.
今も、その背中を追い続けている。
「――――フランチェスカ。おいて行かないでよ、フランチェスカ」
紺色の軍服、傷だらけのロングコートが、正面から襲い来る吹雪によって翻る。
振り返ることなく、凍土を踏み砕く力強い歩み。
もう動けない私をおいて、次の戦場へと向かって行く、気高き女の後ろ姿。
満身創痍の身体で、空前の灯火となった命を、それでも加熱させて駆け抜ける。
同じ軍人ならば誰もが憧れた、イタリアが誇る最後の獅子。
「――――なあ、スピカ。懐かしいな」
最後に一度だけ、彼女は私に言葉をくれた。
目線を前に向けたまま、僅かに首を傾けて、口元を僅かに綻ばせて告げたのだ。
「――――憶えているか、私達が出会った日のことを」
絶望的な戦いに赴く彼女は、それでも最後に笑ったのだ。
彼女は戦った。軍人だから、職務だから、それがきっと、正しいことだから。
正義のために、誰かのために、自分の信念ために、命ある限り戦い続ける。
フランチェスカ・フランクリーニは、それが出来る人だった。
きっと今も、戦っている。
彼女はまだ、負けてない。
私は、そう信じてるから。
「――――忘れられるわけないよ、ずっと」
だからずっと、私は今も、その背中を追い続けている。
◇
203X年、九月下旬。人類滅亡の黎明期。
地上に出現した十二の災厄は、未だ国際社会にその存在を認定されていなかった。
しかしこの時点で、種子は既に発芽を果たし、逃れられない崩壊の波濤が世界各国に広がっていく。
よって、その戦いは人類が崩壊の脅威を認識できぬまま始まった、最初の衝突だったとされる。
後に第三崩壊と呼ばれた、ロシアで発生した"残械皇國"。
後に第四崩壊と呼ばれた、ドイツで発生した"最終冰期"。
どちらも自国を制圧した上で開始された明確な国家間殲滅戦争であり、二国に挟まれた緩衝地域を踏み潰すようにして進軍した果てに激突を見る。
第三次世界大戦の幕開け。それは人類の長い歴史を振り返っても、過去に例を見ないほどに苛烈を極めていた。
ドイツ軍、虐殺部隊『Arktis-Jäger』。
ロシア軍、鏖殺戦機『железная』。
保存と整地。
基盤となる思想に違いこそあれ、両者の方向性は人類を皆殺しにするという点で一致していて。
激突までの間、彼らが通過した都市は、ヨーロッパ領もロシア領も、全て等しく戦火に飲まれていく。
勿論、両軍の衝突地点となった場所がどれほど悲惨な損害を受けたのかは言うまでもない。
つまり私――スピカ・コスモナウトが14歳の頃まで住んでいた街は、あの日、北と南から波のように押し寄せた崩壊によって完膚なきまでに押し潰され。
そこにあった命は冷徹に刈り取れられていった。
街において死に方は二種類あって、人々にはどちらかを選ぶことすら許されてはいなかった。
単純に、北側は鉄騎による鏖殺、南側は魔王による凍結、という分類がなされ。
私はその日、南側の家屋にいた。だから本当なら、両親や兄弟と一緒に氷の像になっていた筈で。
なのに、ふと頭の中に浮かんだ死の未来。
そのときはまだ、神禍とも認識出来ていなかった予知から、無我夢中で逃げ出した先に。
絶対零度の化身、恐ろしい魔王に出会った。
崩壊した街の中央、鉄片の飛散する瓦礫の山の頂上にて、凍りついたまま砕け散った巨大な多脚機械が沈黙している。
機械の皇帝を単身で撃破したその災害が足元の鉄を踏み砕き、底冷えするような目線が、恐怖に震える私を貫いた、その刹那。
「――目標、補足。全軍、攻撃を開始せよ」
獅子は、私の目の前に現れた。
まるでお伽噺の英雄のように。
颯爽と、堂々と、魔王に立ちふさがったのだ。
「奴の異能は度外れている。決して正面からぶつかるな。散開して注意を分散させろ」
紺色の軍服、ロングコートが、正面から襲い来る吹雪によって翻る。
振り返ることなく、凍土を踏み砕く力強い歩み。
動けない私を背に守り、正面の敵へと向かって行く、気高き女の後ろ姿。
「キミ、よく頑張ったな。辛かったろう……だが、もう大丈夫だ」
命(とき)を火にくべて駆け抜ける。
同じ軍人ならば誰もが憧れた、国連軍の希望、イタリアが誇る最後の獅子。
「……大佐、その子は?」
「唯一の生存者だ。必ず守り切れよ、レオナルディ少佐」
「了解」
「全軍、牽制を終え次第、直ちに少女を保護して撤退を開始しろ」
駆け寄ってきた側近の部下へ告げた指示とは正反対に、彼女は更に一歩前に出た。
「しかし、では……大佐は?」
「決まっているだろう。私は、いつも通り動くさ」
口元を軽く綻ばせ、彼女は往く。
振り返ることなく、たった一人で、目前の崩壊へと挑もうとしている。
「まったく大佐は、それでは部下として立つ瀬がない。走り出した大佐は、誰にも追いつけないのですから」
「いつも言っているだろう、少佐。誰も、私に追いつく必要などない。先頭を往くのも、傷つくのも、私だけでいいのだ」
「……分かりました。では…………必ず、戻ってこいよ、フランチェスカ」
「当然だ。帰ったら上官への口の聞き方を矯正してやろう、レオナルディ少佐」
彼女は、誰もをおいて先に往く。
初めて出会ったときから、あの人はずっと先を走っていた。
「では、挑むとしよう―――"終演・刻越疾壊(クアルト・ディザストロ)"」
きっと、その日からだ。
私が獅子の背を追い始めたのは。
◇
エリアE-6、デパート屋上。
それが私のスタート地点のようだった。
目の前にはちらちらと舞い落ちる雪と曇天。
いつもどおりの終末景色の手前に、見慣れない風景が広がっている。
遺棄された子供用カートや、こじんまりした体験型アトラクション、雪の積もった床を転がるキグルミのガワ。
布のカビてホラーチックになったコアラのようなアライグマのような生物は、かつてこの施設のマスコットキャラクターだったのか。
デパート屋上遊園地。
ひょっとしてそれは、寒冷化よりも以前に閉鎖された、文明の遺跡じみた場所だったのかもしれない。
広範囲の戦闘が発生した場合、遮蔽物は多いが脱出口に乏しい場所だ。早期の移動を検討すべきだろう。
ふと身体を動かした拍子に、肩からずり落ちた黒鉄の塊が膝に当たって、ちょっと痛い。
ひりひりする足をさすりながら、私の体型には全く不釣り合いな、歪な形に捻じくれた大型機関銃を持ち上げる。
それはやはり、銃と言うにはあまりに異質な物体だった。
捻りあげたような形の銃身には腕や目のような有機的なパーツが付いていて、相変わらずグロテスクというよりアートチック。
どうやら、自前の武器は没収されずにすんだらしい。
整備状態を見直し、問題ないと判断できた。
まず周囲の把握を終え、次に装備の確認に移る。
それはこの数年間で叩き込まれた、軍人としての習性のようなものだった。
異常事態でこそ、身体に染み付いた規律が支えになる。
かつてそう教えてくれた上官。
私の前から姿を消した彼女の名は、配られた名簿の中にあった。
「……フランチェスカ、ほんとにいるのかな」
自然、声になった呟きは冷たい空気の中に、白い息と一緒に溶けて消える。
「また、会えるのかな」
肩からぶら下げた機関銃を軽く撫でながら、どこにも届かない言葉を紡ぐ。
「会えたとして、どんな顔で会えばいいんだろうね」
本当に生きていたのか。いま、どんな状態なのか。
彼女は死んだと聞かされていた。だけど、私はそれを一度だって信じたことはなかった。
「追いつけるのかな、私は……今度こそ……」
どこからも答えはない。
抱えた銃は、何も答えない。
代わりにぴくりと、僅かな熱が伝わって。
「……ラザロ?」
私は気づく。
廃墟だと思っていた屋上遊園地の最奥部。
朽ちたアトラクションの隙間から、たった一つだけ、明かりの灯る施設が見えた。
莫迦なと、直感的に思う。
何かの間違いじゃないだろうかと。
屋上遊園地どころか、デパート施設そのものに、ろくに電気なんて通っていない筈なのに。
神禍だ。他にありえない。
はっきりしている事実は一つ。
誰かが、あの場所にいる。
私と同じ、参加者の誰かが。
銃を構え、警戒体勢に移行する。
退くか、接近するか。どうするべきか。
数秒の逡巡の後、私は施設へと足を向けた。
心を決めたなら、まず動け。
それもまた、いつか叩き込まれた教訓の一つだった。
◇
「スピカ……いや、コスモナウト二等兵」
出会った日以来の、厳しい軍人としての声が叩きつけられる。
「今日をもって貴様は保護された一般市民ではない。
国連常設軍所属、『秩序統制機構』の一員となる。
貴様が若輩者であることも、入隊にいたる特殊な経緯も理解している。
だが、私の部下になるからには、一切特別扱いはせん」
フランチェスカの訓練は、本当に一切の容赦が無かった。
地獄のような、しごきの日々。
猛烈なスパルタ教育は筆舌に尽くし難いもので、初日から泣いて吐いて気絶しての七転八倒。
「理解したらさっさと敬礼と返事をせんか、二等兵ッ!」
正直、先日まで運動音痴の学生だった14歳にとっては、あまりにも過酷で。
一時期は本気でサディストなんだと思ってたし、普通にめちゃくちゃ嫌いになった。
「迅速に判断しろ! そして決めたならまず動け! 敵(とき)は一秒も待ってくれんぞ!」
だけど、今なら分かる。
彼女には時間が無かったのだ。
そして世界にも、時間は残されていなかった。
それに気づいていたのはおそらく、誰よりも先を走っていた彼女一人だった。
寒気が本格的に世界を覆った後も、彼女が去ってしまった後も、人類の滅亡が避け得ぬ未来として確定した今も。
私が生きてこられたのは、彼女と彼女の仲間達が遺してくれた、修練と教訓のお陰だから。
◇
円形に縁取られた施設の最奥に、初老の女が立っていた。
汚れた壁が一面を覆う閉鎖空間。
カビとガラクタに塗れていて、どう見ても廃材にしか見えない塵を拾い集める、襤褸を纏ったような姿は東洋の妖怪めいている。
「ふむ、最初に遭うのがキミとはな。スピカ・コスモナウト。
人類の死刑宣告を垂れ流すだけの機械が、随分人間らしい面構えになったじゃないか」
私の名前どころか、素性すら知っている。
その時点である程度正体は限られる上に、そもそも私は彼女のことを知っていた。
「……"最後の船長(キャプテン・ペイク)"」
「ああ、直接話すのは初めてだね。"国連の宣告者(デクレアラ)"」
宇宙飛行士、ジャシーナ・ペイクォード。
確かに彼女の名も名簿にはあった。
というか国連に所属していて、その名を知らぬ者はいない程の有名人。
ジャシーナには数多くの美名と悪名が混在する。
曰く、浪漫の使徒、絶対的エゴイスト、母星を見捨てた裏切り者。
「ま、お互い、国連じゃあ有名人さね。その国連すら、今やどこにもありゃしないが」
国連軍創設構想の最初期にも関わったとされる、元軍人上がりの宇宙飛行士、兼宇宙ステーションの船長。
彼女は氷河期の到来から間もなく、宇宙ステーションを独断で占拠し、国際社会からの独立と、地球圏からの離脱を宣言。
宇宙からのアプローチを地球救済の希望の一つと期待していた国連にとって、これは多大な衝撃となって伝わった。
結果、ジャシーナの行動は明確な反逆行為と見なされ。
一時期、彼女のステーションと国連軍は完全な敵対状態に移行する。
当初は彼女の部下たちが冷静な判断によって解決するだろう、と目されていたのだけど。
ジャシーナ・ペイクォードは圧倒的なカリスマにより、クルーの人心を掌握していた。
事実、全ては彼女の描いた基図の通りに進む寸前だったのだ。
ジャシーナにとっても、国連にとっても想定外の事態さえ起こらなければ、彼女の船は本当に宇宙の果てへ飛び立っていたのかもしれない。
出港直前、一発の隕石の直撃。冗談のような悲劇だった。
ただ一匹の人類も逃がしはしないという、神の意思の如き不運によって、最後の船団は崩壊したのだ。
クルー全員を見捨てて宇宙船を離脱した、たった一人の船長を除いて。
「……あなたは……どうするつもりですか?」
「ん……? ああ、アタシがこの下らん催しを、どう捉えているかって話かい?」
ガラクタの絨毯から身を起こし、廃材を手放して、すっくと立ったその姿は細身でありながら驚く程の長身だった。
不敵な笑みを湛え、燃えるような情熱を込めた視線で見下ろしてくる。
その瞬間、私は理解した。
この人は、まだ何も諦めていないのだと。
夢を叶える寸前で打ち砕かれて、クルーの全てを失って、何もかも奪われて尚、可能性を追い続けている。強い、女性。
私の知る限り一番のそれであるフランチェスカとは全く違う痩躯でありながら、瞳に燃える輝きだけは彼女と同等の光を放っている。
たった一人になっても、船長は夢を追い続ける。
ならばきっと、この場所で、彼女の至る答えは―――
「そうさね、ちょいとばかし、試してみるか」
ゆら、と。持ち上がった細い腕の先。
老女の握る骨董品、クイーン・アン・ピストルが、私の額に向けられていた。
◇
「よ、よぉ、スピカ。最近は元気してるか?」
「……まあまあです。レオナルディ少佐」
「そうか、あー、あれだ。前にも言ったが、非番の時はもっと気楽に呼んでも良いんだぜ?」
「検討しておきます。レオナルディ少佐」
「そ……っか、えーっと、それでだな今日はほら、確かあれだろ……?」
「フランチェスカに用事ですか?」
「まあ、そうだ。呼んできてくれるかい?」
「残念ながら、まだ部屋で寝てます」
「ええ……もう昼回ってるぞ」
「任務外だと案外ズボラな人ですから。自分の誕生日だろうと、それは変わらないようです」
「そっか、だったら、しょうがねえ、フランのやつが起きたらさ、これ渡しといてくれよ」
「綺麗な指輪ですね…………私が渡してよいのですか?」
「んだよ、別に良いに決まってるだろ」
「分かりました。では、また」
「ああ」
「しかし、ひとつだけ」
「んだよ」
「あのひと朴念仁なんですから。さっさと告白しないと逃げられちゃいますよ、少佐」
「ちょっとこら、どういう意味だ、スピカてめ―――」
「―――おい、うるさいぞ馬鹿ども! 休みの日くらいゆっくり寝かせろッ!」
◇
ジャシーナは至極あっさりと引き金を引いた。
古めかしいフリントロック式の拳銃から鉛玉が吐き出され、私の頭蓋を捉える。
額を貫いた弾丸が後頭部から吐き出され、背後の壁を穿つ頃には既に意識は殆どなく。
ただ、一発の銃撃によって、私は死んだ。
。だん死は私、てっよに撃銃の発一、だた
。くなど殆は識意に既はに頃つ穿を壁の後背、れさ出き吐らか部頭後が丸弾たい貫を額
。るえ捉を蓋頭の私、れさ出き吐が玉鉛らか銃拳の式クッロトンリフいしかめ古
。たい引を金き引とりさっあ極至はナーシャジ
ジャシーナは至極あっさりと引き金を引いた。
咄嗟に左側の遮蔽に飛び込んでいなければ、今頃私の額には穴が空いていただろう。
身体が地面に叩きつけられても構わず、転がっていた廃材を蹴飛ばして身を隠す。
虫のように床を這いずりながら、遮蔽物――並べられた座席の間を移動する。
継続して移動し続けなければ、動きを読まれて当てられる。
その判断を裏付けるように、先程まで潜んでいた座席の裏を銃弾が貫通した。
「ほぉ、いい動きだ。悪くない。だがそれだけでは足りないな」
とんでもない当て勘。恐ろしいほどの射撃精度だった。
元軍属といえども、一線を退いたはずの老女に殺されかけた。
私がいま生きているのは、やはりここ数年の訓練と、そしてもう一つ。
「キミのことはステーションで伝え聞いていた。
その時点での評価としては、興味と不信が半々といったところだ。
能力は買うが、キミ自身がそれを忌避しているようじゃ宝の持ち腐れだろう」
予知能力。私の神禍。あの場所で、私の価値とされたもの。
自らの死を予感し、避け得る力は確かに、私を永らえさせた大きな要因だったけど。
この力は同時に、呪いだった。
稀に受信する、自分以外の予知。俗に、大予言なんて言われたモノ。
世界が滅びる節目を予告するチカラ。
偶然にも能力を知った国連は、私を軍に組み込み重用した。
「当時の国連はキミの神禍に希望を見た。
キミが予言した負の未来を、一つでも改変することが出来れば、世界の滅亡は避けられると信じたのだ」
だけど、その尽くは失敗した。
十二の災厄は私が国連に伝えた時点で半分以上が行動を開始しており、覚醒を止めることは出来なかった。
続く勇者の死は、何をどうしても避けることが出来なかった。
まるで悪辣な運命が襲いかかってくるかのように、ありえない不運と錯誤の果て、二人の勇者を失った。
大予言は変えられない。
スピカ・コスモナウトの予言とは、神が世界にかける呪いである。
改変二失敗する度に、いつしかそれが、言外の共通認識に変わっていった。
「結局、国連はキミを活かすことが出来なかった。現実に耐えきれず、誰も彼も諦めてしまったわけだ。
キミの異名が"預言者(プロフェット)"ではなく、"宣告者(デクレアラ)"なのはその為だろう。
言葉は予言からただの事実に成り下がり、やがて彼らはキミを恐れるようになった」
そうして遂に、私は決定的な瞬間を見てしまった。獅子の敗北、その未来を。
「最後には、キミの声は死刑を宣告する神の代弁にしか聞こえなくなっていたのだろうね。
故にその口を閉ざそうとして、結果、最後の喇叭が吹かれたわけだ」
遮蔽から飛び出し、一気に距離を詰める。
大丈夫、死の予感はまだない。
だけど、それで安心することはできない。
「キミを守ろうとした統制機構の精鋭連中と、殺そうとした、それ以外の大多数。
世界最後の国連組織の末路が内ゲバによる崩壊とはお笑い草だ。
そもそも、キミに守るほどの価値があるのか、アタシには疑問だったが」
背後に回り込んで不意の一撃を叩き込む寸前、痩せて節くれた手が私の腕を掴んでいた。
「…………!」
「ふむ、やはり悪くはない」
柔術、強烈な痛みと脱力によって体勢を崩される。
「その目、アタシの知る国連の腑抜け共とは違う。
キミは諦めた者の眼をしていない。
正しく『秩序統制機構』の意思を継いでいるのかもしれないな」
再び至近距離で、私の額に銃口が突きつけられた。
「それだけに惜しいな。
あと一つでも見るところがあれば―――」
「―――ラザロ」
「なに?」
私は跪いた格好のままで、向けられた銃口の奥、その深淵を見つめている。
死ぬわけにはいかなかった。
まだ、追いついていないから。
また、追いかけていたいから。
「―――ラザロ、起きて」
あの、獅子の背中を。
「―――どうか私に、力を貸して」
私の腕の中、歪に捻じくれた機関銃。
その中心にて、ゆっくりと瞼が開かれる。
「まさか―――その銃、ゴクなのか―――!?」
◇
あの日、あの背中に追いつけなかった。
「――――フランチェスカ。おいて行かないでよ、フランチェスカ」
紺色の軍服、傷だらけのロングコートが、正面から襲い来る吹雪によって翻る。
振り返ることなく、凍土を踏み砕く力強い歩み。
もう動けない私をおいて、次の戦場へと向かって行く、気高き女の後ろ姿。
満身創痍の身体で、空前の灯火となった命を、それでも加熱させて駆け抜ける。
同じ軍人ならば誰もが憧れた、イタリアが誇る最後の獅子。
14歳で軍人になってから数年間、死にものぐるいでついて行った。
振り返らず進む彼女の背中を、ひたすらに追いかけ続けた。
血を吐くような訓練の日々。
痛くて、辛くて、それでも進み続けたのは今日のため。
この日、彼女の隣に立ち続けるため。
なのに―――
幾度も激突を経て遂に迎えた、獅子と魔王の最終決戦。
その目前に、私は彼女の傍に立つことが出来ない。
魔王の凄まじい冷気によって吹き飛ばされた私は、全身数カ所を骨折し、既に行動不能に陥っていた。
意識はこんなにも鮮明なのに、死地へ赴く英雄を見ていることしか出来ない。
死地、そう、ここは死地だ。
だって、私は見てしまった。見せられてしまった。
大予言、国連最後の英雄、最後の獅子が敗れる。その結末を。
それだけは許しちゃいけないと、そのために今日まで全員で備えてきたのに。
「一人で行っちゃだめ……行かないでよ……フランチェスカ……!」
運命は無常にも、予知通りの未来に進んでいく。
まるでそうなる以外の展開など用意されていないかのように、全ての努力が水泡に帰していく。
ここで彼女を行かせてしまったら、何もかも無駄になってしまう。
そう、分かっていたのに。
「なあ、スピカ」
軍属になってから、任務中にその呼び方をされたのは初めてだった。
だから私は驚いて、何も言えなくなってしまう。
「私は、奴に、勝てると思うか?」
「え……?」
「キミはどう思う?」
私は声を震わせながら、なんとか言葉を紡ごうとして。
「でも……予言だと……」
「そんなことは聞いてない」
彼女の言葉の意味に気づいて、今度こそ声を失った。
「キミはどう思う? と、聞いているんだ」
こんなの、ずるい。
絶対に間違っている。全部が無駄になってしまう。
そんなこと、分かっていたのに。
だけど、私は、ここで嘘を付くことだけは、どうしても出来なかったから。
「かて……る。勝てるよ。負けない!
あんな奴に、フランチェスカが負けるわけないんだ!」
「……ありがとう。
その言葉だけが、ほしかったんだ」
噛みしめるように頷いて、獅子は襲い来る冰期へと、一歩を踏み出す。
ああ、行ってしまう。最後の獅子が、私の英雄が。
フランチェスカ・フランクリーニが去ってしまう。
待ってよ、行かないでよ、と喉を震わせようとしたけれど、もう声を出すことも出来ない。
「レオナルディ少佐、この子を頼む」
「……了解。命に代えても、守り抜きます」
「最後まで、世話をかけるな……ラザロ」
「当然のことだ。気にするなよ、フラン」
遠のく背中に手を伸ばす。
フランチェスカ。おいて行かないでよ、フランチェスカ。
「では、挑むとしよう―――"終演・刻越疾壊(クアルト・ディザストロ)"」
加速する時間が私達を隔てていく。
伸ばす手は、声は、もう届かない。
◇
「形勢逆転、ですね」
戦闘、終了。
変形解除したラザロを構えたまま、私はガラクタの散らばった部屋で、老いた女を見下ろしている。
「両手を頭の上で組んだまま、あちらを向いて跪いてください」
「ああ……素晴らしいじゃないか」
ジャシーナ・ペイクォードは両手を上げた姿勢のまま、あっさりと銃を手放した。
正直、かなり手強かった。ラザロの機能を使わなければ勝てなかっただろう。
私一人の勝利とは言えないけど、まあ一応勝ちは勝ち。
殺すつもりはないけれど、とりあえず身体を拘束しよう。
そう思って、一歩近づくために、足をあげたときだった。
「では、おめでとう、と言っておこうか」
「……?」
「いやなに、キミは自身の有用性を証明したということさ」
「どういう意―――」
「起動せよ、"最果てへと至る航海(ワールドエンド・アルゴナウタイ)"」
頭に浮かんだ僅かな疑問は、瞬く間に混乱に変わった。
「―――な、な!」
踏み込もうとした足が空を切る。
突如として宙に浮かび上がった機関銃(ラザロ)が視界を遮り、敵の姿を覆い隠す。
それがどれだけの隙であるかは分かっていたけど、あまりに急な変化に思考がついていかない。
ふわりと空中に浮かび上がった私が状況の把握に思考を回している間。
同じく一斉に浮かび上がったガラクタのカーテンを潜るようにして、床を蹴ったジャシーナが飛翔する。
その手にはプラスチックの破片で作った即席のナイフが握られていた。
先程までの動きとはまるで違う。重さを剥奪された世界の中で、老女は泳ぐように自由に動き回っている。
突如発生した立体機動に、反射で私は銃の照準を合わせようとして――
「ああ、その対処はお勧めしないな」
射撃と同時、暴れまわるような凄まじい反動によって、地面に叩きつけられていた。
「―――なっ―――が―――はッ」
「そらみたことか。ではNBL訓練モードを解除する」
肺から空気が絞り出される。
銃を取り落とし、地面に大の字で寝そべったその瞬間、再び突如として身体の重さが戻って来る。
空中に浮かんでいたガラクタと一緒に、老女の身体が降ってくる。
「無重力下での戦闘は初めてかね。踏ん張りの聞かぬ場で射撃なんぞ行えば、後方に吹っ飛ぶに決まっているだろう。
ふむ、まあ、多少のパニックは仕方のないことかもしれんが、ここは厳しくいこう。訓練が足りんな」
無力化した私を組み敷いた老女は、ニヤリと笑ってナイフを突きつけた。
ボロボロだったはずの服装は、いつの間にか軍服に似た宇宙礼服に変化している。
「さて、形勢逆転、だな?」
いったいこの細身のどこに、こんな力が隠されていたのか。
首筋の神経を抑えられ、指一本動かせない。
「い……ったい、なに……が」
「ん? ああ、アタシの神禍は聞いているだろう。
自分の所有物と認識したものを『宇宙船』とする。
故にここはもう既に、アタシの船ってことになるさね」
「ば……かな。言ってること……メチャクチャだ。
車や潜水艦を脱出ポッド変える程度ならまだ納得できます。
だけどここは、デパートのいち施設だ。用途が全く違うものをどうして、船に変換できるんですか?」
「用途が違う? まあそうでもないさ、モノは考えようって言うしね」
そもそもおかしいのは彼女の自認。
普通、始めて訪れた施設を、所有物だなんて思えない。
「加えて訂正しとくよ。アタシの所有物はこの施設だけじゃない、このデパート全体さ」
それは恐ろしいまでの独善思想。
浪漫の使徒、絶対的エゴイスト、母星を見捨てた裏切り者。
老いて尚、女は弾けんばかりの活力を秘めた瞳で語っている。
「地球全ての無機物はアタシの資材さ。
そうとでも思えなきゃあ、星の果てなんざ目指してられないってね」
ジャシーナ・ペイクォード。
それが最後の船長。最果てのロマンチストの矜持だった。
「それで……あなたは"最後の一人"を目指す、と?」
「ああ、まあそれでも良いかと、最初は思ったんだがね」
しかし私の問いかけに対し、以外にも彼女は逡巡を見せていた。
ロマンチストでありエゴイストでも彼女は、この殺し合いを制し、治癒の奇跡と共に宇宙を目指すだろう。
彼女はなんとしても生き残ろうとする筈だと。
自らを信じたクルー全員を見捨ててまで、夢を追い続ける女は、そう結論すると思っていた。
「にっちもさっちも行かなくなっちまったら、まあそういう方針で行くもいいさ。
だがね、案外と、勿体ないと思ってね?」
「どういう意味ですか?」
「つまりさ、キミ、アタシの物になりたまえ」
しかし彼女の浪漫は、私達が思っていたよりも、ずっと狂気に近かったらしい。
「……は、はい?」
「いいかい? 我が船団(アルゴナウタイ)はいま、優秀なクルーを募集している」
言わんとする事を理解して、私は率直に警戒を強めた。
ジャシーナの悪名は、国連所属期に散々聞かされていたから。
「参加者がつまらない奴ばかりなら、全員切り捨てても構わんと思っていたが。
しかし名簿を見て、キミに会って、気が変わった。
"ここまで優秀な人的資源を、地球に捨てていくにはあまりに勿体ないじゃないか"」
傲慢な老女。
どれほどのカリスマを発揮しようとも。
どれほど部下からの信頼が厚かろうとも。
結局はその全てを見捨て、たった一人、自らの浪漫のために生き延びた女。
「アタシはここで、最高の船団を作り上げる。知っての通り強欲なもんでね。
治癒の奇跡も有用な資源だ。できれば欲しいが、それだけじゃあ船は飛ばない。
救世主なんて、冷え切った地球を延命させる名誉に興味もない」
「今更……倫理感でも語るつもりですか?
地球人類を見捨てて、部下を見捨てて、一人で天上に逃げようとした貴女が……!」
こいつは危険だ。信頼できない。それだけは確かだ。
なのに、なぜ、
「キミは一つ勘違いしているようだが。
アタシは確かに地球を見捨てた女だ。
しかし、『人類』を見捨てたことは一度だってないよ」
彼女の声はこんなにも、よく通るのだろう。
「地球の資源は可能な限り、アタシの旅に連れて行くさ。
アタシにとってはアタシの浪漫が絶対優先だが、モノも、ヒトも、アタシがある限り続いていく。
アタシがここに生きる限り、人類の夢は潰えない。かつてのクルー達(あいつら)も、それを分かって着いてきた筈さ」
独善的な振る舞いを崩さぬまま、女の瞳は夢を見ている。
燃える、太陽のような夢を。
「汎ゆる資材をかき集め、最高の船を完成させてやる。
優秀なエンジニア、パイロット、戦闘員、コックなんかも欲しいところだね。
馬鹿みたいだって笑うかい? だが不可能じゃないさ、名簿をみたろう? これほどのメンツが揃っている」
そうして、船長は高らかに宣言した。
「我々の進路は『脱出』だ。だがそれは、殺し合いの舞台からじゃあない。
―――この、死にゆく惑星からの脱出だ」
人類を終わらせないための、出航。
「……だとしても、なんで、私なんですか?」
演説に対し、絞り出した声。
結局のところ、私が納得できなかったのは、そういうことだった。
ジャシーナ・ペイクォード、彼女の浪漫、あるいは狂気は分かった。
それでも、その一点が解せない。
彼女がいま、私にまで手を差し伸べる理由が。
自分を卑下するわけじゃないけど、私の神禍は呪いだ。
その力は人を害する。人類にとって有害なものだ。
かつて私の予言がどれほどの人間を傷つけ、不信を煽り、混乱を齎したか、彼女だって知っている筈なのに。
「確かに、キミは自分の力を使いこなせていない。国連にも統制機構にも、キミを御することはできなかった。
だが……アタシなら、キミという人的資源を有効に使える」
「なんですか、それ。自分なら予言を変えられるとでも―――」
「変えられるさ。アタシなら」
「――――」
そう、即答で言い切った人は、これが二人目だった。
「アタシがキミの予言を越えよう。そして、キミの力が呪いではないと証明してみせよう」
そして、私の中の、かつての記憶をなぞるように、彼女は私に告げたのだ。
―――スピカ、私が魔王に勝って、証明してみせる。その力は呪いではないと。
「変えられぬ未来など、アタシは絶対に認めない。
故にこう推論する。キミの予言は人類に襲い来る荒波、いまの人類では太刀打ちできない嵐の予報だ。
しかし私ならば超えられる。キミの力はきっと宇宙に上がった先でも有用だろう」
女の足が、さっきまでガラクタだった物を踏みつける。
それは瞬く間にアルミで出来た通信装置に変わっており、靴底で押し込まれたスイッチが、息を吹き替えした施設内に絶えたはずの電気信号を送り届ける。
一瞬にして明かりが落とされ、闇に落ちた次の瞬間。
「投射せよ」
古びたデパートの屋上遊園地、その隅に遺棄された施設が、老女の力によって甦る。
円形に縁取られた天上から、今は地表に届くことのない、人類から失われた光が、宝石箱を開いたかのように溢れ。
何光年も遠い最果てから放たれた閃光の再現が、私達の世界を覆い尽くす。
プラネタリウム。
それは、遥かな天上に描かれた、そらの海図。
「―――スピカ・コスモナウト。キミを我が船団の航海士に任命する」
これが策略なら大したものだ。
だけどきっと、彼女は素でやってみせたのだろう。
きっとこの人は、そういう人だ。
天然の人誑し。エゴイストのロマンチスト。
宇宙を人類の夢と定義して、振り返らずに進み続ける女。
そして誰しもの中に、それがあると、高慢にも信じている。
「"わが往くは星の大海"。……キミ、銀英伝は読んだかね?」
だけど、まあ私に関していえば、少し当たっているのだから。
業腹ながら頷くしかなかった。
「ふむ、優秀じゃないか」
あれはそう、12歳の頃。
フランチェスカと出会う前の、ただの学生だった私。
地球が凍りつく前、世界は平和なまま、大人になれると信じていた日々。
天文学を専攻したがっていた、幼い少女がいた。
そんなことを思い出したのは、随分と久しぶりのことだった。
「貴女は、届くと思いますか?」
私は彼女の差し出した手を取りながら、最後に一つ、問いかけた。
「追いつけると思いますか、流れていく星の輝きに」
「愚問だな。追いつくのではない」
それに、最後の船長は自信に満ちた、不敵な笑みを浮かべて答えた。
「超えるのだ。我々には、それができる」
【E-6・デパート/1日目・深夜】
【ジャシーナ・ペイクォード】
[状態]:健康
[装備]:クイーン・アン・ピストル
[道具]:支給品一式
[思考・行動]
基本:目指すは星の最果て、出航準備を執り行う。
1:宇宙船の資材、燃料、優秀なクルーを集める。
[備考]
【スピカ・コスモナウト】
[状態]:健康
[装備]:『災禍武装:ラザロ』
[道具]:支給品一式
[思考・行動]
基本:ひとまずジャシーナと行動する。
1:フランチェスカ・フランクリーニに会いたい。
[備考]
最終更新:2025年07月09日 01:43