アマネオ

海雪(2003年)

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amaneo

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「結婚とか、所詮趣味やろ? 何の意味もないよ。無駄にお金使うだけ」

 言い放つと、ナツは深い紺色の海へと飛び込んだ。透明な粘液がボートの端に光る。残されたカナメは波に消えていく泡沫を見て溜息を吐いた――。

 海底峡谷の隙間をしゅるんと泳いでいくナツ。生体スーツ「ツナギ」は彼女の肉体と一体化し、ブヨブヨしたピンク色の奇怪な生物になっている。生身の人間なら既に肉体も精神も壊れている深海気圧だが、現在の彼女はエラ呼吸で黙々と作業ができる。

 ナツは手持ちの投光器を頭上に向けた。一筋の光線が水中を真っ直ぐに照らし出した。
「カナメ、なんか雪が降りよるよ」

 海上でナツの視界をモニタリングしていたカナメは、ディスプレイに映し出された雪を見る。まるで掃除し忘れたシャンデリアからホコリが舞い落ちてくるようだ。
「ああ、マリンスノーだな」
「マリンスノー」

 ナツはキャラメルでも食べるように、舌の上で単語を転がす。「マリンスノー」という名が気に入ったらしい。
「これはつまりな、浅海から魚の死骸や脱皮した残骸がプランクトンに喰われながら深海に――」
「うわキレイ」
「聞けよ」

 雪を見たナツは深海でダンスを始める。まるで肉の塊がエサを補食して消化するように。チョウチンアンコウの発光器を額にぶら下げ、その淡い光が揺れる。カナメはそれに見とれている。

 と、ナツは不意に動きを止めた。
「ん、どうした」
「これって、綺麗やけど言ってみりゃゴミやろ。どうしてウチ、そんなんで喜んどんやろ」

 全てのロマンをぶち壊す実存主義だった。
「ナツ、あのな」

 カナメは口もとを若干震わせながら言葉を零す。
「け――」

 それから音のない単語を二、三吐き出すとようやく呟いた。
「綺麗だからだろ」
「――あ! タイショウブツ発見!」

 海底にへばり付いた巻貝は、積もったマリンスノーを食べている。
「ナツ、OKだ。上がれ」
「コイツ、ゴミ食べてんだね」

 肉塊から触手が飛び出す。しばらくうぞうぞと這いまわると、人間の頭ほどもある巻貝を持ち上げ、しげしげと眺める。
「ああ、コイツにとっちゃゴミじゃない。無駄なものなんぞないんだ」

 ナツは腕を組んで考え込む。
「結婚も?」
「――そうだ」
「わかった。受けるよ、プロポーズ。どうぞ今後ともよろしく」

 沈黙。
「カナメ?」

 カナメはガッツポーズの反動で頭から海に落ちていた。