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新wiki構文(追加分) - (2008/12/11 (木) 16:32:32) のソース
*新しく追加されたwiki構文 :通算:&color(red){&counter()} 今日:&color(blue){&counter(today)} 昨日:&color(green){&counter(yesterday)}| :最終更新日時 &date(j)&time(j)| **奇数偶数で色を変える表形式 #divid(odd_even){ |1行目は|ヘッダ行|です| |2行目は|偶数行|です| |3行目は|奇数行|です| |4行目は|偶数行|です| |5行目は|奇数行|です| } #divid(odd_even){ |1行目は|ヘッダ行|です| |2行目は|偶数行|です| |3行目は|奇数行|です| |4行目は|偶数行|です| |5行目は|奇数行|です| } **全ての行の色を変える表形式 #divid(colorful_table){ |1行目は|白文字、青背景|です| |2行目は|白文字、灰色背景|です| |3行目は|白文字、桃色背景|です| |4行目は|白文字、中海緑背景|です| |5行目は|白文字、橙色背景|です| |6行目は|白文字、ライム背景|です| |7行目は|白文字、水色背景|です| |8行目は|白文字、紫背景|です| |9行目は|白文字、オリーブ背景|です| |10行目は|白文字、深緑背景|です| } #divid(colorful_table){ |1行目は|白文字、青背景|です| |2行目は|白文字、灰色背景|です| |3行目は|白文字、桃色背景|です| |4行目は|白文字、中海緑背景|です| |5行目は|白文字、橙色背景|です| |6行目は|白文字、ライム背景|です| |7行目は|白文字、水色背景|です| |8行目は|白文字、紫背景|です| |9行目は|白文字、オリーブ背景|です| |10行目は|白文字、深緑背景|です| } **文字を左に回り込ませる #divclass(float_right){ |試合|2831|犠打|12| |打席|11866|犠飛|100| |打数|9250|四球|2390| |得点|1967|敬遠|427| |安打|2786|死球|114| |二塁打|422|三振|1319| |三塁打|25|併殺打|159| |本塁打|868|打率|.301| |塁打|5862|出塁率|.446| |打点|2170|長打率|.634| |盗塁|84|OPS|1.080| } :王貞治| 読売ジャイアンツ(巨人)の主軸として積み上げた通算本塁打数は868本、その他数々の日本プロ野球記録を保持する。参考までに、当時のアメリカ大リーグでの通算本塁打数記録はハンク・アーロンの755本である。巨人では入団から監督を退くまで背番号1を背に戦い、1番は巨人の永久欠番となっている。また、ダイエー・ソフトバンクでの監督時代の背番号89は、ホークスの永久欠番にするかどうかが検討されている。 1971年のシーズン後半、深刻なスランプに見舞われ、3年連続首位打者だった打率は.276まで降下、本塁打も39本に終わり、10年連続の本塁打王こそ守ったものの8年続けていた40本に届かなかった。それでも同年日本シリーズでは当時パ・リーグを代表する投手だった山田久志から逆転サヨナラ本塁打を放ち、チームの日本一に貢献。 しかしスランプは翌1972年まで尾を引き、あまりの深刻な不振に川上哲治監督も二本足に戻すことを勧めたほどであった。しかし王は頑なに一本足打法を貫き、ついにスランプを脱出、同年9月には公式戦7試合連続本塁打の記録を達成。これは1986年にランディ・バースに並ばれたものの、未だに日本プロ野球記録である。 1973年、打率.355、本塁打51、打点114で王にとって初めての三冠王を獲得。この年、通算本塁打数でも野村克也を抜き、プロ野球歴代1位に踊り出た。 翌1974年も打率.332、本塁打49、打点107で史上初の2年連続三冠王に輝いた。この年の8月4日、対阪神タイガース戦で、古沢憲司投手から史上8人目となる通算2000本安打を達成。 この頃は長嶋が既に現役最晩年で往年の打棒が望めず、他球団のマークは王に集中していた。これは1973年124四球(38敬遠)、1974年158四球(45敬遠)という記録にも表れている。そんな中での2年連続三冠王は特筆に値する。特に1974年は四球と敬遠に加え、出塁数294、長打率.761も日本プロ野球のシーズン最高記録を更新、非公式の記録では出塁率.532、OPS1.293、本塁打率7.86などもシーズン最高記録であった。これらの記録の内、長打率以外の記録は未だに更新されていない。 #clear #divclass(float_right){ |試合|2831|犠打|12| |打席|11866|犠飛|100| |打数|9250|四球|2390| |得点|1967|敬遠|427| |安打|2786|死球|114| |二塁打|422|三振|1319| |三塁打|25|併殺打|159| |本塁打|868|打率|.301| |塁打|5862|出塁率|.446| |打点|2170|長打率|.634| |盗塁|84|OPS|1.080| } :王貞治|読売ジャイアンツ(巨人)の主軸として積み上げた通算本塁打数は868本、~(略)~ #clear※ ※#clearは回り込みの終了タグ **文字を右に回り込ませる #divclass(float_left){ |年度|打率|本塁打|打点|年度|打率|本塁打|打点| |1959|.161|7|25|1970|.325|47|93| |1960|.270|17|71|1971|.276|39|101| |1961|.253|13|53|1972|.296|48|120| |1962|.272|38|85|1973|.355|51|114| |1963|.305|40|106|1974|.332|49|107| |1964|.320|55|119|1975|.285|33|96| |1965|.322|42|104|1976|.325|49|123| |1966|.311|48|116|1977|.324|50|124| |1967|.326|47|108|1978|.300|39|118| |1968|.326|49|119|1979|.285|33|81| |1969|.345|44|103|1980|.236|30|84| } :王貞治| 日本の本塁打記録では、通算2位である野村克也の657本に200本以上の大差をつけている。野村は王と同年代に南海ホークスで活躍した選手で、本拠地の大阪球場は両翼84m、中堅115.8m(1972年に両翼のみ91.4mに拡張された)と、狭いとされる後楽園よりもさらに狭いグラウンドであった(ただし、野村は1970年~1977年まで選手兼監督を務めていた)。 アベレージヒッターとしても記録を残しており、首位打者5回は長嶋茂雄の6回に次ぐセ・リーグ歴代2位、打率3割以上を13回は張本勲の16回に次ぐ歴代2位。また、打率ベストテン入り17回は張本と並ぶ日本タイ記録で、1962年から1977年までの16年連続は日本記録である。1963年から1970年にかけては8年連続打率3割以上を記録しており、これも張本の9年連続に次ぐ歴代2位タイ(ほかには川上哲治が記録している)。1969年には全イニング出場で首位打者を獲得したが、これは史上初であり、その後もイチロー(1995年)と松井秀喜(2001年)しか達成していない記録である。 王の突出した記録には四死球数も挙げられる。通算四球は2390個で、2位の落合博満の1475個に1000個近くの差をつけてダントツの1位。シーズン四球数は歴代1位から4位まで独占、歴代5位の金本知憲(2001年、128個)を挟んで再び6位から11位タイ(121個、2度、2007年のタイロン・ウッズとタイ)まで王の名前が並ぶ。これらを含め、シーズン四球数歴代20傑のうち延べ15を王が独占している。また、連続7打席四球を2度(1971年、1973年)記録している(これは歴代5位の記録だが、1位〈11打席〉の松永浩美、2位タイ〈10打席〉の掛布雅之、宇野勝、4位〈8打席〉のダリル・スペンサーはいずれもタイトル争いに絡んだ記録である)。 さらに、通算敬遠427個も2位の張本(228個)に200個近い差をつけての歴代1位。この中にはランナー無しでの敬遠が13回含まれる。初回無走者での敬遠もあり、本人は「相手にそれだけ怖がられているんだろうと、むしろ誇りに似たものが溢れてきた」と語っている。イニング別では1回が一番多い。なお、満塁で敬遠されたことはない。 通算死球数は114。一般に死球が少ないといわれる左打者の中では歴代最多である。 #clear #divclass(float_left){ |年度|打率|本塁打|打点|年度|打率|本塁打|打点| |1959|.161|7|25|1970|.325|47|93| |1960|.270|17|71|1971|.276|39|101| |1961|.253|13|53|1972|.296|48|120| |1962|.272|38|85|1973|.355|51|114| |1963|.305|40|106|1974|.332|49|107| |1964|.320|55|119|1975|.285|33|96| |1965|.322|42|104|1976|.325|49|123| |1966|.311|48|116|1977|.324|50|124| |1967|.326|47|108|1978|.300|39|118| |1968|.326|49|119|1979|.285|33|81| |1969|.345|44|103|1980|.236|30|84| } :王貞治|日本の本塁打記録では、通算2位である野村克也の657本に200本以上の大差をつけている。~(略)~ #clear※ ※#clearは回り込みの終了タグ **フレームで枠の中に入れてしまう #divclass(boxframe){ |試合|2831|犠打|12| |打席|11866|犠飛|100| |打数|9250|四球|2390| |得点|1967|敬遠|427| |安打|2786|死球|114| |二塁打|422|三振|1319| |三塁打|25|併殺打|159| |本塁打|868|打率|.301| |塁打|5862|出塁率|.446| |打点|2170|長打率|.634| |盗塁|84|OPS|1.080| } #divclass(boxframe){ |試合|2831|犠打|12| |打席|11866|犠飛|100| |打数|9250|四球|2390| |得点|1967|敬遠|427| |安打|2786|死球|114| |二塁打|422|三振|1319| |三塁打|25|併殺打|159| |本塁打|868|打率|.301| |塁打|5862|出塁率|.446| |打点|2170|長打率|.634| |盗塁|84|OPS|1.080| } **上記3つの構文を組み合わせるとこんなのができちゃいます #divclass(float_right){ #divclass(boxframe){ #divid(colorful_table){ |試合|2831|犠打|12| |打席|11866|犠飛|100| |打数|9250|四球|2390| |得点|1967|敬遠|427| |安打|2786|死球|114| |二塁打|422|三振|1319| |三塁打|25|併殺打|159| |本塁打|868|打率|.301| |塁打|5862|出塁率|.446| |打点|2170|長打率|.634| |盗塁|84|OPS|1.080| } } } #divclass(boxframe){ #divid(odd_even){ |年度|打率|本塁打|打点|年度|打率|本塁打|打点| |1959|.161|7|25|1970|.325|47|93| |1960|.270|17|71|1971|.276|39|101| |1961|.253|13|53|1972|.296|48|120| |1962|.272|38|85|1973|.355|51|114| |1963|.305|40|106|1974|.332|49|107| |1964|.320|55|119|1975|.285|33|96| |1965|.322|42|104|1976|.325|49|123| |1966|.311|48|116|1977|.324|50|124| |1967|.326|47|108|1978|.300|39|118| |1968|.326|49|119|1979|.285|33|81| |1969|.345|44|103|1980|.236|30|84| } } #divclass(float_right){ #divclass(boxframe){ #divid(colorful_table){ |試合|2831|犠打|12| |打席|11866|犠飛|100| |打数|9250|四球|2390| |得点|1967|敬遠|427| |安打|2786|死球|114| |二塁打|422|三振|1319| |三塁打|25|併殺打|159| |本塁打|868|打率|.301| |塁打|5862|出塁率|.446| |打点|2170|長打率|.634| |盗塁|84|OPS|1.080| } } } #divclass(boxframe){ #divid(odd_even){ |年度|打率|本塁打|打点|年度|打率|本塁打|打点| |1959|.161|7|25|1970|.325|47|93| |1960|.270|17|71|1971|.276|39|101| |1961|.253|13|53|1972|.296|48|120| |1962|.272|38|85|1973|.355|51|114| |1963|.305|40|106|1974|.332|49|107| |1964|.320|55|119|1975|.285|33|96| |1965|.322|42|104|1976|.325|49|123| |1966|.311|48|116|1977|.324|50|124| |1967|.326|47|108|1978|.300|39|118| |1968|.326|49|119|1979|.285|33|81| |1969|.345|44|103|1980|.236|30|84| } } **IP重複チェック付き投票プラグ(複数項目設置用) ***サンプル #vote2(time=432000[0],count=1[0],項目1[3],項目2[0],項目3[0]) #vote2(time=432000,count=1,項目1,項目2,項目3) |パラメーター |説明 | |time=(数字)|LEFT:数字で指定した&font(red){秒数}は同じIPアドレスからの投稿を禁止 (※通常編集もできない)。&br()(time=3600で60分、time=86400なら24時間、それ以上も可)| |count=(1~20までの数字)|LEFT:数字で&font(red){指定した回数以内の編集回数}は同一IPアドレスからの投稿を禁止(※通常編集もできない)。&br()(count=20なら総投票数が20票になるまで次の投票ができない)| **IP重複チェック付き投票プラグ(単独設置用) ***サンプル #vote3(time=3600,count=1,2) #vote3(time=3600,count=1) |パラメーター|説明| |time=(数字)|数字で指定した秒数は同じIPアドレスからの投稿を禁止(※通常編集もできない)。| |count=(1~20までの数字)|数字で指定した回数以内の編集回数は同一IPアドレスからの投稿を禁止(※通常編集もできない)| |(数字)|投票数| **IP重複チェック&新項目追加機能付き投票プラグ ***サンプル #tvote("time=3600[0]","count=1[0]","項目1[1]","項目2[1]","項目3[0]") #tvote(time=3600,count=1,項目1,項目2,項目3) |パラメーター|説明| |time=(数字)|数字で指定した秒数は同じIPアドレスからの投稿を禁止 (通常編集を含む)。| |count=(1~20までの数字)|数字で指定した回数以内の編集回数は同一IPアドレスからの投稿を禁止(通常編集を含む)| **多人数共有メモ帳 ***サンプル #memo(テスト) #memo() **多人数共有メモ帳(サイズ指定可) ***サンプル &memox(cols=30,rows=3,submit=ボタン名<>テスト) &memox(cols=30,rows=3,submit=ボタン名<>テスト) **外部ページのテーブルを編集するプラグ ※表はあらかじめ作っておく必要があります(1行だけでもよいので列を全部用意すること) ***サンプル #table_edit(テーブルテスト,row1name=選手名,row2name=製作者,row3name=~回,row4name=打率,row5name=本塁打,row6name=打点,row7name=盗塁,row8name=失策,row9name=ポジ) #table_edit(テーブルテスト,row1name=選手名,row2name=製作者,row3name=~回,row4name=打率, row5name=本塁打,row6name=打点,row7name=盗塁,row8name=失策,row9name=ポジ) |パラメーター|説明| |ページ名|編集したいテーブルがあるページ名| |列名1|1列目の項目名(わかれば何でもよい)| |列名2|2列目の項目名(わかれば何でもよい)| |列名3|3列目の項目名(わかれば何でもよい)| |列名‥|‥列目の項目名(わかれば何でもよい)| |>|ページ先のテーブルの列数と合わせてください| &font(red){''このプラグはページ先の1つ目のテーブルしか適用されません。2つ以上ある場合は2つ目のテーブルは編集できません。強引に1つにくっつけるとかすれば可能です。''}