特にセメレは死すべき人の身でありながら、不死の神を産んだ者として特筆されている。
ただし、後にセメレもまた神の身となった、とのこと。
- アポロドーロス『ギリシア神話』によれば、ゼウスはセメレを愛して床を共にしたが、
嫉妬したヘラがセメレに入れ知恵をし、ゼウスに何でも願いを叶えると誓わせた上で
「ヘラに求婚した時の姿で自分のところに来るように」と言うよう仕向けた。
断り切れないゼウスが雷光と雷鳴と共に戦車に駕して現れたためセメレは恐怖のあまり世を去り、
ゼウスは六か月で流産となった胎児を自らの太ももの中に縫い込んだ。
やがて適当な時期にこの縫い目を解いて生まれたのがディオニュソスであるという。
ヘラの怒りによって狂わされて自らの子供を殺し死骸と共に海に飛び込んだため、
ゼウスはディオニュソスを小鹿に変じてヘラの怒りより隠し、ヘルメスに託して
アシアのニューサに棲むニムフたちに託したという。
ブドウの樹が多生したことから、ディオニュソスが特に愛好した土地とされた。
ディオニュソスの母「セメレ」や、「
バッコス」という名もリュディア方言との関連が指摘される事があり、
ディオニュソス信仰の根拠地の一つではないかと見られる、と云々。
- パウサニアスは『ギリシア案内記』の中で、ディオニュソスを「インド遠征に赴いた最初の者」であり、
また「
ユーフラテス川に架橋した最初の者である」と述べている。
実際、ユーフラテス川のほとりにあるゼウグマという町に、ディオニュソスが川に軛(くびき)をかけた
綱がパウサニアスの時代にもまだ残っており、これは
ブドウの木や蔦などの蔓で編んであるのだと。
ディオニュソスがインド人を征服した際に建てた町であると紹介している。
同書が語る、ニュサの町の使いが
アレクサンドロス大王に語った逸話によれば、ディオニュソスが
インドに攻め入った際、途中で戦闘に耐え得なくなった信者をこのニュサの町に残していったのだという。
この話を聞いたアレクサンドロス大王は、彼らを自由自治の民として認めてやったという。
- また、アッリアノスによれば、インドを征服したディオニュソスはその後アジア各地を巡り、
これによって「トゥリアンボス」の異名を奉られたという。
以降、戦に勝ったあとの祝勝行進を「トゥリアンボス」と呼ぶようになったといい、これは
ローマ時代まで継承されたとか。
- 同じアッリアノスの『インド誌』では、インド人たちに「火による調理」「ぶどう酒」「農耕」を
教えたのもディオニュソスであるとしている。
- ホメロス『イリアス』の中に、オリュンポスの神々としてディオニュソスが登場しない事から、
この神を比較的後の時代に登場した新興の神であると見る見方もある。
が、一方で
ピュロスから発見されたミュケナイ時代の
線文字B文書の中に
ディオニュソスの名前が読み取られたため、現代ではこの神がことさら他のオリュンポス神に比べて
古い神であるとはされていない。
(また、
ケオス島の
アヤ・イリニ遺跡では、ミュケナイ時代からディオニュソスに対する
奉納が捧げられていた事も発掘調査の結果判明している。)
- エウリピデスの悲劇のタイトルとしても知られる「バッカイ」は「ディオニュソスを信仰する女たち」あるいは
「ディオニュソスに憑かれた女たち」の意味だが、これは女性複数形の語形変化をした単語で、
この言葉の男性単数形を表す語は「バッコス」となる。
バッコスはディオニュソスを表す言葉でもあるので、つまり神そのものと神の信者とを
同じ言葉で呼ぶこととなる。
(実際、エウリピデス『バッカイ』には、バッコスという言葉をディオニュソスを指す場合と、
ディオニュソス信者の男性を指す場合と、両方の用例が登場している)
これをもって、酩酊により自他や自身と神の境界が曖昧となるディオニュソス信仰の性格を表していると
解釈する学者もいるとか。
参考文献
『神統記』ヘシオドス
『ギリシア神話』アポロドーロス
『バッカイ』エウリピデス
『ギリシア案内記(下)』パウサニアス
『アレクサンドロス大王東征記(下)』アッリアノス
最終更新:2015年11月17日 18:36