睡蓮のやはり仰々しい行動理由を聞かされ――なるほどどうやら、自分は余計なことをしたのかもしれないと、デュークモンは考えた。
「悪しき神……か」
「左様にございます。ここへ転移させられてすぐ、凄まじき悪しき気配を感じ取りました」
睡蓮はそれが動き出す前に、何とか仕留めようと試みたのだという。
しかし偶然睡蓮の行動を目撃したデュークモンは、事情は未把握ながらも殺し合い開始早々、強烈な殺意を元に放たれた一撃を捨て置けず介入してしまったわけだが。どうやら今回は、それは悪手であったようだった。
「そうか、それはすまなかったな……ならばこのデュークモンも、共にその気配の主の下へ向かうとしよう。場合によっては成敗する必要があるやもしれぬ」
「ご助力を?」
「当然であろう」
意外そうな睡蓮にそう返答すると、彼女は一瞬、無表情を崩して目を丸くした。一瞬、無表情が崩れたその顔に喜びを浮かべたようであったが、すぐにそれは消沈の色へと変化した。
「真にありがたいお言葉です。しかし……申し訳ございません、どうやら先の悪しき気配は身を隠したようです」
「そうか……それは本当に、すまないことをした」
デュークモンがそう謝罪をしたところ、睡蓮は慌てた様子で両の手を振った。
「い、いえいえそんな、滅相もございませぬ……! 此度のことは、すぐ近くにおられたデュークモン様にお伺いを立てず、わたくしが勝手な振る舞いをしたために他なりません……!」
少女の困り果てた様子に、デュークモンは状況も忘れて思わず笑みを零してしまいそうになりながら、小さく首を振った。
「気にするな。非はこのデュークモンにある……」
「ですが!」
「過ぎてしまったことよりも睡蓮。そなた、悪しき気配を感じ取れるというのなら……仮にその悪神とやらが凶行に及ぶ折りには、再度それを感じることは可能か?」
「……あ、はい。それならばおそらくは……」
「ならばまたその時に向かえば良い。それよりもまずは互いに、このバトルロワイアルについて話し合うこととしよう」
「しょ、承知いたしました……」
離れた場所に悪しき神とやらがいるというのも、それを見失ったというのも、また悪事に及べば再発見ができるというのも。それら全て、 根拠は睡蓮の言葉にしか存在しないが、デュークモンは彼女が嘘を吐いているとは思わなかった。
初対面の、人間ではない自分に対して尽くしている礼には偽りがなく、また何より彼女はそこまで器用ではないと、何となく感じ取れていたからだ。
また、その言動からして彼女と自分が、殺し合いに対するスタンスを同じくしているということは自然と察することができていた。
「まずは名簿とルールに目を通そう。互いの知人が連れ去られて来ているかもしれぬ……」
「はい……あ、いえ、あの……」
デュークモンの提案に頷いた後、睡蓮は言い難そうに、しかしすぐそう声を掛けてきた。
「その……びーあーるでばいすというのは、どのように扱えばよろしいのでしょうか?」
「……そなた、人間の子供なのであろう?」
どのようにも何も、思い切り電源ボタンが備えられているのだが……睡蓮はそれさえもまるでわからないと言った様子で、思わずデュークモンはそう聞き返していた。
何故か睡蓮に、デュークモン自身初めて見る道具であるというのにBRデバイスの扱い方を指導しながら、ルールや名簿を読み進め、また互いの身の上を説明し合うこと小一時間。
ようやく最低限必要なことを把握し終えた二人は、改めて今後の方針を話し合うことにした。
「我らの選ぶ道は同じであろうな」
「はい。……このような悪しきに屈するなど、名護屋河に許されたことではありませぬ」
そんな風に粋がってみせたところで、睡蓮は齢十五に満たぬ人間の少女。本来ならその心意気は立派であれ、パートナーデジモンも居ない様ではとても相応の力が伴っているとは言えぬはずであったが……彼女は、例外だ。
つまるところ神殺しとは、その名の通り、古くは人間達に崇められた神と呼ばれる超常の存在を、人の世を護るために殺める血族だったという。
その原点は根の国の姫君、ミスラオノミコトノヒメ――名簿にはみーこと記された日本最強最悪の神が、自らの命を絶つことを目的に作り出した生体兵器の一族。そのチカラは始まりの場所でバグラモンらに挑んでいた、あの
エルシアにも比肩するという。
そのエルシアも、睡蓮の言うところ魔人なる種族らしいが……人間の世界にそんな常軌を逸した存在が潜んでいたことには驚かされるものの、それは即ち究極体と呼ばれる段階に到達したデジモンの、大半すらも超越した戦力を持つということ。それは先にデュークモンが切り裂いた一矢からも、充分に推して図ることができる事実。
デュークモンが信頼するに相応しいだけの意志と力を、この少女は有しているのだ。
「しかし、敵は強大。我らだけでなく、より多くの者達と手を取り合わねばならぬが……」
睡蓮の見立てでは、バグラモンもマリーチも、おそらくデュークモン以上の格だと言う。
それだけでなく、彼らが会場に放った三人のジョーカー。七大魔王の
リリスモンがそこに名を連ねていた時点で予想はしていたが、彼らも睡蓮に並び、デュークモンに比肩するほどの難敵揃い。
特に鎧武者の魔人型デジモンは、その中でも格が二つ三つ違うほどだと睡蓮は評した。
デュークモンが見た限りでは、三人のジョーカーにはそこまで大きな差はないようにも見受けられたが、出自上そういった力を感じることに長けた睡蓮の言葉を信じるとすると、二人だけで彼らの全てを相手取るのはさすがに荷が重い。さらなる協力者を得ることは、必要不可欠と言えるだろう。
しかし、実のところデュークモンには、そのためのアテがない。
僚友と言うべきロイヤルナイツのメンバーは、イグドラシルの勅命に従い、データ容量削減のために全デジモンの抹殺を開始した。
おそらくはこの会場でも、決して主催側に屈しなくともそれとは別に、引き続き参加者のデジモン達及び――デジタルワールドに入り込んでしまった以上は等しくデータとして、睡蓮達人間も排除の対象と認識して攻撃を加える可能性は、著しく高いと言える。
(――しかしそのようなこと、このデュークモンにはできぬ!)
いくら忠誠を誓った主の望みとはいえ、ただ懸命に生きる命を奪うことがどうして肯定できようか。
そんな自分の気持ちを裏切るまいとしたデュークモンはイグドラシルの命に背き、一度は敢えて盟友の刃に斃されもした。
しかし気づけばデータの海から、先の
オープニング会場とも言うべき場所に回収されていた。そこでプロジェクトアークと同じ、数多の命が理由もわからぬまま、そして納得の行かぬままに喪われかねない惨劇を知らされたのだ。黙っておけるはずがない。
睡蓮はデュークモンの仲間ならば説得をと気遣いを見せてくれたが、彼らはそんな甘い相手ではない。いざという時には、デュークモンも覚悟を決める必要があるだろう。
そんなロイヤルナイツや、リリスモンらジョーカーを除けば……残るはイグドラシルに反抗するデジモンの中心人物である
ウォーグレイモンとその仲間である
トコモン、そして――何故か退化しているがドルモンの三人しか、デュークモンの知る者はいなかった。
三人の内、戦力として期待できるのはウォーグレイモンのみ。しかもX抗体を獲得した究極体である彼でも、ロイヤルナイツクラスの敵を相手取るのは容易ではないだろう。
「……どうしたものかな」
「力添えできず、申し訳ございません」
そう平に謝る睡蓮だが、むしろ彼女の方が友好戦力のアテは多い。
彼女はデジモンのことも、デジタルワールドのこともとんと知らなかったが……やはりその特殊な出自故だろう、殺し合いを止める力を持った参加者を多く知るのだという。
例えば彼女の姉の鈴蘭は、名護屋河の当代を任された――睡蓮自身会ったことはないが、きっと彼女以上に優れた神殺しだと言う。睡蓮には劣るが、同じく常の人ではない神殺し四家の傍流である者達も、必ずや自分が手綱を握ってみせると豪語していた。
そして何より、先述の食欲魔人みーこ……最強最悪の神などと言われているが、彼女はただひたすらに邪悪なのではなく、とてつもなく清濁併せ持っている存在なのだと言う。
故に不興を買えば甚大な危機を招くが、きちんと機嫌を取れば人の子に味方することもあるのだという。彼女の力を借りられるか否かが、事の明暗を分かつほどに重大だと睡蓮は主張した。
しかし問題なのは、それら睡蓮の知るアテも、デュークモンの知人も。結局はこの異様な会場のどこにいるのかが、ようとして知れないことであった。
何しろ……ただ殺し合わせたいのなら不効率極まりないことに、このバトルロワイアルの会場とやらは一つだけではないのだから。
「……二手に別れた方が良いのかもしれぬな」
だからデュークモンは、そんな案を口にしていた。
「人海戦術、にございますか」
「そうだ……とはいっても、海というには今は我ら二人だけだがな」
苦笑しながら、デュークモンは続ける。
「睡蓮。先に感じたという悪しき気配、そなたの見立てではどれほどのものか?」
「……強大です。おそらく、わたくしでもそう容易く堕とせはしないでしょう」
だからこそ、先制攻撃で一気に仕掛けようとしたのだろうか。
いよいよこれは、償いの意味も兼ねねばなるまいと、デュークモンは考えた。
「ならこちらには、このデュークモンが赴こう」
矢の目指していた方角を示した返答に、意表を衝かれたように睡蓮は顔を上げた。
「いえそんな……お手を煩わせるわけには行きませぬ……!」
「構うものか。これはこのデュークモン自ら望むこと……他の者には任せられぬ」
「いえ、しかし……」
強硬に食い下がる睡蓮を見下ろし、デュークモンは静かに尋ねた。
「案ずるな――それともその邪悪、そなたの手には終えても、このデュークモンの身には余ると?」
「それは……」
一瞬言い淀んだ後、睡蓮は首を振って断言した。
「いえ――おそらくこのカミよりは、デュークモン様の方が格上かと存じます」
「ならばやはり、そなたが心配をする必要はない。任されよ」
言い捨てたデュークモンは、静かにその身を浮かせた。
「何、このように空から探せる。近くに向かえば見逃すことはないであろう」
そう伝えながら、デュークモンは自らのBRデバイスにちらりと視線を落とした。
「……当たりも引いている。保険は充分だ」
そんなデュークモンの様子を見て睡蓮も、やがてはっきりと頷いた。
「お任せいたします。ではわたくしは西へ向かいます」
「互いにこの殺風景なゾーンの担当分を調べ終えた後も、別行動は続けよう。そなたならこのデュークモンの気配、見落とさぬのであろう?」
「このようにして、隠しておられぬのであれば……」
「ならば探索後は、各々別のゾーンへ向かう。鉢合わせすればそこで再合流すれば良い。そうでなくとも……一先ずは第二回放送を前に、このゾーンに戻ってくれば良いだろう」
我ながら待ち合わせの指定が大雑把過ぎるとは思うが、ロイヤルナイツクラスの参加者が少なくないなら、下手な目印など信用できない以上仕方ない。
睡蓮は無論、デュークモンでもレインゾーンにさえ居るのなら、その気になれば空から探せば発見するまでにそう時間はかからないだろう。
「雨には気をつけろよ」
頷いた睡蓮に冗談のように言い残したデュークモンは、甲高い音を伴いながら飛翔し、神殺しの巫女を置いて移動を開始した。
高みを目指すでもなく、ただ快楽を得んがために山々を開き、木々を焼き、河川を濁す。遥か先人に古くから託されてきた神々の住まう峰を、森を、泉を、ただ享楽のために食い潰し、飽くまでそれを良しとしている現代の人間。
信心を捨て、怠惰に堕落の一途を辿るだけの痴れ者どものために、デュークモンのような善きカミが尽くす必要があるのだろうか?
そんな世を護るために、荒ぶる神を殺すのは正しいことなのか?
カミの意志に一方的に異を唱え、自らの望むように振舞わせようというのが過ぎた真似だということは、睡蓮も理解している。だから彼女はデュークモンに何も言わなかった。
また、いくら世俗の人間に対し不信感を募らせていようとも、人の世を護るという代々受け継がれてきた神殺しの役、放棄するには及ばない。殺し合いの強制などという悪しき、断じて捨て置くことはできないものだ。
だが――それでも先代である祖母から伝えられた言葉が、睡蓮の中に残響していた。