「赤軍に勝るものなし」(別名「白軍、黒い男爵…」)は、ロシア内戦期に作曲家サムイル・ポクラスと詩人パーヴェル・ゴリンシュテイン(筆名グリゴリエフ)によって作られた歌曲である。
成立の経緯
本曲は1920年、歌詞を一部改変したロシア語版として初めて歌われた。もともとはキエフ軍管区部隊のために書かれ、国外では「赤軍行進曲(March of the Red Army)」の名で知られるようになった。
1920年夏、クリミアからバロン・ヴラーンゲリ将軍率いるロシア軍がロシア・ソビエト連邦社会主義共和国へ侵攻した出来事に呼応して作られた。印刷物として公に登場したのは1925年で、その後「タイガからブリテンの海まで」「赤軍」「赤軍兵の歌」など様々な題名で再刊され、1937年以降「赤軍に勝るものなし」が定着した。
長らく作者名は明示されなかったが、1950年代に音楽学者A・V・シーロフが作曲をポクラス、作詞をゴリンシュテインと特定した(ただしその信憑性には異論もある)。
歌詞(主要部分・抄訳)
白軍、黒い男爵
再び皇帝の玉座を用意する
だがタイガからブリテンの海まで
赤軍に勝るものなし
再び皇帝の玉座を用意する
だがタイガからブリテンの海まで
赤軍に勝るものなし
(サビ)
赤き戦士よ
たくましき手で
銃剣を固く握れ
われらすべて
とどまることなく
最後の決死戦へ進め
赤き戦士よ
たくましき手で
銃剣を固く握れ
われらすべて
とどまることなく
最後の決死戦へ進め
赤軍よ、進め、進め!
革命軍事会議が我らを戦いへ呼ぶ
タイガからブリテンの海まで
赤軍に勝るものなし
革命軍事会議が我らを戦いへ呼ぶ
タイガからブリテンの海まで
赤軍に勝るものなし
世界革命の炎を燃え上がらせ
教会と牢獄を地に平らげよ
タイガからブリテンの海まで
赤軍に勝るものなし
教会と牢獄を地に平らげよ
タイガからブリテンの海まで
赤軍に勝るものなし
演奏と改作
ソ連国防省模範軍楽隊など、多くの軍楽隊が演奏した。一般的な版では第三連が省略されることが多い。
2001年には歌手イワン・バラーノフが新編曲版を発表し、宗教観への配慮から「教会」を「銀行」に変更した。
2001年には歌手イワン・バラーノフが新編曲版を発表し、宗教観への配慮から「教会」を「銀行」に変更した。
この曲は軍の式典のほか、CSKA系スポーツクラブの応援歌としても使用され、モスクワやサンクトペテルブルクのファンの間で替え歌が存在する。
海外版
旋律は国外でも広まり、ハンガリーでは「赤い予備隊の行進曲」、スペイン内戦期には「チャパエフ大隊行進曲」として歌われた。
1934年、オーストリアの反ファシズム蜂起の際にはドイツ語版「Die Arbeiter von Wien(ウィーンの労働者)」が作られた。
1934年、オーストリアの反ファシズム蜂起の際にはドイツ語版「Die Arbeiter von Wien(ウィーンの労働者)」が作られた。
またトルコ語、日本語版も存在する。
ユーゴスラビア連邦共和国ではNATO空爆期に替え歌「Demokratska NATO Armija」が作られた。
ユーゴスラビア連邦共和国ではNATO空爆期に替え歌「Demokratska NATO Armija」が作られた。
起源説
近年、旋律の原型が1768年のボルゴの戦いを記念するコルシカ語歌曲「Borgu」にあるとの説が流布した。しかし、コルシカのグループ「I Chjami Aghjalesi」のアルバム『Sventulerà』のクレジットでも作曲者はポクラスとグリゴリエフとされており、この説は根拠に乏しいとされる。