目次
1.事業不振の悩み
1.事業不振の悩み
(問)
私は現在、海外の会社との関係がうまくいかず、契約の問題と立場の問題で深く悩んでいます。そこで、何が原因かという点と、現状を拡大し、代理店として活躍するにはどうしたらいいかという点を、ご指導いただきたく、お願いいたします。
また、事業の拡大を考えているのですが資金的な弱さがあり、なかなか見通しが立ちません。しかし、仲間を入れ、この問題に取り組むつもりでおります。そこで、安定経済をつくり、自分自身の課題に一つでも多く取り組むためには、どう処理し、どう行動をとるべきか。その点についても、お教え願いたいと思います。
さらには、私自身の現在の体の問題があります。私の弱点である首の骨と痔の問題に関しても、お答え願えたら幸いです。また、子供とのことも気になります。というのは、子供を見ていますと、自分を見ているように思えてならないからです。そこで、私が、この子供とどうつきあっていくべきかをお教えください。
販売会社部長(男性)45歳
(答)事業不振の原因
まず、第一番目の問題に関して答えます。こういう答はこの方にとっては多少厳しいかもしれませんが、この方には、残念ながらビジネスマンとして欠けているものがあります。欠けているものは何かというと、情熱です。つまり、この方には、要するに、事業で世を渡っていくだけの情熱がないのであります、
それというのも、この方の心は他にあるからです。この方は、ビジネスはあくまでビジネス、それ以外の世界はあくまでもそれ以外の世界として割り切ろうと思っているのかもしれませんが、なかなか人間、そのように割り切れるものではありません。
現在生じている事業での問題は、すべてこの方の経営の未熟さが原因です。経営者としての未熟さ、ビジネスマンとしての心の違いからきています。本当に経営というものをやり、本当にビジネスマンとして世を渡っていくためには、自分がやる仕事に対して、真の情熱を持たなくてはなりません。それを自分の使命だと感じられなければいけないのです。自分の使命として納得いくものであり、自分の心のなかのうずきがその方向にあるものでなければ、大黒天でもついていないかぎり、事業というものはうまくいきません。
ですから、二番目にあるように、資金的に見通しが立たないのも当然であります。それは、この方に事業家として欠けているところがあるからです。世の事業家を見てごらんなさい。その善悪は問いません。その心の良し悪しは問いません。しかし、少なくとも事業拡大に関して、あくまでも貪欲(どんよく)なる願いといいますか念いを持っております。ところが、この方には、残念ながら、そういうものがありません。他人から見ても、商売の相手から見ても、どうやら片手間でやっているらしいというのがあきらかに分るのであります。
仕事の相手というものは、自分の相手をまたよく見ているんです。仕事の相手、パートナー、あるいは、商売相手というものは、相手の人物を見、その人のやる気を見るのです。そして、その人が本当に一つことに打ち込んで、「よし、一つこの事業で世に立っていくぞ」と決意しているのを見れば、資金も出てくるものです。商売の相手も増え、商売は拡大していくのであります。
ところが、囲りからその人を見た場合、どう見てもこの事業は成功しないという印象というのがあるのです。そういう印象を与えてしまうと、人びとは協力をしてくれませんし、資金的にも、なかなか援助の手が伸びてきません。まあ、これは一般的な話でありますが、いずれにせよ現在、この方は大変かわいそうな立場にあるようであります。
私にはこの方の将来もはっきり見えるのでありまずが、それを言葉にして言うことはできません。ただ一つだけ言えるのは、お金儲けが好きな人でなければ、事業というのは、やっても成功しないということです。本来の心性がどうもお金儲けに向いていない人は、豊富な利潤の追求というのは残念ながら成功いたしません。
それでもその事業が、自分の杖となり、生活の糧となっていくべきものであるならば、いいですか、しかるべき相談者を持ちなさい。事業に関して、適切なアドバイスをできるような人、そうした人を持つことです。つまり、事業の経験を持っている人、しかるべき識見を持っている人、こういう人のアドバイスを受けることです。そして、自分が判断に迷ったときには、その判断に従うことであります。
こういう人は、もともと生来、宗教家になるような心性を持って生まれてきている人でありますから、まあ、十中八九、事業には成功しない。宗教を興すために出てきている人たちが、今の日本にたくさん出ておりますが、そういう人たちは、まず、事業に成功しません。なぜならば、過去世において、残念ながらそういう金儲けに縁がなかったからであります。そういうことに、あまり打ち込んだ経験がないからであります。
あるぃは、別の意味で言うと、金持ちは、いわゆる天国に入りにくいという気持ちがあるからです。そういう、金銭的繁栄というものを軽蔑するような気持ちというのが、心のなか、心の奥にあるのです。また、別の使命を持っている人もいます。つまり、松下幸之助のように、事業の繁栄、成功ということを通して、世の人びとに本当の心を説こうとするような人もいます。これはこれでまた、一つの使命なのです。ただ、おそらくこの方の場合には、こういう使命ではないでありましょう。
将来の問題については、時間を区切って考える
ですから、私は長い先のことは言いません。将来のことをいろいろと悩むのではなくて、将来の問題を悩むときには、時間を区切って考えることが大切です。
この方にとって大事なことは、とりあえず、年内一杯の小計画、それから二番目には、来年度の計画を考えることです。それから先の計画は、立てる必要がありません。年内一杯をどうするかが先決です。現在の契約問題、それと金銭問題、これに関して、年内一杯どうするか。それから、来年度をどうするか。この二つの計画を持てばよろしい。そのあとの計画は立てる必要がありません。私はそれだけのことを言っておきます。
そして、こういう事務的な問題に対処するには、それなりの人に相談することです。経営の、要するにビジネスの感覚を持っている人に相談することです。私が、年内一杯と来年の計画を立てろと言っていることの意味をどういうふうに理解するかは、この方自身の問題です。そして、私がそう言っているのは、一体どういう意味かについて考えておくことです。
痔ろうは決断力の弱い人が患(わずら)う
三番目に、この方は首の骨と痔ろうで悩んでいるそうですが、まあ、首の骨と痔ろうで悩んでいるうちは、まだ暇だということですよ。まだこんなもんで悩んでいるうちはね、ダメなんです。刃で切られた傷よりは、ましです。借金で首がまわらないから痛いのかもしれませんが、いずれにしても、こうしたことを気にしているようではダメです。
痔ろうっていうのはね、痔ろうで悩む人っていうのはどういう人かというと、踏ん切りが悪いのです。要するに、決断力か弱い人が痔ろうで悩む。もう決っているんです。決断力が弱いのです、痔で悩む人はね、たいていそうです。決断力がない人です。意志が弱いのです。「ここぞ」というときに、つまり、勝負するべきときに勝負できないような人間、こうぃう人間が痔ろうで悩む。これは、はっきりしています。
男というのはもっと決然と立って、判断すべきときには判断し、決断すべきときには決断し、いいですか、鬼に会うては鬼を殺し、蛇に会うては蛇を殺し、師に会うては師を殺し、仏に会うては仏を殺すような、それだけの気概がなければ、本当のものというのをこの世に残すことはできないのです。
ところが、この方には、世の多少の波風ぐらいでふらふらするような弱いところが、まだまだあるのです。そういう弱い精神では、今後この方を待っているような大きな使命をはたすことはできません。
痔ろうに悩む前に、自分自身の心の痔ろうに悩みなさい。それは、自分自身の決断力の弱さです。意志の弱さです。この弱さを嘆きなさい。
子供は親の背中を見て育つ
四番目の答えです。子供が臆病で、気の弱い内面性があるところが気になるそうですが、親がまず背中を見せて、いいですか、親の背中を見て、`背を見て子供というのは育つのです。つまり、子供にそういう問題点が見えるなら、それはこの方自身の問題点であるということです。子供というのは、親を見て育つのです。とくに父親を見て育つのです。父親が勇ましい人であれば、子供も勇ましくなっていく。逆に、父親が臆病で気の弱い人であれば、子供もそうなっていくのです。それは影響というものであります。家庭環境というものであります。子供のことを心配せずに、まず、この方自身が、決然として立ち上がり、勇気を持って人生に立ち向かっていけるような人になることです。そうすれば、子供に対する問題はなくなります。子供を心配する前に、その心配自体が自分自身に対する心配だということを忘れないことです。これは自分自身の問題です。
(1986年9月1日の霊示)
2.将来を悩むある俳優
(問)
十九歳で俳優を志し、その後十年間、舞台を中心に活動し、劇団四季、文学座に籍を置きながら今日まできました。その間、舞台に二十本から三十本出演しました。
二年前から俳優を取るか、他の仕事に就くべきかでずいぶん迷いましたが、現在は、Sデパートでアルバイトをしています。九月から嘱託(しょくたく)勤務が決まり、その後一年たったら正社員になることも約束されていますので、転職を決意しました。しかし、現在でも、今までやってきた俳優の道も活かせたらと思っています。私への今後のアドバイス、俳優を活かす方法がありましたら、ぜひお教えください。
俳優(男性)29歳
(答)人生の芸術家として生きていく使命を持っている
この方は、芸術ということを通して、世の人びとに一つの生きる方向を教えるために生まれてきた方であります。したがって、端的にこの方の質問に答えるとするならば、単なる通常の勤務は、この方には向いていないということです。
この方は、やはり芸術を通して、人びとに真の人生とは何かを教えることが本来の使命であります。天命なのです。ですから、本来の天命の遂行の仕方、どのようにして天命を現わしていくかということです。これについては、この世的ないろいろな方法論があるし、この世的な人間関係があるし、この世的な手段方法があるでしょうから、いちいち細々(こまごま)としたことは、私は言えません。
しかし、私がこの方の運命を見ると、この方はやはり、こういった俳優とか、あるいはその他、俳優でなくても外に道があるようです。つまり、この方は、人生の芸術家として生きていくという、そういう使命を持っているようです。
現在、この方は、デパートに入って、そのうち、嘱託勤務が決まるとのことですが、それはそれでけっこうです。しかし、これですべては終わらないということです。それだけでは、絶対に終わりません。ただ生活の糧として、今こういう状態であることがいいのならば、それでけっこうですが、これは、この方の本来の道そのものではありません。ですから、こういうものをやりながら、たとえば、素人劇団員として、土曜、日曜とか、あるいは、夜に活動ができるなら、それでもいいでしょう。ただし、この方の生き方というのは、そうしたものだけでは、満足できないはずです。
心のなかにあるもう一つの泉を掘り当てなさい
俳優、あるいは、俳優以外にも、この方はもっと才能を持っているはずです。つまり、この方は、表現ということ、人生をさまざまな形で表現していくことに、本来の関心興味があります。ですから、俳優というのも一つの方向でありましょうが、これだけではないはずです。これ以外にも、この方は、心のなかに強く持っている傾向があるはずです。そして、その方向のなかに、この方の、まだ埋もれている人生の宝があります。
ですから、俳優業、俳優的なものを志すというのもけっこうなのですが、これ以外にも、芸術に関係する泉を掘っていく必要があります。この方の人生というものを卜ータルで見るならば、この方はやはり、そうした芸術的なものを通して、世の人びとに人生を考えさせるべきだと言えます。これが、この方の人生です。
もう一つの泉が何であるかということは、これは本人自身の問題です。そこで、この方自身にその泉というものを掘り当ててもらいたいと思いますが、ただその背景において言っておきたいのは、いいですか、やはり俳優をするにしても、俳優以外の芸術の領域で一つのものを、一角(ひとかど)のものをなしとげるにしても、やはり人生そのものをもっと勉強していく必要があるということです。
さまざまな人生を勉強することによって芸の幅は広がっていく
この方は、まだまだ年齢的にも若く、人生そのものを十分に学んでいないところがあります。ですから、この方は、もっと心がけて、いろいろな人びとの人生を知るべきです。そういう勉強をする必要があります。いろいろな人に出会って、いろんな人の話を聴いて、いろんな人の悩みに心を傾けて、耳を傾けて、そして聴いてあげる。そういう勉強が必要です。もっともっといろんな人生、神がつくられたさまざまな人生を、勉強してほしいと思います。この方には、人生の勉強がまだまだたりません。そういうことによって、この方の芸の幅も広がっていくであろうし、さまざまな人間を観る眼、これがさえてきますし、自分自身ができあかってくるはずです。
この方は、現在、俳優の道も活かしたいのだがどうなのか、あるいは、単なる正式社員で終わるのか、そういうことで迷っておるようでありますが、正式社員になる、ならないというようなことは、自分自身の生活の糧という観点から見てください。これは、一生の方向ではありません。ですから、生活の糧というのが確保できるという範囲において、自分の本来の生きる道というのを、これをまっしぐらに歩んでいただきたいと思いまず。それがこの方の人生です。
(1986年8月21日の霊示)
3.プロ野球選手を目指す青年
(問)
小学校の頃から、プロ野球のピッチャーを目指していました。しかし、過度の練習のため、肘(ひじ)が変形し、このままでは野球を断念しなければならないと医者から言われ、大変ショックを受けました。
現在は、浪人中です。将来、プロ野球の選手になるためにも、まず、大学を目指しています。昨年、心霊治療を受け、肘はだいぶ良くなりましたが、完全には治っていません。ですから、今後、プロ野球選手を目指す方向で進んでいいのかどうか不安です。今後の方針についてと、腕の正しい治療法をお教えください。
浪人中(男性)18歳
(答)十代で一生の計画を立てるのは早すぎる
お答えいたします。この方は、まだ若すぎます。つまり、人生の、自分の一生の設計をするには、若すぎるのです。まだ学生さんで、浪人中で、勉強中ということで、一生の計画を立てるには若すぎるのです。人間には、十代ではまだ気づかない、いろいろなものがあります。その人が持っているいろんな宝物があるのです。
ところが、十代っていうのは、一生懸命勉強やっているだけで、自分は英語が得意だとか、自分は国語ができるだとか、いや自分は理科のほうが得意だとか、数学のほうが得意だとか、まだこのような感じなのです。あるいは、語学を活かす職業に就きたいとか、理数系に進みたいとか、文科系に進みたいとか、まだこのように、大ざっぱなことしかわからないのです。
あるいはまた、スポーツをしていて、何かの選手で注目されると、その道で生きられないものかとか、こういうことを思うのです。ところがまだ、自分というものが本当にはわかってはいないのです。
本当に自分のなかに目覚めているもの、本当に眠っているもの、こういったことに気づくのは、人によってもその早さが違います。早い人では、二十代の前半。遅い人であれば、六十、七十歳にもなってからということもあります。ですから、この方の場合は、私はアドバイスしておきますが、今から三、四年ですね。一年浪人するならば、大学を卒業するときは二十三歳ぐらいでありましょう。そこで、二十三歳までは、人生の進路というのをまだ未決定にしておいていただきたいと思います。
これから、大いなる出会いがあるでしょう。新しい道が開けてくるはずです。十八歳ぐらいでは、なかなか人生の進路は決まりません。ただ学生なら、学生の立場において、自分のできることは何だろうかを考える。
自分が今やるのは、たとえば、来年大学に入ろうとしているのであるならば、一生懸命に勉強する。最善の浪人生活を送ることです。この間は、何も考えずに、とにかく一心不乱に勉強することです。そして、自分がいきたい大学に入る。大学に入ったら終わりではないのです。
大学入学は人生の列車に乗るための入場券である
ほとんどの高校生、あるいは、予備校生というのは、大学に入ってしまえば、もうそれで終わりなんだと思っているようです。つまり、それで人生の終着駅に来たか、人生の列車の切符を手に入れたようなつもりでいます。しかし、本当は、これからなのです。
大学というものは一つの関門であって、そこで新たな知識の教育を受けて、自分の世界観を獲得する。あくまでも、人生観を獲得するための一つの場なのです。ですから、それは、入場券であって、切符ではないのです。入ってもいいというだけのことであって、これから自分がどこ行きの列車に乗るかということを決めなくてはいけない。そういう切符を買わねばならない、こういうところなのです。
そこで、アドバイスをするとするならば、体を労(いた)わりながら、とにかく一生懸命勉強することです。この方の場合には、野球が好きとのことですから、まず、野球の強い大学へ入るように努力して、勉強する。大学へ入ってからも、いろんなことを勉強することです。学科を勉強し、学問を勉強する。さらには、幅広く、いろいろな人とつきあって、たくさん人生の勉強をしていただきたいと思います。
好きな野球があるわけですから、もちろん、存分に野球をしながら、いろんな世界観を獲得して、自分の道というものを決めていただきたい。残念ながら、私は、今この方に、プロ野球の選手になるべきであるというアドバイスはいたしません。その結論は、今後三、四年の間に、いろんな勉強をしながら、自分自身で獲得していただきたいと思います。
何かが好きであるというのは、それは一つの才能ですから、それはそれでけっこうです。ただ、人生、一生の方向を決断するには、この方はまだ若すぎます。
現在を一生懸命生きれば、未来は開ける
人間は、将来の計画とか、やりたいことをあまり考えすぎるために、ともすれば悶々(もんもん)としてしまうことがあります。それは、こういう青年だけではなくて、大人たちにも、同じことが言えます。自分は十年後こうなりたい、二十年後こうなりたいと、将来のことばかり考えすぎて、現在がなおざりになってしまうことがあるのです。
この方も、希望は希望として持っているのはけっこうなのですが、問題は゛現在 ゛です。現在、ただ今を一生懸命やることによって、未来というのができてくるのです。開けてくるのです。すなわち、現在を一生懸命生きるということは、未来にさまざまな可能性を残しておくということなのです。
ですから、現在を一生懸命生きずに、堕落した生き方をするならば、未来の可能性の扉を閉じていくことにつながります。
私は、こういうことを聞いたことがあります。つまり、運命というのは、一つのドアが締まれば、別のドアが開く、と。確かに、そうしたものなのです。一つのドアが締まれば、一つのドアが開く。そこが閉じれば、また別のドアが開く。それが運命なのです。
ただ、そういうドアを次々と開いていくためには、やはりそのときどきに、一生懸命にドアを開こうとする人でなければいけないのです。もちろん、自分が開こうとしたドアが開かないこともあるかもしれません。しかし、開けようと努力をしておくことによって、また別のドアが開くことがあるのです。一つのドアが閉じたら、別のドアを開く。これが運命なのです。
ですから、この方に対して言えるのは、現在を最高度に生きていただきたいということです。そして、数多くの可能性を探っていただきたい。現在、自分が好きなことがあるにしても、それだけがすべてではないのです。人間には、まだまだ眠っている可能性があるのです。そうした可能性を、一つ一つ探究していきなさい。そうすれば、そのなかに、自分に一番合ったものが見つかるはずです。
その解答を今、日蓮が言うには早すぎる。この方には、まだ早すぎます。大切なのは自分自身で試していくことです。長い悩みの期間に入る人もいます。十年、二十年、あるいは四十年、五十年と悩みが続く人もいます。逆に、短い人もおる。おそらくこの方は、二十代前半において、自分の人生の方向をある程度見定めることができるはずです。
学生は両親に感謝することによって、道が開かれる
とにかく、そういうことは先のことにして、この方は、まだ世の中のことを知りませんから、現在、社会に起きていることもわからないのです。もっともっと勉強することです。これしかありません。そして、今は学生で、自分が働いていないという状況でしょうから、ご両親に対して感謝の念を持つことです。しっかりと感謝しなければいけない。そうすることによって、また道が開けてくるのです。
腕についての治療法を教えてほしいとのことですが、これについては、あまり考えすぎないことです。いい治療法があれば、そこに行ってみればいい。野球選手になろうと思って、腕、腕とそのことばかり考えていると、それがまた、悩みの種になります。
心霊治療ばかりに頼るのは考えものです。西洋医学でも、けっこうです。治せるものは、治していってください。プロ野球の選手になろうとすると、それが焦りとなり、悩みになってしまいます。ですから、自然でいいですから、少しずつ治していくことです。それでけっこうです。
(1986年8月24日の霊示)
4.逆立ち器の普及に命を賭けている男性
(問)
私は、今から十五年前、逆立ちの効果の素晴らしさを知り、だれもが逆立ちができる補助器を考案し、特許を取りました。約一億五千万円を逆立ち器をつくるために使い、今まで得たお金はすべて、この逆立ち器に賭けました。
私としては、逆立ちの補助器が多くの人びとの健康のため、とくに子供の頭脳の発達のために役に立てられたらと思っています。そこで、どのようにしたら、この逆立ち器が普及するのかを、教えてください。また私は、自分でも、どうも事業の能力に欠けているように思うのですが、どこに原因があるのかを教えてください。
逆妬ち補助器製造版売(男性)58歳
(答)現在の職業は、インド時代の過去世の影響によって選ばれている
この方は、今から二千七百年ほど前に、インドに生まれています。そして、インドの時代には、どうやらヨガの行者をやっておったようです。この方の過去世を見てみると、火のなかを潜(くぐ)ったり、岩の上で坐禅を組んだり、あるいは、川の端から端へ渡した蔦(つた)にぶら下がって渡ったりと、こういう肉体行を、過去において、ずいぶんやっておるようであります。そのような人が、今世に生まれて、どうやら今回は、その肉体行をもっと合理的な形で広げたいというふうに思っておるようであります。
まあ、この方は、まだ本来の悟りというものには到達してはおらないのでありますが、ただ、その悟りの入口において努力をしている人であることは、私も、認めたいと思います。こうしたヨガの、もともとある道筋というのは、本来の悟りそのものではありませんが、悟りに至るために、いろいろな人たちが工夫をした方法の一つなのです。
今世において、この方は、とくに逆立ちというものに興味を持っておるようですが、それもそのはず、二千七百年前においても、この方は逆立ちが非常に得意でありました。逆立ちしたまま、片手でピョンピョンと歩いていく。こういうことを、人前でよくやっておったようであります。この方は、左手だけでも、右手だけでも逆立ちができ、しかも、そのままの姿勢で広場を一周するくらいのことができたようであります。
こういう方でありますから、その逆立ちによって、大衆の人たちからの称賛を大変に受け、これがやみつきになったのであります。前世においても、その逆立ちということで、世の人びとを何とか導きたいと一生を送ったようでありますが、残念ながら、この方の逆立ちによって悟った人は一人もいなかったようであります。
逆立ち器の普及はこの男性の使命である
この方は、やはり前世においても、同じことを考えていたのです。つまり、他の人びとができないようなことをやれば、人間というものは、超人になれる、何か違ったものになれる、と。そして、世の人間と違ったものになれば、それが悟りに繋(つな)がるのである、と。そういうものの考えを持っておったようであります。
また、この方は、その後二千数百年、天上界、といっても仙人界で、仙人の修行ばかりをやっておったようであります。どうやらあの世においても、岩登り、山のなかでの修行、あるいは、木登りと、こういうことばかりをやっておったようです。ですから、そうした人が地上に出て、何をするかというと、だいたい現在のように、逆立ち健康器のようなものを発明して、やり始めるのであります。
つまり、この方は、仙人であります。もともとが仙人でありますから、自分のやっていたことに、非常に魂の郷愁を受けているわけですから、事業が下手なのは、当然であります。仙人というのは、金儲けの能力は持ってはおりません。金儲けではなくて、そういう修行に、やはり自分自身の修行に、興味があるからです。
どうやらこの方は、仙人系統の指導を受けて、仙人の悟りをこの地上に広めることを使命として、地上に生まれてきているようです。あの世からも、けっこう指導しています。仙人が指導していますので、やはり逆立ちというのを広めることが、この方の一生の使命となっているはずです。
この男性は、仙人の本家本元である
ただし、この方は、逆立ち以外の能力も持っているはずです。この方は、他の人ができないような、肉体的な超能力を持っています。本人が、まだ気がついていないのかもしれませんが、もっといろいろなことができるはずです。修行をすれば、この方は、今流行(はや)りの空中浮揚なども、おそらくできるようになるでしょう。それもそのはず、この方は、仙人の本家本元だからです。だからこそ、そういうことも可能だと言えるのです。
ただし、日蓮は、そうしたことをあまり勧めないのであります。すなわち、今世において、こうした正法が説かれる時代に生まれてきたのでありますから、肉体行だけではなくて、やはり心の教えがあるということを学んでいただきたいからです。逆立ち器そのものは、けっこうです。しかし、あくまでも健康の増進ということにとめて、心の教えをもっと学ぶ。この方が、霊界の裏側である仙人の世界から、普通のまともな人間の世界へ帰ってくるためには、今世において、心の教えをもっと学ぶ必要があるのです。
逆立ちは頭脳労働が多い現代人に大変効果的である
この方の求めている逆立ちの効果について、私がお答えするとするならば、健康増進としては、もちろん、意味があります。肉体の疲労回復、血行をよくする。頭脳を明晰(めいせき)にする。あるいは、運動不足を解消する。こうしたいろいろなことに、意味があります。
また、とくに頭脳労働が多く、ペーパーワークの多い現代人にとっては、こうした逆立ちというのは、大変効果があるようです。そういう意味において、この方が逆立ち健康器を広めたいという気持ちは、間違ってはおりません。ただ、その奥にある心の教えということに気がついてほしいということです。逆立ちだけをしていても、人間は永遠に悟れない。そのことを、どうか悟っていただきたいと思います。
(1986年8月25日の霊示)
5.精神病院院長へのアドバイス
(問)
現在私は、精神科の病院の院長をしております。多くの精神病患者、分裂症患者に共通して言えるのは、そのほとんどが、幼児期に適切な愛情を受けていないということです。つまり、患者たちの親の愛し方が適切でないことが、大きな原因だと考えられます。
しかし、私自身、医者の立場として、親の代わりをすることもできず、原因が解かっているにもかかわらず、どうにもしてあげられなくて、ジレンマに陥ることがたびたびあります。そのような患者に対し、どのような接し方をすれば、その人たちが救われていくのか、また、精神科医としての私個人へのアドバイスをいただけましたらと思っております よろしくお願いいたします。
精神病院院長(男性)50歳
(答)カルマの刈り取りのため、精神科の医者となった
このお医者さんは、今、大変厳しい魂の修行をしておられます。この世に生まれて、選ぶべき職業はいくらでもあるのです。いくらでもあるにもかかわらず、こうした精神科の病院の院長をしておられる。精神病院の院長をされるようになったのはなぜか。それには、やはり深い訳があります。人間の職業というのは、その人の魂と非常に関係があるのです。この方は、自分の魂の修行として、こういう場を選ばれたというわけです。
この方は、今からおよそ七百年ほど前になりましょうか、西暦千二百年か、三百年頃に、ヨーロッパはイタリアに生まれています。そのとき、この方がやっていた職業というのは、今でいうとあまり良くない職業であったようです。つまり、この方は、まあ、現代的に言えば淫祠邪教(いんしじゃきょう)と言いますか、どうやらそういったものをやっておった。どうも日蓮が見るかぎり、その十二、三世紀頃のイタリアでやっていたのは、どうも錬金術のようなことだったようです。その後、中世十四、五世紀頃にずいぶん流行したようですが、つまり鉛を金に変えると言いますか、その走りです。
とにかく、この方は、そういう研究をずいぶんやっていたようです。それに関係して、たくさん金儲けをしていますね。「私のやり方でやれば、鉛を金に変えられる」と、悪い言い方をすれば、お金を巻き上げるようなこともやったようです。さきほどの空中浮揚の方ではありませんが、錬金術を教えてやるから、そういう秘術があるからということで、ずいぶんお金を巻き上げるようなことをやっていた。そういうことで、たくさんの人びとを迷わしたという前世が、この方にはあります。
ですから、今世においては、カルマの刈り取りの意味を持って、要するに狂った人びとを、迷った人びとを救いたいという気持ちを持って生まれてきたようであります。しかも、精神科の医者ということで、まあ、人間のまともな道筋を踏み外したような人たち、精神的に異常な人たちを救うことによってカルマを刈り取りたいと、こういうふうに決意されたようです。このお医者さんの患者のなかには、かつてこの方の被害者になった人も、たくさんおります。カルマを刈り取るために、両者がだいたい同じような時期に出て来るんですから、おもしろいですね。
かつて、この方は錬金術のようなことを教えたわけですが、錬金術だけではなくて、霊力がつく秘術というようなことも教えて回った。その証拠として、鉛を金に変えることもできる。そういう霊力について、いろいろなことがわかってくると、実際そういうことをやっていたみたいです。まあ、科学系統というのもありますけれども、その頃、そうしたことで、けっこういろんな人を迷わせて、路頭に迷わせてしまったようです。この方に入れ込んでしまって、家庭が崩壊したような人もおります。こういう人たちが、現在このお医者さんの患者のなかに、けっこういるようです。同じような時期に出て来る。つまりは、何か縁があるのですね。
この方によって迷わされた人びとというのは、この方に対して、ずいぶんたくさんの恨みを持っています。そこで、今世、精神病者に生まれることによって、お医者さんに接して治していただいて、今度は恩に感じる。これで恨みの心を刈り取るという、こういうカルマの刈り取りがあるのです。昔、奪われた人が、今度は与えられる側になって、奪った人が与える側になっている。これはみごとなカルマの刈り取りですけれども、奪った人が与える立場に、奪われた人が与えられる立場になっているのです。実際、この方の患者のなかにも、ずいぶんいます。この方は、だいぶ手広くやっていたようで、何十人、何百人と、かなりの人びとを迷わせたようですが、そうした人たちが、この方の患者のなかにおります。
精神病者には、愛の問題でのカルマを持っている人が多い
精神病者のなかには、前世において、だれかを恨んでいたという人が多いのです。前世での人生を失敗した人も多い。あるいは、前世において、悪どいことを手広くやってきて、今回はそれを反省させられるような場合もあります。
精神病者たちの魂のカルマというのを見ていくと、もちろん、いろんな原因があるのですが、一つ言えることは、このお医者さんも気がついていますが、愛についてのカルマが多いということです。愛についてのカルマ、愛ということを真に受けとめてない。わかってない人が多いのです。そこで、精神病者で生まれる、あるいは、途中でそうなったということは、いろんな人の愛というのを見るチャンスなのです。自分が愛を与えられるか、与えられないか。まあ、愛の不足に悩んでいる人が多いのでしょうけれどもね、しかし、徹底的に他人から何かをしてもらう人生になってくるわけです。
自分から他人に何もできなくて、逆にしてもらう人生になる。他人から、要するに、与えられるとはどうぃう意味かということを、こういう人たちは勉強するために今、精神病者になっているのです。ですから、魂においてはおかしくないのです。死んで、あの世に還れば、正常に戻ります。ただ、この地上においては、そういう試練があるので、精神病者に生まれているのです。まあ、これは個人個人の問題なので、一概には言えませんが、このように、精神病者になる人というのは、愛の問題、対人関係の問題で、カルマがあるのです。聞違いありません。とくに対人関係ですね。
無限の愛の泉になりなさい
このお医者さんに関して言えば、この方は、要するに、精神病患者たちに愛を与えることを職業として選んできているのです。ですから、できるだけ多くの人を救ってあげてください。また、救われる人というのは、人に愛を与えられることを体験するために生まれており、愛されることの大切さを勉強するようになっているのです。
まあ、精神病患者というのは、人から奪われたというばかりの被害妄想の人が多いはずなのです。魂のカルマに。与えることの素晴らしさ、無償の愛の素晴らしさということを体験するために、今世において、こういうふうになったという人が多いのです。運命論的に言うのは必ずしもよくないかもしれませんが、偶然ではありません。偶然で、精神病者にはなりません。そういうことで、愛のカルマがあるということなのです。
ですから、このお医者さんに関しては、自分が無限の愛の泉になるように、どんどん工夫されることです。そのためには、もっと大きな使命感を持つことが必要です。また、もっともっと神理の勉強をする必要があります。
もう一つ、基本的に大事なことは、相手は、現象としては、要するに気違いさんのように現われているけれども、魂としてはちゃんとした一人前の人だということです。このお医者さんが考えていること、接していることは、精神病患者には、みんなわかるのです。わかっているけれども、表現できないだけなのです。そのことを忘れてはいけません。ですから、どんな気違いさんであっても、その人の前で悪口を言ったり、おかしなことは言わないことです。みんなわかっているんです。本当はね。
まあ、この方自身へのアドバイスは、そういう意味では、精神病患者を救う道と共通しています。とにかく、もっともっと神理の勉強をしてください。
(1986年8月25日の霊示)