【元ネタ】史実
【CLASS】セイバー
【マスター】
【真名】疋田豊五郎景兼
【性別】男性
【身長・体重】170cm・65kg
【属性】中立・中庸
【ステータス】筋力C 耐久D 敏捷A++ 魔力E 幸運C 宝具B
【クラス別スキル】
対魔力:C
第二節以下の詠唱による魔術を無効化する。
大魔術、儀礼呪法など大掛かりな魔術は防げない。
騎乗:B
騎乗の才能。大抵の乗り物なら人並み以上に乗りこなせるが、
魔獣・聖獣ランクの獣は乗りこなせない。
【固有スキル】
新陰流:A+
新陰流の奥義を修めている。
本スキルをAランク以上で有する豊五郎は、刀槍のわざのみならず、精神攻撃への耐性をも有している。
水月:B
新陰流における水月は二つの意味合いを持つ。
すなわち自らの心を波立たせず敵の心を感受する心法と、
互いの攻撃が届かぬギリギリの間合いに身を置き、相手の一刀を死に太刀とする刀法である。
宗和の心得:B
同じ相手に同じ技を何度使用しても命中精度が下がらない特殊な技能。
攻撃が見切られなくなる。
ある立ち会いの折『片手打ちゆえ無効なり』と難癖をつける相手に対し、同じ場所を片手打ちで延々打ち続けて降参させたという。
【宝具】
『鈎極の一剣(こうぎょくのいっけん)』
ランク:B 種別:対人奥義 レンジ:1~5 最大捕捉:1人
紅葉観念の巻に記された奥義。
曰く、複数の師に学び、摩利支天に祈誓し、夢中において蒙ったという剣。
名は伏義が鈎にて亀を釣り上げ、この甲羅を以って吉凶を占い、その内より兵術が生じた、とする伝承から取られている。
紅葉観念の巻に曰く『一眼佐足、専らと為し、一心、先持後の拍子、胸奥に挟み、
敵の行(てだて)に乗り、隠顕の接試を以って生死の太刀を本と為す。
横堅の位、たとえ将(まさ)にいか様に構え来ると雖(いえど)も、動転するべからず、彼の一剣を以って勝負を決す』とある。
また
柳生十兵衛曰く『分五郎(豊五郎)流ノ紅葉観念と云ハ、我心ヲ敵に付しハ、近クよせぬもの也。
よそよそしく或ハ向ふの山の紅葉なとを見ル心ニテ仕掛レハ、近クよるニも敵心ヲ付さるヲ打テあとへ退ク也。
サルニより、かたて太刀、センタンノ打を用いルトいへり』とも。
すなわち、敵の行動を確認してから、それに先んじて片手打ちで攻撃する。
さらに、確認した相手の攻撃のレンジが1~5の範囲に収まっていれば、攻撃範囲から離脱し、相手の行動を無効化できる。
【解説】
戦国、江戸時代の剣豪。
新陰流の開祖、上泉信綱に学んだ新陰流四天王の一人で、立会いの際には必ず「その構えは悪しうござる」と声をかけてから打ち込んでいたという。
後世、疋田陰流剣術や新陰疋田流槍術の祖とされるが、彼自身は新陰流を名乗った。
上泉信綱の甥であり、共に長野家に仕える。
長野家の滅亡後は諸国を流浪する上泉信綱に付き従い、剣術修行に励んだ。
柳生宗厳との立ち会いでは師に代わって試合を行い、三度に渡って宗厳を破ったという。
これに未熟を悟った宗厳は新陰流に入門し、信綱に剣を教わることとなった。
尤も、この逸話は江戸時代の文献に記されたもので、
宗厳が立ち会った相手は上泉信綱、ないし鈴木意伯だった、とする異説もある。
その後、宗厳、信綱らと別れ、諸国を流浪。
新当流や念流といった他流の武芸も学ぶ一方、
織田信忠、豊臣秀次、黒田長政などといった歴々たる面々に兵法を教えた。
一方で
徳川家康は疋田の剣を「匹夫の剣」と評して遠ざけたとするが、これは柳生新陰流を持ち上げるための創作であろう。
やがて細川家の下で禄を喰むようになるが、剃髪して栖雲斎と号し、再び6年間の廻国修行をこなしたという。
その後は再び細川家に仕えた。享年は不明瞭だが、最期は大坂城で客死したとも伝えられる。
疋田に新陰流を学んだ細川藩では、疋田のそれを『新陰流』と称し、柳生一族の新陰流は『柳生流』と呼んだ。
柳生新陰流の高弟、細川忠利も柳生新陰流を藩内に伝える一方、藩の方針としては疋田伝の新陰流を重んじたという。
柳生新陰流こそが新陰流の正統とする向きがあるが、
実際のところ正統などというものはなかったようで、独自の流派名を名乗るかどうかというだけだったようだ。
【蛇足】
剃髪後の廻国修行について記録を残しているが、
そこに現れる人柄を一言で称すると大人げないクソジジイである。
最終更新:2017年11月05日 18:04