船岡進(ふなおか すすむ)(1859/05/21~1901/11/27)とは,実業家。船橋重工業の創立者のひとり。
来歴
1859年に現在の稲積市となる地域に生まれる。幼い頃から機械に関心を示した。長男でもなく後継ぎでなかったため農家の息子としては珍しく初等・中等学校に通い,頭脳明晰であったために当時工学の最先端であった帝立第三高等学校(現在の赤穂国立大学)に進学,そこで偶然出会った橋田元と意気投合し,英国への工業視察のための留学等を経て1886年に両者の名字を組み合わせて船橋工業が設立された。彼は社長として会社の行く方向を示しながらも,積極的に工場に赴き工員1人1人の顔と名前も覚えたほどの現場主義者であった(この辺りは現在の社風にも受け継がれている)。技術の発展とともに重化学工業にも事業を発展させ,1900年に社名を船橋重工業に変更。その後も発展を続けてゆく会社だったが,進本人はその翌年の1901年に42歳の若さで急逝している。社長職は橋田元が引き継いだが,3代目以降は世襲を避け株主による総会での投票制を導入したため彼の子孫が船橋グループの社長等重役に就いたことはない。