大下陸軍蜂起事件

大下陸軍蜂起事件とは、1994年に起きた陸軍将校らが起こしたクーデター事件である。


事件の流れ


始まり

1994年2月26日、旧大下軍港鉄道弾薬庫駅近くの弾薬庫と陸軍工廠が何者かによって爆破される事件が起きた。

最初、大下郡新都防衛庁は事故だとしていたが、大下部隊陸軍名義の犯行声明、挑戦状ともとれる文書が届いた。その内容は

"三月一日ニハヨウジンシトケ"

この文書によって事件だと断定、爆破事件調査が始まり調査が進むに従って、陸軍大将与野川一雄、同少将君川勇、同大尉志賀野沢武一が首謀格と思われ、3名は逮捕、営倉に入れられた。

都市の制圧

しかし、文書に書いてあった3月1日陸軍のものと思われる戦車が下新田市に現れ、警備を破壊して大下郡の各市街を制圧した。
そして、営倉に入ってたはずの前述の3人が以下の宣言を出した。

コレヨリ大下郡ハ陸軍之支配下ニ入ル。大下地域ニ偉大ナ軍国ガ出来ルコトニナルダロウ。

つまり、前述の3名率いる一団は、政治転覆をし、軍主導の政府を興すのが目的だった。
陸軍は各都市の知事・市議を人質にとり、立てこもり状態に入った。
そして、市民に対する圧政を開始した。

新都周辺の部隊の対応、都市の奪還作戦開始

3月3日、海軍の暗躍隊が制圧されてる各都市に入り、陸軍に対するスパイ活動を開始した。
それから23日経った3月26日、暗躍隊の情報収集が終了し大下部隊海軍と海軍航空隊、新都広域防衛隊に情報が通達された。
翌日には大下部隊海軍本部、大下部隊海軍航空隊(当時)が大下郡各都市入りし、陸軍に対し総攻撃を開始した。
3月28日には新都広域防衛隊特殊作戦群も大下郡に入り、奪還作戦が開始された。

都市の奪還、そして鎮圧へ

3月30日、大下部隊海軍と新都広域防衛隊の連合軍は井田市内の陸軍兵を殲滅、井田市の奪還が成功した。
4月2日には南大下町、4月5日には大下市を奪還、君川とその部下ら4名を逮捕した。
4月13日には遂に下新田市を奪還、与野川、志賀野沢ら7名を逮捕し、このクーデターは鎮圧された。事件の始まりから47日経っていた。
その後、事件の首謀者11名は海軍の軍法会議にかけられ、与野川、君川、志賀野沢は死刑、その他も陸軍を解雇、一般警察で終身刑となった。

この事件が残した影響

結局は軍国が建国されることはなく済んだが、この事件が新都の議会、大下市の主要都市、そして市民に対する衝撃は大きく、大下郡の市民の恐怖を少なくするため、大下部隊陸軍本隊は解体、事件に全く無関係だった34名は海軍に移籍し、また同じく事件に無関係だった陸軍航空隊は海軍航空隊と統合、空軍となった。
また、新都周辺の防衛政策は見直され、より新都広域防衛隊に防衛力が移された。
また、大下部隊は大下郡の各都市の共同管理となった。
現在、このような事件は再発していないが、市民に残った恐怖は未だに消えていない。
最終更新:2020年11月15日 20:45