三番星「そして伝説へ」
黒き山脈。それはカルスト東の大砂丘のさらに東にあった。
鉄のように黒く針のように鋭い険しい葉を持つ木々が連なるこの山脈はクロガネと呼ばれている。
その山脈のふもとに目指していた集落がある。たしかスサと呼ばれる村だったはずだ。間に大砂丘を挟んでいるのでカルスト村とそれほど交流が深いわけではないが、全く疎遠と言ったわけでもない。グァンターとデッシュはスサへ来るのは初めてだったが、この村については長老を初めとして村の者たちから聞かされてある程度知っている。
二人がこの山脈を抜けてこの村に辿り着いたときには既に夜は明けてしまっていた。
「やれやれ、もう宿どころじゃないか。黒き雫についての情報だけ集めてさっさと出発するぞ」
「えェー、オレもう限界っすよ。休んできましょうよォ、オレはお昼過ぎに起こしてもらえたらいいんで」
「おまえの都合に合わせる義理はない。我が村の危機なんだ、のんびりしてる暇なんてない」
「ケチだなァ。ちょっとぐらい休んだってその黒い雫とやらは減るもんじゃないですよ、たぶん」
「その間にカルスト村の住人が減っていたら困るだろうが」
隕石が墜落したその日から凶暴化した黒い生物が現れ村を襲うようになった。最初に村を襲った黒き獣は退治したが、翌日にはもう新たな黒い生物が現れ犠牲を出してしまった。一刻も早くその元凶を見つけて元を断たなければならない。
目撃した者の話によれば隕石はカルストから東の方角に落ちたという。つまり隕石はこの付近に落ちたはずだ。
村の呪術師の『星の海よりこぼれ落ちた黒き雫が世界に災いを呼び起こす』という予言を信じるなら、黒き雫とはその隕石のこと。きっとその隕石にこの黒の現象の原因があるに違いないのだ。
「とりあえずおまえ、まだ大して活躍してないんだからひとっ走りして情報を集めてこい」
「オレェ? そりゃァないですよ、だってこんなに眠いのに…」
愚痴をこぼしながらもデッシュはしっかりとその命令にしたがった。曲がりなりにもグァンターのことをアニキと呼んで慕っていることはある。なぜなら彼はデッシュの命の恩人でもあるからだ。それも出逢って間もなく既に二度も救われている。
そしてグァンター自身も情報を得るためにデッシュ同様スサの村へと走った。手分けしようと提案すればいいものを、グァンターは逃げ足が速いことと運がいいこと以外に取り得のないあの男をまだあまりよく思っていなかったせいか、同じ目線で話すことができないでいたのだ。やはりどうもデッシュとはあまり気が合わないらしい。
さて、しばらくして二人が戻ってきて再びこの場所で顔を合わせた。だがどちらの表情も決して明るいものではなかった。
「まったく、訪問者を早々に追い返すとは困った村だな」
「オレもうだめ……すごく眠い……」
「わかった、そのまま永眠してろ」
「そりゃないですよォ~」
デッシュのほうはさておき、ここでグァンターのほうに視点を当てて少し時間を遡ってみよう。
グァンターはスサの村へ向かってすぐに村の長を訪ねた。カルストに比べてそれほど大きくない村だ。そんな村ではどんな些細な噂話でもすぐに村中に広がり、最終的には長の耳へと届く。すなわち長から話を聞くのが最も早いというわけだ。
だが長は何も話してはくれなかった。それだけではなく、今すぐにこの村を立ち去れと言うのだ。
「この村は大蛇に目をつけられているのだ……悪いことは言わん。お主にも被害が及ぶ前に早くここを去るべきだ」
「そういうことであれば村長、俺は隣の村から来た戦士です。その大蛇、俺が退治してみせましょう」
「それはならん!」
長はグァンターが大蛇を退治することを頑なに拒んだ。聞くと大蛇は毎晩この村に姿を現しては酒と生贄を要求し、それが守られなければ村を滅ぼすと脅してきているのだという。スサの者たちも一度はこれに拒み抗い大蛇に戦いを挑んだ。だが結果、彼らが大蛇に敵うことはなく、もし次に歯向かえばすぐにでもスサの村ごと血祭りに上げてやるのだという。
「長として村の者たちを危険に晒すわけにはいかんのだ…。お主の気持ちはありがたいがこれは我らの問題。どうかここは退いてくれ」
「なるほど。だが大蛇は生贄を要求しているのでしょう。それは村の者を危険に晒すことにはならないとでも仰ると? これでは遅かれ早かれ村は全滅だ。長としてそれでも問題ないと?」
「そ、それは……」
グァンターは考えた。少しでもその大蛇めに怪しいと勘付かれてしまえば、長の言う通りスサの村はおしまいだ。となれば、大蛇を倒すにはやつが油断した隙を狙うしかない。やつが最も油断するタイミングは要求する酒と生贄を受け取った後に違いない。酒が回って動きが鈍り判断力が落ちている間に一気に仕留めてやろう。ならば自分自身がその生贄となり、敵の懐に飛び込んで好機を狙う他ない。
この作戦を長にも伝えたが、それでも頑なにグァンターの協力を拒み、仕方なく一度引き上げた。それが事の次第だった。
「――というわけだ。おまえのほうはどうだった」
訊くがデッシュからの返事はない。そしてその姿がない。
またか、と呆れて視線を脇に逸らすと逃げ足の速い男は既に近くの木陰で寝息を立てていた。
「やれやれだ。どうせいても足を引っ張るだけだし、こいつはここに置いていこう」
寝付きも早いその男をその場に残してグァンターは再びスサへと向かった。だがまた長と話しても同じことの繰り返しだろう。村の者の協力が得られないのは残念だが、そうなれば別の方法を考えるしかあるまい。
グァンターは村はずれに空き家を見つけると一先ずそこに居座って作戦を練ることにした。長の話によれば大蛇の使いが生贄を受け取りに来るのは陽が沈んだ後だ。時間はまだ十分にある。さぁ考えるのだ、大蛇を退治する方法を。
大蛇の問題を解決しなければスサの者から情報を得るのは難しいだろう。それにその大蛇とやらを野放しにすればいずれカルストへもその魔の手が伸びる可能性がある。何より目の前に化け物に襲われている村があってそれを見過ごすようなことはこの男にはできなかったのだ。俺がやらずに誰がやる、ここでやらねば男ではない。グァンターとはそういう男なのだ。
「しかしいくら報復が怖いからとはいえ、長はなぜあんなにも頑なに協力を拒むのか……?」
首を捻るグァンター。するとふとその耳に人々の囁く声が届いた。さっそく自分がこの空き家に無断で居座っていることがスサの者たちに知れたらしい。だからと言って何をどうするということもないのだが。
(ねぇ……あの大男。もしかして…)
(やっぱり、さっきのヘラヘラした男の言ってた…)
真っ先に脳裏に木陰で幸せそうな顔で寝息を立てるデッシュの姿が思い浮かんだ。というか他に思い当たる節がない。
「あいつのことか……ふん、一応あいつなりにはちゃんと話を聞いて廻ってはいたようだな」
(筋骨隆々のアニキっていう…)
(あまりに力が強すぎるために村から追い出されたっていう…)
「あいつ、何か誤解されるようなこと話してやがる…!」
小さな村ではどんな些細な噂であってもすぐに村中に知れ渡る。なぜ長が協力の申し出を敢えて拒んだのか、その理由を今グァンターは少し理解したような気がした。
鉄のように黒く針のように鋭い険しい葉を持つ木々が連なるこの山脈はクロガネと呼ばれている。
その山脈のふもとに目指していた集落がある。たしかスサと呼ばれる村だったはずだ。間に大砂丘を挟んでいるのでカルスト村とそれほど交流が深いわけではないが、全く疎遠と言ったわけでもない。グァンターとデッシュはスサへ来るのは初めてだったが、この村については長老を初めとして村の者たちから聞かされてある程度知っている。
二人がこの山脈を抜けてこの村に辿り着いたときには既に夜は明けてしまっていた。
「やれやれ、もう宿どころじゃないか。黒き雫についての情報だけ集めてさっさと出発するぞ」
「えェー、オレもう限界っすよ。休んできましょうよォ、オレはお昼過ぎに起こしてもらえたらいいんで」
「おまえの都合に合わせる義理はない。我が村の危機なんだ、のんびりしてる暇なんてない」
「ケチだなァ。ちょっとぐらい休んだってその黒い雫とやらは減るもんじゃないですよ、たぶん」
「その間にカルスト村の住人が減っていたら困るだろうが」
隕石が墜落したその日から凶暴化した黒い生物が現れ村を襲うようになった。最初に村を襲った黒き獣は退治したが、翌日にはもう新たな黒い生物が現れ犠牲を出してしまった。一刻も早くその元凶を見つけて元を断たなければならない。
目撃した者の話によれば隕石はカルストから東の方角に落ちたという。つまり隕石はこの付近に落ちたはずだ。
村の呪術師の『星の海よりこぼれ落ちた黒き雫が世界に災いを呼び起こす』という予言を信じるなら、黒き雫とはその隕石のこと。きっとその隕石にこの黒の現象の原因があるに違いないのだ。
「とりあえずおまえ、まだ大して活躍してないんだからひとっ走りして情報を集めてこい」
「オレェ? そりゃァないですよ、だってこんなに眠いのに…」
愚痴をこぼしながらもデッシュはしっかりとその命令にしたがった。曲がりなりにもグァンターのことをアニキと呼んで慕っていることはある。なぜなら彼はデッシュの命の恩人でもあるからだ。それも出逢って間もなく既に二度も救われている。
そしてグァンター自身も情報を得るためにデッシュ同様スサの村へと走った。手分けしようと提案すればいいものを、グァンターは逃げ足が速いことと運がいいこと以外に取り得のないあの男をまだあまりよく思っていなかったせいか、同じ目線で話すことができないでいたのだ。やはりどうもデッシュとはあまり気が合わないらしい。
さて、しばらくして二人が戻ってきて再びこの場所で顔を合わせた。だがどちらの表情も決して明るいものではなかった。
「まったく、訪問者を早々に追い返すとは困った村だな」
「オレもうだめ……すごく眠い……」
「わかった、そのまま永眠してろ」
「そりゃないですよォ~」
デッシュのほうはさておき、ここでグァンターのほうに視点を当てて少し時間を遡ってみよう。
グァンターはスサの村へ向かってすぐに村の長を訪ねた。カルストに比べてそれほど大きくない村だ。そんな村ではどんな些細な噂話でもすぐに村中に広がり、最終的には長の耳へと届く。すなわち長から話を聞くのが最も早いというわけだ。
だが長は何も話してはくれなかった。それだけではなく、今すぐにこの村を立ち去れと言うのだ。
「この村は大蛇に目をつけられているのだ……悪いことは言わん。お主にも被害が及ぶ前に早くここを去るべきだ」
「そういうことであれば村長、俺は隣の村から来た戦士です。その大蛇、俺が退治してみせましょう」
「それはならん!」
長はグァンターが大蛇を退治することを頑なに拒んだ。聞くと大蛇は毎晩この村に姿を現しては酒と生贄を要求し、それが守られなければ村を滅ぼすと脅してきているのだという。スサの者たちも一度はこれに拒み抗い大蛇に戦いを挑んだ。だが結果、彼らが大蛇に敵うことはなく、もし次に歯向かえばすぐにでもスサの村ごと血祭りに上げてやるのだという。
「長として村の者たちを危険に晒すわけにはいかんのだ…。お主の気持ちはありがたいがこれは我らの問題。どうかここは退いてくれ」
「なるほど。だが大蛇は生贄を要求しているのでしょう。それは村の者を危険に晒すことにはならないとでも仰ると? これでは遅かれ早かれ村は全滅だ。長としてそれでも問題ないと?」
「そ、それは……」
グァンターは考えた。少しでもその大蛇めに怪しいと勘付かれてしまえば、長の言う通りスサの村はおしまいだ。となれば、大蛇を倒すにはやつが油断した隙を狙うしかない。やつが最も油断するタイミングは要求する酒と生贄を受け取った後に違いない。酒が回って動きが鈍り判断力が落ちている間に一気に仕留めてやろう。ならば自分自身がその生贄となり、敵の懐に飛び込んで好機を狙う他ない。
この作戦を長にも伝えたが、それでも頑なにグァンターの協力を拒み、仕方なく一度引き上げた。それが事の次第だった。
「――というわけだ。おまえのほうはどうだった」
訊くがデッシュからの返事はない。そしてその姿がない。
またか、と呆れて視線を脇に逸らすと逃げ足の速い男は既に近くの木陰で寝息を立てていた。
「やれやれだ。どうせいても足を引っ張るだけだし、こいつはここに置いていこう」
寝付きも早いその男をその場に残してグァンターは再びスサへと向かった。だがまた長と話しても同じことの繰り返しだろう。村の者の協力が得られないのは残念だが、そうなれば別の方法を考えるしかあるまい。
グァンターは村はずれに空き家を見つけると一先ずそこに居座って作戦を練ることにした。長の話によれば大蛇の使いが生贄を受け取りに来るのは陽が沈んだ後だ。時間はまだ十分にある。さぁ考えるのだ、大蛇を退治する方法を。
大蛇の問題を解決しなければスサの者から情報を得るのは難しいだろう。それにその大蛇とやらを野放しにすればいずれカルストへもその魔の手が伸びる可能性がある。何より目の前に化け物に襲われている村があってそれを見過ごすようなことはこの男にはできなかったのだ。俺がやらずに誰がやる、ここでやらねば男ではない。グァンターとはそういう男なのだ。
「しかしいくら報復が怖いからとはいえ、長はなぜあんなにも頑なに協力を拒むのか……?」
首を捻るグァンター。するとふとその耳に人々の囁く声が届いた。さっそく自分がこの空き家に無断で居座っていることがスサの者たちに知れたらしい。だからと言って何をどうするということもないのだが。
(ねぇ……あの大男。もしかして…)
(やっぱり、さっきのヘラヘラした男の言ってた…)
真っ先に脳裏に木陰で幸せそうな顔で寝息を立てるデッシュの姿が思い浮かんだ。というか他に思い当たる節がない。
「あいつのことか……ふん、一応あいつなりにはちゃんと話を聞いて廻ってはいたようだな」
(筋骨隆々のアニキっていう…)
(あまりに力が強すぎるために村から追い出されたっていう…)
「あいつ、何か誤解されるようなこと話してやがる…!」
小さな村ではどんな些細な噂であってもすぐに村中に知れ渡る。なぜ長が協力の申し出を敢えて拒んだのか、その理由を今グァンターは少し理解したような気がした。
そしてついに陽は暮れた。
空には大きく丸い月が浮かびスサの村を明々と照らす。その月はまたしても紅かった。そう、カルストの村で黒による最初の犠牲が出たあの時と同じように。
月が天辺まで登り切るのとほぼ時を同じくして、大蛇の使いがスサの村へと酒と生贄を受け取りにやってきた。それに対して我らが戦士は、と例の空き家に視線を移すとなんと既にそこにグァンターの姿はなかった。この時点で既にグァンターは行動を開始していたのだ。
さて、スサの村の者はというと、大蛇の使いが射る生贄を定める白羽の矢の行方を息を呑んで見つめていたのである。放たれた矢はまるで自らの意思を持つかのように宙を舞いそして空中で一寸停止、狙いを定めた後に一直線に急降下し突き立った。すなわちその矢が刺さった家に住む者が今宵の生贄。そしてその家はなんと長の家だった。
長は一人の娘との二人暮らしだ。そして長もまた一人の父親なのだ。大切な娘を生贄にやるわけにはいかない、と自らが生贄になると申し出た。
「待ってくれよ、村長! あんたがいなくなったら、おれたちはこれからどうしたらいいんだよ!」
「この村を治められるのはあなただけです、村長。あなたを生贄に差し出すわけにはいかない…ッ」
とても信頼されている長なのだろう。だが今はその信頼が痛い。心に痛い。もし自分が生贄にならなければ、愛する娘を生贄にすることになってしまう。長として、父として、ふたつの立場に心が揺さぶられる。
「うぐぐ……わしはどうすればいいのだ……」
大蛇の使いは早く決めろと催促の言葉をよこす。村民たちの顔に焦りと不安の色が見え始める。いや、よく見るとその色は大蛇の使いの顔にも表れている。そうだ、もし酒と生贄を大蛇様に届けるのが遅れればこの使いはひどい罰を受けるのだ。信頼ではなく恐怖により支配し、その手下にさえ恐れられる存在。それが大蛇なのだ。
「私が行きます」
村民たちの制止を振り切って長がその身を差し出そうとしたその刹那。鈴を転がすような、しかししっかりと芯の通った声が響き渡った。それは長の娘だった。
「イザベル…!」
「お父さん、私なら心配はいらないわ。だって、私はあなたの娘なんだから」
そう、彼女はたしかに長の娘だった。父の制止を振り切ってその身を差し出そうとするその心意気はまさに父譲り。そして長を生贄にすることを望まない民たち、大蛇様への怖れから一刻も早く生贄を決めてしまいたい大蛇の使いの意見が一致したこともあり、イザベルが今宵の大蛇の生贄として選ばれてしまったのだ。
「な、なんということだ……どうしてこんなことに……」
悲しみに暮れる長であったが、ふと今朝の男のことを思い出した。
「そうだ、今さら虫が良すぎることだが、あの男の力をなんとか借りれないものか…!」
長は走った。噂ではまだあの男は村はずれの空き家にいるはずだと。だが我々は知っている、既にグァンターがその空き家には留まっていないということを。そして、それは長もすぐに知ることとなる。
長は後悔した。ああ、こんなことなら最初から……貴重な好機をみすみす見逃してしまうとはなんたる不覚。
しかし大蛇の使いの怒声がさらに追い打ちをかける。
「酒がないだと!? 貴様ら、どういうことだ!」
「わ、わからない…。たしかに今朝までは村の蔵にあったんだ!」
「そういえば今日は見慣れない男が村をふらふらしていたじゃないか。まさかあいつが…」
酒と生贄を差し出さなければスサは大蛇に滅ぼされてしまう。それを知っていながら無断で酒を持ち出すなどスサの者には考えられないことだ。となれば、怪しいのはよそ者だ。誰もが例の男を疑い、そして恨んだ。絶望した。
ああ、なんということだ。このままでは我々の村はもうおしまいだ。
空には大きく丸い月が浮かびスサの村を明々と照らす。その月はまたしても紅かった。そう、カルストの村で黒による最初の犠牲が出たあの時と同じように。
月が天辺まで登り切るのとほぼ時を同じくして、大蛇の使いがスサの村へと酒と生贄を受け取りにやってきた。それに対して我らが戦士は、と例の空き家に視線を移すとなんと既にそこにグァンターの姿はなかった。この時点で既にグァンターは行動を開始していたのだ。
さて、スサの村の者はというと、大蛇の使いが射る生贄を定める白羽の矢の行方を息を呑んで見つめていたのである。放たれた矢はまるで自らの意思を持つかのように宙を舞いそして空中で一寸停止、狙いを定めた後に一直線に急降下し突き立った。すなわちその矢が刺さった家に住む者が今宵の生贄。そしてその家はなんと長の家だった。
長は一人の娘との二人暮らしだ。そして長もまた一人の父親なのだ。大切な娘を生贄にやるわけにはいかない、と自らが生贄になると申し出た。
「待ってくれよ、村長! あんたがいなくなったら、おれたちはこれからどうしたらいいんだよ!」
「この村を治められるのはあなただけです、村長。あなたを生贄に差し出すわけにはいかない…ッ」
とても信頼されている長なのだろう。だが今はその信頼が痛い。心に痛い。もし自分が生贄にならなければ、愛する娘を生贄にすることになってしまう。長として、父として、ふたつの立場に心が揺さぶられる。
「うぐぐ……わしはどうすればいいのだ……」
大蛇の使いは早く決めろと催促の言葉をよこす。村民たちの顔に焦りと不安の色が見え始める。いや、よく見るとその色は大蛇の使いの顔にも表れている。そうだ、もし酒と生贄を大蛇様に届けるのが遅れればこの使いはひどい罰を受けるのだ。信頼ではなく恐怖により支配し、その手下にさえ恐れられる存在。それが大蛇なのだ。
「私が行きます」
村民たちの制止を振り切って長がその身を差し出そうとしたその刹那。鈴を転がすような、しかししっかりと芯の通った声が響き渡った。それは長の娘だった。
「イザベル…!」
「お父さん、私なら心配はいらないわ。だって、私はあなたの娘なんだから」
そう、彼女はたしかに長の娘だった。父の制止を振り切ってその身を差し出そうとするその心意気はまさに父譲り。そして長を生贄にすることを望まない民たち、大蛇様への怖れから一刻も早く生贄を決めてしまいたい大蛇の使いの意見が一致したこともあり、イザベルが今宵の大蛇の生贄として選ばれてしまったのだ。
「な、なんということだ……どうしてこんなことに……」
悲しみに暮れる長であったが、ふと今朝の男のことを思い出した。
「そうだ、今さら虫が良すぎることだが、あの男の力をなんとか借りれないものか…!」
長は走った。噂ではまだあの男は村はずれの空き家にいるはずだと。だが我々は知っている、既にグァンターがその空き家には留まっていないということを。そして、それは長もすぐに知ることとなる。
長は後悔した。ああ、こんなことなら最初から……貴重な好機をみすみす見逃してしまうとはなんたる不覚。
しかし大蛇の使いの怒声がさらに追い打ちをかける。
「酒がないだと!? 貴様ら、どういうことだ!」
「わ、わからない…。たしかに今朝までは村の蔵にあったんだ!」
「そういえば今日は見慣れない男が村をふらふらしていたじゃないか。まさかあいつが…」
酒と生贄を差し出さなければスサは大蛇に滅ぼされてしまう。それを知っていながら無断で酒を持ち出すなどスサの者には考えられないことだ。となれば、怪しいのはよそ者だ。誰もが例の男を疑い、そして恨んだ。絶望した。
ああ、なんということだ。このままでは我々の村はもうおしまいだ。
さて、その頃我らが戦士は黒き山脈のとある谷間にいた。このクロガネの山間には深く谷が刻まれており、その谷のひとつに大蛇の籠る洞窟があったのだ。
岩陰に身を潜めて様子を窺うグァンター。奥の洞窟からは赤く光る不気味な眼がぎょろぎょろと動いているのが見える。
(あれが噂の大蛇か。あの眼の大きさからすると相当でかいな。あの黒い砂蟲よりもさらにでかい。こんどこそ、まるで龍だな)
しばらく様子を見ていると、例の大蛇の使いが戻ってきて生贄を大蛇へと差し出した。
「大蛇様、お持ちしました」
連れてこられたのは長の娘イザベルだ。その目には覚悟の色が表れている。これも村の皆を思ってこそ。だが大蛇のあまりの恐怖に身体は震えが止まらない、止められない。
大蛇はその鎌首をぬうっと洞窟から伸ばして生贄を品定めするように眺めまわす。なんと大きな蛇だ、イザベルやグァンターはもちろん、昨日の黒砂蟲でさえ丸呑みにしてしまいかねないほどに大きな頭。どうしてあなたはそんなに口が大きいの? それはね、おまえを食べるためさ。
そして次に聴こえたのは大蛇の怒鳴り声だ。
「今宵の酒はどうした!」
「ひッ…。そ、それがその、スサのやつらが……」
使いは大蛇に睨みつけられてすくみ上がる。紫色のもともと良いとは言えない使いの顔色がさらに悪くなる。
(しかしあの手下もそうだが、この大蛇しゃべるのか。今までのやつらとは少し違うというわけだな)
酒がないとわかり怒り狂う大蛇。だがこの展開はグァンターの予想していた通りだ。なぜなら大蛇に差し出されるはずだったスサの酒はここにある。酒を持ち出したのはグァンターだったのだ。スサのやつらには悪いことをしてしまったが、これも作戦のうちだ。
大蛇の使いは人に似た姿をしており、なかなか逞しい体つきをしている。例えるなら昔話に出てくる鬼のような感じだ。肌の色は違うし頭から角が生えていたりはしないが、体格だけ見ればグァンターとよく似ている。今は夜も更けて辺りは暗い。加えて蛇というのはそれほど視覚に優れた生き物ではない。ならばグァンターが使いのふりをしても、大蛇の眼ぐらいは欺けるはずだ。
さっきの使いが下がっていったのを確認すると、スサから持ち出した酒を手にグァンターはすかさず大蛇の前に歩み出た。
「大蛇様、それでしたらばこちらに」
「おお? なんだ、あるのではないか。早くこちらに持て」
作戦はこうだ。自らが生贄となる作戦は残念ながら潰えたが、重要なのは大蛇を酒に酔わせてその隙を突くこと。過程はどうあれ、大蛇に酒を呑ませることが先決なのだ。そしてやつめが酔い潰れたら一気にカタをつけてやる。
スサから持ってきた酒樽を大蛇の洞窟の前へと並べる。奮発して全部持ってきてやったぞ。さぁ呑め、とく呑め。貴様が眠ったらすぐにでもその首をはねてやる。
すると洞窟の奥から覗く別の眼が。何、大蛇とは一匹ではなかったのか。
洞窟からもうひとつの頭が現れて酒を見つけつつ言う。
「ン? 今宵の酒はいつもより多いではないか」
「…! ええ、それはですね。いつも我々に良くしてくれている大蛇様のことを想ってのことです。これは我々部下一同からの気持ちなのです」
「ほう…? いくらおだてても何もやらんぞ。だがその心意気や良し、気に入ったぞ。褒めてつかわそう」
「それは有難きお言葉です。それでは私はまだやることがありますので、これにて……」
まさか大蛇が一匹でないとは予想外だった。多めに酒を持ってきておいたのは正解だったようだ。とにかく、まずは第一段階成功。あとは大蛇が眠るのを待つだけだ。
胸をなで下ろしてその場を去ろうとグァンターは大蛇に背を向けた。
だが何か違和感を感じる。そうだ、誰かに見られているような……誰かってそりゃあ大蛇しかいないだろう。貴様、見ているな! 大蛇の視線が背後に突き刺さる。
「待て。見かけない顔だな……おまえは何者だ」
案の定、大蛇は疑いの言葉をグァンターへと寄こした。ばれたか? いや、まだそうと決まったわけではない。落ち着け、まだ慌てるような時間じゃないぞ。うまくやり過ごすのだ。
「な、何を仰います大蛇様。私はあなたに仕えてずいぶん長くになりますが、よもや記憶されていなかったとは残念な限りです」
できるだけ残念そうな悲しそうな表情を再現してみせる。人というものは時と場合によっていくつもの仮面を使い分ける高度な技術を持つ生き物なのだ。爬虫類風情にはそれがわからんのだよ。
「ム、そうであったか。それは悪かったな、もう下がってよいぞ」
「では……失礼致します」
馬鹿め、大きくても所詮は蛇。表情のない貴様らにはわからんだろうが、人はこうやっていくつもの仮面を使い分けないと生きていけない悲しい生き物なんだよ! 悲しいけどこれが現実なのよね。でも……蛇の顔はよく見ると可愛いです。
何はともあれ窮地を脱した我らが戦士。再び岩陰に身を隠すと、危ないところだったと静かに呟くのであった。
岩陰に身を潜めて様子を窺うグァンター。奥の洞窟からは赤く光る不気味な眼がぎょろぎょろと動いているのが見える。
(あれが噂の大蛇か。あの眼の大きさからすると相当でかいな。あの黒い砂蟲よりもさらにでかい。こんどこそ、まるで龍だな)
しばらく様子を見ていると、例の大蛇の使いが戻ってきて生贄を大蛇へと差し出した。
「大蛇様、お持ちしました」
連れてこられたのは長の娘イザベルだ。その目には覚悟の色が表れている。これも村の皆を思ってこそ。だが大蛇のあまりの恐怖に身体は震えが止まらない、止められない。
大蛇はその鎌首をぬうっと洞窟から伸ばして生贄を品定めするように眺めまわす。なんと大きな蛇だ、イザベルやグァンターはもちろん、昨日の黒砂蟲でさえ丸呑みにしてしまいかねないほどに大きな頭。どうしてあなたはそんなに口が大きいの? それはね、おまえを食べるためさ。
そして次に聴こえたのは大蛇の怒鳴り声だ。
「今宵の酒はどうした!」
「ひッ…。そ、それがその、スサのやつらが……」
使いは大蛇に睨みつけられてすくみ上がる。紫色のもともと良いとは言えない使いの顔色がさらに悪くなる。
(しかしあの手下もそうだが、この大蛇しゃべるのか。今までのやつらとは少し違うというわけだな)
酒がないとわかり怒り狂う大蛇。だがこの展開はグァンターの予想していた通りだ。なぜなら大蛇に差し出されるはずだったスサの酒はここにある。酒を持ち出したのはグァンターだったのだ。スサのやつらには悪いことをしてしまったが、これも作戦のうちだ。
大蛇の使いは人に似た姿をしており、なかなか逞しい体つきをしている。例えるなら昔話に出てくる鬼のような感じだ。肌の色は違うし頭から角が生えていたりはしないが、体格だけ見ればグァンターとよく似ている。今は夜も更けて辺りは暗い。加えて蛇というのはそれほど視覚に優れた生き物ではない。ならばグァンターが使いのふりをしても、大蛇の眼ぐらいは欺けるはずだ。
さっきの使いが下がっていったのを確認すると、スサから持ち出した酒を手にグァンターはすかさず大蛇の前に歩み出た。
「大蛇様、それでしたらばこちらに」
「おお? なんだ、あるのではないか。早くこちらに持て」
作戦はこうだ。自らが生贄となる作戦は残念ながら潰えたが、重要なのは大蛇を酒に酔わせてその隙を突くこと。過程はどうあれ、大蛇に酒を呑ませることが先決なのだ。そしてやつめが酔い潰れたら一気にカタをつけてやる。
スサから持ってきた酒樽を大蛇の洞窟の前へと並べる。奮発して全部持ってきてやったぞ。さぁ呑め、とく呑め。貴様が眠ったらすぐにでもその首をはねてやる。
すると洞窟の奥から覗く別の眼が。何、大蛇とは一匹ではなかったのか。
洞窟からもうひとつの頭が現れて酒を見つけつつ言う。
「ン? 今宵の酒はいつもより多いではないか」
「…! ええ、それはですね。いつも我々に良くしてくれている大蛇様のことを想ってのことです。これは我々部下一同からの気持ちなのです」
「ほう…? いくらおだてても何もやらんぞ。だがその心意気や良し、気に入ったぞ。褒めてつかわそう」
「それは有難きお言葉です。それでは私はまだやることがありますので、これにて……」
まさか大蛇が一匹でないとは予想外だった。多めに酒を持ってきておいたのは正解だったようだ。とにかく、まずは第一段階成功。あとは大蛇が眠るのを待つだけだ。
胸をなで下ろしてその場を去ろうとグァンターは大蛇に背を向けた。
だが何か違和感を感じる。そうだ、誰かに見られているような……誰かってそりゃあ大蛇しかいないだろう。貴様、見ているな! 大蛇の視線が背後に突き刺さる。
「待て。見かけない顔だな……おまえは何者だ」
案の定、大蛇は疑いの言葉をグァンターへと寄こした。ばれたか? いや、まだそうと決まったわけではない。落ち着け、まだ慌てるような時間じゃないぞ。うまくやり過ごすのだ。
「な、何を仰います大蛇様。私はあなたに仕えてずいぶん長くになりますが、よもや記憶されていなかったとは残念な限りです」
できるだけ残念そうな悲しそうな表情を再現してみせる。人というものは時と場合によっていくつもの仮面を使い分ける高度な技術を持つ生き物なのだ。爬虫類風情にはそれがわからんのだよ。
「ム、そうであったか。それは悪かったな、もう下がってよいぞ」
「では……失礼致します」
馬鹿め、大きくても所詮は蛇。表情のない貴様らにはわからんだろうが、人はこうやっていくつもの仮面を使い分けないと生きていけない悲しい生き物なんだよ! 悲しいけどこれが現実なのよね。でも……蛇の顔はよく見ると可愛いです。
何はともあれ窮地を脱した我らが戦士。再び岩陰に身を隠すと、危ないところだったと静かに呟くのであった。
しばらくして大蛇の宴が始まった。大蛇の使いたちが気味の悪い色の料理を次々と運んでくる。どんなに空腹だったとしても、あれを食べる勇気はさすがのグァンターも持ち合わせていない。
ここで大蛇が初めて洞窟から完全に外に出てその全貌が明らかになった。初めは大蛇が複数いるのかと考えていたが、大蛇は一匹だった。ただし、その頭は8つもある。ひとつの胴体から8つの首が伸びているのだ。
なんという化け物、なんという奇怪生物。やつら頭が8つあるが、食べたものはどこへいくんだ。胃はひとつなのか8つあるのか。前者であればいずれかの頭だけが食べれば他の頭も満腹感を得られるのか。まったく多頭生物には謎と浪漫が尽きない。
それはさておき、宴が終わり大蛇はその巨体でとぐろを巻いて眠りについた。あれほどあった料理と酒を大蛇はあっという間に呑み込んでしまったのだ。だてに頭が8つもあるわけじゃない。生贄はまだ喰われていないようだが、今重要なのは大蛇を倒すこと。長の娘の救出は後だ。
グァンターは砂蟲を退治したあの剣を片手にあっという間に大蛇の使いたちを蹴散らすと、すかさず大蛇の首に斬りかかった。
大蛇の首は血飛沫を上げて宙を舞う。どうやら砂蟲ほどは硬くないらしい。
驚いた大蛇が暴れ始めるが、今頃気付いたって遅い。続けざまに二本、三本と大蛇の首を斬り飛ばしていく。
大蛇は尾を振り回して反撃に出るが、酔いが回った大蛇の攻撃など恐るるに足らず。跳び上がりこれをかわすと、そのまま尾を駆け上りさらに大蛇の首を斬り落とす。そしてとうとう残す首はひとつとなった。
「なんだ、思ったより楽勝だな」
最後の首が恨めしそうにグァンターを睨みつける。
「お、おのれ……貴様ァァァーッ! 我が誰だかわかっておるのか!!」
「おまえなど知ったものか。俺にとってはただの障害物か害獣でしかない」
「ぐぬぬ……な、舐めるな!!」
大蛇の尾がグァンターに迫る。巻き付けて締め殺そうという魂胆だ。さらに大蛇の最後の頭が大口を開けて迫ってくる。これはバンジー急須か。否、我らが戦士はこんなところでやられる男ではない。
剣でその尾を弾き飛ばすとすかさず跳躍、尾の締め付けから見事に脱出、大蛇は己の尾に噛みついて痛い目を見る結果になった。
「悪いな、先を急いでるんだ。さっさと決着をつけさせてもら……う!? こ、これはなんてことだ!」
見ると剣が途中から折れてしまっている。大蛇の尾は首よりも硬いというのか。こんな剣では大蛇にトドメを刺すことができない。もちろんだが、懐のナイフなどでは到底無理な話だ。
だが残る頭はわずかひとつ。こんなところで諦めるわけにはいかない。ここでやらねば男ではないのだッ!
「ん、なんだこれは」
ふと気がつくと、いつの間にか周囲には黒い液体が飛び散っている。よく見ると首を斬り落とされた大蛇の胴体から流れ出しているのは血ではなくこの黒い液体のようだ。やれやれ、こいつも黒か。
そういえば斬り落としたはずの首が少ない。一体どこへ消えたのか、と辺りを見回すと斬り落とした首のひとつが溶けて黒い液体に変わるのをグァンターは見てしまった。さらにその液体は大蛇本体に吸収されていき、そしてなんと大蛇の胴体から新たな首が生えてきたではないか。
「復活した……!? チッ、さすがは化け物」
武器はもうない。敵は回復する。さて、どうする。
だが歴戦の戦士は決して諦めない。彼はカルストで一番の狩人なのだ。狩りの基本は現地調達、武器がないなら作ればいい。グァンターはまだ液化せずに転がっている大蛇の首から牙を一本もぎとると、それを髪を結っていた紐で折れた剣に結び付けた。
「さぁ、続きを始めようか」
「小癪な…。だが我の毒牙を用いようとも、我に毒は効かぬぞ。毒に苦しむの貴様だ!」
牙をもぎとられた首からは毒液が溢れ出し、液からは禍々しい色の煙が立ち上っている。気化しているのだ。
「これは……のんびりしてる時間はないな」
「ニンゲン風情が……死ねッ!」
大蛇は再び尾をグァンターに巻き付かせようとする。だがもう同じ手は食わない。跳躍、これをかわし牙の剣で薙ぎ払った。するとどうだろう、大蛇の尾は綺麗に切断されて黒液を撒き散らしながら弾き飛ばされた。なんという威力、大蛇の牙はそこらの剣などよりもずっと優れた硬度を誇るというのか。
さらに驚くことには、切断された大蛇の尾から一振りの剣が転がり落ちたのだ。さすがは化け物、もうわけがわからない。
「だがこれを使わない手はない!」
「そうはさせるかッ!」
剣に向かってグァンターと大蛇のふたつの頭が同時に迫る。
そして飛び散る血飛沫。その向こうから姿を現したのは両手に剣を構えたグァンターだった。
「やれやれ、こいつはなかなかの大物だったぜ」
武器を下ろして背を向ける。と、
「アニキ、危ないっ!!」
首をすべて失ったはずの大蛇の胴体がグァンター目掛けて跳びかかってくるではないか。咄嗟に両手の剣で斬りつけてやると、胴体は慌てて洞窟の奥へと逃げ込んでいった。黒い液体もまるで意思を持ったかのように大蛇の胴体の後を追っていく。斬り落とした首も剣に固定した牙も液化して洞窟の中へと消えてしまった。
「しぶといやつめ。体勢を整え直すつもりか」
悔しさから歯を噛み締める。そんなグァンターに駆け付けたデッシュは声をかけた。
「アニキ、オレに任せてください」
「なんだ、おまえいたのか」
「そりゃないっすよ…。とにかくその剣を貸してください。折れてないほうです」
「なんだ、次はおまえが戦ってくれるのか?」
「いえ、オレは狩りはうまくねぇですよ。でもオレの婆ちゃんは村で呪術師をやっていてね…。オレにだってその血は流れてる! その剣を依り代にして、やつを洞窟の中に封印してやりましょう」
「なんだと、おまえ……呪術師様の孫だったのか!」
「さぁ、あいつが出てこないうちに早く!」
大蛇の尾から現れた剣を受け取ると、デッシュはそれを洞窟入口の手前に突き立てて不思議な呪文を唱え始めた。すると剣が黄金色に輝き始めて閃光を発したかと思うと、大蛇の洞窟は目に見えない力によって結界が張られ封じられたのだった。この依り代の剣が抜かれない限りは、もう二度とあの大蛇が外へ出てくることはないだろう。
運と逃げ足しか取り得がないと思われていたデッシュのまさかの活躍。グァンターは口にこそ出さなかったが、足手まといだと考えていたこの男の評価を心の中で少し改めたのだった。この男がやけに幸運に恵まれているのも、今にして思えば呪術師の血を引いていると考えれば合点がいく。
「おまえにしては、よくやったじゃ、ねぇ……か…」
安心したのか疲れがでたのか、グァンターは突然軽い目眩に襲われた。そこは歴戦の戦士、この程度では倒れたりはしない……はずだったが、どうも様子がおかしい。手足が痺れる。意識が朦朧とする。
(まさか……大蛇の毒のせい……)
そしてグァンターはそのまま意識を失ってしまった。
「アッ、アニキ? アニキしっかりしてください! アニキィィィーッ!!」
その後しばらくのことは記憶にない。
ここで大蛇が初めて洞窟から完全に外に出てその全貌が明らかになった。初めは大蛇が複数いるのかと考えていたが、大蛇は一匹だった。ただし、その頭は8つもある。ひとつの胴体から8つの首が伸びているのだ。
なんという化け物、なんという奇怪生物。やつら頭が8つあるが、食べたものはどこへいくんだ。胃はひとつなのか8つあるのか。前者であればいずれかの頭だけが食べれば他の頭も満腹感を得られるのか。まったく多頭生物には謎と浪漫が尽きない。
それはさておき、宴が終わり大蛇はその巨体でとぐろを巻いて眠りについた。あれほどあった料理と酒を大蛇はあっという間に呑み込んでしまったのだ。だてに頭が8つもあるわけじゃない。生贄はまだ喰われていないようだが、今重要なのは大蛇を倒すこと。長の娘の救出は後だ。
グァンターは砂蟲を退治したあの剣を片手にあっという間に大蛇の使いたちを蹴散らすと、すかさず大蛇の首に斬りかかった。
大蛇の首は血飛沫を上げて宙を舞う。どうやら砂蟲ほどは硬くないらしい。
驚いた大蛇が暴れ始めるが、今頃気付いたって遅い。続けざまに二本、三本と大蛇の首を斬り飛ばしていく。
大蛇は尾を振り回して反撃に出るが、酔いが回った大蛇の攻撃など恐るるに足らず。跳び上がりこれをかわすと、そのまま尾を駆け上りさらに大蛇の首を斬り落とす。そしてとうとう残す首はひとつとなった。
「なんだ、思ったより楽勝だな」
最後の首が恨めしそうにグァンターを睨みつける。
「お、おのれ……貴様ァァァーッ! 我が誰だかわかっておるのか!!」
「おまえなど知ったものか。俺にとってはただの障害物か害獣でしかない」
「ぐぬぬ……な、舐めるな!!」
大蛇の尾がグァンターに迫る。巻き付けて締め殺そうという魂胆だ。さらに大蛇の最後の頭が大口を開けて迫ってくる。これはバンジー急須か。否、我らが戦士はこんなところでやられる男ではない。
剣でその尾を弾き飛ばすとすかさず跳躍、尾の締め付けから見事に脱出、大蛇は己の尾に噛みついて痛い目を見る結果になった。
「悪いな、先を急いでるんだ。さっさと決着をつけさせてもら……う!? こ、これはなんてことだ!」
見ると剣が途中から折れてしまっている。大蛇の尾は首よりも硬いというのか。こんな剣では大蛇にトドメを刺すことができない。もちろんだが、懐のナイフなどでは到底無理な話だ。
だが残る頭はわずかひとつ。こんなところで諦めるわけにはいかない。ここでやらねば男ではないのだッ!
「ん、なんだこれは」
ふと気がつくと、いつの間にか周囲には黒い液体が飛び散っている。よく見ると首を斬り落とされた大蛇の胴体から流れ出しているのは血ではなくこの黒い液体のようだ。やれやれ、こいつも黒か。
そういえば斬り落としたはずの首が少ない。一体どこへ消えたのか、と辺りを見回すと斬り落とした首のひとつが溶けて黒い液体に変わるのをグァンターは見てしまった。さらにその液体は大蛇本体に吸収されていき、そしてなんと大蛇の胴体から新たな首が生えてきたではないか。
「復活した……!? チッ、さすがは化け物」
武器はもうない。敵は回復する。さて、どうする。
だが歴戦の戦士は決して諦めない。彼はカルストで一番の狩人なのだ。狩りの基本は現地調達、武器がないなら作ればいい。グァンターはまだ液化せずに転がっている大蛇の首から牙を一本もぎとると、それを髪を結っていた紐で折れた剣に結び付けた。
「さぁ、続きを始めようか」
「小癪な…。だが我の毒牙を用いようとも、我に毒は効かぬぞ。毒に苦しむの貴様だ!」
牙をもぎとられた首からは毒液が溢れ出し、液からは禍々しい色の煙が立ち上っている。気化しているのだ。
「これは……のんびりしてる時間はないな」
「ニンゲン風情が……死ねッ!」
大蛇は再び尾をグァンターに巻き付かせようとする。だがもう同じ手は食わない。跳躍、これをかわし牙の剣で薙ぎ払った。するとどうだろう、大蛇の尾は綺麗に切断されて黒液を撒き散らしながら弾き飛ばされた。なんという威力、大蛇の牙はそこらの剣などよりもずっと優れた硬度を誇るというのか。
さらに驚くことには、切断された大蛇の尾から一振りの剣が転がり落ちたのだ。さすがは化け物、もうわけがわからない。
「だがこれを使わない手はない!」
「そうはさせるかッ!」
剣に向かってグァンターと大蛇のふたつの頭が同時に迫る。
そして飛び散る血飛沫。その向こうから姿を現したのは両手に剣を構えたグァンターだった。
「やれやれ、こいつはなかなかの大物だったぜ」
武器を下ろして背を向ける。と、
「アニキ、危ないっ!!」
首をすべて失ったはずの大蛇の胴体がグァンター目掛けて跳びかかってくるではないか。咄嗟に両手の剣で斬りつけてやると、胴体は慌てて洞窟の奥へと逃げ込んでいった。黒い液体もまるで意思を持ったかのように大蛇の胴体の後を追っていく。斬り落とした首も剣に固定した牙も液化して洞窟の中へと消えてしまった。
「しぶといやつめ。体勢を整え直すつもりか」
悔しさから歯を噛み締める。そんなグァンターに駆け付けたデッシュは声をかけた。
「アニキ、オレに任せてください」
「なんだ、おまえいたのか」
「そりゃないっすよ…。とにかくその剣を貸してください。折れてないほうです」
「なんだ、次はおまえが戦ってくれるのか?」
「いえ、オレは狩りはうまくねぇですよ。でもオレの婆ちゃんは村で呪術師をやっていてね…。オレにだってその血は流れてる! その剣を依り代にして、やつを洞窟の中に封印してやりましょう」
「なんだと、おまえ……呪術師様の孫だったのか!」
「さぁ、あいつが出てこないうちに早く!」
大蛇の尾から現れた剣を受け取ると、デッシュはそれを洞窟入口の手前に突き立てて不思議な呪文を唱え始めた。すると剣が黄金色に輝き始めて閃光を発したかと思うと、大蛇の洞窟は目に見えない力によって結界が張られ封じられたのだった。この依り代の剣が抜かれない限りは、もう二度とあの大蛇が外へ出てくることはないだろう。
運と逃げ足しか取り得がないと思われていたデッシュのまさかの活躍。グァンターは口にこそ出さなかったが、足手まといだと考えていたこの男の評価を心の中で少し改めたのだった。この男がやけに幸運に恵まれているのも、今にして思えば呪術師の血を引いていると考えれば合点がいく。
「おまえにしては、よくやったじゃ、ねぇ……か…」
安心したのか疲れがでたのか、グァンターは突然軽い目眩に襲われた。そこは歴戦の戦士、この程度では倒れたりはしない……はずだったが、どうも様子がおかしい。手足が痺れる。意識が朦朧とする。
(まさか……大蛇の毒のせい……)
そしてグァンターはそのまま意識を失ってしまった。
「アッ、アニキ? アニキしっかりしてください! アニキィィィーッ!!」
その後しばらくのことは記憶にない。
次に我らが戦士が目を覚ましたのはスサの長の家だった。
聞くところによると、デッシュと長の娘イザベルによって運ばれてスサの者に看病されたそうだ。グァンターはしばらくの間眠り続け、そして今日ようやく目を覚ましたのである。スサの住民たちはグァンターが意識を取り戻したことを大いに喜んだ。
「お主が無事でよかったよ。あのときは協力できずにすまなかった…。大蛇を退治してくれたお主たちには本当に感謝している」
「長か、礼には及ばんさ。ところであいつ……俺と一緒にいた男の姿が見えないのだが、あいつはどうした?」
「あの方ならしばらくはこの村におられたのだが、つい先日行かねばならぬところができたと言って先に旅立ってしまわれた。我が娘イザベルも彼の後を追って……だが心配は要らん。村を救ってくれた彼が一緒なら大丈夫だ」
「そうか。俺は少し心配だ」
詳しく聞くと、デッシュは村の者に隕石のことを聞いてまわっていたという。どうやら身動きがとれないアニキと慕うグァンターのために、自分が代わりに黒き雫のことを探そうとして行動なのだろう。
「やかましいやつではあるが、少し見直したぞ……デッシュ」
そうとわかってはじっとしているわけにはいかない。いくら呪術師の孫でラッキーボーイであったとしても、あいつ一人にしておいては危険だ。いつ黒い生き物に襲われてやられてしまうかもわからない。ならば俺がやつを守ってやらねばならない。最近まで忘れていたが、呪術師様の孫ということはあいつもカルスト村の仲間。長老の使命をもって考えればあいつも守るべき対象なのだ。
「では俺も行かなくては…」
「待ちなされ! お主はまだ病み上がりだ。無理をするもんじゃない」
「その気持ちはありがたいが、デッシュのやつを守ることも俺の使命なのだ。行かせてくれ」
「お主……そうか、ならばわかった。なるほど、あの方は素晴らしい従者に恵まれたものだ」
「う、うむ? とにかく世話になった。礼を言わせてもらう」
長は何か勘違いをしているようだったが、何はともあれようやく大蛇の一件は解決した。隕石の情報とデッシュの行き先を教えてもらうと、グァンターはさっそくスサを旅立つことにした。思ったよりも長い間意識を失っていたらしい。カルストの村は無事だろうか、村の皆は元気だろうか。カルスト村のためにも一刻も早く黒き雫を見つけ出し、黒の現象の原因を断たなければ。
改めて心に決意し、我らが戦士は再び旅立った。スサの者たちに見送られながら。
「スサを救ってくれてありがとよ!」
「あの方にもよろしく伝えてくれ!」
「またいつでも来いよ! デシュヴァ様の有能な従者グァンターさん!」
「英雄デシュヴァとあんたのことは末代まで語り継ぐよ。ありがとう!」
今、謎は解けた。
デッシュの野郎、こんどはどんな説明をしやがったんだ。ちゃっかり大蛇退治の手柄を自分のものにしてしまっていやがる。前言撤回だ、てめえ次に会ったら覚えておけよ。こうしちゃいられない!
新たな決意を胸にグァンターは行く。我らが戦士の旅はまだまだ続く。
なお、この逸話は後に『八岐大蛇伝説』としてこの地に代々語り継がれていくのだが、それはまた別の物語である。
聞くところによると、デッシュと長の娘イザベルによって運ばれてスサの者に看病されたそうだ。グァンターはしばらくの間眠り続け、そして今日ようやく目を覚ましたのである。スサの住民たちはグァンターが意識を取り戻したことを大いに喜んだ。
「お主が無事でよかったよ。あのときは協力できずにすまなかった…。大蛇を退治してくれたお主たちには本当に感謝している」
「長か、礼には及ばんさ。ところであいつ……俺と一緒にいた男の姿が見えないのだが、あいつはどうした?」
「あの方ならしばらくはこの村におられたのだが、つい先日行かねばならぬところができたと言って先に旅立ってしまわれた。我が娘イザベルも彼の後を追って……だが心配は要らん。村を救ってくれた彼が一緒なら大丈夫だ」
「そうか。俺は少し心配だ」
詳しく聞くと、デッシュは村の者に隕石のことを聞いてまわっていたという。どうやら身動きがとれないアニキと慕うグァンターのために、自分が代わりに黒き雫のことを探そうとして行動なのだろう。
「やかましいやつではあるが、少し見直したぞ……デッシュ」
そうとわかってはじっとしているわけにはいかない。いくら呪術師の孫でラッキーボーイであったとしても、あいつ一人にしておいては危険だ。いつ黒い生き物に襲われてやられてしまうかもわからない。ならば俺がやつを守ってやらねばならない。最近まで忘れていたが、呪術師様の孫ということはあいつもカルスト村の仲間。長老の使命をもって考えればあいつも守るべき対象なのだ。
「では俺も行かなくては…」
「待ちなされ! お主はまだ病み上がりだ。無理をするもんじゃない」
「その気持ちはありがたいが、デッシュのやつを守ることも俺の使命なのだ。行かせてくれ」
「お主……そうか、ならばわかった。なるほど、あの方は素晴らしい従者に恵まれたものだ」
「う、うむ? とにかく世話になった。礼を言わせてもらう」
長は何か勘違いをしているようだったが、何はともあれようやく大蛇の一件は解決した。隕石の情報とデッシュの行き先を教えてもらうと、グァンターはさっそくスサを旅立つことにした。思ったよりも長い間意識を失っていたらしい。カルストの村は無事だろうか、村の皆は元気だろうか。カルスト村のためにも一刻も早く黒き雫を見つけ出し、黒の現象の原因を断たなければ。
改めて心に決意し、我らが戦士は再び旅立った。スサの者たちに見送られながら。
「スサを救ってくれてありがとよ!」
「あの方にもよろしく伝えてくれ!」
「またいつでも来いよ! デシュヴァ様の有能な従者グァンターさん!」
「英雄デシュヴァとあんたのことは末代まで語り継ぐよ。ありがとう!」
今、謎は解けた。
デッシュの野郎、こんどはどんな説明をしやがったんだ。ちゃっかり大蛇退治の手柄を自分のものにしてしまっていやがる。前言撤回だ、てめえ次に会ったら覚えておけよ。こうしちゃいられない!
新たな決意を胸にグァンターは行く。我らが戦士の旅はまだまだ続く。
なお、この逸話は後に『八岐大蛇伝説』としてこの地に代々語り継がれていくのだが、それはまた別の物語である。