思考が中断する。
突然、足を撫でられた。
口を開けた拍子に、ごば、と泡が漏れる。今顔を出してはまずい、と苦しくなった
息を無理やり止め、体を強張らせる。
手は、幸村の足を撫でる。膝の古傷を撫で、ふくらはぎの筋を撫で、それから
向こう脛を辿る。踵を掌で包んだ。
愉しむようなその動きは、覚えがあった。
体から力を抜くと、手の主は笑った――ような気がした。
手は撫でるのをやめない。幸村の息が苦しいのを知っているくせに、膝の裏を撫で、
指先をふくらはぎに滑らせる。
足の爪を一つ一つ確かめ、指の間を爪で掻く。ゆっくりと幸村の足を開かせ、
脚の内側を撫で始める。
「――っ、はっ!」
息が限界を迎え、幸村は脚を湯に叩きつけて顔を出した。ばしゃん、と派手に飛沫が散る。
突然、足を撫でられた。
口を開けた拍子に、ごば、と泡が漏れる。今顔を出してはまずい、と苦しくなった
息を無理やり止め、体を強張らせる。
手は、幸村の足を撫でる。膝の古傷を撫で、ふくらはぎの筋を撫で、それから
向こう脛を辿る。踵を掌で包んだ。
愉しむようなその動きは、覚えがあった。
体から力を抜くと、手の主は笑った――ような気がした。
手は撫でるのをやめない。幸村の息が苦しいのを知っているくせに、膝の裏を撫で、
指先をふくらはぎに滑らせる。
足の爪を一つ一つ確かめ、指の間を爪で掻く。ゆっくりと幸村の足を開かせ、
脚の内側を撫で始める。
「――っ、はっ!」
息が限界を迎え、幸村は脚を湯に叩きつけて顔を出した。ばしゃん、と派手に飛沫が散る。
「小十郎殿、何をなされるか!」
額に張り付いた髪をかき上げ、幸村は湯殿に入ってきた不届き者を睨んだ。
「湯に溺れてるかと思ったが――違ったか」
「ならば、引き上げるのが筋でござろう!」
「悪いな、見事な脚だったもので、つい見とれた」
まるで答えになっていない。
一月ぶりに見た夫は、少し顔色が悪い。あまり寝ていないのだろう。だが、
それ以外はいつもと変わらない。
逢えた事を喜ぶ風でもなく、変わらない妻に安堵する風でもない。いつも通りの
強面で、幸村の頬を撫でる。
額に張り付いた髪をかき上げ、幸村は湯殿に入ってきた不届き者を睨んだ。
「湯に溺れてるかと思ったが――違ったか」
「ならば、引き上げるのが筋でござろう!」
「悪いな、見事な脚だったもので、つい見とれた」
まるで答えになっていない。
一月ぶりに見た夫は、少し顔色が悪い。あまり寝ていないのだろう。だが、
それ以外はいつもと変わらない。
逢えた事を喜ぶ風でもなく、変わらない妻に安堵する風でもない。いつも通りの
強面で、幸村の頬を撫でる。
「今、帰った」
「……………………お帰りなさいませ」
奇妙な沈黙の後、小十郎は型通りの言葉を口にする。
幸村は小十郎の顔を見つめた。
たかが一月、されど一月。
久しぶりの夫の顔だ。何度か夢に見た。何度、思い描いただろう。強面の整った顔。頬の傷。
触れたいが、触れたら、きっと離したくなくなる。
「すぐに、城に行かれるのか」
「いや。田植えももう終わったから、明日からはいつも通りだ。……ああ、明日は休みをもらった」
一月ぶりの休みだ、と小十郎は幸村の頬を撫でる。乾いた、かさついた手。
土をいじるのに慣れた大きな手をしている。刀を握るかと思えば畑を耕す、忙しい手だ。
「その……先に、風呂に入っておりました。申し訳ない」
「構わねぇよ」
幸村と同じように湯帷子を着た小十郎は、おかしそうに笑うと幸村から離れた。
湯をかけ、体を洗おうとするので、幸村は湯船から上がって糠袋を小十郎の手から取った。
「お背中を流します」
「……ああ、悪い」
湯帷子を寛げ、背中を擦った。
夫婦で風呂に入るのは、初めてだった。屋敷の湯殿は狭く、二人だと窮屈に感じる。
「……………………お帰りなさいませ」
奇妙な沈黙の後、小十郎は型通りの言葉を口にする。
幸村は小十郎の顔を見つめた。
たかが一月、されど一月。
久しぶりの夫の顔だ。何度か夢に見た。何度、思い描いただろう。強面の整った顔。頬の傷。
触れたいが、触れたら、きっと離したくなくなる。
「すぐに、城に行かれるのか」
「いや。田植えももう終わったから、明日からはいつも通りだ。……ああ、明日は休みをもらった」
一月ぶりの休みだ、と小十郎は幸村の頬を撫でる。乾いた、かさついた手。
土をいじるのに慣れた大きな手をしている。刀を握るかと思えば畑を耕す、忙しい手だ。
「その……先に、風呂に入っておりました。申し訳ない」
「構わねぇよ」
幸村と同じように湯帷子を着た小十郎は、おかしそうに笑うと幸村から離れた。
湯をかけ、体を洗おうとするので、幸村は湯船から上がって糠袋を小十郎の手から取った。
「お背中を流します」
「……ああ、悪い」
湯帷子を寛げ、背中を擦った。
夫婦で風呂に入るのは、初めてだった。屋敷の湯殿は狭く、二人だと窮屈に感じる。
「……お疲れのようにござるな」
一月、口を聞いていない。
色々報告せねばならない。女中の祝言が決まり、里に下がる事。替わりの女中を
探さねばならぬ事。下男の子が刀を持てるようになった事。畑の苗が育っている事。
市場で珍しい布を見つけた事。新しい着物を買った事。
他にも色々ある。だが、小十郎があまりにもいつも通り過ぎて、何から話せばいいのか分からない。
一月の穴など、初めからなかったかのようだ。
「さすがに、一月働き詰めだと疲れるな」
「仕方がありませぬ。あまり寝ておられぬ様子ゆえ、明日はゆるりと休まれるがよい」
背中を擦る。広い背中。右の肩が凝っている。筆ばかり持っていたのだろう。
肩の一点を押せば、う、と気持ちよさそうに唸る。
額を、背中に置いた。
一月、口を聞いていない。
色々報告せねばならない。女中の祝言が決まり、里に下がる事。替わりの女中を
探さねばならぬ事。下男の子が刀を持てるようになった事。畑の苗が育っている事。
市場で珍しい布を見つけた事。新しい着物を買った事。
他にも色々ある。だが、小十郎があまりにもいつも通り過ぎて、何から話せばいいのか分からない。
一月の穴など、初めからなかったかのようだ。
「さすがに、一月働き詰めだと疲れるな」
「仕方がありませぬ。あまり寝ておられぬ様子ゆえ、明日はゆるりと休まれるがよい」
背中を擦る。広い背中。右の肩が凝っている。筆ばかり持っていたのだろう。
肩の一点を押せば、う、と気持ちよさそうに唸る。
額を、背中に置いた。
「幸村?」
名を呼ばれる。低く、敵を恐れさせる声だが、優しい時はとことん優しい。
「……お帰りなさいませ」
もう一度、言葉にする。腕を回すと、手に小十郎の手が重なる。
「ああ、今戻った」
ぎゅうっと力を込めると、痛い、と笑われた。
名を呼ばれる。低く、敵を恐れさせる声だが、優しい時はとことん優しい。
「……お帰りなさいませ」
もう一度、言葉にする。腕を回すと、手に小十郎の手が重なる。
「ああ、今戻った」
ぎゅうっと力を込めると、痛い、と笑われた。




