Chapter13「湖のヌシ」
梅華京を発った一行は一路西へ。船の出る海の都、鳴都を目指して西梅原の平原を進んでいた。
少し行くと目の前を川が横切っている。ここの水は梅華京の北にある鉄(クロガネ)の山の麓にある梨子湖と、鳴都の北にある狩澄渡(カルスト)の山から流れてきたものが合流したものだ。
梨子湖は癒國で最大の湖としてよく知られており、一方の狩澄渡は太古の昔この癒の島に初めて文明が発生した地だと考えられている。
エルナトへ向かいステイに会う前に一度これらの場所を旅したことのあったコテツは自慢そうにその知識を仲間たちに披露するのだった。
「コテツさんは物知りなんですね」
感心した様子でイザヨイがそれに頷く。
「よせやぃ。そンな大したことじゃねぇよ。それにその呼び方はどうもむず痒いぜ。コテツで構わねえよ」
「そうだよ。わんこはただ褒められたいだけで、そのためならなんだってするんだよ。あ、おいらも呼び捨てでいいよ。うーん……呼びステイ!」
「どういう意味だ! 別にそンなのじゃねぇよ。知ってることを言って何が悪い!」
「じゃあ、あたいはこれからコテツのことゴマすりわんこって呼ぶね」
「そンなンじゃねぇ!!」
梨子湖は梅華京からすぐ北のほうにある。そのため梅華京の住民たちは昔からこの大きな湖には慣れ親しんできた。この湖にまつわる伝説や昔話も多く伝えられており、梅華京で生まれ育ったイザヨイもまたそれらについてよく知っている。
例えば、この癒のどの都よりも面積の大きい湖は大昔にこの島に落ちてきた隕石ができた大穴に雨水が溜まってできたという逸話がある。またその隕石を巡った伝説が伝えられており、その伝説には文明発祥の地と噂される狩澄渡も舞台として登場している。
そんなイザヨイの話す梨子湖にまつわる数々の物語に頷きながら一行は川を渡り切った。
「コテツなんかよりずっと詳しいよね、イザヨイのほうが」
「そ、そりゃそうだろ。オイラは梅華育ちじゃねぇンだから」
「あたいは隕石の話が面白いと思ったなー。まぁ、さすがにそんな大昔に魔法があったなんていうのはちょっと嘘っぽいけどね」
「私もデシグァンベルのお話は好きですね。本当かどうかはわかりませんけど、夢があっていいじゃないですか」
昔の人々もイザヨイたちと同じようにそういった物語を好み、そしてそういった逸話を語り伝えてきた。物語に登場するのは多くが今の癒の住民たちとは異なる種族のようだが、それでも考え方やものの感じ方は共通していたのだろう。そういうところに面白さを感じるとイザヨイは言った。
「なるほど、そいつは浪漫ってやつだな。オイラもきらいじゃないぜ、そういうの」
「ねぇ、イザヨイはどの話が好きなの?」
「私ですか? そうですね、私が好きなのは……」
伝えられる逸話は、やはり梨子湖を舞台にしたものが大部分を占めている。現在過去を問わず、この周辺に暮らす者たちは湖からもたらされる水や魚などの恵みを受けて生活してきた。それほど湖はここらの者にとっては馴染み深いものなのだろう。
湖にものを落とした若者が湖の精霊に会う話、一匹の白兎がサメを騙して湖を渡る話、伝説の龍神様が湖から現れる話。さまざまなものが伝えられる中でイザヨイが語ったのはこんな話だった。
ある肌寒い日の夕暮時、梨子湖に訪れた若者が小舟を出して釣りをしていると聞き慣れない音を耳にしたという。驚いて振り返ってみると、そこには首の長い見たこともない大きな生き物の姿があった。その姿は逆光で影になってはっきりとせず、目を疑った若者が目をこすった次の瞬間にはその姿を消していたそうだ。それは伝説の龍神様だとも、湖のヌシだとも言われたが、ついにその正体が明らかになることはなかった。
「その名も梨子湖のヌシ、ナッシーです。ホント昔のひとって面白いことを考えますよね!」
「お、おう。オイラはてっきり湖の妖精とか女神とかそういう感じの話が出てくるモンだと思ったが……まぁ、いいンじゃねぇか。別に他人の好みにケチつけたりはしねぇからよ…」
「ふーん。なんかどこかで聞いたような名前だね。晴れた日にソーラービームとか連発してきそう」
「いいじゃない。あたいはそういうのも好きだよ」
湖に潜む未知の生命体とは意外にもオカルト染みた話を持ち出す彼女だったが、その未確認生命体それ自体のことはむしろどうでもよく、重要なのはそんなにわかには信じ難いような話が今なお伝えられていることだとイザヨイは言った。
「そのお話が事実かどうかは私は重要じゃないんです。お話を通して昔のひとたちも私たちも繋がってる。そこに何かこう、夢のようなもの……そう、コテツさんの言うろまんを感じるんです」
ほとんどの者はそれが事実かどうかはあまり気にしていない。だが不思議な話には誰もが関心を持つものだ。だからこそ世界各地にはこういう類の言い伝えが数多く存在する。異なる種族が異なる大地に暮らしながら、そうした彼らはどこか似通った物語をそれぞれ語り継いでいる。暮らす環境や姿形が違っても、この世界に生きる者はみな同じなのだ。
「そういうのってろまんですよね」
「そういえばイザヨイは平牙のわんこと梅華の狐が争うのも反対してたもんね。今の話を聞いて、ちょっとなるほどって思った」
「種族や文化が違ってもわかりあえるってやつか。なるほど、そういうことなら納得だ」
こうした逸話や伝説から推測するに、たとえ姿が違っても考え方、感じ方は共通している。だからみんなは互いに理解し合うことができるはず。それがイザヨイの考え方だった。
一方ここには、そんなイザヨイとはまた別の角度でその逸話を見る者がいた。
「ねぇ、おいらたちでその湖のヌシを見つけようよ!」
やれやれ、また始まったとコテツはため息をついた。
「おめぇな…。さっきイザヨイが事実かどうかは重要じゃないって言ったばかりだろうが」
「でも、おいらにとってはそれが本当かどうかのほうが大事だもん」
「ただの伝説だろ。アッシーだかメッシーだか知らねぇが、それが簡単に見つかりゃ伝説になンかならねぇよ」
「じゃあ、それを最初に見つけたおいらたちは新しい伝説になれるよね!」
言ってステイは仲間たちの制止も聞かずに湖のほうへ、文字通り飛んで行ってしまった。言い出したら聞かないのがステイである。
また余計な問題を引き起こしてくれなければいいが、とコテツはさらに深くため息をつくばかりだった。
少し行くと目の前を川が横切っている。ここの水は梅華京の北にある鉄(クロガネ)の山の麓にある梨子湖と、鳴都の北にある狩澄渡(カルスト)の山から流れてきたものが合流したものだ。
梨子湖は癒國で最大の湖としてよく知られており、一方の狩澄渡は太古の昔この癒の島に初めて文明が発生した地だと考えられている。
エルナトへ向かいステイに会う前に一度これらの場所を旅したことのあったコテツは自慢そうにその知識を仲間たちに披露するのだった。
「コテツさんは物知りなんですね」
感心した様子でイザヨイがそれに頷く。
「よせやぃ。そンな大したことじゃねぇよ。それにその呼び方はどうもむず痒いぜ。コテツで構わねえよ」
「そうだよ。わんこはただ褒められたいだけで、そのためならなんだってするんだよ。あ、おいらも呼び捨てでいいよ。うーん……呼びステイ!」
「どういう意味だ! 別にそンなのじゃねぇよ。知ってることを言って何が悪い!」
「じゃあ、あたいはこれからコテツのことゴマすりわんこって呼ぶね」
「そンなンじゃねぇ!!」
梨子湖は梅華京からすぐ北のほうにある。そのため梅華京の住民たちは昔からこの大きな湖には慣れ親しんできた。この湖にまつわる伝説や昔話も多く伝えられており、梅華京で生まれ育ったイザヨイもまたそれらについてよく知っている。
例えば、この癒のどの都よりも面積の大きい湖は大昔にこの島に落ちてきた隕石ができた大穴に雨水が溜まってできたという逸話がある。またその隕石を巡った伝説が伝えられており、その伝説には文明発祥の地と噂される狩澄渡も舞台として登場している。
そんなイザヨイの話す梨子湖にまつわる数々の物語に頷きながら一行は川を渡り切った。
「コテツなんかよりずっと詳しいよね、イザヨイのほうが」
「そ、そりゃそうだろ。オイラは梅華育ちじゃねぇンだから」
「あたいは隕石の話が面白いと思ったなー。まぁ、さすがにそんな大昔に魔法があったなんていうのはちょっと嘘っぽいけどね」
「私もデシグァンベルのお話は好きですね。本当かどうかはわかりませんけど、夢があっていいじゃないですか」
昔の人々もイザヨイたちと同じようにそういった物語を好み、そしてそういった逸話を語り伝えてきた。物語に登場するのは多くが今の癒の住民たちとは異なる種族のようだが、それでも考え方やものの感じ方は共通していたのだろう。そういうところに面白さを感じるとイザヨイは言った。
「なるほど、そいつは浪漫ってやつだな。オイラもきらいじゃないぜ、そういうの」
「ねぇ、イザヨイはどの話が好きなの?」
「私ですか? そうですね、私が好きなのは……」
伝えられる逸話は、やはり梨子湖を舞台にしたものが大部分を占めている。現在過去を問わず、この周辺に暮らす者たちは湖からもたらされる水や魚などの恵みを受けて生活してきた。それほど湖はここらの者にとっては馴染み深いものなのだろう。
湖にものを落とした若者が湖の精霊に会う話、一匹の白兎がサメを騙して湖を渡る話、伝説の龍神様が湖から現れる話。さまざまなものが伝えられる中でイザヨイが語ったのはこんな話だった。
ある肌寒い日の夕暮時、梨子湖に訪れた若者が小舟を出して釣りをしていると聞き慣れない音を耳にしたという。驚いて振り返ってみると、そこには首の長い見たこともない大きな生き物の姿があった。その姿は逆光で影になってはっきりとせず、目を疑った若者が目をこすった次の瞬間にはその姿を消していたそうだ。それは伝説の龍神様だとも、湖のヌシだとも言われたが、ついにその正体が明らかになることはなかった。
「その名も梨子湖のヌシ、ナッシーです。ホント昔のひとって面白いことを考えますよね!」
「お、おう。オイラはてっきり湖の妖精とか女神とかそういう感じの話が出てくるモンだと思ったが……まぁ、いいンじゃねぇか。別に他人の好みにケチつけたりはしねぇからよ…」
「ふーん。なんかどこかで聞いたような名前だね。晴れた日にソーラービームとか連発してきそう」
「いいじゃない。あたいはそういうのも好きだよ」
湖に潜む未知の生命体とは意外にもオカルト染みた話を持ち出す彼女だったが、その未確認生命体それ自体のことはむしろどうでもよく、重要なのはそんなにわかには信じ難いような話が今なお伝えられていることだとイザヨイは言った。
「そのお話が事実かどうかは私は重要じゃないんです。お話を通して昔のひとたちも私たちも繋がってる。そこに何かこう、夢のようなもの……そう、コテツさんの言うろまんを感じるんです」
ほとんどの者はそれが事実かどうかはあまり気にしていない。だが不思議な話には誰もが関心を持つものだ。だからこそ世界各地にはこういう類の言い伝えが数多く存在する。異なる種族が異なる大地に暮らしながら、そうした彼らはどこか似通った物語をそれぞれ語り継いでいる。暮らす環境や姿形が違っても、この世界に生きる者はみな同じなのだ。
「そういうのってろまんですよね」
「そういえばイザヨイは平牙のわんこと梅華の狐が争うのも反対してたもんね。今の話を聞いて、ちょっとなるほどって思った」
「種族や文化が違ってもわかりあえるってやつか。なるほど、そういうことなら納得だ」
こうした逸話や伝説から推測するに、たとえ姿が違っても考え方、感じ方は共通している。だからみんなは互いに理解し合うことができるはず。それがイザヨイの考え方だった。
一方ここには、そんなイザヨイとはまた別の角度でその逸話を見る者がいた。
「ねぇ、おいらたちでその湖のヌシを見つけようよ!」
やれやれ、また始まったとコテツはため息をついた。
「おめぇな…。さっきイザヨイが事実かどうかは重要じゃないって言ったばかりだろうが」
「でも、おいらにとってはそれが本当かどうかのほうが大事だもん」
「ただの伝説だろ。アッシーだかメッシーだか知らねぇが、それが簡単に見つかりゃ伝説になンかならねぇよ」
「じゃあ、それを最初に見つけたおいらたちは新しい伝説になれるよね!」
言ってステイは仲間たちの制止も聞かずに湖のほうへ、文字通り飛んで行ってしまった。言い出したら聞かないのがステイである。
また余計な問題を引き起こしてくれなければいいが、とコテツはさらに深くため息をつくばかりだった。
飛び去ったステイを追いかけて辿り着いたのは梨子湖のほとり。
目の前に広がるのはまるで海を思わせるほどに大きな湖。あまりの広さに対岸はもやの向こうにクロガネの山々が薄らと見えるだけで、左右に長く見事な水平線が伸びている。
湖は水面に陽の光が反射してきらきらと輝いている。そんな中に小さなオレンジの点を見つけた。おそらくステイだろう。
「おーい。何やってンだ、さっさと戻ってこい! こンな広い湖中探してたら陽が暮れちまうぜぃ!」
しかし遠すぎて声が届かないのか、ステイはまるで戻ってくる気配はなく、それどころかもやの向こうに姿を消してしまった。
「あの馬鹿…。シエラ、おめぇ水使いだろ。なンとかならねぇのか?」
「ステイを湖に打ち落とせっていうなら問題ないけど、連れ戻せっていうのはちょっと難しいかな」
「しょうがねぇな…」
ステイは湖の向こう側へ消えてしまった。そこでコテツたちは湖の淵を廻り込んで対岸へと向かうことにした。
「白兎のお話みたいに親切なサメが橋になってくれたらいいのにね」
「冗談きついぜ。渡るどころか喰われちまうのがオチってモンさ」
「あら、私はサメともわかり合えると思いますよ。こんどサメの国にも似たようなお話がないか調べておきますね」
湖の南側には西梅原の平原が広がり、そこから反時計回りに行けばそこには黒い木々に覆われたクロガネの山々が湖の北から東側にかけて連なっている。一方時計回りに行き湖の西側から北の山の麓にかけては森が覆い茂っている。ステイはその森の中を低空飛行していた。
湖を探索していたとき、何か大きな影を森のほうで見かけたステイはその後を追ってこの森に入ったのだ。湖のヌシだからといって水中にいるとは限らない。もしかしたら何か大きな生き物が湖で水浴びをしていたのを見かけた者が勘違いして、それを湖のヌシのナッシーと呼んだのかもしれない。
「うーん。たしかに何かいたような気がしたんだけど…」
地面に降り立って周囲を見回す。と、背後の草むらががさがさと揺れた。
もしかして、と期待しながらそこを覘いてみると、そこからは頭からムサシの巻きシッポのような触角を生やした桃色の生き物が顔を出した。前脚は鰭のようになっていて後ろ脚はなく、尾はイルカのような形をしている。
「なんだ、メフィアか」
それはステイには馴染みのある生き物だった。
思い出してほしい、ステイがコテツと出逢うことになった経緯を。あのときステイが見つけたのもこれと同じ生き物メフィアだった。
「おいら、メフィアにはあまりいい思い出がないんだよねぇ」
このメフィアという生き物は、どんこに異常なほどに好かれている。そのため、メフィアを狙ったどんこにステイは襲われたことがあった。そのおかげでコテツと出逢ったとも言えるのだが。
でも探している湖のヌシはこれじゃない。イザヨイに聞かされた話によれば、それは首が長くて大きなもののはず。メフィアはせいぜい両手に収まる程度の大きさしかない。
そんなメフィアには目もくれず、ステイはさらに森の奥へと進んでいく。しばらく行くと視界が開けて広い空間に出た。目の前に広がるのは砂浜……いや、砂浜というには広大すぎる。まるで砂漠のように砂の大地が広がっている。
梨子湖北西に広がるここは硝子砂丘。透き通った白い石と岩が一面に広がる他には何もない場所だ。
このあたりには平牙や梅華京のような都もなく、住む者もいない。
だがステイはこう考えた。湖のヌシは誰も見つけられなかった未知の生き物。それならば、こういう誰も近づかないような場所に潜んでいるのはないか、と。
再び上空に飛び上がり、高い位置から砂丘一面を見渡してみる。砂丘の向こうには海や煙を噴き上げる赤い山が見えたが、付近にステイが期待するような生き物は見当たらない。それどころか、砂丘には生き物の姿は何ひとつ見つけられなかった。
やはり湖のヌシは湖にいるのだろうか。でもそれならもうとっくに誰かが見つけているはず、とステイは砂丘の探索を続けるのだった。
目の前に広がるのはまるで海を思わせるほどに大きな湖。あまりの広さに対岸はもやの向こうにクロガネの山々が薄らと見えるだけで、左右に長く見事な水平線が伸びている。
湖は水面に陽の光が反射してきらきらと輝いている。そんな中に小さなオレンジの点を見つけた。おそらくステイだろう。
「おーい。何やってンだ、さっさと戻ってこい! こンな広い湖中探してたら陽が暮れちまうぜぃ!」
しかし遠すぎて声が届かないのか、ステイはまるで戻ってくる気配はなく、それどころかもやの向こうに姿を消してしまった。
「あの馬鹿…。シエラ、おめぇ水使いだろ。なンとかならねぇのか?」
「ステイを湖に打ち落とせっていうなら問題ないけど、連れ戻せっていうのはちょっと難しいかな」
「しょうがねぇな…」
ステイは湖の向こう側へ消えてしまった。そこでコテツたちは湖の淵を廻り込んで対岸へと向かうことにした。
「白兎のお話みたいに親切なサメが橋になってくれたらいいのにね」
「冗談きついぜ。渡るどころか喰われちまうのがオチってモンさ」
「あら、私はサメともわかり合えると思いますよ。こんどサメの国にも似たようなお話がないか調べておきますね」
湖の南側には西梅原の平原が広がり、そこから反時計回りに行けばそこには黒い木々に覆われたクロガネの山々が湖の北から東側にかけて連なっている。一方時計回りに行き湖の西側から北の山の麓にかけては森が覆い茂っている。ステイはその森の中を低空飛行していた。
湖を探索していたとき、何か大きな影を森のほうで見かけたステイはその後を追ってこの森に入ったのだ。湖のヌシだからといって水中にいるとは限らない。もしかしたら何か大きな生き物が湖で水浴びをしていたのを見かけた者が勘違いして、それを湖のヌシのナッシーと呼んだのかもしれない。
「うーん。たしかに何かいたような気がしたんだけど…」
地面に降り立って周囲を見回す。と、背後の草むらががさがさと揺れた。
もしかして、と期待しながらそこを覘いてみると、そこからは頭からムサシの巻きシッポのような触角を生やした桃色の生き物が顔を出した。前脚は鰭のようになっていて後ろ脚はなく、尾はイルカのような形をしている。
「なんだ、メフィアか」
それはステイには馴染みのある生き物だった。
思い出してほしい、ステイがコテツと出逢うことになった経緯を。あのときステイが見つけたのもこれと同じ生き物メフィアだった。
「おいら、メフィアにはあまりいい思い出がないんだよねぇ」
このメフィアという生き物は、どんこに異常なほどに好かれている。そのため、メフィアを狙ったどんこにステイは襲われたことがあった。そのおかげでコテツと出逢ったとも言えるのだが。
でも探している湖のヌシはこれじゃない。イザヨイに聞かされた話によれば、それは首が長くて大きなもののはず。メフィアはせいぜい両手に収まる程度の大きさしかない。
そんなメフィアには目もくれず、ステイはさらに森の奥へと進んでいく。しばらく行くと視界が開けて広い空間に出た。目の前に広がるのは砂浜……いや、砂浜というには広大すぎる。まるで砂漠のように砂の大地が広がっている。
梨子湖北西に広がるここは硝子砂丘。透き通った白い石と岩が一面に広がる他には何もない場所だ。
このあたりには平牙や梅華京のような都もなく、住む者もいない。
だがステイはこう考えた。湖のヌシは誰も見つけられなかった未知の生き物。それならば、こういう誰も近づかないような場所に潜んでいるのはないか、と。
再び上空に飛び上がり、高い位置から砂丘一面を見渡してみる。砂丘の向こうには海や煙を噴き上げる赤い山が見えたが、付近にステイが期待するような生き物は見当たらない。それどころか、砂丘には生き物の姿は何ひとつ見つけられなかった。
やはり湖のヌシは湖にいるのだろうか。でもそれならもうとっくに誰かが見つけているはず、とステイは砂丘の探索を続けるのだった。
海の向こうに陽が沈み始めて水面を茜色に染める。
砂丘の透き通った白い砂もその陽の光を受けて、ステイの鱗と同じ橙色に輝き始めた。
そんな砂丘にステイはとうとう動くものを見つけた。「やった、ついに見つけたんだ!」とステイは喜んで飛び込んでいったが、それはやはりステイが期待するようなものではなかった。
「や、やっと見つけたぜぃ…。おめぇ、いい加減にしろよ…。けっきょく本当に陽が暮れちまったじゃねぇか」
くたびれた様子でコテツが言った。
「なーんだ、コテツかぁ」
「なンだじゃねぇよ。オイラたちがどれだけおめぇを探したと思って……まさかこんなところまで来てやがったとは。せめて湖にいてくれよ…。こンな砂だらけのところに湖のヌシがいるかってンだ」
「わからないよ! 湖のヌシは未知の生物だもん、常識は通用しないよ。ってことでもしかしたらって期待してたんだけど」
「おめぇ一体ここに何を期待したンだよ…」
「もしかしたらサンドワームとかいるかと思って。湖のヌシの正体は実はなんとサンドワームだった! ほら、これってすっごく意外でしょ」
「サンドワームが湖で泳ぐわけねぇだろ!!」
まだ探し足りないと駄々をこねるステイをなんとか説得して、コテツはステイを引きずりながら湖のほとりへと戻った。
手分けしてステイを探していたシエラやイザヨイとここで合流することになっている。
コテツが湖のほとりへと戻ると二人は先に戻っており、湖から見える夕陽を眺めながら優雅なひとときを送っていた。
「あ、コテツお帰り。きっと連れて帰ってくると信じてたよ」
「お疲れ様、コテツさん。あ、梅華京名物の梅茶があるんですけど、お二人も飲みます?」
シエラが尾を一振りすると、地面から小さな水柱が湧き上がってふたつの椅子の形になった。シエラやイザヨイが腰かけているウォーターチェアと同じものだ。椅子は湖の岸に並んで四つ、夕陽を正面に眺められる絶景ポイントをしっかりと押さえている。
「ちょっと待て。おめぇら、いつからくつろいでやがったンだ…」
「まあまあ。ステイも見つかったんだし、細かいことは構いっこなしよ。水でできてるけどしっかり座れるから安心して」
「疲れには糖分が効きますよ。お砂糖いくつ入れます?」
「じゃあ、おいらふたつね」
「……もう勝手にしやがれ」
イザヨイの淹れた梅茶を嗜みながら、夕陽に染まる湖と茜色の空を楽しむ優雅なひととき。
美しく鮮やかな景色と、甘酸っぱい梅の香りは旅の疲れを癒してくれる。
ふて腐れていたコテツも少しは落ち着いたようで、最初とはまた違った意味のため息を漏らした。たまにはこういうのも悪くない。
夕陽を受けて湖面は赤く染まりきらきらと輝いている。そしてその中央には首をもたげた黒い影。赤と黒の対比が景色に美しく映えている。
「いいねぇ……風流じゃねぇか。っておい、あれ…!」
まるで首長竜のような姿。それはまさしく伝説の湖のヌシ、ナッシーそのものだ。
「ほら、やっぱりナッシーはいたんだ!」
喜びのあまりステイが立ち上がった。
ナッシーはそのままゆっくりとこちらへ近づいてくる。夕陽を背にしているため、その姿は影になってはっきりとしない。
「うそ…! まさか本当にいるなんて!?」
「すごいじゃん! あたいたち伝説の発見者になっちゃうわけ?」
長い首、大きな背中。その影が近づいてくるにつれて、波をかき分ける大きな鰭も見えた。
さらに、どうやら伝説の湖のヌシには頭から大きなツノのようなものも生えているらしく、それはずいぶん大きく育って正面に垂れ下がって風に揺れている。
「ン…? ちょっと待てよ。あれ、どっかで見たことあるような…」
コテツが目を細めた。
それと時を同じくして、彼らの背後の草むらが揺れると、そこから数匹のメフィアが飛び出した。
メフィアはコテツたちの脇を抜けると一目散に湖に飛び込む。その後を追って、数匹のどんこが飛び出してきた。
「メフィア!」「メフィアメフィア!」
どんこはメフィアを異常なまでに好む習性を持つ。いや、より正確に言うのであれば、どんこという生き物が好むのはメフィアの渦を巻いた触覚だ。
なぜかはわからないが、どんこたちはそれを狙ってメフィアに襲いかかる。そしてその触覚をはぎ取ると棲みかへと持ち帰り、その触覚を崇め始めるのだという。我々には理解できないが、それがどんこという種族だ。
どんこたちはメフィアを追って湖に飛び込んだ。するとそのとき、湖のヌシは大きく鳴き声を上げると、垂れ下がった巨大なそれを振り回してどんこたちに襲いかかる。その渦巻いた先端がどんこたちをなぎ払い、驚いたどんこたちは何やら叫びながら森の中へと逃げていった。
追われていたメフィアたちは怯えて湖のヌシの下へと集まっていたが、ようやく安心した様子で湖の中へと潜って姿を消した。
「そうだ。やはりこいつは…」
コテツが湖のヌシを見上げる。
ヌシの頭から垂れているそれは、メフィアの頭から生えている触覚に酷似している。
「お母さん……なのね」
イザヨイがヌシを見て呟いた。
夕陽で赤く染まってわかりにくかったが、ヌシは夕陽に染まったメフィアと同じ色をしていた。
そう、湖のヌシだと思っていたそれの正体はメフィアの成体だったのだ。
メフィアの触角は切り取られてもまた再生するが、どんこに触覚を奪われたメフィアは大抵はストレスで死んでしまう。しかし、そんな過酷な環境を生き抜いて立派に成長したメフィアの姿。それが目の前にいるこの首長竜に似た生き物なのだ。
「なーんだ。湖のヌシの正体は大きなメフィアだったんだね…」
がっかりした様子でこんどはステイがため息をついた。
「いいじゃないですか。ここまで大きくなったメフィアだって相当珍しいんだから。これだって自慢になりますよ」
「どうせこンなことだろうと思ったぜぃ。ま、伝説なンてだいたいそういうモンさ」
幽霊、妖怪、化け物。そういう類のものは大半が見間違いや勘違いである。
本物はわずか一握り程度。未確認生命体は見つからないからこそ未確認なのだ。
「ま、あたいはメタディアも十分UMAな存在だと思うけどね…」
砂丘の透き通った白い砂もその陽の光を受けて、ステイの鱗と同じ橙色に輝き始めた。
そんな砂丘にステイはとうとう動くものを見つけた。「やった、ついに見つけたんだ!」とステイは喜んで飛び込んでいったが、それはやはりステイが期待するようなものではなかった。
「や、やっと見つけたぜぃ…。おめぇ、いい加減にしろよ…。けっきょく本当に陽が暮れちまったじゃねぇか」
くたびれた様子でコテツが言った。
「なーんだ、コテツかぁ」
「なンだじゃねぇよ。オイラたちがどれだけおめぇを探したと思って……まさかこんなところまで来てやがったとは。せめて湖にいてくれよ…。こンな砂だらけのところに湖のヌシがいるかってンだ」
「わからないよ! 湖のヌシは未知の生物だもん、常識は通用しないよ。ってことでもしかしたらって期待してたんだけど」
「おめぇ一体ここに何を期待したンだよ…」
「もしかしたらサンドワームとかいるかと思って。湖のヌシの正体は実はなんとサンドワームだった! ほら、これってすっごく意外でしょ」
「サンドワームが湖で泳ぐわけねぇだろ!!」
まだ探し足りないと駄々をこねるステイをなんとか説得して、コテツはステイを引きずりながら湖のほとりへと戻った。
手分けしてステイを探していたシエラやイザヨイとここで合流することになっている。
コテツが湖のほとりへと戻ると二人は先に戻っており、湖から見える夕陽を眺めながら優雅なひとときを送っていた。
「あ、コテツお帰り。きっと連れて帰ってくると信じてたよ」
「お疲れ様、コテツさん。あ、梅華京名物の梅茶があるんですけど、お二人も飲みます?」
シエラが尾を一振りすると、地面から小さな水柱が湧き上がってふたつの椅子の形になった。シエラやイザヨイが腰かけているウォーターチェアと同じものだ。椅子は湖の岸に並んで四つ、夕陽を正面に眺められる絶景ポイントをしっかりと押さえている。
「ちょっと待て。おめぇら、いつからくつろいでやがったンだ…」
「まあまあ。ステイも見つかったんだし、細かいことは構いっこなしよ。水でできてるけどしっかり座れるから安心して」
「疲れには糖分が効きますよ。お砂糖いくつ入れます?」
「じゃあ、おいらふたつね」
「……もう勝手にしやがれ」
イザヨイの淹れた梅茶を嗜みながら、夕陽に染まる湖と茜色の空を楽しむ優雅なひととき。
美しく鮮やかな景色と、甘酸っぱい梅の香りは旅の疲れを癒してくれる。
ふて腐れていたコテツも少しは落ち着いたようで、最初とはまた違った意味のため息を漏らした。たまにはこういうのも悪くない。
夕陽を受けて湖面は赤く染まりきらきらと輝いている。そしてその中央には首をもたげた黒い影。赤と黒の対比が景色に美しく映えている。
「いいねぇ……風流じゃねぇか。っておい、あれ…!」
まるで首長竜のような姿。それはまさしく伝説の湖のヌシ、ナッシーそのものだ。
「ほら、やっぱりナッシーはいたんだ!」
喜びのあまりステイが立ち上がった。
ナッシーはそのままゆっくりとこちらへ近づいてくる。夕陽を背にしているため、その姿は影になってはっきりとしない。
「うそ…! まさか本当にいるなんて!?」
「すごいじゃん! あたいたち伝説の発見者になっちゃうわけ?」
長い首、大きな背中。その影が近づいてくるにつれて、波をかき分ける大きな鰭も見えた。
さらに、どうやら伝説の湖のヌシには頭から大きなツノのようなものも生えているらしく、それはずいぶん大きく育って正面に垂れ下がって風に揺れている。
「ン…? ちょっと待てよ。あれ、どっかで見たことあるような…」
コテツが目を細めた。
それと時を同じくして、彼らの背後の草むらが揺れると、そこから数匹のメフィアが飛び出した。
メフィアはコテツたちの脇を抜けると一目散に湖に飛び込む。その後を追って、数匹のどんこが飛び出してきた。
「メフィア!」「メフィアメフィア!」
どんこはメフィアを異常なまでに好む習性を持つ。いや、より正確に言うのであれば、どんこという生き物が好むのはメフィアの渦を巻いた触覚だ。
なぜかはわからないが、どんこたちはそれを狙ってメフィアに襲いかかる。そしてその触覚をはぎ取ると棲みかへと持ち帰り、その触覚を崇め始めるのだという。我々には理解できないが、それがどんこという種族だ。
どんこたちはメフィアを追って湖に飛び込んだ。するとそのとき、湖のヌシは大きく鳴き声を上げると、垂れ下がった巨大なそれを振り回してどんこたちに襲いかかる。その渦巻いた先端がどんこたちをなぎ払い、驚いたどんこたちは何やら叫びながら森の中へと逃げていった。
追われていたメフィアたちは怯えて湖のヌシの下へと集まっていたが、ようやく安心した様子で湖の中へと潜って姿を消した。
「そうだ。やはりこいつは…」
コテツが湖のヌシを見上げる。
ヌシの頭から垂れているそれは、メフィアの頭から生えている触覚に酷似している。
「お母さん……なのね」
イザヨイがヌシを見て呟いた。
夕陽で赤く染まってわかりにくかったが、ヌシは夕陽に染まったメフィアと同じ色をしていた。
そう、湖のヌシだと思っていたそれの正体はメフィアの成体だったのだ。
メフィアの触角は切り取られてもまた再生するが、どんこに触覚を奪われたメフィアは大抵はストレスで死んでしまう。しかし、そんな過酷な環境を生き抜いて立派に成長したメフィアの姿。それが目の前にいるこの首長竜に似た生き物なのだ。
「なーんだ。湖のヌシの正体は大きなメフィアだったんだね…」
がっかりした様子でこんどはステイがため息をついた。
「いいじゃないですか。ここまで大きくなったメフィアだって相当珍しいんだから。これだって自慢になりますよ」
「どうせこンなことだろうと思ったぜぃ。ま、伝説なンてだいたいそういうモンさ」
幽霊、妖怪、化け物。そういう類のものは大半が見間違いや勘違いである。
本物はわずか一握り程度。未確認生命体は見つからないからこそ未確認なのだ。
「ま、あたいはメタディアも十分UMAな存在だと思うけどね…」
一行はそのまま湖のほとりで夜を明かした。
梨子湖を越えれば鳴都はもうすぐそこだ。昼過ぎには到着するだろう、と一行は湖を発った。
こうなったら次は海のヌシを見つけてやる、と息巻くステイにコテツはまたため息を漏らす。
そんな彼らを本物の湖のヌシがこっそり見送っていたが、誰もそれに気付くことはなかった。
梨子湖を越えれば鳴都はもうすぐそこだ。昼過ぎには到着するだろう、と一行は湖を発った。
こうなったら次は海のヌシを見つけてやる、と息巻くステイにコテツはまたため息を漏らす。
そんな彼らを本物の湖のヌシがこっそり見送っていたが、誰もそれに気付くことはなかった。