次の日の朝方。巣と村の中間地点のよく整備された林道を杣師の二人が材木の調達のためにを歩いた
すると前方に、体が地面にピッタリと埋まって身動きが取れなくなってるゆっくりまりさを見つけた
近くまで歩み寄る
「どうしたんだおめぇ。大丈夫か?」
まりさは白目を剥き小刻みに痙攣していた
「しゃあないな。ほら今出してやる・・・・・・・・よっと」
杣師の一人がまりさの頭を掴んで、持ち上げてやる
意外と抵抗無くまりさは持ち上がった
持ち上げるとまりさの体の底から餡子がどろリと零れ落ちて力が抜けたのがわかった
「こいつ死んじまったぞ」
死体を横に置き、まりさのはまった穴を見る
「なんだこりゃ?」
20cmほどの浅い落とし穴に先が鋭く尖った細い杭が複数植えられていた
しばし思案して、二人はお互いの顔を見合わせた
「なあ、これって・・・」
「ああ」
杭と杭の間隔が広めに開いて設置されており、これでは足の幅が小さい四足歩行の動物はかからない
二人は理解した。これはゆっくり専用の罠だと
罠を仕掛けた者に思い当たる節があった
「あの餓鬼め・・・・悪趣味なモン作りやがって・・・」
数日前に村八分の青年がそこらじゅうに穴を掘っているところを二人は何度か目撃していた
「妹の仕返しのつもりか? 余計なことしやがって。あいつドスの怖さを知らねえのか」
杭を全て抜いて道の脇に捨てる。このことを早く村に報せなければならない
急ぎ歩を進めようと足を前に出す
「お゛っ!」
その罠は杣師の一人が足を下ろした地点にも仕掛けてあった
落ち葉と枝で精巧に迷彩されていた
この罠は足の幅の広い二足歩行の人間に対しても有効に働くことを、この二人は直前まで気が付けなかった
釘のように短く、かつ細く鋭い杭が杣師の足袋を易々と貫いた
青年は目が覚めるとすぐに太陽の位置を確認した。どうやら昼前らしく、眠りすぎたことを後悔した
巣の前の広場の様子を見ると状況は変わっていない
巣の入り口に屯する家族がいたので、それをドスの目の前で殺して遅めの朝食にした
ドスまりさの体を見ると昨日かけた油が完全に乾いていた
油の染みた布なら乾燥したとき自然発火することが稀にあるが、ゆっくりの体ではその現象は起きない
油が乾けば、もしかしたらドススパークを撃ち始められるかもしれないと思った
そうさせないためにも、油をまた持ってくる必要があった
青年は棒を壁に立てかけて、川原へと向かった
腹心であるゆっくりれいむは、体中に擦り傷を作りながらようやく村に到着した
まりさは途中罠にかかり死んでしまった。まりさが罠にかかってくれたお陰でれいむはここに辿り着けた
まりさの死はものすごく辛いが、自分にはやらなければならないことがある
れいむは村の入り口で力いっぱい叫んだ
「た゛れ゛か゛た゛す゛け゛て゛え゛え゛え゛え゛ぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
鞠で遊んでいた子供、洗濯物を干していた女性、材木を担いだ男などその近くに居たもの全てがれいむのほうを向いた
しかしすぐに視線を戻しそれぞれの作業に没頭しはじめた
「だずげで!! おにいさんがみんなころじでる!! だれどもいいがらとめてくだざいいいいいいいい!!」
その言葉にだれもの耳にも届かなかった
だが
「先生を呼んでくれ!!」
たった今帰ってきた杣師の二人。この二人の登場で場の空気が一変した
二人のうち一人が負傷しており片方の足に血の濃く滲んだ包帯が巻かれていた
仲間の肩を借りて辛うじて村まで歩いてきたようだ
その場にいた一人がれいむ向かい何があったのか尋ねた
青年が川原についた時、まず川の水で手を洗った
ここに来る途中単体の成体ゆっくりを見つけて、素手で殺したためその餡子を落としていた
そのため少しだけここに来るのが遅くなってしまった
手を完全に乾かしてから鍵の壊れた蔵の戸を開ける
昨日と同じ要領で物色する
油がなみなみと注がれている壷を見つけたのでそれを持ち帰ることにした時、背後から声がかかった
「そこで何をしている」
その声には聞き覚えがあった
「・・・・・・・なんだ、あんちゃんか」
あの男と青年は一週間ぶりに再会した
男は村の杣師が怪我をしたという報告と、村に来ていたゆっくりの話を総合して大まかな事実を知った
巣に向かう途中に青年の姿を本当に偶然見つけて追いかけてきた
窃盗の現場を押さえられたにも関わらず、青年はそれを気にすることなく男に背を向けて物色を再開した
「今まで何処に行っていた?」
その問いに背を向けたまま答える
「あいつがちゃんと極楽へ行けるように、いろいろな神社仏閣を回っていたんだ・・・ああ、それとあんちゃん。俺村に戻ることに決めたよこれからはよろしく」
「そうか・・・・それは良かった」
神社を回ったのも、村に戻るのもどちらも嘘だと分かっていたがあえて追求しなかった
「その壷の中身をどうするつもりだ?」
「これかい? 家のろうそくが切れてね。悪いとは思ったんだが、少し分けてもらおうかと」
「それは村のものだ。戻せ」
「いいだろ、別に。村に戻れば俺にも平等に分配されるものなんだから」
ここで男の声が僅かに低くなった
「駄目だ、お前は村に戻れない・・・・・・」
複数の足音を聞いて青年が振り返ると男の後には村の人間が何人もいた
「お前は取り返しのつかないことをしてしまった」
血を吐くようにそう言った
「取り返しのつかないこと・・・?」
とぼけた素振りを見せる
青年のすぐ横には昨日壷を持って帰るためにやむを得ず置いていった木の棒が落ちていた
「覚えが無い・・・・・なっ」
足元の壷を蹴倒した。一面に油が広がる
すぐに棒を拾い大きく振り回し、全員が怯む一瞬の隙をついて脱出しようと試みた
しかし多勢に無勢
棒を掴まれ、倉の外に引きずりだされた
地面に倒され馬乗りにされる
馬乗りになった男の大きな拳が青年の顔面に振り下ろされた
青年にはまだしなければならないことがあった
罠の増設して、山を駆け回り出来るだけ多くのゆっくりを虐殺すること
絶望に打ちひしがれるドスまりさを苦しむように殺してゆっくりに対する復讐は完遂するはずだった
その後は村に恨みを晴らすはずだった
目的が何一つ達成されることなく、こうもあっけなく青年の復讐は終わってしまった
無力な自分を呪うしかなかった
青年は気がつくと両手足を縛られて村の土蔵の中にいた
体中の節々が痛い。寝ている間に大勢に殴られたりしたのだろうと彼は思った
闇に目を凝らすと人影が見えた。そこにだれか居るらしい
「なぜおぬしの復讐の邪魔をするかわかるか?」
村長だった
顔は見えないが、声と独特のしゃがれた声でわかる
「分かるさ、ドスに死なれると困るからだろ?」
「ああそうとも、村の平和のためにドスを失うわけにはいかない」
何人かは犠牲がでるかもしれないが、ドスは仕止めようと思えばいつだってできたはずだった、だがあえて村長はそれをしなかった
ドスが怖いのではない。ドスを失ったあとに起きる現象を村長は恐れていた
もし『不可侵協定』が、または群れを統率するドスがいなくなったら、多くのゆっくりが村の作物を狙ってくる
あの数で村の作物を荒られたらこの貧しく弱い村は終わりだった
だからこそ条文の内容に“畑を荒らさない”という言葉が強調されていた
もちろんそれぐらい青年にもわかっていた
だから言ってやった
「はっ!? 要はドスのご機嫌を損ねて協定を破棄されるのが恐かっただけだろ!?」
そんな下らない他人の都合で妹は死んでしまったことに今日まで大きな憤りを感じていた
「それに実際にドスが死んだからといって、そうなるとは限らない。なったとしても村全体の力で防ぐことはいくらでもできただろ」
何よりゆっくりは食用になる。村を襲われる見返りは十分にあるはずだった
「確かにそうだ。だが村に危害が及ぶ恐れがある要素は毛ほども残したくは無い。そのための“不可侵協定”だ」
「そんなのお前らの事情だ。村八分にされた俺達はその被害者だ。俺はその仕返しをするだけだ」
青年はこのドスまりさの復讐をまだ諦めていなかった
「俺をここから出せ、そしたら俺が仕掛けた罠の位置を全部教えてやる」
ゆっくりと村の人間の為だけに仕掛けた罠を取引の材料に持ちだす
だが村長は涼しい声で答えた
「あんな浅い穴は時間が経てば自然と他の土に埋もれて無くなる、儂らにはまったく脅威にならんよ」
村でその罠にかかり怪我人が出ていたが、村長はそれを伏せた
青年のほうも罠の数自体もこの一週間でせいぜい150~200個しかつくれなかったため、罠を使っての交渉はもう無理だと判断した
落胆の色が見える青年に村長は追い討ちを掛ける
「明日、お前をドスに引き渡す。儂らはあくまで中立者だ。お前の生き死にはゆっくりに決めてもらう」
「てめぇ!」
ゆっくりに自分が裁かれると知り屈辱を感じだ。悔しさに任せて暴れたいが縄がそれを阻んだ。芋虫のように跳ねることしか出来なかった
その余りの無様さに村長の怒気は次第に冷めていった
「思えばお前も気の毒な子だ。親のせいで村八分になり、病で妹を失って・・・」
いつの間にか村長の雰囲気は普段の老人のモノに戻っていた
自身を憐れむその耳障りな声に苛立ちを感じて声を荒げる
「元はと言えばてめぇらのせいだろ!! 親父とお袋が死んだときなんで妹だけでも受け入れてくれなかった!」
頭を何度も土蔵の床に打ちつけながら叫ぶ
「村が団結して生きていくためには、お前たちのような存在が必要なんだ・・・・・・・・どの村でもやっていることだ」
事実。村八分がいたことで村の結束は高まり規範を犯すものはいなかった
村全体の利潤のため、少数を正義の名の下に切り捨てた。その点でいえばこの村長は優れた指導者だったのかもしれない
「儂はいつも正しいと思ったことをやってきた。悪いとは思っているが、謝るわけにはいかない。これが長の務めだ」
村長は出口に向かい歩きはじめた
「明日の正午にまた来る。それまでに心を決めるがいい」
「お前ら全員呪われろ! ゆっくりに飼われる家畜どもがっ!」
戸が閉まり完全に光が消えた
青年の叫び声だけが暗闇にこだました
復讐を宣言してから3日目の昼
ドスまりさの前に青年は引っ立てられていた
村から出るとき、彼は周りからまるで罪人を見るような目で見られた
否、彼は村にとって本当に重罪人だったのかもしれない
手は後で結ばれたままで、両足も絡げられた状態で身動きは取れない
「儂らはこれ以上おぬしらに関与せん。あとは好きにするがいい」
村長がそう言った後。誰かは知らないが、青年の背中を蹴飛ばしてドスまりさの前に座らせた
(え?)
両腕を拘束する縄が、蹴られたときに一瞬だけ緩んだような気がした
背中に回されている腕を動かしてみる
手首を結ぶ輪の片方が大きく緩んでいた
夜にあれだけ解こうと躍起になっていた縄がすぐに解ける状態になっていた
故意か偶然か、だれが自分の背を蹴飛ばしたのか確認したくても今の体勢ではそれができなかった
「こいつのことは煮るなり焼くなり好きにしろ・・・・」
かつて自分と親しかった男が自分の真後ろでそう言うのが聞こえた
そのあとすぐ村の者達は去っていった
ここまで立てた計画は何ひとつ上手くいかなかった
何も成し遂げられないまま自分はここで殺される運命を受け入れるしかないと思っていた
最後の最後で絶好の機会が巡ってきた
これは頑張ったご褒美に天国にいる妹が寄こしてくれた奇跡だと信じた
ドスまりさは壁を背に向けて青年と対峙している
他のゆっくりたちは、彼とドスまりさを囲うように少し遠くからことの成り行きを見守っていた
巣の前の有刺鉄線はすでに村人の手によって解体されており、太い杭がドスまりさのやや斜め後方に転がっていた
幸いにも、昨日ここを離れる際に置いていった木の棒は、まだ壁に立てかけられたままだった
杭が2本と棒が1本。使えるのはそれだけだった
「なあドス。巣に何匹生きて戻ってきた?」
その言葉にドスまりさは体全体を大きく歪めて叫んだ
『おにいさんのせいで仲間が死んじゃったよ!! たくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさん!!!』
目の前で殺されていったもの、罠にかかり命を落としたもの、山の中で狩られたもの
たくさんという言葉を壊れた蓄音機のように繰り返す
穏やかな声で青年は言葉を返す
「違う、“俺”じゃない“俺と妹”がお前らを殺したんだ」
一世一代の大舞台だというのに彼の心は湖畔の水面のように静かだった
対するドスまりさは仲間の敵討ちの燃えて荒れ狂っていた
『ぜっだいに許さないよ!!!!!!!!!!』
「・・・同感だ。俺もあいつもお前を許す気なんてさらさら無い」
お互い謝っても許す気なんて毛頭無かった
ドスまりさは憎きこの人間を一秒でも生かしておくわけにはいかなかった
だからすぐに終わらせたかった
『さっさと死ね!!!』
ドスまりさは青年を踏み潰すために大きく跳ねた
青年は動けないためこれで終わると思った
だが、ドスまりさが着地した場所には何もなかった
『な゛ん゛て゛う゛こ゛け゛る゛の゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛!!!』
前日、前々日のドススパークの撃ちすぎによって体力がを消耗して動きが普段より遅かったのが青年にとって幸いした
自由になった両腕を使い圧し掛かりをギリギリで回避し転がり、立ち上がる
足の方はキツく絡げられたままだったので、すぐには解けそうにない
両足をあわせた状態でゆっくりの様に飛び跳ね移動して杭を拾う
しかし慣れない動作だったためよろけて、すぐ近くの壁に寄りかかってしまった
その隙をドスまりさは見逃さず、追い討ちの体当たりを仕掛ける
「っぁ!」
『ゆぐぅ!!』
青年は壁に潰されたが拾った杭の尖ったほうを突き出していたため、ドスまりさも無事では無かった
『いだいいいいいいいい!!』
ドスまりさの顎の下に杭が深々と突き刺さった
杭が体に刺さりのた打ち回るドスまりさに対して、青年は潰された衝撃で壁にもたれた状態で体がずるりと下がる
後頭部と背骨が尋常でないほど痛んだ。息を吸おうとしてもまず吐くことが出来ず肺がどんどん膨らみ心臓を圧迫して一時的にえずいた
「どすだいじょうぶ!!」
「いまたすけるんだぜ!!」
ドスまりさのもとに仲間達が駆け寄り刺さった杭を抜こうと奮闘する
「「「ゆーえす! ゆーえす! ゆーえす! ゆーえす! ゆーえす! ゆーえす!」」」
杭を咥えた腹心のれいむをみんなが引っ張り、ドスまりさに刺さった杭は抜けた
抜けた穴から餡子がこぼれ出たが致命傷には全く至らなかった
「いいなぁ・・・お前には助けてくれる仲間がいて・・・・・・・・」
素直に羨望の目を向けていた
ドスまりさの杭が抜けたのと青年が足の縄を解き終えたのは同時だった
しかし未だ痛みでドスまりさは悶えていた
それが最初で最後の好機だと判断した彼は壁に立ててある棒を掴み、全力で地を蹴り上げた
だれにでもできるただの突進
ドスまりさの顔の中心、人間で言えば鼻の部分に相当する位置に、青年の棒の先が半分沈みこんだ
自分の内部をかき回され、ドスまりさを吐き気と痛みが襲った
『いがああああああああああああああああ』
ドスまりさは半狂乱になり体を大きく振るが青年は決してその棒から手を離さない
宙ぶらりんになりながらも懸命に棒に食らいついた
『は゛な゛れ゛ろ゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛!! は゛な゛れ゛ろ゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛!!』
体を振ればふるほど棒で内面が抉られて痛みが増して、杭で開いた穴から餡子が漏れる
青年は死んでも棒をはなさないつもりだった
この棒をはなしたら、二度とドスまりさに手が届かない気がした
村人に捕まり一度は諦め、しかし再び手にすることのできたこの機を無駄にするつもりはなかった
ここで手を離したら一生妹に顔向けできない
目の前にいるのは自分から大事なものを全て奪った元凶
この世でたった一人の家族、だれかの嫁に行くまで自分の命に代えても守っていくと誓っていた
ドスまりさは妹から未来を、自分の命よりも大切なものを号令一つで持っていった
謝罪の言葉を聞こうだなんて思っていない。謝罪を聞かせたい相手はもうこの世にいない
だからせめて同じ苦しみを味あわせたかった、出来るだけ長く苦しんでもらいたかった
その一心で青年は痛みを誘うようさらに深く棒をねじ込もうと腕に力をこめた
痛みの中、ドスまりさは思った
なぜ自分はこんな目にあっているのか?
いつだって自分は群れのことを第一に考えて行動してきた、身を粉にしてやってきた
皆そんな自分を信頼してついてきてくれた
仲間のために下す選択こそがいつも最善の道だと信じてここまでやってきた
何処で間違ったというのか?
かつての自分は世界中のみんなとゆっくりしたいと考えていた
風と遊び、虫や鳥と歌い、恵みの大地に感謝していつまでも皆が笑って過ごせる時間がただ欲しかった
人間とも一緒にゆっくりできたらどれだけ楽しいのだろう?
もし世界中のみんなと一緒にゆっくりできたら・・・・
だが幸福を追求するあまり、いつの間にか目先の利益に囚われて、気づけばドゲスなまりさになっていた
しかしそうなったことを後悔はしていなかった。そうならなければ今日まで仲間を守れなかったのは事実だったから
その結果が、目の前にいる青年と仲間の死体だった
飢えた猟犬のような血走った目で復讐者はこちらを睨みつける
自分よりも体の小さい青年にドスまりさは恐怖を感じた
この青年の恨みが自分のソレを遥かに凌いでいると心の何処かで認めてしまっていた
彼は紛れも無く被害者なのだとドスまりさは理解した
こちらに非があったのは認める。しかし仲間を殺した青年を許すわけにはいかない。それは依然変わらない
青年は殺しすぎた。妹の死を免罪符として、半ば逆恨みに近い感情で皆を殺した
だから自分には青年を裁く権利があるとドスまりさは思った
そして何よりこの恐怖を早く終わらせたかった
ドスまりさは口を開けて、そこにありったけの力を集約させた
ドスまりさの口が大きく開いた
ドススパークを撃つのだと青年には何となく分かった
だが棒から手を離す気は無かった
離そうにも、極限の状態で力を込めすぎたため腕の筋肉は完全に硬直してしまい、自分の意思ではどうすることも出来なかった
口の奥が輝きだした
これはもう避けられないと悟った
「いいかドスまりさ・・・・・・・」
だからありったけの憎しみを込めてドスまりさを睨みつけた
「何度失敗しても・・・・・・・・その度に生まれ変わって」
力いっぱい棒をドスまりさに押し込んだ
「・・・・・いつか必ずこの手で殺してやる」
次の瞬間、青年の視界が真っ白になった
肉の焼ける香ばしい匂いがした
体のほとんどが蒸発して消し飛ばされ、辛うじて直撃を免れた体の先の部分と炭になり残った肉片、そして焼け残った骨が一緒に散らばった
ドススパークを撃ち終えると、急に体が軽くなったのをドスまりさは感じた
「い゛ぃぃぃぃふぅぅぅぅぅぅ・・・・・・・・い゛ぃぃぃぃふぅぅぅぅぅぅ・・・・・・・・」
青年がいなくなったことを確認すると後向きに倒れ、空に顔を向けて大きく息継ぎをする
鼻の位置にまだ棒が刺さっていたが今はそんなことどうでも良かった
ようやく恐怖が去った喜びでドスまりさは痛みを忘れることが出来た
戦いが終わり、見守ってくれた仲間も集まってきた
起き上がろうとして、その予備動作のために体を小さく震わせると、突然ドスまりさの顔に水滴がかかった
『ゆ?』
おかしい。今日は天気も良く、雨は降っていない
だが再び水滴が落ちてそれがドスまりさの口の中に入った。錆びた鉄と同じ味がした
どうやらその水滴は自分に刺さっている棒から流れ出ているものだとわかった
『ゆぅ?』
視線を棒に移す
青年の執念を表すように、彼の手と腕の一部が棒を握ったままの状態でまだそこの残っていた
その断面から血がまた滴る
『ゆがあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ』
それを見て忘れているはずの痛みが戻ってくる
青年はまだドスまりさを攻撃していた
『やべろお゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛!! はな゛れ゛ろ゛おオオオおおぉぉォぉォォォ』
腕を振り落とそうと懸命に体を振る。しかし腕が棒から離れる気配は一向に無い
「いだいィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ』
そればかりか、傷口が広がるだけだった
痛みに耐えかねて飛び跳ねまわり、危うく仲間の何匹かが潰されそうになった
『抜いてぇえええええええええええ!! だれかこの棒抜いてぇえええええええええええ!!』
杭の時のように抜いて欲しいと仲間に懇願する
しかし飛び跳ねるドスまりさに恐怖して、だれも近づけなかった
『はやぐじでえええええええええええええええええ! いだぐでじんじゃうううううううううううううううううううう!!』
自分のすぐ後にいた一匹の仲間にも振り向き呼びかける
『お゛ね゛がい゛だがら゛だづけ゛ぇ・・・・・・・・・・・・・・』
仲間だと持った“それ”はゆっくりではなかった
もしもドスまりさに心臓があったなら、恐らく“それ”を見たとき止まっていた
首だけになった青年がドスまりさを見つめていた。その瞳はうっすらと湿っていて、その奥にどんな感情が篭っているのかは読み取れない
『ユギャアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァ!!!』
ドスまりさには青年の目が自分を憎み、死してなお恨み続けているように見えた
「ど、どす! しっかりするんだぜ!! こいつはもうしんでるんだぜ!」
『なまくひ゛は、こ゛っち゛にぐるなああああああああああああああああ!!!』
「ゆ゛げっ!」
落ち着かせようと近づいてきたゆっくりまりさを、あろうことか踏み潰した
『こ゛め゛ん゛な゛さ゛い゛い゛い゛いいいいい!! ほ゛ん゛と゛お゛お゛に゛こ゛め゛ん゛な゛さ゛い゛い゛い゛いいいいい』
それは何に対する謝罪なのか、死んでいった仲間に対してなのか、それとも兄妹に対してなのかはわからない
狂ったように謝るドスまりさに近づけるものはいなかった
次の日は雨が降った
その雨が罠に掛かり苦しむゆっくりたちに緩やかな死を与えた
青年とドスまりさが殺しあった巣の前の広場に散らばった餡子と血も
全て洗い流していった
季節は冬を向かえはじめ、村にも徐々にぱらりぱらりと雪が降りはじめた
村長宅
「大変だっ!! 川向こうのおばちゃんが湧き水汲みの行ってあの罠にかかっちまった!! 今先生んとこで治療受けてる!!」
「すまねえですが、食いモン分けていただけねえですか? 干しておいた寒干し大根がゆっくりどもに食い荒らされちまった」
「食いモンが無くて冬眠中の熊を狩に行った親父がまだ帰ってこない」
「罠にかかった息子がもう歩けなくなってしまった・・・・」
次から次へと良くない知らせが舞い込んできた
広間には「あんちゃん」と呼ばれていた男を含む一部の若い衆たちと、村の重鎮たちが集まり会合を開いていた
その中に村長の姿は無い
「どうするよこれから? やつらが畑や納屋を荒らすもんだから、蓄えがどんどん減っていくぞ・・・」
青年が死んだあの日以来、ドスまりさが群れを統率できなくなり『不可侵条約』を破るゆっくりが続発した
「いっそあいつら全部捕まえて食っちまったほうが」
「やめたほうがいい」
その考えを否定したのは「あんちゃん」だった
「あいつらはどんな病気を持っているかわからない。腹を壊すどころではすまないぞ」
ゆっくりを食べはじめたのと、村に新種の病が広まり始めた時期が重なっていた
「じゃあどうするってんだ!」
正直「あんちゃん」にもいい考えは無かった。唯一残された方法を挙げる
「村の外に頼れる者がいる者は皆そちらに行ってもらおう。いったん散り散りになるんだ。今なら雪が本格的になる前だ、まだ山は越えられる」
「そんなことをして、来年何人が戻って来られると思う! けが人だって何人もいるんだぞ」
かつて青年が仕掛けた罠のほとんどが人のよく通る林道だった、山を歩いてその罠にはまるものが何人も出た
若い衆の一人が頭を抱えながら言う
「畜生・・・・埋めても埋めても穴が無くならねえ・・・・・きっとまだあいつは掘ってんだ・・・・俺達みんな、あいつに呪われてるんだ」
「気をしっかり持て。単純に罠の数が多いだけだ、雪が溶けて春になれば穴は全て自然と塞がる」
村でこの厄災を兄妹の祟りと口にするものは少なくなかった、そう考えてしまうほど村人たちの精神は参っていた
ゆっくりの巣
あれからドスまりさはかろうじて棒は抜けたものの、巣の奥で小さく震えているだけでかつての面影は無い
いつまた復讐しに誰かがやってくるのではないか、と日々怯えていた
仲間の姿から、あの時見た青年の生首を連想させるのか。近づいたゆっくりは狂ったドスまりさに踏み潰された
ドスまりさは毎日「ごめんなさい」と呟き続けるだけだった
ドスまりさのせいで奥にある越冬用の食料が手に入らないため
青年の復讐により群れの数がある程度減ったにも関わらず、再び食料難に陥った
ドスまりさが頼りにならない今、『不可侵協定』など無いも同然だった
村まで降りて、畑や家の中を荒らして食べ物を掠め取った
当然それにより駆除されるゆっくりが多発した
青年は村とゆっくりの関係を完全に破壊していた
村長が恐れいたことが最悪の形で現実となった
「あんちゃん」は村での会合を終えたあと。今はだれも住んでいない小屋、かつての兄妹の家にやってきた
そこには墓石が三つあるだけで、青年のものは無い
今まで墓を作っていたのは他ならぬ青年自身だったのだから当然だった
「爺さん?」
そこの墓前で、会合に出席しなかった村長の姿を見つけた
村長は膝をつき、妹の体が眠る地面を手で掻いていた
「ワシが悪かった・・・・・・・・ワシが悪かった・・・・・・・・・・・・・今ちゃんト供養してヤるからナ・・・・・」
キヒキヒと笑いながらはそう言う村長の目は完全に狂っていた
青年の死後、自分が保身に走りすぎたせいで村がこうなったことを村長自身十分に自覚していた
次々知らされる被害の報告で神経は擦り切れていった
責任を一人で背負い込もうとした結果
その大きな心労がそのまま村長を痴呆という病に導いていた
一ヶ月近くで厳格な村の長は、奇行を行なう爺に姿を変えた
「終わりだな、この村も」
そう呟き「あんちゃん」は墓参りを諦めて道を引き返した
人が死して向かう場所があった。彼岸である
そこに青年だった者の魂が漂っていた
その魂の前には、以前夢の中であった死神の女性がいた
「あんた馬鹿だよ。世の中ってのは上手く出来ていて、あんたがしっかり善行を積んだあとに死んで生まれ変わる時期と
あの子の罪が赦されて転生を許される時期ってのはぴったり重なるもんなんだ。家族の繋がりってのはそれくらい強い
しかし、あんたはそれを自分から放棄した。その背景にどんな理由があるか知らないが、それは本当に愚かな選択だよ」
愚者と呼ばれた青年の魂はただ漂うだけだった
三途の川の距離は生前どれだけの人に愛され慕われていたかで決まる
結果的に村にあれだけの被害を出した彼は当然一文も持っていない
無一文の彼が三途の川を渡ることは永遠にできなかった
このまま魂が自然に消滅するのを待つだけだった
その時はもう目前に迫っていた
薄れていく魂は地面の落ちて、花に憑こうと漂う
「待ちな、“花の異変”じゃあるまいし。ここで咲かれちゃ迷惑だ」
女性が持っている鎌で体を払われて、花に憑くのを邪魔された
「どうせ咲くなら、あんたが一番咲きたいところで咲きな・・・」
その言葉を聞きいてか聞かずか、魂は彼岸から離れていった。女性には魂が一度だけこちらにペコリと頭を下げたように見えた
青年とその妹が死に一年が経った
かつての村には「あんちゃん」を残してごく少数しかいなかった
貧しさから村を離れた者、飢餓からくる病。主にこの二つが村の人間を減らす原因だった
病で死んだものの中にかつての村長もいた、死ぬ間際まであの兄妹の影にうなされながら逝ったのを彼だけが知っている
これからこの村が潰えるか抗うからは「あんちゃん」を始めとする残った村人次第だった
ゆっくりたちの巣はもぬけの空になっていた
またどこかに越していったのか、全滅したのかは誰にもわからない
最も仮に生きていたとしても
ゆっくりの楽園など存在しないこの世こそ、ゆっくりにとっての地獄
生きている以上ゆっくりは永遠に苦しみ続けると「あんちゃん」は思った
今日が青年の妹の命日であることを「あんちゃん」は覚えていた
だから供養のために小屋を訪れた
小屋は一年前よりさらに風化が進んでおり、廃墟とすら呼べる物ではなかった
かつてあの場所でまだ若い兄妹が身を寄せ合って寒さに耐えながら生きていた姿が浮かんだ
考えただけで切なさだけがこみ上げて来た
「あんちゃん」は青年の墓を建てたかったが
彼の体は結局一部分も見つからなかったため墓石は未だに三つしかなかった
思えば誰も報われることのない復讐だった、巻き込んだものを悉く不幸にした惨劇だった
今はもう誰が一番悪かったのかなど分からない
ただ仲間や家族を思う純粋な想いが引きこした悲劇だった
少なくとも「あんちゃん」の目にはそう映った
「村のものは皆、済まなかったと思っている。だからどうか安らかに眠ってほしい・・・・・・・」
墓石の前で手を合わせて立ち去った
その言葉で、ある愚者の孤独な復讐がようやく終わりを迎えた
妹の墓に寄り添うよう、一輪の彼岸花が力強く咲いていた
end
present by ゆっくりレイパー
最終更新:2022年05月03日 15:48