毒が、毒が広がっている。
まだ戦いの余波は残っている。
聖堂は沼に沈み込み、その毒が消える気配はない。
「アスナ」
言うべきことは数えきれないほどあった。
聞きたいことも、やるべきことも、それこそ抱えきれないほど。
ある程度知り合いが呼ばれていると知った時から、彼女がいる可能性だってもちろん想定していた。
ましてやサチや茅場に出会ったあとだ。プレイヤーリストに彼女が名を連ねているのはむしろ順当にさえ感じた。
「それは――」
しかし何故俺は愕然としているのだろうか。
茅場がここにいると知った時だって、実際に出会った時だって、さして驚きはしなかったのに。
驚き?
いや違う。俺は驚いているんじゃないだろう。
「――それは、何だ」
拒絶しているんだ。
この“現実”を。
ここにある唯一無二の“現実”を。
どういうことか理解し、納得した上で拒絶している。
そうでなかったらこんなこと言わないだろう。
それは何だ、だなんて。
だって俺はその答えを知っている。
「――何でもないよ」
アスナはヒースクリフと剣を交えたまま、そう答えた。
ぎり、と剣が押し合っている。一方の瞳には明確な敵意があった。
もう一方の瞳は見覚えのある“黒”に覆われていて――
――サチの姿がフラッシュバックした。
意識が歪み、過去が明滅する。
再会。過ぎ去ったはずの少女。引き裂かれた銀の翼。黒いバグ。そして――オーヴァン。
ありとあらゆる痛みが連想ゲームのように浮かんでは消えていく。
過去に歪んだ視界が晴れると、そこにはどうしようもない“現実”があった。
◇
鍔迫り合い。
俺の前で剣と剣が交錯している。
青い長剣が空から降り注ぐ魔剣を押しとどめている。
「アスナ君」
剣を受け止めながら、ヒースクリフはあくまで冷静に語りかけた。
「剣を、納めてくれないかな。この場で私は君と事を構えるつもりはないんだ。
信用できないのは分かるが、ひとまずは話を――」
けれどアスナは嫌悪感を隠さず眉を顰め、そのまま剣を振るった。
赤黒い魔剣を力任せに振り払い、勢いのままヒースクリフに襲い掛かった。
一撃、二撃、三撃、地対空の優位を生かして容赦なく攻撃する。
ヒースクリフは確かな技量でそれを受け止めていくのを、俺は呆然と見ていた。
――剣が放たれた。
見覚えのあるエフェクトが炸裂し、アスナへと向かう。
アスナが、はっ、として避けた。もともと威嚇射撃であったらしいそれは大きく逸れ、どこか遠くに着弾した。
「事情は分からんが、彼は私たちの貴重な情報源ゆえ介入させてもらった」
弓を構えたアーチャーがゆっくりと語りかけた。
指示を出した訳ではないのか、慎二は後ろで目を丸くしている。
「思うに、君はそこにいるキリトと同じくPKの類ではないのだろう、アスナとやら」
「私がPK? 馬鹿なこと言わないで」
アスナはヒースクリフと向き合いつつも、キッ、とアーチャーを睨み付けそう言い放った。
そうだ。アスナがPKであるはずはないだろう。
その点では俺も疑ってはいない。だが、彼女のアバターに巣食うあのバグを俺は知っている。
知ってしまっている。
「ではPKK、という訳か。
PKを排除すべし、という君の考えは分かる。だがアスナ、君の行いは場をかき乱しているだけだ、
ここは落ち着いて彼の話を聞くといい。彼は」
「馬鹿なこと言わないで。そんな悠長なことをやってると、やってたから――」
アスナの甲高い声でアーチャーの言葉は掻き消される。
そして泣き叫ぶように彼女は言った。
「やってたから――ユウキは殺されたんじゃない!」
と。
慎二が「は」と調子のはずれた声を漏らすのが分かった。
俺もまた思考をかき乱される。
ユウキが、彼女が――殺された?
「おい、どういうことだよ。
アイツが……アイツがやられたってどういうことだよ」
ひきつった笑みを浮かべた慎二が問いかける。
その声はおかしなほど上ずり、指先が無意味に、ぴくぴく、と動いていた。
「だから言ってるじゃない! PKを放っておいたらあの娘みたいに」
「うるさい! そんなこと聞いてるんじゃない。
どうして、そんな、あんな奴が――僕が憧れるような、ゲーマーがやられる訳ないだろ!」
「それがやられたって言ってるでしょ!」
「うるさい。馬鹿! それじゃ分かるものも、分かる訳ないだろ!
ないって――ないって言ってるだろぉ!」
慎二のうわずった叫びが上がる。目はおかしなほど見開かれ、息も異様に荒くなっている。
アスナは「だから!」とヒステリックな叫びを上げ、
「殺さないといけないの! こういう殺人者は!」
ヒースクリフへと再び魔剣を振るった。
剣が黒い斑点を纏わせながら彼へと迫っていた。
俺の知るALOのモーションからかけ離れた発狂染みた動きで剣撃が放たれる。
その猛然とした攻撃に流石のヒースクリフも笑みを消し、ぎりぎりで対応していた。
俺はどうするべきだ。
さっきから何も言えていない。
思考が追いついていない。繋がりかけていた筈の答えはもはやどこに行ってしまった。
次から次へと現れる“現実”が俺の胸に突き刺さり、ばらばらに引き裂いていく。
「やれよ……アーチャー!」
代わりに叫びを上げたのは慎二だった。
弓を構えたアーチャーが「慎二?」と聞き返すも、彼は、未だぎこちなくひきつった笑みを浮かべながら命じる。
「どう考えても危ないのはアイツだろ!
アイツが、あんな奴がいるからユウキだって!」
その叫びを聞きつけたアスナが鬼のような形相を浮かべた。
その瞳に燃えるような害意が宿る。バグによって醜く潰れたポリゴンがぶるぶると震えた。
「貴方――自分が何を言っているのか、分かっているの?
ユウキの何をあなたが知っているというの。あの娘の何を!」
「黙れよ。黙れ――お前なんかがあのゲーマーのことを語るなよ。
そんなチート使ってる奴の言葉で、アイツを語るな!」
「知ったような口ぶりで! あの娘についてあなたが何を知っているっていうの!」
「黙れよ。クソチーターが。僕はお前みたいな奴が大っ嫌いなんだよ」
アスナと慎二がタガの外れた叫びをぶつけ合う。
おかしなことに彼らの会話はかみ合っていた。歪な筈なのに、彼らは通じ合っている。
何だ。何なんだ。何もかもがおかしく感じられる。
「キリト!」
「キリト君」
そして彼らは俺を呼んだ。
ついていけなかった“現実”が俺を掴んで、離さない。
慎二とアスナ。それぞれが俺を見ている。
どういうことかその顔が俺には人のものには見えなかった。
泣いているような、笑っているような、それとも怒っているような、どうとでもとれるような顔をしている。
彼らのアバターが誤作動を起こしているのか。それともおかしいのは俺か。
それとも何もかもがずれてしまっているのか。
「キリト君、何か言ってよ。こんな奴に、こんな――そんなひどいこと言う男に!
許せないでしょ! 言ってはいけないことだって、分かるよね?」
「キリトだってそう思うだろ? こいつは危険だって。
あの女のアレ、例のバグじゃないか! おかしくなっているんだよ、こいつの頭!」
キリト。キリト君。キリト。キリト君。
ああ、俺を呼ぶ声がする。
意識の周りを俺の名前がぐるぐるとまわっている。
俺は――俺に何を言えば。
その時俺はどういう訳か無性に笑い出したくなった。
はははははは、とか、へへへ、とか意味もなく馬鹿みたいに全て忘れて笑いたい気分だった。
自分も役目も、この“現実”の意味も、全てが全て下手くそな喜劇みたいに見えた。
死んだ者が生き返って、また死んで、それがおかしな風につながって、知り合いが殺しあって俺を視る。
なんてちぐはぐなストーリーだ。どこを見ればいいのかまるで分らない。
だから笑うしかない。いっそ笑ってしまえばいい。
でも、それはできなかった。
そんなことをすれば、俺はもう許されない気がしたから。
「アスナ、何だよそれ」
己の役目が分からなくなった俺が口にしたのは、最初に言った台詞の反芻だった。
分からない時は基本に帰るに限る。現実でも、ゲームでも、同じことだ。
でも、訳が分からなかったので、妙にくだけような口調になってしまった。
「これ? このバグ?
だから――何でもないって」
同じことを言ったら、当然アスナも同じことを返してきた。
でもそれが間違いなことは知っている。この場の誰よりも、俺はその“黒”が不吉なものであることを知っている。
「何でもない訳――ないんだ」
それが“現実”だった。
サチとの再会がああした結果になったことも、全ては全て“現実”だ。
同じようにこれも――アスナが“感染”していることも、そうだ。
全く場違いなことに、目の前の“現実”を俺はまるでゲームのようだと考えていた。
この“選択”そのものがRPGにおける重大な分岐のように思えたのだ。
- アスナの声に応え、協力してヒースクリフや慎二と戦う
- 慎二の声に頷き、ヒースクリフや慎二と共にアスナと戦う
もしこれがゲームだったらこんな選択肢が出ていたに違いない。
そしてそれがきっと今後のシナリオで重要な意味を持つのだ。
だなんて、そんなバカなことを考えた。場違いだが、その実俺らしい考えなのかもしれない。
ああ、俺は――
「――止まってくれ、頼むから、アスナ」
――そうしてこぼれ落ちた言葉が、俺の“選択”となった。
そのことに気付いた時には既に遅かった。
アスナは呆然と俺を見つめ、慎二は明確な害意を顔に浮かべた。
選んだ。
選んでしまった。
何も選びたくはなかったのに。
そう思った時にはもう遅かった。
アスナは愕然とした表情を浮かべ、そして、ぱっ、とその身を躍らせる。
彼女は空へと逃げていた。
そして慎二とヒースクリフ、そして俺を見下ろした。
太陽を背に、黒くグロテスクに変色した翅が空を舞う。
「騙されているんだよ、キリト君。だって――そいつは、そいつらは」
そしてぽつりと漏らした。
ああアスナは今悲しんでいるんだな。
悲痛にゆがんだその顔を見上げながら、俺は思った。
アスナにあんな顔をさせたのは、他でもない俺の“選択”なんだ。
「だからどいて――そいつらを片付けるから」
そう言って、蠢く魔剣を俺たちに向けて来たとき、俺の中で何かが弾けた。
思うがまま地を蹴り、その勢いのまま俺も飛び上がっていた。
ウィンドウの操作には一秒だってかからなかった。アスナと同じALOアバターに切り替え、翅を広げ舞い上がる。
空には剣を構える彼女がいた。
知っている。忘れない。唯一無二の人がそこにいる。
俺は叫びを上げ彼女に向かっていった。
視界が歪んだ。
意識がぶれていく。
誰よりも大切な人の筈なのに、その顔が分からない。
アスナとか、サチとか、名前が明滅するように浮かんでは消えていく。
“黒”がその名前をつなげている。おかしなつながりだ。
“黒”がなければ、彼女らがまじりあうことなんてなかった筈なのに。
おかしいな。
彼女たちを守りたかったのに。
守るために、
共に生きるために、ずっと俺は“選択”をしてきたつもりなのに。
「――キリト君!」
「アスナァァァァァァ!」
どういう訳か、俺たちは今殺しあっている。
剣と剣が交錯する。俺が振るった刃を彼女は異様な魔剣で受け止めている。
俺はアスナを見た。アスナが俺を見た。
刃越しに俺たちは見つめあっている。
皮肉なことに、そこまで行って初めて俺はアスナの顔をはっきりと見ることができた。
ああ確かにアスナだ。そう思う反面、黒い斑点の醜さもこの上なく目立った。
アスナは悲しんでいる。
剣を交わしながら、刃越しに俺はその悲しみが伝わってくる気がした。
でも、俺にはこれしかない。
この“選択”しかないんだ。
森での戦いがフラッシュバックする。
“黒”に憑りつかれたサチを追って痛みの森へ行き、そこで何も分からずに戦った。
そこで他のプレイヤーを傷つけ、そしてサチも見失ってしまった。
あそこで“選択”を違えてしまった以上、また同じことを繰り返す訳にはいかない。
だから俺に選ぶ余地なんてなかったのだ。本当は。
俺がどれだけアスナを選びたかったとしても、サチ/過去がそれを許しはしない。
だから何とかして止めないといけない。
“黒”に侵食された彼女らが誰かを傷つける前に、俺が止めないといけない。
そうでもしないと俺はきっと許されないだろう――
俺は剣を振るった。
アスナは泣きそうな顔をしてそれを受け止めている。
もしかすると――俺も同じような顔をしているのかもしれなかった。
空には俺たちのほかに何もなかった。
青くて、だだっ広くて、異様なほど静かだった。
そこで俺たちは二人っきりだ。二人っきりで殺し合っているのだ。
目の前に彼女がいる。だからさびしくなんてないはずなのに、寒々としたものが胸に吹き荒れている。
この空はさびしかった。怖いくらい青くて、果てしない。
シルバー・クロウと共に飛んだ黄昏の空はこうじゃなかった。でもあの彼ももういない――
悲しくても、さびしくても、俺はただ無心に剣を振り上げた。
もはや何も考えることはできなかったけれど、皮肉なことに染みついた剣技だけは勝手に出ていた。
それはアスナも同じだった。狂ったモーションではあるけれど、その剣には確かにアスナの技があった。
それもそうか。俺たちはずっとこの“現実”で剣を磨いてきたのだ。それこそ馬鹿みたいに。
だから何も考えなくとも俺たちは剣を振るうことができる。安心して殺しあえる――
「その役割は君のものではないよ」
――声がした。
俺とアスナの間に、割り込む誰かがいた。
その声色はおだやかで、燃え盛るように歪んでいた意識にすっと入り込んできた。
「全てのプログラムには役割がある。恐らく私も――」
ぶれた“現実”の中で、その声だけははっきりと聞こえたのだ。
ヒースクリフ――あるいは茅場は俺たちの間に入り込み、アスナの剣を受けていた。
その後ろ姿を、俺はただ見上げていた。
彼の脚部には見慣れないメカニカルな装備がある。それで空を飛びつつ、彼はアスナを抑えていた。
「アーチャー」
剣を受けつつ彼はその名を呼んだ。
そしてまさしく絶妙のタイミングで――剣が来た。
どん、と音がしたかと思うと、アスナは剣の砲撃に吹き飛ばされていた。
そしてそのまま落ちていく。黒いうごめきを抱えたまま――
「慎二君! 念のためリカバリーを使ってくれ」
続けざまにヒースクリフは言った。
その有無を言わせぬ口調に慎二は、はっ、と顔を上げ促されるままウインドウを操作し始めた。
俺はあわててアスナの様子を窺う。
砲撃を受け彼女は草原に倒れ伏しているのが見えた。リカバリー――回復のエフェクトに包まれながら、彼女はその身を動かせないでいる。
だが死んではいない。アスナのHPは不明だが、死亡時のエフェクトが発生していなかった。
そのことにほっと胸をなで下ろしながら、俺はヒースクリフを見上げた。
空を飛ぶのではなく、空に立ちながら、彼は俺を悠然と見下ろしている。
「彼女を傷つけてしまい、すまなかった」
そしてそんなことを言うのだ。
俺は、はは、と笑ってしまった。
あっという間に、彼はアスナを無効化していた。
その鮮やかな手際を前にいかに俺が自分を見失っていたか、気づかされたのだ。
「俺こそ……すまない、取り乱してしまって」
「君も慎二君も少し頭を冷やしたほうがいいのは事実だね」
「ああ、何もかもわからなくなって……」
そんな会話を交わしながら、俺たちはゆっくりと地上に降りていく。
向こう先には――アスナがいる。
「あのバグのことだが」
その最中、ヒースクリフ/茅場はそのことに触れた。
「気づいているかね? あの榊のアバターに酷似していることを」
「……ああ」
サチが“感染”した時、既にそのことは考えていた。
あのバグはアバターに侵食し、醜く変貌させる。
榊も、サチも、アスナも、同じように黒く蠢くアバターと化していた。
「私は――あのバグこそこのゲームのシステムの根幹をなしているのではないかと睨んでいる」
その言葉に俺は言葉を失う。
その可能性は――考えていなかった。
あの“黒”について考えると、どうしても他のことを考えてしまっていた。
がしかし納得できる話だった。他でもないGMの代表として現れた榊が身にまとっていたバグだ。
あれは俺たちの知るザ・シード規格の“現実”にはなかったものだ。
しかし細かな仕様など無視して、全く別のゲームのアバターに同じようにあのバグは作用する。
この二つを合わせれば――確かにその可能性はある。
「俺たちの知り合いにカオルというプレイヤーがいる。
情報解析に特化したプレイヤーだ。彼女に解析させることができれば」
「――ゲームの打破に繋がるかもしれない」
茅場はそう言い切った。
ここに来て明確な方針が見えた。
ゲームの打破への道のり。しかもそれは必然的にサチやアスナを救う道にもなっている。
かき乱されていた俺の意識が、徐々に静かになっていくのが分かった。
「ただそのカオルはユウキと一緒にいたはずなんだ。アスナの言葉を信じれば……」
「そのあたりも含めてアスナ君に聞かなければならないな」
俺は身を固くする。
アスナ。俺は彼女と剣を交わした。理由はどうあれ、それは事実だ。
だから話し合わなければならない。俺たちは、絶対に。
その想いと共に、俺は茅場と共にアスナの落ちた場所へと近づいていった――
――ぽーん、と音がした。
どこかより響いてきたその音は、異様なほどよく響いた。
草原というだだっ広いエリアにも関わらず、その音ははっきりと俺の耳朶を打った。
あるいはそれは――意識そのものを揺らしているのかのように。
そして――“現実”が侵食された。
だだっ広い青い空も、戦闘で抉れた草原も、聖堂を汚す毒沼も、全てが全て塗り替えられる。
俺は絶句していた。そのあまりに現実離れした“現実”に。
「これはまさか固有結界か。
いやそれとは似て非なる――」
同じように巻き込まれたアーチャーらの姿も見えた。
彼も突然の事態にまた驚きを隠せないでいる。
今度は――何だ。
俺はいったい何を見るというんだ。
「キリト君、これは――」
絶句していた俺の横で、茅場が何かに気付いたように視線を上げた。
だがそれを言い切る前に――彼のアバターは貫かれていた。
「…………!」
俺は声を上げることすらできなかった。
目の前で壊れた人形のように揺れる茅場のアバターと、それを貫く“黒”を前にして、再び視界がゆがむのを感じた。
俺は何かに憑りつかれるように“黒”の軌跡を追った。
“現実”を塗り替え、茅場を貫いた、その根源は――やはりというか、アスナだった。
「――――」
元々深く黒く侵食されていたアスナのアバターは、もはや“黒”と一体化しているように見えた。
水色のテクスチャは既に剥ぎ取られている。生身のポリゴンモデルは魔剣から伸びる黒い蔦に絡みつかれおり、右腕に至っては一体化しているように見えた。
広げた翅は完全に黒く染まり、どくん、どくん、とまるで生きているかのように脈動している。
そしてこちらを見上げるその右眼は橙色の染まり、ぼうっ、と不気味な輝きを灯していた。
左眼と髪の蒼さだけが、妖精の面影をほんの僅かに残しているように見えた。
「……あの剣だ。アスナ君の」
茅場が絞り出すように言った。“黒”に貫かれたまま、彼は何とか声を漏らしている。
その声はところどころ奇怪なノイズが走り、そのアバターが明らかな異常を起こしていることを示していた。
俺は訳が分からないまま、しかしそれでも考えていた。
茅場の言うように、あの“黒”の核はアスナが装備している魔剣にあるように見えた。
サチにはなかった現象だが、しかしもしかすると、アスナはあれに操られているのではないか。
そんな考え――あるいは願い――を立てたが――
「ごめんね、キリト君」
けれど、アスナはそう口にした。
はっきりと、アスナの声で、彼女はそう言ったのだ。
「これは私が“選んだ”ことなの。
確かにこの魔剣はおかしいかもしれない。仕様から逸脱してるのだって分かってる。
私、心当たりがあるんだ。変なPKと戦って――気づいたらそいつらがいなくなってたことがあった。
もしかすると、その時はこの魔剣に護ってもらったのかもしれない。何も知らず、何も選ばず。
でもね……今の私は違う」
それは紛れもなく彼女の声で、俺は思わず叫びを上げそうになった。
操られているのならよかった。それが“意志”による“選択”でないなら、その行為に何の意味があるだろう。
「あの男……茅場にやられて、思った。
やっぱりああいう危険な奴らは――アリスみたいな奴らは、絶対に信用しちゃいけないって。
絶対に、絶対に……」
しかしそうして語る彼女の声は震えていて、それが訳の分からない怒りと、行き場のない悲しみによるものだと、俺には分かってしまった。
分かってしまった――だから彼女はアスナなのだ。
「だから私は“選択”したの」
そう言い放ち、彼女は魔剣を振り上げ――撃った。
空間にノイズを走らせるイリーガルなエフェクトを炸裂させ、異様なデータが砲撃となって茅場を貫いた。
一発だけではない。二発三発四発、無数の砲撃を無慈悲に放つ。
「ヒースクリフ!」
後ろから慎二の声がした。彼も事情は分かっていないにせよ、茅場が危険なことは分かっていたのだろう。
どん、と音がしてアスナにその狙撃は命中していた。アーチャーだ。
その威力たるや先の比ではなく、威嚇射撃や動きを止めるための狙撃ではない、完全に命を狙ったものだと分かった。
俺が声を上げる暇はなかった。あれをまともに喰らったアスナは――
「……効かないよ」
――けれど幸か不幸か、まるで聞いた様子がなかった。
そのアバターは不気味な光に覆われ、彼女は顔を俯かせている。
時限付きの無敵スキル――俺はその現象をそう解釈した。
「――やはりイリーガルスキルか。アレを止めるにはある程度のランク以上の宝具を求められるな。
だがこの状況では……」
アーチャーの冷静な分析が聞こえていたが、しかしアスナは無視して茅場に斬りかかろうとする。
止めなければ。俺は――アスナを止めるべく、走り出そうとしたが、
「ごめん、キリト君――邪魔しないで」
――全てを阻む重みが俺の身体にのしかかった。
駆け出そうとした足に強烈な負荷がかかる。今度は――減速系のスキル。
そうと分かった時、俺は叫ぼうとした。茅場か、アスナか、どちらの名を呼ぼうとしたかは分からない。
しかしこのままでは駄目だ。これは、この結末だけは、絶対に認めてはいけない。
けれど――駄目だ。もう止められない。
黒く脈動する翅を広げ舞い上がったアスナは、貫かれたままの茅場に近づき――
「さようなら、団長。私にとって最初のデスゲームを作った人――キリト君に会わせてくれたことには感謝してる」
――そう言って、躊躇なくその身体を斬った。
魔剣が不気味な唸り声を上げながら一閃される。
裂かれ、喰われ、がく、と震え、そして壊れた人形のように茅場のアバターは動かなくなった。
慎二が「ヒースクリフ!」と声を上げるのが分かった。アーチャーの焦りが伝わってきた。
俺はただ茅場のアバターが、ほかでもないアスナによって切り裂かれるのを見上げることしかできなかった。
「キリト君」
そうして剣を振るい終わると、アスナは俺を見下ろした。
「本当は一緒に行きたいけど、でも私はもう“選択”しちゃったから」
そして俺はその“選択”を絶対に止めなくてはならない。
全てを忘れてアスナの下に走るなんてことは、もうできない。
それをアスナも分かっているのだろう。どこかで自分が俺たちと“選択”を違えてしまったことを。
「だから一緒には行けない。私は――アリスたちを追わないと」
そう言って彼女は俺に背を向けた。
蠢く魔剣を引き連れ、彼女は去って行った。
俺は手を伸ばした。しかし届きはしなかった。だから名前を呼んだ。しかしきっとそれも届きはしない。
けれどそれでも呼ぶしかなかった。
たとえ意味がなくとも、それくらいしか俺にはできかったのだから。
叫んで、声が枯れるまで叫んで、ほんの少しだけ見える蒼い髪を求めて必死に呼びかけた。
しかしそれで奇跡なんて起こる筈もなく、俺とアスナは遂にはっきりと道を違えた。
◇
「……どうやらプレイヤーとしての“死”すら私にはないようだな」
アスナが去ったあと“現実”は元の場所に戻ってきた。
草原は抉れ、大聖堂は未だ毒に沈んでいる。
もはや見慣れたデスゲームの舞台だった。
「私が特殊なのか、それともアスナ君の剣によるものか、分からないが……」
そこに茅場は倒れていた。
与えられた終わりをただ享受するように、彼は不思議と穏やかな口調で言葉を紡いでいる。
しかしその声にはノイズが走っていた。ところどころ単語が切れ、時おり壊れたラジオのような妙な音を立てた。
声だけではない。彼のアバターは明らかに異常な状態になっていた。
貫かれた腹部のポリゴンは醜く崩れ、砕けたフレームが時節、ぱちぱち、と明滅している。
アバターとしても【ヒースクリフ】なのか【茅場晶彦】なのかぐちゃぐちゃに溶け合って判別がつかない。
どちらかの特徴が外面に出てもすぐに覆いかぶさるように消えてしまう。
確かにこれは“死”ですらなかった。
ゲームのPCはもっと分かりやすく死ぬ。
こんな生殺しのような、グロテスクな終わり方をする筈がない。
「まぁ、そのお蔭でそれなりに話せる時間が許されたのは、ありがたい」
そんな中になって、茅場の様子はどこか穏やかなに見えた。
慎二やアーチャーも黙って彼を見下ろしている。
彼らの表情が、打つ手がないことを示していた。
たとえ回復アイテム、あるいは蘇生アイテムがこの場にあったとしても、もはや彼には機能するまい。
アバターのデータが貫かれ、消えようとしている彼には……
「キリト君。私に残された最後の役割を果たそう」
だから俺たちはもう言葉を聞くしかなかった。
かつてもう一つの世界を夢想し、デスゲームを創り上げた稀代の研究者。
その残像の言葉を。
「“オーヴァン”に会うんだ、キリト君」
最後に彼が告げたのは、やはりその名だった。
「私が預言者の下で引き合わされたもう一人のプレイヤー。
あそこで私たちが出会った意味。ここで終わる私の役目。
答えは一つしかない。恐らく今後の鍵は――彼が握っている」
どんなシステムがこの“現実”を貫いているのかはわからない。
しかし恐らく茅場は与えられた役割を果たしたのだろう。
だから次は――
「ああそれと、思い出した。キリト君、これは私からの餞別だ」
茅場は不意に崩れゆく手を俺に向けた。
黙ってその手を握ると――俺のウィンドウにアイテムが出現していた。
「私のアバターにまつわるアイテムも消えるかもしれないのでね。
せめてこれくらいは残しておこう。素性は知らないが――良い剣だよ、それは」
「……死ぬ間際に剣を渡すなんて、ちょっと格好つけすぎじゃないか」
「ふ……それもまた私らしいだろう?
無論これも善意ではないさ。そうするのが私の役割と思っただけだよ」
おかしな話だ。
俺にとって茅場は、いうなれば仇敵の筈なのに、こんな軽口を交わしているなんて。
返すもがえす奇妙な関係だった。
この男を許す気はないが、同時に惹かれてもいた。
「芽吹いたぜ」
だからこそ、俺から奴にかける最後の言葉は一つしかなかった。
「――アンタの“種”は芽吹いた」
それは“答え”だった。
以前会った時に託されたもの。ザ・シード。新たな“現実”を想像する種子。
茅場の思惑通り、あれはネットワークの世界に確かに芽吹いた。
「そうか」
そう告げると、茅場は目を瞑った。
夢想したのかもしれない。彼が撒き、そして花開いた幾多もの“現実”を。
データとして崩壊しながらも、彼はただ己の夢を見た。
「では、一先ずさようならだ――また、会おう」
……そして訪れた最期の時、茅場はそう言った。
生死の枠組みからも、過去と未来の流れからも、全てから外れた彼がこれからどこに行くのかは分からない。
しかしだからこそ、俺は期待してしまった。
いつかどこかで、またこの男と俺は再会するのではないかなんて、思ってしまったじゃないか。
全く――また思わせぶりなことを言われてしまった。
【ヒースクリフ(あるいは茅場晶彦の残像)@ソードアート・オンライン Delete】
そうしてその男が消え去ったあと、意を決した俺は立ち上がった。
そして空を見た。何もない空が、がらんどうの空がある。
これから俺はこの空を飛ばねばならないだろう。
アスナはこの空のどこかに去って行った。俺はそれを追わなくてはならない。
アスナの“選択”を止める。
それこそが俺が下した“選択”だった。
[D-6/ファンタジーエリア・大聖堂前/1日目・日中]
※青薔薇の剣以外のヒースクリフの支給品は消滅しました。
【キリト@ソードアート・オンライン】
[ステータス]:HP80%、MP40/50(=95%)、疲労(極大)、SAOアバター 、幸運上昇
[装備]: {虚空ノ幻、蒸気式征闘衣}@.hack//G.U.、小悪魔のベルト@Fate/EXTRA、 青薔薇の剣?@ソードアート・オンライン
[アイテム]:基本支給品一式、不明支給品0~1個(水系武器なし)
[ポイント]:0ポイント/0kill
[思考・状況]
基本:絶対に生き残る。デスゲームには乗らない。
0:アスナを追い、その“選択”を止める。そしてサチも救う。
1:サチやユイ、それにみんなの為にも頑張りたい。
2:レンさんやクロウのことを、残された人達に伝える。
3:オーヴァンと再会し、そして――
[備考]
※参戦時期は、《アンダーワールド》で目覚める直前です。
※使用アバターに応じてスキル・アビリティ等の使用が制限されています。使用するためには該当アバターへ変更してください。
SAOアバター>ソードスキル(無属性)及びユニークスキル《二刀流》が使用可能。
ALOアバター>ソードスキル(有属性)及び魔法スキル、妖精の翅による飛行能力が使用可能。
GGOアバター>《着弾予測円(バレット・サークル)》及び《弾道予測線(バレット・ライン)》が視認可能。
※MPはALOアバターの時のみ表示されます(装備による上昇分を除く)。またMPの消費及び回復効果も、表示されている状態でのみ有効です。
【間桐慎二@Fate/EXTRA】
[ステータス]:HP40%、MP20%(+40)、ユウキに対するゲーマーとしての憧れは未だ強い、令呪一画
[装備]:開運の鍵@Fate/EXTRA
[アイテム]:強化スパイク@Fate/EXTRA、リカバリー30(一定時間使用不能)@ロックマンエグゼ3、基本支給品一式
[ポイント]:0ポイント/0kill
[思考]
基本:ライダーを取り戻し、ゲームチャンプの意地を見せつける。それから先はその後考える。
1:ひとまずはユウキ達についていきながら、ノウミ(ダスク・テイカー)も探す。
2:ユウキが――死んだ?
3:ライダーを取り戻した後は、
岸波白野にアーチャーを返す。
4:サチって子もついでに探す。
5:いつかキリトも倒してみせる。
6:ヒースクリフは……
[サーヴァント]:アーチャー(無銘)
[ステータス]:HP70%、MP15%
[備考]
※参戦時期は、白野とのトレジャーハンティング開始前です。
※アーチャーは単独行動[C]スキルの効果で、マスターの魔力供給がなくても(またはマスターを失っても)一時間の間、顕界可能です。
※アーチャーの能力は原作(Fate/stay night)基準です。
[???/???/1日目・日中]
【アスナ@ソードアート・オンライン】
[ステータス]:H悽譚・陦ィ遉コ縺(HP,MPはバグにより閲覧不可)、AIDA-PC(要・隔離)
[装備]:魔剣・マクスウェル@.hack//G.U.
[アイテム]:基本支給品一式、{死銃の刺剣、ユウキの剣}@ソードアート・オンライン、クソみたいな世界@.hack//、{黄泉返りの薬×1、誘惑スル薔薇ノ滴@.hack//G.U.、不明支給品1~4
[ポイント]:0ポイント/1kill
[思考]
基本:この殺し合いを止める。危険人物は徹底的に排除。
1:アリスを追って、討つ。
2:殺し合いに乗っていない人物を探し出し、一緒に行動する。
3:魔剣の力を引き出して見せる。
[AIDA]<????>
[備考]
※参戦時期は9巻、キリトから留学についてきてほしいという誘いを受けた直後です。
※榊は何らかの方法で、ALOのデータを丸侭手に入れていると考えています。
※会場の上空が、透明な障壁で覆われている事に気づきました。 横についても同様であると考えています。
※トリニティと互いの世界について情報を交換しました。
その結果、自分達が異世界から来たのではないかと考えています。
※AIDA-PCとして自覚しました。G.U.原作の太白のようにある程度魔剣を自発的に使い、制御できます。
【青薔薇の剣?@ソードアート・オンライン】
アンダーワールドの洞窟で、キリトとユージオが見つけた剣。
青白い氷の様な刀身を持っており、鍔元には薔薇の装飾が施されている。
とある名のある剣士が使っていたとされる、アンダーワールド屈指の名剣。
……の筈であるが、半崩壊状態のPCからの譲渡品の為、何かしら不具合を起こしている可能性がある。
最終更新:2016年02月16日 07:20