――清かに風が吹いている。
広い野原には点で絵を描くように花々が咲いていた。日差し麗らか、植物の香が優しく鼻に届いている。
もうあと幾月か経てば、ここもむせ返るほどの草いきれに満ちるのだろう。この地に嫁いでから数年、ずっとそうだったから。
(これは・・・?)
元就は困惑した。『今度』は自分の姿が認識できない。風になってしまったかのようだ。
脳に浮かぶ思考が他人のものと混ざっている。今の野原の記憶は、見下ろす女性のものだ。が、元就は見下ろすのと同時に見上げている。
その女性の子供の視点から、『母』を見ている。逆光で母の顔は見えない。優しく丸い肩に細い草切れが乗っている。
優しい母は美しく暖かい。だいすきかあさま、ずっといっしょにいたいです。少女は、そう思っている。
自分と母と、そして娘の三人分の思考を同時に体験して、元就は戸惑う。不快ではないが不可解にも程がある。
愛しい娘。だいすきなかあさま。見守る自分。ふと、幼い少女が自分にどこか似ていることに気が付いた。
もしや、まだ母が生きている頃を思い出して夢にみているのか。元就は実母の記憶が薄い。
心の中に沈んでいた風景が浮かび上がってきたのだろうか。この広がる明るい野原はどこだろう…?
「――でね、にいさまったらひどいの。子供あつかいして!」
丸い頬を膨らませて少女は怒っている。手にはたどたどしい手付きで懸命に作った花冠が握られていた。
母も同じく花冠を作っているようだが、そちらも大して上手い出来ではない。母は不器用な人だったのか。
元就は微笑ましく思い、笑った。
二人してぼろぼろの花冠を編んだ。でも優しくて、楽しくて幸せだ。自分にもこんな日々があったのか。
そう、確かにあった。今だってそこに縋り付くのに必死でいる。同じぼろぼろでも、この身と花冠ではあまりに深い隔たりがある。
美しすぎて切ない。かあさま、戻りたいです。あなたの小さな娘に戻りたい。
少女の、幼い自分の髪が微風に揺れている。肩を少し過ぎた程度の長さの髪は、日差しを受けて金茶に輝いていた。
ずっと長くしていたのを切り落としたのはやはり自分だ。女でいたくないと、初潮を迎えて自棄になって切った。
今でも伸びた髪は自分で切っている。首に刃物を近づける行為など、恐ろしくて他人に委ねる事は出来ない。
広い野原には点で絵を描くように花々が咲いていた。日差し麗らか、植物の香が優しく鼻に届いている。
もうあと幾月か経てば、ここもむせ返るほどの草いきれに満ちるのだろう。この地に嫁いでから数年、ずっとそうだったから。
(これは・・・?)
元就は困惑した。『今度』は自分の姿が認識できない。風になってしまったかのようだ。
脳に浮かぶ思考が他人のものと混ざっている。今の野原の記憶は、見下ろす女性のものだ。が、元就は見下ろすのと同時に見上げている。
その女性の子供の視点から、『母』を見ている。逆光で母の顔は見えない。優しく丸い肩に細い草切れが乗っている。
優しい母は美しく暖かい。だいすきかあさま、ずっといっしょにいたいです。少女は、そう思っている。
自分と母と、そして娘の三人分の思考を同時に体験して、元就は戸惑う。不快ではないが不可解にも程がある。
愛しい娘。だいすきなかあさま。見守る自分。ふと、幼い少女が自分にどこか似ていることに気が付いた。
もしや、まだ母が生きている頃を思い出して夢にみているのか。元就は実母の記憶が薄い。
心の中に沈んでいた風景が浮かび上がってきたのだろうか。この広がる明るい野原はどこだろう…?
「――でね、にいさまったらひどいの。子供あつかいして!」
丸い頬を膨らませて少女は怒っている。手にはたどたどしい手付きで懸命に作った花冠が握られていた。
母も同じく花冠を作っているようだが、そちらも大して上手い出来ではない。母は不器用な人だったのか。
元就は微笑ましく思い、笑った。
二人してぼろぼろの花冠を編んだ。でも優しくて、楽しくて幸せだ。自分にもこんな日々があったのか。
そう、確かにあった。今だってそこに縋り付くのに必死でいる。同じぼろぼろでも、この身と花冠ではあまりに深い隔たりがある。
美しすぎて切ない。かあさま、戻りたいです。あなたの小さな娘に戻りたい。
少女の、幼い自分の髪が微風に揺れている。肩を少し過ぎた程度の長さの髪は、日差しを受けて金茶に輝いていた。
ずっと長くしていたのを切り落としたのはやはり自分だ。女でいたくないと、初潮を迎えて自棄になって切った。
今でも伸びた髪は自分で切っている。首に刃物を近づける行為など、恐ろしくて他人に委ねる事は出来ない。
しばらくの間母子を眺めていた元就だが、ある違和感を感じ始めていた。
「にいさま達はいじわるなんだもの。きらい」
(…達…?)
どういう事だろう。元就の兄は五歳上の興元ただ一人だ。複数形で語られるべきではない。縁戚や他家の者に該当する人物も思い当たらない。
では、あの子は自分ではないのか。どこかの見知らぬ母子を夢見ているだけ?
母は「そう」と拗ねる娘を穏やかになだめている。草の汁に染まった指のまま、少女を撫でた。
くすくすと笑っているだけでそれが尚更少女は気に食わない。「かあさま!」
母は笑った。可愛い、大切な娘。この小さな幸せを守らなければ、と誓いを反芻する。きっと大丈夫。だってもう独りじゃないのだから。
「――達は、お前の事が可愛いだけ。心配してるだけなんだから」
元就は耳を澄まして違和感の原因を探った。肝心の名前はまたしっかり聞き取れない。母の顔も見えない。
もどかしさに苛立つと、風に混じって女の声が微かにした。
『収束が確定していないから、だから』
「え?」
元就が理解する前に、脳に直接響いた声は消えた。少女は一転、不安気な表情を見せる。
「でも、だって・・・とうさまが…」
少女の父は、つまり母の夫は大層な娘馬鹿だ。上の息子達も可愛がってはいるが、女の子供はまた別枠らしい。
それが少女の気を病ませる原因だ。父が自分ばかり大切にものだから、兄達が寂しがっているのではないかと。
大丈夫。母が言う。「悪いとすればそれは父だけだから。あとで叱っておく」
そうそう。よく母は父を叱ってる。また無駄遣いして、とか、少女の目から見てもたわいない事柄ばかりだった。
「とうさま、おバカさん?」
「もちろん、父はおバカさん」
こんな自分を愛してると言い続けている。血まみれになってやってきて、それで消えない、美しい虹も見せてくれたのだから。
だからあの人はおバカさん。自分も二人しておバカさん。愛してるあいしてる、愛しい可愛いあの男。
潮の花60
「にいさま達はいじわるなんだもの。きらい」
(…達…?)
どういう事だろう。元就の兄は五歳上の興元ただ一人だ。複数形で語られるべきではない。縁戚や他家の者に該当する人物も思い当たらない。
では、あの子は自分ではないのか。どこかの見知らぬ母子を夢見ているだけ?
母は「そう」と拗ねる娘を穏やかになだめている。草の汁に染まった指のまま、少女を撫でた。
くすくすと笑っているだけでそれが尚更少女は気に食わない。「かあさま!」
母は笑った。可愛い、大切な娘。この小さな幸せを守らなければ、と誓いを反芻する。きっと大丈夫。だってもう独りじゃないのだから。
「――達は、お前の事が可愛いだけ。心配してるだけなんだから」
元就は耳を澄まして違和感の原因を探った。肝心の名前はまたしっかり聞き取れない。母の顔も見えない。
もどかしさに苛立つと、風に混じって女の声が微かにした。
『収束が確定していないから、だから』
「え?」
元就が理解する前に、脳に直接響いた声は消えた。少女は一転、不安気な表情を見せる。
「でも、だって・・・とうさまが…」
少女の父は、つまり母の夫は大層な娘馬鹿だ。上の息子達も可愛がってはいるが、女の子供はまた別枠らしい。
それが少女の気を病ませる原因だ。父が自分ばかり大切にものだから、兄達が寂しがっているのではないかと。
大丈夫。母が言う。「悪いとすればそれは父だけだから。あとで叱っておく」
そうそう。よく母は父を叱ってる。また無駄遣いして、とか、少女の目から見てもたわいない事柄ばかりだった。
「とうさま、おバカさん?」
「もちろん、父はおバカさん」
こんな自分を愛してると言い続けている。血まみれになってやってきて、それで消えない、美しい虹も見せてくれたのだから。
だからあの人はおバカさん。自分も二人しておバカさん。愛してるあいしてる、愛しい可愛いあの男。
潮の花60




