それは、内乱の鎮圧戦でのこと。
城に立て篭もりあくまで抵抗しつづけた「猛将」と呼ばれる臣がいた。城は、謙信の到着からたったの二日で落ちた。燃え上がる深紅の炎が、謙信の白い陣羽織も、夜の空も、川面の水も照らし続けていた。開け放たれた城門から、残っていた兵達が炎に追われ次々と逃げ惑い…謙信は追わなかった。死に物狂いの兵の頭を叩けば怪我をすると謙信は言ったが、かすがはそれを優しさとも思った。姿を現した「猛将」は途端に謙信の攻撃を受け、もう観念したのか、やがて一族を連れ、あかく燃え続ける城へ、黒橡の煙を上げる門の奥へと引き返した。まだ幼い子供達と、可憐ではかなげな女達の悲鳴も、ぷっつりと聞こえなくなった。己の城で果てたと、誰もが思った。小さくて哀れな悲鳴がかすがの耳を打ち続け――……見上げた謙信が、手を合わせていた。
しかし、それは遮られた。
閉ざされた門が、くろい呪わしい煙を吐き出しながら少しだけ開き、そこから、「猛将」がふらりと現れたのだ。
妻も、子供も、「猛将」を除いては全て自害して果てていた。なのに、きょときょとと周りを見渡して、臆病の塊のように現れた「猛将」は、最後の礼を尽くして誰もが手を出さない中現れ……謙信のあおい目を見て、裏返った悲鳴を上げた。
この下郎! 己の子供にまでその細い喉に刃を突き立たせておいて、泣き叫ぶ女達を炎に追い返しておいて、今更己の皺腹に刃を立てるのを恐れるか! かすがは、その首を目掛けて輪宝を投げようとして、横を駆け抜ける白い影に追い抜かれた。
「それで男か! 」
あかいあかい炎のなか、かすがには謙信が蒼く燃え上がったように見えた。「猛将」は当て図法に投げつけた薙刀を弾き返され、謙信の、その白い刃に切り裂かれて死んだ。
城に立て篭もりあくまで抵抗しつづけた「猛将」と呼ばれる臣がいた。城は、謙信の到着からたったの二日で落ちた。燃え上がる深紅の炎が、謙信の白い陣羽織も、夜の空も、川面の水も照らし続けていた。開け放たれた城門から、残っていた兵達が炎に追われ次々と逃げ惑い…謙信は追わなかった。死に物狂いの兵の頭を叩けば怪我をすると謙信は言ったが、かすがはそれを優しさとも思った。姿を現した「猛将」は途端に謙信の攻撃を受け、もう観念したのか、やがて一族を連れ、あかく燃え続ける城へ、黒橡の煙を上げる門の奥へと引き返した。まだ幼い子供達と、可憐ではかなげな女達の悲鳴も、ぷっつりと聞こえなくなった。己の城で果てたと、誰もが思った。小さくて哀れな悲鳴がかすがの耳を打ち続け――……見上げた謙信が、手を合わせていた。
しかし、それは遮られた。
閉ざされた門が、くろい呪わしい煙を吐き出しながら少しだけ開き、そこから、「猛将」がふらりと現れたのだ。
妻も、子供も、「猛将」を除いては全て自害して果てていた。なのに、きょときょとと周りを見渡して、臆病の塊のように現れた「猛将」は、最後の礼を尽くして誰もが手を出さない中現れ……謙信のあおい目を見て、裏返った悲鳴を上げた。
この下郎! 己の子供にまでその細い喉に刃を突き立たせておいて、泣き叫ぶ女達を炎に追い返しておいて、今更己の皺腹に刃を立てるのを恐れるか! かすがは、その首を目掛けて輪宝を投げようとして、横を駆け抜ける白い影に追い抜かれた。
「それで男か! 」
あかいあかい炎のなか、かすがには謙信が蒼く燃え上がったように見えた。「猛将」は当て図法に投げつけた薙刀を弾き返され、謙信の、その白い刃に切り裂かれて死んだ。
それが、かすがにとって唯一の、感情を爆発させた謙信の姿だった。
謙信は、こんな顔をしていただろうか。
千里離れたとて、決して忘れない謙信のかんばせは、こんな。かすがを見る、いつも笑っていた切れ長の目は。与えてくれた名を、いつも囁いていた唇は。
かすがには、謙信が何を謝るのかわからない。痛い程にかすがの手を掴んで話さない謙信の手。いつもよりも大きく見える謙信の蒼い目。
小さくわななく小さな唇。全てかすがだけに向けられる謙信の感情。いかないでと、懇願するように、祈るように、よく光る瞳でかすがを見上げている姿はただただ綺麗でかなしく、かすがはわけがわからなくなった。
「謙信様、謙信さまが謝られることなど、何も…お詫び申し上げても、足りないのはわたし、で…」
言葉は次第に震えていく。
謙信は、仔猫のように、かすがの膝に顔を押し付けてふるふると首を振る。じわりと膝に温かいものを感じた。泣いている、謙信が泣いている!
「だからわたしは、去…」
「許しません」
あの時の謙信に見えた、蒼い炎のようなゆらめきは見えなかった。けれどかすがは、じわりと膝を濡らす感覚に、謙信の静かすぎる爆発を見た気がした。
ただ頬を伝い瞳をにじませるその涙が、きらきらと光っていた。
「去ることなど、私は許しませんよ、かすが」
「お許しください」
「許さぬ…」
「謙信様」
「許さぬと申した…そなたが居なくなることなど、許さない、許さない…違う、嫌だ…」
かたくなに呟き続ける言葉は。
これではまるで。
「嫌…嫌、なのです。かすが…居なくなるな、どこへも…そなたはどこへもいくな…そして、私を、卑怯な私を許してください、かすが…」
千里離れたとて、決して忘れない謙信のかんばせは、こんな。かすがを見る、いつも笑っていた切れ長の目は。与えてくれた名を、いつも囁いていた唇は。
かすがには、謙信が何を謝るのかわからない。痛い程にかすがの手を掴んで話さない謙信の手。いつもよりも大きく見える謙信の蒼い目。
小さくわななく小さな唇。全てかすがだけに向けられる謙信の感情。いかないでと、懇願するように、祈るように、よく光る瞳でかすがを見上げている姿はただただ綺麗でかなしく、かすがはわけがわからなくなった。
「謙信様、謙信さまが謝られることなど、何も…お詫び申し上げても、足りないのはわたし、で…」
言葉は次第に震えていく。
謙信は、仔猫のように、かすがの膝に顔を押し付けてふるふると首を振る。じわりと膝に温かいものを感じた。泣いている、謙信が泣いている!
「だからわたしは、去…」
「許しません」
あの時の謙信に見えた、蒼い炎のようなゆらめきは見えなかった。けれどかすがは、じわりと膝を濡らす感覚に、謙信の静かすぎる爆発を見た気がした。
ただ頬を伝い瞳をにじませるその涙が、きらきらと光っていた。
「去ることなど、私は許しませんよ、かすが」
「お許しください」
「許さぬ…」
「謙信様」
「許さぬと申した…そなたが居なくなることなど、許さない、許さない…違う、嫌だ…」
かたくなに呟き続ける言葉は。
これではまるで。
「嫌…嫌、なのです。かすが…居なくなるな、どこへも…そなたはどこへもいくな…そして、私を、卑怯な私を許してください、かすが…」
これではまるで、愛の告白ではないか。
「かすが、どこへも…」
かすがには、わけがわからなかった。
わかったのは、とても数少ないことだった。
「参りません」
「どこへも…」
「かすがは、何時までも御傍に」
しがみつくように抱きしめられたことも、縋る様に抱きしめ返したことも。思う限りの言葉と涙を、互いに止められず流したことも。
みんなみんな初めてだということだけだった。
かすがには、わけがわからなかった。
わかったのは、とても数少ないことだった。
「参りません」
「どこへも…」
「かすがは、何時までも御傍に」
しがみつくように抱きしめられたことも、縋る様に抱きしめ返したことも。思う限りの言葉と涙を、互いに止められず流したことも。
みんなみんな初めてだということだけだった。




