0-1.日曜(朝):物語
それは極彩色の夢だった。
紅く、紅く全てが闇に染まる。その中で、冷たいネオンが不気味に輝く。見えたくないものが見え、それらは街を支配したかのようにそこら中を闊歩していた。
いつからそこにいたのか。
どうしてここに現れたのか。そんな事分からない。
それらは現れ、ネオンの陰に飲み込まれた若者を食っていった。
野犬のように牙を立て、熊のような爪を尖らせ、蚯蚓のようにのたうち、血を求めて彷徨う化け物。
自分も、食われるのだ。
恐怖に身が竦みそうになる。震える足を抑え、なんとか走り出すことができた時は、自分にそんな気力があったのかと驚いたぐらいだ。
逃げた。ネオンの光る紅い闇が襲ってくる。悪魔は腕に血を滴らせ、血の海の中で足を引き摺って、どんどん近付いてくる。どんなに全力で走っても、彼の歩みの速さにも勝てない気がした。
これは夢だ。夢でなければなんだというのだ。
どうしようもないことを考える。夢であろうと、この殺気にまがいはなく、未来の死を純然たる事実として伝えてくる。
駄目だ。もう駄目だ。
何度呟きを繰り返し、逃げたことだろう。
不意に壁の途切れた脇道に身を躍らせる。物陰に身を潜めれば、あるいは見逃してもう追ってこないのではと考えた。それが、結果として自分を追い詰める原因になったとしても……、もう、疲れ果てていた。
疲れた、と感じたと同時に足がもつれた。アスファルトに広がる液体に頭から突っ込む。身を起こそうと衝いた手はぬめりけのある液体に滑ってしまい、上手く立てない。脱力して、額を地に沈める。アスファルトはやけに柔らかく、気付けば額は何かの肉に埋もれていた。
すでに腹の中にいたのか。
だとしたら、この闇に抜け道はない。
諦念が身を支配する。
しかし。背後から化け物の咆哮が聞こえた瞬間、身体は勝手に立ち上がっていた。
こんなところで死ぬものか。自分の思考とかけ離れたところで叫ぶ存在がいる。手に青白い燐光が纏い、悪魔の穢れた血は燐光が触れた瞬間に掻き消えた。自分ではない存在が雄叫びを上げると、周囲一帯の紅い闇が、空の蒼さに似た闇に戻った。
行き止まりの壁に背を向け、狭い入り口に対峙する。
ネオンの影をも塞ぎ、赤黒い存在が入り口を塞でいた。入り口に見合わない大きな身体が、獲物を見定める。
が、次の瞬間。大きな化け物の身体は横に傾いで、崩れ落ちた。
それは燐光の力ではなかった。漆黒の闇を司るような、人程もある大鴉が、化け物を襲い、倒したのだ。
鴉は化け物の身体に埋まった輝く珠のようなものを嘴に銜え、上を向いてそれを食すと、当然今度は路地の奥にいる存在に目を向けた。
極彩色に輝くネオンを背に、鴉は哂う。
『見つけた――――』
そこで、夢から醒めた。
どうにも、目覚めの悪い夢を見た気がする。
見慣れた白い天井をぼんやり見上げながら、日野西智秀は深くため息をついた。最近、こんな夢ばかりだ。それは数日前から続いていて、朝には必ず嫌な予感に苛まれる。
血の色に似た闇の中を駆ける夢。
思い出すだけでも気色悪い。これだけ連続で見ると、どこか、現実と混同してくる。
まるで、過去にあったことか、未来に必ずあることを見ているようで――……。
馬鹿馬鹿しい。日野西は夢の余韻を振り払うように頭を横に振りながら、起き上がる。オカルト染みた事に興味はない。
枕元の眼鏡を手に取り、掛けた。
クリアになる視界。勉強机の上には参考書が散らばっている。昨晩はどこまで進んだか……、覚えがない。大して進まなかった気がする。
これも全て夢見のせいだ。詮もない悪態をついてしまう。
違う、自分が弛んでいるからだ、と思い直すのに、然程の時間もなかった。
あの夢だけは肯定してはいけない。感覚がそう告げている。
適当なシャツに着替えて、部屋から出る。曜日は日曜、時間は朝八時。母親が丁度、朝食を用意してくれている頃だろう。
リビングに直接繋がる階段を、ゆっくり降りた。
夢の中に似た匂いが充満している。鉄臭い。
朝から肉でも焼いたのか、母は。食べられそうにないな、と自嘲する。それで、「智くん、おっきな身体してるんだからもっと食べなきゃ駄目よ」と母は言ってくるだろう。いつまで経っても子ども扱いが抜けない。
対岸に座るであろう父は、わざわざ読んでいた新聞を畳んで、「智、無理しなくていいんだぞ。まぁ、具合が悪いならすぐに言いなさい」と、そう、神妙な顔で言ってくるだろう。
そんな普通の朝食風景が、今日も始まると。
階下まで降りきった日野西は、どこか遠い視点でもって、血に汚れた食卓を見ていた。
これは、夢の続きなのだろうか。
食卓には首のない父が座り、吹き出した血は手から落としたのだろう新聞を汚し、並んだ朝食のパンをどす黒く染めていた。汚れに汚れたテーブルクロスからは今も血が滴っている。
一方、母の身体はリビングと台所の間にあった。
やはり首のない身体で、何かを運んでいた姿のまま硬直している。薄いピンクの生地でできた年甲斐もない可愛いエプロンが、上から零れた血で全体を黒く変色していた。日野西が、去年の母の誕生日に買ってきたものだった。
一歩踏み出そうとして、足が何かにぶつかる。
見てはいけない。直感が告げる。
だが、反射的に下を向いた日野西は、そこに転がる母の頭を見つけてしまった。子をもって、この年になってもいまだ綺麗だと思わせた、顔。短くパーマの掛けられた頭。
日野西は悲鳴を上げていた。
直後、バサバサッ、と音がしたかと思うと、日野西の視界の先に、醜く黒い生き物が集結していた。夢で見た、あの威圧感のある悪魔よりも小さい。だが、おぞましさは充分に感じさせられる。群れていれば、尚更だ。
中の一匹が、日野西に気付いてこちらを見た。
ぎょろりと飛び出た目玉を向け、痩せこけた身体をこちらに向かせる。その手には、ひどい形相の男の首があった。父だった。
これは夢だ。いまだ覚めぬ夢の中にいるのだ。
日野西は直感的に悟り、手に燐光を集中させた。
朝の冷気を帯びた、爽やかな風が薄地のカーテンを捲る。
ベッドに腹を出して寝ているのは、斎木家の長男、斎木健太。寝相が悪いようで、薄手の毛布の端をお情けとばかりに下半身へと載せている。まだ6月だというのに熱帯夜が続いている所為だろうが、窓も開けっ放しで、この薄手では、風邪菌を歓迎しているようなものだろう。
健太を見下ろし、嘲笑めいた息を漏らす存在。
彼は、ベッドに手をつき、健太を間近から見つめていた。
『健太』という存在は、取るに足らないものでしかない。だが、生かしておけば、必ず仇になるだろう。視力のまったくなくなった目で、彼は彼の『兄』を見下ろす。
忍び笑いが漏れる。
無防備なものだ。殺しておくか、それとも生かして楽しむか。
すらりと伸びた首に、手を掛ける。力をやんわりと込め始めると、健太は苦しさに少しうめく。
このまま一気にいくか。
そう思った時だった。
「健兄ぃ~! 起きて~!!」
下から『妹』の声が響く。あまつさえ階段を駆け上がってくる気配に、彼の『人の心』が動揺した。
舌打ちが漏れる。
素早くベッドから身を離した彼は、凄まじい殺気を放ち、次の瞬間、部屋から撤退していた。
殺気。反射的に身を起こし、けれど周囲に人影を見つけることができず、健太は目をこすった。何にもない、自分の部屋である。殺気など、感じるはずがない。
「……廉也?」
夢か、何か。
目覚める直前、慣れた気配を感じたと思ったが、それも何か夢と混同している。だいたい、双子の弟の気配にしては、どこか剣呑で、また邪悪なものが混じっていた。
どうにも釈然としない目覚めに頭を掻いて、ベッドから起き上がる。
「健兄、朝ご飯! もう起きて~」
途端、バンッと勢い良く開けられたドア。そこに妹が顔を出す。
「おぅ。はよっ、繭」
日曜の朝でも、健気に朝御飯を用意してくれる妹。健太は先程までの嫌な気分を忘れ去って、上機嫌におはようを告げた。だが。
「け、健兄ぃ~……っっ」
繭の顔がみるみる真っ赤に染まる。
「繭?」
どうした? と声を掛けると、はたっと気付いて、バタンッと強い勢いでドアを閉められた。
かわいい妹の突然の行動に、訳が分からず、健太はドアを破る勢いで外に飛び出した。
「どうした!? な、なんかしたか??」
「もう、健兄! ズボンくらい履いてきてよ~っ」
あ、と気付くと。健太の今の姿は、トランクス一丁である。
健太の頬に、妹の平手が見舞った。
「ユキは?」
人前に出れる姿に着替えた健太は、赤くもみじ型に腫れた頬を擦りながら、リビングのテーブルに着いた。
「廉兄は模試! もういないよ」
椅子の背もたれに体重を預け、船漕ぎした状態で壁時計を見やる。確かに時間は既に9時を回っている。いくら会場が家に近い学園でも、生真面目な廉也なら開始30分前に会場に着くように出て行っているだろう。
「そうだよなぁ」
廉也が部屋にいた気がするなど、錯覚だったに違いない。
頭では分かるのに、どうにも釈然としない。
「どうしたの、健兄……、熱でもある?」
「んあ?」
「健兄が歯切れの悪いなんて……、愛ちゃんが見たら、きっと『拾い食いでもしたの?』って聞くと思うよ」
「……そうなんだよ、お前の兄には夢遊病の気があってな、夜な夜な知らない内に道端に落ちてるものを拾って……って、あのなぁ!」
心底心配そうな妹に、健太は内心苦笑して、殊更大袈裟に反応してやった。
「誰が拾い食いなんかするか!」
クスクスと繭が笑う。
健太は安堵の息を一瞬漏らし、テーブルに配膳された箸を手に取った。
今朝の献立は、白いご飯に味噌汁、そしてアジの開き。菜っ葉の胡麻和えも添えてある。代表的な日本人の朝飯である。それがまた、湯気を立てていて、本当においしそうなのだ。
こんなものが食べられるのに、拾い食いするなど、なんたる言いがかりだろう。
繭も健太の正面に座り、箸を持つ。
「「いただきます」」
二人の声が重なった。
「今日は愛熾と出掛けるんだっけ?」
「うん」
「気をつけて行って来いよ」
「大丈夫よ」と返ってくる言葉に、健太は洗い物の手を止めて、台所から居間へ顔を出した。
朝食を終え、出掛ける準備に入った繭は、ヘアメイクに着替えに大変そうだ。まだ中三とはいえ、いっぱしのレディというものなんだろうか。いや、中三ならこれくらい当たり前か。
日に日に可愛くなっていく妹を眺め、健太は少しばかり溜息をつく。
「ホント、気をつけろよ? 街には怖いお兄ちゃんがいっぱいいるんだからな」
愛熾と逸れるなよ? 知らない人にはついて行くなよ? 困った事があったら兄ちゃんに電話すんだぞ? 立て続けに並べたので、繭は口を尖らせた。
「あのね、健兄。私、もう子供じゃないんだよ?」
子供じゃないから心配なんじゃないか。
口には出せず、健太は「どうだか」と肩を竦めるだけに留めた。
「なんかなぁ、今日はやな予感がすんだよ」
「嫌な予感?」
問い返す妹に、健太は曖昧に頷いた。
「あぁ、なんつーか、こう、下半身が妙にざわざわするっつーか」
「下半身……」
あ、と失言に気付いた時はもう遅い。
また、妹にジト目で見られ、慌てて話題を変えた。
「いやっ、だから、気をつけろよ!」
「愛ちゃんがいるから大丈夫」
「今の世の中なぁ、金髪碧眼で性格キツめな女より清楚で可憐な黒髪の優しそうな女の子の方が危ないんだからなっ」
「それ、愛ちゃんが聞いたら怒るよ?」
愛熾が聞いていたら、それこそ「右頬を打たれたら、左頬を差し出せって言うの知ってる?」と言われて、反対側の頬まで赤い手形を付けられる羽目になるだろう。
健太は力なく笑って、準備の済んだらしい繭を玄関まで送り届けた。
「じゃあ、健兄。洗濯物はよろしくね」
「干しとくよ。布団はいいのか?」
「うん、シーツは洗ったから」
じゃあ、と双方手を上げる。
「行ってらっしゃい」
「行ってきます!」
繭が元気に駆け出していく。まず、愛熾の家に迎えに行くのだろう。
繭を見送り、玄関を閉めても、やはり消えない違和感。健太は首の裏を掻いた。
廉也。どうも引っかかるのだ。
模試に行ったのは、確かだと思う。廉也は大学に進学を望んでいたし、学園側も会場を提供しているだけあって、学園の生徒は格安で模試を受けられた。健太は正直なところ、進学するかどうかも迷っていたので、模試に金を注ぎ込むくらいなら、と夏の武者修行の為に取っておいてくれと母親に言った。廉也も無駄な事には金を使わない主義だし、模試を申し込んだなら模試に出ている筈なのだ。
「…………」
台所に戻って、洗い物を再開する。
「……どうすっかな、今日……」
廉也が、気になる。
「おい、レグッ」
日曜朝十時前、平素な学生としてはまだベッドにしがみついていたい時分。レグこと、獅子ヶ谷怜具もその例に漏れない。いや、普段から『寝汚い』と称される怜具としては、休日なら気が済むまで、夕方までも寝ていたいと思っている。
だから、四焉が勝手に戸口を開け、乱暴に寝室へと押し入ってきた時も、怜具はベッドの上で心地よく惰眠を貪っていた。
「おいっ、起きろっつってんだ!!」
無礼な闖入者は、いつにない剣幕で怜具の襟元を掴み上げる。
前後に揺らされ、無理やり起こされた怜具は、機嫌悪く四焉を睨んだ。
いくら四焉が無二の親友で、家の合鍵を渡すほどの仲でも、これは許せない。
「なんだ……?」
怜具は低血圧気味で、目覚めが悪い。平日でも、目覚ましに起こされてから三十分はベッドの上でうだうだしている。頭に血が回ってきてようやく動き出せるのだ。
「アスがいねぇんだよっ」
一方、朝っぱらから血の気の多そうな四焉は、うだつの上がらない怜具の様子に苛々と口早に叫ぶ。
「…………うん?」
「だからっ、アスの姿が見当たんねぇ! 何処行った!?」
「知るか」
四焉が言うには、朝起きた時にはもう、部屋にいなかったと言う。もしかして、と思って怜具の部屋(マンションの隣同士で、互いの合鍵を持っている)まで来てみたが、やはりいなかったらしい。
今までぐっくりと寝ていた人間に何を求めるのか。そんなに揺らしても逆立ちしても、きっと飛鳥の居場所も何も出てこないだろう。
不機嫌に言い放った怜具を、四焉は一度強く睨む。と、次の瞬間にはまるでゴミでも捨てるようにベッドへと投げ出した。急に手を離された怜具の方は、硬いベッドに背中を打ち付ける事になり、衝撃に喘いだ。咳き込み、乱れた毛布の下から四焉を睨み上げる。
「散歩に行ってるんじゃないか」
「あいつが!? オレを置いて?」
「アスだって、一人でどこか行く時だってあるんじゃないか」
「ありえねぇ!」
四焉は語気強く否定する。
「あいつはオレがいねぇと何にもできねぇんだぞ!?」
暴力的で否定的な友人の態度に、怜具は顔を顰め、邪険そうに告げた。
「お前がそう思い込んでるだけだ」
四焉の眼が、怒りにカッと燃え上がる。
もし、これが寝起きでなく、また、四焉の暴挙を味わう前だったら、もう少し四焉に同情的になれただろう。
四焉は飛鳥をとても大事にしている。どうやら四焉は、飛鳥を守る事を自分の誇りにしているようで、ボディーガードだと称して四六時中側にいる。怜具は、四焉が飛鳥を一人にしておくのを見たことがなかった。飛鳥の行動は常に四焉が把握している。飛鳥は否やもなく、四焉を受け入れ、その下で動いていた。
飛鳥はそれほど自己意志のあるように見えないタイプが、一方見方を考えてみれば、四焉の傲慢な指示に翻弄され、自分の意志を表に出せていないだけようにも思えるのだ。
四焉としても、普段側にいる飛鳥がいないだけで不安になることもあるだろう。だが、高校生にもなった男が朝、姿が見えないというだけで、そんなにも動転するものだろうか。
アスだって何も考えないわけじゃないし、一人で出掛けることもできない年じゃない。
「テメェ……ッ!!」
だが、怜具の考えは四焉には受け入れられなかったらしい。
完全に頭がのぼせているようだ。
「シエ、冷静になれ」
「ざけんなっ! テメェがそう言うならもう頼らねぇ!」
ガンッとベッドのパイプがへしゃげそうな程強く蹴り上げ、四焉は捨て台詞だけを残してくるりと方向転換した。
「テメェは精々好きなだけおネンネしてなっ! オレだけでアスを探すッ」
「好きなだけしろ」
結局、飛鳥はすぐに戻ってくるだろう。
怜具の沈静した受け答えにまたも業を煮やし、四焉は足を踏み鳴らして部屋を出て行った。
しばらく親友の出て行った戸口を睨み、ぼんやりとしていた怜具だったが、再び毛布をきっちりと被り直し、身体を横たえる。
寝よう。時間はまだある……。
と、目を瞑るのだが。
先の一軒で身体が覚めてしまったようで、眠れない。
寝返りをうって体勢を変えてみるが、効果はない。
「…………」
シエめ、と心の中で悪態をつく。もちろん、目は閉じたままで、すぐに眠りに落ちられる態勢だ。
どうも、頭に思い浮かぶのは先程の四焉と行方知らずだという飛鳥の事だ。
アスは……。飛鳥は、例え何か一人で出掛ける事を思いついたとして、四焉に何も言わずに出て行くことはあるだろうか。
……ありそうな気もするし、なさそうな気もする。そういえば、いつも倣岸で不遜な四焉が表に立って、飛鳥の印象が薄い事に気がついた。飛鳥は会話に参加してくるが、核心には入らない。行動を示唆する言葉など一言も口にしない。四焉もそれを当然としていて、怜具は気にもしていなかった。
よくよく考えれば、怜具は飛鳥の性格を掴みきれていない。
そんな自分が、飛鳥の身を心配する四焉に、なんて言った?
「!」
そこまで考えが至った時、急に携帯が鳴った。
怜具は目を見開き、身を起こして素早く携帯を取った。
「……斎?」
生憎とその受信は、望んでいた者からではなかった。
「もしもし」
斎仰人は高校で『偶然』知り合った友人の一人である。神生継理と綱戸ルカと三人で行動している、隣のクラスの奴だ。彼等と『偶然』出遭ったのは、ついこの間の朝の事。一限の始まった頃に、学校の屋上で遭ったのだ。
『あ、レグっち? もしもし、今平気~?』
この軽い口調は間違いなく彼のものだ。
「どうした?」
『うん。今日、遊ぶ約束してたじゃん? けどさ、なんかこっちヤバい事になってて』
ヤバイ? 聞き返そうとしたが、矢継ぎ早に繰り出される言葉に、時機を逸する。
『だから、悪いんだけど、今日は無理なんだよ~。こっちの勝手で悪い!』
「……いや」
そうだ。と思い出す。今日は、四焉、飛鳥を含めた自分達三人と、向こうの三人で、一時から遊ぶ約束をしていたのだ。
「こっちもトラブってて……」
『え? 平気!?』
「あー、うん。ちょっとシエが突然キレてさ」
まさか、アスが行方不明になりました、なんて言えない。
『あ、そっかぁ』
何故か、安堵の気配のする相槌。
向こうの「ヤバい」とはどの程なのだろう。
「シエには伝えとくよ」
『サンキュ! あ、それと、これツギっちゃんからなんだけどさ』
「ん?」
『今日は絶対家から出ないで、大人しくしてろって』
「なんだそれは」
回線の向こう側で苦笑した気配がする。
彼等がオカルト染みた家に生まれ、実際その能力があるのは知っていた。何故なら、自分達が彼等に出くわした場面こそ、彼等はその能力を使っていたところだったのだから。
『できるだけでいいからさ。オレからも頼むよ~』
「……」
怜具は苦笑した。守れそうにもない。
「分かった。そっちも気をつけて」
『んんっ! ありがと』
そう言って、通話が切られる。
携帯を枕元に置いた怜具は、素早く起き上がって、クローゼットを開いた。
仰人の一言が、怜具を決断させた。外は危険だという。不思議な能力を持つ彼等が言うのだから、全くのデマカセでもないだろう。
外には、既に飛鳥と四焉が出て行ってしまっていた。
素早く普段着に着替えた怜具だったが、再びの着信メロディに携帯を取り上げる。
「はい、獅子ヶ谷ですけど」
今回の相手は、廻真貴子。怜具と同じで、生徒会の準役員だ。
『獅子ヶ谷くん』
通話をする間も時間を無駄にせず、身支度を整え、外に出る。
『今日、なんか生徒会から緊急の呼び出しが掛かって……』
「今日? 学校は模試じゃなかったか?」
『うん、そうなんだけど……。生徒会室なら入れるからって。出られる?』
エレベーターを待っていられず、コンクリートの階段を駆け下りる。怜具は電話に悟られないよう、苦笑した。
「すまないけど、無理だ」
『午後からなんだけど……』
「それまでに用事が済んだら、顔を出すよ」
食い下がる真貴子の声に、怜具はきっぱりとした口調で断りを入れる。
本当、すぐ済む用事なら。予定していた午後の約束はもうなかった事になってしまったし、午後はまるまる空いている。
問題は、怜具がこれから探して、二人がすぐに捕まえられるかどうかだった。
0-2へ続く
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