「……悪しき気配」
 気がついた時、最初に濡らされたのがどこだったのか……それが認識できないほどの雨に打たれながら、少女はすっと流れるような動作で指を構え、腕を払っていた。
 たったそれだけの動作の間に、どうしたわけか彼女の左手には、それまでになかった物が握り締められている。
 同じく虚空から取り出した山鳥の矢羽根をその真白き長弓に番えると、きりりっと弦を鳴かせながら、少女は雫を降らし続ける曇天へと矢尻を向ける。
「炎獄、貫(ぬ)け」
 言葉と同時、彼女の構えた矢の先端に、青白い静謐な炎が灯る。
 降雨に負けず、逆に周囲のそれを丸ごと霧へと変貌させた、その小さき火の勢いは衰えぬまま。少女は指を離し、その一矢を解き放った。
 轟音は大気の層が突き破れられた悲鳴。円錐状に弾かれた水のヴェールを形作ったのは、音速突破の生んだ衝撃波。
 瞬く間に昇りきり、鉛色の雲を吹き散らした矢は、標的へ向け進路を変更する前に――それを遥かに上回る速度で飛来した閃光に横切られ、跡形もなく蒸発していた。
「誰を狙ったのかは知らぬが、いきなりだな」
 眉を潜めた少女を嗜めるような声は、開けた空から降りて来た。
 声に導かれるように見上げた少女の視界に映ったのは、巨人の騎士だった。
 汚れ一つない白銀を基調に、紅蓮の装甲と黄金の装飾で拵えられた、瀟洒な聖鎧に引き締まったその身を包み。右手には、まるで筒のような持ち手から、先の矢を消滅させたのだろう長大な光刃を生やした槍を。左手には太陽を象ったような金色の縁取りの中央に、碧玉を嵌め込んだ黒地の盾を携えて。竜角の兜のスリットから、深い知性を覗かせる青い目で、残心していた少女を見下ろして来ていた。
「――決して、あなた様に弓引いたわけではございませぬ」
 対し弓を虚空へ掻き消した少女は、小さな口を開いて恭しく答えた。
 千早に緋袴。朱の帯でまとめ上げた黒髪は、先の雨により過度な湿りを早くも乾かせ、だというのに一糸の乱れもなく。一瞬、赤く励起していた深い双眸は、今はあたかも陽光さえ拒むかのような深い黒で以て、舞い降りて来る騎士の姿を捉えていた。
「全ては悪しきを滅ぼす使命がため。しかし、今先程の行いがあなた様への礼節を欠いてしまったというのであれば、それは確かにわたくしの不徳のいたすところでございます」
 冷たいほど凛とした立ち姿からは意外なことに、彼女は騎士の言葉を真摯な声音でそう受け止めると、躊躇いもせずに膝を折る。
「何卒、ご容赦くださいますようお願い申し上げます。今は何の準備もできておりませんが、此度のお詫びは必ずや果たします故、どうか、お鎮まりを」
「……そのような真似をする必要はない。そなたが徒に誰かを害するつもりがないのであれば、最早それ以上何も求めることはない」
 いっそ息を呑むほど正確な所作での土下座に対し、騎士も穏やかに言い返す。
しかし巫女の少女は「勿体無いお言葉でございます。恐れ入ります」と、畏まった口調と、その言葉通りの気持ちが篭った対応を続け、騎士は少しだけ困ったように呟いた。
「殺し合えなどと言われた先で、初めて出会った相手からこうも礼を尽くされるとはな」
 それから気を張り直すと、地に降り立つ寸前で降下を停止した騎士は改めて口を開いた。
「……人間の少女よ、何故このデュークモンにそのように畏まる。そなたはとても人の身とは思えぬ業を修めているようであるが……」
「それ故にございます」
 許しを得て頭を上げた少女は、あくまで引き締まった表情のままでデュークモンの問いに答えた。
「わたくしが業を振るうべき相手は、荒ぶるカミ、悪しきカミのみでございます。あなた様のような善きカミに対しては決して不興を買わぬよう畏れ敬い、最大限の礼節を尽くすのは当然のことです」
「善き神……か。……崇めて貰ったところ申し訳ないがこのデュークモン、決してそんな大逸れた者ではないぞ?」
「そのようなことはございません。お名前からもデュークモン様は異郷のご出身かとお見受けいたしますが、それほどの格であらせられるならそちらではさぞかしご高名なカミ様か、それに準じるお方でありましょう。そしてその善き気配と先程のお言葉、善きカミ様のモノに他なりませぬ」
 頑とした巫女の物言いに苦笑したデュークモンは、一先ずは訂正を保留することとした。
 それに――驕るつもりはないが、彼女の言う見解も、丸っきり見当外れなわけでもない。
「それでは改めて名乗るとしよう。我はロイヤルナイツのデュークモン。少女よ、そなたの名を何と申す。何故先程のような行いに出た?」
「わたくしは神殺し四家、本流名護屋河の末席に連なる者……名護屋河睡蓮と申します」
 その古風な喋り方と同様に仰々しい肩書きを名乗りながら、睡蓮は真顔で続けた。
「先の行いは、禍いを齎す悪しきカミを堕とすためにございました」



      ◆



 睡蓮のやはり仰々しい行動理由を聞かされ――なるほどどうやら、自分は余計なことをしたのかもしれないと、デュークモンは考えた。
「悪しき神……か」
「左様にございます。ここへ転移させられてすぐ、凄まじき悪しき気配を感じ取りました」
 睡蓮はそれが動き出す前に、何とか仕留めようと試みたのだという。
 しかし偶然睡蓮の行動を目撃したデュークモンは、事情は未把握ながらも殺し合い開始早々、強烈な殺意を元に放たれた一撃を捨て置けず介入してしまったわけだが。どうやら今回は、それは悪手であったようだった。
「そうか、それはすまなかったな……ならばこのデュークモンも、共にその気配の主の下へ向かうとしよう。場合によっては成敗する必要があるやもしれぬ」
「ご助力を?」
「当然であろう」
 意外そうな睡蓮にそう返答すると、彼女は一瞬、無表情を崩して目を丸くした。一瞬、無表情が崩れたその顔に喜びを浮かべたようであったが、すぐにそれは消沈の色へと変化した。
「真にありがたいお言葉です。しかし……申し訳ございません、どうやら先の悪しき気配は身を隠したようです」
「そうか……それは本当に、すまないことをした」
 デュークモンがそう謝罪をしたところ、睡蓮は慌てた様子で両の手を振った。
「い、いえいえそんな、滅相もございませぬ……! 此度のことは、すぐ近くにおられたデュークモン様にお伺いを立てず、わたくしが勝手な振る舞いをしたために他なりません……!」
 少女の困り果てた様子に、デュークモンは状況も忘れて思わず笑みを零してしまいそうになりながら、小さく首を振った。
「気にするな。非はこのデュークモンにある……」
「ですが!」
「過ぎてしまったことよりも睡蓮。そなた、悪しき気配を感じ取れるというのなら……仮にその悪神とやらが凶行に及ぶ折りには、再度それを感じることは可能か?」
「……あ、はい。それならばおそらくは……」
「ならばまたその時に向かえば良い。それよりもまずは互いに、このバトルロワイアルについて話し合うこととしよう」
「しょ、承知いたしました……」
 離れた場所に悪しき神とやらがいるというのも、それを見失ったというのも、また悪事に及べば再発見ができるというのも。それら全て、 根拠は睡蓮の言葉にしか存在しないが、デュークモンは彼女が嘘を吐いているとは思わなかった。
 初対面の、人間ではない自分に対して尽くしている礼には偽りがなく、また何より彼女はそこまで器用ではないと、何となく感じ取れていたからだ。
 また、その言動からして彼女と自分が、殺し合いに対するスタンスを同じくしているということは自然と察することができていた。
「まずは名簿とルールに目を通そう。互いの知人が連れ去られて来ているかもしれぬ……」
「はい……あ、いえ、あの……」
 デュークモンの提案に頷いた後、睡蓮は言い難そうに、しかしすぐそう声を掛けてきた。
「その……びーあーるでばいすというのは、どのように扱えばよろしいのでしょうか?」
「……そなた、人間の子供なのであろう?」
 どのようにも何も、思い切り電源ボタンが備えられているのだが……睡蓮はそれさえもまるでわからないと言った様子で、思わずデュークモンはそう聞き返していた。
 何故か睡蓮に、デュークモン自身初めて見る道具であるというのにBRデバイスの扱い方を指導しながら、ルールや名簿を読み進め、また互いの身の上を説明し合うこと小一時間。
 ようやく最低限必要なことを把握し終えた二人は、改めて今後の方針を話し合うことにした。
「我らの選ぶ道は同じであろうな」
「はい。……このような悪しきに屈するなど、名護屋河に許されたことではありませぬ」
 そんな風に粋がってみせたところで、睡蓮は齢十五に満たぬ人間の少女。本来ならその心意気は立派であれ、パートナーデジモンも居ない様ではとても相応の力が伴っているとは言えぬはずであったが……彼女は、例外だ。
 つまるところ神殺しとは、その名の通り、古くは人間達に崇められた神と呼ばれる超常の存在を、人の世を護るために殺める血族だったという。
 その原点は根の国の姫君、ミスラオノミコトノヒメ――名簿にはみーこと記された日本最強最悪の神が、自らの命を絶つことを目的に作り出した生体兵器の一族。そのチカラは始まりの場所でバグラモンらに挑んでいた、あのエルシアにも比肩するという。
 そのエルシアも、睡蓮の言うところ魔人なる種族らしいが……人間の世界にそんな常軌を逸した存在が潜んでいたことには驚かされるものの、それは即ち究極体と呼ばれる段階に到達したデジモンの、大半すらも超越した戦力を持つということ。それは先にデュークモンが切り裂いた一矢からも、充分に推して図ることができる事実。
 デュークモンが信頼するに相応しいだけの意志と力を、この少女は有しているのだ。
「しかし、敵は強大。我らだけでなく、より多くの者達と手を取り合わねばならぬが……」
 睡蓮の見立てでは、バグラモンもマリーチも、おそらくデュークモン以上の格だと言う。
 それだけでなく、彼らが会場に放った三人のジョーカー。七大魔王のリリスモンがそこに名を連ねていた時点で予想はしていたが、彼らも睡蓮に並び、デュークモンに比肩するほどの難敵揃い。
 特に鎧武者の魔人型デジモンは、その中でも格が二つ三つ違うほどだと睡蓮は評した。
 デュークモンが見た限りでは、三人のジョーカーにはそこまで大きな差はないようにも見受けられたが、出自上そういった力を感じることに長けた睡蓮の言葉を信じるとすると、二人だけで彼らの全てを相手取るのはさすがに荷が重い。さらなる協力者を得ることは、必要不可欠と言えるだろう。
 しかし、実のところデュークモンには、そのためのアテがない。
 僚友と言うべきロイヤルナイツのメンバーは、イグドラシルの勅命に従い、データ容量削減のために全デジモンの抹殺を開始した。
 おそらくはこの会場でも、決して主催側に屈しなくともそれとは別に、引き続き参加者のデジモン達及び――デジタルワールドに入り込んでしまった以上は等しくデータとして、睡蓮達人間も排除の対象と認識して攻撃を加える可能性は、著しく高いと言える。
(――しかしそのようなこと、このデュークモンにはできぬ!)
 いくら忠誠を誓った主の望みとはいえ、ただ懸命に生きる命を奪うことがどうして肯定できようか。
 そんな自分の気持ちを裏切るまいとしたデュークモンはイグドラシルの命に背き、一度は敢えて盟友の刃に斃されもした。
 しかし気づけばデータの海から、先のオープニング会場とも言うべき場所に回収されていた。そこでプロジェクトアークと同じ、数多の命が理由もわからぬまま、そして納得の行かぬままに喪われかねない惨劇を知らされたのだ。黙っておけるはずがない。
 睡蓮はデュークモンの仲間ならば説得をと気遣いを見せてくれたが、彼らはそんな甘い相手ではない。いざという時には、デュークモンも覚悟を決める必要があるだろう。
 そんなロイヤルナイツや、リリスモンらジョーカーを除けば……残るはイグドラシルに反抗するデジモンの中心人物であるウォーグレイモンとその仲間であるトコモン、そして――何故か退化しているがドルモンの三人しか、デュークモンの知る者はいなかった。
 三人の内、戦力として期待できるのはウォーグレイモンのみ。しかもX抗体を獲得した究極体である彼でも、ロイヤルナイツクラスの敵を相手取るのは容易ではないだろう。
「……どうしたものかな」
「力添えできず、申し訳ございません」
 そう平に謝る睡蓮だが、むしろ彼女の方が友好戦力のアテは多い。
 彼女はデジモンのことも、デジタルワールドのこともとんと知らなかったが……やはりその特殊な出自故だろう、殺し合いを止める力を持った参加者を多く知るのだという。
 例えば彼女の姉の鈴蘭は、名護屋河の当代を任された――睡蓮自身会ったことはないが、きっと彼女以上に優れた神殺しだと言う。睡蓮には劣るが、同じく常の人ではない神殺し四家の傍流である者達も、必ずや自分が手綱を握ってみせると豪語していた。
 そして何より、先述の食欲魔人みーこ……最強最悪の神などと言われているが、彼女はただひたすらに邪悪なのではなく、とてつもなく清濁併せ持っている存在なのだと言う。
 故に不興を買えば甚大な危機を招くが、きちんと機嫌を取れば人の子に味方することもあるのだという。彼女の力を借りられるか否かが、事の明暗を分かつほどに重大だと睡蓮は主張した。
 しかし問題なのは、それら睡蓮の知るアテも、デュークモンの知人も。結局はこの異様な会場のどこにいるのかが、ようとして知れないことであった。
 何しろ……ただ殺し合わせたいのなら不効率極まりないことに、このバトルロワイアルの会場とやらは一つだけではないのだから。
「……二手に別れた方が良いのかもしれぬな」
 だからデュークモンは、そんな案を口にしていた。
「人海戦術、にございますか」
「そうだ……とはいっても、海というには今は我ら二人だけだがな」
 苦笑しながら、デュークモンは続ける。
「睡蓮。先に感じたという悪しき気配、そなたの見立てではどれほどのものか?」
「……強大です。おそらく、わたくしでもそう容易く堕とせはしないでしょう」
 だからこそ、先制攻撃で一気に仕掛けようとしたのだろうか。
 いよいよこれは、償いの意味も兼ねねばなるまいと、デュークモンは考えた。
「ならこちらには、このデュークモンが赴こう」
 矢の目指していた方角を示した返答に、意表を衝かれたように睡蓮は顔を上げた。
「いえそんな……お手を煩わせるわけには行きませぬ……!」
「構うものか。これはこのデュークモン自ら望むこと……他の者には任せられぬ」
「いえ、しかし……」
 強硬に食い下がる睡蓮を見下ろし、デュークモンは静かに尋ねた。
「案ずるな――それともその邪悪、そなたの手には終えても、このデュークモンの身には余ると?」
「それは……」
 一瞬言い淀んだ後、睡蓮は首を振って断言した。
「いえ――おそらくこのカミよりは、デュークモン様の方が格上かと存じます」
「ならばやはり、そなたが心配をする必要はない。任されよ」
 言い捨てたデュークモンは、静かにその身を浮かせた。
「何、このように空から探せる。近くに向かえば見逃すことはないであろう」
 そう伝えながら、デュークモンは自らのBRデバイスにちらりと視線を落とした。
「……当たりも引いている。保険は充分だ」
 そんなデュークモンの様子を見て睡蓮も、やがてはっきりと頷いた。
「お任せいたします。ではわたくしは西へ向かいます」
「互いにこの殺風景なゾーンの担当分を調べ終えた後も、別行動は続けよう。そなたならこのデュークモンの気配、見落とさぬのであろう?」
「このようにして、隠しておられぬのであれば……」
「ならば探索後は、各々別のゾーンへ向かう。鉢合わせすればそこで再合流すれば良い。そうでなくとも……一先ずは第二回放送を前に、このゾーンに戻ってくれば良いだろう」
 我ながら待ち合わせの指定が大雑把過ぎるとは思うが、ロイヤルナイツクラスの参加者が少なくないなら、下手な目印など信用できない以上仕方ない。
 睡蓮は無論、デュークモンでもレインゾーンにさえ居るのなら、その気になれば空から探せば発見するまでにそう時間はかからないだろう。
「雨には気をつけろよ」
 頷いた睡蓮に冗談のように言い残したデュークモンは、甲高い音を伴いながら飛翔し、神殺しの巫女を置いて移動を開始した。

「悪しきを滅ぼす使命……か」
 その道中、デュークモンは出会い頭に睡蓮が口にした言葉を呟いていた。
「……似ているな」
 良くない予感を振り払いながら、デュークモンは静かに飛ぶ。
「だがむしろ、似るべきは我らの方か……」
 ――神殺し。
 容量の圧迫による世界崩壊の危機を回避するために、全てのデジモンの消去を決定したデジタルワールドの神(ホストコンピュータ)であるイグドラシルを、ウォーグレイモンは全デジモンの敵だと言い捨てた。
 世に安寧を齎す神に感謝し、礼節を尽くすこと。それは睡蓮の言う通り、当然のことだ。
 ならば、世に禍いを齎す神を討ち滅ぼすことも、また――
(――結論を急ぐには早い、か)
 今はイグドラシルの選択、その責任の是非などと言っている場合ではない。
 難敵揃いのバトルロワイアル――それを打ち砕くのが先決なのだ。
「死んでくれるなよ睡蓮。それに……ドルモン!」
 答えを決めるのは、それが終わってからで充分だ。
 その答えを託すべき者の名を呟きながら、デュークモンは飛行の速度を上げた。



【一日目/朝/レインゾーン C-6 荒野】

【デュークモン@DIGITAL MONSTER X-evolution】
[参戦時期]オメガモンに敗北後、デクスドルグレモン撃退に加わるまで
[状態]健康、X抗体獲得、飛行中
[装備]BRデバイス@オリジナル、{聖槍グラム&聖盾イージス}@DIGITAL MONSTER X-evolution(支給品ではなく身体の一部です)
[道具]基本支給品一式、不明支給品×3(確認済み)
[思考]基本行動方針:殺し合いを打倒する。
1:睡蓮の言う悪しき気配の主を見つける。場合によっては成敗
2:レインゾーン東側を捜索、その後は他のゾーンを捜索
3:友好的な参加者を探す
4:ジョーカー、ロイヤルナイツを警戒。みーこの扱いに注意
5:その時点までに合流できなかった場合、第二回放送前にレインゾーンで睡蓮と落ち合う
[備考]
※X抗体を獲得し、X進化しています。
※首輪については外しても問題ないと考えていますが、敢えて付けたままでいます。
※睡蓮と情報交換をした結果、神殺しの一族に関する大まかな知識を得ました。



  ◆



 もうとっくに、見放されているものとばかり思っていた。
 先代からはそのように聞いていた。伝承の神々は信仰を忘れた人の子の世に呆れ返り、高天原を始めとした異界へ隠れあそばれたのだと。
 しかしその異界にいたはずのデュークモンなるカミは、人の子をみだりに傷つける悪を許さず、また神を忘れた者どもの平穏を守るために戦うと口にした。おそらくは本心から。
 あれほどの力を持ちながら未だに人の子を想い、助けるために力を尽くそうとするカミが存在していたなど、睡蓮も思ってもみなかった。
 何とありがたいことなのだろうか。
(――しかし)
 そんな神の寛大さに甘んじるのは、人の子の傲慢に他ならない。
 あくまでデュークモンは、みーこを始めとした現世にとどまった神とは異なる別世界の住人。今この時代の人間の、真の姿を知っているとは限らない。
 この、怠惰に穢れ切った人の世の。
 睡蓮とて全てを見知っているわけではない。だが彼女を京の社から連れ出し世俗を案内した者の言葉は確かに、偽りばかりではなかった。

 高みを目指すでもなく、ただ快楽を得んがために山々を開き、木々を焼き、河川を濁す。遥か先人に古くから託されてきた神々の住まう峰を、森を、泉を、ただ享楽のために食い潰し、飽くまでそれを良しとしている現代の人間。
 信心を捨て、怠惰に堕落の一途を辿るだけの痴れ者どものために、デュークモンのような善きカミが尽くす必要があるのだろうか?
 そんな世を護るために、荒ぶる神を殺すのは正しいことなのか?

 カミの意志に一方的に異を唱え、自らの望むように振舞わせようというのが過ぎた真似だということは、睡蓮も理解している。だから彼女はデュークモンに何も言わなかった。
 また、いくら世俗の人間に対し不信感を募らせていようとも、人の世を護るという代々受け継がれてきた神殺しの役、放棄するには及ばない。殺し合いの強制などという悪しき、断じて捨て置くことはできないものだ。
 だが――それでも先代である祖母から伝えられた言葉が、睡蓮の中に残響していた。

名護屋河は、すでにその真の意味を失った。

 それが何を指すのか、睡蓮にはまだ見極められていない。
 そのために世俗を見学するはずだったのが、途中でこのような場所へ連れて来られたのだから。
 しかし、先代の言葉の意味するところの、おおよその見当はついている。
 あるいはあのバグラモンやマリーチと名乗る悪しき神々も、睡蓮のそんな心情を悟っているからこそ、このような場所に睡蓮を招いたのかもしれない。
 そこで睡蓮は、ぴくりとその身を震わせた。
「……薄汚れた気配」
 北方から感じ取ったのは、先に感じた凄まじい悪しき気配とはまた別。荒ぶる神と同じ言葉で評するのは余りにもそれらに不敬な、しかし近似した種類のそれ。
 自衛などのためではなく、身勝手な欲のために他者を害しようとする痴れ者の気配。
 相も変わらず、己が快楽に溺れんがためにその他一切を蔑ろにする下衆が発するそれだ。
 デュークモンのような寛容なカミが、人間が悔い改めることを信じ見守っているだけということも解せずに。神々から世界を律する権利を譲渡されたと思い上がった愚か者どもの中から、やはりこのような悪しきに与する輩が現れた。
「……」
 デュークモンなら、このような感情から起こされる人間の行いを止めようとするだろう。
 睡蓮もまた、悪しきを目にしながら放置するのでは、屈したも同然と考えた。そのため、この後に取るべき行動は言うまでもなかった。
 ……そう。悪しきを目にしながら、飽くまでそれを良しとするのでは。
 それは悪しきに屈したも、同然のことなのだ。
 だから睡蓮は愚か者どもを止めるべく、近くで行われているだろう戦闘に介入するために踵を返していた。殺すのではなく、止めるために。
「――デュークモン様の寛大なるに感謝せよ」
 呟き、雨粒を裂いて跳躍しながら……それでも睡蓮は、思考を続けていた。
 そのデュークモンにも伝えなかった、名護屋河家の密約について。

 ――名護屋河が、悪しきに屈することは許されない。
 ならば、業を伝えるべき睡蓮の姉は――世俗で生まれ育った未だ見ぬ姉は。このような穢れた人の世を前にして、これまで何をしてきたのだろうか?
 護るに値しない悪しきへと堕ちつつある世を憂い、きっと何か世を変えるための試みを成して来たはずだと。先代であり、育ての親とも言うべき祖母から、この自分よりも次の当代に相応しいと称された姉のことを、信じたいという気持ちは確かにある。
 だがそうではなく――そんな世俗で平然と暮らし、怠惰を貪る悪しきに屈した姉であれば。

 そのような、名護屋河の当代を継ぐに足らぬ姉ならば、祖母の遺言に従いこの手で殺す。

 まるで雨より冷たい炎のような情念を燃やしながら、睡蓮は苛立ちのままに次の一歩を踏み出した。
 その苛立ちの本当の正体に、目を背けたまま。



【一日目/朝/レインゾーン B-5 荒野】

【名護屋河睡蓮@お・り・が・み】
[参戦時期]第四巻プロローグ終了後~鈴蘭と出会うまでの間
[状態]健康、若干の苛立ち
[装備]神殺しの得物(弓と矢、小太刀、薙刀の三点セット)@お・り・が・み
[道具]基本支給品一式、不明支給品×2(確認済み)
[思考]基本行動方針:悪しきを滅ぼす。
0:北で殺し合いに乗った痴れ者どもを止める。
1:殺し合いという悪しきを潰えさせる。
2:そのためにデュークモンを始めとする善き参加者と協力する。
3:場合によっては姉(鈴蘭)を殺す。
4:その時点までに合流できなかった場合、第二回放送前にレインゾーンでデュークモンと落ち合う
[備考]
※レインゾーン東側に凄まじい悪しき気配、北西に薄汚れた気配を感じました。それぞれに危険人物が存在する可能性が極めて高いです。

【支給品解説】

  • 神殺しの得物(弓と矢、小太刀、薙刀の三点セット)@お・り・が・み
名護屋河睡蓮に支給。本人支給。
原作にて彼女が使っている武器。弓は節十三の山鳥の矢羽を射るために用いられている。
常識的な代物ではないのか、単に睡蓮の魔導力の影響を受けているのかは不明だが、上位のアウターとの決戦でも問題なく使用可能な強度を持つ。



008:出会うべくして 投下順 010:終端の騎士
GAME START デュークモン ???: 
GAME START 名護屋河睡蓮 ???: 
最終更新:2013年08月17日 23:28