レポート08「ヒトリノセカイ」
それはひとつの可能性の話……。
残る可能性の世界は2つ。怨霊は次にこの世界のナメカタ自身の未来を奪いにかかる。
「さあ、やってきた。運命の場所! この世界の俺。おまえはどうやってその希望を打ち砕いてやろうか。そして、どうやって殺してやろう? 覚悟するがいい、クケケケ……!!」
世界と世界の空間の狭間、外なる世界の住人である怨霊にとって、それぞれ個々の世界の可能性について干渉するのは容易いこと。世界を外から眺める存在にとっては、外から足元に広がる個々の世界をちょっと弄ってやる程度のことで簡単に”その世界の自分”の運命を歪めてしまうことが可能なのだ。
「物理法則? 空間の概念? そんなものは関係ない……”世界の外”ではな!」
そう、この世界でナメカタを睨みつけている怨霊はあくまで外なる世界の怨霊ナメカタの分身のひとつに過ぎない。本体は世界の外から分身を操ることで間接的にそれぞれの可能性の世界に影響を与えているのだ。
本来、それぞれの並行世界同士や外の世界は互いに干渉し合うことはできない。それを、分身をそれぞれの世界に送り込むという形で怨霊は実現したのだ。数多くの可能性の世界を片っ端から潰して回ってこれたのも、分身を使って同時にいくつもの世界を相手してきたからだった。
残る可能性の世界はとうとう2つ。並行世界の特性上、『同じ運命を辿る可能性の世界』は同時に複数存在することができない。怨霊の側から説明すれば、それぞれの世界のナメカタを同じ方法で殺す世界が同時に複数存在できないということ。いくら並行世界はあらゆる可能性を想像し尽くせるほどの無数の世界があったとしても、怨霊とて所詮は元は人間だったのだ。
あらゆる可能性を持つ並行世界をすべて殺すつもりなら、挑む側もそれに対してあらゆる可能性を捻り出さなければならない。同じ可能性を用いて対抗することはできない。
怨霊の想像力の限界によって、初めは順調だった並行世界の攻略も次第に手段が限られてきて、勢いは減退していった。わかりやすく言えばネタ切れである。
あらゆる可能性の世界を潰す……つまり、あらゆる可能性を否定するためには、すべての事象についてを否定し尽くさなければならない。怨霊は妬みからあらゆる他の可能性の世界での自身が希望をつかむことを否定しようとした。そして、その方法として最も手っ取り早い方法、他の世界の自身を殺すという手段を選んだ。
それはすなわち、自身の存在の否定だ。存在の否定、つまり”いない”ということを認めるためには、すべての可能性をすべて否定し尽くさなければならない。
死して久しい怨霊にはもはや時間の概念はないとはいえ、それはかなりの苦行だった。しかも、それを途中で投げ出すことさえできない。
「さあ、やってきた。運命の場所! この世界の俺。おまえはどうやってその希望を打ち砕いてやろうか。そして、どうやって殺してやろう? 覚悟するがいい、クケケケ……!!」
世界と世界の空間の狭間、外なる世界の住人である怨霊にとって、それぞれ個々の世界の可能性について干渉するのは容易いこと。世界を外から眺める存在にとっては、外から足元に広がる個々の世界をちょっと弄ってやる程度のことで簡単に”その世界の自分”の運命を歪めてしまうことが可能なのだ。
「物理法則? 空間の概念? そんなものは関係ない……”世界の外”ではな!」
そう、この世界でナメカタを睨みつけている怨霊はあくまで外なる世界の怨霊ナメカタの分身のひとつに過ぎない。本体は世界の外から分身を操ることで間接的にそれぞれの可能性の世界に影響を与えているのだ。
本来、それぞれの並行世界同士や外の世界は互いに干渉し合うことはできない。それを、分身をそれぞれの世界に送り込むという形で怨霊は実現したのだ。数多くの可能性の世界を片っ端から潰して回ってこれたのも、分身を使って同時にいくつもの世界を相手してきたからだった。
残る可能性の世界はとうとう2つ。並行世界の特性上、『同じ運命を辿る可能性の世界』は同時に複数存在することができない。怨霊の側から説明すれば、それぞれの世界のナメカタを同じ方法で殺す世界が同時に複数存在できないということ。いくら並行世界はあらゆる可能性を想像し尽くせるほどの無数の世界があったとしても、怨霊とて所詮は元は人間だったのだ。
あらゆる可能性を持つ並行世界をすべて殺すつもりなら、挑む側もそれに対してあらゆる可能性を捻り出さなければならない。同じ可能性を用いて対抗することはできない。
怨霊の想像力の限界によって、初めは順調だった並行世界の攻略も次第に手段が限られてきて、勢いは減退していった。わかりやすく言えばネタ切れである。
あらゆる可能性の世界を潰す……つまり、あらゆる可能性を否定するためには、すべての事象についてを否定し尽くさなければならない。怨霊は妬みからあらゆる他の可能性の世界での自身が希望をつかむことを否定しようとした。そして、その方法として最も手っ取り早い方法、他の世界の自身を殺すという手段を選んだ。
それはすなわち、自身の存在の否定だ。存在の否定、つまり”いない”ということを認めるためには、すべての可能性をすべて否定し尽くさなければならない。
死して久しい怨霊にはもはや時間の概念はないとはいえ、それはかなりの苦行だった。しかも、それを途中で投げ出すことさえできない。
すべてを終えない限り、”この怨霊は決して救われない。”
……いや、すべてを終えたその先に救いがあるのかどうかもわからない。
「さぁ、おまえも私の一部となれ。憎め、怨め、己の不運を! そして決して赦してはならない、別の世界のおまえが幸運な未来を得ることを…」
怨霊は新たに征服した異なる可能性に生きた自身の世界から来た魂を喰らった。この世界の魂はさほど抵抗することなく飲み込まれていった。分身の活躍でうまく同意を得られたのかもしれない。
「……フン、張り合いのない。久しぶりに楽ができてよかったけどな。しかし、こうも張り合いがないとつまらないな」
怨霊にとってその存在理由は「もしかすると希望をつかめた未来があったのではないか」と信じ、その可能性を妬んだことのみ。存在理由を失ってしまえば怨霊は存在することができない。
この外なる世界も、数々の可能性の世界も怨霊となったナメカタ自身がその存在が信じたからこそ、こうして実在できている脆い世界に過ぎない。怨霊だけがその存在を信じた世界は、怨霊の消滅と同時に失われてしまうだろう。
なぜなら、他に誰もこの世界のことを知らないから。知らないものを信じようがない。”ない”ものをいきなり信じることはできない。それ以前に、その時点でまだ”ない”ものを認知することすらできない。
それゆえに怨霊はいつも独りだった。
自分しか存在を知らないこの外なる世界には当然ながら自分しか存在することができない。
個々の可能性の世界に干渉し、戻ってきた分身と再融合すれば、それぞれの分身たちの得てきた経験は本体にフィードバックされる。しかし、それでもそれぞれの可能性の世界の中でも分身たちはナメカタ自身にしか影響を及ぼすことができない。
それぞれの世界のナメカタに語りかけることはできる。幻を見せることさえもできる。
逆を言えばそれだけしかできない。あくまで干渉できるのは個々の世界でのナメカタに対してのみであって、それ以外の存在には干渉するどころか、その存在を感じ取ることすらできなかった。
つまり、怨霊は百年も千年も、いやそれ以上の長い時間をナメカタ自身の輪の中だけで過ごしてきたということになる。怨霊はずっと独りに過ぎなかった。
分身はまだいい。分身たちは個々の可能性の世界に入って干渉することができる。たとえ別の世界の自分相手であっても、少なくとも”自分自身”以外の存在と接することができるのだ。事実、役目を終えて帰ってきた分身たちはどれもが活き活きとしていたものだった。
しかし、本体は個々の世界に入ることはできない。できることといえば分身たちを送り出し、帰ってきた分身や連れられてきた魂を吸収すること、分身の持ち帰った記憶を確認するのみだ。そんな単調でつまらない時間を何百年、何千年と過ごしてきたのだ。
ナメカタは単調な日々にうんざりしていた。そこに新しいプロジェクトとして未知の隕石を研究できるという変化が訪れた。それは単調でつまらない時間の渦からナメカタを脱出させてくれる希望になる……はずだった。
結果としてナメカタは不注意による事故死という形でその希望を逃してしまった。その無念による強い念がナメカタを怨霊として蘇らせ、彼の信じる数多の可能性から分岐する並行世界を並べて観察することのできるこの外なる世界を生み出した。
これは大きな変化であるはずだった。死後の世界を信じるかどうかはそれぞれの自由だ。そしてナメカタはそういったものは一切信じていなかった。
しかし、一方で心の奥底で密かに信じていた並行世界の概念がこうしてナメカタにとっての死後の世界に取って代わったのである。
「……けど、こんなことならまだ普通の死後の世界のほうがよかった。例え血の池地獄だろうと針の山だろうと、そこには自分以外の他人の存在があるのだろう? こうして永遠に近いほどの永い時間をたった一人で過ごさなければならないことに比べたら……。私にとってはこっちのほうが地獄だよ…」
外なる世界も並行世界も、怨霊ナメカタが信じたからこそ存在を許されている。その世界の容貌もすべてナメカタの信じた通りの姿を見せている。
数多の可能性の世界も、その正体はもともとは心のどこかでナメカタが考えた可能性の数々に過ぎない。その可能性を殺す数々の可能性を考えるのもまた怨霊ナメカタだ。さながら、無意識の想像力と、この意識の想像力との競争のようなものだ。
やはり、これも自身の中だけの世界の域を出ない。だとすれば、なんと虚しいことを繰り返しているのか……。
”ない”ものは決して知ることはできない。それはナメカタに関しても当然同じこと。単調でつまらない時間しか知らないナメカタがいくら希望通りの世界を願ったとしても、それがどんな世界かを知らない限りは決してその世界の姿が反映されることはないのだ。見たい夢を願って床に就いても、その通りの夢が必ず見られるとは限らないのと同じように。
自由がどんなものかを知らなければ、自由をつかみ取ることはできない。
怨霊は新たに征服した異なる可能性に生きた自身の世界から来た魂を喰らった。この世界の魂はさほど抵抗することなく飲み込まれていった。分身の活躍でうまく同意を得られたのかもしれない。
「……フン、張り合いのない。久しぶりに楽ができてよかったけどな。しかし、こうも張り合いがないとつまらないな」
怨霊にとってその存在理由は「もしかすると希望をつかめた未来があったのではないか」と信じ、その可能性を妬んだことのみ。存在理由を失ってしまえば怨霊は存在することができない。
この外なる世界も、数々の可能性の世界も怨霊となったナメカタ自身がその存在が信じたからこそ、こうして実在できている脆い世界に過ぎない。怨霊だけがその存在を信じた世界は、怨霊の消滅と同時に失われてしまうだろう。
なぜなら、他に誰もこの世界のことを知らないから。知らないものを信じようがない。”ない”ものをいきなり信じることはできない。それ以前に、その時点でまだ”ない”ものを認知することすらできない。
それゆえに怨霊はいつも独りだった。
自分しか存在を知らないこの外なる世界には当然ながら自分しか存在することができない。
個々の可能性の世界に干渉し、戻ってきた分身と再融合すれば、それぞれの分身たちの得てきた経験は本体にフィードバックされる。しかし、それでもそれぞれの可能性の世界の中でも分身たちはナメカタ自身にしか影響を及ぼすことができない。
それぞれの世界のナメカタに語りかけることはできる。幻を見せることさえもできる。
逆を言えばそれだけしかできない。あくまで干渉できるのは個々の世界でのナメカタに対してのみであって、それ以外の存在には干渉するどころか、その存在を感じ取ることすらできなかった。
つまり、怨霊は百年も千年も、いやそれ以上の長い時間をナメカタ自身の輪の中だけで過ごしてきたということになる。怨霊はずっと独りに過ぎなかった。
分身はまだいい。分身たちは個々の可能性の世界に入って干渉することができる。たとえ別の世界の自分相手であっても、少なくとも”自分自身”以外の存在と接することができるのだ。事実、役目を終えて帰ってきた分身たちはどれもが活き活きとしていたものだった。
しかし、本体は個々の世界に入ることはできない。できることといえば分身たちを送り出し、帰ってきた分身や連れられてきた魂を吸収すること、分身の持ち帰った記憶を確認するのみだ。そんな単調でつまらない時間を何百年、何千年と過ごしてきたのだ。
ナメカタは単調な日々にうんざりしていた。そこに新しいプロジェクトとして未知の隕石を研究できるという変化が訪れた。それは単調でつまらない時間の渦からナメカタを脱出させてくれる希望になる……はずだった。
結果としてナメカタは不注意による事故死という形でその希望を逃してしまった。その無念による強い念がナメカタを怨霊として蘇らせ、彼の信じる数多の可能性から分岐する並行世界を並べて観察することのできるこの外なる世界を生み出した。
これは大きな変化であるはずだった。死後の世界を信じるかどうかはそれぞれの自由だ。そしてナメカタはそういったものは一切信じていなかった。
しかし、一方で心の奥底で密かに信じていた並行世界の概念がこうしてナメカタにとっての死後の世界に取って代わったのである。
「……けど、こんなことならまだ普通の死後の世界のほうがよかった。例え血の池地獄だろうと針の山だろうと、そこには自分以外の他人の存在があるのだろう? こうして永遠に近いほどの永い時間をたった一人で過ごさなければならないことに比べたら……。私にとってはこっちのほうが地獄だよ…」
外なる世界も並行世界も、怨霊ナメカタが信じたからこそ存在を許されている。その世界の容貌もすべてナメカタの信じた通りの姿を見せている。
数多の可能性の世界も、その正体はもともとは心のどこかでナメカタが考えた可能性の数々に過ぎない。その可能性を殺す数々の可能性を考えるのもまた怨霊ナメカタだ。さながら、無意識の想像力と、この意識の想像力との競争のようなものだ。
やはり、これも自身の中だけの世界の域を出ない。だとすれば、なんと虚しいことを繰り返しているのか……。
”ない”ものは決して知ることはできない。それはナメカタに関しても当然同じこと。単調でつまらない時間しか知らないナメカタがいくら希望通りの世界を願ったとしても、それがどんな世界かを知らない限りは決してその世界の姿が反映されることはないのだ。見たい夢を願って床に就いても、その通りの夢が必ず見られるとは限らないのと同じように。
自由がどんなものかを知らなければ、自由をつかみ取ることはできない。
所詮、人の想像力には限界がある。怨霊と化したとはいえ、それはナメカタについても同じこと。たとえ終わりが見えないほど永く遠くても終わりは必ずやってくる。
「とうとう次が最後の世界……か」
「とうとう次が最後の世界……か」
すべてを終えない限り、”この怨霊は決して救われない。”
……果たして、すべてを終えた先に救いは、そして自由はあるのか――