概要

第二次シャロッツ包囲戦とは、ルーイガルド10634年9月から行われたクリートル・マンティスの首都シャロッツを包囲し、攻略しようとした戦いである。


戦闘に至るまでの背景

クリートアイスノー砦とそこに至るルートの防衛に戦力を割かれる一方、ル・マンティスは国力を回復させていた。
事態が悪化していると見たクリートは、再び首都シャロッツの攻略を決意する。この時のル・マンティスの軍事力はクリートが危惧していたほどではなかったが、状況を維持するほどに不利になっていくということは間違いなかった。
しかし、シャロッツを攻めるにはあまりにも戦力が不足していることも明らかだった。


両軍の戦力

攻撃側 守備側

クリート国軍
軍勢
ル・マンティス国軍
総兵力不明 兵力 総兵力不明
総指揮
軍師
主要参戦者












戦闘経緯

クリート第一次シャロッツ包囲戦と同様に包囲網を引いて攻撃を仕掛けようとするが、その包囲網は戦力的にも布陣としても不十分なものであった。
そのため、首都を孤立させるどころか、ル・マンティス北部からの補給路を断とうとした部隊が返り討ちに遭うという事態が続発した。
また、少しでも薄くなった部分にはル・マンティスが果敢に攻撃を仕掛けてきたため、包囲しているほうが命懸けという有り様だった。

この包囲戦は実に半年に及び、クリート側は9月と10月に二度突撃を仕掛けるが大敗、翌年1月に再び攻撃を仕掛け、城壁の一部を破壊する寸前までいくが城内からの反撃に遭い、ついに撤退した。


戦いの結末

徒に戦力を消耗させたクリートが、ついに包囲網を解き撤退する。
ル・マンティス側の疲弊も相当なものであり、追撃戦などは積極的には行われなかった。


最終更新:2024年07月26日 01:14