「俺があんたを好きだって事だよっ!」
声の大きさもさることながら其の発言に驚いて、帰蝶は慌てて元親の上から退こうとしたが、今度は元親が腕を掴んで離してくれない。見上げる元親の眼差しは、幾分の戸惑いは残している者の愛しい者を見詰める時の熱を持ち始めている。
帰蝶は、その眼差しが信長に似ていると感じてしまった所為で、乱暴に抗う事を躊躇してしまう。信長が帰蝶を寝所に招く時、冷徹とも思える眼差しの中に帰蝶への気遣いが見え隠れし、其れは乱丸に向ける庇護者の様な気遣いとも違うのでとても気分が良かった。決して口数の多い男では無く、愛の言葉一つ囁かれた事はなかったが、あの眼差しには帰蝶への愛情が込められていた。
今となっては憶測でしかないが、帰蝶はそう信じている。
元親の眼差しは、そんな信長に少しだけ似ている。元親の方が、気遣いや愛情が惜しみなく湛えられているのでずっと優しい眼差しだが、逆に其の中に見え隠れする覇者の持つ狡猾さが背筋を寒くさせる。帰蝶は覇者の眼差しを見慣れている。だからこそ、この眼差しには逆らい難い。
「俺は、姫さんが好きなんだよ。一度だけ、信長と会った時あんたを見掛けたんだ。
それから、ずっとあんたを好きだった……部下は、俺の近くにいたから其れを何となく知ってたんだよ。だから、あんたが明智の慰み者になる前に四国に連れてきたんだ……」
其れだけ言うと、元親は帰蝶の腕を掴んでいた手を離した。帰蝶の腕には元親の指の後がうっすら残っており、随分強い力で握られていた事が解る。もしかしたら、元親としては多少の手加減があったのかもしれないが、戦女とはいえ女の柔肌には十分過ぎた力だった様だ。
其れに気が付いた元親は、勢い良く起きあがると蹌踉めいた帰蝶の身体を支えたまま
懐から出した薬入れを取り出した。帰蝶が座り直したのは放り出された膝の上で、幾ら
痩身の帰蝶とは骨を擦り合って痛いだろうと思ったが、元親は特に顔色も変えず薬入れ
の蓋を開けて帰蝶の手首に良く擦り込み始めた。その手慣れた仕草に暫し見惚れてい
ると、視線に気が付いた元親は照れ臭そうに笑った。元親は帰蝶より幾らか若い筈だが、其の顔は一回り以上幼く見えた。
声の大きさもさることながら其の発言に驚いて、帰蝶は慌てて元親の上から退こうとしたが、今度は元親が腕を掴んで離してくれない。見上げる元親の眼差しは、幾分の戸惑いは残している者の愛しい者を見詰める時の熱を持ち始めている。
帰蝶は、その眼差しが信長に似ていると感じてしまった所為で、乱暴に抗う事を躊躇してしまう。信長が帰蝶を寝所に招く時、冷徹とも思える眼差しの中に帰蝶への気遣いが見え隠れし、其れは乱丸に向ける庇護者の様な気遣いとも違うのでとても気分が良かった。決して口数の多い男では無く、愛の言葉一つ囁かれた事はなかったが、あの眼差しには帰蝶への愛情が込められていた。
今となっては憶測でしかないが、帰蝶はそう信じている。
元親の眼差しは、そんな信長に少しだけ似ている。元親の方が、気遣いや愛情が惜しみなく湛えられているのでずっと優しい眼差しだが、逆に其の中に見え隠れする覇者の持つ狡猾さが背筋を寒くさせる。帰蝶は覇者の眼差しを見慣れている。だからこそ、この眼差しには逆らい難い。
「俺は、姫さんが好きなんだよ。一度だけ、信長と会った時あんたを見掛けたんだ。
それから、ずっとあんたを好きだった……部下は、俺の近くにいたから其れを何となく知ってたんだよ。だから、あんたが明智の慰み者になる前に四国に連れてきたんだ……」
其れだけ言うと、元親は帰蝶の腕を掴んでいた手を離した。帰蝶の腕には元親の指の後がうっすら残っており、随分強い力で握られていた事が解る。もしかしたら、元親としては多少の手加減があったのかもしれないが、戦女とはいえ女の柔肌には十分過ぎた力だった様だ。
其れに気が付いた元親は、勢い良く起きあがると蹌踉めいた帰蝶の身体を支えたまま
懐から出した薬入れを取り出した。帰蝶が座り直したのは放り出された膝の上で、幾ら
痩身の帰蝶とは骨を擦り合って痛いだろうと思ったが、元親は特に顔色も変えず薬入れ
の蓋を開けて帰蝶の手首に良く擦り込み始めた。その手慣れた仕草に暫し見惚れてい
ると、視線に気が付いた元親は照れ臭そうに笑った。元親は帰蝶より幾らか若い筈だが、其の顔は一回り以上幼く見えた。
「……私を好きで、それでどうするの……私は魔王の妻、色恋よりもっと良い使い方があるでしょう」
女なんて道具に過ぎないのだから、だったらせめて上手く使われたいと思ってきた帰蝶は、元親の掛け値無しの親切にどうすれば良いのか解らなくなってきていた。
愛していた夫は死に、裏切り者は既に殺され、天下の覇権は其の裏切り者を誅殺した羽柴に一気に傾いていくだろう。信長が持っていた覇者の器を継ぐ子供は無く、武田も上杉も彼岸の住人、まさか数日で毛利が征服されたとは思えないが羽柴に攻略された事は間違いない。もし天下に未だ覇権を争う者が居るとすれば、三河の徳川、奥州の伊達、九州の島津、四国の長宗我部くらいのものだ。そうして、自分は其の長宗我部氏の長たる元親に保護されている。
「俺ぁ、魔王の妻なんていらねぇな……姫さんが其の立場に戻りたいなら戻れば良い。
京まで送ってやるよ。けど……」
元親は、すっかり冷たくなった布団の上に帰蝶を寝かせた。押し倒すと言うには余りに
優しい動作だったが、覆い被さった元親の眼差しには切羽詰まる者が有った。
「けど、四国にいる間は、俺の姫さんだ…………」
鬼蝶6
女なんて道具に過ぎないのだから、だったらせめて上手く使われたいと思ってきた帰蝶は、元親の掛け値無しの親切にどうすれば良いのか解らなくなってきていた。
愛していた夫は死に、裏切り者は既に殺され、天下の覇権は其の裏切り者を誅殺した羽柴に一気に傾いていくだろう。信長が持っていた覇者の器を継ぐ子供は無く、武田も上杉も彼岸の住人、まさか数日で毛利が征服されたとは思えないが羽柴に攻略された事は間違いない。もし天下に未だ覇権を争う者が居るとすれば、三河の徳川、奥州の伊達、九州の島津、四国の長宗我部くらいのものだ。そうして、自分は其の長宗我部氏の長たる元親に保護されている。
「俺ぁ、魔王の妻なんていらねぇな……姫さんが其の立場に戻りたいなら戻れば良い。
京まで送ってやるよ。けど……」
元親は、すっかり冷たくなった布団の上に帰蝶を寝かせた。押し倒すと言うには余りに
優しい動作だったが、覆い被さった元親の眼差しには切羽詰まる者が有った。
「けど、四国にいる間は、俺の姫さんだ…………」
鬼蝶6