「――? ここは……」
気が付いた時、彼は見知らぬ場所に臥せていた。
淡い紫の体毛に包まれた全長一メートル前後の矮躯は、人間の物ではない。三本の鋭い爪を揃えた短い前足と、発達した後ろ足。蝙蝠のそれを思わせる小さな翼が生えていたが、全体的な印象はドラゴンと言うよりも二足歩行の恐竜を思わせるものだった。
その姿の通り、彼は人間ではなく、デジタルモンスターの一種であった。
デジタルワールドに数多く生息し、縮めてデジモンと呼ばれる生命体――その中でも、彼は一際特異な存在だった。
それ故に迫害を受けて続けて来た彼……ドルモンは、そんな自分が初めて手に入れた生きる意義――『仲間』から護って欲しいと託された小さな命を探して、暗闇の中視線を彷徨わせた。
求めた
トコモンの姿はない。だが周囲には数十名にも及ぶ何者かの存在を感知できた。そのほとんどが、ドルモンと同様に戸惑いや焦燥の念を抱いている様子だった。彼らの零す情報を得ようと、尖った耳を忙しなく動かしたドルモンが聞いたのは、清澄な男性の声だった。
「――みな、目が覚めたようだね?」
声と共に、光が生じた。闇の帳に隠されていたその周囲の景色が一瞬で丸裸にされ、ここが城にある謁見の間のような場所であることがわかった。
ドルモン達が作った集団から数十メートル離れた場所にある檀上に、声の主は立っていた。
玉座を背に、四つの影を左右に従えた彼は異形だった。長髪と同じ色の白衣を押し返す屈強な左半身は人型を保っているが、不釣り合いに巨大な腕を始めとして、もう半身はまるで白い外骨格に包まれているかのようにも見える。濡れ羽色の髭を蓄えた端正な顔の額から突き出た一本と左右から伸びた二対の計五本の角が、まるで王冠のように屹立していた。
マントと背の間に三対揃った黒く短い天使の翼や、右目を覆う壊れた仮面のような板のその奥、紅玉の眼光を覗き見たドルモンはその存在の強大さを否が応でも認識させられ、畏怖のままに身を竦めた。
「――バグラモンッ!」
群衆の中の誰かがそう叫び、皆から仰ぎ見られた異形の堕天使は、その呼び名を肯定するかのように顎を引いた。
「我が名は皇帝バグラモン――このたび君達を招いたのは、私の意思によるものだ」
彼が厳かに告げたと同時、辺りはざわめきに覆われた。
そんな喧噪に取り合わず、バグラモンは言葉を続ける。
「こうして集まって貰ったのは他でもない――君達に頼みたいことがあるからだ」
「――頼みたい、こと?」
思わず、口の中だけでドルモンは繰り返していた。バグラモンが並の存在ではないことは、初めてその名を聞いたドルモンにも一目で感じ取れている。そんな彼が、一体何を自分などに頼もうというのか――誰にも聞こえていないはずのそんな疑問に答えるかのように、堕天使はまた口を開いた。
「今から君達には……最後の一人となるまで、殺し合いをして貰う」
宣告と同時。動揺が、群衆の間を駆け抜けた。
唐突に突き付けられた、あまりに非常識かつ、非現実的で理不尽な要請。驚愕や困惑、恐怖と言った雑多な感情が、バグラモンが集めたと言う者達の中を伝播して行く。
「この私を拉致しておいて、何を言うかと思えば……殺し合え、だと?」
そして――その中で、最初に言葉として吐き出された感情は、憤怒だった。
その声によって開かれた人垣から、鈴のように甲冑を打ち鳴らし、一人の戦姫が登場した。
(――ニン、ゲン……?)
厚い刺繍で家紋を刻んだ純白のマントに、金の装飾を施された漆黒の鎧。それらに身を包んだ彼女は、祈る天使が彫金された全身を隠すほど巨大な盾を、大仰な意匠のガントレットで武装した右腕一本で抱えていた。そんな装備の中、重騎兵を思わせるその姿とは似つかわしくない、スカートを模したような長い直垂が妙に印象に残った。
それだけの重武装の中、唯一何の防具も付けず、衆目に晒されているのは姫騎士の美貌。凛とした顔立ちからは、怒りに染まってなお高貴さが滲み出ていた。
だがそんなことより、本能的に察知できることがある――彼女が自分とも、バグラモンとも、その基盤からしてまったく異なる存在であるということが。
ドルモンは彼女がデジモンではなく……噂だけは聞く、しかし直に目にしたことがなかった存在――人間だということに気づいて、こんな時だと言うのに興奮を抑え切れずにいた。
(すごい……初めて見た……!)
だが同時に、違和感もあった。七つの宝玉が嵌め込まれた美しい片刃の大剣を構える彼女の放つ闘気は、獰猛な成熟期デジモンのそれにも匹敵する。これでは、人間は個体としてはそこまで強力ではなく、パートナーとなったデジモンと心を通わせ、新たな可能性を作り出すことで幾度も世界を救って来た、という伝説と合致しない。そんなドルモンの疑問の解はしかし、どこにも見つからなかった。
叫びと共に、ルナスと呼ばれた姫は、重装に見合わぬ俊敏さで躍りかかった。
その踏み込みで生じた烈風に煽られドルモンが一度瞬いた後には、七星を携えた大剣を上段に構えたルナスがバグラモンの眼前に出現していた。そうして光輝を放った切っ先がその額に届かんという時、轟音が爆ぜ――
――――ルナスの首を中心に、黒と緋色の花が咲いた。
「――えっ?」
間の抜けた声を漏らしてから、ドルモンはようやく鼓膜を叩いた音響の正体が、強烈な爆発の付属物だと悟った。
先の比ではない強い風が、ドルモンの毛並みを乱暴に撫でて行く。それに逆らってまで見た檀上の光景は、目にしたことをすぐ後悔したくなるほどに、吐き気を催す代物だった。
美姫の麗貌が鎮座してあったはずの首の上からは、濛々と黒煙が昇っていた。
甲冑から伝って落ちる鮮血よりもさらに湿っぽい音を立てながら、その足元に真紅や桃色の破片が降り注いでいる。真っ白い湯気を吐き出す肉片の中に、金色の長い髪が一房生えた物が混在しているのが見える。それらがルナスの美貌が砕かれた成れの果てなのだと、ドルモンは戦慄と共に理解した。
そしてバグラモンの屈強な肉体にぶつかって跳ね返り、微妙な勢いで弾む真っ赤に染まった尾を持つ白い球体が、事態の推移に固唾を呑んでいたドルモン達の方へ転がって来ていた。
血に濡れた青い瞳がころりとこちらを向いたのと、デュラハンのような首無し騎士となった鎧姿が崩れたのは、ほぼ同時のことだった。
「いやぁああああああああああああああああああああああああっ!?」
「うわぁああああああああああああああああああああああああっ!?」
倒れた拍子に圧迫され、首の断面にある気道から喘息のような最後の呼吸音を漏らした死体は、頸動脈から勢い良く黒血を撒き散らした。そんな酸鼻極まる光景に、絹を裂くような悲鳴が連続する。自身もまた絶叫するに至って、ドルモンはようやくこの場に集められた者の過半数がルナスと同じく、デジモンではないということに気付いた。だが、そんな事実に気づいたところで、口腔から迸る悲鳴への抑止力とはなり得なかった。
「うふ……うふふっ……くすすすすっ……!」
そんな中、バグラモンの脇に控えた四人の内の一人――純白のローブに純白の長髪の女が、首に提げたカウベルのような鐘を鳴らしていることにも構わず、笑いを噛み殺し震えていた。
(何を、笑っているんだ……っ!)
人が死んだというのに……いったい何がそんなに可笑しいというのか?
気づけばドルモンは、思わず牙を剥いて唸り声を上げていた。だが、そこで――
「――少々、刺激の強い光景を見せてしまったことをお詫びしよう」
場違いなまでに落ち着いたバグラモンの声が、阿鼻叫喚の城内に響いた。それによって、白い女への怒りに支配されかけていたドルモンは、何とか冷静さを取り戻すことができた。
命を喪った剣姫が振り下ろした七星剣は、難なくバグラモンの右手に掴まれたまま、主の仇に一筋の傷すら刻むことができずにいた。それを手放すことなく、滔々と彼は言う。
「だが、彼女が身を呈して示してくれたように……君達の首に巻きつけてあるのは、私の意思でいつでも起動することができる爆弾だ。君達が私の要請に応じてくれない場合、勝手に首輪を外した場合、またはこれから説明するルールに違反した場合、起爆することとなっている」
言われて、ドルモンは首に冷たい感触がずっと在ったということにようやく気づいた。
周りを見渡してみると、惨劇を前に蒼白な表情をした、桃色の髪を赤いリボンで頭の左右に結った学生服姿の少女や、裸の上半身に青のジャケットを羽織った小柄な少年の首にも、同じように金属製の首輪が巻かれていた。その他周囲の者達も、誰一人の例外なく、等しく。
つまりはこの場にいる全員が、バグラモン達に生殺与奪を握られているのだ。
何が頼みだ――もはやただの脅迫ではないかと、ドルモンは内心で毒吐いた。
「くぷぷぷぷぷぷっ……ふ、あははははははっ!」
「……マリーチ、少し静かにして貰えないかね?」
笑い続ける女に堪え切れなくなったように、バグラモンは嘆息と共にそう告げた。
「あら、ごめんなさい……でも、仕方ないじゃない。話も聞かず、力の差もわからず勇み足で突っ込んで犬死するなんて、面白過ぎて……っ!」
マリーチと呼ばれた女の言葉に、少なくない数の者達が一気に殺気立った。そしてドルモンも再び憤怒を覚えていた。
ドルモンの脳裏に浮かんだのは、あの夜自分を脅かそうとした襲撃者――生きるために最期まで足掻き、死んで行った同胞の姿だった。
彼のように、生きたくてもそれの叶わなかった命がある。それなのにまるで意味もなく誰かの命を奪い、また今から喪わせようとしている。
――許せない。そうドルモンが強く思った時、バグラモンに向かってマリーチは、彼のこともまたおかしいとでも言いたげに笑った。
「そんな怖い顔しないで」
直後。
先と全く同じ爆音が、ドルモンの背後で生じた。
唐突な炸裂に周りの者が悲鳴を上げ、爆心地から昇る黒煙から逃れようと場を離れて行く。幸いその流れに巻き込まれずに済んだドルモンは、驚愕を飲み干すと爆発の出所へ目を向けた。
「――別に、ルナスのことじゃないのよ?」
そうマリーチが囁いた時、ドルモンは見た。
――黒煙を掻き分けて現れた、一人の美女の姿を。
腰まで届く銀髪の、涼やかな目をした女だった。引きずるような長い外套は黒のため、外観の汚れは目立っていないが、そこに空いた穴の下の白衣は煤に塗れている様子だった。
彼女は不機嫌な感情を隠そうともしない顔をしていた。だがバグラモン達の悪行への義憤と言うのは憚られる、本当にただ虫の居所が悪いだけのような、酷く傲慢な表情だった。
そんな彼女の首元には、本来あるべきはずの物がなかった。
「マリーチ。あなた、こんな物で私を縛れると思ったの?」
彼女は涼やかな目のまま、その瞳とは対照的に未だ熱を保った鉄片――首輪の残骸を掌の上で転がしていた。
(――どう、して……?)
逆らえばどうなるのか、目の前で示されたばかりだというのに――躊躇うこともなくそれを外しに掛かったその精神も、また零距離からの爆破を受けまるで傷を負っていないという事実も、等しくドルモンには理解不能だった。どう見ても人間としか思えないが……彼女はまさか、強大な究極体にも匹敵する力を秘めている、とでもいうのだろうか?
「そのバグラモンが調子に乗っているだけなら、別に構わなかったけれど。この茶番にあなたが噛んでいるのなら、話は別よ」
首輪を外し、その爆発を受けながら、未だ無傷のままに彼女に対して。バグラモンは沈黙を保ったまま。マリーチはおかしそうにくすくすりと笑声を漏らすだけだった。
そんな三人の放つ異常な雰囲気に呑まれてか、その場にいた誰も動くことはなかった。
「私を高貴と知っていて。愚かなのね」
哀れむような、蔑むような物言いと共に。銀髪の女は掌を翳した。
きん、という空気を歪める音と同時に。深紅の光条が、マリーチの豊かな胸元を射抜く。
そしてドルモンは、この世の終わりの景色を見た。
驚愕の声は誰が漏らした物だったか。自分の物なのか、他の誰かの物なのか。そんなことも判別できず疑問に思ってしまうほどに、ドルモンの前で展開された光景は常軌を逸していた。
赤い光線が通過した瞬間、直撃したわけでもない玉座や絨毯が炎上していた。直撃を受けた城の壁はその熱量を前に一瞬で大穴を穿たれ、外の景観を映し出した。
その彼方の地平線から、目を灼き潰さんばかりの白光が差し込んで来ていた。次に地面から跳ね飛ばされんばかりの衝撃が伝わり、最後に竜巻のような轟風を伴った音が全身を叩いた。
「うわっ!」
その勢いに、ドルモンの矮躯は成す術なく吹き飛ばされた。壁か何かにぶつかった気がしたが、光と風の凄まじさに暫くの間は目を開くこともできず、潰れた蛙のように伸びていた。
やがて、明順応した瞳を開く。その先にあった眺めに、思わずドルモンは息を詰まらせた。
壁が消滅したことで晒された外の景観。先程光が爆発した地平線より、薄雲を散らして遥か天高くへと舞い上がる炎と粉塵の渦が、未だその勢いを止めずキノコ状の雲を形成している。
「
エルシア。あなたには、絶対私を倒せないってこと……知っているでしょう?」
眼前で展開されていたのは、俄かには信じ難い景色だった。それを成した深紅の光線が直撃したはずのマリーチは、染みの一つすらない、純白のまま。キノコ雲を背景に、同じく健在のバグラモンの隣で、さも滑稽と言わんばかりに笑っていた。
彼女からエルシアと呼ばれた銀髪の女は、酷く不機嫌そうな顔をした。その表情のまま掌を再度翳すと、またも深紅の光がマリーチを貫き、彼女の背にした壁を貫いてどこまでも飛んで行く。だが光線は彼女の身体をすり抜けただけのように、マリーチは無傷のままでそこに存在していた。姿はそこに見えているのに、まるで実体のない陽炎か何かのように、何も届かない。
さらに三発目が、マリーチの身体を薙ぎながら、頭上から降り注いでいた城の残骸をも巻き込んで消滅させて行く。落石に等しい災厄から逃げ惑うドルモン達の一方で、マリーチの白皙も、彼女が纏う白衣も。やはり無垢のまま、汚れの一つも生まれはしなかった。
苛立たしげに麗貌を歪め、徒労を繰り返すエルシアの姿を嘲笑うかのように、マリーチは掌を口元に当てる。
「ねえ、エルシア。あなた、さっき私が糸を引いているみたいに言っていたけれど。そんな風に、バグラモンのことを無視していても良いのかしら?」
言われ、エルシアは即座に視線を正面に移した。どこか億劫そうな様子ではあったが、動き自体は――少なくともドルモンから見れば、極めて俊敏なものだった。
だが、彼女が正面を向いた時点で最早手遅れだった。既に彼女の目の前には、右眼を怪しく輝かせたバグラモンの立ち姿があったのだから。
「――ッ!?」
そんな彼の姿を目に収めた瞬間。エルシアの身体が、突如として動きを止めた。
そう、動きを止めたのだ。止められたのではなく。
だがそれは、彼女の意志に因る結果ではないようだった。まるで自身の身体が、己の自由に動かせないのかのように――満足な呼吸すらもできないのか、苦しげな息遣いだけが、伽藍となった城内に吐き出されていた。
「動けないでしょ? お姫様」
からかうように告げたマリーチは、白魚のような指でつんつんとエルシアの玉のような頬を突いていた。先程までの態度から推測すると、本来なら間違いなく冷たい怒りを見せるだろうエルシアはしかし身じろぎの一つもできず、ただ沈黙を貫いている。無造作に強大極まる力を示したエルシアは、しかしその自由を彼らによって一瞬で剥奪されたようだった。
そんな彼女の眼前へと、バグラモンは七星剣を手放した巨大な右手を伸ばす。
次の瞬間、エルシアの口から漏れた銀の輝きが、バグラモンの掌の中へと引き込まれ始めた。
「……っ! あ……っ、あ……っ!?」
「――エルシアッ!?」
苦しげな彼女に誰かが気遣う声を上げたと同時に、エルシアから吐き出された白銀の光芒は完全にバグラモンによって掌握された。マリーチの人差し指につんと頬を押される勢いのまま、エルシアは力なくその場に崩れ落ちる。
まるで、ぴくりとも動く気配のない――先程まで聞こえていた、微かな吐息の音すらない。完全に息絶えた様子のエルシアを見て、周りで幾人かが息を呑む気配をドルモンは感じた。
「彼女――エルシアのように、首輪の爆発程度では死なないという者もいるだろう。だが首輪の爆発とは、それで済む者に対する制裁と威嚇の意味しか持たない」
バグラモンはそこで、見せつけるように手の中に収めた銀の光球を翳すと――右の五指に力を込めてそれを握り潰し、飛散させた。砕かれた光の塊が無数の粒子と化して拡散して行き、大気と混じって消え行く。同じように、放置されていたエルシアの亡骸もまた、淡い緑に輝く0と1の数列に分解され、瞬く間に消滅して行った。
「この場で殺し合いの進行の妨げとなる行動を取る以上、その者に対する首輪の効果がどうであれ、末路は変わらないのだということを理解して頂きたい」
「爆弾なんかで私達は死なないけれど。バグラモンなら……まあ、私はともかく。あなた達もあっと言う間に殺せるというのは、今エルシアがその身を呈して教えてくれたわね?」
バグラモンの説明にそう続けたマリーチは、そこでまたくすくすりと笑声を零す。
「……とは言っても、それで大人しくするあなた達じゃないものね? でもここで全滅されてもつまらないから、私が支配しておいてあげたの。ゲームが始まったら自由にしてあげるわ」
白杖を手にしたマリーチは参加者達の最後尾へと、愉快さを隠そうともせずに告げた。
「――説明を再開しよう」
そんなマリーチの呟きを無視したバグラモンに逆らう者は、今度こそ皆無だった。ドルモンも何も言えなかった。
爆破機能を持った首輪など、所詮はただの舞台装置。つまるところ演出に過ぎない。そんな物がなくとも、彼ら二人はこの場の全員を屈服してみせた。
そしてバグラモンは淡々と、マリーチは愉悦を滴らせ、宣言通り殺し合いの説明を開始した。
曰く、この殺し合い――バトルロワイアルは決められた会場内で、最終勝利者となる一人が決定するまで続行される。 この間の参加者の行動選択について、禁則事項は一切存在しない。
また、六時間毎に行われる『放送』によりその時点での脱落者、及びに状況に応じての連絡事項が発表される。
首輪は『侵入禁止エリア』と呼ばれる、前述の放送により伝えられるエリアに踏み込むことで警告の後に爆発する。他にも会場外へ脱出しようとすれば爆発し、殺し合いの開始、または最新の死者が出てから二十四時間以内に新たな死者が出ない場合には、全員の首輪が起爆される。 最後のケースの場合は、爆破だけでは死なない者もその後バグラモン達によって殺害される。
さらに殺し合いの円滑な進行のため、一部の参加者の超常の能力が制限されているという。また、名簿に記された者以外にも、自立した意志を持つ存在が会場に送り込まれる場合がある。
「……そしてさらに殺し合いを進めるため、参加者の中には私の部下達も含まれている」
バグラモンの宣言と共に、彼の背後に控えていたマリーチ以外の三つの影が歩み出た。
一人は自身よりも巨大な鞘に収めた刀を手にした、赤と黒の鎧武者。また一人は暗黒と紫紺の衣装を纏う妖艶な美女。最後の者は、煌びやかな宝石や鉱石で構成された巨躯を誇る怪物。彼らのいずれもエルシアの攻撃を間近に受けて無傷で済んでいることからも、強大なデジモンだとドルモンには認識できた。
「さらにもう一人、我々の協力者が君達の中に紛れ込んでいる」
それが誰なのかは明言せずに、バグラモンは続けた。
「彼らのことは、仮に『ジョーカー』と呼称しよう。本来最終勝利者は一人だけだが、会場内に残った者が彼らのみとなれば、その時点でもバトルロワイアルは終了する」
「自分達だけ団体様かよ」
誰かがそんなことを小さく呟いた。声の主はハッとして口を噤み、息を呑んだが、吐かれた言葉は既にバグラモンに届いていた。堕天使はゆっくりと、その赤い瞳と紅玉の義眼を声の主へと向ける。
「確かに、不平等であることは認めよう。だが我々も、意味もなくこんなことをしているわけではないのだ。もしもジョーカーのみで雌雄を決することに価値があるのなら、そもそも君達を呼びはしないよ。ガユス・レヴィナ・ソレル君」
――それはあるいは、とても重要な言葉だったのかもしれない。
だが、果たしてその場にいた何人が、そのことに気づけただろうか。少なくともドルモンは、事態に適応することに必死で、そこまで気を回すことはできなかった。
「そして優勝者には、その報償としてどんな願いも一つだけ叶える権利を授けよう。富と名声、永遠の命、死者の蘇生、世界を滅ぼす力、過去の改変――如何なる願いも、一つだけ……な」
さらに続いたその宣言を受け、途端に皆が騒ぎ出したことにドルモンは愕然とし、それから思わず苛立ちを覚えていた。
何故、ここまで騒ぐ必要があるのか?
(皆――乗るつもり、なの……?)
まさか……騒いでいる者達は、その報償とやらのために殺し合いに乗るというのだろうか? 己の欲を満たすために、誰かの命を奪おうと?
そうして思考の渦にはまり、取り残されて行くドルモンを無視して、バグラモンは続ける。
「君達には、BRデバイスという腕時計型のアイテムを一つずつ支給している。地図や名簿、ルールブックとしての機能を持つ他に、武器や食料と言った支給品も収納している。扱い方については初回起動時に説明があるため、それに従ってくれれば良い。
……我々から伝えることは以上だ。先程伝えたBRデバイスや支給品などの細かい説明は、自分達で確かめてくれ」
「――少し、よろしいでしょうか?」
バグラモンが説明を終えたと同時に、群衆の中から少年の声が発せられた。
声だけでなく、気を引こうと挙手した彼を視界に収め、一瞬の後にバグラモンは頷いた。
「――発言を許可しよう。マヒロ・ユキルスニーク・エーデンファルト」
その言葉に恭しく一礼した黒髪の少年は、蛇のような目でバグラモンを真っ直ぐに見据えた。
「まずはこのたび、バグラモン皇帝陛下直々の催しにお招き頂けたこと、心より感謝致します」
本心ではあり得ぬ言葉を吐いて再び一礼した後に、マヒロは本題を切り出した。
「陛下は先程説明を終えたと仰いました。しかし、二つほど確認しておきたい点がございます。もしよろしければ、そのことについてお答え願いたいのですが」
「……言ってみたまえ」
値踏みする風でもなく、ただ淡々と。発言を促したバグラモンにもう一度頭を垂れた少年は、圧倒的な力を見せた支配者相手に物怖じすることなく。まるで先に二人の女性が死んだこともなかったかのように、静かに語り始めた。
「それではまず一つ目。陛下を疑ってしまうような形で申し訳ありませんが……優勝の報償が事実であると言う証拠を、今ここで、僕達の目の前で示して頂きたい」
「な――っ!」
(――何を、言っているのっ!?)
報償目当てに殺し合いに乗ると、暗に示すかのような問いかけにか。それともバグラモンを挑発するというその無鉄砲さになのか。その原因は掴み切れなかったが、ドルモンはマヒロという人間の態度への驚愕の余り、思わず絶句していた。
ドルモンだけでなく、他の参加者達からも同様に猜疑や困惑の視線を集中させる中で、彼は真摯な表情のまま続けた。
「どんな願いも叶えると言われても、実際にそれだけの力をお持ちであるということを示して頂けなければ……残念ながら、僕には。到底信じることができません」
「君達全員を、知覚も許さぬ間にこの場に集めてみせた……という事実では足りないのかね?」
「ええ。これまでに陛下が僕達に披露されたことは、本質的に言えばただの暴力に分類される行為。極論すれば、犬猫にもできる程度のことです。たかがそれに優れるだけで、あたかも神のようにどんな願いでも叶えようなどと言われても、思い上がりの程度が知れるだけです」
生殺与奪を握られた状況で、なおもマヒロはバグラモンを、その行いを明確に見下していた。
(怖く……ないの?)
確かに、その理屈には賛同できる部分はある。だがこの状況で、こうも侮蔑的に言葉を吐くなど、この少年はおかしいのではないか。ドルモンはバグラモン達に対する物とは違う畏怖を、マヒロという人間の子供に感じていた。
一方でそんな少年の様子にマリーチは楽しそうに笑声を零し、バグラモンはまるで動じず、マヒロの言葉がそこで途切れたのを確認してから問いを放った。
「では逆に問おう。私が何をすれば、君からの信を得られるというのかね?」
「それはもちろん――死者の蘇生」
その言葉を引き出せた瞬間。我が意を得たとばかりに、マヒロは一転して笑みを深めた。
きっと蛇が嗤う時、こんな顔をするのだろう――ドルモンは不意にそう感じた。
「命を奪うなど、歴史上どれほどの者が成して来たかも数え切れぬほどありふれた行為です。しかし死者に再び命を与えるとなれば、それはまさしく前人未到の神の御業に他なりません。だから陛下が口で何と言われようと、そのようなことができる存在がこの世にいることなど、僕には想像もできないのです」
「――ぶっ!!」
真面目な顔で告げるマヒロに、突如マリーチが噴き出した。何が可笑しいのかなど知らないが、くぷぷぷっ……と、まるで童女のように、込み上げて来る笑いを必死に堪えている様子だ。
マヒロはそんな彼女に一瞬だけ視線を配ったが、すぐにバグラモンとの問答を再開した。
「それが叶うと言うのであれば、陛下。是非とも僕達に、その奇跡を御披露願いたい」
「なるほど」
そこでバグラモンは、ようやく得心が言ったとばかりに微笑を刻んだ。
「残念だが、ルナス・ヴィクトーラ・マジスティアとエルシアの二人の死は、彼女らへの制裁の目的で与えた物だ。君の主張が恩赦を与えるほどの理由にはなり得ない以上、彼女達の蘇生を行うことはできんよ」
「――ええ。そのことにつきましては、僕も仰せの通りと存じます。しかし、恐れながら申し上げますと、陛下。此度の催しを妨害しようとした彼女達はともかく、陛下に従いながら彼女達の愚行に巻き込まれてしまっただけの被害者にも、何の手当ても施さないというのであれば。それは陛下から人心を遠ざける結果になってしまうのではないかと、僕は懸念しております」
そこまで言われてもバグラモンは、マヒロの挑発に乗り冷静さを失うということはなかった。むしろ目の前の若者との対話を楽しむ賢者の顔で、少年の操る舌鋒を、静かに聞き届けようとしていた。
「僕の背にある瓦礫の下敷きとなり、亡くなってしまった方がいらっしゃいます。陛下としても、今回のために御招きしたご客人に、本番前の場外乱闘などで退場されては不本意ではないでしょうか? ……それとも、やはり。陛下の謳う奇跡など、騙りだったということですか?」
若き蛇の挑戦的な問い掛けに、バグラモンは吟味するように目を閉じて、小さく頷いた。
「よかろう」
宣誓と共に、バグラモンが右手の巨大な指を鳴らした。
途端に、マヒロの背後に存在していた瓦礫が跡形もなく――本当に、破片一つと言った痕跡もなく、その場から掻き消える。その下から露になったのは胸部を圧潰され、そこから溢れた血の海に沈んだ短い金髪の青年だった。
マヒロではなく、この場に集った全員に確認するように、バグラモンが告げる。
「マリーチ」
「格好付けておいて、そこは私に任せるのね」
仕方ないとばかりにマリーチが肩を竦めてみせた、次の瞬間だった。
「あれ? 俺は確か……ぺしゃんこ、に?」
そんな声と共に、鎧と呼ばれた青年がむくりと起き上がった。完全に粉砕され、血を零していた胸は、元の厚みに戻り。瓦礫によって無惨に裂かれたはずだった衣服にも、穴一つなく。まるで瓦礫の下敷きとなった事実などなかったかのように、彼は無傷な姿を取り戻していた。
まさに奇跡――その光景を目の当たりにした者達がどよめく空間を、およそそういった感情と無縁な声が制して行く。
「……これで、信じて貰えたかね?」
「ええ。勿論です、陛下」
バグラモンの問いに、マヒロも淀みなく頷いていた。
「確かにこの両目で見届けさせて頂きました。まさしく奇跡の業。先の身の程を弁えぬ不遜、贖いの為なら命も差し出す所存でありますので、何卒ご容赦を」
「構わんよ。君のおかげで、他の参加者諸君も少なからず抱いていただろう疑問を晴らす機会が得られたわけだ。君の言うように、無用に参加者を減らすのも本意ではないからね。こちらこそ感謝しよう」
「身に余る光栄です、陛下」
自身に与えられた恩赦について礼を述べたマヒロだが、バグラモンともども実に白々しい。
しかし雄弁に語る彼らとは対照的に、ドルモンを始め多くの参加者達は、目の前で起こった現象に理解が追いつけていなかった。
これが幻でないならば――バグラモン達は口にした通り、どんな願いでも叶えるだけの力を、事実として持っているのだと――水の浸み込むように、そのことだけが認識できた。
「鎧が死んでいた間の出来事は、私がその分の記憶を与えておくから心配しなくて良いわ」
鎧やその周辺の参加者達にそのように告げたマリーチは、続いてマヒロへと視線を運ぶ。
「良かったわね、マヒロ王子。命の恩人を救うことができて」
「……そうですね。シスターの件と言い、感謝していますよ。預言者様」
どこか諦念を含んだマヒロの返答に、預言者と呼ばれた女は楽しそうに小首を傾げた。
(――知り合い、なのか?)
そんな疑問がドルモン達の中に生まれたが、詮索する余裕はなかった。その前にマヒロが、バグラモンへと次なる問いを放っていたからだ。
「……陛下。もう一つの質問、よろしいでしょうか?」
「――許可しよう」
顎を引いて頷いたバグラモンに対する礼を欠かさず行った後、マヒロは彼に問い掛けた。
「陛下はあの二人を罰せられた理由を、『この場で』進行を妨げたためと仰せられました。また先程の説明で、参加者の行動に禁則事項はないとも。そのことに相違はありませんか?」
勿体ぶったマヒロの問いに、バグラモンは顎を引いて肯定した。
「相違ないと、確かにお伺いしました。では、それらを踏まえた上で確認させて頂きます」
それを目にした少年は、再び人を喰った蛇の目をして、嗤った。
「陛下は、参加者が殺し合いの舞台でその進行を妨げた場合に、制裁の対象になるとは言っておられませんね?」
蛇が放ったのは――敵対宣言と言う名の毒だった。
「……なるほど。これは言質を取られてしまったな」
驚愕の視線が集まる中、苦笑するかのように、バグラモンは言葉を吐き出した。
世界を焼く火も寄せ付けず、死すらも覆す――まさに常識の遥か外側に存在する主催者に、しかし決して屈服しない者がいるという事実を知らしめ、その意志を他者にも伝播させて行く。
(――すごい……!)
ドルモンは素直にそう感じていた。
主催者に命を握られていることをわかった上で、それでもまったく怖気づくことなく、立ち向かうことができているマヒロに、素直に感心していたのだ。
こんな状況でも倫理を捨てぬ者がいるということ、それだけで人は希望を持てる。その希望が、それぞれにまた道徳を遵守させる力を生むことだろう。彼の言霊はまさに、敵対者の思惑を死滅させるための毒だと言えた。
それを浴びせられたバグラモンは目を伏せ、しかし実に愉快そうな微笑みを浮かべていた。
「確かに二十四時間経過しても新たな死者が出なければ全員脱落、と言うルールを設けはしたが……会場において殺し合いを妨害することを縛る規則はないな。だが、君は――」
「僕は『この場で』陛下の催しを妨害するなど、そんな恐れ多いことはとてもとても。それともまさか、陛下御自らが一度許可された行為をしただけというのに、僕は罰せられてしまうのでしょうか?」
「まさか。君の言う通り、ただ問答を行っただけだよ」
マヒロの白々しい演技に再び苦笑した後、だが、と改めてバグラモンは言葉を紡いだ。
「果たして君のこの問答、正解だったと言えるかね?」
バグラモンは余裕を保ったまま――まるで教師が生徒を諭すように、穏やかな声音で続ける。
「君は参加者の心を支えるために、この殺し合いを破綻させるための毒を吐き、参加者には薬として届けようとしたが……量を見誤って、逆の効能が発揮されてしまったかもしれないな?」
マヒロは主催者との問答で彼らに犠牲者を一人救済し、また直接殺し合いの中でのある程度の自由を――強いては殺し合いそのものに抗う権利があることを、バグラモン自身に直接保証させることに成功した。
だが、それでも。あらゆる願望を満たすという、優勝の見返り。そんな怪しい話に信憑性を持たせるに足る、主催者の絶対的なまでの力を明確に示させてしまったことは、殺し合いへと参加者の心を傾かせる条件を満たしてしまったとも言える。
バグラモンの言う通り、マヒロの吐いた毒が殺すことになるのは、果たして誰なのか――
「――恐れながら、陛下。その答えを得る術は、実際に見届けてみるより他にないかと」
やがて発せられたマヒロの返答に、バグラモンは重々しく頷いた。
「その通りだな。それでは、始めるとしようか」
再び彼が巨大な右腕の、その無骨な親指と中指を擦り合せる。それが打ち鳴らされる時に、また何らかの超常現象が呼び起され、恐らくはバトルロワイアルが開始されるのだとドルモンは直観していた。
「――マスターッ!!」
合図の寸前――まるで長年探していた、生き別れの家族を呼ぶような必死の声色で、少女が叫んだのをドルモンは耳にした。
その声で不意に、振り返った時――
「マム!」
――行方を心配はしたが、最もここに居て欲しくなかった相手の喜色に弾んだ声を聞いて、ドルモンの心は絶望に埋め尽くされた。
「――トコモ……ッ!」
――ばちんっ、と。
後ろを振り向いたドルモンが名を叫び終える前に、バグラモンの指が鳴らされた。
何らかの力が働いて、自身をどこかに転送しようとしているのを感じながら――ドルモンはこちらを見て、無邪気に駆け寄って来ていた、探し人の姿を網膜に焼き付けた。
(――トコモン……ッ!)
網膜に焼き付けた、その瞬間に――
ドルモンの意識は白に塗り尽くされ、その場所から強制的に転移させられていた。
それは、ドルモン達だけに限らず。
後、ほんの数歩で愛しい者と再会できるはずだった者達は、またも引き裂かれ、散り散りに飛ばされて行った。
――こうして、絶望と希望が相克し合う舞台へと、役者達は残らず上った。
「継ぎ接ぎされた可能性達。彼らが巡り合うことで、多くの希望が生まれることでしょう」
巡り合い、争い合う定めを背負った彼らによってこれより紡がれる物語の結末を、しかし既に視知った女が一人居た。
「けれども、未来は呪われたまま。全ての希望も最後には、反螺旋の絶望に支配されてしまう」
預言者と呼ばれた白い堕天使の告げる言葉を、荒野の賢人と称される黒き堕天使が、神託を受ける敬虔な信徒のようにして聞き届けていた。
「それを忌避する終端の王は、黙示録の予言を現実の物とするでしょう」
そこで一度、彼女は言葉を止めた。
耳に痛いほどの静謐の後に、彼女は再び口を開いた。
「王により解き放たれた、赤黒の双頭竜が天を征く。生と死。天と地。有と無。希望と絶望。過去と未来――そして現在。森羅万象の合切を喰らい、安息を求める犠牲者達の魂すらも呑み込んで。竜は新たな原初の混沌と化す」
二人だけが残った廃城の中で、マリーチは歌うように最後の一節を口にしていた。
「嘆きと共に無数の宇宙は互いを押し潰し、永き灰色の時を迎えることでしょう。そしてその混沌も、いつかは深い闇に包まれて、やがて全ては――」
不吉な予言が読み上げられたのと同じ頃――戦いの火蓋は、切って落とされていた。
巡り合う可能性の戦い(クロス・バトルロワイアル)――開幕。
【エルシア@戦闘城塞マスラヲ】死亡確認
【ルナス・ヴィクトーラ・マジスティア@ミスマルカ興国物語】死亡確認
残り63人
最終更新:2013年08月10日 12:11