まだ夜明け前の真っ暗な頃だった。
空を引き裂いて、雲を突き破り、真っ赤な炎を纏った黒い塊が静寂の中に飛び込んでくる。
そんな光景を、空に浮かぶ浮島から一匹の仔竜がぼんやりと眺めていた。
「ねぇ、おかあさん。おそらがもえてるよ」
隣に眠る母親の竜に自分の見つけた珍しい光景を教えようとするが、「寝惚けたこと言ってないで寝てなさい」と寝返りをうって顔を背けられてしまった。
「でも、ほら。あんなにあかくておっきくて……それにどんどんおおきくなってるの」
すでに母竜は寝息を立てている。
「ねえ! こっちにくるよ。燃える石がくるよ。こっちに……!」
隕石は激しく燃えながら竜たちのいる浮島のほうへと飛来してくる。
仔竜は目を大きく見開いた。
次の瞬間には、隕石は浮島を貫通し粉々に砕いてしまっていた。
空を引き裂いて、雲を突き破り、真っ赤な炎を纏った黒い塊が静寂の中に飛び込んでくる。
そんな光景を、空に浮かぶ浮島から一匹の仔竜がぼんやりと眺めていた。
「ねぇ、おかあさん。おそらがもえてるよ」
隣に眠る母親の竜に自分の見つけた珍しい光景を教えようとするが、「寝惚けたこと言ってないで寝てなさい」と寝返りをうって顔を背けられてしまった。
「でも、ほら。あんなにあかくておっきくて……それにどんどんおおきくなってるの」
すでに母竜は寝息を立てている。
「ねえ! こっちにくるよ。燃える石がくるよ。こっちに……!」
隕石は激しく燃えながら竜たちのいる浮島のほうへと飛来してくる。
仔竜は目を大きく見開いた。
次の瞬間には、隕石は浮島を貫通し粉々に砕いてしまっていた。
Black Drop
一番星「すべての始まり」
山の向こうに隕石が落ちた。村はその話で持ち切りだった。
ここはとある島の南西部に位置する台地。その小高い丘の上には小さな村がある。その名をカルスト台地にあることから、そのままカルスト村という。
隕石が墜落した衝撃で木々はなぎ倒され村の家がいくつも倒壊したが、幸い犠牲者は出なかった。
世は狩猟時代。村の者の多くが野で獣や鳥を狩り、海で魚を捕らえて、自然と共に暮らしている。自然は畏怖の対象であり、また人々は自然に感謝して生きてきた。自然が荒れ果ててしまっては彼らも生きていけないからだ。
そしてカルスト村の長老が一人の男にこう命じた。
「落ちた隕石を探して大地に悪い影響を与えていないか調査するのだ」
隕石が落ちてからまだ半日しか経っていなかったが、すでに山が真っ黒に染まっていただとか、突然凶暴になった黒い獣に襲われたとか、見たことのない生き物に遭遇したなんて噂が広まっている。
さらに村の呪術師は『星の海よりこぼれ落ちた黒き雫が世界に災いを呼び起こす』なんて予言まで導き出してしまったからこれは大変だ。
この調査には危険が伴うかもしれない。そこで選ばれた一人の男というのが……そう、この俺。名は古井戸のそばに家があることから、そのままフルイドと呼ばれている。自慢じゃないが村で一番の実力を持つ狩人だ。
隕石を見たという者の話によると、それは村の東に広がる大砂丘のほうへ落ちていったらしい。
だからさっそく村を発ってからこうして俺はずっと砂だらけの道なき道を歩いているわけだが、
「だあぁ、無茶言うぜ! こんな広い砂丘で空から落ちてきた石ころひとつ探して来いって? おまえには実力があるからたぶんきっとおそらく大丈夫? 冗談にも程があるだろ、まったくよォ」
すでに3日は歩いている。水も食料も底をついてきた。こんなことならもっと持ってくるべきだったな。
ここは一度村に戻るべきなのだろうが、うっかり方位磁石を砂蟲に喰われてしまったので方角を見失っていた。
そう、この砂丘は砂蟲――サンドワームが湧いて出るのだ。
ここの砂は石英を主成分にしているとかで白く透き通っていて硝子砂丘なんて呼ばれることもあるが、その砂の中をときどきミミズのようなイモムシのような、蒼くてブヨブヨした気味の悪い生き物が蠢くのが見える。それが砂蟲だ。
やつらも砂が透き通っていて地上が見えるのをいいことに、砂丘を渡る動物の生き血を糧にして生きている。もちろん人間の血だって吸う。
砂蟲はネズミ程度の大きさで攻撃的、群れで飛び掛って襲ってくるが目は退化しており、砂の上に獲物がいるかいないか程度の判断しかできない。しかし嗅覚は敏感で、意外と正確な狙いをつけて飛び込んでくるので厄介だ。
並みの狩人ならすでに血を吸い尽くされてミイラになっているんだろうが、まあ俺ほどの実力にもなれば飛び掛ってくる砂蟲を小刀で叩き落とす程度はなんてことはない。
なんてことはない……のだが、さすがに数が多すぎるしキリがない。足を何ヶ所か齧られてしまってヒリヒリする。
「あー、やだやだ。さっさと石見つけて帰りたいなぁ。っと、その前に水と食料だ。これじゃほんとにミイラになっちまう」
人間ってのはしぶとい生き物で、住みやすい平地はもちろん、うちの村みたいな辺境や山奥でも、果ては酷寒の地や砂漠にさえ適応して住み着いてしまうもんだと聞いたことがある。そういえば、この大砂丘にも集落があるとか長老から聞かされたことがあったっけ。そこにたどり着けさえすれば、たぶん水と食料ぐらいはわけてもらえるはずだ。そう考えて目を凝らして周囲を見回すのだが、砂塵が舞っていてどうも視界はあまりよくなかった。
砂が目に入って痛い。口の中がじゃりじゃりする。それになんだか耳鳴りもするし、歩き続けて足が痛いし、それから腹が減って辛い。あと喉がカラカラだ。はぁ、砂蟲って食えるのかなぁ……なんて一瞬思ってしまったぐらいだから、これはけっこう重症みたいだ。
それからさまようこと小一時間。かすかに何かの声のようなものが聞こえてきた。
最初は獣の鳴き声かとも思ったが、言葉のようにも聞き取れる。これは耳鳴りじゃない。
「やった、誰かいるぞ。水と食料を……もしわけてもらえなくても、道ぐらいは教えてくれるよな」
俺は足が痛いのも忘れて声の聞こえるほうへと駆けていった。
しかし期待はやがて驚きに変わった。そこには見たことのない生き物が二匹いたのだ。大きいのが横たわっていて、小さいのがなにやら声を上げている。
「う…あぁ……うぁ……うう……うあぁん…」
「ゲッ、なにこれ人じゃない!? もしかしてこれが噂のアレか!」
緑色で鱗があって、長い尾に鋭い鉤爪。それから角もあって、いかにも爬虫類的な特徴を持ち合わせている。大きさは仔犬程度。ちょっとでかいトカゲってところか。でもこんな鳴き声のトカゲなんていただろうか。まぁ俺はトカゲの鳴き声なんて知らないんだが。もしかして新種か。歴史的発見? 俺、有名になっちゃう?
さて、それからこっち大きいほうは……死んでるようだ。その証拠に砂蟲が見向きもしていない。小さいほうは、たぶんこいつの子どもかなんかだろう。なるほど、親に死なれてパニックでも起こしてるって感じか。まあそりゃあな、獣にゃ死なんて理解できんわなぁ。それより腹が減って俺も死にそうだ。ええと、トカゲって食えるんだっけ……
なんてことを考えながら、害はなさそうだと判断してぼんやり眺めていたが、小さくて羽の生えたトカゲはまだ泣いていた。ん、羽がある……?
「うぁ……あぁ… おか…あ…さん……おねがい……めをあけて…」
オカアサンメヲアケテ。そんなふうに聞こえた。ますます変な鳴き声だな。
少し間をおいて、ようやくそれが「お母さん目を開けて」だと理解した。
「な……何ィ! しゃべるトカゲっ!?」
あまりの空腹に頭がおかしくなってしまったか。それとも砂蟲から変な病気でももらってしまったのか。
すかさず右手の指をすっと立ててピースサインをつくる。さて、こいつが何本に見える。さん……いや、二本…だ。よかった、俺は正気だ。たぶんな。
あるいは耳鳴りでそう聞こえただけなのかもしれない。ああ、そうだ。そうに違いない。
そこで俺はしゃべるトカゲに声をかけて確かめてみることにした。……えっ、トカゲに声をかけるだって? ああ、やっぱ俺は正気じゃないかもしれない。
「えぇっとだな。おまえはその、何だ? こんなところで何してるんだ」
俺こそ何してるんだろ。
しゃべるトカゲはようやく俺に気づいたらしく、驚くでも怖がるでもなく純粋な目でじっとこちらを見つめた。ルビーのように紅く透き通った瞳がとてもきれいだ。トカゲのくせに。
「あれ……見たことないイキモノがいる」
そうトカゲは返事した。見たことないイキモノだと。そりゃおまえのほうだ。しかし、どうやら言葉は通じるらしい。
キョトンとした無垢な表情でそいつは答えた。
「何かって? 何っていわれても、みーぎゃはみーぎゃだよ」
「……なるほど、わからん。それは名前なのか」
「みーぎゃはみーぎゃなの」
「話にならんな」
「ここはどこ? 空からきた燃える石にぶつかってボクたち島からおちたの。空の下がこんなだったなんてしらなかった」
未知との遭遇。燃える石ってあの隕石のことだろうか。隕石と一緒に降ってきたってそれ宇宙人……いや宇宙トカゲ?
宇宙からやってきた生物となれば、地上の生態系に悪影響を起こすかもしれない。それに未知のウイルスか何かを運んできた可能性もある。長老の意向に従うなら、どうやら俺はこいつをなんとかしなければならないようだ。
懐の小刀を気づかれないようにグッと握り締めた。鱗があろうが腹部は柔らかいはず。喉に突き立ててやれば簡単に仕留められるだろうさ。
幸いやつはこちらの敵意に気付いていない。ただ首を傾げながら、潤んだ紅い瞳でじっとこちらを、純粋な表情で見つめて――
「あぁ……! だめだ、俺にはできないッ……!!」
がくりと膝をついて、手からは小刀が滑り落ちた。
くッそぉ、トカゲとはいえ言葉が通じて、しかもこんな幼くて可愛らしい目をしやがって。そんなの俺に殺せるわけがないじゃないか。残酷か。運命が残酷か。いいや、ひどいのはこれを命じた長老だ(ということにしておこう)
「ま、まぁ、こんな砂丘のド真ん中にいれば俺がやらなくてもじきにくたばるさ…。さてと、俺もくたばる前に行かなきゃ……」
自分にそう言い訳しながら引き返そうとすると、
「んっ」
片足がまるでツタか何かに絡まったかのように強く引っ張られるのを感じた。
こんな砂丘のド真ん中にそんなものあっただろうか。いや、あるわけないよな。と足元を見ると、なんと気味の悪い黒い触手が何本も脚に絡み付いている。そして地鳴りがしたかと思うと足がどんどん地面に沈み込んでいくではないか。
流砂……いや、違う。これは、
『ピぎゃァァアアァッ!!』
「ゲェ! 砂蟲!!」
沈み込んでいるのはない、足が呑まれているのだ。
砂の中から飛び出したのは巨大な黒い砂蟲だった。通常固体の10倍の大きさ……どころの話じゃない。このサイズ、人間どころか熊とかでもひと呑みにしてしまうんじゃないか。そう思ってしまうほど大きな砂蟲が姿を現したのだ。
例えるならば、人食い大蛇を黒くぶよぶよにして、気味の悪い触手とかなんやらをこれでもかというぐらい生やしたグロテスクな生き物だと思ってもらえればいい。そいつに今喰われそうになっているこの状況を、あえてわかりやすく一言でいうなら、そう。死ぬわこれ。
とにかくまずいことになった。こいつめ、俺を丸呑みにして一滴残らず血を吸い尽くしてしまうつもりだな。そして搾りカスを、もう味がしなくなったガムみたいに吐いて捨てるに違いない。ちくしょう、なんてマナーのなってないやつなんだ。許せん。
だがここで慌ててはいけない。そう、俺は村一番の狩人なのだ。砂蟲の対処法ぐらいよォーく心得ているのだぞ。
砂蟲は煙を嫌う性質がある。こんなこともあろうかと、獣のフンを材料に作った発炎筒を用意してきているのだ。
「これでも食らえ! 化け物め」
懐から発炎筒を取り出して頭上に掲げる。そして、おもむろに火を……火を……。火…………あっ。
「な、なんてこった! 火打石はあっても、火種を起こす干草がないじゃないか!(※マッチやライターのない時代です)」
よりによって、こんな砂丘のド真ん中で。そもそものんきに火なんて起こしてる場合か。
バンジー急須……いや、万事休す。残念、俺の冒険はここで終わってしまうのか。今まで応援ありがとうございました。古井戸先生の次回作にご期待ください、ああチクショウ。
黒い砂蟲はもう両足を呑み込んで、腰のあたりまで迫ってきていた。
あぁ、こんなに黒くて硬くて太い砂蟲だけど、中はぶよぶよしてて脈打っててほんのり温かい。おいやめろ、こんなところでそんな。ホラ、そこの緑のちびすけが見てるだろ、トカゲだけど。それを子どもの前でそんなアッ――
薄れ行く意識の中でどこかで見たような光景が次々と浮かんでは流れていった。
村の景色。狩人仲間たちの顔ぶれ。ちょっと気になってるあの娘の姿とか。それから長ろ……てンめー長老! 俺をよくもこんな目に遭わせやがって。絶対に化けて出てやる。そして毎晩枕元に立ってやるからな、覚悟しとけ。それから仲間たちに見送られて村を旅立ったあのときのこと。ずいぶん昔のことのようだが、これはつい3日前のことだ。そのあとこの砂丘で迷ってヘンな生き物を見つけて……あッ、しゃべるトカゲめ。さっき会ったばかりなのに、もう走馬灯に出てきやがった。
おぼろげな記憶の中のしゃべるトカゲは輝いて見えた。何か翠色のオーラのようなものを纏っているように見える。
「最期に見るものが、まさかおまえの姿だったなんてな…。どうやら俺もここまでのようだ。おい、ちびすけ。この際おまえでもいいから言い遺させてくれ。俺のぶんまで強く生きろ……じゃあな…」
よし、覚悟は決まった。最期もかっこよく決まった。心の中でガッツポーズも決まった。これでもう思い残すことはない。
視界が眩しい光に包まれていく。これが噂に聞くお迎えというやつだろうか。もう何も見えない。
そして背後から断末魔の叫びが聞こえてきた。今際の叫びってやつかな。あれ、でも俺ってこんな変な声してたっけ。
何かがおかしいと感じて、いつの間にか閉じていたらしい目を開けると、俺の身体は黒い砂蟲に喰われてなどなく、なぜかツタに巻きつかれて逆さ吊りになっていた。
そして視線のすぐ先には、
「あっ」
黒砂蟲が砂地から突き出た尖った岩に貫かれているではないか。断末魔の声を上げたのは砂蟲のほうだった。
そしてその岩のすぐそばには例のちびすけがたたずんでいる。それも翠の光を放ちながら。夢だけど、夢じゃなかった。
ちびすけが一息つくと、すうっとその光は消えて、砂蟲を貫いていた岩も俺を吊るし上げていたツタも同時に消えてしまった。
どさりと頭から落ちてしまったが、その痛みも驚きで吹っ飛んでいた。
「今の、おまえがやったのか……!?」
「わかんない。前まではこんなことできなかったの。夢中でやってたみたい」
まだ幼いちょっと瞳がきれいで言葉が話せて翠のオーラを纏っているだけのちびすけが、自分よりもずっと大きな黒い化け物を一瞬にしてやっつけてしまった。こんなの普通じゃない。しゃべる時点で普通じゃなかった気がするが、とにかく普通ではない。もしやこれは……こいつは例の隕石の……
「調査に役立つかもしれないな!」
そう考えることにした。俺は村一番の狩人なので化け物は別に怖くなんかないが、こいつを連れていけば何かの役に立つかもしれない……と頭の良い俺は閃いたのだ。断じて黒い化け物が怖いわけではない、ホントだぞ。
「みーぎゃ、とかいったな」
「うん、ボクみーぎゃなの」
「俺はフルイドと呼ばれてる。ここで会ったのも何かの縁だ。友達になろう」
「ふりい…ど?」
「フルイド」
「みぎゃ。ふりーど! ともだちともだち!」
「……まあ、なんでもいいか」
ここはとある島の南西部に位置する台地。その小高い丘の上には小さな村がある。その名をカルスト台地にあることから、そのままカルスト村という。
隕石が墜落した衝撃で木々はなぎ倒され村の家がいくつも倒壊したが、幸い犠牲者は出なかった。
世は狩猟時代。村の者の多くが野で獣や鳥を狩り、海で魚を捕らえて、自然と共に暮らしている。自然は畏怖の対象であり、また人々は自然に感謝して生きてきた。自然が荒れ果ててしまっては彼らも生きていけないからだ。
そしてカルスト村の長老が一人の男にこう命じた。
「落ちた隕石を探して大地に悪い影響を与えていないか調査するのだ」
隕石が落ちてからまだ半日しか経っていなかったが、すでに山が真っ黒に染まっていただとか、突然凶暴になった黒い獣に襲われたとか、見たことのない生き物に遭遇したなんて噂が広まっている。
さらに村の呪術師は『星の海よりこぼれ落ちた黒き雫が世界に災いを呼び起こす』なんて予言まで導き出してしまったからこれは大変だ。
この調査には危険が伴うかもしれない。そこで選ばれた一人の男というのが……そう、この俺。名は古井戸のそばに家があることから、そのままフルイドと呼ばれている。自慢じゃないが村で一番の実力を持つ狩人だ。
隕石を見たという者の話によると、それは村の東に広がる大砂丘のほうへ落ちていったらしい。
だからさっそく村を発ってからこうして俺はずっと砂だらけの道なき道を歩いているわけだが、
「だあぁ、無茶言うぜ! こんな広い砂丘で空から落ちてきた石ころひとつ探して来いって? おまえには実力があるからたぶんきっとおそらく大丈夫? 冗談にも程があるだろ、まったくよォ」
すでに3日は歩いている。水も食料も底をついてきた。こんなことならもっと持ってくるべきだったな。
ここは一度村に戻るべきなのだろうが、うっかり方位磁石を砂蟲に喰われてしまったので方角を見失っていた。
そう、この砂丘は砂蟲――サンドワームが湧いて出るのだ。
ここの砂は石英を主成分にしているとかで白く透き通っていて硝子砂丘なんて呼ばれることもあるが、その砂の中をときどきミミズのようなイモムシのような、蒼くてブヨブヨした気味の悪い生き物が蠢くのが見える。それが砂蟲だ。
やつらも砂が透き通っていて地上が見えるのをいいことに、砂丘を渡る動物の生き血を糧にして生きている。もちろん人間の血だって吸う。
砂蟲はネズミ程度の大きさで攻撃的、群れで飛び掛って襲ってくるが目は退化しており、砂の上に獲物がいるかいないか程度の判断しかできない。しかし嗅覚は敏感で、意外と正確な狙いをつけて飛び込んでくるので厄介だ。
並みの狩人ならすでに血を吸い尽くされてミイラになっているんだろうが、まあ俺ほどの実力にもなれば飛び掛ってくる砂蟲を小刀で叩き落とす程度はなんてことはない。
なんてことはない……のだが、さすがに数が多すぎるしキリがない。足を何ヶ所か齧られてしまってヒリヒリする。
「あー、やだやだ。さっさと石見つけて帰りたいなぁ。っと、その前に水と食料だ。これじゃほんとにミイラになっちまう」
人間ってのはしぶとい生き物で、住みやすい平地はもちろん、うちの村みたいな辺境や山奥でも、果ては酷寒の地や砂漠にさえ適応して住み着いてしまうもんだと聞いたことがある。そういえば、この大砂丘にも集落があるとか長老から聞かされたことがあったっけ。そこにたどり着けさえすれば、たぶん水と食料ぐらいはわけてもらえるはずだ。そう考えて目を凝らして周囲を見回すのだが、砂塵が舞っていてどうも視界はあまりよくなかった。
砂が目に入って痛い。口の中がじゃりじゃりする。それになんだか耳鳴りもするし、歩き続けて足が痛いし、それから腹が減って辛い。あと喉がカラカラだ。はぁ、砂蟲って食えるのかなぁ……なんて一瞬思ってしまったぐらいだから、これはけっこう重症みたいだ。
それからさまようこと小一時間。かすかに何かの声のようなものが聞こえてきた。
最初は獣の鳴き声かとも思ったが、言葉のようにも聞き取れる。これは耳鳴りじゃない。
「やった、誰かいるぞ。水と食料を……もしわけてもらえなくても、道ぐらいは教えてくれるよな」
俺は足が痛いのも忘れて声の聞こえるほうへと駆けていった。
しかし期待はやがて驚きに変わった。そこには見たことのない生き物が二匹いたのだ。大きいのが横たわっていて、小さいのがなにやら声を上げている。
「う…あぁ……うぁ……うう……うあぁん…」
「ゲッ、なにこれ人じゃない!? もしかしてこれが噂のアレか!」
緑色で鱗があって、長い尾に鋭い鉤爪。それから角もあって、いかにも爬虫類的な特徴を持ち合わせている。大きさは仔犬程度。ちょっとでかいトカゲってところか。でもこんな鳴き声のトカゲなんていただろうか。まぁ俺はトカゲの鳴き声なんて知らないんだが。もしかして新種か。歴史的発見? 俺、有名になっちゃう?
さて、それからこっち大きいほうは……死んでるようだ。その証拠に砂蟲が見向きもしていない。小さいほうは、たぶんこいつの子どもかなんかだろう。なるほど、親に死なれてパニックでも起こしてるって感じか。まあそりゃあな、獣にゃ死なんて理解できんわなぁ。それより腹が減って俺も死にそうだ。ええと、トカゲって食えるんだっけ……
なんてことを考えながら、害はなさそうだと判断してぼんやり眺めていたが、小さくて羽の生えたトカゲはまだ泣いていた。ん、羽がある……?
「うぁ……あぁ… おか…あ…さん……おねがい……めをあけて…」
オカアサンメヲアケテ。そんなふうに聞こえた。ますます変な鳴き声だな。
少し間をおいて、ようやくそれが「お母さん目を開けて」だと理解した。
「な……何ィ! しゃべるトカゲっ!?」
あまりの空腹に頭がおかしくなってしまったか。それとも砂蟲から変な病気でももらってしまったのか。
すかさず右手の指をすっと立ててピースサインをつくる。さて、こいつが何本に見える。さん……いや、二本…だ。よかった、俺は正気だ。たぶんな。
あるいは耳鳴りでそう聞こえただけなのかもしれない。ああ、そうだ。そうに違いない。
そこで俺はしゃべるトカゲに声をかけて確かめてみることにした。……えっ、トカゲに声をかけるだって? ああ、やっぱ俺は正気じゃないかもしれない。
「えぇっとだな。おまえはその、何だ? こんなところで何してるんだ」
俺こそ何してるんだろ。
しゃべるトカゲはようやく俺に気づいたらしく、驚くでも怖がるでもなく純粋な目でじっとこちらを見つめた。ルビーのように紅く透き通った瞳がとてもきれいだ。トカゲのくせに。
「あれ……見たことないイキモノがいる」
そうトカゲは返事した。見たことないイキモノだと。そりゃおまえのほうだ。しかし、どうやら言葉は通じるらしい。
キョトンとした無垢な表情でそいつは答えた。
「何かって? 何っていわれても、みーぎゃはみーぎゃだよ」
「……なるほど、わからん。それは名前なのか」
「みーぎゃはみーぎゃなの」
「話にならんな」
「ここはどこ? 空からきた燃える石にぶつかってボクたち島からおちたの。空の下がこんなだったなんてしらなかった」
未知との遭遇。燃える石ってあの隕石のことだろうか。隕石と一緒に降ってきたってそれ宇宙人……いや宇宙トカゲ?
宇宙からやってきた生物となれば、地上の生態系に悪影響を起こすかもしれない。それに未知のウイルスか何かを運んできた可能性もある。長老の意向に従うなら、どうやら俺はこいつをなんとかしなければならないようだ。
懐の小刀を気づかれないようにグッと握り締めた。鱗があろうが腹部は柔らかいはず。喉に突き立ててやれば簡単に仕留められるだろうさ。
幸いやつはこちらの敵意に気付いていない。ただ首を傾げながら、潤んだ紅い瞳でじっとこちらを、純粋な表情で見つめて――
「あぁ……! だめだ、俺にはできないッ……!!」
がくりと膝をついて、手からは小刀が滑り落ちた。
くッそぉ、トカゲとはいえ言葉が通じて、しかもこんな幼くて可愛らしい目をしやがって。そんなの俺に殺せるわけがないじゃないか。残酷か。運命が残酷か。いいや、ひどいのはこれを命じた長老だ(ということにしておこう)
「ま、まぁ、こんな砂丘のド真ん中にいれば俺がやらなくてもじきにくたばるさ…。さてと、俺もくたばる前に行かなきゃ……」
自分にそう言い訳しながら引き返そうとすると、
「んっ」
片足がまるでツタか何かに絡まったかのように強く引っ張られるのを感じた。
こんな砂丘のド真ん中にそんなものあっただろうか。いや、あるわけないよな。と足元を見ると、なんと気味の悪い黒い触手が何本も脚に絡み付いている。そして地鳴りがしたかと思うと足がどんどん地面に沈み込んでいくではないか。
流砂……いや、違う。これは、
『ピぎゃァァアアァッ!!』
「ゲェ! 砂蟲!!」
沈み込んでいるのはない、足が呑まれているのだ。
砂の中から飛び出したのは巨大な黒い砂蟲だった。通常固体の10倍の大きさ……どころの話じゃない。このサイズ、人間どころか熊とかでもひと呑みにしてしまうんじゃないか。そう思ってしまうほど大きな砂蟲が姿を現したのだ。
例えるならば、人食い大蛇を黒くぶよぶよにして、気味の悪い触手とかなんやらをこれでもかというぐらい生やしたグロテスクな生き物だと思ってもらえればいい。そいつに今喰われそうになっているこの状況を、あえてわかりやすく一言でいうなら、そう。死ぬわこれ。
とにかくまずいことになった。こいつめ、俺を丸呑みにして一滴残らず血を吸い尽くしてしまうつもりだな。そして搾りカスを、もう味がしなくなったガムみたいに吐いて捨てるに違いない。ちくしょう、なんてマナーのなってないやつなんだ。許せん。
だがここで慌ててはいけない。そう、俺は村一番の狩人なのだ。砂蟲の対処法ぐらいよォーく心得ているのだぞ。
砂蟲は煙を嫌う性質がある。こんなこともあろうかと、獣のフンを材料に作った発炎筒を用意してきているのだ。
「これでも食らえ! 化け物め」
懐から発炎筒を取り出して頭上に掲げる。そして、おもむろに火を……火を……。火…………あっ。
「な、なんてこった! 火打石はあっても、火種を起こす干草がないじゃないか!(※マッチやライターのない時代です)」
よりによって、こんな砂丘のド真ん中で。そもそものんきに火なんて起こしてる場合か。
バンジー急須……いや、万事休す。残念、俺の冒険はここで終わってしまうのか。今まで応援ありがとうございました。古井戸先生の次回作にご期待ください、ああチクショウ。
黒い砂蟲はもう両足を呑み込んで、腰のあたりまで迫ってきていた。
あぁ、こんなに黒くて硬くて太い砂蟲だけど、中はぶよぶよしてて脈打っててほんのり温かい。おいやめろ、こんなところでそんな。ホラ、そこの緑のちびすけが見てるだろ、トカゲだけど。それを子どもの前でそんなアッ――
薄れ行く意識の中でどこかで見たような光景が次々と浮かんでは流れていった。
村の景色。狩人仲間たちの顔ぶれ。ちょっと気になってるあの娘の姿とか。それから長ろ……てンめー長老! 俺をよくもこんな目に遭わせやがって。絶対に化けて出てやる。そして毎晩枕元に立ってやるからな、覚悟しとけ。それから仲間たちに見送られて村を旅立ったあのときのこと。ずいぶん昔のことのようだが、これはつい3日前のことだ。そのあとこの砂丘で迷ってヘンな生き物を見つけて……あッ、しゃべるトカゲめ。さっき会ったばかりなのに、もう走馬灯に出てきやがった。
おぼろげな記憶の中のしゃべるトカゲは輝いて見えた。何か翠色のオーラのようなものを纏っているように見える。
「最期に見るものが、まさかおまえの姿だったなんてな…。どうやら俺もここまでのようだ。おい、ちびすけ。この際おまえでもいいから言い遺させてくれ。俺のぶんまで強く生きろ……じゃあな…」
よし、覚悟は決まった。最期もかっこよく決まった。心の中でガッツポーズも決まった。これでもう思い残すことはない。
視界が眩しい光に包まれていく。これが噂に聞くお迎えというやつだろうか。もう何も見えない。
そして背後から断末魔の叫びが聞こえてきた。今際の叫びってやつかな。あれ、でも俺ってこんな変な声してたっけ。
何かがおかしいと感じて、いつの間にか閉じていたらしい目を開けると、俺の身体は黒い砂蟲に喰われてなどなく、なぜかツタに巻きつかれて逆さ吊りになっていた。
そして視線のすぐ先には、
「あっ」
黒砂蟲が砂地から突き出た尖った岩に貫かれているではないか。断末魔の声を上げたのは砂蟲のほうだった。
そしてその岩のすぐそばには例のちびすけがたたずんでいる。それも翠の光を放ちながら。夢だけど、夢じゃなかった。
ちびすけが一息つくと、すうっとその光は消えて、砂蟲を貫いていた岩も俺を吊るし上げていたツタも同時に消えてしまった。
どさりと頭から落ちてしまったが、その痛みも驚きで吹っ飛んでいた。
「今の、おまえがやったのか……!?」
「わかんない。前まではこんなことできなかったの。夢中でやってたみたい」
まだ幼いちょっと瞳がきれいで言葉が話せて翠のオーラを纏っているだけのちびすけが、自分よりもずっと大きな黒い化け物を一瞬にしてやっつけてしまった。こんなの普通じゃない。しゃべる時点で普通じゃなかった気がするが、とにかく普通ではない。もしやこれは……こいつは例の隕石の……
「調査に役立つかもしれないな!」
そう考えることにした。俺は村一番の狩人なので化け物は別に怖くなんかないが、こいつを連れていけば何かの役に立つかもしれない……と頭の良い俺は閃いたのだ。断じて黒い化け物が怖いわけではない、ホントだぞ。
「みーぎゃ、とかいったな」
「うん、ボクみーぎゃなの」
「俺はフルイドと呼ばれてる。ここで会ったのも何かの縁だ。友達になろう」
「ふりい…ど?」
「フルイド」
「みぎゃ。ふりーど! ともだちともだち!」
「……まあ、なんでもいいか」
こうして隕石が惹き起こす運命の歯車は回り始めた。
実にこれがフローティアにおける、人類と竜族との初の遭遇であった。
そして『黒』をめぐる物語が今、始まる。
実にこれがフローティアにおける、人類と竜族との初の遭遇であった。
そして『黒』をめぐる物語が今、始まる。