く、それゆえ成長するのが楽しみでもあった。
妖忌は聡明で、何につけても気が利いていたから、幽々子が関われる機会は少なかった。
だから自分の手で成長してゆく実感があったのが嬉しかった。
これ以上変わることなどありようはずもなかった亡霊に訪れた機会。

従者を育てることは幽々子にとって生き甲斐にもなった。
妖夢も半分は人間である以上、また代変わりするだろうが、人間ゆえにまた次の世代がいる。
そのときはまた成長する姿を見守ってゆこう。
決して変わることのない幽々子には変わり続ける日々を見守る楽しさが与えられた。
それだけではなく、ひとりでもなくなった。

ようやく手にした幸せだった。
なのに。
また、自分は奪われた。
何よりも大切な生き甲斐で、大切な存在である、従者を。
そして最後は『なかったこと』にされて。

「違う」

幽々子は抗うように口に出した。
認めたくなかった。

ひとりになること。
また奪われること。

自らが持つ死の能力ゆえに奪われるのだという真理を、認めたくなかった。
だったら……そんな真理など、なかったことにしてしまえばいい。
幽々子は、『いつものように』尋ねた。

「ねえ、私は、どうすればいいのかしら」

小首を傾げて、幽々子は少し困ったという風に鈴仙に尋ねた。
いきなり質問され、表情を強張らせた鈴仙は、ぱくぱくと口を開いただけだった。

「あ、その、わ、私は、あの」

しどろもどろになり、右往左往する鈴仙。
何が言いたいのかまとめきれていないのだろう。
不出来ではあるが、最初はそういうものだと思った幽々子は、柔らかい微笑で「落ち着いて」と続けた。

「ね、もう一度言うわね。私は、どうしたら、いいかしら」

襖の奥で作業に没頭している妖怪を差しながら言う。
詰問しているつもりはなかった。
この状況で、単純にどうすればいいのかが分からなかったから、尋ねただけのことなのだ。
少しは落ち着きを取り戻したのか、鈴仙は短い間隔で発していた呼吸を整えたようだった。

「そ、その……あれは……殺せば、いいかと思います」
「どうして?」
「それは……だって、あ、あんなのを、放っておくわけにはいかないじゃないですか」
「……そうね」

及第点だ、と幽々子は感想を結んだ。
言い方がなっていない。
正しい答え方を教えようと口を開きかけたところで、「で、ですから」と鈴仙は取り繕うように続けた。

「あれは、私が殺してきます。ゆ、幽々子……様、に、そんなことをさせるわけにはいきませんから」

取り繕った形とはいえ、正しい答えを導き出した鈴仙に、幽々子は内心で感心した。
そう。それが鈴仙の答えるべき正しい解答だ。
よくできたわねと口元を緩ませた幽々子に、鈴仙はほっとした表情を見せた。
分かりやすい子だと思った。態度にも顔にも、色々と表れすぎている。
まずそこを改善するのがいいだろう。当面の目標を定めた幽々子は、改めて襖の奥を見やりながら言った。

「じゃあ、頼むわね。あの妖怪を、ちゃんと殺してきてね」

鈴仙は武器を持っていなかったため、持ち物であった小銃と、予備弾を全て手渡す。
両手で受け取った鈴仙は慌てることなく、すぐさま撃てるように構え、襖の奥を覗き込んだ。

殺すのは自分ではない。
殺すのは、私の従者だ。
だから違う。
私は、人殺しなんかじゃないわ。
そうでしょう、四季映姫?

    *     *     *

鈴仙は笑い出したくなる気分だった。
狂っている、と分かってしまった。
西行寺幽々子は正気をなくしたのだと、分かってしまった。

あの目。優しげに微笑みながら鈴仙を見ていた目は、しかし鈴仙を見ていなかった。
鈴仙の先にある、ありもしないなにかを見ているだけだ。
それに向かって命じたのだ。
殺せ、と。

妖夢を切り刻んでいた妖怪は、恐らくフランドール・スカーレットではない。
自分たちと同じく殺し合いに放り込まれた参加者の一人だろう。
だがフランドールではないから殺せと命じたのではない。
自らの従者を否定した者を否定し返すために、幽々子は手を下さない代わりに自分を使ったのだ。
恐らく、殺したい気持ちと、殺してはいけない気持ちに苛まれた末の結論なのだろう。
精神を壊してまで選び取ったものは、他者に殺させればいいという手前勝手な手段だった。

それでも鈴仙は抗うこともせず、幽々子の言うことに従った。
従わなければ、殺されるかもしれないと思った。
自分など既に眼中にない、どろりとした、へばりついた膿のような、濁った瞳は意に沿わぬものを殺すだろう。

実際に殺されることはないのかもしれない。
命だけはあるのかもしれない。
その代わりに、幽々子は様々なものを奪い、殺すだろう。
例えば目を。耳を。或いは手足を。
言う事を聞くまで、何度だって奪い続ける。
それは我侭という範疇には到底収まりきらない、暴君の所業だった。

鈴仙が恐怖したのは幽々子の下す罰だった。
だから、従った。
己のプライド、今までに自分が考えてきたこと、出会った人々への思い。
全てをかなぐり捨てて、幽々子の命令に従う方を選んだのだった。

裏切り続けることを習い性としてきた兎にはお似合いの結末だと自嘲する一方で、どこかで安心している自分がいた。
殺していいと言われたのだ。
自分ではなく、幽々子がそう認めてくれた。
正当性を与えられたという事実が、殺すという行為への罪悪感を薄れさせていた。

これは悪いことなんかじゃない。
だってそうでしょう?
誰かから認めてもらえれば、絶対に嬉しいはずなんだもの。

ふっと浮かび上がった秋穣子や秋静葉、紅美鈴の幻影に対して鈴仙はそう言い訳した。
自分の信念? そんなもの、認めてもらわなければただの自分勝手ではないか。
正しいと言ってくれる人が一人でもいれば、ほら、言い分は二人分になる。
だから正しさも増す。一人分の正しさより、二人分の正しさの方がいいに決まっている。
逆らって得なことはない。自分の思う、机上の正しさなんて何の意味もないから、従うことを選んだまでのことだ。
選ばされたのではなく、選んだのだ。

言い切ってやると、幻影達はすっと消え失せ、妖怪の後ろ姿だけが見えるようになった。
ほら。私が、正しいんだ。
鈴仙の表情には、やっと正しさを見つけ出すことのできた喜悦の色があった。
後はやればいい。殺せばいいだけ。
そうしたら、もっと褒めてくれる――

手渡された小銃の筒先を幽々子の定めた敵に向ける。
この近距離だ。外すことはない。
時間をかけても意味はない。そう判断した鈴仙は引き金に手をかけた。

「よーしっ、終わっ……」

が、予想外の敵の行動により、それが裏目に出た。
いきなり立ち上がられた結果、狙いが外れてしまい銃弾は肩を擦過するに留まってしまったのだ。
響き渡る銃声。敵が気付かない道理はなかった。
いきなり狙撃した鈴仙に対して、敵が驚愕の表情を浮かべる。

一射目を外した鈴仙にとってもそれは同様だった。
続けて二射目を放ったが、襖の後ろから狙っていたために横に射撃できなかった。
横に飛んで避けられる。こうなっては狙撃する意味はないと断じて、鈴仙は襖の奥に踏み込む。
ところがその先に待っていたのは、闇だった。

いきなり視界が奪われ、自分の体さえも見えない暗闇に包まれる。
敵方の能力に違いなかった。人里に薬を売りに行ったとき、闇を操る妖怪がいると聞いたことがある。
しかし操るとはいっても、闇の中で目が利かないのはその妖怪もだという間抜けな話も聞いたことがあった。
ならば目くらましか。なるほど逃げるにはいい作戦だと思ったが、相手が悪かったなと鈴仙は冷静に神経を巡らせる。
たとえ視界が奪われていようと、聴力まで奪われたわけではない。
妖怪兎の聴力は普通の妖怪より遥かに優れている上、鈴仙に関して言えば、波長を読み取る能力もある。
狂気を操る力の応用で、近距離限定ではあるが存在が持つ気質を探ることも可能だった。
音と気質。その両方を使えば、位置を割り出すことは造作もないことだった。

逃げ出すことを選んだらしい敵は、横を通り抜け、そのまま逃走する腹積もりらしい。
当然だ。暗闇の中で鋸を振るっても効果はない。
幽々子の方に動きは見られないが、それはこちらを信用しているのだと鈴仙は思った。
或いは狂ってはいても冷静さは失っていない彼女のことだ、闇を張られた時点で逃げ出すことを読み取っているのかもしれない。
どちらにしても動かれるより都合は良かった。音と気質で大体分かるとはいっても、完璧ではないのだから。

鈴仙も身を翻し、床を蹴る音を追った。
狭い室内だ、距離は二、三歩分しかない。
まずは追いつき、押し倒して動きを止める。そして首を絞めるなり折るなりしてトドメを刺せばいい。
体術にはそれなりの自信があった鈴仙には躊躇いはなかった。
真っ直ぐに音を追い、手を伸ばす。

殆ど距離はないと見繕った鈴仙の勘は当たっていた。
細腕をがっちりと握り、決して放すまいと力を込める。
暗闇の中で手を掴まれたことなどあるはずがなかった敵は、慌てふためいていることだろう。
浮き足立ったところに追撃を仕掛けようとした鈴仙だったが、思いの他反応は少なかった。

「あは、鬼ごっこ?」

聞こえてきたのは楽しそうな声。焦りなど微塵も感じられない、寧ろ喜んでさえいる声。

「でもね、捕まえたのはそっちじゃないんだよ。鬼は、私なんだ」

予感が走り、冷たい汗が流れるのを感じた鈴仙は咄嗟に身を引いた。
敵は逃げ出したのではない。暗闇に乗じて接近しようとしていたのだ。

自分と同様、音で探っていた? それとも全くの山勘で?

どちらにしても狙い通りに行ったのは向こうだと判断した結果下がったのだが、それは間違いではなかった。
凄まじい発砲音と自身の横を通過してゆく何か。紙一重で避けたのだと理解した瞬間、冷汗の量が増した。
銃を持っていたのは相手もだった。妖夢を切り刻んでいたイメージが大きすぎて想像だにしていなかった。
迂闊すぎる己に改めて戦慄すると共に、一方でここで慌てては敵の思う壺だと冷静さを失わなかった。
動けば、音で探られる可能性がある。あくまで可能性でしかないが、流れを掴んでいるのは敵だ。
銃は役に立たない。しっかりと感覚を働かせ、接近戦に備えたが、そこで闇が途切れた。

途端に差す閃光。窓から差し込む朱の光が鈴仙の網膜を刺激する。
う、と目を細めながらも周りを見渡してみると、そこに妖怪の姿はなかった。
逃げられた。暗闇の中での幼い声を思い出しながら、鈴仙は山と積まれた妖夢の死体を目に入れた。
いくつかの部分が見受けられない。あの妖怪が持ち去ったのだろうか。
だとするならなんて抜け目がないのだろうと意外な知性に驚きさえ覚える。

……結局、敵討ちは出来なかった、か。

今更のような感情だと思いながらも、惨たらしい妖夢の有様を見ていればそう思わずにはいられなかった。
とはいえ、今度こそ自分は殺すべき相手を見つけることが出来たのだ。
今までは何が正しいのかさえ分からなかったが、もう分かる。
幽々子の従者を殺した妖怪を殺す。これ以上ない正当な理由だ。
ならばもう迷うことはないと幽々子の姿を確かめようとしたところで、いきなり何者かに髪を掴まれ、引き摺り落とされた。

「あうっ!?」

べちゃりと顔に血糊がつく。だが汚いとも臭いとも思う暇はなかった。
何が起きたのか、全く理解出来なかった。
まさかさっきの妖怪は、まだ逃げていなかったのか――?
じゃあ幽々子は? この状況を見ているであろう幽々子は一体何をして……

「鈴仙」

飽和する鈴仙の思考を凍りつかせたのは、やけに静まり返った幽々子の声だった。
まるで感情の感じられない声色に、髪を掴み倒された是非を問う気は消え失せていた。
怒っていることは分かる。しかし何故怒っているのかが分からず、鈴仙はカタカタと歯を鳴らすだけだった。

「ねえ、ちゃんと殺してきてね、って言ったわよね」
「は、は、はい、そ、それは、その」

相手が銃を持っていたことに気付けなかったから。
そう言おうとした鈴仙の髪が引っ張られ、持ち上げられた直後激しく床に叩き付けられる。
口内に広がる血の味。自分で切ったのか、妖夢の血を飲んでしまったのかも分からない。
何度も鈴仙を叩き付けながら、幽々子は「まさか、油断してたなんて言わないでしょうね」と逃げ道を封じてくる。

「銃があったからって、相手が持ってないとも限らないのよ。銃声の大きさで分かるわ。ルーミアも銃を持っていた」

ルーミア。あの妖怪の名前かと判断する間に、今度は耳を引っ張り上げられ、幽々子と視線と合わせられる形になった。
相変わらずの生気の抜けた、虚無を宿した瞳に見据えられ、鈴仙は言い訳さえ出来ないことを自覚して涙を流した。
痛みだけではない。完全に幽々子に支配されていると心も理解したからだった。

「それくらい予想なさい。自分が強い武器を持ってたって、油断はしないことよ」
「は、はい……」

だが。
恐怖は感じていなかった。

「分かってくれればいいの。あなたには――鈴仙には、私を守ってもらわなきゃ困るし、強くなってくれなくちゃいけないの」

凍てつくようだった幽々子の声色が一変し、少女の色を宿した。
耳を掴んでいた手が放され、代わりにすっと両腕で抱きしめられる。
それは慈しみ、愛でる抱擁だった。

「鈴仙には死んで欲しくないから。だって、あなたは」

ああ、と鈴仙は理解した。
自分はこの状況を待ち望んでいたのだ。

「私の、可愛い従者なんだから」

囀るような音色。妖夢の代替品として自分を見い出した幽々子の声を、しかし鈴仙は歓喜の笑みで迎え入れていた。
ずっとこうなりたかったのだ。
誰かが命令してくれて、誰かの言う事に従って、よく出来れば褒めてもらえる。
危なくなれば心配してもらえるし、正しいことだって指し示してくれる。

だからあの時鈴仙は笑っていた。
狂気に従わされる自分に震えたのではなく、主人を見つけ出すことが出来たから笑っていたのだ。
もう何も思い悩むことはない。

自分には主人がいる。
いつだって正しいと言ってくれる主が。
見捨てたりなんかしない主が。
蓬莱山輝夜とも、八意永琳とも違う。厳しさの中にも愛情を以って接してくれる。

私は、救われたんだ。

「は……はい。ありがとう、ございます」

鈴仙・優曇華院・イナバは全てを捨てた。
捨ててしまうことこそが救われる手段であると知った者の顔がそこにはあった。
安寧の地を見い出した鈴仙は、服従の言葉を口にした。

「幽々子様」


【F-4 香霖堂 一日目 夕方】



【西行寺幽々子】
[状態]健康、親指に切り傷、妖夢殺害による精神的ショックにより記憶喪失状態
[装備]香霖堂店主の衣服
[道具]支給品一式×2(水一本使用)、藍のメモ(内容はお任せします)、八雲紫の傘、牛刀、中華包丁、魂魄妖夢の衣服(破損)
    博麗霊夢の衣服一着、霧雨魔理沙の衣服一着
[思考・状況]妖夢の死による怒りと悲しみ。妖夢殺害はフランによるものだと考えている。
1.鈴仙は私の従者だ
2.フランを探す。見つけたら……
[備考]小町の嘘情報(首輪の盗聴機能)を信じきっています


※幽々子の能力制限について
1.心身ともに健やかな者には通用しない。ある程度、身体や心が傷ついて初めて効果が現れる。
2.狙った箇所へ正確に放てない。蝶は本能によって、常に死に近い者から手招きを始める。制御不能。
3.普通では自分の意思で出すことができない。感情が高ぶっていると出せる可能性はある。
それ以外の詳細は、次の書き手にお任せします。




【鈴仙・優曇華院・イナバ】
[状態]疲労(中)、肋骨二本に罅(悪化)、精神疲労
[装備]64式小銃狙撃仕様(11/20)、破片手榴弾×2
[道具]支給品一式×2、毒薬(少量)、永琳の書置き、64式小銃弾(20×8)
[思考・状況]基本方針:保身最優先
1.幽々子様にお仕えする。命令は何でも聞く
2.自分を捨てた輝夜、永琳はもういらない




【ルーミア】
[状態]:懐中電灯に若干のトラウマあり、裂傷多数、肩に切り傷(応急手当て済み)、満腹で満足
[装備]:鋸、リボルバー式拳銃【S&W コンバットマグナム】3/6(装弾された弾は実弾1発ダミー2発)
[道具]:基本支給品(懐中電灯を紛失)、357マグナム弾残り6発、フランドール・スカーレットの誕生日ケーキ(咲夜製)、
    妖夢の体のパーツ
[思考・状況]食べられる人類(場合によっては妖怪)を探す。
1.自分に自信を持っていこうかな
2.また地雷の様子を確かめに出発しよう
3.地雷を確かめたら、慧音と神様のところに行ってみよう
4.日傘など、日よけになる道具を探す


※古明地さとりの名前を火焔猫燐だと勘違い
※映姫の話を完全には理解していませんが、閻魔様の言った通りにしてゆこうと思っています



137:通過の儀式/Rite of Passage 時系列順 139:二人の“ワタシ”
137:通過の儀式/Rite of Passage 投下順 139:二人の“ワタシ”
134:平行交差 -パラレルクロス- 西行寺幽々子 153:アルティメットトゥルース ~Fruhlingstraum(前編)
134:平行交差 -パラレルクロス- 鈴仙・優曇華院・イナバ 153:アルティメットトゥルース ~Fruhlingstraum(前編)
134:平行交差 -パラレルクロス- ルーミア 149:Moonlight Ray

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最終更新:2010年12月20日 23:54
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