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新富人

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断裂する中国社会
1億円の超高級車を乗り回す「新富人」と年収100ドル以下の貧農9千万人と。
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1.聳え立つ高層マンションとうらぶれた低層住宅

香港の対岸に位置する広東省を3年ぶりに訪れた。広州空港は、3年前は拡張されたばかりで閑散としていたのだが、現在は利用者も激増して、世界のハブ空港と比べても遜色のない巨大空港に成長していた。しかも、新たな拡張工事が進んでいて、そんなに旅客需要があるのか、とつい余計な心配をしてしまう。

空港からの高速道路もトラックや乗用車で溢れていた。以前はこの高速道路もできたばかりで、ほとんど車が走っていなかった。ホンダ、トヨタ、日産がこの地に進出したせいか、日本車が目立つ。それもアコードとかカムリなどの2、3百万円もするクラスが多く、日本で激増している軽自動車はほとんど見られない。

街ではついに5つ星ホテルまで誕生したという。その21階の一室に泊まったが、内装や調度品も欧米の一流ホテルと遜色ない。泊まっている客も日本や韓国からのビジネス客ばかりでなく、中国人の観光客も多い。

窓から見渡すと、大きな川の対岸には、高層マンションが建ち並んでいる。わずか3年前にはなかった光景である。中国の凄まじい経済発展ぶりは、こうした光景の変化だけで十分に感じ取れる。

しかし、案内の人に聞くと、投資目的で買う人が多く、半分ほどは人が住んでいないという。また、窓からすぐ下を見てみると、裏通りに昔ながらのうらぶれた2階建ての住宅が見えた。

聳え立つ高層マンションとうらぶれた低層住宅と、このギャップに中国社会の現実がある。

2.「新富人(シンフーレン)」

東京新聞の論説委員で、1、2ヶ月毎に中国を訪れている清水美和氏は、北京でのこんな体験を語っている。[1,p25]

日本からの客を接待するため、新しくできた高級レストランの個室を予約しようと電話をかけた。「最低消費料金は1万元(1元=約14円)から」と言われて、あわてて電話を切る。結局、胡同(フートン、路地)にある老舗の食堂で北京の伝統料理を食べさせた。4人で3百元もしない。遠来の客は、これが本場の味と喜んで帰っていった。

1室最低14万円ものレストランの客は「新富人(シンフーレン)」と呼ばれる中国に登場した富豪たちだ。彼らは8百万元(約1億1千万円)以上もするベントレーで、こうしたレストランに乗りつけ、1280元(約1万8千円)もする日本産アワビ料理に舌鼓をうつ。1280元と言えば、貧困地域の農民の6年分の年収に匹敵する金額である。

ベントレーの最高級車の売上は中国が世界一。上海郊外では十億円クラスの超高級住宅が次々と建設される。アメリカン・ドリームならぬ「チャイナ・ドリーム」の世界である。

3.「上海一の金持ち」

清水氏の『「人民中国」の終焉』[1]は、新富人の代表例として「上海一の金持ち」と言われた周正毅の生い立ちを詳しく紹介している。2002年に米誌『フォーブス』が中国長者番付の11位と評価した人物である。周は自らの富豪ぶりをこう豪語する。

私には150億元(約21百億円)の資産がある。上海で最初のフェラーリを買い、香港には3つの豪邸を持ち、車もBMWやベントレーなどもある。大量の株券に加え、転売を待つマンションもある。農業、ハイテク、高速道路、ギャンブル船にも投資してきた。これまでは隠してきたが、商品先物市場の会員で、証券会社2社、全国規模の商業銀行1行の大株主でもある。上海の上場企業2社、香港の上場企業2社も買収した。[1,p38]

40歳前後の若さで、周はどうやってこれだけの財産を手に入れたのか。周は1964年、上海の下町に住む労働者の家庭に生まれた。中学を卒業して、月給30元(400円ほど)で工場勤務をしていたが、1980年代にトウ小平が改革・解放を呼びかけたのを機会に、ワンタン売りの小さな店を始めた。その後も育毛剤の販売やレストラン経営をして、徐々に財産を増やしていった。

4.「一株2元があっという間に20数元に化けた」

周が投資家として大きく飛躍したのは、1995年に多くの国有企業が株式制に移行した時だった。国有企業の株式は上場前に従業員に配られたが、労働者の多くは株式の知識が乏しく、目先の現金欲しさに1株2、3元で株を売り払った。これらの株は、上場後に10倍以上に値上がりした。周はこう語る。

2、30万元買った会社もあれば、何百万元買った会社もある。最も多かったのは「福建九州」で2千万元買った。このうち「珠海格力電器(グーリー)」は一株2元があっという間に20数元に化けた。

この時期に、周は「1億元(約14億円)」以上、稼いだという。

株式制は、慢性赤字に悩む多くの国有企業を改革するために、とられた政策だった。「多くの株主が企業を共有する株式制は公有制の一種と見なす」という見解が、中国共産党の第15回で打ち出された。本来、資本主義的制度である株式制を、共産主義の本質である「公有制」に言いくるめてしまう、まことに中国らしい融通無碍な解釈である。

5.共産党幹部たちの国有企業簒奪

国有企業は雪崩を打って、株式化されていった。しかし、その実態は多くの株主による「公有制」とはほど遠いものとなった。

たとえば、2000年4月に、湖南省・長沙市の3社が株式制に移行した。これらはいずれも経営状態の良い、改革など必要のない国有企業だった。「湖南湘江塗料」は全国でもっとも経営状態のよい500社の一つとされていた。「湖南通大」は全国500大機械会社の一つ。「湖南友誼アポロ」は、従業員5千人を超える、売上高全国6位の超大型百貨店であった。

こうした優良企業が株式化され、従来からこれらの企業を経営していた党幹部に、重点配分された。党幹部たちは、銀行からの融資で自社株を買い集め、わずか10日ほどで、オーナー経営者に転身した。

共産党の幹部が、国有企業の株式を自分たちに優先配分し、監督下にある銀行から資金を出させる、という形で、人民の「公有財産」があっという間に共産党幹部たちの「私有財産」となったわけである。「国有企業改革」という旗印のもと、こうした党幹部たちによる国家財産の簒奪が、全国規模で、かつ史上まれに見るスピードで進んだ。ここから多くの「新富人」が誕生した。

2001年7月の中国共産党創立80周年記念大会で、江沢民主席は、市営企業家の共産党入党を認める演説を行った。海外では、中国共産党が市営企業家を取り込んで、国民政党に脱皮しようとしている、と好意的に受けとめられた。

しかしその実態は、共産党員が国営企業を私物化して、私営企業家となったのである。企業家党員のうち、もともと私営企業家で、江沢民の演説以降に入党した者は0.5%に過ぎない。逆に、企業家党員の3分の一は政府機関の幹部経験者であった。

6.「我々から生きる糧を奪うのか」

周の話に戻ろう。「新富人」となるもう一つの手段は不動産投資だ。もともと共産中国では土地はすべて国有が原則だったが、1990年代から国有地使用権の有償払い下げが認められた。

周は、上海の中心、人民広場から歩いて15分の「東八塊」と呼ばれる一帯を再開発する権利を手に入れた。東京ドーム4個分に相当する18万平方メートルの市内一等地に、20世紀初頭からの古くて狭い2階建てが軒を重ね、住民1万2千世帯が住んでいる。

周は、この住民を立ち退かせ、50億元(約700億円)を投じて、オフィスビルや商業施設、高級マンションなどによる「静安国際コミュニティ」を建設する計画を進めた。完成時の収益予想は30億元(約420億円)と見積もられた。

一方で、郊外への立ち退きを迫られた住民たちには、厳しい運命が待っていた。この地で8畳間ほどの小さな雑貨店を営む男性は、市の中心を離れた、しかも通りに面していない一般住宅を与えられた。これでは雑貨店をやっていけない。しかも、その新居に27万8千元(約390万円)を払わねばならないが、移転補償で支払われるのは19万4千元(約270万円)に過ぎない。不足分は自分で借金をして、工面しなければならない。彼はこう嘆いた。

私たちは法を守って誠実に生きてきた。しかし、政府はこのような富豪の利益のために、我々から生きる糧を奪うのか。

7.「野蛮な取り壊し」

土地などの「社会主義の公共財産は神聖にして不可侵」と憲法で謳う中国では、個人の居住権は認められない。地元政府が再開発を決定し、その土地の家々に「拆(チャイ、取り壊し)」とのビラを貼ったら、住民たちは定められた補償金を手に、期限内に立ち去らねばならない。抵抗すれば、強制的な取り壊しが待っている。それも日本の地上げ屋とは比較にならない粗暴なやり方がまかり通っている。

2003年に南京市の中心街の一帯が、再開発のために立ち退きを命ぜられた。1千世帯以上は立ち退きに同意していたが、補償額に不満な翁彪(当時39歳)ら10世帯が交渉を続けていた。

8月のある日、翁彪は交渉のために現場事務所に呼び出された。その隙に、10数人の作業員が家になだれ込んだ。妻は無理矢理家から押し出され、74歳の父は、外のレンガの塊の上に放り出された。彼らはブルドーザーで、2分もかからずに家を押しつぶした。妻は言う。

私たちが10年暮らしてきた思い出の品も取り出すことはできませんでした。家は一瞬にして廃墟に変わり、私のカメラや、結婚するときにお姉さんがくれた金銀の首飾りもなくなり、CDやベッド、クレジットカード、5千元の現金もすべて、だれかが持っていってしまいました。

異変を聞いて駆け戻った翁は、瓦礫の山となった自宅を見ると、何か大声で叫び、事務所にとって返した。そして、そこにあったバイク用のガソリンに火をつけ、作業員を巻き添えに焼身自殺を図った。翁は全身やけどで重傷を負い、2週間後に亡くなった。

北京では、この年の7月1日から8月20日の2ヶ月足らずの間に、共産党北京市委員会に強制立ち退きなどを巡って直訴に訪れた人は1万9千人に上り、また9月15日から10月1日の間に3人が抗議の焼身自殺を図った。北京市は9月末に、取り壊しの際に、「威嚇」「脅迫」「詐欺」などの不当な手段を用いる事を禁じ、「野蛮な取り壊し」には法的責任を追及する、との通達を出した。それだけ「野蛮な取り壊し」が横行している証左である。

8.「革命前の地主は搾取はしても、土地は奪わなかった」

周の「静安国際コミュニティ」には後日談がある。周が地元の西安区政府への土地使用権の払い下げ料3億元を一銭も支払っていない事実が発覚し、中国最強の捜査機関である党中央規律検査委員会が周の身柄を拘束して、取り調べを開始した。同時に周に対する不正融資疑惑で、劉金宝・香港中国銀行総裁が北京に召還され、更迭された。

米紙「ニューヨーク・タイムズ」は、周が入札も経ずに再開発の権利を獲得した時期の上海市共産党委員長書記であり、江沢民前主席の片腕であった黄菊・筆頭副首相の政治的前途に暗雲が立ちこめた、と報じた。

これは江沢民前主席率いる上海閥に対する胡錦涛・現政権の攻撃であると言われている。この権力闘争がなければ、周と共産党トップや銀行家との癒着は明るみに出なかったろう。同様の癒着が中国各地の再開発事業の陰に潜み、人民の土地を私物化して、新富人を生み出している。

農村でも同様の土地の収奪が行われている。もともと農民一人あたりの耕地面積は0.24ヘクタールと日本の5分の一にも満たず、生産性向上のために農地の譲渡というタブーが解禁されたことで、土地紛争が激増した。

県政府や村の幹部などが、わずかな補償金で農民から土地を巻き上げて、転売するという形の収奪が広範に行われている。党機関誌「人民日報」は「失地農民の数は現在、4千万人に達しており、毎年2百万人ずつ増加していく」と報じた。

中国改革発展研究院が出したレポートは、こう警告している。

土地を失った農民は新中国建国以前の農民を上回る不満を抱く可能性が強い。なぜなら以前の農民は地主から搾取はされたが、土地を奪われた経験はないからだ。

この警告は現実のものとなりつつある。公安部の発表では、2005年1年間に発生した騒乱やデモなど「公共秩序を攪乱する犯罪」は8万7千件に達したという。

9.「仇富」「殺富」

10億円超の豪邸に住み、1億円以上の超高級車を乗り回す新富人階級と、年間収入が百ドル以下の農民9千万人。中国社会は今や真っ二つに「断裂」(中国紙)している。

しかも問題なのは、新富人階級が共産党の権力を乱用して、国有企業や土地を私物化して富をなしていることだ。中国共産党は、かつて地主や資本家に搾取されている農民・労働者を解放するという旗印を立てて、政権を奪取した。その共産党の幹部たちが、今や新富人階級と化して、革命前の地主や資本家よりも非道い搾取を行っているのである。

彼らに対する怨嗟や憤りの声が高まるのは当然である。「仇富(チョウフー、富豪に仕返しをする)」「殺富(シャーフー、富豪を消滅させる)」といった物騒な言葉がマスコミにも踊っている。二度目の階級闘争がすでに始まっているのかもしれない。(文責:伊勢雅臣)


リンク■

a.JOG(027)社会主義市場経済に呻吟する民
上海市崇明県では89年に135体もの老人変死体が発見されている。そのうち79体が自分の子供に扶養してもらえないことを苦にした自殺であった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_1/jog027.html
b.JOG(224)「油上の楼閣」中国経済
経済発展する壮大な楼閣は、一触即発の油の海に浮かんでいる。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h14/jog224.html

参考

(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
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1.清水美和『「人民中国」の終焉―共産党を呑みこむ「新富人」の台頭』★★★、講談社+α文庫、H18
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062810670/japanontheg01-22%22
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