■西海夫婦馬鹿善哉
結婚ってのは存外面白いもんだというのが、新婚三ヶ月目の長曾我部元親が抱いた
感想だった。
元来そんな考えを持っていたわけではない。
天衣無縫に生きているようには見えるが、四国を統べる長曾我部家の跡取りとして生まれた身だ。
婚姻は政略の一環であり、基本的に家のためのもの。そこに本人の意思が介入する隙間はない。
いつか自分も縁を結ぶだろうが、その時も、そうした事情からは逃れられないだろうと
漠然と思っていた。
同じ境遇で自分の妻となる者を、邪険に扱うつもりはない。だが、適当に側室も持って、
惚れたはれたはそっちですませるつもりでいたのだ。
あの女と出会うまでは。
感想だった。
元来そんな考えを持っていたわけではない。
天衣無縫に生きているようには見えるが、四国を統べる長曾我部家の跡取りとして生まれた身だ。
婚姻は政略の一環であり、基本的に家のためのもの。そこに本人の意思が介入する隙間はない。
いつか自分も縁を結ぶだろうが、その時も、そうした事情からは逃れられないだろうと
漠然と思っていた。
同じ境遇で自分の妻となる者を、邪険に扱うつもりはない。だが、適当に側室も持って、
惚れたはれたはそっちですませるつもりでいたのだ。
あの女と出会うまでは。
晴れ渡った瀬戸内の秋の空は、海と対を成す目の覚めるような紺碧だ。
その空も覆い隠すような大船の舳先に立ち、久方ぶりに見る自国の平和な海岸を眺め回すと、元親は眼帯に覆われた左頬に満足げな笑みを浮かべた。
「ご機嫌ですねェ兄貴!」
上陸作業に追われる甲板から、陽気な声がかかる。
振り返って碇槍を持ち上げ、元親は楽しげにそれを振り回した。
「あたぼうよ!なんたって半月ぶりの故郷だからなあ!」
「いやあ、兄貴にそういわれると、こっちまで懐かしいような気分になりますねえ!」
「ちぇ、俺はもっと海にいたいっすよ」
「馬鹿野郎、兄貴はお前とは違うんだよ」
ふてくされた声に、船のあちらこちらで笑い声が上がった。
「なんたって兄貴は、新婚さん、なんだからな!」
その空も覆い隠すような大船の舳先に立ち、久方ぶりに見る自国の平和な海岸を眺め回すと、元親は眼帯に覆われた左頬に満足げな笑みを浮かべた。
「ご機嫌ですねェ兄貴!」
上陸作業に追われる甲板から、陽気な声がかかる。
振り返って碇槍を持ち上げ、元親は楽しげにそれを振り回した。
「あたぼうよ!なんたって半月ぶりの故郷だからなあ!」
「いやあ、兄貴にそういわれると、こっちまで懐かしいような気分になりますねえ!」
「ちぇ、俺はもっと海にいたいっすよ」
「馬鹿野郎、兄貴はお前とは違うんだよ」
ふてくされた声に、船のあちらこちらで笑い声が上がった。
「なんたって兄貴は、新婚さん、なんだからな!」
穏やかな波の打ち寄せる浜辺には、白い砂浜を囲うように、丸太柵が打ち立てられていた。
長曾我部の本城への道を守るものだ。その果てに待つ居城へ向けられた元親の隻眼が、隠し切れぬ興奮と歓喜で鋭い光を放った。
碇が下りるのも待ちきれず船から飛び降り、波を蹴って遠浅の海岸を駆け抜ける。
ずぶぬれになって浜辺に辿り着いた元親を、留守居の家臣が呆れ顔で出迎えた。
「兄貴、小船出すのくらい待ってくださいよ」
「はっはっは、ちょっと焦っちまってな!」
「しょうがねえなあもう……お方様、お待ちかねですよ」
おう、と答えてにやりと笑うと、元親は留守居の肩をつかんで引き寄せ、声を潜めて問いかけた。
「で、あっちの様子はどうだ」
潮に焼けた髭面が、こちらもにやりとほくそ笑む。
「そりゃもう。今日もやる気満々です」
「こっちの用意もできてるな?」
「あたぼうです」
「おっしゃあ!」
気合の入った一声を上げざま、ぱあんと両手を打ち鳴らし、槍を担ぎあげる。
鉄がまばゆい海辺の陽光を弾き、目のくらむような輝きを放った。
砂を蹴散らし、意気揚々と本城への道を走り始めた元親を、家臣たちは苦笑を浮かべて追いかけた。
長曾我部の本城への道を守るものだ。その果てに待つ居城へ向けられた元親の隻眼が、隠し切れぬ興奮と歓喜で鋭い光を放った。
碇が下りるのも待ちきれず船から飛び降り、波を蹴って遠浅の海岸を駆け抜ける。
ずぶぬれになって浜辺に辿り着いた元親を、留守居の家臣が呆れ顔で出迎えた。
「兄貴、小船出すのくらい待ってくださいよ」
「はっはっは、ちょっと焦っちまってな!」
「しょうがねえなあもう……お方様、お待ちかねですよ」
おう、と答えてにやりと笑うと、元親は留守居の肩をつかんで引き寄せ、声を潜めて問いかけた。
「で、あっちの様子はどうだ」
潮に焼けた髭面が、こちらもにやりとほくそ笑む。
「そりゃもう。今日もやる気満々です」
「こっちの用意もできてるな?」
「あたぼうです」
「おっしゃあ!」
気合の入った一声を上げざま、ぱあんと両手を打ち鳴らし、槍を担ぎあげる。
鉄がまばゆい海辺の陽光を弾き、目のくらむような輝きを放った。
砂を蹴散らし、意気揚々と本城への道を走り始めた元親を、家臣たちは苦笑を浮かべて追いかけた。
砂浜を抜け、内門である鬼灯門を潜れば、その先には城の前庭が広がっている。
練兵場も兼ねたそこは、庭とはいっても高い城壁と砲台に囲まれ、広々としているだけで色気も飾り気もない。
強い陽光と、海から吹き込む潮風に、土も白く洗われている。
その、目の痛くなるような日差しの下に、小柄な人影が立っていた。
肩ほどの髪を滑らかに下ろしたその人物は、萌黄の小袖に白い袴と、成りこそは男の
ようだが、ほっそりとしながら丸みを帯びた体形も、怜悧な美貌も、どう見ても女のものだ。
侍女が差し掛ける、南蛮風の日よけの大傘を無視して、惜しげもなく日差しの下に晒された顔も、あくまで白い。
汗一つかかず、黙って海の方角を向いたまま立ち尽くす女の髪を、潮風がゆるやかに
嬲っていく。
殺風景な庭の中で、その一角だけがひどく鮮やかだった。
やがて開け放たれた門の向こうで、派手な砂埃が上がった。
砂地に掘られた溝を飛び越え、蹴散らし、一足飛びに門に駆け込んできた元親は、だが数歩踏み込んだところで、たたらをふんで足を止めた。
きょろきょろと辺りを見回し、すぐ、城壁のそばに立ち尽くす影を認める。
無表情に自分を眺めるその姿に、隻眼が笑いを含んで細くなる。
同時に酷薄なまでに切れ長の目も、かすかに細まった。
元親から一歩遅れて、こちらも潮まみれの家臣たちが転がり込んできた。
主の背後で一斉に立ちどまり、庭に立ち尽くす女を見て、歓声じみた声を上げる。
練兵場も兼ねたそこは、庭とはいっても高い城壁と砲台に囲まれ、広々としているだけで色気も飾り気もない。
強い陽光と、海から吹き込む潮風に、土も白く洗われている。
その、目の痛くなるような日差しの下に、小柄な人影が立っていた。
肩ほどの髪を滑らかに下ろしたその人物は、萌黄の小袖に白い袴と、成りこそは男の
ようだが、ほっそりとしながら丸みを帯びた体形も、怜悧な美貌も、どう見ても女のものだ。
侍女が差し掛ける、南蛮風の日よけの大傘を無視して、惜しげもなく日差しの下に晒された顔も、あくまで白い。
汗一つかかず、黙って海の方角を向いたまま立ち尽くす女の髪を、潮風がゆるやかに
嬲っていく。
殺風景な庭の中で、その一角だけがひどく鮮やかだった。
やがて開け放たれた門の向こうで、派手な砂埃が上がった。
砂地に掘られた溝を飛び越え、蹴散らし、一足飛びに門に駆け込んできた元親は、だが数歩踏み込んだところで、たたらをふんで足を止めた。
きょろきょろと辺りを見回し、すぐ、城壁のそばに立ち尽くす影を認める。
無表情に自分を眺めるその姿に、隻眼が笑いを含んで細くなる。
同時に酷薄なまでに切れ長の目も、かすかに細まった。
元親から一歩遅れて、こちらも潮まみれの家臣たちが転がり込んできた。
主の背後で一斉に立ちどまり、庭に立ち尽くす女を見て、歓声じみた声を上げる。
「おお!お方様のお出迎えだぜ!」
「姐さん!ただいま戻りました!」
「姐御!今日もこれから一発ですかい!?」
「おら、静かにしねえか野郎ども!兄貴より先にお声をかけるんじゃねえ!」
「姐さん!ただいま戻りました!」
「姐御!今日もこれから一発ですかい!?」
「おら、静かにしねえか野郎ども!兄貴より先にお声をかけるんじゃねえ!」
留守居役が叱りつける声に、不平じみた罵声が上がる。
片手を振ってそれを鎮め、一歩前に出ると、元親はにやりと笑って、肩に担いだ槍を揺すり上げた。
片手を振ってそれを鎮め、一歩前に出ると、元親はにやりと笑って、肩に担いだ槍を揺すり上げた。