第三章『私を信じてください』
静寂。場を包み込むのはただひたすらの静寂だった。
ガイストの顔を見て、マキナ人だマキナのテロだと囁き合っていた人々も次第に口を噤み、押し黙って恐怖に身を寄せ合う。
ヴェルスタンドで起こった突然人が意識を失って倒れるという怪現象。加えて謎の光の玉の襲撃。そして機械の暴走。
警備の者や派遣された軍はすでにやられてしまったのだという。
正体不明の光や機械を前にして我々人間は無力だ。そして人が突然倒れる現象は最も厄介だ。いくら訓練を積んだ熟練の兵士であろうと、原因不明のその現象の前では成す術もない。一般の人々はただ怯えながら助けの手が差し伸べられるのを待つことしかできないのだ。
正体がわからない敵を前にしては対処のしようがなく、その恐怖感は増す。
どこから謎の光や機械が襲いかかってきて、誰がいつ突然倒れるのかさえわからない。
人々は外は危険だからとこのビルに避難し身を寄せ合っていたが、ここが安全だという確証はなかった。
「あの光……見覚えがある」
自身も襲われたあの赤い光と青い光。ガイストはその正体を知っている。
赤い光はレティス。青い光はブロウティスと呼ばれるものだ。
これらはかつてガイストが研究していた精神体から作られた精神兵器だ。
当時の部下の中に政府からのスパイがいて、研究していた精神体を横流ししていたのだ。精神体とは強力なエネルギー体でもある。
それを使って前ヴェルスタンド大統領が秘密裏に作らせていた精神兵器。それがレティスとブロウティスだった。
ブロウティスは物理的に干渉可能なので破壊することができるが、レティスは精神的干渉しか受けつけないために破壊することができない。
精神体は物理的干渉と精神的干渉を同時に引き起こすというパルス波などの音に弱いことが先の戦争でわかっている。
それゆえに音響手榴弾で動きを止めることができたのだ。
「あれが現れたということは、裏で前大統領がまた手を引いているということになるのか? だが前大統領は死んだはず…」
人々が話す噂の中には、マキナのテロだというものの他に幽霊の仕業だというものまであった。
目に見えない幽霊が人々から魂を抜き取り、機械に取り憑いて暴れる。光の玉は人魂に違いないという。
死んだはずの前大統領の仕業だと考えるなら、たしかに幽霊の仕業だということになってしまう。
だが科学者ともあろう自分がそんな噂を信じるわけにはいかなかった。
「精神体は幽霊とは違う。科学的に生み出された存在なんだ。だがそうなると、一体誰がこんなことを…」
仮にブロウティスやレティスを操っている黒幕が存在するとしても、今は敵の正体が見えないことには変わりがなかった。
ホログラムメールで精神体が暴走したとゲシュペンスト博士は言っていた。そしてこの騒ぎだ。人が倒れたり機械が暴走することについては謎が残るが、精神兵器の出現から考えるとこの一件の原因はおそらく精神体だろう。
だが精神体はその精製過程で事故防止のために意識を閉じられる。基本的に精神体は意思を持たない。
だから精神兵器が自ら人々を襲うことはあり得ない。必ずそれを背後で操っている黒幕、つまり犯人がいるはずなのだ。
敵は幽霊じゃない。人間だ。
「だが、だとすれば誰が一体何のために…」
前大統領派の何者かの仕業か。しかし、そうなると前大統領が治めていたこの国を襲うのはおかしい。
それともやはりマキナの誰かが復讐のために精神体を使って事件を起こしているのだろうか。
あるいは先の戦争で弱ったこの二国を狙って南のフィーティン国が奇襲を仕掛けているとでもいうのか。
だがどれと決めつけるには早い。今はまだ判断する情報が足りない。
そんなことを考えていると、突然ビル内に悲鳴が響き渡った。
ふっと照明が消え、ふわりふわりと赤い光や青い光が舞い始めると避難し集まっていた人々が突然倒れ始めた。
パニックを起こした人々が入口へと殺到する。
そこに待ってましたと言わんばかりに外部から突然大型トラックが突っ込んできた。もちろん運転席には誰の姿もない。
一瞬にしてビル内は混乱の渦に呑み込まれた。
「くそっ、ここもだめか!」
ヘルツが残った人々に裏口から逃げるように合図する。
それに従いガイストもその場を脱出することができたが、結局助かったのはガイストとヘルツ、そして数人のヴェルスタンド人だけだった。
「ここなら安全だって言ったじゃないか!」
逃げ延びた人々がヘルツに抗議する。
「そ、それは…。俺だってわからないんだ! こんなわけのわからない現象なんて前代未聞だ! そりゃたしかに俺は精神科医だ。だがもしかすると俺が精神を病んでしまったというのか? これは幻か? いや、そうなんだろ。そうだと言ってくれ!!」
頭を抱えて叫ぶヘルツ。彼もまた混乱しているようだった。
そんな彼の様子を見て、自分の身は自分で守る。先生は頼りにならない。とそれぞれが方々へと散って行ってしまった。
まるでゴーストタウンのようになってしまった首都ゲーヒルンにガイストとヘルツの二人だけがぽつんと取り残される。
「誰か教えてくれ…。これは一体どういうことなんだ…」
見かねたガイストは、精神体のことをヘルツに話すことにした。
「信じてもらえないかもしれないが……」
かつて自分がヴェルスタンドで精神体を研究していたということ。そしてその精神体の特徴。
スタングレネードが有効だったのは精神体が音に弱いからだと説明した。
ヘルツは驚いた表情でガイストの顔を見つめている。
そして心配そうに言った。
「ガイスト、大丈夫か? そうか混乱しているんだな、無理もない。まずは落ち着いて深呼吸をしてみるんだ」
「違う。僕は本当のことを言っているんだ」
「精神が身体から抜け出して精神体を形成するだなんてあり得ない。精神というのは脳が生み出したものに過ぎないんだ。ましてやそれが自我を持って我々を襲うなんてあり得ないにも程がある」
「それなんだ。やつらはどうして人を襲うんだ? 精神体には意思がないはずだし、前大統領はもういないし…」
「おまえの言ってることは滅茶苦茶だ。本当に大丈夫か?」
ガイストが悩んでいると、目の前に見慣れた遠隔モニタが現れた。
『敵が見えないという点が最も厄介ですね。何か方法はありませんか?』
モニタにはそう表示されている。
慣れた様子でガイストはそのモニタに向かって返答した。ヘルツから見ればそれは不思議な光景に見えただろう。
「射影機だ。あれさえあれば精神体の姿を確認することができるんだが……ってこのモニタは!」
その遠隔モニタはかつての仲間メイヴのものによく似ていた。
先の戦争でもメイヴはこうして遠隔モニタを通して自身の意思を伝え、またそのモニタに向かって話すことでこちらの意思をメイヴに伝えることができていた。どういう原理かはわからなかったが、それがメイヴというものだった。
「まさかメイヴなのか!? でも君はたしか鯰との戦いで…」
『いいえ、正確に言えば私はあなたの考えているようなメイヴではありません』
「メイヴではない? では君は一体」
『私はブラックボックスに遺されたメイヴの記憶』
ガイストは左腕に腕輪型の小型端末を装着していた。
これは周囲の地図を確認したり、情報をメモしたり、小型の通信機として活用できる便利なものだ。
どうやらスヴェン研究所に置かれているブラックボックスから、研究所の端末を通してこの小型端末にメッセージが送られているらしい。遠隔モニタに見えたそれは、よく見るとホラグラムが映し出した映像だ。
「では、君はメイヴとは別の存在なのか」
『別であるともいえますし、同じであると考えることもできます。私は、私がメイヴから分離される以前まで……つまり、ブラックボックスがメイヴから取り外される以前までの記憶を有しています。わかりやすく言えば、メイヴのバックアップですね』
「バックアップだって! てっきりメイヴはもう消滅してしまったのかと思ってた。さすがメイヴだ、抜け目がないな」
『ですが私は読み取り専用です。情報を上書きすることができないので、電源が落とされてしまえば記憶は分離した時点まで巻き戻ります。メイヴ復活の参考にはなるでしょうが、私がいるからといって直ちにメイヴが復活するものではありません』
「そ、そうか……わかった。いずれメイヴを復活させるときは君を参考にさせてもらうよ」
『お待ちしています。ややこしいので私のことはセイヴ(保存記録)とでも呼んでください』
セイヴは研究所の機械やガイストの小型端末をハッキングし、これまでの行動を密かに覗いていたのだという。
『これまでの状況は、マキナ-ヴェルスタンド戦争の終結からあなたの独り言に至るまでを含めてだいたい把握しました。どうやらあの戦争ではゲンダーは無事に大統領に打ち勝ちマキナは守られたようですね。喜ばしい限りです。ゲンダーはここにはいないのですか?』
「ゲンダーは君を復活させる方法を見つけるんだと言って旅に出てしまったよ」
『そうですか…。それは残念です』
ホログラムを覗きこみながら、このやり取りを見ていたヘルツが尋ねる。
「それは誰なんだ?」
メイヴのことを説明した。が、もちろん心を持つ機械だなんて信じてもらえない。
「ガイスト、悪いことは言わない。一度俺の診察を受けることを薦める」
「だから本当なんだよ!」
『さて…。さっそくですが、私から提案があります』
少なくともレティスやブロウティスが出現していることから、この一件に精神体が関与していることはもう間違いない。
精神兵器は姿形を持つが、そのもととなる精神体は目には見えないものなので、機械の暴走や人々が倒れる現象に精神体が関係している可能性は否定できない。
そこでその精神体の姿を確認することができる射影機を、マキナのスヴェン研究所に取りに戻るべきだとセイヴは言った。
「マキナ! 機械の国へ行くのか!?」
ヘルツが驚いた声を上げた。
「どうしたんだ」
「別にマキナがテロを起こしてるって噂を本当に信じてるわけじゃないが、その……危険じゃないのか?」
機械が暴走しているという現象を取り上げて、機械の国であるマキナではさらに大変な暴走が起こっているのではないかとヘルツは言った。
セイヴはそれを聞くや否やものの数秒で情報を検索し尽くし、その結果をグラフにしてホログラムに表示して見せる。
『ここ数年でマキナで起こった機械の暴走はわずか1件です。なお、これはかつての戦争で鯰が暴れたものなので、実質は0件ですね。心配はありません。この結果はマキナの機械の安全性を示しています』
「だ、だが俺はこの国を出たことがないし、マキナとヴェルスタンドの間では不干渉の条例が置かれてるんだ。だからマキナに行くなんて俺は……」
その条例を無視してガイストはヴェルスタンドに侵入しているのだが、ややこしいことになるのは困るので敢えて黙っておくことにした。
こんなときはいつも有能なメイヴが解決してくれる。いや、今はセイヴだったか。
期待通り、セイヴは様々な情報を提示してヘルツを説得する。
『このようにマキナでは今回のような現象は一件も報告されていません。このままここに留まっても、いずれあなたが次の犠牲者になるだけですよ』
「そ、それはそうだが…」
この大樹大陸の三国、マキナ、ヴェルスタンド、そしてフィーティンはそれぞれが互いに何年にも渡って戦争を繰り返してきた歴史を持つ。そのせいか、やはり人々の心には他国への偏見が根付いているようだった。
緊急事態だったからこそ、ビル内ではガイストを見てざわめく人々から彼を庇ってくれたヘルツだったが、かつての敵国へと向かうことにはやはり不安があるのだろう。
ガイストは彼を巻き込んではいけない、ヘルツは置いて行くべきじゃないかと提案したが、セイヴはヘルツの精神科医としての知識が後々役に立つだろうから同行したほうがいいだろうと判断した。
「セイヴはこう言ってる。これまでもメイヴの判断はいつも的確だったんだ。だから僕はセイヴを信じてお願いする。ヘルツ、僕と一緒にマキナへ来てくれないか」
「わ、わかった。この現象を止めるのに俺の知識が役立つと言うなら協力しよう。だが……もしそのセイヴってやつが暴走しておかしくなっていたとしたら? そいつは機械なんだろう」
どうやら彼は協力することを認めてくれたらしい。
しかしまだ不安を拭い切れないヘルツに、セイヴがトドメの一言を投げかけた。
かつて私もメイヴに説得されたあの言葉だ。
『ヘルツ、私を信じてください』
ガイストの顔を見て、マキナ人だマキナのテロだと囁き合っていた人々も次第に口を噤み、押し黙って恐怖に身を寄せ合う。
ヴェルスタンドで起こった突然人が意識を失って倒れるという怪現象。加えて謎の光の玉の襲撃。そして機械の暴走。
警備の者や派遣された軍はすでにやられてしまったのだという。
正体不明の光や機械を前にして我々人間は無力だ。そして人が突然倒れる現象は最も厄介だ。いくら訓練を積んだ熟練の兵士であろうと、原因不明のその現象の前では成す術もない。一般の人々はただ怯えながら助けの手が差し伸べられるのを待つことしかできないのだ。
正体がわからない敵を前にしては対処のしようがなく、その恐怖感は増す。
どこから謎の光や機械が襲いかかってきて、誰がいつ突然倒れるのかさえわからない。
人々は外は危険だからとこのビルに避難し身を寄せ合っていたが、ここが安全だという確証はなかった。
「あの光……見覚えがある」
自身も襲われたあの赤い光と青い光。ガイストはその正体を知っている。
赤い光はレティス。青い光はブロウティスと呼ばれるものだ。
これらはかつてガイストが研究していた精神体から作られた精神兵器だ。
当時の部下の中に政府からのスパイがいて、研究していた精神体を横流ししていたのだ。精神体とは強力なエネルギー体でもある。
それを使って前ヴェルスタンド大統領が秘密裏に作らせていた精神兵器。それがレティスとブロウティスだった。
ブロウティスは物理的に干渉可能なので破壊することができるが、レティスは精神的干渉しか受けつけないために破壊することができない。
精神体は物理的干渉と精神的干渉を同時に引き起こすというパルス波などの音に弱いことが先の戦争でわかっている。
それゆえに音響手榴弾で動きを止めることができたのだ。
「あれが現れたということは、裏で前大統領がまた手を引いているということになるのか? だが前大統領は死んだはず…」
人々が話す噂の中には、マキナのテロだというものの他に幽霊の仕業だというものまであった。
目に見えない幽霊が人々から魂を抜き取り、機械に取り憑いて暴れる。光の玉は人魂に違いないという。
死んだはずの前大統領の仕業だと考えるなら、たしかに幽霊の仕業だということになってしまう。
だが科学者ともあろう自分がそんな噂を信じるわけにはいかなかった。
「精神体は幽霊とは違う。科学的に生み出された存在なんだ。だがそうなると、一体誰がこんなことを…」
仮にブロウティスやレティスを操っている黒幕が存在するとしても、今は敵の正体が見えないことには変わりがなかった。
ホログラムメールで精神体が暴走したとゲシュペンスト博士は言っていた。そしてこの騒ぎだ。人が倒れたり機械が暴走することについては謎が残るが、精神兵器の出現から考えるとこの一件の原因はおそらく精神体だろう。
だが精神体はその精製過程で事故防止のために意識を閉じられる。基本的に精神体は意思を持たない。
だから精神兵器が自ら人々を襲うことはあり得ない。必ずそれを背後で操っている黒幕、つまり犯人がいるはずなのだ。
敵は幽霊じゃない。人間だ。
「だが、だとすれば誰が一体何のために…」
前大統領派の何者かの仕業か。しかし、そうなると前大統領が治めていたこの国を襲うのはおかしい。
それともやはりマキナの誰かが復讐のために精神体を使って事件を起こしているのだろうか。
あるいは先の戦争で弱ったこの二国を狙って南のフィーティン国が奇襲を仕掛けているとでもいうのか。
だがどれと決めつけるには早い。今はまだ判断する情報が足りない。
そんなことを考えていると、突然ビル内に悲鳴が響き渡った。
ふっと照明が消え、ふわりふわりと赤い光や青い光が舞い始めると避難し集まっていた人々が突然倒れ始めた。
パニックを起こした人々が入口へと殺到する。
そこに待ってましたと言わんばかりに外部から突然大型トラックが突っ込んできた。もちろん運転席には誰の姿もない。
一瞬にしてビル内は混乱の渦に呑み込まれた。
「くそっ、ここもだめか!」
ヘルツが残った人々に裏口から逃げるように合図する。
それに従いガイストもその場を脱出することができたが、結局助かったのはガイストとヘルツ、そして数人のヴェルスタンド人だけだった。
「ここなら安全だって言ったじゃないか!」
逃げ延びた人々がヘルツに抗議する。
「そ、それは…。俺だってわからないんだ! こんなわけのわからない現象なんて前代未聞だ! そりゃたしかに俺は精神科医だ。だがもしかすると俺が精神を病んでしまったというのか? これは幻か? いや、そうなんだろ。そうだと言ってくれ!!」
頭を抱えて叫ぶヘルツ。彼もまた混乱しているようだった。
そんな彼の様子を見て、自分の身は自分で守る。先生は頼りにならない。とそれぞれが方々へと散って行ってしまった。
まるでゴーストタウンのようになってしまった首都ゲーヒルンにガイストとヘルツの二人だけがぽつんと取り残される。
「誰か教えてくれ…。これは一体どういうことなんだ…」
見かねたガイストは、精神体のことをヘルツに話すことにした。
「信じてもらえないかもしれないが……」
かつて自分がヴェルスタンドで精神体を研究していたということ。そしてその精神体の特徴。
スタングレネードが有効だったのは精神体が音に弱いからだと説明した。
ヘルツは驚いた表情でガイストの顔を見つめている。
そして心配そうに言った。
「ガイスト、大丈夫か? そうか混乱しているんだな、無理もない。まずは落ち着いて深呼吸をしてみるんだ」
「違う。僕は本当のことを言っているんだ」
「精神が身体から抜け出して精神体を形成するだなんてあり得ない。精神というのは脳が生み出したものに過ぎないんだ。ましてやそれが自我を持って我々を襲うなんてあり得ないにも程がある」
「それなんだ。やつらはどうして人を襲うんだ? 精神体には意思がないはずだし、前大統領はもういないし…」
「おまえの言ってることは滅茶苦茶だ。本当に大丈夫か?」
ガイストが悩んでいると、目の前に見慣れた遠隔モニタが現れた。
『敵が見えないという点が最も厄介ですね。何か方法はありませんか?』
モニタにはそう表示されている。
慣れた様子でガイストはそのモニタに向かって返答した。ヘルツから見ればそれは不思議な光景に見えただろう。
「射影機だ。あれさえあれば精神体の姿を確認することができるんだが……ってこのモニタは!」
その遠隔モニタはかつての仲間メイヴのものによく似ていた。
先の戦争でもメイヴはこうして遠隔モニタを通して自身の意思を伝え、またそのモニタに向かって話すことでこちらの意思をメイヴに伝えることができていた。どういう原理かはわからなかったが、それがメイヴというものだった。
「まさかメイヴなのか!? でも君はたしか鯰との戦いで…」
『いいえ、正確に言えば私はあなたの考えているようなメイヴではありません』
「メイヴではない? では君は一体」
『私はブラックボックスに遺されたメイヴの記憶』
ガイストは左腕に腕輪型の小型端末を装着していた。
これは周囲の地図を確認したり、情報をメモしたり、小型の通信機として活用できる便利なものだ。
どうやらスヴェン研究所に置かれているブラックボックスから、研究所の端末を通してこの小型端末にメッセージが送られているらしい。遠隔モニタに見えたそれは、よく見るとホラグラムが映し出した映像だ。
「では、君はメイヴとは別の存在なのか」
『別であるともいえますし、同じであると考えることもできます。私は、私がメイヴから分離される以前まで……つまり、ブラックボックスがメイヴから取り外される以前までの記憶を有しています。わかりやすく言えば、メイヴのバックアップですね』
「バックアップだって! てっきりメイヴはもう消滅してしまったのかと思ってた。さすがメイヴだ、抜け目がないな」
『ですが私は読み取り専用です。情報を上書きすることができないので、電源が落とされてしまえば記憶は分離した時点まで巻き戻ります。メイヴ復活の参考にはなるでしょうが、私がいるからといって直ちにメイヴが復活するものではありません』
「そ、そうか……わかった。いずれメイヴを復活させるときは君を参考にさせてもらうよ」
『お待ちしています。ややこしいので私のことはセイヴ(保存記録)とでも呼んでください』
セイヴは研究所の機械やガイストの小型端末をハッキングし、これまでの行動を密かに覗いていたのだという。
『これまでの状況は、マキナ-ヴェルスタンド戦争の終結からあなたの独り言に至るまでを含めてだいたい把握しました。どうやらあの戦争ではゲンダーは無事に大統領に打ち勝ちマキナは守られたようですね。喜ばしい限りです。ゲンダーはここにはいないのですか?』
「ゲンダーは君を復活させる方法を見つけるんだと言って旅に出てしまったよ」
『そうですか…。それは残念です』
ホログラムを覗きこみながら、このやり取りを見ていたヘルツが尋ねる。
「それは誰なんだ?」
メイヴのことを説明した。が、もちろん心を持つ機械だなんて信じてもらえない。
「ガイスト、悪いことは言わない。一度俺の診察を受けることを薦める」
「だから本当なんだよ!」
『さて…。さっそくですが、私から提案があります』
少なくともレティスやブロウティスが出現していることから、この一件に精神体が関与していることはもう間違いない。
精神兵器は姿形を持つが、そのもととなる精神体は目には見えないものなので、機械の暴走や人々が倒れる現象に精神体が関係している可能性は否定できない。
そこでその精神体の姿を確認することができる射影機を、マキナのスヴェン研究所に取りに戻るべきだとセイヴは言った。
「マキナ! 機械の国へ行くのか!?」
ヘルツが驚いた声を上げた。
「どうしたんだ」
「別にマキナがテロを起こしてるって噂を本当に信じてるわけじゃないが、その……危険じゃないのか?」
機械が暴走しているという現象を取り上げて、機械の国であるマキナではさらに大変な暴走が起こっているのではないかとヘルツは言った。
セイヴはそれを聞くや否やものの数秒で情報を検索し尽くし、その結果をグラフにしてホログラムに表示して見せる。
『ここ数年でマキナで起こった機械の暴走はわずか1件です。なお、これはかつての戦争で鯰が暴れたものなので、実質は0件ですね。心配はありません。この結果はマキナの機械の安全性を示しています』
「だ、だが俺はこの国を出たことがないし、マキナとヴェルスタンドの間では不干渉の条例が置かれてるんだ。だからマキナに行くなんて俺は……」
その条例を無視してガイストはヴェルスタンドに侵入しているのだが、ややこしいことになるのは困るので敢えて黙っておくことにした。
こんなときはいつも有能なメイヴが解決してくれる。いや、今はセイヴだったか。
期待通り、セイヴは様々な情報を提示してヘルツを説得する。
『このようにマキナでは今回のような現象は一件も報告されていません。このままここに留まっても、いずれあなたが次の犠牲者になるだけですよ』
「そ、それはそうだが…」
この大樹大陸の三国、マキナ、ヴェルスタンド、そしてフィーティンはそれぞれが互いに何年にも渡って戦争を繰り返してきた歴史を持つ。そのせいか、やはり人々の心には他国への偏見が根付いているようだった。
緊急事態だったからこそ、ビル内ではガイストを見てざわめく人々から彼を庇ってくれたヘルツだったが、かつての敵国へと向かうことにはやはり不安があるのだろう。
ガイストは彼を巻き込んではいけない、ヘルツは置いて行くべきじゃないかと提案したが、セイヴはヘルツの精神科医としての知識が後々役に立つだろうから同行したほうがいいだろうと判断した。
「セイヴはこう言ってる。これまでもメイヴの判断はいつも的確だったんだ。だから僕はセイヴを信じてお願いする。ヘルツ、僕と一緒にマキナへ来てくれないか」
「わ、わかった。この現象を止めるのに俺の知識が役立つと言うなら協力しよう。だが……もしそのセイヴってやつが暴走しておかしくなっていたとしたら? そいつは機械なんだろう」
どうやら彼は協力することを認めてくれたらしい。
しかしまだ不安を拭い切れないヘルツに、セイヴがトドメの一言を投げかけた。
かつて私もメイヴに説得されたあの言葉だ。
『ヘルツ、私を信じてください』