Chapter11「お屋形様」
癒の國は梅原半島北部に位置する西の都。
城壁に囲まれ、南部中央には梅の華城門を構えている。そこから都の中央を真一文字に北へ、梅華の内裏へと大路が伸びる。
大路の左右にはいくつもの小路が碁盤の目状に貼り巡らされ、そこには平牙とはまた趣の異なる荘厳な屋敷が立ち並ぶ。
かつて太古の時代にこの都を築いた者たちは、この屋根の高さを互いに主張し合っている屋敷のように、その身の高貴さを競い合ってきた。
そう、ここはかつての癒國首都、梅華京。数多くの貴族たち、そして癒國を治めた君主たちがこの都の歴史を紡いできたのだ。
だがそれも今は昔の物語。かつての主は絶えて久しく、永き時を経た後にこの地に辿り着いた狐の一族が今ではこの都の主となっている。
さて、今宵は十六夜。
銀の月がその影を落とすは家々の中でもとくに大きな屋敷。内裏にほど近い位置にあり、その屋敷の主の位がいかに高いことかがよくわかる。その屋根に月のものとは異なる三つの影が走る。影たちは屋根から廻廊へと降り立つと、最上階の部屋の中へとその姿を消した。
虫の音ひとつ聞こえぬ夜の静寂に威厳ある声が静かに響く。
「戻ったか」
かがり火の焚かれた和室に、”主”は背を向けてどっしりと腰を下ろしていた。
「は。お屋形様」
影の一人が答えた。
かがり火がその顔を仄かに照らす。黒頭巾を手にひざまずく黒装束、それは伊の里でイザヨイに襲いかかったあの者、キカザルだ。その背後には同じくミザル、そしてイワザルが控えている。
「報告を聞かせてもらおう」
「はい……それが、実は…」
気後れした様子で口を開く。
忍びとは主から報酬を受け取る代わりに、己の技術をもってしてその任務を速やかに、そして確実に遂行する者である。必要なのは過程ではない。主が望む結果、ただそれのみだ。
余計な言葉は不要。求められているのは任務完遂のその一言。しかし彼の口からその言葉は出せなかった。なぜなら、任務は失敗したからだ。
キカザルが言い淀んでいると、次は主が口を開いた。
「かまわん、説明せよ。イザヨイがここにいないということは、結果は訊くまでもなかろう」
「承知。ではお屋形様、先ずはこれをご覧に」
懐から鈍く光る刃を取り出し主に手渡した。キカザルたちから逃げる際にステイが落としていったものだ。
「イザヨイ嬢を護衛する者どもが持っておりました。何か心当たりはございませぬか」
「護衛だと? そんな話は知らぬぞ。はて、あの気の弱い小娘がいつの間に…」
主は手渡されたクナイを火灯りにかざしながらしばらく考え込んでいる様子だった。
そこでミザルが歩み出でて進言した。
「恐れながらお屋形様。それは我々のような忍びの者が扱う道具です」
「ほう……ではその護衛とは見知った顔なのか」
「いえ。よく似ていますが、それは我々の持つものとは意匠が異なります。あるいは異なる流派の忍びやもしれません。水遁と思われる術に長けている様子でしたゆえ」
「ふーむ。それは少し厄介だのう」
「これは想定外の事態であったため、我々は一時撤退し新たな作戦を練るとともに、こうしてお屋形様のご意見を賜りに参ったという次第です。して、その護衛どもは如何いたしましょうか」
「ふん。考えるまでもない!」
主は足を踏み鳴らして立ち上がると、その手にした刃を力強く握り締めた。刃はまるで枯れ葉のようにぼろぼろと砕けて落ちた。
己の身の丈よりもひと回りもふた回りも大きい主に、三人の忍びたちは身を強張らせた。
「何者だろうと我が計画の邪魔はさせぬ! 歯向かうようならその護衛とやらは殺してもかまわぬ。それよりも今はイザヨイを連れ戻すことが何よりも最優先だ。よいな!」
紅い眼を見開いて主は強く命令した。
その瞬間、屋敷には黒く禍々しい気が渦を巻いたように感じた。
(なんて恐ろしい気だ。一体こいつめ、何を企んでやがるのか…)
しかし彼らは雇われの身。たとえそれが何者であれ、今はこの大狐が彼らの依頼者であり、主である。
お屋形様の命令は絶対なのだ。
「承知致しまして候」「了解しました」「御意」
三人衆は屋敷を飛び出し闇の向こうへと消えた。
再び屋敷を夜の静寂が包み込み、かがり火の炎が弾ける音だけが聴こえてくる。
主は握りしめていた拳をそっと開いた。手からは粉々になった金属片がさらりと落ち、夜風に吹かれて塵と消えた。
「ふん。護衛とは考えたな、小娘め。しかし、その程度で我が力に対抗しようなどとは片腹痛いわ」
視線を手元から正面へと向ける。忍びの三人衆が去って行った開かれたままの障子窓からは冷たい夜風が流れ込み、さらに突き刺さるように鋭く銀の光が差し込んでいる。月はちょうど真正面にあった。
よく目を凝らすと月を背後に何かが宙を舞っているのが見える。あれは龍?
否、白い鱗ではなく獣毛に覆われた、しかし蛇のように長い胴体と尾を持つその生き物。前脚が2本、後ろ脚は存在しない。頭上には耳がピンと立ち、その悪戯そうな表情に細い鼻筋がすっと伸びる。
その生き物は蛇行しながら、しかし確実にこの屋敷へと近づいて来る。そしてそれは窓からするりと屋敷の中に入ると、真っ直ぐに大狐の傍へと向かい、そっと耳打ちした。その知らせを受けて大狐は勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「ほう、あの忌々しい大蛇めが死んだか! でかしたぞ。よくぞ知らせてくれた、管狐よ。さぁ、おまえはもう休むといい」
管狐と呼ばれた生き物は嬉しそうにくるりと輪を描いて宙を舞うと、大狐の口から体内へすうっと消えた。
舌舐めずりをしながら大狐は再び月を見上げる。
「これでもう邪魔者はいまい。小娘の護衛だか何だか知らぬが、大蛇に比べればまるで取るに足りぬ。あとはただ目的を果たすのみ。そして晴れてこの世は我が天下よ、けはははは……!!」
黒い静寂の中に嗤い声だけが響く。大狐からは再び黒く禍々しい妖気が立ち昇っていた。
城壁に囲まれ、南部中央には梅の華城門を構えている。そこから都の中央を真一文字に北へ、梅華の内裏へと大路が伸びる。
大路の左右にはいくつもの小路が碁盤の目状に貼り巡らされ、そこには平牙とはまた趣の異なる荘厳な屋敷が立ち並ぶ。
かつて太古の時代にこの都を築いた者たちは、この屋根の高さを互いに主張し合っている屋敷のように、その身の高貴さを競い合ってきた。
そう、ここはかつての癒國首都、梅華京。数多くの貴族たち、そして癒國を治めた君主たちがこの都の歴史を紡いできたのだ。
だがそれも今は昔の物語。かつての主は絶えて久しく、永き時を経た後にこの地に辿り着いた狐の一族が今ではこの都の主となっている。
さて、今宵は十六夜。
銀の月がその影を落とすは家々の中でもとくに大きな屋敷。内裏にほど近い位置にあり、その屋敷の主の位がいかに高いことかがよくわかる。その屋根に月のものとは異なる三つの影が走る。影たちは屋根から廻廊へと降り立つと、最上階の部屋の中へとその姿を消した。
虫の音ひとつ聞こえぬ夜の静寂に威厳ある声が静かに響く。
「戻ったか」
かがり火の焚かれた和室に、”主”は背を向けてどっしりと腰を下ろしていた。
「は。お屋形様」
影の一人が答えた。
かがり火がその顔を仄かに照らす。黒頭巾を手にひざまずく黒装束、それは伊の里でイザヨイに襲いかかったあの者、キカザルだ。その背後には同じくミザル、そしてイワザルが控えている。
「報告を聞かせてもらおう」
「はい……それが、実は…」
気後れした様子で口を開く。
忍びとは主から報酬を受け取る代わりに、己の技術をもってしてその任務を速やかに、そして確実に遂行する者である。必要なのは過程ではない。主が望む結果、ただそれのみだ。
余計な言葉は不要。求められているのは任務完遂のその一言。しかし彼の口からその言葉は出せなかった。なぜなら、任務は失敗したからだ。
キカザルが言い淀んでいると、次は主が口を開いた。
「かまわん、説明せよ。イザヨイがここにいないということは、結果は訊くまでもなかろう」
「承知。ではお屋形様、先ずはこれをご覧に」
懐から鈍く光る刃を取り出し主に手渡した。キカザルたちから逃げる際にステイが落としていったものだ。
「イザヨイ嬢を護衛する者どもが持っておりました。何か心当たりはございませぬか」
「護衛だと? そんな話は知らぬぞ。はて、あの気の弱い小娘がいつの間に…」
主は手渡されたクナイを火灯りにかざしながらしばらく考え込んでいる様子だった。
そこでミザルが歩み出でて進言した。
「恐れながらお屋形様。それは我々のような忍びの者が扱う道具です」
「ほう……ではその護衛とは見知った顔なのか」
「いえ。よく似ていますが、それは我々の持つものとは意匠が異なります。あるいは異なる流派の忍びやもしれません。水遁と思われる術に長けている様子でしたゆえ」
「ふーむ。それは少し厄介だのう」
「これは想定外の事態であったため、我々は一時撤退し新たな作戦を練るとともに、こうしてお屋形様のご意見を賜りに参ったという次第です。して、その護衛どもは如何いたしましょうか」
「ふん。考えるまでもない!」
主は足を踏み鳴らして立ち上がると、その手にした刃を力強く握り締めた。刃はまるで枯れ葉のようにぼろぼろと砕けて落ちた。
己の身の丈よりもひと回りもふた回りも大きい主に、三人の忍びたちは身を強張らせた。
「何者だろうと我が計画の邪魔はさせぬ! 歯向かうようならその護衛とやらは殺してもかまわぬ。それよりも今はイザヨイを連れ戻すことが何よりも最優先だ。よいな!」
紅い眼を見開いて主は強く命令した。
その瞬間、屋敷には黒く禍々しい気が渦を巻いたように感じた。
(なんて恐ろしい気だ。一体こいつめ、何を企んでやがるのか…)
しかし彼らは雇われの身。たとえそれが何者であれ、今はこの大狐が彼らの依頼者であり、主である。
お屋形様の命令は絶対なのだ。
「承知致しまして候」「了解しました」「御意」
三人衆は屋敷を飛び出し闇の向こうへと消えた。
再び屋敷を夜の静寂が包み込み、かがり火の炎が弾ける音だけが聴こえてくる。
主は握りしめていた拳をそっと開いた。手からは粉々になった金属片がさらりと落ち、夜風に吹かれて塵と消えた。
「ふん。護衛とは考えたな、小娘め。しかし、その程度で我が力に対抗しようなどとは片腹痛いわ」
視線を手元から正面へと向ける。忍びの三人衆が去って行った開かれたままの障子窓からは冷たい夜風が流れ込み、さらに突き刺さるように鋭く銀の光が差し込んでいる。月はちょうど真正面にあった。
よく目を凝らすと月を背後に何かが宙を舞っているのが見える。あれは龍?
否、白い鱗ではなく獣毛に覆われた、しかし蛇のように長い胴体と尾を持つその生き物。前脚が2本、後ろ脚は存在しない。頭上には耳がピンと立ち、その悪戯そうな表情に細い鼻筋がすっと伸びる。
その生き物は蛇行しながら、しかし確実にこの屋敷へと近づいて来る。そしてそれは窓からするりと屋敷の中に入ると、真っ直ぐに大狐の傍へと向かい、そっと耳打ちした。その知らせを受けて大狐は勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「ほう、あの忌々しい大蛇めが死んだか! でかしたぞ。よくぞ知らせてくれた、管狐よ。さぁ、おまえはもう休むといい」
管狐と呼ばれた生き物は嬉しそうにくるりと輪を描いて宙を舞うと、大狐の口から体内へすうっと消えた。
舌舐めずりをしながら大狐は再び月を見上げる。
「これでもう邪魔者はいまい。小娘の護衛だか何だか知らぬが、大蛇に比べればまるで取るに足りぬ。あとはただ目的を果たすのみ。そして晴れてこの世は我が天下よ、けはははは……!!」
黒い静寂の中に嗤い声だけが響く。大狐からは再び黒く禍々しい妖気が立ち昇っていた。
一方こちらは梅華京の華城門。その南西からは賑やかな四つの影が近づいていた。
「結局なんだったのかな、あの集団は」
先頭を行くステイが首をかしげた。
「おそらく噂に聞く忍者ってやつだろうな。イザヨイを狙ってたようだが……一体何だったンだ」
「ねぇ、イザヨイ。何か心当たりはないの?」
「それは……あ、ありません」
少し言い淀みながらイザヨイは答えた。
「……まァたそれかよ。話してくれねぇと助けようがねぇぜ」
「いえ、本当になんでもないんです…。それよりもほら、見えてきました! 梅華京ですよ」
前方の華城門は幾本もの朱の柱に支えられた瓦ぶきの大きな建物で、二層構造になっているらしく上階からはちらちらと灯りの火が夜の薄闇を照らしているのが見える。
左右からは梅華の城壁が伸び、それは平牙に同様この都を外敵から護っている。しかし、その規模は平牙とは比べ物にならないほどに大きく、かつては首都であったこの都の偉大さを物語っている。
忍び三人衆の急襲から逃れたイザヨイたちは梅原の半島を廻り込んで西側、海岸沿いの岩路を登り抜けてようやくこの梅華京へと辿り着いたのだった。
峠の足止めさえなければ夕刻には既に到着しているはずだったが、予想外に時間をかけてしまった。陽は既に暮れて久しく、頭の真上には大きな月が銀色に煌めいている。
「ここで結構です。私はもう大丈夫なので、これで失礼しますね…」
門を抜けるが早速イザヨイはそう切り出した。
「ちょっと待ちな。ここでおめぇを行かせるわけにはいかねぇよ」
「まだ何か? ああ、お礼がまだでしたね。それなら……」
「そうじゃない。おめぇはどういうわけかあの忍びどもに狙われてンだ。そンな状態でおめぇ一人放っぽり出せるわけねぇだろうが」
「そうだよ。コテツはツンデレだから、困ってる相手はほっとけないんだよ」
「それは関係ねぇだろ」
それでもなおイザヨイは言いかねた。彼女の様子から何かを隠しているのは明白だった。
イザヨイは心配だったのだ。それを話すことで、峠で偶然会っただけのコテツたちを自身の問題に巻き込んでしまうのではないかと。峠と伊の里で二度も助けられながらも、さらにそれ以上の迷惑をかけてしまうのではないかと。
その心を察してか、それまでは黙って様子を窺っていたシエラが口を開いた。
「ねぇイザヨイ、あたいたちはかまわないから話してよ」
「でも…」
「たぶん迷惑になると思って話せないんでしょ。その点なら心配ないよ。コテツは強くなりたいって旅をしてるみたいだから、ああ言ってるけど、ほんとはあの忍者と勝負したいって思ってるだけだろうし、ステイは好奇心旺盛だから何が起こっても楽しんじゃうタイプだと思うよ。あたいも別に気にしてないし」
「そう言ってもらえるのはありがたいですけど、相手はあの忍びだけではないんです。これ以上あなたたちを危険な目にあわせるわけにはいきません」
突然襲ってきた忍びたちのことをイザヨイは知らない。しかし、それとは別にイザヨイには気にかけていることがあった。それがあるからこそイザヨイは梅華京へ向かっていたのであり、峠での騒ぎを見過ごせなかったのだから。
「へぇ…。敵は他にもいるってのかい」
話を聞いていたコテツが不敵な笑みを浮かべた。
「ああイザヨイ。言っちゃったねぇ、コテツの前では一番言ってはいけないことを」
「え…?」
コテツの旅の目的とは何だったか。そう、これは強さを得るための旅。具体的な目的地があるわけではない。あるとすれば、戦うべき相手がいる場所が旅の目的地。オイラより強い奴に会いに行く。このサムライわんこ、思ったより馬鹿である。そして馬鹿だからこそ、いやむしろ馬鹿にしか視えない事もあるのだ。
「そうとなりゃあ話は変わってくる。おめぇがもし断ってでも手を貸させてもらおうじゃねぇか。オイラ嫌な予感がするぜぃ。その相手ってのはただ者じゃねぇンだろう。なンだろうな、この身を震わせる不思議な感覚は。これは……あの大蛇に対峙したときとよく似ている」
「でも、どうして見ず知らずの私にそこまで?」
「自分でもよくわからねぇ。わからねぇが、この一件は無視しちゃいけねぇ……そんな感じがするンだ。報酬がまだだと言ったな。だったらそのおめぇの問題、オイラに手伝わせてくれ。それが求める報酬だ」
「コテツさん……わかりました。そこまで言うのならどうかお願いさせてください。私を助けてください!」
イザヨイはコテツの目に強い自信の色を見た。なぜだろう、この目を見ていると彼ならこの問題をどうにかしてくれるのではないか、そんな思いが沸々と湧き上がってくるのだ。ここまで言ってくれているのだ。それをなお断ってはそれが逆に迷惑になってしまうのではないか。そう思えてならなかった。そこでイザヨイは意を決して彼らに事情を話すことにしたのだった。
「はい出ましたね、主人公補正」
「うるせぇな。おめぇは黙ってろ」
イザヨイを先頭にして梅華の大路を行き、道すがらイザヨイは彼女の抱える問題を話し始めた。
「私はこの梅華京で育ちました。物心ついた頃には母はすでに亡くなっていましたが、父は私をとても大切にしてくれました」
梅華京の名家に生まれたイザヨイは父の愛を受けて健やかに成長した。そしてそんな父親を彼女はとても大切に思っていた。母親がいないことを寂しく思うこともあったが、これ以上のものは何も望まなかった。大好きな父親さえいてくれればイザヨイは幸せだったのだ。
そんな気持ちが失われてしまったのはいつの頃からだったろうか。
大好きだった父は変わってしまった。温厚な商人だったはずの父は、いつしか怪しい気に満ちた不気味な道具を取り扱うようになり、平牙の犬族を急に憎むようになった。癒の平牙と梅華京の関係が悪くなったのはこの頃からだ。そんな父の影響を受けてか、梅華の住民たちはいつの間にか妖術と呼ばれる不思議な能力を身につけ、事あるごとに平牙の犬族と争うようになっていった。そしてイザヨイもまた、父から妖術を徹底的に教え込まれたのである。
変わってしまって以来、父はイザヨイにはまるで関心を示してくれなかった。それがある日突然、妖術を訓練しろというのである。イザヨイはそれを怪しく思ったが、父の希望に応えれば再び以前のように自分に振り向いてくれるのではないかと、妖術の訓練に励んだものだった。だがその願いは叶わなかった。
ある日父は告げた。「おまえは類稀なる妖術の才能を持っている。おまえが先頭に立ち、都の者たちを率いて平牙を攻め落とせ」と。かつての大好きだった父の面影はもうそこにはなかった。
(父は変わってしまった。一体どうして……)
思い悩むイザヨイ。たとえ父の言葉とは言え、その指示には従えない。理由もなく平牙を攻撃するなんて納得がいかなかった。
だからイザヨイは一人、梅華京を飛び出したのだ。
まずは事実を確かめるために平牙へ向かった。もちろん、そこで平牙を攻める理由などは見つからなかった。
次にこれからどうするべきなのかと思い悩んで、ふらりと平牙の神社に立ち寄り神主に相談した。すると、妖の類の噂が頻繁に立つ平牙ならではの答えが返って来た。すなわち、父は妖怪に取り憑かれしまったのではないかと。
豹変してしまった父。時折感じる禍々しい気。そして不気味な道具の数々。間違いない――イザヨイはそう考えた。
そこで神主に教えてもらった情報を頼りに平牙から北上。癒の最果ての地、先刃(サキバ)へ赴き、邪悪を祓うとされる聖水を手に入れた。これがあれば父は以前のように戻ってくれるかもしれない。そう信じてイザヨイは梅華京へと急いだ。コテツたちに出逢ったのはそんな帰り道のことだった。
「父は変わってしまった…。私は以前のように優しいお父様に戻ってもらいたいんです」
目に涙を浮かべながらイザヨイは言った。
「……なるほど。そういうことだったのね」
「もしかしたら、あの忍者はイザヨイを連れ戻すためにそのお父様が雇ったのかもしれないね」
「おそらくそうだと思います。私は手に入れたこの聖水で父に取り憑いた邪悪を追い出します。ですが、あの忍びたちはきっとまた私たちの邪魔をしにくるでしょう。ですから、また彼らが現れたときは…」
「おいらたちの出番ってわけだね!」
「ええ。どうかお願いします。それから、父を解放しても終わりではないでしょう。次はその邪悪をなんとかしなければなりません」
「そこでオイラの出番ってわけだ。さて、大蛇の次は一体何が出るか…」
「安心して。コテツはちょっと頼りないけど、いざとなったらあたいの魔法もあるからね」
「それは心強いです。私も微力ながら、父に教え込まれた妖術でお手伝いします。さあ、着きました。ここが私の家です」
目の前には例の忍び三人衆が報告に訪れていた屋敷がそびえ立っている。木製の大戸がコテツ一行を待ち構えていた。
現れた立派な屋敷を目にしてコテツもステイも驚きの声を上げた。入口だけを見ても、すでに逆牙羅の詰所よりもずっと大きい。対照的にシエラは落ち着いた様子で大戸を調べて、錠がかかっていることを知らせる。
屋敷の周囲は塀に囲まれていて、この大戸を抜ける以外に敷地内へ続く入口は見当たらない。
「さて、どうやって入る?」
「それなら心配には及びません。こうして私が合鍵を持っていますから」
イザヨイが懐から鍵を取り出して見せる。と、その刹那、目の前を何かが横切った。次の瞬間にはイザヨイの手から鍵は消えていた。
「邪魔立て無用、と言ったはずだが」
塀の上から声が聞こえて、誰も一斉にそこへ視線を向けた。例の忍者キカザルの姿がそこにあり、その手にはさっきまでイザヨイが持っていた鍵が抓まれている。
「出たな、黒頭巾め」
「我々の邪魔をするのはやめておけ。痛い目を見ることになるぞ」
「すでに一回襲ってきておいてよく言うぜ。その言葉、そっくりそのまま返してやる」
「残念だが我々はおまえたちと遊んでいる暇はない。イザヨイ嬢を連れ戻すことが最優先との命でな!」
キカザルが懐に手を忍ばせた。
(何か来る!)
警戒して塀の上の忍びに意識を集中させる。
すると突然、背後から煙幕が投げ込まれ視界を奪われてしまった。煙が晴れると既にキカザルの姿はなく、またイザヨイの姿も消えていた。陰に隠れていたミザルやイワザルの働きだろう。何かに敵の気を引き付けておいて、その隙を狙うのが忍びの常套手段。忍術と魔法は違う。
「やられた…! 鍵もイザヨイも奪われちまったぞ」
「ほら、間抜けな顔してないで早く! 行き先はわかってるんだから追うよ」
いつまでも塀の上を睨みつけているコテツにシエラが叫んだ。その姿はステイの背の上にある。いつでも飛び立てる状態だ。鍵など不要。大戸など通らなくてもこちらは空が飛べるではないか。
忍びといえど、魔法のように姿が消せるわけではない。まだ遠くには行っていないはずだ。
コテツが飛び乗るとすぐにステイは飛び上がった。
真上から屋敷を足下に見下ろす。暗くて様子がよくわからなかったが、コテツやシエラにはそんなものは関係ない。なぜなら彼らは夜目が利くからだ。
そしてシエラは塀の上を走る一人の影を見つけた。塀の上を走るような者など、猫でなければ奴ら忍びでしかない。
影は敷地内の隅にある蔵の中へと消えた。
「あそこに隠れたよ。急いで!」
言われて蔵の前にステイが降り立つ。そしてイザヨイを助け出さんと蔵の戸に手をかける。
鍵はかかっていなかった。蔵の中は、商人であるイザヨイの父が仕入れたものであろう、木箱や話に出てきた怪しい道具、妖怪を模った木彫りの像や装飾品のようなものが所狭しと並べられている。だが、蔵の中をいくら捜してもイザヨイの姿だけは確認することができなかった。
「いないね。たしかにここに入ったの?」
「そのはずだが……ま、まさか!」
慌てて外へ飛び出そうとコテツが走る。しかし、時既に遅し。蔵の戸は固く閉ざされびくともしない。
罠だった。忍びたちはまんまと邪魔なコテツたちだけを蔵に閉じ込めて、イザヨイを連れ去ったのだった。
「やられた…。くそッ、またしても!!」
怒りと悔しさの一閃を戸にいくらぶつけても、木刀ではその戸を斬り倒すことはできない。ステイの槍は突くことには優れていても斬ることには向いていない。そして、水気のない蔵の中ではシエラは水術を扱うことができない。
手詰まりだ。忍びたちのほうが一枚上手だったのだ。
コテツがいくら吠えても、彼らを助けに来るような仲間は他にはいない。
一方その頃、連れ去られたイザヨイは忍び三人衆に連れられ主の下へ。豹変してしまった父との皮肉な形での再会を果たすことになる…
「結局なんだったのかな、あの集団は」
先頭を行くステイが首をかしげた。
「おそらく噂に聞く忍者ってやつだろうな。イザヨイを狙ってたようだが……一体何だったンだ」
「ねぇ、イザヨイ。何か心当たりはないの?」
「それは……あ、ありません」
少し言い淀みながらイザヨイは答えた。
「……まァたそれかよ。話してくれねぇと助けようがねぇぜ」
「いえ、本当になんでもないんです…。それよりもほら、見えてきました! 梅華京ですよ」
前方の華城門は幾本もの朱の柱に支えられた瓦ぶきの大きな建物で、二層構造になっているらしく上階からはちらちらと灯りの火が夜の薄闇を照らしているのが見える。
左右からは梅華の城壁が伸び、それは平牙に同様この都を外敵から護っている。しかし、その規模は平牙とは比べ物にならないほどに大きく、かつては首都であったこの都の偉大さを物語っている。
忍び三人衆の急襲から逃れたイザヨイたちは梅原の半島を廻り込んで西側、海岸沿いの岩路を登り抜けてようやくこの梅華京へと辿り着いたのだった。
峠の足止めさえなければ夕刻には既に到着しているはずだったが、予想外に時間をかけてしまった。陽は既に暮れて久しく、頭の真上には大きな月が銀色に煌めいている。
「ここで結構です。私はもう大丈夫なので、これで失礼しますね…」
門を抜けるが早速イザヨイはそう切り出した。
「ちょっと待ちな。ここでおめぇを行かせるわけにはいかねぇよ」
「まだ何か? ああ、お礼がまだでしたね。それなら……」
「そうじゃない。おめぇはどういうわけかあの忍びどもに狙われてンだ。そンな状態でおめぇ一人放っぽり出せるわけねぇだろうが」
「そうだよ。コテツはツンデレだから、困ってる相手はほっとけないんだよ」
「それは関係ねぇだろ」
それでもなおイザヨイは言いかねた。彼女の様子から何かを隠しているのは明白だった。
イザヨイは心配だったのだ。それを話すことで、峠で偶然会っただけのコテツたちを自身の問題に巻き込んでしまうのではないかと。峠と伊の里で二度も助けられながらも、さらにそれ以上の迷惑をかけてしまうのではないかと。
その心を察してか、それまでは黙って様子を窺っていたシエラが口を開いた。
「ねぇイザヨイ、あたいたちはかまわないから話してよ」
「でも…」
「たぶん迷惑になると思って話せないんでしょ。その点なら心配ないよ。コテツは強くなりたいって旅をしてるみたいだから、ああ言ってるけど、ほんとはあの忍者と勝負したいって思ってるだけだろうし、ステイは好奇心旺盛だから何が起こっても楽しんじゃうタイプだと思うよ。あたいも別に気にしてないし」
「そう言ってもらえるのはありがたいですけど、相手はあの忍びだけではないんです。これ以上あなたたちを危険な目にあわせるわけにはいきません」
突然襲ってきた忍びたちのことをイザヨイは知らない。しかし、それとは別にイザヨイには気にかけていることがあった。それがあるからこそイザヨイは梅華京へ向かっていたのであり、峠での騒ぎを見過ごせなかったのだから。
「へぇ…。敵は他にもいるってのかい」
話を聞いていたコテツが不敵な笑みを浮かべた。
「ああイザヨイ。言っちゃったねぇ、コテツの前では一番言ってはいけないことを」
「え…?」
コテツの旅の目的とは何だったか。そう、これは強さを得るための旅。具体的な目的地があるわけではない。あるとすれば、戦うべき相手がいる場所が旅の目的地。オイラより強い奴に会いに行く。このサムライわんこ、思ったより馬鹿である。そして馬鹿だからこそ、いやむしろ馬鹿にしか視えない事もあるのだ。
「そうとなりゃあ話は変わってくる。おめぇがもし断ってでも手を貸させてもらおうじゃねぇか。オイラ嫌な予感がするぜぃ。その相手ってのはただ者じゃねぇンだろう。なンだろうな、この身を震わせる不思議な感覚は。これは……あの大蛇に対峙したときとよく似ている」
「でも、どうして見ず知らずの私にそこまで?」
「自分でもよくわからねぇ。わからねぇが、この一件は無視しちゃいけねぇ……そんな感じがするンだ。報酬がまだだと言ったな。だったらそのおめぇの問題、オイラに手伝わせてくれ。それが求める報酬だ」
「コテツさん……わかりました。そこまで言うのならどうかお願いさせてください。私を助けてください!」
イザヨイはコテツの目に強い自信の色を見た。なぜだろう、この目を見ていると彼ならこの問題をどうにかしてくれるのではないか、そんな思いが沸々と湧き上がってくるのだ。ここまで言ってくれているのだ。それをなお断ってはそれが逆に迷惑になってしまうのではないか。そう思えてならなかった。そこでイザヨイは意を決して彼らに事情を話すことにしたのだった。
「はい出ましたね、主人公補正」
「うるせぇな。おめぇは黙ってろ」
イザヨイを先頭にして梅華の大路を行き、道すがらイザヨイは彼女の抱える問題を話し始めた。
「私はこの梅華京で育ちました。物心ついた頃には母はすでに亡くなっていましたが、父は私をとても大切にしてくれました」
梅華京の名家に生まれたイザヨイは父の愛を受けて健やかに成長した。そしてそんな父親を彼女はとても大切に思っていた。母親がいないことを寂しく思うこともあったが、これ以上のものは何も望まなかった。大好きな父親さえいてくれればイザヨイは幸せだったのだ。
そんな気持ちが失われてしまったのはいつの頃からだったろうか。
大好きだった父は変わってしまった。温厚な商人だったはずの父は、いつしか怪しい気に満ちた不気味な道具を取り扱うようになり、平牙の犬族を急に憎むようになった。癒の平牙と梅華京の関係が悪くなったのはこの頃からだ。そんな父の影響を受けてか、梅華の住民たちはいつの間にか妖術と呼ばれる不思議な能力を身につけ、事あるごとに平牙の犬族と争うようになっていった。そしてイザヨイもまた、父から妖術を徹底的に教え込まれたのである。
変わってしまって以来、父はイザヨイにはまるで関心を示してくれなかった。それがある日突然、妖術を訓練しろというのである。イザヨイはそれを怪しく思ったが、父の希望に応えれば再び以前のように自分に振り向いてくれるのではないかと、妖術の訓練に励んだものだった。だがその願いは叶わなかった。
ある日父は告げた。「おまえは類稀なる妖術の才能を持っている。おまえが先頭に立ち、都の者たちを率いて平牙を攻め落とせ」と。かつての大好きだった父の面影はもうそこにはなかった。
(父は変わってしまった。一体どうして……)
思い悩むイザヨイ。たとえ父の言葉とは言え、その指示には従えない。理由もなく平牙を攻撃するなんて納得がいかなかった。
だからイザヨイは一人、梅華京を飛び出したのだ。
まずは事実を確かめるために平牙へ向かった。もちろん、そこで平牙を攻める理由などは見つからなかった。
次にこれからどうするべきなのかと思い悩んで、ふらりと平牙の神社に立ち寄り神主に相談した。すると、妖の類の噂が頻繁に立つ平牙ならではの答えが返って来た。すなわち、父は妖怪に取り憑かれしまったのではないかと。
豹変してしまった父。時折感じる禍々しい気。そして不気味な道具の数々。間違いない――イザヨイはそう考えた。
そこで神主に教えてもらった情報を頼りに平牙から北上。癒の最果ての地、先刃(サキバ)へ赴き、邪悪を祓うとされる聖水を手に入れた。これがあれば父は以前のように戻ってくれるかもしれない。そう信じてイザヨイは梅華京へと急いだ。コテツたちに出逢ったのはそんな帰り道のことだった。
「父は変わってしまった…。私は以前のように優しいお父様に戻ってもらいたいんです」
目に涙を浮かべながらイザヨイは言った。
「……なるほど。そういうことだったのね」
「もしかしたら、あの忍者はイザヨイを連れ戻すためにそのお父様が雇ったのかもしれないね」
「おそらくそうだと思います。私は手に入れたこの聖水で父に取り憑いた邪悪を追い出します。ですが、あの忍びたちはきっとまた私たちの邪魔をしにくるでしょう。ですから、また彼らが現れたときは…」
「おいらたちの出番ってわけだね!」
「ええ。どうかお願いします。それから、父を解放しても終わりではないでしょう。次はその邪悪をなんとかしなければなりません」
「そこでオイラの出番ってわけだ。さて、大蛇の次は一体何が出るか…」
「安心して。コテツはちょっと頼りないけど、いざとなったらあたいの魔法もあるからね」
「それは心強いです。私も微力ながら、父に教え込まれた妖術でお手伝いします。さあ、着きました。ここが私の家です」
目の前には例の忍び三人衆が報告に訪れていた屋敷がそびえ立っている。木製の大戸がコテツ一行を待ち構えていた。
現れた立派な屋敷を目にしてコテツもステイも驚きの声を上げた。入口だけを見ても、すでに逆牙羅の詰所よりもずっと大きい。対照的にシエラは落ち着いた様子で大戸を調べて、錠がかかっていることを知らせる。
屋敷の周囲は塀に囲まれていて、この大戸を抜ける以外に敷地内へ続く入口は見当たらない。
「さて、どうやって入る?」
「それなら心配には及びません。こうして私が合鍵を持っていますから」
イザヨイが懐から鍵を取り出して見せる。と、その刹那、目の前を何かが横切った。次の瞬間にはイザヨイの手から鍵は消えていた。
「邪魔立て無用、と言ったはずだが」
塀の上から声が聞こえて、誰も一斉にそこへ視線を向けた。例の忍者キカザルの姿がそこにあり、その手にはさっきまでイザヨイが持っていた鍵が抓まれている。
「出たな、黒頭巾め」
「我々の邪魔をするのはやめておけ。痛い目を見ることになるぞ」
「すでに一回襲ってきておいてよく言うぜ。その言葉、そっくりそのまま返してやる」
「残念だが我々はおまえたちと遊んでいる暇はない。イザヨイ嬢を連れ戻すことが最優先との命でな!」
キカザルが懐に手を忍ばせた。
(何か来る!)
警戒して塀の上の忍びに意識を集中させる。
すると突然、背後から煙幕が投げ込まれ視界を奪われてしまった。煙が晴れると既にキカザルの姿はなく、またイザヨイの姿も消えていた。陰に隠れていたミザルやイワザルの働きだろう。何かに敵の気を引き付けておいて、その隙を狙うのが忍びの常套手段。忍術と魔法は違う。
「やられた…! 鍵もイザヨイも奪われちまったぞ」
「ほら、間抜けな顔してないで早く! 行き先はわかってるんだから追うよ」
いつまでも塀の上を睨みつけているコテツにシエラが叫んだ。その姿はステイの背の上にある。いつでも飛び立てる状態だ。鍵など不要。大戸など通らなくてもこちらは空が飛べるではないか。
忍びといえど、魔法のように姿が消せるわけではない。まだ遠くには行っていないはずだ。
コテツが飛び乗るとすぐにステイは飛び上がった。
真上から屋敷を足下に見下ろす。暗くて様子がよくわからなかったが、コテツやシエラにはそんなものは関係ない。なぜなら彼らは夜目が利くからだ。
そしてシエラは塀の上を走る一人の影を見つけた。塀の上を走るような者など、猫でなければ奴ら忍びでしかない。
影は敷地内の隅にある蔵の中へと消えた。
「あそこに隠れたよ。急いで!」
言われて蔵の前にステイが降り立つ。そしてイザヨイを助け出さんと蔵の戸に手をかける。
鍵はかかっていなかった。蔵の中は、商人であるイザヨイの父が仕入れたものであろう、木箱や話に出てきた怪しい道具、妖怪を模った木彫りの像や装飾品のようなものが所狭しと並べられている。だが、蔵の中をいくら捜してもイザヨイの姿だけは確認することができなかった。
「いないね。たしかにここに入ったの?」
「そのはずだが……ま、まさか!」
慌てて外へ飛び出そうとコテツが走る。しかし、時既に遅し。蔵の戸は固く閉ざされびくともしない。
罠だった。忍びたちはまんまと邪魔なコテツたちだけを蔵に閉じ込めて、イザヨイを連れ去ったのだった。
「やられた…。くそッ、またしても!!」
怒りと悔しさの一閃を戸にいくらぶつけても、木刀ではその戸を斬り倒すことはできない。ステイの槍は突くことには優れていても斬ることには向いていない。そして、水気のない蔵の中ではシエラは水術を扱うことができない。
手詰まりだ。忍びたちのほうが一枚上手だったのだ。
コテツがいくら吠えても、彼らを助けに来るような仲間は他にはいない。
一方その頃、連れ去られたイザヨイは忍び三人衆に連れられ主の下へ。豹変してしまった父との皮肉な形での再会を果たすことになる…