目次
(1986年10月29日の霊示)
1.現在のアメリカの繁栄の基礎にあるのは光明思想であった
谷口雅春です。今日は三日目、第三章「光明思想の本義」ということで、講演したいと思います。
第一日目に天上界に帰ったときの話をし、第二日目、昨日は「生命の実相」についての話をしましたが、いよいよ私の霊言集の核心にと迫っていくのであります。谷口雅春が一代の事業とは、一言で言い表すとするならば、やはり光明思想、この四文字に集約されると思う。
光明思想と言うのは、先般も話を致しましたが、単に宗教として私が日本で編(あ)み出したものではない。つまり、アメリカ合衆国においてエマソンを始めとして、様々な光明思想家たちが出たのであります。そして今日に至るまで、アメリカ合衆国においても、光明思想の種はつきないし、また光明思想こそが新たな時代の啓蒙運動の核となっておる。
しかしながら、現今のアメリカの現状を見るならば、宗教というものは、概(がい)して活気がないと思う。なぜ宗教に活気がないか。それは彼(か)の国においては、キリスト教というものが、もはや形式的なる宗教に堕してしまい、その本来の機能を果たしておらぬからであります。
キリスト教というのも、清教徒たちが本国であるイギリスからメイフラワー号に乗って一六二〇年頃ですが、アメリカに渡ったときには、非常に清新な気持ち、真新しい気持ちで新天地開拓という気持ちで一大事業を展開したのであります。そのころの人々のキリスト教に基づく新天地、すなわち新たなる地上天国を創らんとする願いは非常に新鮮なものであり、かつ、人々の気持ちを大変奮い起こさせるものであった。だから、その清教徒たちは清新な気持ちに溢(あふ)れ、期待に溢れて新しい国造りということに励んだのであります。その頃にはキリスト教というものも、まだ生命を持っており、新しい人々の活力源として機能していたのであります。
ところが、キリスト教も徐々にアメリカ本土に教会制度が出来、その教会の信者獲得という方向で、動いていったときに、残念ながらそれは形式、本当の形式になっていったのであります。
プロテスタントの本当の意義は何かと言うと、改革であり、イエスの時代に帰るという意味であった。しかし残念ながら、イエスの時代に帰るという新鮮な気持ちで始まったルター、カルビン以来のこの新教の流れも、やはり教会制度をつくったという問題のために、やがてはその本来の神性というもの、本来の機能というものを人々に伝え得なくなってきた。そしてアメリカという国でも、そういう新教という流れがあっても、それがだんだん力を失っていったのである。
しかし、これではならしということで、一八○○年代半ば頃から一つの改革運動が起きたのだ。これが一つには、たとえば、政治家においては、リンカーンなどを中心とする政治改革であり、民主主義の流れである。しかしながら、もう一つの本筋の方での流れというものがあった。これがエマソンなどを中心とする一つの動きであります。
光明思想というものは、一体誰を始祖とするかということが非常に分かりにくい思想でありますが、この一八○○年代のアメリカには、エマソンを始め様々な光明思想家たちが出たのであります。
そうして一九〇〇年代に入ると、その光明思想を経済的繁栄ということに応用する人々が出てきた。それが、たとえばロックフェラーであり、ヘンリー・フォード一世であり、たとえばアンドリュー・カーネギーであります。こういう大会社の創立者たち、彼らがその光明思想を自ら実践して見せたのであります。現在アメリカという国は大変繁栄しておりますが、その繁栄の基礎にあるのは、実に、この光明思想であったわけだ。
この光明思想というのは、このように単なる天国世界にあるのではなくて、この地上で、一つの繁栄ということを表わそうとする概念であったのであります。神というものは、イエスの時代にイエスが語った如く、富んだ者、富者を天国に入れないとつっぱねたものではないのであります。神というものは、もう少し心の広い人間であります。
人間という言葉が悪いとするなら、神、あるいは、神に近い高級神霊たちというのは、そうした大きな心を持っている人たちであります。その高級神霊たちの心のなかに、このような近代、あるいは、現代のような文明社会において本当の宗教が、経済的なる繁栄をまったく無視するようなものとして考えるわけはないのであります。
釈尊(しゃくそん)の時代は、乞食(こじき)坊主で終わってよかったかもしれません。しかし現代、この高度産業社会において、宗教家たちがお布施だけを求める乞食坊主として生きていくのは、あまりにも時代環境が違いすぎるのであります。今、真に悟りを開いた人が、布施を求めて一軒一軒をまわっていくということが、本当に人々に法を説ける状況にあるかというと、必ずしもそうではないのであって、それはむしろ、蔑(さげす)まれる生き方であろうと思う。
2.一燈園の西田天香の思想はどこにあったか
ここで私は、アメリカの例から日本の例に移りたいと思う。大正期には、大正デモクラシーといって様々な啓蒙(けいもう)文化というものが栄えたのだが、その間に一人の宗教家が出てきた。大正期の生んだ宗教家、この人の名を西田天香(にしだてんこう)と言う。現在でも一燈園(いっとうえん)というのがあって、この一燈園という活動が細々ながら続いてきているようであるが、この一燈園の運動というものも、大正期においては大変斬新な動きであった。
この一燈園の始祖である西田天香の思想は一体どこにあったか。それを今、少し分析してみたいと思う。
西田天香はあるとき、まあ私も若いころは同じような状況であったが、罪の意識でずいぶん悩んでおったのであります。そうして宗教家として生きる以上は、何の搾取(さくしゅ)もしない、そういう生き方をしたいと願ったのであります。
当時はドイツのマルクスとか、ああいう思想も入ってきておりましたから、搾取(さくしゅ)というような言葉も、階級闘争というような言葉も次第に日本に入ってきておりましたが、宗教家として考えたときに、他人から搾取するというものの考え方を大変嫌ったわけであります。
しかし、彼がどう考えても、どう考えても、他人の搾取をしないで、人間というものは生きてゆくことはできない。昨日、一昨日と私が語ったように、人間が生きていくというのは必ず誰かの力を奪っていることにもなり、誰かの恵みを奪っていることにもなり、必ず他の人々の犠牲のもとに生きてゆかなければならぬ人生なのであります。
西田天香は若き日にそうしたことでずいぶんと悩まれ、また、生活にも困られた。人から物をもらおうと思っても、それを自分がもらうということは他人の物がそれだけ減るのである。そのことに関して、精神的な苦しみを味わったのである。
しかしあるとき、西田天香氏は神社であったかお寺であったか、私ももう記憶は定かではないけれども、そのなかで、もう何日も食べていないで、うつらうつらとしておったのである。そのときに彼は、赤ん坊が母親に抱かれて泣いておるのを見た。
赤ん坊は、なぜ泣いているのか。母の乳がほしいと泣いておるのである。赤ん坊はただひたすらに、無心に、自分がほしいというものを求めて泣いておるのである。その赤ん坊の乳が飲みたいという思いは、これは果たして搾取の思いであろうか。奪い取ろうという思いであろうか。西田天香はこれを考えたのであります。
しかしどう考えても、これは自然なる感情の発露であり、自然の思いであるということが明らかなのであります。赤ん坊が乳を求めて泣くということは、これは本然、自然そのものであって、何らの意図があるわけではなく、何らの搾取の意図があるわけではなく、何らの欲望の表われとはいえないのではないか。それは自然そのものではないのか、西田天香は、こう考えたのであります。
そして無心の赤ん坊が母親の、自らの母親の胸にしゃぶりついてその乳をすするということ、それ自身はごく自然な行為であり、母もまた、それを喜ぶということを知ったのである。
女性にはなぜ乳房があるのか、それは赤ん坊に乳をふくますためである。赤ん坊に乳をふくまさなければ、女性の乳房はどんどん膨(ふく)れていって女性は苦しがる。だから赤ん坊に飲ますこと自体は、決して搾取でもなければ奪われることでもない。それはごく自然である。欲する者と与えたいと思う者が、ごく自然に一体となって、互いに生かしあっている。この情景を見たときに、西田天香は一つの悟りを得たのであります。
そのとき、その境内(けいだい)で彼は、一合ほどの米が境内の土の上にこぼれ落ちているのを見たのである。彼はそれをそっと両手ですくい上げた。無一物の自分であるが、境内に落ちている米を偶然見つけた。そして、この米を自分が食したところで一体誰に迷惑をかけることがあろうか、彼は、こう考えたのであります。
そこで、彼はそのお米を、ある知り合いのお宅の勝手口まで行って、「申し訳ありませんが、このお米を炊(た)かしていただけませんか、私は三日ほど食べておらんのです」とお願いをしたのであります。そして、一合の米をお粥(かゆ)にして食べたわけであります。
そのときに、そこの女主人が大変感心して、そういう物を大事にするそうぃう心掛けのいい方であるならば、どうか私のところで働いてくれませんか、と所望されたのである。
こういうことがきっかけで西田天香は、だんだん悟っていったのである。そしてあるとき奉仕ということを考えた。彼は自分には何にもない、ただ自分は奉仕ということができる。
まず、神社やお寺の境内などを箒(ほうき)を借りて掃(は)き清めることから彼は始めていったのである。何を求めるでもなく掃き清めていった。そうすると店屋の主人が出てきて、「あなたお腹がすいただろうから、このうどんでも食べませんか」というふうに彼に話した。彼は何も持っていないのに、そしてまた、お金を持っていないにもかかわらず、餓死(うえじ)にすることがなかったのであります。
そのようにして彼は、さらに悟りを進めていった。すなわち人間は奉仕に生きておれば、何を労することなく他人を搾取することなく与えられるのだということに、彼は気がついたのである。これが彼の発見であり、彼は、「無一物中無尽蔵(むいつぶつちゅうむじんぞう)」、こういう言葉に思い至ったのである。
人間は、自分が餓死にするのではないかと思って食糧を買い込んだり、飲み物を買い込んだり、あるいはお金を銀行に預けて一生懸命守ろうとする。ともすれば自分がある日突然無職になり、無収入になり、途方にくれるのではないかという危惧(きぐ)の念からそうしたことを始めるのである。
ところが西田天香の発見は、人間というのは、どうやらそういうふうにあれこれと取り越し苦労をしないでも、天の親様が養ってくれるものらしいと、そういうことに彼は気がついたわけである。
天の親様というのはお天道様であって、彼はお光と呼んでいたけれども、お光のお陰で人間は生きていくことができるんだと、そういうことで彼はその「無一物中無尽蔵」の生き方というのを一生実践したのである。
そうして一燈園の弟子たちはみんな、奉仕の生活ということを中心にして、一日のうちの奉仕の時間がくると、京都の市内とか、そういう処へ出かけて行って、家へ入っていっては、「一燈園の者です。便所掃除をさせて下さい。」あるいは「庭掃除をさせて下さい。」こういうことで、彼らは下座(げざ)の生活というふうに呼んでいましたけれども、人がいちばん嫌がることを奉仕する、そのなかに生きていく糧を、お布施を受けると、こういう生活を発明していったのです。
一燈園の奉仕業というのはずいぶん有名であります。そして西田天香の考えによれば、こういうふうにして下座の生活を実践しているうちは、人間は本当にその日のことを心配しなくとも、天の親様が養ってくれると、こういうことを考えたわけであります。
3.神理伝道には時代の要請を見誤るな
しかしながら、一燈園が現在繁栄しているかといえば、繁栄していないのであります。
なぜ繁栄しないのか。それは、少し時代的なものの考え方が欠けているからであります。釈尊の時代はそれでよかったでありましょう。托鉢(たくはつ)をして、あるいは病気を直してあげたり、拝(おが)んであげたりすることによって、お布施を受けるということでよかったかもしれない。しかし、現代においては、そういう生活は特殊な、つまり世捨て人とかそうした社会生活を持っておらぬ人間ならば実行可能であるにしても、実際に職業を持って生きている人間にとっては、なかなかできるようなことではないのであります。
会社勤めをしている人が、下座(げざ)の生活だといって、他人の家に入っていって、トイレ掃除ばかりをするわけにはいかんのです。ましてや文明は進み、トイレは今や水洗便所であり、お風呂もまたそうしたものである。汚いものがだんだんになくなってきている。こういう状況の下で下座の生活というものが苦しくなってきた。
また庭掃除、庭の雑草を抜こうとしても住宅環境が悪くて庭を持っていないような人ばかりとなってきたのである。まあこういうことで、次第にそういう生活は成り立たなくなってきつつある。
私はここに、時代の要請というものを見誤らないようにしなければいけないと思うのである。人間というものは、何時(いつ)の時代でも、心は同じであっても、そのあらわれ方は違っているのだ。だからこそ、その時代の要請というものを考えねばならない。
釈迦の時代は戦乱の世であり、そういう身分制社会ということの矛盾というものが、吹き出した時代であった。ところが現代という時代は、まあ四民平等と言われているけれども、どんな家に生まれようとも、その人本来の才能と努力によって自分の運命を切り開いていけるような、結構な時代となってきているのである。
こうした時代に生まれて、何も托鉢坊主をする必要はないのである。何も便所掃除をして歩いたり、頼まれもしないのに、寺の境内の掃除をして歩く必要はないのである。人間にとって、もっと大切なやり方があるのではないかということだ。
4.正しき者は繁栄するということを実証する時代
その大切なやり方とは一体何であるのか。それはこの時代において、神仏の心に適(かな)うことは一体何かということだ。
人々の心のなかには、悪人世にはびこるということで悪いことをする者が繁栄して、正直者は損をしている。また、クリスチャンでも、イエス様の信仰を通して生きている人は、要するに貧乏がいいと、この前も言ったように受難ですね、受難礼賛というようなものの考え方があって、神よもっと私に苦難、困難を与え給えと、こういうことをいつまでもやっておったら、現代においては落ちこぼれていくのであります。
仏教においてもそのとおりであって、仏教の昔の托鉢坊主が、今は寺の住職となってスクーターに乗って、家から家へと廻り、一回に何十万円ものお布施を取り、あるいは戒名とか称して、ちょっと筆を舐(な)めたくらいで何百万もの値段を取っておる。こういうことをして事業を営んでおるのである。
また、お寺の制度も現在みて見れば、株式会社制度になっており、中心の寺があればその末寺ということで、名前を貸してやるということで毎年その末寺から何十万かの奉納金を取るという、こういうふうな制度になってきておると思う。非常に堕落した姿である。このなかには、自らのみの利益は考えておろうが、世の人々をどうするかという考え方がまったくなくなってきている。そしてまったくの葬式仏教となってしまっている。
宗教の本来の意義というものが、要するに、化石化して分からなくなっておるのである。別に葬式だけを担当するのが仏教の役割ではないはずだ。正月に、明治神宮に詣でてもらうだけが、日本神道の生き方ではないはずだ。正月にだけ伊勢神宮に行ってもらうことが、天照大神のお心ではないはずである。そういう形式に堕した宗教、あるいは、原始時代の宗教に帰ろうとするような運動は、一つの矛盾を内包しておるのである。
では今、私たち宗教を考えている人間にとって、大切な考え方は何だろうか。それは正しき者は繁栄する、これを実証していくことではないのか。神の心のままに生きている人間は、この世的にもやはり幸せになっていくということの実証こそが大事なのではないか。
この世を刑務所のように考えている人間にとっては、別に宗数的な信仰を持っているということが、この世の不幸を意味してもよいかもしれない。しかしながら私は、この世すなわち三次元地上世界を、刑務所のようなもの、拘置所(こうちじょ)のようなものとは決して思っていないのである。
5.現代の釈迦は出家を説くまい
この世を拘置所、刑務所だと考え、人間はカルマの刈り取りのためにこの世の中にぶち込まれて、無理やり修行をさせられているのだと、そういうふうに思っている人がいる。しかし、こういう考えを持っている人は、なかなか繁栄ということがあり得ないと思う。
確かに、仏教で言う、カルマの刈り取りという法則はある。前世のカルマ、前世でつくった因果、これに対応する結果というものが、今世にも出てきて、それに応じた環境を選んでいるということは事実である。ただ、今世の使命というのは、決してカルマの刈り取りだけではないということだ。新たな環境のなかで自分自身を磨(みが)いてさらに発展させていくということが、今世の使命なのである。
そうであるならば、今世で人々がしなければならないことは何であるのか。かつて二五〇〇年前に釈迦が出て、釈迦弟子であった者が、また今世釈迦弟子として出ておられるとしても、同じように托鉢をするわけではないはずである。今世出てきたら、何を考えるであろうか。
今世に釈迦が出たとしたら、一体彼は何を考えるであろうかということを、私は考えてみたいと思うのである。単に出家して、同じように洞窟のなかで坐禅を組み、肋骨(ろっこつ)が出るような、痩(や)せるような修行をして、その後、村娘のミルクを飲んで悟るようなことはおそらくないであろう。と、そう思うのであります。
今世で釈迦が悟るとするならば、現代のこの時代の環境のなかにおいて、人々を、一人でも多くの人を幸せにするためには、一体どういう法を説けばよいのかということを中心に考えるはずである。会社に勤めている人をすべて辞めさせて、箒(ほうき)で掃(は)き掃除をさせることはないはずである。
では、今世に釈迦が出てきて言うことがあるとすれば、一体何であるか。それはやはり、生きている人間の持ち場というものを大切にしながら、そのなかで最高度に自分の魂というものを磨き、さらに魂を磨くのみではなくて、この世の中を理想郷としていくように、仏国土、天国としていくように努力するはずである。
6.今求められている法は、発展の法、繁栄の法である
それでは、この世を仏国土としていくためには、如何(いか)なることになればよいのか。これを考えねばなるまい。この世を仏国土としていくためには、心正しき人たちが、社会の中で、然るべき役割について、発展、繁栄していくことが大切なのではなかろうか。
現在、サラリーマン社会というものが非常に進んでいるというか、流行(はや)っている。昔のお城がなくなり、現在では、その昔のお城が、それぞれの企業体となっておろう。そして、たいていの男女は今、その企業体のなかに入ったならばそのなかで三十年、四十年の人生を送っている。つまり、人生経験の大半を、そのなかで生きることとなるのである。
この企業体のなかにおいて、一体如何に人間は生きていけばよいのか、ということだ。そこで考えられる理想的方法というのは、心を磨き、人格高くなればなるほど昇進をし、人の上に立ち、より多くの人々に影響を与えうる人間の出現ではなかろうか。私はそう思うのであります。
一時代前の宗教家という者は、ともかく欲を持たないということをよしとしていた。だから会社勤めをしても、そうしたことに意味を認めない。休みの日に禅寺にでも行って坐禅をするとか、どこかのヨガ道場へ行ってヨガでもするとか、そういうことをするのが本当の修行であって、会社勤めをしている間は、要するに金銭をもらえばいいと、古い宗教家タイプの人間が考えるのはこういうことである。
しかし、その結果は何だ。その結果招来されることは、企業のなかでは、要するに唯物(ゆいぶつ)的な人間、権勢欲の強い人間だけが偉くなっていって、神理を学ぼうとするような意欲のある人たちは、企業からどんどん弾き出されていくということではないだろうか。いわゆるドロップアウトということだ。私は、これではいけないと思う。
今必要なのは、在家の法なのだ。通常の人間として生きながらそのなかに、神の繁栄を見、神の発展を見ていけるような、そういう生き方こそが、今求められている生き方なのではないであろうか。私は切に、そう思うのであります。
では、そうした普通の人々の修行、魂修行というものは、この現代社会のなかで行なわれているということをやむを得ないこと、そういう前提として見たときに、彼らを出家させるのが目的ではないということを当然と見たときに必要な法は何か。それはやはり、発展の法であり、繁栄の法ではないか。私はこう思うのであります。
これは決して、私が生長の家の総裁であったから、人間には生長が大事だと言っておるのではない。生長の家であろうがなかろうが、やはり人間は生長していく存在であり、無限の生長をすべきものであると、私は思うのだ。
無限の生長をするために人間が生きており、永遠の魂修行をしておるのでなければ、何のために何回も何回も生まれ変わってくるのか。その度に生まれ変わってきては、様々なカルマをつくり出し、心を真黒にして生きていくことが一体どれだけの意味があるというのか。人間は決して苦労だけをするために今世に出てくるのではないのだ。自らの霊性、自らの人格を高めるために生まれてきているのである。
そして、この三次元に生まれている以上は、この三次元というものをまったく無視してはいけないということを私は思うのである。人間の幸福は、決して西方浄土にはない。南無阿弥陀仏と願って、西方浄土に生まれ変わることが、人間の幸福ではないのである。この世の中の発展、そしてそれは神の子としての自己実現、そういうものでなければいけないと思う。
7.光明思想とは、人間が神近き存在になっていくための方法である
ここで洋の東西を問わず、発見される一つの大神理がある。この大きな神理、大神理こそ光明思想なのだ。光明とはその字の如く光という宇と明るいという字で書いてある。
そもそも神の光というものは、明るいものなのだ。そういう暗い、じめじめとしたものではないのだ。お寺の境内とか、お寺の裏にある苔(こけ)むしたそういう古びた建物のなかに篭(こも)るようなことが、光とは関係ないということだ。
宗教家たちは、ともすれば、カビ臭いじめじめしたところに篭ろうとする。しかし、洞窟のなかに篭ることに現代的神理はない。光そのものは明るいのである。光は明るいのだということを認め得ずして、どうして光であるということがあり得ようか。
光とは何か。光とは神の性質ではないか。神というものは人格神のようにも言われておるけれども、一般に現代に伝わっている様々な宗教で言われている人格神というのは、結局のところ、神に近い高級霊たちであり、この地上に肉体を持ったことがある霊だということだ。
本当の神という者を誰も見たことがない。私でさえ見たことがない。天之御中主之神(あめのみなかぬしのかみ)と言われても、天照大神と言われても、伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)と言われても、しかし私たちは神ではない。神と言う意味は上下(かみしも)の上(かみ)、すなわち、上位にある者という意味での神でしかないと言うことだ。ゴッドと言う意味、宇宙の創造者としてのゴッドではあり得ない。
天之御中主にしても、今から三千年近く前に肉体を持たれた方であり、天照大神(あまてらすおおみかみ)にしてもそうである。私にしてもやはり、二千数百年前に、肉体を持った人間であった。そういう意味において人の上(うえ)に立つ、人の上(かみ)に立つという意味での神であったということだ。
しかし、根源の神は何か、根源の神というものを、私たちは目に見、それを聞き、それをつかむことはできない。ただ、高次元の存在となればなるほど、神の存在をますます隣接したものとして感じていくのであり、神の存在というものを臨在(りんざい)として感じるものである。
私は今、八次元、あるいは九次元、こうした言葉で今、あなた方は呼んでおるのであろうか、こういう世界の境目というか、あなた方が太陽界といっているかもしれないこういう世界の住人である。こういう世界に居て今思うに、こちらの高級霊界の存在というものは、上の方の存在となればなるほどやはり光が増してくるということだ。これが一つの推論の根拠なのだ、神が光であるということの。
四次元よりも五次元が、さらに六次元、七次元、八次元と高次元に行くほど、神に近い存在となっており、高級霊たちの存在となっており、そのなかには、神の光が溢(あふ)れておるのである。光がだんだん強くなっていくのである。そして高次元の存在になっていくと、人体というものがもはやなくなってきて、光そのものとなっていくのだ。
私たちは自分の肉体、あるいは霊体は、現在はもう光の束であるということを知っている。光そのものなのだ。もはや人間的な属性はあまり残っていない。人間的な属性の目でもって、感覚でもって、日々の行動というものを振り返ることはあるけれども、残念ながら、私たちはもう飲み食いをするわけではない。また、手足があるように感ずることはできても、本当にそういうものがあるというふうには思ってはいない。
谷口雅春というのはもう光であり、光の化身であり、光の存在であるのだ。こういうふうに高級霊になればなるほど、神は光であるということをはっきりとつかむのである。
そして、光とは何かと言えば、光の属性は、要するに明るいということなのだ。これが光明思想の意味であり、光明思想というのは本来、神近き存在に人間がなっていくための方法であるということなのである。
では、地上の人間は、一体何のために魂修行をしているのか。魂修行の目的は、結局、高級神霊へと進化していくためではないか、永遠の転生輪廻を続けている理由もやはり魂修行にあるのではないのか。その魂修行の目的は神に近づいていくことではないのか。神近き高級神霊に近づいていくことではないのか。そして、神近き高級神霊に近づいていけばいくほど光が強くなってくるものであるならば、この地上の人間の修行の目的も、また、光に向かっていく旅でなければならないということだ。
光に向かっていく旅と言うのは、その人の人生がますます明るくなっていかなくてはならないということだ。
8.光明思想とは、神に戻るための旅であり、神そのものの性質でもある
では、どのようにして生きたら、地上の人間は、そうした光明というものを自らの身に体現することができるのであろうか。
まず第一に、自らが神の子であるということをはっきりと認識するということである。人間というものは自分の思ったとおりの存在になるのである。自らは神の子と思わなければ、人間はどうなるか分からない。唯物史観(ゆいぶつしかん)のように、人間は土くれの集まりのように、まるで粘土からできたように思っているような、そういう人生観を持っていると、魂の尊厳というものも、おそらく無くなっていくであろう。人間はまず、第一に神の子なのだ。そこからすべてが出発するのである。
そして第二に、神の子であるならば、日々光に向かって、明るさに向かって生きようということだ。それはどういうことかというと、心が神の姿を表わしているものとすれば、心を日々光明思想で満たしていくということだ。これが第二番目だ。
そして第三番目に大事なことは、要するに、そのような光明思想を持って生きていることの証拠として、自分および自分のまわりが、だんだん明るくなっていかねばならんということだ。幸せになっていかねばならんということだ。これが証明である。これが証拠である。これが証拠となるのである。
このように、まず第一に、人間が神の子であるということを信じ、第二に、光明の思想を心に常々把持(はじ)し、第三に、その結果としての光明生活、幸福の生活を自分のみならず、まわりの人と同時に、同じく共有していくということだ。こういう生活が光明の生活なのである。
今日は「光明思想の本義」ということで話したけれども、やはり光明思想というのは一つの思想の方便ではなくて、本来の神に戻るための旅であり、神そのものの性質でもあるということだ。これは一つの思想ではなくて、そのもの、神そのもの、神の本義だということだ。これが光明思想ということなのであります。今日の私の話は、これをもって終わりたいと思う。