知るも知らぬも大阪の席

2008.4.トルコ

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kyo

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4月25日(金)

人生初の完全パックツアーでトルコへ。私にとっては仕事よりも大変かも知れない、「自由時間ゼロの旅」。詳細をよく聞かないまま、軽い気持ちで行く、と言ってしまい、あとでスケジュールを知らされて絶句した。うぉ〜。一緒に行く人たちに迷惑かけない様に頑張るぞ。
ウズベキスタン航空でトルコへ。恥ずかしながらウズベキスタン航空に乗ると知って初めてウズベキスタンがどこにあるかを知った。
ウズベキスタン航空は、関空−成田−タシケントを3角に飛んでいる。行きは関空ータシケントーイスタンブールで、帰りはイスタンブールータシケント−成田−関空という航路。
ひる:ウズベキスタン航空機内

私はビーフシチューのようなものを頂く。意外とおいしかった。

軽食:タシケント空港内

トランジットでしばしの待ち時間。空港内のレストランで腹ごなし。ビールとヌードル入りのチキンスープを。カードは使えず、ドルの現金で支払う。ビールとスープ、どちらも確か3ドルだったような。スープの味は薄味だったけど、個人的にはおいしかったと思う。

よる:

イスタンブールのホテルに着いたら、部屋に荷物を置いて、我々だけ抜け出してホテルの裏のバーへ。この後、さんざん飲むことになる「エフェスビール」と、ギリシアのウゾに似たトルコのお酒、ラクを頂く。このお店は生演奏でトルコ民謡のライブがあったのだが、旅のお連れ様がマイクを向けられ、いきなりトルコの歌を唄ったのには驚かされた。初日からいい経験ができた。

4月26日(土)

イスタンブールの街角

左はあの、オリエント急行の終点、スィルケジ駅。残念ながら、パリ-イスタンブールをつないでいたオリエント急行は1977年になくなってしまったそうだ。

地下宮殿

ローマ時代、4世紀から6世紀に造られた地下の貯水池。よく見ると柱の様式はばらばら。これらは各地の遺跡からいらなくなった柱を再利用して使ったからだそうだ。だから、この横向いたり、逆さま向いたりしているメドゥーサの首もどこかの遺跡からの流用でココ用に造られたものではないらしい。しかし、使いまわしだからといっても、頭像を逆さまや横向きにして柱の下敷きにするなんて。。。当時のローマ時代はキリスト教。多神教時代の神の象徴に対する悪意なのか。この頭像が見つかったのは1984年の大改修時というから随分最近の発見なんですね。

船に乗る前にサバサンド

自由時間がないから、一瞬の隙を見つけて買い食い。海に浮かぶ船の上でサバを焼いている若者にサバサンドをお願いする。結構豪快にサバと野菜を突っ込んである。サバがおいしかった。素朴な味。

ガラタ橋

イスタンブールの旧市街と新市街を結ぶ橋。橋の下にもいろいろとお店があって行きたかったけど時間がなくて行けなかった。

金角湾から新市街を望む

ぽんと一つだけ頭飛び出している塔がガラタ塔。6世紀初め頃からあったそうだが、火事で焼失し、今残っているのは14世紀に再建されたものだそうだ。6世紀の頃は灯台だったらしい。その頃の海岸線はもう少し内側だったのかな。

ドルマバフチェ宮殿

31代目スルタンが19世紀半ばに完成させたバロック様式とオスマン様式の宮殿。この豪勢な宮殿の建設がオスマン帝国の財政破綻の一因となったそうだ。日露戦争のヒーローの乃木大将がここで1911年にオスマン帝国皇帝と謁見している。長い間トルコを苦しめていたロシアに勝った国、ということで日露戦争での日本の勝利はトルコにとっても、とてもうれしかったらしい。当時のトルコでは子供に「ノギ」とか「トーゴー」という名前を付けられた人が結構いたんだそうです。なんかすごいな。

ルメリ・ヒサル

ボスポラス海峡のヨーロッパ側の要塞。15世紀半ばにメフメット2世が3000人の職人を使って4ヶ月で完成させたそうです。

スルタンアフメット・ジャーミィ

ブルーモスク。どんなに高貴な人が建てたモスクでも、ミナレット(尖塔)の数はモハメッドのモスクのミナレットの数6本未満じゃないといけないらしいのだけど、ここは6本。発音が似ている「黄金」と「6」を聞き間違えて建築家が勝手に黄金のミナレットではなくて6本のミナレットを建てちゃった、という詭弁で逃げたそうだ。

スュレイマニエ・ジャーミィ

トルコ最高の建築家ミマール・スィナン(すみません、知りませんでした)が建てた少しこぶりのモスク。バランスのいい空間で、内装も繊細でキレイだった。

エジプシャンバザールにて買い物

食料品を多く売っているガラタ橋のたもとにあるバザール。お店にはそれぞれ番号が付いているが、48番のお店の地下で売っているカラスミやキャビアは味見をさせてもらったものと、包んでもらったものは全然違うものである場合があるので要注意でした。ベルーガのキャビア、と言われたものは買った後で、あまりに変な味がするので熱湯をかけたら溶けてしまいました。なんと化学製品の偽物でした。(偽いくらと同じ原理でそれより質の悪いものだと思う)ちなみに、このお店、1階は普通の布製品を売っていて、全く食料品を扱っている様には見えません。
モロッコのバザールを思い出した。

首都アンカラまではバス(!)で

内陸にあるアンカラまではバスで約6時間の行程。車窓からはのどかな風景が見える。

夕食のメインはキョフテ

レンズ豆のスープと、チーズパイと、ピラウを添えたキョフテ(肉団子)

4月27日(日)

カッパドキアの洞窟レストランでお昼

レンズ豆のスープと豆の煮込みとマスのフライ。マスは少し生臭かった。勧められたカッパドキアの赤ワインは少し甘かった。全体的にトルコで飲むワインは少し甘めが多い。

カッパドキアの風景

ローマ帝国のキリスト教弾圧から逃れた信者がここの岩の中に穴を掘って住み始めたのが最初だそうだ。火山灰と溶岩でできた地層が風雨による浸食で不思議な地形が出来上がっている。確かに、手で触ってもぽろぽろと砂が落ちるくらい岩の部分はもろく、簡単に掘れてしまいそう。

夕食はコンヤのホテルで食事

スープとペンネアラビアータとローストビーフ
なんで、こういうメニューなのかな、トルコ料理が食べたいな、だけどツアーだから選べないんだよな、と思いつつ食事を終え、ホテルの向かいのショッピングセンターへお酒を買いに行ったが、お酒は売ってなかった。後で聞いたら宗教心の強いエリアでお酒はなかなか手に入らないんだそうだ。街中でも酒場は少ないらしい。仕方なく我々はホテルのバーに戻ってしめ。

4月28日(日)

この日はパムッカレへ移動
コンヤの街でメヴレヴィ教団の創始者メヴラーナ氏の霊廟を見学してから出発。実は前からメヴレヴィ教団の儀式であるセマー(旋舞)を見たいと思っていたので、ここの博物館に来られたのはラッキーだった。残念ながら旋舞は見られなかったけど。

羊の群に遭遇

むしゃむしゃむしゃと静かに静かに草を食べながら進んで行く。トルコの羊は痩せている。


お昼は道中で。エトリ・エキメッキとかいうコンヤ地域の薄いピザ。ミンチ肉とネギのようなものが乗っている。それと肉入りムサカの挽き割り小麦(ブルグル)ピラウ添え
このピザ、冷えてたけどかなりおいしかった。(たいていのお料理は冷えぎみ。団体分をいっきに用意しなきゃいけないから仕方ないんだろう。)


昔はここに街があって、みんなは海を眺めながら千枚皿のような温泉の流れる天然の露天風呂で楽しんでいたんだなぁ、と思うと不思議。

遺跡が沈んだ温泉。テーマパークみたい。温泉の温度はあまり高くないので、少し寒いかも。

夕食はまたホテルのバイキング

普通でした。我々はワインのボトルでお食事を流し込んだ感じ。

ホテルの泥温泉
夕食後、ベリーダンスを見てから泥温泉へ。ここで買ったばかりのパーカーを忘れて来てしまった。

4月29日(日)

この日はエーゲ海のアイワルクへ移動

左は地熱発電。右は途中でガイドさんがバスを止めてイチゴを買ってくれたところ。

お昼

革製品のお店でコートを買ってから、道の駅のようなところでお昼ご飯。羊のケバブのピラウ添え。羊が苦手という人が結構多くて意外だった。

夕食はまたまたホテルのバイキング

写真の真ん中はピーマンの肉詰めならぬ、ご飯詰め。名物料理らしいのですが味はかなりかなり微妙でした。この辺りでだんだん、世界3大料理のはずのトルコ料理に不安を感じ始めていた。大阪に戻ったら絶対トルコ料理のお店に行こう。

4月30日(日)

アイワルクのリゾートホテルからの夜明け

抜け殻のトロイ

冒険家シュリーマンが財宝だけ取り出して持ち出してしまったトロイには、いまだ発掘途中の遺跡と模型のトロイの木馬があった。

チャナッカレでお昼

味についてはノーコメント。

スィルケジ駅のレストランで夕食

船でイスタンブールへ。
インゲン豆のトマト煮込みと、スパゲッティトマトソース
スパゲッティは、そうですね、給食のスパゲッティのような懐かしい感じでした。のびのびでふにゃふにゃ。あるいは今時の給食のスパゲッティはもっと進化しているのだろうか。
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