戸田城聖指導集

元ネタ語録 > 戸田城聖指導集


ほとんど日蓮正宗側の映像・音声だと思われますが、「ロサンゼルスアメリカSGI&関西合同総会(痴呆との遭遇)」の画像が背景になっている部分等があるため気をつけないと削除される可能性あり。



(タイトル:戸田城聖指導集)
(テロップ:当時の創価学会本部)
昭和27年、創価学会は日連正宗の信徒団体として宗教法人の認可を受ける。
(テロップ:戸田城聖二代会長)
その前年の昭和26年12月18日、当時会長職にあった戸田城聖氏は宗務員の命により緊急登山をする。それは、創価学会が宗教法人設立にあたり総本山より三箇条の要望が出されたからである。
その要望とは、
1.折伏した人は信徒として各寺院に所属させること
2.当山の教義を守ること。
3.佛・法・僧の三宝を守ること。
と、以上の三箇条である。
これを受けて戸田会長は決意を述べられる。それは「我々の活動が全国的活動となり、邪宗との決戦に至る時の大難を予想して本山を守護し、批難を会長の一身に受けるの覚悟に他ならないこと」と述べられ、「設立に対して、本山より差支えあるとの言葉があればその指示に従うものである」と敬虔な態度で臨み、宗教法人設立の運びとなる。

それから46年、平成9年11月30日。
創価学会は名実ともに日連正宗の信徒としてその資格を失った。
本山の教義を守り、本山を守護すべきなはずの創価学会員がどうして信徒除名になってしまったのであろうか。
(テロップ:戸田二代会長)
(テロップ:スピーチする 池田名誉会長
それはとりわけ、総本山厳護を誓った戸田会長と現池田名誉会長との指導に大きな開きができ、挙句の果てには創価学会が外道に染まった新興宗教と化してしまったからである。

では当時の戸田会長の指導を紐解き、現在の池田創価学会との指導の違いを検証してみよう。
(テロップ:52年路線を謝罪する池田氏)
昭和52年路線以降、くすぶり続ける宗門と学会の関係。そしてその不透明な関係は平成2年11月16日池田大作自らのスピーチから宗門攻撃の火蓋が切って落とされた。
(テロップ:第35回本部幹部会スピーチ)
(テロップ:本山 池田氏を総講頭から罷免)
このスピーチをめぐり、宗門と創価学会の関係悪化が表面化する。平成3年、年明け早々、学会は総本山やご僧侶に対する誹謗・中傷記事を聖教新聞などを使い全国一斉に流す。と同時に、学会員の宗門側への流出を避けるために、寺院参詣禁止、総本山への登山を禁止する旨を、学会特有の口コミ情報で組織内に流す。その内容たるやあまりに低俗なレベルであり聞くも耐えないものであった。
例えば、「登山したら宿坊でごちそうになり、20万円請求された」「お山は荒れ放題で野犬がうろうろしている」また、「与太者が徘徊して登山をするのは危険だ」など聞いて呆れることばかりであったが、純粋な学会員はその怪情報を本当に信じてしまったのである。
その結果学会員たちの日蓮正宗への対する信仰心が徐々に薄れていってしまったのである。では戸田会長は、寺院参詣、総本山参詣の心構えを何と言って指導していたのであろうか。

戸田会長講演集には、「なんと言っても御本山に登り、親しく大御本尊様を拝まなくては本物の信心になれない」。また論文集の中では、「私たちは無知な人々を導く車屋である。迷っている人があれば車に乗せて大御本尊様の御もとへ案内していくのが、学会の唯一の使命である。」と述べられている。
(テロップ:昭和29年12月15日 高崎勝妙寺落慶式)
昭和29年12月15日、高崎勝妙寺落慶式のり、戸田会長は、
戸田会長の肉声「(ムワァ)で、寺ができた以上には、今度、私の言うことを忘れて、いてほしいのは、1.信心を基調にして、折伏することと、2.お寺を大事にすることと、3.御本山に尽くすことは当たり前のことなんだからね。それが自慢のようになってはもう信者としては資格がない!ええか?もう1度言うよ?折伏することと、お寺へ尽くすことと、御本山への御奉公はこれ当たり前のことなんですよ。それを従ったって何も偉いんじゃないんだよ」
と、このように戸田会長は、お寺を大事にすることと、御本山に尽くすことは当たり前と指導している。しかもそれを自慢するようでは信者として資格がないとまでも言っているのである。
ではもう1つ紹介しよう。ここでは寺院の大切さを3人の総代を例に挙げて指導されている。
(テロップ:昭和29年11月10日 軽井沢妙照寺落慶式)
以前に大阪へ行きました。大阪の本伝、本伝寺だね。あれは。行ったその時の感想を1文申したい。総代3人焼けた、寺の跡を建てるために、人生一代を懸けお建てになった。私はその時に、その3人のご総代を拝みまして、こんな立派な手ではありませんよ。この3分の1もないようなお寺を立てられるんです。3人が(不明)をして立てられた、あーのご立派なものだ。まだ日蓮正宗の信心は、書いておらん。その翌年、高田尊師が、エ"ェ"ー"ッ"、その内に、もう1部屋立てますことを私にお話しくださいました。私は嬉しくてたまらなかった。建てたくて建てない。それで、しかし、私には建てる力がない。力というのは金ではありませんよ。その本伝寺のご3人の、このご総代の万袋に対して、私がでしゃばって立てるわけにはいかないのです。
そこでご総代3人にお出ましを願って、戸田がなんとかいたしますが、皆さんいかがでございましょうかお願いいたしますと私から手をついて頼んだ時に、そのご総代の態度のご立派なく『え、いりません。まだこの寺を立てた借金が残ってる。それを我々の手で払っててから、しかるの地に改めてお願いいたしましょうと一言言われました時に、またまた私は頭を下げた。寺を保つということはこれくらいご立派でなきゃならんとわたくしは思うのです。軽井沢へ、軽々と寺を立ったからと思って、この寺を粗末にするようなことはあいならんと私はこの本伝寺のご立派な三人の総代を手本として、あんた方に言いつけるが守れば」
信者「はい」
しかし、今の池田は何かと言うと「全て私がやった」「私が全部やった」と自慢する。お寺を粗末にするなという師匠の言いつけを弟子の池田は全く守れていない。

ではここで当時行われていた質問会の指導を聞いてみよう。
登山界の折、悩める学会員の質問に戸田会長が自ら答えていた貴重な質問会である。ここでも戸田会長は総本山参詣のことをこのように指導している。
戸田会長「私は5分でも10分でも命のある限り、本山に尽くす決心であります。(唐揚げのあげる音)もし、もし、(不明)のうち(不明)のうちの1人にでも、弟子の1人にでもなれれば、これはわし生涯の幸せと思うだけで、わしは(不明)様の、さ、様の、(不明)ではないけれど!ね、そういう風に心で願うております。ね、そのうちの1人の弟子でもありましょうよ。お少しいたします。命のある限り御本尊のために、この命は捨てては働くつもりです。」
寺院、そして総本山根本の精神がひしひし伝わってくる指導ではないか。今の学会のように、「もう登山は散々したから良い」とか、「家のご本尊だけで十分だ」などと言っているが。戸田会長が聞いたらどんなにお嘆きになるだろうか。

次に広宣流布についてはどのような指導をしていたのであろうか。
(テロップ:広宣流布)
現在の創価学会の主張としては「いよいよ本格的な世界広宣流布の時が訪れていますが、広宣流布の旗印として日本国の流布の時に先駆けした日寛上人の御形見御本尊が再び世界広宣流布のこの時に出現したことは極めて意義深いことです」などととんでもないことを言っている。
ご本尊を旗印として今の池田創価学会は一体何を広宣流布するというのであろうか。
学会内部文書によると「三類の強敵を呼び起こした池田先生を師匠として前進を続けるのです」とあるが池田大作の思想そのものを広めようというのであろうか。
ではここで戸田会長が残された指導を聞いてみよう。
戸田先生「真の広宣流布は本尊流布になければならないのであります。(殻が下を上げる音)日本国中の人々がいかに大御本尊様がありがたいかということを肝に命じてこそ真の広宣流布ができるのであります。」
(テロップ:広宣流布とは本尊流布である)
このように、ずばり本尊流布と指導している。決して一個人の思想なのではなく大御本尊様のありがたさを肝に銘じさせることのである。そのご本尊様はなんと旗印などと蔑んだ言い方をしているが、その増上慢的な考え方を折伏教典では次のように破折されている。
(テロップ:折伏教典 P362)
「大雑把に、常識で判断してみても、日蓮大聖人や釈尊が命がけで一生涯かかってお説きくだされた御法門を我ら凡人が少しばかり研究して分かる。などということはまことにおかしな話である。」と今の池田総画学会の浅はかさを破折しているのである。
(テロップ:池田先生が経文通りに『法華経の行者』になった???)
(テロップ:折伏教典 P181)
また池田先生が経文通りに『法華経の行者』になったなどと身のほども顧みず学会員を騙しているが、戸田会長は折伏教典の中で末法の法華経の行者、いわゆる上行菩薩の付嘱について、仏教の心髄は血脈相承・師資相承、といって必ず面授口決の御相伝に依らなければならないと指導している。
(テロップ:変質者池田大作)
一体法華経のどこの、ましてや5書のどこに2人目の法華経の行者が末法に出現すると解いてあるのか。まして池田は釈尊や大聖人様とどこで面授口決されたというのか。
(テロップ:四菩薩造立抄)
私ならざる法門を僻案せん人は偏に天魔波旬の其の身に入れ替はりて、人をして自身ともに無間大城に墜つべきにて候。つたなしつたなし。

(テロップ:公明 浜四津代表)
それから政党政治についても広宣流布を鑑みた指導を残しており、今の誤った学会の選挙戦のあり方・公明党のあり方を見破るかのような指導を残している。
それは。
戸田会長「政治の為の政治ではありません。またある人はそういうのならば創価学会党というようなものができて、それで広宣流布するのではなかろうかと考えるかもしれませんが、決して政治の為の政治でありませんから一党一派に偏するものではありません。それから部員は1人は社会党であり、1人は自由党であり、1人は民主党であり、中には1人が共産党であったとしても一行差支えないのであります。政治のための政治ではなく、広宣流布のための政治であるからであります!」

では次に信仰の根幹、自身の成仏がかかった御本尊の取り扱いについてはどのような指導がなされていたのであろうか。
平成7年1月17日早朝、神戸市中心を襲った阪神大震災。前日には神戸地区に大量の偽本尊が配布された。この惨状はその結果としての僧罰ではないだろうか。これもひとえに、大石寺からの正当なご本尊を勝手に返却・焼却した厳罰である。ではご本尊様を御不敬した場合はどのようなことになるか戸田会長の指導を検証してみよう。

(テロップ:論文集 P180)
大聖人様滅後七百年の今日においては、本尊雑乱はなはだしきものである。日連正宗の本尊を除いてはことごとく天魔外道の本尊である。
姿は仏に似せようと神を表そうと皆内証においては天魔外道である。
(テロップ:折伏教典 P392)
本州に伝わる末法総与の大御本尊をまねたり、一機一縁のご本尊を担ぎ出す、いわゆる付嘱のないもの。これは偽札本尊と言ってこれらを本尊と立てる連中は「御本尊は誰が書いてもよい」などと口走るのである。
(テロップ:折伏教典 P353)
本尊は誤って、口ばかり唱題を唱える、邪宗を信ずる者こそ、不信の徒輩であり、邪宗・謗法の輩こそ不審の徒である。
(テロップ:折伏教典 P320)
御本尊が大聖人の御真筆であっても、大御本尊に直結しなければ何の功徳もないのである。富士大石寺の大御本尊を拝まない者は全て謗法である。
(テロップ:折伏教典 P322)
富士大石寺に背く謗法の輩が持つ御真筆の御本尊には大聖人の御魂が住まわれる訳がないのである。
(テロップ:折伏教典 P323)
また信仰の対象として一切を捧げ南無し奉る御本尊であるから、お山においては御相伝により代々の御法主上人様をお一人がお認めあそばされるものであり、我ら信者が云々すべきも恐れあることである。
(テロップ:巻頭言 P118)
富士大石寺にいます一閻浮提舞台総与の御本尊を信ずることであり、大聖人の御命たる大曼荼羅を信ずることであり、その曼荼羅中、極説中の最極説たる、弘安二年十月十二日に御出現の総与の御本尊こそ真の民衆救済の御本体であらせられる。

質問者「あの御本尊様を焼却した人は救われるでしょうか」
戸田先生?「何?」
司会?「えー、御本尊様を焼却した人が救われるでしょうかという質問。」
戸田先生「ああ、焼いたの?」
質問者「あ」
戸田先生「救われます。その代わり、条件がある。その人は地獄に一遍落ちて、ね、落ちてもう悩み切って、そいで懺悔して、それから救われるんです。」

戸田先生「お山に登った以上は、大御本尊様に対し、あんたの心からのことをお願いしなさい。必ず通る。(だー!)通らなかったら御本尊様じゃない!必ずあなたの願い通りになります!お分かりか?」
(唐揚げを上げる音)
戸田先生「御本尊様返すなんて今生がそりゃ良くないよ。そんなことするからろくなことおこんねぇんだよ。だから敷物から出てくるんだ。それを待つ。敷物の前に出るんだよ。御本尊様敷物の前に出ても軽く出る。同じ形では出るけども軽く出る。それでそれが必ず今度御利益に返品する、御利益に。そこが大事なとこなんですよ。この御本尊様ありがとうはそこなんです。」

質問者?「(不明)」
戸田先生?「人の話より!自分のことだけ!」
質問者「(不明)」
司会?「御本尊様をお返ししたそのものが、どのような不幸な状態になるかをお聞きいたしたい。」
戸田先生「これは怖いぞ~。それは怖い。それは、わしの友人、私の友達ですよ。ね、牢の中へ放り込まれた連中が20何人っているんだ。ね、これは戦争時代の、ある種、その放り込まれたやつが、みんひっくるめて御本尊を返した!それが、今、1人としてろくなもんじゃない。生活ができない。中には、ね、その(不明)を恐れ、そして牢にも入れられないのに御本尊様を粗末にした人間がいる。ね、今その子は立派になった今、四畳半にもおれんぞ。だから、御本尊様を粗末にして、満足の生活できたらお目にかかろう!私は名前を言うわけにはいかんけん。ね、今でもわしの所に時折り顔出す人間もある。御本尊本当に守ってればどうにかなる。御本尊粗末にしたもんでろくなもん一人もいない。昔の創価学会の幹部だぜ。それは食うや食わずの生活だぞ。怖いもんだぜ。そりゃ。私はいかなる難にあっても御本尊様だけはお守りしきってきた。(不明)でわしだけはなんとかして生かしてもらってらっしゃい。(不明)(会場笑・唐揚げのあげる音)御本尊様を粗末にして食える奴があるわけ。」

第2次世界対戦中、軍部の圧力に屈して、御本尊を返却した創価教育学会の幹部達を例に、いかに御本尊御不敬が怖いか。厳罰は免れないかを指導している。皆様の中にも大石寺から御加不願った御本尊を御不敬してしまい、学会が勝手に作った偽本尊に変えてしまった人がいるのではないでしょうか。戸田会長の指導によると、そのような人は一度地獄に落ち、懺悔しきった後に救われる。また、それまでな生活ができない。飲まず食わずの生活を送らなければならない。と厳しい指導を残されている。

(テロップ:大橋慈譲御尊師)
神奈川県相模原市の正継寺の住職、大橋慈譲御尊師は、昭和28年5月、戸田会長推薦により住職となられた方である。その当時の回顧録に、こんなのがある。
(テロップ:第64世水谷日昇上人)
(テロップ:第59世日亨上人)
その時の御法主上人は日昇上人で、御隠尊猊下の日亨上人は静岡県函南町の畑にご隠居なさっていた。
新人の住職となられた大橋氏は、御隠尊の堀日亨上人にご本尊の家付を願い出た。上人は御書返済の際に、現行の手直しなどを手ずさったことなどから、昭和28年7月10日、大橋氏にご本尊様を家付してくださった。
(テロップ:戸田会長と日亨上人)
しかしそれを聞いた戸田氏は、若き日の大橋御尊師に対し次のように言ったという。
戸田会長(ナレーター朗読)「何も現在の君の行為を咎めているわけではないが、それは良くないことだ。おじいさんは御隠居さんで、御当代ではない。御隠居さんだとでご相承を受けられているので、ご法体は同じで書かれる資格はある。しかし、よくこのことを考えてくれ。君は御隠居さんを尊敬のあまりにしたことであって、そうかと言って御当代をないがしろにしたわけではない。しかし将来、心出しの良くない人間が出てきて、どうも今の御法主上人は気に入らない。そんな方に御本尊を書写してもらうより、御隠居さんに書いてもらった方が良いと考えて御隠居さんに書いてもらったらどうなるか。1人や2人なら問題はないが10人100人と右に習えして、ついには宗門を2分することになってしまう。」
それを聞いた堀日亨上人は、「戸田がそれほどまでに御法のことを持ってくれることは誠にありがたいことだ。」と言われ、御本尊書写はその後なさらなかったという。
このように戸田会長は御隠居猊下様の御本尊書写さえ宗門のため、広宣流布のためにやめるべきだと主張された。
しかし、今は在家教団の創価学会が勝手に御本尊を製造・販売している。91人の血脈相承を指定して、現御法主日顕上人猊下様書写の御本尊を勝手に偽本尊にすり替えているのである。
戸田会長が心配していた以上のことが平然と行われているのである。
ここでも戸田会長は現池田創価学会の悪行を見抜いていたのだ。

(テロップ:戸田会長講演集(上)P302)
有難くも本日は御本山の猊下のお出ましを願い、畑毛の猊下のお出ましを願って我々としてはこれ以上の名誉はない。
来年の今日までの間に、本当に功徳をつかむ覚悟で、自分の悩みの心に大御本尊様を目の前に浮かべ両猊下を拝もうではありませんか。
それでは私が導師となります。
南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、大御本尊様を目の前に浮かべ、両猊下を拝む。これが血脈相承の御尊体を敬っていた証拠である。
(テロップ:正本堂落慶 昭和47年(1972年))
戸田会長の死後もその勢いにより徐々に会員数を増やし続けた創価学会。その急成長を自分の実力と勘違いした池田。このまま会員が増え続き、やがては政権をも獲得できると思った池田は天下盗りの野望を抱く。しかし、加熱した選挙戦からの選挙違反。
(テロップ:選挙違反で逮捕歴のある池田
強引な布教活動。言論妨害。
(テロップ:昭和52年 言論妨害事件で東京地裁に出廷する池田
盗聴事件。
(テロップ:昭和45年 宮本議長宅盗聴事件
・・・など数えればきりがない不祥事により創価学会は頭打ちの状態が続く。一国の総理大臣になるという夢を打ち崩された池田は、せめても宗教界に君臨しようと企てるが、御宗門の前にあえなく敗退せざる得なかったいわゆる52年路線。
(テロップ:宗門乗っ取りに失敗した52年路線)
創価学会がここまで数を伸ばせたのは、故・戸田会長の死身弘法の、75万世帯の折伏があったからこそであり、決して池田1人の力ではないのである。
その大きな誤ちが今やたくさんの純心な学科員を地獄へ道連れにしようとしているのである。では戸田会長は日連正宗と創価学会の関係とは本来どうあるべきと考えていたのであろうか。
(テロップ:折伏教典 P367)
戸田先生は学会再建以来14年間、初代会長牧口先生の御遺志を受け継がれ、ひたすら大御本尊様へのご奉公に身を捧げ、御本山をお守りする真心一筋に貫かれた。
戸田は決して一宗一派を開くものではございません。ただ命の続く限り御本山へ忠誠一途に尽くすのみであります。
この戸田会長の言葉を戸田門下生はどう受け止めるのであろうか。

質問者「私は日蓮正宗の信者であって創価学会の信者でないと思っておりますが、その考えが違ってるかどうか。」
(会場笑)
司会?「今の方は自分は日蓮正宗の信者であって、創価学会の信者、あれっ会員・・・」
戸田先生?質問者?「悪い、信者です」
司会?「創価学会の信者ではないと思うがいかがでしょうか。」
戸田先生「もうそれでいいじゃねぇか。みんな私自身も日蓮正宗の信者だよ。創価学会の信者なんかあるわけねえじゃねぇか。みんな日蓮正宗信者だよ。創価学会なんていうのは、君らに信心してもらうものもねぇ!俺は、日蓮正宗の信者です。会長自身がその日蓮正宗の信者ですよ。ね?その日蓮正宗の信者でいいじゃねぇか。創価学会の信者なんてならなくてもええ!創価学会の信者・・・(不明)」

(テロップ:戸田門下生の皆さんへ この戸田先生の指導を真摯に受け止め1日も早く脱会されることをお祈り申し上げます)

(テロップ:戸田城聖指導集 終)

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2024年11月06日 18:36
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。