04「ハニームーン/クレイジーエンカウンター 後編1」

※ 割とだらだら喋ったりご飯食べたりしているだけです。中編もでしたが、飲酒シーンありますけど、この世界的にはフィロは成人してますので。

※ 食材とか料理とか、中世風ファンタジーにここまでねえよ! と思っても余程でない限りは寛大な心でスルー推奨。あんまりだったら突っ込んでください。


 ヴェイ──ヴェイバロート殿と呼ぼうとしたらヴェイって呼ばないと返事しねえと言われてしまった──の姿に見覚えがあるのは、彼が顔役であるならば不思議なことではなかった。父上の名代として『地上』に上がることの多い私は、議会の上層構成員と何度も顔を合わせる機会があったからだ。
 直ぐにそれと解からなかったのは、髪型や雰囲気、口調の差異ゆえに。顔役として顔を合わせた彼は、髪を後ろに撫でつけ、若いながらも威厳のある態度と言葉遣いをしていたから。
 それでも気配に、魂の色に注視すれば直ぐ解かることであったのに。本来の目の方を開けていると、どうしても『地下』にいる時より物理的な視覚の占める情報量が多く其方に意識を引っ張られがちになる。
 ……まあ、このようなことは言い訳だ。"蜜月(ハニームーン)通り"の知人の中で、現状ロゼが一番頼りそうなのは彼であり、ヒントはあちこち散らばっていたのに。
 リリアローゼが黙っていたのは私が畏まらないようにか、あるいは只単に吃驚させたかっただけか。おおよそ後者ではないか、と思えてしまうのはロゼの普段の行いゆえだな。

 ヴェイバロート・ベイル。
 五年前に没した先代の推挙を受けて"蜜月通り"の顔役になった人物。
 リリアローゼからすると遠い子孫に当たるという。といっても、吸血鬼としての特性は血の薄まりと共に殆ど喪われているそうで、ロゼも彼が前顔役の秘書になるまでこの街にいることを知らなかったようだ。
 知り合ってからは何かと懇意にしているようで、『特区』にいながらも人脈やら諸々の伝手で情報を手広く集めるリリアローゼとは情報交換をよくしているらしい。
 そういえば彼は素性を隠して情報屋のようなことをしている、とも聞いていた。今見せているのは『情報屋』としての姿なのだろう。
 この寛いでいる様子からすると、此方の方が素なのかもしれないが。

 通された奥の廊下を進んだ先、入った密談用の個室は、それなりにゆったりとした広さの四角い部屋だった。もっと多い人数で使うこともあるのだろう。五、六人程度なら余裕で入れそうだ。
 窓はなく、淡い金色の洋灯が左右の壁に二つずつ点り、室内を静かに照らし出している。部屋を囲む琥珀色の壁は厚そうで、成る程話した内容はこれならおいそれと外に漏れたりはするまい。
 先程通ってきた廊下に続くドアと部屋中央に配置された方形の机、椅子は落ち着いた黒褐色。机上には白いリネンのクロスが掛けられ、真ん中に小さな硝子の盆。中には咲き初めの夏菫の花が活けられている。

「そういやさあ、嫌いなものってあるか? 予め食事、頼んであんだけど。苦手なもんあったら悪ィかなって」

 テーブルを挟んで互いに腰を下ろした所で、すぐに本題が始まるのかと思いきや──ヴェイが軽く小首を傾げてそんなことを聞いてきた。
 話をする席で一緒に食事を取るというのは、侭あることだ。相手と同じ内容の食事を取る、というのはただ食べるという以上の意味がある。それは一種の親密になる為の儀式だ。
 中には同席の上で毒を盛る、などという輩もいる訳だが。本来食事というのがリラックスして楽しむ場であればこそ、その油断を突くという論理は成り立つ。

 ヴェイは、その本質まではまだ図れねど、少なくともこうして見る限りは社交的な男なのだと思う。ただ例の案件について話をするだけなら直ぐにでもできる。それなのに食事など用意していたり話かけてきたりする、というのは、事務的な用件だけで終わらせるのではなくもう少しゆったり時間をとると、そういうことではないのだろうか。
 それが無駄だと言う程に狭量でも切羽詰まってもいない。気にはなっているが、そも、もっと危急の内容ならば地上で話すより早く別の伝達手段をとるだろう。だから、私は彼の話題に乗ることにした。

「いや、特に食べられないものはない。……あ。物理的に消化できない、鉱物などは無理だが」

 後半、私は少し遠い目になりながら答える。岩巨人の若夫婦にご馳走しますよ、と瑞々しく輝く果物──のような採掘したての宝石を出されて、申し訳なかったがどうしても食べられずに手をつけないまま返した、苦い記憶が頭を過ぎる。あの時の罪悪感といったらなかった。なので、食べ物の好みを聞かれたときは、消化できないものは無理と返すことにしている。

「そりゃ、俺だって食べられねー。どんだけ切ない食事風景だよ……って、あー、『特区』じゃそーいうのが主食のもいんのか。純粋な好奇心で聞くけどよ、『特区』の食卓ってどうなってんの? あんま下の細かい食糧事情にゃ明るくねえのよね」

 後学の為に聞かせてちょーだい、と頼まれれば、『特区』の存在を知っている相手の前では別段隠すことでもなかったので、少し考えてから口を開く。

「種族にも拠るが、少なくとも人に近い形をしている者は、極端に上と違う食生活をしているということはない。メインはキノコと木の実、野草類、森やダンジョンで狩る獣の肉、虫、水域で取れる魚などだな。一部の野菜や果物、芋類、穀物などは魔女族や異能者たちなどが育てている。地上に比べれば収穫は微々たるものだが」

「おー、結構色々あんのね。案外食生活豊かなのな? ああ、でも豚とか家畜はいないか?」

「一応、家畜も飼ってはいるが、食肉用にするほどの数はいないな。卵や乳を採る為に牛や鶏、山羊などを細々飼っている位で。それらも貴重品だ。あと足りないものは『地上』と交易して仕入れる──というのは貴方もご存知だろう」

「ふむふむ。じゃあ、これが足りないとか、これが人気ってあんの?」

「……足りないといえば、調味料だな。岩塩、幾らかのハーブ、蜂蜜、植物由来の香味料など有るものでなんとか味付けする。だから、『特区』の料理は基本的に薄味だし、地上ほど複雑な味付けはできない。甘いものは人気……だと思う。何しろ、砂糖は『地下』ではほぼ取れないからな」

 一部の魔女が特殊なビートを煮詰め、独自の製法で砂糖を造っているそうだが、秘伝である上に製造量は少なく、おいそれと分けて貰えるものではない。砂糖を用いたあまい菓子は、特別な祝祭の日やもてなしの為のご馳走になることが殆どだ。
 『特区』から父様とロゼに連れられてはじめて『地上』に上がった時、何に感動したかといえば、町並みや人の多さ、豊かさと同じくらいに料理と菓子の美味さだった。子供心には美味しい食べ物という奴は麻薬以上の誘惑を持ち合わせたものだ。皆にも食べさせてやりたい、と駄々を捏ねて父様とロゼに無駄に労力をかけさせてしまったのは今考えると物凄く申し訳ないのだが。
 懐かしさと気恥ずかしさを思い出しつつも、表面上は平静を繕い、「こんな所で良いか」と締めくくると、興味津々という様子で聞いていたヴェイは頷きで返してきた。

「なるほどなー。んじゃ、喜んでいいぜ? 料理はそんなに濃い味付けじゃねえし、デザートはちょっと珍しいとこで夏蜜柑を使った氷菓子を作って貰ってる。お楽しみになー?」

 話をしてたらほら来た、と楽しそうなヴェイの笑顔に促されて振り返ったところで、こんこんとノックの音。

「開けてもいいですかにゃ?」「お料理お持ちしましたのにゃあ」

 猫訛りはカウンターにいた"猫妖精(ケット・シー)"と同じだが、声色が少し違う。もう少し高い。そして二重奏だ。一度席を立って内開きの覗き窓から様子を窺うと、食事用ワゴンを伴い赤いチョッキと給仕用エプロンを着けた猫妖精が二匹、ドアの前に居た。

 それを確認してからヴェイの方に目を遣ると頷くのが見えた。もう一度、自分でも扉向こうに不審な気配がないかを確かめてから扉の鍵を開けた。
 曲がりなりにもヴェイは街の要人のひとりである。隠蔽術式で気配を巧妙に偽造し、髪型や服装、態度を変えて変装していても、彼の正体を見抜き命を狙う者が来ないとは限らない。
 顔役であるならば信用できる部下を何人か、それと気づかせず忍ばせている可能性はある。それでも頼り切って気を緩めすぎるのが良いとは思えない。警戒しておくに越したことはないだろう。

「──構わない」

「はあい、お邪魔しますのにゃ」「ご注文の品をお届けですのにゃあ」

 返答を受けて扉が開かれた。小柄な身体で一生懸命、木製のワゴンを押しながら入ってきた猫妖精は、カウンターにいたバーテン猫とは違い全体的に黒毛で、耳や手足の先だけが白かった。先にドアを開けながら入ってきた猫妖精も同じ毛色である。大きさも寸分変わらなかったが、ワゴンを押してきた方はかぎ尻尾で、先に入ってきた方は真っ直ぐな尾というところが異なっていた。それ以外は本当にそっくりで、どちらも緑の目をして愛想よくニッコリと笑い、器用に手分けして二段式の押し車から料理の皿を運び、テーブルの上に綺麗に並べていく。あの大きな猫そのもののふわふわした手が、時にひとよりも器用に振舞えるのは"猫妖精"が生来帯びる魔法の一つなのだという。
 神代の頃、彼らケット・シーはさして器用な種族ではなかったという。けれど、夜の神と月の女神が邪悪な存在の姦計により力を奪われ窮地に陥った際、どの種族よりも早く馳せ参じ、獣の手では武器を持つことができないにも関わらず、爪と牙だけで勇敢に戦い続け──神々を守り抜き、力を取り戻す助けとなった。月と夜の夫婦神は"猫妖精"の尽力と勇気に心から感謝し、彼らひとりひとりの手に祝福の口付けを与えて回った。かくて彼らの手指は夜と月の寿ぎによって、他種族に負けす劣らぬ器用さを得たのだ。そう物の本は語る。
 真実はどうあれ、そんな説話を私が思い出す程度の短い時間で配膳は終了していた。 デザートは氷菓と聞いていたから恐らく後に運ばれてくるのだろう。少なくとも今はテーブルの上にその姿はなかったが、それでも、出来立てを運んできたらしい、テーブルいっぱいに適切な温度の保たれた料理の数々が並ぶ光景は壮観だった。

 "髪長姫"の屋号にあわせてか、野萵苣を中心に香草と葉菜がボウルいっぱいに盛られ、その上に点々と置かれた完熟の唐柿が鮮やかな彩りを添えるサラダ。
 スープの具材はごろごろと豆類。レンズ豆にひよこ豆。更に細かく微塵に切られた玉葱、人参。スープ自体は透き通る琥珀色で、匂いからすると野鳥を使ったコンソメだろうか。
 メインディッシュは、バーテンも勧めていたが虹鱒──コンフィにされたものが何匹も白い皿の上行儀よく並び、艶やかな油の衣と色とりどりのペッパー、大蒜の欠片、フレッシュなディルに飾られている。
 桃色のベーコンを刻み、松葉独活とジャガイモ、茸と共にトロトロになるまで牛乳で煮込んだもの。全体的に白がかって柔らかそうだ。
 こんがりと狐色に焼きあがったパイ皮からして美味しそうな包み焼き。香ばしい装いの下に収まった中身は恐らく羊肉だ。加えて季節はずれの林檎を使っている辺りかなり贅沢をしている。
 飲み物として用意されているのは、蜜月通りの名物である、金の三日月の意匠がラベルに施された"蜂蜜酒(ミード)"──"糖蜜の月(ハニームーンシロップ)"だ。
 主食はパンで、ライ麦のものだけでなく、芳ばしい胡桃パン、ふかふかの白パンの三種が、ざっくりと編まれた籠の中、山と詰まれている。
 アルコ・イリスらしい多彩な食材と調味料を生かした料理たち。においが、湯気が、彩りが、すべてで腹に訴えかけるように強烈な誘惑を部屋中に放っていた。

 七虹都市は食卓までも虹色に輝くと、紀行本などに書かれることが多い。世界中から様々な物が集まるということは、それだけ食材、調味料、料理法といった食を豊かにする要素も集まるということだ。
 遠くから運ばれてくるものはどうしたって高くなるが、この街で手にはいらない食材は諦めた方が良いと言われる位に、アルコ・イリスで商われ流通する食品は数も種類も多く、バラエティに富んでいる。それを生かし、食材のまま売るのではなく、加工し、調理し、客に提供する店は少なくない。アルコ・イリスには酒場も飯処も数多い。
 なかでも"蜜月(ハニームーン)通り"、"天空(スカイブルー)通り"は虹の都における味の双璧であると言われる。外からの客を取るべく様々な国の味を再現した店や複合型の多国籍料理店、創作料理の店などが鎬を削る。酒場でも何かしらの形で料理を提供するところが殆どだ。もう少しゆったりとアルコ・イリスらしい無国籍で雑多な味わいを楽しみたいなら、市民向けの飯店が多い"翡翠(ネフライト)通り"や"柘榴石(ガーネット)通り"に行くのも良い。中央区も官僚や学生狙いの店、隠れた名店があると聞く。──詰まる所、おおよそ何処でも街壁内ならば食事を取る場所には困らない。

 このバーで食事を取るのは初めてだが、予想以上に手の込んだ物が出てきた。万が一があってはいけないと、こっそり竜眼の方で一瞥してみたが、毒など不穏な気配もない。とても美味しそうだ。思わず視線がテーブルの上に釘付けになった私を見て、ヴェイが笑みを深めていた。機嫌の良い猫のような、楽しそうな顔だ。
 ちょい、とヴェイが黒猫妖精たちを自分の下に手招きし、幾らかの硬貨を柔らかな猫手に握らせる。客からのチップは、ウエイトレスやウエイターにとってはちょっとした収入源である。

『ごゆっくりどうぞ、なのですにゃ』

 綺麗に挨拶を唱和させ、心づけを受け取った黒いケット・シーたちは揃ってぺこりと礼したかと思うと、来た時と同様食事ワゴンを押し押し部屋を出て行った。どちらの尻尾もゆらゆらと、嬉しそうに揺れていた。仲睦まじく息の合った様子と似た容姿からしてきょうだいなのかもしれない。

「フィーちゃんも戻って来いよ。折角の料理が冷めちまうぜ」

「……その呼び方は辞めて頂きたい」

 おそらくロゼあたりが吹き込んだのだろう呼称に軽く眉間の辺りを押さえつつも、結局手招かれるまま席に戻る。余り待たせるのも悪いと思ったからだ。けして"わたしをたべて"とばかりにアプローチを続ける料理の誘惑に負けたわけではない。

「えー、可愛いじゃん。フィロスタインって長くて呼びにくいしよう」

「男は可愛くなくて結構。呼びにくいならば、ただフィロと。──それよりも、早く食べないと食事が冷めてしまう、といったのはヴェイ、貴方では?」

「ぶー、ぶー、フィロってば可愛くねえ切り返しー。男だって愛嬌は重要だぜ? ……ま、飯に関しては言うとおりなんだけどさ。この後に用件も控えてるわけですしー、美味いものはさっさと食べ始めますか」

 子供みたいに唇を尖らせて拗ねた顔を見せていたかと思えば、するりと切り替えて料理に対する期待に満ちた顔をする。ヴェイは本当によく表情の変わる男だ。
 なんだろう、プライベートの彼とこうやって話すのは初めてなのだが、気安くやり取りできてしまうのは──ヴェイがリリアローゼに似た見目と雰囲気を持つからか。彼自身がとても気さくな調子で話しやすいというのもある気はする。最初にヴェイから感じた異様な感覚は未だ消えたわけではないが、話をしているうちにそこまてせ気にならなくなってきた。別段敵意を向けられている訳ではない。気を張りすぎるのも悪い気がしたのだ。そうして、こちらが警戒を緩めると不思議と向こうも静かになったように感じるのだから不思議だった。まるで、ヴェイが纏う服が生きているかのような──というのは考えすぎか。

 不思議といえばもうひとつ。同じ顔役でも、"柘榴石(ガーネット)"のルーファス殿などは父上と親交があり、私的に『特区』を訪うこともあるのでよくして頂いているが、顔役としてのヴェイバロートと顔を合わせた時には、まさかこんな風に格式ばらずにひとつの食卓を囲んで、話をすることがあるなどとは想像したこともなかった。だが、悪くはない。人の縁というのは不思議なものだ。
 これも席を用意したロゼの意図のひとつなのだろうか。人脈の大切さを何より知る彼女は何かというと私を自分の知り合いと引き合わせたがる。

「それじゃ、──アルコ・イリスの前途を願って? この良き夜に感謝して?」

 芳醇な甘い香りを周囲に燻らせながら蓋を開けた蜜酒を、手ずから酒杯に注いで私の前と自分の前とに置きながら、ヴェイは何やら悩ましげな様子でいた。まったく気負いなく飲食物に手をつける様子からすると、毒物に耐性があるか、それと察せるかのどちらかなのだろうか。何にしろ、探った範囲では問題ないようだったけれど。
 暫くやがて意の定まったように、ヴェイは金瞳を細めて頷いた。

「ああ、いや、これがいいな……新しい友人に」

 語尾は片目を瞑って悪戯っぽい言い回しだった。硝子杯を掲げたヴェイは、外見相応かそれよりも若く見えた。恐らくそこまで深い意味はないのだろうが、それでも、友人という響きは嫌いではない。少し、ミケルのことも思い出した。本当にヴェイともそうなれるなら、友達が増えるなら、それはとても喜ばしいことなので──今はまだ口の上でだけかもしれなくとも。少なくとも異存はないと小さく頷いて返し、私もグラスを手に持つ。

「新しい友人に」

 同じ言葉を返して、私たちは『乾杯』と酒杯の縁と縁をぶつけあった。

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最終更新:2011年07月06日 22:56
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