【元ネタ】戦国時代
【CLASS】ライダー
【マスター】
【真名】島津義弘
【性別】男性
【身長・体重】175cm・70kg
【属性】秩序・善
【ステータス】筋力B 耐久A 敏捷D 魔力D 幸運A 宝具B
【クラス別スキル】
対魔力:D
一工程(シングルアクション)による魔術行使を無効化する。
魔力避けのアミュレット程度の対魔力。
騎乗:A
幻獣・神獣ランクを除く全ての獣、乗り物を自在に操れる。
【保有スキル】
カリスマ:C+
軍団を指揮する天性の才能。団体戦闘において、自軍の能力を向上させる。
関ヶ原の戦いにおいて、義弘は島津本家から支援を受けられず、
その軍勢は義弘を慕って手弁当で駆けつけた家臣達で構成されていたという。
勇猛:B
威圧・混乱・幻惑といった精神干渉を無効化する能力。
また、格闘ダメージを向上させる効果もある。
戦闘続行:A
生還能力。
瀕死の傷でも戦闘を可能とし、決定的な致命傷を受けない限り生き延びる。
【宝具】
『島津の退き口(あのもうせいに あいかけよ)』
ランク:B 種別:対軍宝具 レンジ:1~50 最大捕捉:300人
関ヶ原の戦いで敵中を共に突破した僅かな軍勢を召喚。自身も愛馬『膝突栗毛』を召喚・騎乗し、共に突撃を敢行する。
敵が多勢であるほどに宝具の威力・突破力が上昇する特性を持つが、その真価は「島津義弘を生かす」ことにあり、
軍勢の1人1人が義弘のために命を投げ打ち、最後の一兵が犠牲になるまで義弘の命は保証される。
つまり、軍勢が全滅するまで島津義弘は致命傷を受けない。
【Weapon】
『西蓮』
鎌倉時代の僧侶にして京都伝の流派に連なる刀工であった西蓮の作刀。
島津義弘が朝鮮の役で用いたという。
『膝突栗毛』
島津義弘の愛馬。膝を突き曲げて敵の攻撃をかわし、義弘の命を救った逸話を持つ。
ランクにしてC相当の直感スキルを保有し、自己判断で敵の攻撃を回避する。
【解説】
戦国期の武将、大名。島津四兄弟の次兄。長兄である義久に仕えた。
「雄武英略をもって他に傑出する」と評された猛将で、鬼島津の異名を取る。
若年期から猛将ぶりを発揮。寡兵で大敵を破ることもしばしばで、島津家が九州に覇を唱える一助となる。
しかし、天下を掌握した豊臣秀吉の九州平定軍に対しては力及ばず敗北。
なおも徹底抗戦を唱えるも兄の説得によって意見を翻し、降伏を決断した。
以後、島津家を分裂させる狙いもあってか、豊臣家は義弘を島津家の当主として扱うようになる。
義弘自身は兄に対する忠誠を崩さなかったが、豊臣家とのパイプを重視してお家の存続を図る義弘と、
本家の事情しか考えられず反豊富の姿勢を示す義久の関係は、家臣団の対立もあって、ぎくしゃくとしはじめた。
朝鮮の役に置いても本家の支援を受けられずに出遅れ「日本一の大遅陣」と自嘲したが、度々武功を挙げて汚名返上を果たしている。
秀吉没後、次代の天下を巡って
徳川家康率いる東軍、
石田三成が結成させた西軍が争うこととなったが、
島津家は庄内の乱と呼ばれる反乱騒動の真っ只中であり、さらに義弘と本家の関係がほとんど分裂状態にあったことから、本家の支援を受けられなかった。
しかし、義弘を慕う者達は義久の命を無視し(義久は黙認したとも)手弁当で義弘の下に駆けつける。
義弘はこの手勢を率いて西軍に味方した。(はじめ東軍に味方しようとしたという説もあるが上杉への手紙から信憑性は薄い)
僅かな手勢なれど士気旺盛な義弘軍は関ヶ原の前哨戦で武功を挙げるも、本戦である関ヶ原の戦いでは出番なく敗北。
勢いに乗る敵勢の中に僅か300(1000とも)の手勢で孤立する。
西方への撤退では生き延びられぬと判断した義弘らは、
東軍の諸勢を食い破り伊勢街道を南下する退却ルートを選択する。
後に島津の退き口と呼ばれる敵中突破による退却作戦は、捨て奸と呼ばれる死兵による足止めもあって成功したが、
犠牲者の数も多く、生き残ったのは僅か80数名であったという。
ともあれ帰国に成功した義弘は兄とともにお家存続のため徳川家との交渉を開始する。
この交渉の過程で家康が激怒し討伐軍が結成されたが、
島津はこの圧力に屈さず、明国貿易を妨害する姿勢を見せることで徳川側に圧力をかけた。
この暴挙が功を奏し、島津家は本領を安堵されたという。
義弘は剛勇で知られた猛将であったが、顔立ちは女性のように柔和なものだったという。
また実直で慈悲深い人柄で家臣達から慕われていた。
関ヶ原の戦いに際して手弁当で駆けつけた者達の多さも、彼の人望を物語る。
最終更新:2016年11月17日 17:32