第5章「BLACK BOX Startup(ブラックボックスの秘密)」
「おいメイヴ! 返事をしろ、聴こえてるのか。ふざけてる場合じゃないんダぞ!」
続けて声をかけるが、依然として反応はない。
顔を上げてメイヴの方を見ると、メイヴの目や体が発光している。データのやり取りを示す文字の表示はさらに速度を増し、もはや目で追うのが困難になってきた。
メイヴのこんな様子を見るのは初めてだ。シャトルの解析の時はこうはならなかった。
霧の装置からの放出はさらに激しくなり、ゲンダーたちはすでに赤と青の光球に囲まれている。唯一の出口は防壁で塞がれてしまい、破壊を試みるもゲンダーの力ではかなわなかった。
メイヴはゲンダーの声に応える様子はなく、なおもアクセスを続けている。そのとき光がこちらに突進してきた。
「グメェェェーーーッ!」
やられる。そう思った瞬間、グメーシスが飛び出してきて、周りの霧ごと光球を消滅させた。
「あ、危なかった。グメーシス、おまえに助けられるとはな…。そうダ! おまえならあの防壁も消滅させられるんじゃないか? やってくれ、グメーシス!」
「グメメぇーっ!」
続けて声をかけるが、依然として反応はない。
顔を上げてメイヴの方を見ると、メイヴの目や体が発光している。データのやり取りを示す文字の表示はさらに速度を増し、もはや目で追うのが困難になってきた。
メイヴのこんな様子を見るのは初めてだ。シャトルの解析の時はこうはならなかった。
霧の装置からの放出はさらに激しくなり、ゲンダーたちはすでに赤と青の光球に囲まれている。唯一の出口は防壁で塞がれてしまい、破壊を試みるもゲンダーの力ではかなわなかった。
メイヴはゲンダーの声に応える様子はなく、なおもアクセスを続けている。そのとき光がこちらに突進してきた。
「グメェェェーーーッ!」
やられる。そう思った瞬間、グメーシスが飛び出してきて、周りの霧ごと光球を消滅させた。
「あ、危なかった。グメーシス、おまえに助けられるとはな…。そうダ! おまえならあの防壁も消滅させられるんじゃないか? やってくれ、グメーシス!」
「グメメぇーっ!」
一方そのころ、この建物の最上階にある一室では一人の男がモニタ画面を前に唸り声を上げていた。
「急に電力が復旧したと思ったら、こんどは何だ!? それにこの手の早さ、僕に追いついてくるとは只者じゃない」
霧の装置は精神体の精製において欠かせないものだ。いわばこの施設の心臓部。一体どこから誰がどうやって、ここへ侵入したのかはわからない。が、電力が勝手に復旧したとき「もしや」と思った。そしてその勘は間違っていなかった。
発電室は心臓部のすぐ隣にあるのだ。外部の者があれに触れるのを許してはならない。
「誰も僕の研究の邪魔はさせない。僕の研究は誰にも渡さない! たとえ誰だろうと、大統領だろうと…!」
男は人間業とは思えない速度でコードを入力すると、これがトドメだと言わんばかりに力強くキーを叩いた。
「これで終わりだ。大統領の差し金め!」
「急に電力が復旧したと思ったら、こんどは何だ!? それにこの手の早さ、僕に追いついてくるとは只者じゃない」
霧の装置は精神体の精製において欠かせないものだ。いわばこの施設の心臓部。一体どこから誰がどうやって、ここへ侵入したのかはわからない。が、電力が勝手に復旧したとき「もしや」と思った。そしてその勘は間違っていなかった。
発電室は心臓部のすぐ隣にあるのだ。外部の者があれに触れるのを許してはならない。
「誰も僕の研究の邪魔はさせない。僕の研究は誰にも渡さない! たとえ誰だろうと、大統領だろうと…!」
男は人間業とは思えない速度でコードを入力すると、これがトドメだと言わんばかりに力強くキーを叩いた。
「これで終わりだ。大統領の差し金め!」
グメーシスが体当たりすると、予想通り強固な防壁も簡単に穴が空いてしまった。
「やったぞ、グメーシス! よし、あとはオレやメイヴも通れるように穴を大きくしてくれ」
思わずガッツポーズをとるゲンダー。しかしその背後で電気が弾けるような不吉な音が響いた。
見るとメイヴから火花が飛び出し、煙が噴き出している。
それに霧も濃くなってきた。再び敵に包囲されるのは時間の問題だ。
ゲンダーは直感した。これはまずい。難しいことはわからないが、非常にまずい。
「くッ、ここままじゃメイヴが……。仕方ない、許せよメイヴ!」
右腕を大きく振りかぶって、メイヴの側頭部に45度の角度で思い切り叩きつけた。
調子のおかしくなった機械を手っ取り早く直すにはコレに限る。
激しい音がしてメイヴの体が横倒しになった。少々へこんでしまったが、気にしている場合ではない。
『システムに異常を確認。強制終了します。セルフチェックの後、再起動を行います。しばらくお待ちください』
そのメッセージを最後に開いていた遠隔モニタが次々と閉じられ、ついにはメイヴ本体の光も消えた。
「や、やりすぎたか? まあいい、これで暴走は止まったはずダ。さてと、この繋がってるコードはどうすりゃいいんダ? 急に抜いても大丈夫なのか」
しかしいくら引いてもびくともしない。これを外さないことにはメイヴを連れて脱出することもできない。
「ダメか。いっそ切ってしまうか。それとも…」
唸りを上げる霧の装置に目を向ける。
これがやばい霧を作り出すものだ、ということ以外にどういったものなのか、ゲンダーは理解していない。だがそれ以上の興味もなかった。
これを壊せば霧が溢れ出して危ないことになるとメイヴは言っていたが、危ないことにならもうなっている。ならば何も悩むことなんてなかった。
「こいつを片付けてしまえば……これでも食らえ!」
霧の装置に向かって汁千本を放つ。しかし、装置はびくともしない。
「こいつにも効果ナシかよ。さすがに自信がなくなってくるなぁ…。ダったら、グメーシス。やれ!」
「グメっ!」
短く鳴いて答えると、グメーシスは装置の中央に向かって突進、小さな風穴を開けた。
するとたちまち穴からはすごい勢いで霧が溢れ出してくる。グメーシスは突っ込んだきり、まだ出てこない。
「お、おい。グメー……?」
【出力超過。内圧上昇中。臨界値を突破しました。爆発の危険があります。直ちに停止してください】
「げッ!?」
耳障りな警報と共に、不吉な情報を告げられる。そして今度は霧の発生装置のほうが悲鳴を上げだした。
溢れ出す霧は止まりそうにもない。密度が濃くなり真っ黒になった霧は、すぐにでも部屋を漆黒に塗り潰してしまいそうな様子。考えている時間もなければ手段を選んでいる暇もない。もう暗闇はこりごりだ。
「ええい、もうどうにでもなれ!」
グメーシスの開けた風穴に向かって、渾身の汁千本をぶちこむ。
一瞬の静寂の後に、轟音とともに部屋が大きく振動し始めた。閃光がチラついたかと思えば、次の瞬間には霧の装置は爆発して弾け飛んでいた。
装置の部屋から伸びる一本道の通路の半ばでゲンダーは目を覚ました。爆風で吹き飛ばされてほんの一瞬ほど意識が飛んでいたらしいが、幸いとくに目立った被害はなさそうだ。隣にはメイヴの筒のような体も転がっている。
「無事か。しかしグメーは…?」
装置の部屋に目を向ける。
室内に充満する霧に引火して、爆発が爆発を呼び、連鎖する爆発が通路に炎を吹き上げる。
「まずい!」
グメーの心配はあとだ。
迫る炎の壁を背中に感じながら、メイヴを転がして通路の先へと駆け出した。
この通路を抜けて発電室に入り、すぐ左手のほうにエレベータがあったはずだ。直線状にあれば楽だったのだが、なんとかして左に曲がらなくてはならない。
しかしメイヴの重い胴体を起こしたり持ち上げたりするほどのパワーはゲンダーにはなかった。となれば、転がしたまま曲がらなければならない。
今メイヴは頭を左側に向けて横たわった状態で転がっている。
筒状のものが転がる場合、左右両端の円周の長さが同じなら真っ直ぐに転がるが、それが同じでない場合、円周の短いほうが接地面に対して円が一周するのに必要な距離が短くなるため、円周の短いほうに曲がっていくことになる。
つまり左に曲がりたければ左の円を小さくすればいいのだ。
「やむを得ないか。度々すまん、メイヴ」
ゲンダーはメイヴの頭に汁千本を放った。その衝撃で、メイヴの頭が少しひしゃげた。
そのままメイヴは弧を描いてエレベータの入口へとカーブする。
「ビンゴ! あとは……邪魔ダ!」
エレベータの扉を汁千本で破壊。勢いよくその中へと飛び込んだ。
間髪いれず目に付いた上階のボタンを押す。上ならまずはどこだっていい。
内扉が閉じ、エレベータが上昇を始める。しばらくして、下のほうから大きな爆発音が聞こえてそのまま静かになった。どうやら難は逃れたようだ。
「やったぞ、グメーシス! よし、あとはオレやメイヴも通れるように穴を大きくしてくれ」
思わずガッツポーズをとるゲンダー。しかしその背後で電気が弾けるような不吉な音が響いた。
見るとメイヴから火花が飛び出し、煙が噴き出している。
それに霧も濃くなってきた。再び敵に包囲されるのは時間の問題だ。
ゲンダーは直感した。これはまずい。難しいことはわからないが、非常にまずい。
「くッ、ここままじゃメイヴが……。仕方ない、許せよメイヴ!」
右腕を大きく振りかぶって、メイヴの側頭部に45度の角度で思い切り叩きつけた。
調子のおかしくなった機械を手っ取り早く直すにはコレに限る。
激しい音がしてメイヴの体が横倒しになった。少々へこんでしまったが、気にしている場合ではない。
『システムに異常を確認。強制終了します。セルフチェックの後、再起動を行います。しばらくお待ちください』
そのメッセージを最後に開いていた遠隔モニタが次々と閉じられ、ついにはメイヴ本体の光も消えた。
「や、やりすぎたか? まあいい、これで暴走は止まったはずダ。さてと、この繋がってるコードはどうすりゃいいんダ? 急に抜いても大丈夫なのか」
しかしいくら引いてもびくともしない。これを外さないことにはメイヴを連れて脱出することもできない。
「ダメか。いっそ切ってしまうか。それとも…」
唸りを上げる霧の装置に目を向ける。
これがやばい霧を作り出すものだ、ということ以外にどういったものなのか、ゲンダーは理解していない。だがそれ以上の興味もなかった。
これを壊せば霧が溢れ出して危ないことになるとメイヴは言っていたが、危ないことにならもうなっている。ならば何も悩むことなんてなかった。
「こいつを片付けてしまえば……これでも食らえ!」
霧の装置に向かって汁千本を放つ。しかし、装置はびくともしない。
「こいつにも効果ナシかよ。さすがに自信がなくなってくるなぁ…。ダったら、グメーシス。やれ!」
「グメっ!」
短く鳴いて答えると、グメーシスは装置の中央に向かって突進、小さな風穴を開けた。
するとたちまち穴からはすごい勢いで霧が溢れ出してくる。グメーシスは突っ込んだきり、まだ出てこない。
「お、おい。グメー……?」
【出力超過。内圧上昇中。臨界値を突破しました。爆発の危険があります。直ちに停止してください】
「げッ!?」
耳障りな警報と共に、不吉な情報を告げられる。そして今度は霧の発生装置のほうが悲鳴を上げだした。
溢れ出す霧は止まりそうにもない。密度が濃くなり真っ黒になった霧は、すぐにでも部屋を漆黒に塗り潰してしまいそうな様子。考えている時間もなければ手段を選んでいる暇もない。もう暗闇はこりごりだ。
「ええい、もうどうにでもなれ!」
グメーシスの開けた風穴に向かって、渾身の汁千本をぶちこむ。
一瞬の静寂の後に、轟音とともに部屋が大きく振動し始めた。閃光がチラついたかと思えば、次の瞬間には霧の装置は爆発して弾け飛んでいた。
装置の部屋から伸びる一本道の通路の半ばでゲンダーは目を覚ました。爆風で吹き飛ばされてほんの一瞬ほど意識が飛んでいたらしいが、幸いとくに目立った被害はなさそうだ。隣にはメイヴの筒のような体も転がっている。
「無事か。しかしグメーは…?」
装置の部屋に目を向ける。
室内に充満する霧に引火して、爆発が爆発を呼び、連鎖する爆発が通路に炎を吹き上げる。
「まずい!」
グメーの心配はあとだ。
迫る炎の壁を背中に感じながら、メイヴを転がして通路の先へと駆け出した。
この通路を抜けて発電室に入り、すぐ左手のほうにエレベータがあったはずだ。直線状にあれば楽だったのだが、なんとかして左に曲がらなくてはならない。
しかしメイヴの重い胴体を起こしたり持ち上げたりするほどのパワーはゲンダーにはなかった。となれば、転がしたまま曲がらなければならない。
今メイヴは頭を左側に向けて横たわった状態で転がっている。
筒状のものが転がる場合、左右両端の円周の長さが同じなら真っ直ぐに転がるが、それが同じでない場合、円周の短いほうが接地面に対して円が一周するのに必要な距離が短くなるため、円周の短いほうに曲がっていくことになる。
つまり左に曲がりたければ左の円を小さくすればいいのだ。
「やむを得ないか。度々すまん、メイヴ」
ゲンダーはメイヴの頭に汁千本を放った。その衝撃で、メイヴの頭が少しひしゃげた。
そのままメイヴは弧を描いてエレベータの入口へとカーブする。
「ビンゴ! あとは……邪魔ダ!」
エレベータの扉を汁千本で破壊。勢いよくその中へと飛び込んだ。
間髪いれず目に付いた上階のボタンを押す。上ならまずはどこだっていい。
内扉が閉じ、エレベータが上昇を始める。しばらくして、下のほうから大きな爆発音が聞こえてそのまま静かになった。どうやら難は逃れたようだ。
男は悔しそうに歯噛みしながら机に拳を思い切り叩きつけた。
「くそう!! なんてことをしてくれたんだ。まさか大統領め、あれを破壊してくるとは思わなかった。この研究所の設備が狙いじゃなかったのか。もしかして、すでに同様の設備が用意できている? 必要なカードは揃っているということか。ではなぜ……」
思案を巡らせある結論に至ったとき、男はぎょっとして蒼ざめた。
「まさか……僕の命を狙ってのことか。精神兵器のことで僕が黙っていないと知っていて、邪魔になるから手を打とうと、そういうことなのか?」
はっ、として周囲を見回す。
室内には彼以外には誰もいない。誰の気配もない。
しかし男は見えない何かに怯えるような素振りを見せて後ずさった。
「ひ、卑劣な男だとは思っていたが、まさかそこまで! 全てを掌握しておきながら、その上で僕を消すことで完全に精神体の研究を我が物にしようというのか! 許せない。やはりそれが貴様の本性か、ルートヴィッヒめ!」
男は震える手を机の上の受話器に伸ばして電話をかけ始めた。
第一声は受話器の向こう側が先に発した。
「ほう。君のほうから連絡してくるとは、珍しいこともあったものだな。一体何の用だね、ガイスト君」
ガイストと呼ばれた男は、怒気を孕ませながら叫んだ。
「何の用とはご挨拶だな、大統領。私が何も知らないとでも思ったか? もう我慢の限界だ! 絶対に研究は渡さない」
「落ち着きたまえ、ガイスト君。何をそんなに興奮しているのかわからないが、一体君は何の話をしているのだね」
「とぼけても無駄だ。あなたが以前から私の精神体の技術を秘密裏に兵器転用していることはわかっているんだ。うちの優秀なスタッフが突き止めてくれたよ。そう、あなたが追い出したうちのスタッフがね!」
「……あれは経費削減のためだ。マキナとの戦争で我が国の経済状況は……君も理解しているだろう」
「ええ、もちろん。まさか段階的にはいえ、9割近くも部下を奪われるとは、まったく大層な状況ですね。私に研究をさせないつもりか? そしてその奪った部下を使って新たに兵器を開発しているそうじゃないですか。馬鹿にするのもいい加減にしろ!」
「…………精神体技術を我が軍で活用させてもらっていることは否定しない。だが転用とは酷い言われようだな。君だって精神兵器を開発していたではないかね。ほら、あのG-ナントカというやつだ。それに君は我が国からの資金提供を受けて研究をしているんだぞ。その成果を国に還元してもらうのは当然のことだと思うがね」
「あれはあくまで自己防衛のためだ。他国に攻め込むためのものじゃない。そして私が言っているのは、そういうことじゃない。大統領、あなたが私の研究そのものを奪おうとしていることはもうわかっているんだ」
「だから君は一体何を…」
「私が邪魔なんだろう? だから消そうとしたのか。もうあなたを信用することなどできない」
「何の……事だ?」
「あなたが刺客を送り込んだことはわかっている」
大統領は答えない。
重い静寂が続いた。
しばらくしてから、低い声で大統領は言った。
「君が言いたいことは以上かね。あれだな、君は……あの男とよく似ているよ」
「どういう意味だ」
「残念だよ、ガイスト君。そんな『妄執』に囚われるとはね。君を精神体研究主任から外させてもらう。もう話すことは何もない。もう会うこともないだろう。さらばだ」
そう言い捨てると、アドルフ・ルートヴィッヒ大統領は深いため息とともに静かに受話器を置いた。
その一部始終を見ていた側近の黒服の男は尋ねた。
「アドルフ様。まさか例の件、勘付かれたのでは」
「いや刺客は送り込んではいない。今はまだ、な」
「では、奴はなぜ…」
「わからん。だがそろそろ限界のようだな。フリードリヒ、ガイストの処遇は任せたぞ」
「はっ、お任せを」
フリードリヒと呼ばれた側近の男は畏まって敬礼すると、すぐに大統領室を後にした。
一人になったのを確認すると、アドルフはデスクの引き出しから透明の袋に入った小さな黒い石の欠片を取り出して、苦々しい表情でそれを眺めながら呟いた。
「おのれガイストめ。貴様まで私に逆らうか。優秀な科学者をまた一人失うのはなんとも惜しい……。それもこれも、ヘイヴ! おまえさえ私を裏切らなければ、こんなことにはなっていなかったのだ…」
悔しそうに黒石片を握り締めたあと、落ち着きを取り戻したアドルフは、誰に対して取り繕うでもなく一人咳払いをすると、石の欠片を置いて代わりに再び受話器に手を伸ばした。
「ああ、私だが。急ぎの用事ができた。すぐに車を手配してくれ。行き先は道中説明する」
「くそう!! なんてことをしてくれたんだ。まさか大統領め、あれを破壊してくるとは思わなかった。この研究所の設備が狙いじゃなかったのか。もしかして、すでに同様の設備が用意できている? 必要なカードは揃っているということか。ではなぜ……」
思案を巡らせある結論に至ったとき、男はぎょっとして蒼ざめた。
「まさか……僕の命を狙ってのことか。精神兵器のことで僕が黙っていないと知っていて、邪魔になるから手を打とうと、そういうことなのか?」
はっ、として周囲を見回す。
室内には彼以外には誰もいない。誰の気配もない。
しかし男は見えない何かに怯えるような素振りを見せて後ずさった。
「ひ、卑劣な男だとは思っていたが、まさかそこまで! 全てを掌握しておきながら、その上で僕を消すことで完全に精神体の研究を我が物にしようというのか! 許せない。やはりそれが貴様の本性か、ルートヴィッヒめ!」
男は震える手を机の上の受話器に伸ばして電話をかけ始めた。
第一声は受話器の向こう側が先に発した。
「ほう。君のほうから連絡してくるとは、珍しいこともあったものだな。一体何の用だね、ガイスト君」
ガイストと呼ばれた男は、怒気を孕ませながら叫んだ。
「何の用とはご挨拶だな、大統領。私が何も知らないとでも思ったか? もう我慢の限界だ! 絶対に研究は渡さない」
「落ち着きたまえ、ガイスト君。何をそんなに興奮しているのかわからないが、一体君は何の話をしているのだね」
「とぼけても無駄だ。あなたが以前から私の精神体の技術を秘密裏に兵器転用していることはわかっているんだ。うちの優秀なスタッフが突き止めてくれたよ。そう、あなたが追い出したうちのスタッフがね!」
「……あれは経費削減のためだ。マキナとの戦争で我が国の経済状況は……君も理解しているだろう」
「ええ、もちろん。まさか段階的にはいえ、9割近くも部下を奪われるとは、まったく大層な状況ですね。私に研究をさせないつもりか? そしてその奪った部下を使って新たに兵器を開発しているそうじゃないですか。馬鹿にするのもいい加減にしろ!」
「…………精神体技術を我が軍で活用させてもらっていることは否定しない。だが転用とは酷い言われようだな。君だって精神兵器を開発していたではないかね。ほら、あのG-ナントカというやつだ。それに君は我が国からの資金提供を受けて研究をしているんだぞ。その成果を国に還元してもらうのは当然のことだと思うがね」
「あれはあくまで自己防衛のためだ。他国に攻め込むためのものじゃない。そして私が言っているのは、そういうことじゃない。大統領、あなたが私の研究そのものを奪おうとしていることはもうわかっているんだ」
「だから君は一体何を…」
「私が邪魔なんだろう? だから消そうとしたのか。もうあなたを信用することなどできない」
「何の……事だ?」
「あなたが刺客を送り込んだことはわかっている」
大統領は答えない。
重い静寂が続いた。
しばらくしてから、低い声で大統領は言った。
「君が言いたいことは以上かね。あれだな、君は……あの男とよく似ているよ」
「どういう意味だ」
「残念だよ、ガイスト君。そんな『妄執』に囚われるとはね。君を精神体研究主任から外させてもらう。もう話すことは何もない。もう会うこともないだろう。さらばだ」
そう言い捨てると、アドルフ・ルートヴィッヒ大統領は深いため息とともに静かに受話器を置いた。
その一部始終を見ていた側近の黒服の男は尋ねた。
「アドルフ様。まさか例の件、勘付かれたのでは」
「いや刺客は送り込んではいない。今はまだ、な」
「では、奴はなぜ…」
「わからん。だがそろそろ限界のようだな。フリードリヒ、ガイストの処遇は任せたぞ」
「はっ、お任せを」
フリードリヒと呼ばれた側近の男は畏まって敬礼すると、すぐに大統領室を後にした。
一人になったのを確認すると、アドルフはデスクの引き出しから透明の袋に入った小さな黒い石の欠片を取り出して、苦々しい表情でそれを眺めながら呟いた。
「おのれガイストめ。貴様まで私に逆らうか。優秀な科学者をまた一人失うのはなんとも惜しい……。それもこれも、ヘイヴ! おまえさえ私を裏切らなければ、こんなことにはなっていなかったのだ…」
悔しそうに黒石片を握り締めたあと、落ち着きを取り戻したアドルフは、誰に対して取り繕うでもなく一人咳払いをすると、石の欠片を置いて代わりに再び受話器に手を伸ばした。
「ああ、私だが。急ぎの用事ができた。すぐに車を手配してくれ。行き先は道中説明する」
エレベータ内で一息つくとメイヴの目に光が灯った。
『セルフチェックを終了しました。システムを再起動します』
システムメッセージの後に続いてメイヴの言葉が並ぶ。
『おはようございます。どうやらシステムがダウンしてしまったようですね。状況を教えてください』
「何が起こったのか、こっちも聞きたいんダが……」
メイヴが暴走をしてからここまでのことを説明した。メイヴを殴り倒したことは黙っておこう。
『なるほど。ご迷惑をおかけしました』
「オレもこれまで何度もメイヴに助けられたからな。お互い様ダ」
それにヘイヴとの約束もある。必ずメイヴをマキナまで無事に連れて行く。ヘイヴと別れたときにそう心に誓ったのだ。それが彼からの最後の頼みなのだから。
『先程のセルフチェックの結果、何者かによるハッキングが原因でブラックボックスの封印の一部が解除されたようです。それによってオーバーロードが引き起こされました。今回の暴走はそれが原因でしょう』
「確かにあの時のメイヴの様子は普通じゃなかったな。ところでブラックボックスというのは?」
『私の中の封印された未知の領域で、ヘイヴが研究を重ねていたものです。彼の助手をしていたのに何も聞いていないんですか?』
「極秘の研究ダと言っていた。情報が漏れることを危惧してか、オレにも詳しいことは教えてくれなかった」
『そうですか。私のデータベースには知ってのとおり、ヘイヴの研究成果の全てが収められています。それ以外にもあらゆる物事の情報や、おそらくヘイヴが読んだことのある様々な書物の内容などもデータ化されて記録されているのですが、それら雑多のデータとヘイヴの研究成果はそれぞれデータベース内の異なった領域に保存されています。物理的にもそれらは別個のパーツとして分かれていて、ヘイヴの研究データを保存した領域を特にブラックボックスと呼んでいます。もう一方の領域には私が自由にアクセスして情報を引き出したり、逆に新たに得た情報を書き込んだりすることもできますが、ブラックボックスには私でも自由にアクセスできるわけではなく、何重にもセキュリティロックがかけられています。そしてそれを私が解除することは、プログラム上できないように設定されています』
「まるで他人事みたいに言ってくれるもんダな」
『そういうわけですからブラックボックス内にどんなデータが入っているのか、私も詳しくは知りません。ですが、今回の暴走によってその一部を解読することができました。次のとおりです』
メイヴは遠隔モニタに解読できた情報を表示させた。
『セルフチェックを終了しました。システムを再起動します』
システムメッセージの後に続いてメイヴの言葉が並ぶ。
『おはようございます。どうやらシステムがダウンしてしまったようですね。状況を教えてください』
「何が起こったのか、こっちも聞きたいんダが……」
メイヴが暴走をしてからここまでのことを説明した。メイヴを殴り倒したことは黙っておこう。
『なるほど。ご迷惑をおかけしました』
「オレもこれまで何度もメイヴに助けられたからな。お互い様ダ」
それにヘイヴとの約束もある。必ずメイヴをマキナまで無事に連れて行く。ヘイヴと別れたときにそう心に誓ったのだ。それが彼からの最後の頼みなのだから。
『先程のセルフチェックの結果、何者かによるハッキングが原因でブラックボックスの封印の一部が解除されたようです。それによってオーバーロードが引き起こされました。今回の暴走はそれが原因でしょう』
「確かにあの時のメイヴの様子は普通じゃなかったな。ところでブラックボックスというのは?」
『私の中の封印された未知の領域で、ヘイヴが研究を重ねていたものです。彼の助手をしていたのに何も聞いていないんですか?』
「極秘の研究ダと言っていた。情報が漏れることを危惧してか、オレにも詳しいことは教えてくれなかった」
『そうですか。私のデータベースには知ってのとおり、ヘイヴの研究成果の全てが収められています。それ以外にもあらゆる物事の情報や、おそらくヘイヴが読んだことのある様々な書物の内容などもデータ化されて記録されているのですが、それら雑多のデータとヘイヴの研究成果はそれぞれデータベース内の異なった領域に保存されています。物理的にもそれらは別個のパーツとして分かれていて、ヘイヴの研究データを保存した領域を特にブラックボックスと呼んでいます。もう一方の領域には私が自由にアクセスして情報を引き出したり、逆に新たに得た情報を書き込んだりすることもできますが、ブラックボックスには私でも自由にアクセスできるわけではなく、何重にもセキュリティロックがかけられています。そしてそれを私が解除することは、プログラム上できないように設定されています』
「まるで他人事みたいに言ってくれるもんダな」
『そういうわけですからブラックボックス内にどんなデータが入っているのか、私も詳しくは知りません。ですが、今回の暴走によってその一部を解読することができました。次のとおりです』
メイヴは遠隔モニタに解読できた情報を表示させた。
研究ノート#1302
『彼の言うとおりだった。あれは人類には早すぎる代物だ。私にはとても制御できず、結果として彼に取り返しのつかないことをしてしまった。彼に合わせる顔がない。黒石は封印するべきだろう。私の研究もここまでだ』
『彼の言うとおりだった。あれは人類には早すぎる代物だ。私にはとても制御できず、結果として彼に取り返しのつかないことをしてしまった。彼に合わせる顔がない。黒石は封印するべきだろう。私の研究もここまでだ』
研究ノート#1303
『大統領に相談したところ、研究の中止は認められないとのことだ。以前の私も同じ気持ちだったが、今改めて私は黒石の危険性を知った。痛いほどに味わってしまった。誰が何と言おうとこれは封印する。そうあるべきだ』
『大統領に相談したところ、研究の中止は認められないとのことだ。以前の私も同じ気持ちだったが、今改めて私は黒石の危険性を知った。痛いほどに味わってしまった。誰が何と言おうとこれは封印する。そうあるべきだ』
研究ノート#1304
『私は大樹大陸を去ることに決めた。スヴェンに何も言わずに行くのは心苦しいが、あれを隠し通すためには仕方がない。大統領に相談を持ちかけるべきではなかった。研究上の事故として秘密裏に処分するべきだったのだ』
『私は大樹大陸を去ることに決めた。スヴェンに何も言わずに行くのは心苦しいが、あれを隠し通すためには仕方がない。大統領に相談を持ちかけるべきではなかった。研究上の事故として秘密裏に処分するべきだったのだ』
研究ノート#1305
『極東の人の住まない島の山奥に新たな研究所を構えた。建築を学んだことはないが、大掛かりな機械だと思えばやってできないことはないな。親友から教わった技術が役立った。今日からここが私の新しい拠点だ』
『極東の人の住まない島の山奥に新たな研究所を構えた。建築を学んだことはないが、大掛かりな機械だと思えばやってできないことはないな。親友から教わった技術が役立った。今日からここが私の新しい拠点だ』
研究ノート#1306~#1386
※何かの計算式や図案などが書き込まれているが、一部後から意図的に消された形跡が見られる
※何かの計算式や図案などが書き込まれているが、一部後から意図的に消された形跡が見られる
研究ノート#1387
『ようやく黒石を封印するための装置が完成した。これをメイヴと名付ける。次は研究データを保存する装置だ。しかし、既存の媒体ではいくらセキュリティを強固にしようとも、人が作ったものはいずれ必ず人の手で解読されてしまう。どうしたものか』
『ようやく黒石を封印するための装置が完成した。これをメイヴと名付ける。次は研究データを保存する装置だ。しかし、既存の媒体ではいくらセキュリティを強固にしようとも、人が作ったものはいずれ必ず人の手で解読されてしまう。どうしたものか』
研究ノート#1388
『過去の黒石研究が今になって役立つとは皮肉なものだ。黒石はエネルギーを放出するだけでなく吸収することもできる。ならばデータを量子化して装置に送り込み、エネルギーとして変換して黒石に送り込むことで黒石研究の成果を黒石そのものに保管することが可能かもしれない。そうなれば結果として、黒石自体を護れば全てを護れるので合理的といえるだろう』
『過去の黒石研究が今になって役立つとは皮肉なものだ。黒石はエネルギーを放出するだけでなく吸収することもできる。ならばデータを量子化して装置に送り込み、エネルギーとして変換して黒石に送り込むことで黒石研究の成果を黒石そのものに保管することが可能かもしれない。そうなれば結果として、黒石自体を護れば全てを護れるので合理的といえるだろう』
研究ノート#1389~#1438
※計算式、図案、設計図など
※計算式、図案、設計図など
研究ノート#1439
『非常に重大な見落としをしていた。ヴェルスタンドは精神研究に秀でている。ということは、いくら巧妙に研究データを隠したところで私の記憶を盗まれれば終わりだ。この問題を解決するにはどうしたものか。最終手段は容易に思いつくが、別の方法があるならそうしたい。だが念のため、私に代わってメイヴを護ってくれる機械を設計しておく』
『非常に重大な見落としをしていた。ヴェルスタンドは精神研究に秀でている。ということは、いくら巧妙に研究データを隠したところで私の記憶を盗まれれば終わりだ。この問題を解決するにはどうしたものか。最終手段は容易に思いつくが、別の方法があるならそうしたい。だが念のため、私に代わってメイヴを護ってくれる機械を設計しておく』
研究ノート#1439~1452
※計算式、図案、設計図。開発コード:Gendar
※計算式、図案、設計図。開発コード:Gendar
研究ノート#1453
『もう時間がない。結局最後の手段を用いるしかなくなった。おそらくもう、ここに記録を残すこともないだろう』
『もう時間がない。結局最後の手段を用いるしかなくなった。おそらくもう、ここに記録を残すこともないだろう』
研究ノート#1454
『後をゲンダーに託す』
『後をゲンダーに託す』
「これは…」
ゲンダーは複雑そうな表情で遠隔モニタに表示された情報に目を通した。
『ヘイヴの日記のようです。おや、ゲンダーの設計図もありますよ。これなら、いつぶっ壊れても直してあげられますね』
「すまん。今はちょっとおまえの冗談につきあうような気分じゃない」
『気分、と来ましたか。まあいいです、続けましょう。他にもいくつかファイルが見つかりましたが、展開するために専用のデバイスが必要になるようです。おそらくはヘイヴ独自の規格でしょう。今の時点で参照できる情報は以上になります』
まとめると、どうやらヘイヴは黒石というものを研究していたが、何らかの理由でそれを封印することになった。
そのために作られたのがメイヴで、研究データの保存媒体そのものが黒石でもあるというのだ。つまり、内側から順に研究データ、黒石、メイヴの三重構造だ。そしてさらにそのメイヴを護るための要素がゲンダーである。
ここまでしてヘイヴは研究を隠そうとした。彼の選んだ最終手段が何であるかは言うまでもない。
一体ここまでして護ろうとする研究とは何なのか。ヘイヴが研究していた黒石とは一体何なのか。
『後をゲンダーに託す』
その一文がゲンダーの心に深く突き刺さった。
(ヘイヴ。オレは最後まで信じてるからな。研究していたのが何ダろうが関係ない。オレは託されたんダ。それなら、その務めをしっかり果たしてみせる。それがオレの忠義ダ)
ゲンダーは複雑そうな表情で遠隔モニタに表示された情報に目を通した。
『ヘイヴの日記のようです。おや、ゲンダーの設計図もありますよ。これなら、いつぶっ壊れても直してあげられますね』
「すまん。今はちょっとおまえの冗談につきあうような気分じゃない」
『気分、と来ましたか。まあいいです、続けましょう。他にもいくつかファイルが見つかりましたが、展開するために専用のデバイスが必要になるようです。おそらくはヘイヴ独自の規格でしょう。今の時点で参照できる情報は以上になります』
まとめると、どうやらヘイヴは黒石というものを研究していたが、何らかの理由でそれを封印することになった。
そのために作られたのがメイヴで、研究データの保存媒体そのものが黒石でもあるというのだ。つまり、内側から順に研究データ、黒石、メイヴの三重構造だ。そしてさらにそのメイヴを護るための要素がゲンダーである。
ここまでしてヘイヴは研究を隠そうとした。彼の選んだ最終手段が何であるかは言うまでもない。
一体ここまでして護ろうとする研究とは何なのか。ヘイヴが研究していた黒石とは一体何なのか。
『後をゲンダーに託す』
その一文がゲンダーの心に深く突き刺さった。
(ヘイヴ。オレは最後まで信じてるからな。研究していたのが何ダろうが関係ない。オレは託されたんダ。それなら、その務めをしっかり果たしてみせる。それがオレの忠義ダ)
「切られたか…」
もう繋がっていない電話の受話器を耳に当てた姿勢のまま、ガイストはしばらく考え込んでいた。
あの男の本性はよく知っている。噂には聞いていた。これまでも自分の意にそぐわない者を次々と排除してきたのだと。
彼は決して証拠は残さない。しかし、大統領に反発した者は誰であれ、必ず行方不明になった。
「そうさ、誰もかも……かつては僕の尊敬する師匠さえも消された。そして、次は僕が消える番ってわけか」
さあ、一体どんな手段で来る。地下の装置を破壊した刺客が背後から襲いかかってくるか。それとも正面から軍隊をけしかけてくるか。それとも事故か何かを装ってこのドームにミサイルを放つかもしれない。
だがそう易々とやられるつもりはない。いつかこんな日が来るだろうと、かねてより用意していたものがある。
最初はドームの移転を考えていたが、莫大な費用がかかるので断念した。
次に光学迷彩の技術の応用でドームそのものを隠してみた。外部には防衛措置としてG-レティスとG-ブロウティスを配備した。これを維持するには膨大な電力が必要になるため、街全体の電力を落とす他なかった。
もともとここで暮らしていたのは研究者とその家族だけだ。皮肉にも大統領の策略のせいで、このドームの住人はほとんどいなくなっていたので、もはや電気が止まって困る者もほとんどいない。
ヴェルスタンドのヒュフテ地区にはかなりの数の研究施設がある。極秘の研究を行う施設も少なくないため、その所在地は地図には記されていない。ドームを隠すことで時間を稼いで、大統領に対抗するつもりだった。
それにもかかわらず今日。ついにこのドームの所在を見つけて侵入してくる存在をセンサーが検知した。
だからプランBだ。
6番ゲートで異常を感知したときに「ついに来たか」と思った。数少ない残りのスタッフたちはすでに避難させた。
あえてこちらから連絡することで、大統領には自分がまだこのドームに……ヴェルスタンド国内にいるという印象を植え付けた。
事前準備はこれでいい。
「あとはアレを使ってここから脱出するだけだ。さあガイスト、もう後戻りはできないぞ。気を引き締めていけ」
部屋を後にすると、もう誰もいないはずの最上階の通路を真っ直ぐエレベータへと進む。
窓の外には薄暗い灰色の街並みが見える。何者かの手によってこの建物の電力は復旧されたが、街の電力は依然として止まったまま。誰もいない街にはお似合いの静寂の色だ。
「たとえ合成映像だとわかっていても、ここから見える景色はいい眺めだった。灰色に染まってはそれも台無しだな」
そんな景色もこれで見納めだ。ここに戻ってくることも、もうおそらくはないだろう。
研究者としての地位も剥奪された。しかし、研究者の資格がなくても研究自体は行える。
この研究所の地下の隠し部屋に脱出ルートを確保してある。今はまず逃げて身を隠すことだ。具体的な対策はそれから練ろう。
あとは刺客に見つからずにここを出るだけだ。念のために護身用のスタンガンを持っている。
相手は何人だろうか。レティスとブロウティスを配備していたから、ある程度は撃退できたはずだと願いたい。それに地下の装置の部屋は狭いから、そう大勢が侵入できたはずはない。
通路を抜けてエレベータの前にたどり着いた。
「自分の身ぐらいは自分で護れるさ…」
周囲を警戒しながら、壁を背にエレベータのボタンを押す。
そこの角から誰か飛び出してくるのではないか。あるいは窓を割って飛び込んでくるか。
あらゆる襲撃を想定しながらエレベータの到着を待つ。
やがて電子音がエレベータの到着を知らせた。
「よし」
扉が開く音を背中で確認しながら、なおも周囲への警戒を緩めず一歩後退してエレベータに踏み入る。今のところ、人の気配は感じない。大丈夫だ、問題ない。
そのまま振り返って一階のボタンを押して扉を閉じる。そして脱出。あとはそれだけのはずだった。
振り返ったガイストはそれと目が合って驚いたが、先に叫び声をあげたのは相手のほうだった。
「なんダ、おまえは!?」
もう繋がっていない電話の受話器を耳に当てた姿勢のまま、ガイストはしばらく考え込んでいた。
あの男の本性はよく知っている。噂には聞いていた。これまでも自分の意にそぐわない者を次々と排除してきたのだと。
彼は決して証拠は残さない。しかし、大統領に反発した者は誰であれ、必ず行方不明になった。
「そうさ、誰もかも……かつては僕の尊敬する師匠さえも消された。そして、次は僕が消える番ってわけか」
さあ、一体どんな手段で来る。地下の装置を破壊した刺客が背後から襲いかかってくるか。それとも正面から軍隊をけしかけてくるか。それとも事故か何かを装ってこのドームにミサイルを放つかもしれない。
だがそう易々とやられるつもりはない。いつかこんな日が来るだろうと、かねてより用意していたものがある。
最初はドームの移転を考えていたが、莫大な費用がかかるので断念した。
次に光学迷彩の技術の応用でドームそのものを隠してみた。外部には防衛措置としてG-レティスとG-ブロウティスを配備した。これを維持するには膨大な電力が必要になるため、街全体の電力を落とす他なかった。
もともとここで暮らしていたのは研究者とその家族だけだ。皮肉にも大統領の策略のせいで、このドームの住人はほとんどいなくなっていたので、もはや電気が止まって困る者もほとんどいない。
ヴェルスタンドのヒュフテ地区にはかなりの数の研究施設がある。極秘の研究を行う施設も少なくないため、その所在地は地図には記されていない。ドームを隠すことで時間を稼いで、大統領に対抗するつもりだった。
それにもかかわらず今日。ついにこのドームの所在を見つけて侵入してくる存在をセンサーが検知した。
だからプランBだ。
6番ゲートで異常を感知したときに「ついに来たか」と思った。数少ない残りのスタッフたちはすでに避難させた。
あえてこちらから連絡することで、大統領には自分がまだこのドームに……ヴェルスタンド国内にいるという印象を植え付けた。
事前準備はこれでいい。
「あとはアレを使ってここから脱出するだけだ。さあガイスト、もう後戻りはできないぞ。気を引き締めていけ」
部屋を後にすると、もう誰もいないはずの最上階の通路を真っ直ぐエレベータへと進む。
窓の外には薄暗い灰色の街並みが見える。何者かの手によってこの建物の電力は復旧されたが、街の電力は依然として止まったまま。誰もいない街にはお似合いの静寂の色だ。
「たとえ合成映像だとわかっていても、ここから見える景色はいい眺めだった。灰色に染まってはそれも台無しだな」
そんな景色もこれで見納めだ。ここに戻ってくることも、もうおそらくはないだろう。
研究者としての地位も剥奪された。しかし、研究者の資格がなくても研究自体は行える。
この研究所の地下の隠し部屋に脱出ルートを確保してある。今はまず逃げて身を隠すことだ。具体的な対策はそれから練ろう。
あとは刺客に見つからずにここを出るだけだ。念のために護身用のスタンガンを持っている。
相手は何人だろうか。レティスとブロウティスを配備していたから、ある程度は撃退できたはずだと願いたい。それに地下の装置の部屋は狭いから、そう大勢が侵入できたはずはない。
通路を抜けてエレベータの前にたどり着いた。
「自分の身ぐらいは自分で護れるさ…」
周囲を警戒しながら、壁を背にエレベータのボタンを押す。
そこの角から誰か飛び出してくるのではないか。あるいは窓を割って飛び込んでくるか。
あらゆる襲撃を想定しながらエレベータの到着を待つ。
やがて電子音がエレベータの到着を知らせた。
「よし」
扉が開く音を背中で確認しながら、なおも周囲への警戒を緩めず一歩後退してエレベータに踏み入る。今のところ、人の気配は感じない。大丈夫だ、問題ない。
そのまま振り返って一階のボタンを押して扉を閉じる。そして脱出。あとはそれだけのはずだった。
振り返ったガイストはそれと目が合って驚いたが、先に叫び声をあげたのは相手のほうだった。
「なんダ、おまえは!?」