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モニカ・フォン・オックス
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asaahingaeaw
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プロフィール
| 実父 | ハルトヴィン・ヨーゼフ・オックス |
| 実母 | アルベルタ・フロレンツィア・フリュム |
| 夫 | アルフォンス・エルンスト・アンデルス |
| 実子 | コルネリウス・フォン・オックス、アッサール・イェルハルド・オックス、ベアトリクス・セシリア・オックス |
| 生年 | 帝国暦1161年 |
| 没年 | 帝国暦1227年(享年65歳) |
| 家名 | オックス伯爵家 |
| 紋章 | マクイルの小紋章 |
| CV | 高野 麻里佳 |
現在のオックス伯爵家の祖となる人物。女性騎士でありながら武勇に優れており、様々な武勇伝や伝説を後世に残している。緋と紅の焔の騎士団(グゥ・デ・ムーファナイツリッター)を開設した偉人なる人物。忠誠心と武勇、内政には自身があったようで指揮官としても推定、5〜6億人は連れていたという。今の侯爵の動員兵数の上限が3億人で伯爵は1億人と考えると末恐ろしい人物である。また女性ながら剣術の腕には自身があったもようで墓からは銀の剣一本が見つかっている。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などを否定した人物であり、アドラステア帝国を無神論国家に導いた人物。現在の聖剣ヴェスティパイアは彼女が所有した剣であるとされている。なお日本ではモニカ・フォン・オックスと英語やドイツ語を通して翻訳されているが彼女の正式名はモニカ・ブリュンヒルデ・オックスフォースである。またはモニカ・ブリュンヒルデ・オックスと呼ばれるが略した言い方なので大した違いなはない。
人物像
彼女は瞳が赤色。髪が赤色でアドラステア帝国風の銀色や金色+赤色や黒色などで装飾された鎧を来ており、また槍や剣を持って馬に乗って戦ったとされている。また黒魔法の天才でもあったため、重宝された。また女性ながら数々の将を討ち取っている。
モニカの戦歴
モニカの初陣は帝国歴1186年の鷲平原の戦いだとされている。ここで4000人の敵(同盟軍)を討ち取る姿から「赤の猛牛」と恐れられるようになり、以降は同盟軍との戦いで活躍したとされている。最後は男爵家だったオックス家は伯爵家と昇格させた。それは貴族の転封(第一次貴族転封政策)において転封されたからである。第二次アミッド大橋の戦いでは彼女はローレンツを討ち敗り、デアドラの戦いでヒルダを討ち取る活躍を見せた。覇権戦争は77つもの戦役があったとされているがその内、同盟軍攻略戦32戦のうち17戦出陣していて無敗である。モニカ軍は突撃を繰り返すなどして敵の側面や背後を叩く戦法を取るため異名の「赤の猛牛」はそこから呼ばれるようになったという。
