アマネオ

ツナギ(1993年)

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amaneo

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 雨多ノ島水族館、地下研究室。ひんやりとした空気がカナメの背中を撫でていく。
「なんで女しか駄目なんスか? こういう危ないのは男――」

 カナメは強化ガラス越しに青白い光を放つ人型生物「ツナギ」を見おろして尋ねる。
「危ないのは男に任せとけって? 意外とフェミニストなのね」

 隣にいる、雨多ノ島水族館の館長は腕を組んでクスクス笑った。三十後半を迎え腹が出ているのが白衣越しにわかる。
「そんなんじゃないス。ただ、ナツが危ない目に遭うのに俺が指をくわえてるだけなんて」
「嫌だ、と。その気持ち、わかるわあ。前回着用者も私の好きな人で」
「好きとかじゃ」

 カナメは眉間にシワを寄せ、実験室のツナギを見る。ドアが開き、ナツが入ってきた。全裸だったので慌てて視線を逸らす。館長はマスカラを塗りたくった目を細めて静かに笑った。
「実はね。ツナギは女性にしか使えないの。子宮や胎盤や卵子と関係した仕組みだから」

 ツナギはまるで中身をくり抜かれたヒトのようだった。
ナツは縦に裂けた腹部の縁を広げる。柔らかな突起物が大量にあるその内壁を見てゲンナリするが、意を決して足からヌチャヌチャと入る。
「水棲生物の遺伝子を大量に保有した生体データベースがツナギ。それは様々な水棲生物へと変化する。着用者は、早い話、一度死んで別の生物として再生する」

 ツナギはナツを取り込むように、全身に薄く膜を張る。怯えたナツは叫ぼうと口を開くが、声が出ない。身体が一体化して溶け、ゲル状になる。
「その時に自分の卵子を使い自分を生む。受精卵は要請された生物の遺伝子を使い成長する」

 加速度的に細胞分裂を繰り返し、すぐに両腕が数十本の触手となった人型の怪物が生まれた。表面は両生類のように分泌液にテラテラと光っている。目の無い巨大クリオネが捕食しようと触手を開放したような――形態だった。
「ツナギは、まさにヒトと他の生物とのつなぎってわけ。もちろんただ着て動くだけなら死ぬのも再生もしなくていいけど、それじゃ能力を全く使えないから」
「でも、あれはもうナツではないんじゃないスか」

 例えばあれを輪切りにしても、そこにナツの姿はない。ならナツはどこにいる? カナメの言いたいのは、つまりそういうことだった。
「カナメ君は何をもってナッちゃんをナッちゃんと判断してる? 顔? 性格? 記憶? 性別?」
「全部です」

 館長は腹を抱え、イスに座って大声で笑う。カナメは怪訝そうな顔つきで見ている。
「ホントに好きなんだね」
「ナツは――いい奴なんスよ」
「私は、君がいい奴だと思うけどな」

 カナメは苦々しい顔をしてそっぽを向いた。
「じゃ、君はあれがナッちゃんじゃないと思うのね?」

 目を閉じて首を振る。何の迷いもなく自然と出た動作だった。
「そんなこと思えないス。あいつが気にしてるでしょう」

 言っていくうちにカナメは顔が赤くなった。隠すように頭を振る。
「それで俺は何をすればいいんスか」
「君はサポート。遺伝子の要請と細胞分裂のコントロール、ナッちゃんのアシスト。そして二人には」

 ツナギを着たナツが顔を上げ、カナメも館長の顔を見た。
「名呑町沿岸部から深海生物の調査をやってもらいます」

 カナメは夕暮れの帰り道、制服に戻ったナツに缶コーヒーを買う。ナツは受け取りながらも不思議そうな顔つきだ。
「なん?」
「なんか、悪いと思って」

 低い声でカナメはつぶやいた。その声はカモメの鳴き声にかき消されそうなほど小さい。
「うん」

 ナツはいつまでもそれを撫でるばかりで、飲もうとしない。
「コーヒー嫌いだったか?」
「好かんね」

 深海のような沈黙が辺りを包んだ。遙か遠くで渡船がゆっくりと駅前乗り場に向かっていく。
「なんか悪い。一番危ない役がナツになった」
「別に」

 ナツの表情は変わらない。しかしショートカットで日焼けしたうなじに潮風が吹いたとたん、気持ちよさそうに両腕を上げて伸びをした。
「俺なんて水上でサポートしか」
「別にいいんやない」

 それでもカナメは俯いて、謝罪を呟き続ける。
「えっと――」

 ナツはしばし迷って、スカートを押さえて堤防に登る。両腕を広げてバランスをとりながら言う。
「ウチは泳ぐのが好き。で、カナメはそうやってグチグチ考えるのが好きなんやろ。したらさ、ウチらは最高にツナギ使うのに向いとると思うんよ」

 カナメは夕日に照らされたナツの顔を見上げる。ニッと線のような目になって笑うナツに、カナメは嬉しそうに困った顔をした。