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グッドナイト、スイートハーツⅢ - (2008/03/01 (土) 03:32:25) のソース
**グッドナイト、スイートハーツⅢ ◆LXe12sNRSs 第三回放送で告げられた死者の数は17名。 その中に剣持勇の名があったのはもちろんとして、もう一人、この時点で呼ばれるはずのない名が混じっていた。 金田一一。 名探偵金田一耕介の孫にして、『地獄の傀儡師』の犯罪を見抜いた唯一の知恵者にして宿敵が、死んだ。 名を耳にした瞬間、高遠遥一を揺るがした感情は、落胆である。 自らが企画する、殺し合いを舞台にした芸術的犯罪。そのメインたる役者が、舞台に上る前に退場してしまった。 この緊急事態に、脚本家にして監督たる男はなにを思うか。当然のごとく落胆だ。それしかない。 (金田一君、そしてキール……おそらくは、アレンビー・ビアズリーが彼を迎えに行った際に、既に事は起きていたのでしょう。 キールはそれに巻き込まれ、アレンビーはどうにか逃げ果せた、というところでしょうか。 論理を武器として修羅場を潜ってきた少年探偵も、暴力の世界では形無しというわけですか……フッ) ミリア殺害後、高遠は放送の内容を反芻しながら船内を渡り歩いていた。 金田一一……地獄の傀儡師としての初犯、魔術列車殺人事件を見事に看破して見せた少年探偵。 幻想魔術団に対する復讐のつもりで起こした犯罪は、金田一という存在の出現で、高遠に新たな情熱を齎した。 それこそが、芸術的犯罪の追及。金田一にも暴けないような完全犯罪を成し遂げるという、崇高な目的を持つようになった。 だが、当の宿敵が先に死亡してしまっては……すべて台無しではないか。 ミリアの殺害も、豪華客船の出航計画も、高遠の現在の役割も、なにもかも無為に消えてしまう。 ――仕切りなおすべきか。 高遠は歩きながらに思案する。やりがいをなくした背中で、トボトボと。 そもそも、なにを成して芸術的犯罪は完成されるというのか。 全標的の殺害ではない。事件自体の迷宮入りでもない。探偵の完全敗北である。 真相を知る者は己のみ。他者に与えるのは永遠の謎。全てが己の術中。コンプリートしての芸術。 なのに。大根役者しかいない舞台上で、一人際立ってどうするというのか。どうもしない、虚無感が漂うのみだ。 敵のいない場で全てが思い通りに運んだとしても、なんら楽しくはない。 スポーツと同じようなものだ。ライバルがいなければ燃えない。 高遠にとって、名探偵金田一一の存在はそれだけ大きかった。 (……残念。と割り切る他ないでしょうね、これはもはや。 死者は蘇りはしない。我が宿敵は潰えた。ならば、代役を立てるしかない。 生き残っている者でそれが務まる人物といえば、明智警視。そして……) 高遠の脳裏を、冷たい声の少年がよぎる。 チェスワフ・メイエル。あの少年らしからぬ少年は、金田一の代役として務まるかどうか。 (彼がただの子供でないことは既知しています。彼の挑戦を受けた以上、その素性もいずれ。 ですがチェス君、あなたにはその前に、私の挑戦を受けてもらうとしましょう。 剣持勇、ジェット・ブラック、そしてミリア・ハーヴェント連続殺人事件……あなたにこの謎が解けますか?) 既に死亡している剣持勇。放送では呼ばれなかったが、今頃は殺されているだろうジェット・ブラック。 そして、つい先ほど高遠自身が手にかけたミリア・ハーヴェント――彼女を第三の被害者に選んだ理由は、三つある。 ひとつ、彼女が役者として非常に危険な人間であったため。 ふたつ、彼女が惨劇の被害者として非常に魅力的であったため。 みっつ、高遠自身に疑心を植えつけるため。 まず一つ目。 恋人が生きているのか死亡しているのかも定かではない状況で別離を強いられている、 という特殊な境遇を持つミリアに関して、高遠は新たな人形候補になるのではと企み、実行してみた。 恋人の喪失というこの上ない闇を抱える少女、地獄の傀儡師として囁きかければ、大抵は外道に落ちる。 だが根本的問題として、ミリアは闇など抱えていなかったのだ。 彼女が抱いていたのは光。希望という名の、決して暗くはならない光だった。 驚くべきはその驚異的な精神力。恋人との永遠の別れという確固たる事実を、まったく信用しない。 どころか、チェスの明らかな虚報を心の底から信じ、そこから希望を見い出している。 常人であれば、でもひょっとしたら……と、僅かながらでも悪い方向に考えを持つ。 ミリアにはそれがないのだ。数で言えば100、アイザックの生存を信じきっている。 この時点で、彼女は傀儡には成り得ない。殺人教唆は、心の脆弱な者を前提としているからだ。 そして肝心なのが、高遠の常識で考えれば、このような強靭な精神力の持ち主は存在し得ないということである。 常識の範疇に存在しない、それすなわち存在自体がイレギュラーであり、どんな行動を起こすか予想がつかない。 操れず、また行動予測もできない人物を舞台に立たせるなど、危険すぎる。 脚本を無視して急に舞台で暴れ出す可能性とてありえるのだ。 そうなるくらいならば、役者ではなく舞台装置の一つとして活躍してもらおう。 と、これが高遠の出した結論である。 続いて二つ目。 ミリアの性格は、良く言えば楽観的、悪く言えば馬鹿な、つまりはそれくらい飛びぬけて明るい。 決して自分が悲劇に見舞われるなどとは思っていないだろう。また周囲の人間からも思われにくい。 惨劇から極めて遠い場所に立つ人物、平和の住人を逆に惨劇の中心に立たせてこそ、意外性がある。 まさかあんなにいい人が亡くなるなんて……という弁は、報道番組での定番だ。 死から一番かけ離れた人間であるからこそ、いざ被害者になったときに輝く。残された者の悲痛や驚きもより強調される。 そういう意味では、ミリアはまさにうってつけ。作り出す被害者として、魅力的なのだ。 これに一つ目の理由も合わせれば、ミリアはまさに適任。選ばれて当然の役柄だった。 ただし、なにもこのタイミングで殺す必要性はない。 被害者として相応しい程度の理由では、もちろん高遠も機を待っただろう。 彼に計画を早めさせたのは、三つ目の理由、もとい利点が原因である。 最後となる三つ目。 高遠は元々、ミリアと二人きりという容疑者として怪しむには十分な境遇に置かれていた。 その上でミリアが殺害でもされようものなら、疑いの目は当然彼女と一緒にいた人物、高遠に向くだろう。 しかし時として、怪しすぎる状況証拠は混乱を招く。 殺人犯という肩書きを事前に自ら示し、既に別の死者も出ている、その間に築かれた新たな死体。 これらを照らし合わせても、高遠は怪しすぎる。消去法でいくなら間違いなく犯人だろうが、証拠がない。 証拠を提示しなければ事件は解決したとは言えず、疑心は永遠に残る――本当にそうなのだろうか? と。 とはいえ、高遠は完璧なアリバイを作ったわけでもなく、殺害方法に奇抜なトリックを使ったわけではない。 だが、証拠はなにも残していない。いや、正確に言えば、他の者は証拠が証拠と認識できないのだ。 たとえば今回のようなケース、刺傷による殺人事件が起きたとして、考えられる証拠はどのようなものか。 凶器から摘出される指紋、犯人にこびりついた血痕、ダイイングメッセージ等だろうが……この場合、それらは証拠となり得ない。 なぜならば、環境が特殊すぎるからだ。この殺し合いという舞台自体、犯罪者にとっては有利すぎるフィールドなのだ。 仮に高遠が凶器として使用したスペツナズナイフ。これに指紋が残されていたとしたら、物的証拠になる。 しかし高遠はそんなヘマはしないし、そもそも誰がどうやって指紋を識別するというのか。 それこそが、この環境最大の利点。法はもちろんのこと、鑑識や捜査機関の不在。 証拠を証拠として成立させる手段が、この会場には存在しないのだ。 中には明智やジェットといった本職もいるが、彼らとてすべてを担えるわけではないだろう。 ミリアの殺害にしても、高遠は指紋を残さぬようナイフの柄をハンカチで握り、 刺す際にも返り血を浴びにくい背中を、それも密着状態で貫いた。 証拠と成り得るナイフは自らが持っていた分全てをミリアのデイパックに移し、現場に放置してきた。 指紋隠蔽のためのハンカチは海に捨て、腕に返り血がついていないことも確認済み。 仮にここが捜査機関の充実している現実の世界だとしても、まず物的証拠は残っていない。 証拠がなければ、高遠はただ怪しいだけの容疑者に納まり、犯人にはなり得ない。 しかもこの場合、下手に捜査を進めれば、凶器と思しきナイフを持つ者として、ティアナにも容疑がかかるだろう。 が、それも結局は証拠となり得ない。捜査する側の混乱をさらに加速させるだけだ。 もちろん、このような環境の利ばかりに頼った犯罪を、自らが目指す芸術の達成とは思わない。 全ては金田一が到着すまでの布石及び前座……のつもりであったが、その金田一が死亡してしまっては仕様がない。 この脚本を一時的にメインに据え、チェスが探偵役足りえるかを判定するとしよう。 (と、噂をすれば影、ですか) 道行く高遠の前方、なにやら慌てた様子のチェスが駆け寄ってくる。 高遠はガッシュがいないことに訝しげ、しかし脚本どおり演技に入る。 「お兄さん! どうしてここに!? お姉ちゃんは一緒じゃないの!?」 呼気荒く詰問してくるチェスに、高遠は同じような慌てぶりを演じつつ接する。 「君こそ、ガッシュ君はどうしたんです? まさか、彼もミリアさんと同じように?」 「同じ……? 同じようにって、ねぇそれってどういうこと!?」 スーツの裾を掴み、ぐいぐいと引っ張るチェス。よほどミリアが心配と見える。 話によれば、彼はこの殺し合いが始まる以前からミリアと親交があったらしい。 ならばそれも当然か、と高遠は心中で苦笑する。 「落ち着いてくださいチェス君。彼女はつい先ほど、私の下から消えてしまったのです。剣持警部と同じように」 「消えた!? 消えたって!?」 「手洗いに立った直後でした。二人とも離れるわけにはいかず、私は食堂室に残っていたのですが…… たかが手洗いと思い、油断してしまったのが失敗でした。彼女はいくら待っても戻ってこなかった。 仕方がなく、こうやって探していたのですが……先ほどの放送は聞きましたね?」 「うん。剣持さんが……死んじゃってた」 チェスの視線が伏し目がちになる。ひょっとしたらミリアも……と思っているのだろう。 本性は謎だが、やはり本質は子供か。と高遠は少しだけ冷めた気持ちになる。 「何者かが、私やガッシュ君の隙を見て剣持警部を誘拐……そして殺害したと考えられ――」 「おーい! ヨーイチィー! チェスく~ん!」 剣持死亡の事実に対して、高遠がもっともらしい推論を提示しようとしたところで――思わぬ声が届いた。 ギョッとなり、後ろを振り向く。 そこには、笑顔のミリア・ハーヴェントが立っていた。 (――まさか。いや、そんな馬鹿な!?) 高遠の内面に、衝撃が走る。 金田一にトリックを暴かれた際のそれを遥かに凌駕する、まさかの驚愕が、一瞬だけ彼に冷静さを失わせた。 隠せない動揺に、ミリアやチェスが気づかない様子だったことだけが幸いか。 「お姉ちゃん! どこに行ってたの? 二人で心配してたんだよ」 「ごめんね~チェスくん。実はヨーイチが……あ、でもこれって言っていいのかなぁ。う~ん」 喜びながらミリアの側に駆け寄っていくチェス。それを受け止めるミリア。 高遠一人、動けない。驚愕がいまだに身を拘束する。 確かに殺したはずだ。即死ではないにしても、あの状況下で助かるはずなどない。 ましてや、このような平然と笑顔を振りまける状態になど。 高遠は殺人教唆こそが本領であるが、殺傷行為自体が不得手というわけでもない。 殺しの技法、遺体の処理、証拠の消し方、すべてにおいてプロフェッショナルだ。 環境の利があるこの舞台で、高遠自身が働く殺人に限定すれば、絶対に暴かれることはない。 その完璧なる前提が、殺人失敗という最もありえない結果として覆される。 いや、これではむしろ蘇りだ。 (蘇り……? そうか、まさか) 高遠が殺人を仕損じる唯一の可能性。そんなものがあるとすれば、それは高遠の思考が及ばぬ『未知』の介入に他ならない。 たとえば、ティアナの魔法という『未知』。 ミリアが高遠によって殺された後、魔法のようなもので蘇生、もしくは超回復を遂げたとは考えられないだろうか。 いや、ない。ミリアがそんな異能者である素振りはなかったし、だとすれば再会と同時に刺傷の件を糾弾してくるはずだ。 このミリアはいたって平静。出会った当初と変わらぬ笑顔でいる。 まさか、高遠が刺したことに気づいていない、もしくは知らないとでも言うのか。 だとすれば、このミリアは何者かが変装した姿とも考えられるのではないか。 ではいったい誰か。体格からしてジェットやガッシュはありえないし、高遠も把握していない侵入者か。 だとすれば危険だ。なにが目的かは知らないが――と。 「なにがあったの? ボクにも教えてよ」 「う~ん、まぁいっか、いいよねヨーイチ? あのね、これはチェスくんもビックリな事実だと思うんだけど……」 普段は陥らない、そもそもが初めてな異常事態に直面したせいか、高遠は事態の究明に没頭した。 それが、ミリアに真実を語らせる隙を与えてしまう。 「ヨーイチは、アイザックと同じポロロッカ星人だったんだよ~!」 気づいたときには、もう遅い。 饒舌なミリアの語りは、瞬く間にチェスへと伝わっていく。 高遠の位置からは、チェスがどんな顔でそれを聞いているのか窺えない。 ただ背後から感じる気配だけで、高遠は冷や汗を流した。 この少年に、自身がミリアについた嘘が伝わることが、とても不味いことであるように思える。 率直に言えば、嫌な予感がしてたまらないのだ。 「でね、殺されたー! って思ったんだけど、ヨーイチも凄腕の手品師でぇ――」 「……うん。そっか! そうだったんだね!」 背を向けたまま、チェスの屈託のない言葉だけが届く。 既に、高遠がミリアを刺したというところまで伝わった。 ミリアはそれを手品だと認識しているようだが、 「ねぇお姉ちゃん、実は上でガッシュが大変なことになってるんだ。先に行ってあげてくれない?」 「え? でもチェスくんは? それに、あの、ヨーイチに告白のことについて――」 「ボクはお兄さんと一緒に後で行くから! だから、お姉ちゃんは先に行って!」 チェスは、おそらくそう思ってはいない。 厄介払いをするようにミリアを甲板へと送り出し、チェス自身はこの場に残る。 立ち尽くす高遠はなにも喋らず、チェスも振り向かない。 静寂のまま、少しばかりの緊張が続く。 やがて、均衡はチェスのほうから破られた。 「――さて、やってくれたな若造」 凍てついた、仙人のような声。 声質の高低は子供のそれなのに、纏う空気がまるで違う。 子供でありながらに子供ではありえない風格が、チェスの身を包む。 「どうして? なんで? なにがなんだかわからない……って言いたげだね」 かと思ったら、また子供の声調を取り戻し、無邪気に喋り出した。 ただし、いまだに振り向かない背中から発せられる空気は、重い。 「まぁ無理もないだろう。このような悪魔のいたずら、貴様に想定できるはずもない」 また、声質が変化した。 「ボクもビックリだよ! まさかミリアお姉ちゃんもそうだったなんて!」 変化。 「もっと早くに気づくべきだった。アイザック・ディアンがそうなら、彼と常に一緒にいた彼女もまた、そうであってもおかしくない」 変化。 「でも、結果オーライだね!」 まるで子供と大人が交互に喋っているように、言霊を自在に変化させていく。 一流の俳優ならば、声の演技一つで全身が纏う雰囲気や印象を変えることも可能かもしれない。 だがチェスのような子供が、大人の本性を宿すなど、技術的に考えてありえない。 もしやチェスは天才的な子役なのか、もしくは、 (チェスワフ・メイエルの本性……!) この、子供らしからぬ風格こそ――チェスの本当の姿なのではないか。 「ああ、なんせ彼女のおかげで、私たちを謀ろうとした化け狐の皮を剥げるのだからなぁ!」 高遠がチェスの正体を薄らとだが理解し、恐怖を覚えたときにはもう遅い。 眼前のチェスは躊躇いのない動作でデイパックからアゾット剣を抜き取り、振り向く。 小悪魔の形相だった。子供らしい小さな顔面に、醜悪な笑みを宿す。特殊メイクかなにかと誤解してしまいそうなほど。 触れてはならぬものに触れてしまったのかもしれない、と高遠は思い、竦みそうになる。 だが、これまでに立ち向かったことのない種の恐怖が、逆に高遠の闘志を燃え上がらせた。 天才や完璧主義者ほど不意打ちには弱いものだが、高遠は曲がりなりにも殺人鬼、命のやり取りは得意分野である。 習性で、体が動いた。 万が一襲撃者に襲われた際対処できるよう忍ばせておいた一本限りのナイフを、バックベルトから抜き取る。 アゾット剣を握りながら駆け寄ってくる童顔の悪魔に、高遠は人間らしく、怯えを持ったまま対抗した。 リーチはナイフよりも剣、しかしチェスと高遠の腕の長さを考慮すれば、有利なのはこちら。 チェスの剣技のほどが知れない。迂闊に刃を射出するのは危険か。 ならば裂傷の一つや二つは覚悟して、確実に、零距離でチェスを殺しに行く。 刹那の策略が廻り、高遠も駆けた。 先手を仕掛ける。 肘を後方に引き、握ったナイフごと一直線に突き出す。 チェスはそれを、剣の握り手とは逆、左手を翳すことで防御する。 叩き落とすつもりか。いや違う。掌を盾にしようとしている。 浅はかな。スペツナズナイフの切れ味を侮っているのか。好都合。 高遠は構わず、チェスの左手に刺突を繰り出した。 刃が触れ、チェスの指を三本、切り落とす。 だが、チェスは怯まない――!? (なっ――) 指が落ちたことなど気にも留めず、小悪魔の形相をそのままに、チェスは高遠に剣を振った。 小柄な体型から、刃の重量を乗せた斬撃が放てるわけもない。攻撃の形は、高遠と同じく刺突だった。 アゾット剣の先端が、高遠を抉る。 「…………っぐ」 二者の衝突が終わり、その場に停止した。 高遠とチェス、零距離のまま向かい合って立つ。 遠くから見れば、抱き合っているようにも思える光景。 それは、間近で見れば奇観以外のなにものでもない。 苦渋の顔を浮かべる高遠。歯をむき出しにして笑うチェス。 高遠の腹部から生える剣。その柄を握るチェス。 ぽたっ、ぽたっ、と零れる鮮血。これも高遠の腹部から。 チェスの手によって、剣が抜かれる。 高遠の体が、崩れ落ちた。 「……クク、ククククク……はははっ、あーはっははは……アー……クソ! クソッ! クソォ! 本当に、本当にやってくれたなぁ高遠遙一! 狐風情が、おまえのせいで滅茶苦茶だ! おかげでまた『チェスワフ・メイエル』に逆戻りだ。もうあんな生き方はしないと決めたのに…… ミリアお姉ちゃんを、二人を守るために、ボクはまた昔の私に戻ってしまった!」 仰向けの体勢から、チェスの言葉を聞く。 狐というのは、チェスたちを謀ろうとした高遠のことを言っているのだろう。 一人称を『ボク』と『私』で使い分けていることには、なんの意味があるのだろうか。 チェスワフ・メイエルに逆戻りとは、いったいどういうことなのか。 わからない。失血によるショックか、高遠の朦朧とした意識はなにも導き出せないでいる。 ただ、視覚に映し出されるありえない光景だけを捉えた。 切り落としたはずのチェスの指計三本。 床に散らばったその指が、返り血と共に帰還していく。 チェスの脚を登り、胴体を登り、肩を経由して、左腕を降り、左手に舞い戻る。 そして元の鞘に納まった――再生したのだ。切り落とされたはずの指が、独りでに動いてくっついた。 物理現象としては100パーセントありえない。しかし、ああだからか、と高遠は逆に納得する。 チェスの正体は、ティアナと同じ。おそらくはミリアも。 高遠の理解が及びつかぬ、それゆえに予測もできなかった、未知。 それこそが、チェスワフ・メイエルに抱いていた畏怖の正体なのだと、薄れゆく意識の中で思い知らされた。 「チェス、ワフ、メイ、エル……あなたは、いったい」 「……ふん。結局貴様は、自分の手で真相をつかむことはできなかったな。 だが、こっちはまだ貴様に死なれちゃ困るんだ。だから急所はわざと外した。 まぁ、身長差が主な原因だが。それよりも、もう一働きしてもらおうか。貴様の計画の後始末を。 貴様が知りたがっている謎は……そうだな、道中でゆっくり聞かせてやる」 そう言ってチェスは高遠の髪を掴み、乱暴に引きずり出した。 腹に覚えるズキズキとした痛みの中で、高遠は予感した。 これから、私は地獄を見る――と。 ◇ ◇ ◇ あ~……もうウンザリ! そりゃ、ファイターにとってライバルってのは大切な存在だけどさ……あんなのいらないって。 でも、めぐり合わせちゃうんだよねぇ、なぜか。 因縁? 宿命? 運命? ――ううん、そんなの信じないよアタシ。 ◇ ◇ ◇ 時計の針は真南、六の数字を回り、空もそれ同様に闇を纏い出す。 夜景が一望できる甲板上、燃え盛る炎のせいで夜というにはまだ明るい舞台を、三人が立つ。 いずれも、視線は空に向いていない。それぞれ、今しがた終了したばかりの放送について考えていた。 「ウヌウ……勇にキール、それに金田一までもが……」 「状況は最悪ってわけだ……しかもついにエドまで……くそったれ」 剣持勇の名が呼ばれたことにより、彼の失踪が殺人事件であるという裏づけが取れてしまった。 金田一一というのは、高遠が話していた迎えるべき少年の名だ。彼の死で、高遠がなにを思うのかまでは想像できない。 エド、というのはあのなんたら三世というやたら長ったらしい人物のことだろうか。どうやらジェットの知人らしい。 しかし、そんな他者の嘆きよりもまず、ティアナにとっては、 「……………………え?」 スバル・ナカジマ。 唯一無二の親友にして、苦楽を共にしてきたパートナーの消失が、胸を打った。 「うそ、う、そ」 遠雷のような声がスバル――と告げて、まずティアナの視界は真っ白になった。 矢継ぎ早に呼ばれた八神はやての名もまた、彼女の意識を飛ばす追い討ちとなる。 ティアナが夢を追い求めた場所、時空管理局機動六課。 夢に向かって駆ける歩幅を、一癖も二癖もある相棒と一緒に調整してきた。 八神はやてはそんな二人を導いてくれる、心優しい女性であった。 「うそう、そうそうそ、う、そう、そう、そうそ、うそ、うそ」 涙と、拒絶の声しか絞り出せない。 キャロの死と遺体の爆散にあれだけ怒り狂っていたティアナが、ただ悲しむことしかできない。 ジェットやチェスに向けていたような敵対心や殺意が、少しも湧いてこない。 どうして? 問いかけても、答えてくれる人はいない。 あの人なら、高遠遙一ならどうだろうか。 あの人ならきっと。 助けてくれる。 でも。 「スバル……スバル……スバルゥゥ――!」 今は全部はどうでもいい。 今はただ、悲しむことしかしたくない。 泣いて喚いて、親友の死を精一杯悲しみたい。 心の奥底から伝わってくる願望と欲求に、ティアナは身を委ねる。 ジェットとガッシュは、それを突っ立ったまま傍観し、まったく声をかけない。 「あんた……っ、どうしてぇ! どうしてあんたまで……わた、わたし、あんたが、あんたがいな、きゃ……」 泣いて泣いて泣きじゃくって、頬を涙の雫でぐしょぐしょにして、それでもまだ足りない。 何秒、何分、何十分とそうしていただろうか。 いつの間にか、ジェットとガッシュの側にミリアが加わっていた。 傍観者が三人となり、それでもまだ、ティアナは悲しみ続ける。 止める者は誰もいない。きっと止めてはならないと思ったのだ。 それくらい、今のティアナの姿は哀れだった。 (ああ、結局、いつだって私はこうなんだ) 表とは違って冷静な、上辺だけは冷静でいようという裏の意識が、己の生き様を顧みる。 幼い頃に両親が事故死、最愛の兄は殉職したうえに上司に無能と罵られる。 兄の汚名を晴らそうと同じ道を目指してみれば、周りは天才肌ばかりで劣等感。 その劣等感自体が間違いであったことにも気づかず、教官に叱咤される。 ようやく成長できたかと思えば、舞台が変わっただけでまた元の木阿弥。 わかっていたんだ。人殺しなんてなんの解決にもならない。ただの自己満足。 あの人の示す通りに道を開けば、不思議と安心できたから。つい縋ってしまった。 彼、高遠遙一は優しすぎたのだ。彼女の直接の教導官、高町なのはよりもずっと。 なのはは、ティアナに選択肢を与えてくれた。しかし高遠は、選択肢ではなく、直接答えをくれた。 より手っ取り早いほうに縋ってしまったのは、効率を重んじる二等陸士としての性か、それともティアナ自身の弱さか。 いずれであったとしても、もう結果は出てしまったではないか。 スバル、キャロ、エリオ、はやて――失ってしまった仲間たち。 犯してしまった殺人に、今さらの後悔を覚えている自分。 人の痛みを思い出してしまったから、辛い。 (私は……私は、こんな風にはなりたくなかった! なのに!) 全ては自分の愚かな判断ミス。教導官による修正は施されない。 自分の過ち。悔いる。嘆き。悔いる。悔いるのも、辛かった。 「……ごめんね、みんな」 死んでしまった機動六課の面々、 まだ生きているシャマル先生、 元の世界で自分たちを探しているであろう人たち、 もう一人の相棒クロスミラージュ、 自らが殺めてしまった剣持警部、 未遂とはいえ重傷を負わせてしまったジェット、 そして、こんな自分に救いの手を差し伸べてくれた高遠さん。 「本当にごめんなさい」 みんなに謝罪をして、ティアナは甲板に転がっていたナイフを拾う。 その切っ先を、喉元に刺した。 「ティ、ティアナ!?」 「おい!」 「来ないで!」 ぷっ、とほんの1ミリだけ傷ができて、赤く滲む。 これくらいじゃ死ねない。 もっと深く刺そう、と思い立ったところで、ジェットたちが声を荒げる。 「馬鹿な真似はよさぬか! おぬしがここで死んでどうなる!?」 「そうだよ! なにがあったかはよくわからないけど、死んじゃったらダメだよ!」 「ガッシュやミリアの言うとおりだ! ぐっ……怪我人に怒鳴らせるんじゃねぇ!」 「痛いでしょう!? 辛いでしょう!? あなたをそんな風にしたのはこの私! 私なのよ!」 両手でぎゅっと握り締めたナイフ。 震える手で、先端の刃を喉元に翳す。 祈るような直立姿勢で、三人と対峙する。 動けば刺す、と言わんばかりの格好で。 「駄目なのよ……私、いいことをすれば許されると思ってた……でも、駄目なの。 高遠さんが教えてくれた答えに縋っても、ちっとも楽にならない……辛いのよ! なにをどうやっても、全然心が晴れないの! 辛くて辛くてたまらないの! だから……だからだからだから」 死んで、楽になりたい。 そう声に出して言うつもりだったのに、断言できないでいる自分。 切っ先を翳すだけで、今一歩が踏み出させないでいる自分。 こういう点も含めて、ああこの子は弱い、と失意する。 こればっかりは駄目なのだ。 どんなに指導されたって、直りっこない。 ティアナが抱えるコンプレックスみたいなものが、死を駆り立てるまでに身を蝕む。 「――だから、死んで楽になりたい。ふん。死ねばいいじゃないか。ううん、むしろ死ねよ人形」 自殺志願者と、説得に臨む三人。予断を許さぬ場に、新たな来訪者の影が二つ。 その場にいた四人は、それを見て思わず息を飲んだ。 現れたのはチェス。そしてその手に掴んでいるのは、高遠の頭部。 さらに目で追っていくと……腹部を赤く滲ませている高遠の全姿が、チェスによって引きずられている。 高遠の醜態、チェスの乱暴な素振り、どちらも意外すぎて、誰もが言葉に出せないでいた。 「ジェットおじさん……お兄さんは、ううん、高遠遙一は自供したよ。 ティアナ・ランスターに殺人を教唆していたのは自分。 剣持警部を殺害させたのも、ジェットおじさんやミリアお姉ちゃんを殺させようとしたのも、 ぜ~んぶ……『地獄の傀儡師』高遠遙一の、崇高なる犯罪芸術の一環だってね!」 チェスから飛び出た証言に、名指しを受けたジェットのみならず、全員が驚愕する。 「自供!? 高遠が、本人がそう言ったってのか!? あとその『地獄の傀儡師』ってのはなんだ」 「高遠遙一の元の世界での異名さ。自らが殺人を犯すのではなく、他人に殺人を教唆し、人形に仕立て上げる。 そうやってできた人形を意のままに操ることから……地獄の傀儡師って呼ばれてるらしいよ」 「ま、まままマインドコントロールだね!?」 「まさか、高遠はゾフィスのように人の心を操る能力を持っておるのか!?」 「能力というよりは技術に近いよ。心理学や精神論に基づいたうえでの精神誘導。それがこの男の十八番さ」 チェスの言う高遠の正体は、作り話としては上手すぎる。 しかも現在のティアナの境遇を思えば、十分成立する話でもあった。 そしてこの言葉に一番の衝撃を受けるのは、人形本人である。 「高遠さん……本当、なんですか?」 語気弱く、チェスに髪を掴まれたままの高遠に尋ねる。 高遠は伏せっていた顔を僅かに持ち上げ、やつれた表情でティアナを見た。 「……フッ」 鼻で軽く一笑し、ティアナはそれだけで全てを理解した。 言葉としても、高遠自身の口から告げられる。 「ええ、その通りですみなさん。先ほどのチェス君の言は全て真実、剣持警部失踪から始まった諸々の情事は、私の仕業です」 死刑宣告と大差ないであろう言葉が、ティアナの身に重くのしかかる。 高遠の告白に関して、ジェットが訝しげな表情で尋ねた。 「……解せんな。この期に及んで、なんでおまえさんが全てを自供する? 罪が軽くなったりはせんぞ」 「心得ていますよ。いや……実を言いますと、絶望してしまいましてね。なにもかも……ほとほと疲れました。 私が今まで舞台だと思いこんでいた場所は、他人の畑。役者は全員、履歴書を偽装していたわけです。 これでは上手くいくはずがない……理解したら、過去の自分が急に馬鹿らしくなりましてね。 ……まぁ、金田一君の死も、ある程度は影響してるのでしょうか」 高遠も重傷の身であろうことは間違いないが、彼の語調は常と大差なかった。 それだけに、ジェットはますます憮然顔だ。高遠の遠まわしな説明だけでは、納得できていないのだろう。 「……ジェットおじさん、気がかりなのはわかるけど、もうこの男に後がないことだけは事実だ」 「いや、待て。高遠についてもそうだが……おまえのそれはなんだ? おまえ、本当にチェスなのか?」 「……それは、後で説明するよ。今は、それよりも」 来訪から今の今まで、チェスは子供特有の溌剌さを消し、陰を纏って喋っていた。 まるで別の人格に入れ替わったかのように、妙な風格がある。 そのままの風格で、チェスはデイパックを探り出した。 「ガッシュ。これ、君の本でしょう? 返しておく」 出てきた赤い本が一冊、ガッシュの下に放られる。 「これは剣持警部の荷物。危ないものも入ってるから、ジェットおじさんに預けるね」 出てきた別のデイパックが一つ、剣持の下に放られる。 「それと……うん。これで、この事件もおしまいだね」 最後に、一振りのアゾット剣を取り出して、チェスはデイパックの紐を閉じた。 「チェスくん……?」 「チェス、おぬし……」 ミリアとガッシュの心配そうな声と瞳。 チェスは向き合わず、蹲る高遠を睥睨した。 「まさか……チェス」 チェスの行動の真意に気づいたジェットが、一歩踏み出す。 が、 「来ないで!」 チェスに制され、それ以上を踏み出せない。 声もそうだが、なによりもその手に握った剣が、頭上高く掲げられていたから。 誰もが理解し得る、単純な図式。 チェスが掲げた剣を振り下ろせば、直下の高遠は死ぬ。 「やめ……やめ……やめてぇぇぇ!!」 気づいた者の中で、先んじて待ったをかけたのがティアナだった。 涙声のまま、懸命に高遠の救命を懇願する。 だが、高遠の犯罪に本意ではないにしても加担していたティアナの言葉を、チェスが聞き入れるはずもない。 「今さら勝手なことを言うなよ! おまえたちが……おまえたちが滅茶苦茶にしてくれたんじゃないか! これは処刑! 罪を犯したおまえらは、揃ってここで死ぬんだ! ボクがこいつを殺したら、おまえも死ね! 自殺する勇気がないって言うんなら、ボクが殺してやる! おまえら二人とも、ここで終われ!」 生殺与奪の権利は、完全にチェスの手中だった。 だがチェス自身、振り上げた剣は望む結果ではないのか。 ティアナ同様、瞳からは大量の雫を零している。 ガッシュには、それが許せなかった。 ◇ ◇ ◇ *時系列順で読む Back:[[グッドナイト、スイートハーツⅡ]] Next:[[グッドナイト、スイートハーツⅣ]] *投下順で読む Back:[[グッドナイト、スイートハーツⅡ]] Next:[[グッドナイト、スイートハーツⅣ]] |217:[[グッドナイト、スイートハーツⅡ]]|ティアナ・ランスター|217:[[グッドナイト、スイートハーツⅣ]]| |217:[[グッドナイト、スイートハーツⅡ]]|ジェット・ブラック|217:[[グッドナイト、スイートハーツⅣ]]| |217:[[グッドナイト、スイートハーツⅡ]]|チェスワフ・メイエル|217:[[グッドナイト、スイートハーツⅣ]]| |217:[[グッドナイト、スイートハーツⅡ]]|ミリア・ハーヴェント|217:[[グッドナイト、スイートハーツⅣ]]| |217:[[グッドナイト、スイートハーツⅡ]]|高遠遙一|217:[[グッドナイト、スイートハーツⅣ]]| |217:[[グッドナイト、スイートハーツⅡ]]|ガッシュ・ベル|217:[[グッドナイト、スイートハーツⅣ]]| |217:[[グッドナイト、スイートハーツⅡ]]|アレンビー・ビアズリー|217:[[グッドナイト、スイートハーツⅣ]]| |217:[[グッドナイト、スイートハーツⅡ]]|ビシャス|217:[[グッドナイト、スイートハーツⅣ]]|