はるの(ふわく)

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***&bold(){2009年12月26日深夜、終電後、えみ宅を訪れるも追い返され、凍死。他界。享年61歳。} 私の Bee arts Inc. で、 総合芸術プロモート(テクスト、ヴィジュアル、ミュージック)の、 相談、プランニング、出版、を承っております。 お気軽にMixi mailで連絡ください。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 近々、町田市周辺(地域は限定するものではないが)(通常に通えることを最低限最低条件として)引きこもり者、もしくはコンプレックス、悩みを持ってる人を、 対象とした、会話法、自立のための生活法(料理の調理法、部屋の整理法、身辺をクリーン・アップする法、生活費の管理法)、心の合理的持ち方の訓練の、 ボランィアのムーヴメントを始めます。 場所は、町田市フォーラム。 時間は半日。 日にちは月4回。 費用は料理の実費を等分したくらい。 後は必要ありません。 それによって自信がもたれたら、卒業していただきます。 無職の方は就活へ、あと、婚活、学活などへの生活に戻っていただきます。 あえて、NPO法人はとりません。 私の個人の主催にこだわるつもりです。 コミュニティの名称「モアウェル・ネット(morewell.net)」 具体的にアクティヴになる日にちは未定です。 決定したら、ここで告知します。 気軽に問い合わせてください。          協賛法人、個人の方も          お気軽にmailください。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー )春野 一樹のブック・サイト https://www.digbook.jp/advanced_search_result.php/search_in_writer/1?keywords=%BD%D5%CC%EE%A1%A1%B0%EC%BC%F9&osCsid=lbca2oqgksko94qus58jtr8pb2&x=11&y=5 )抜粋も読めますよ 以前、私のサポーター・コミュニュティに トピックスとして書いたものを、 限られた範囲で読まれるより、 もっと多くの人に読んでもらうために、 日記にコピー・アップロードしてたけど 日と日に埋もれてしまうのを恐れて、 いっそ、トップ・ページにアップ・ロードすることにしました。 そのほうが恒久的でしょう? どうぞ、よろしく。 はるの アップ・ロードの目的は、 私を個別に知っていただくとともに、 この事例が、何らかの人にも同じように、 見られたら、普遍性があるということで、 今後の、こういうことで困った状況に置かれた人がいた場合、 力になれる、ということもあります。 生きることは、決して捨てたものじゃありません。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー 春野一樹のサポータ・コミュニティ ワントピック なぜ、かつての偉人たちを引き合いに出さねばならなかったかの、 弁明。 ーーーーーー なぜ、私がトピックにアンデルセンとキルケゴールを登場させたか? この動機を述べておきましょう。 いや、述べておかなければならないのです。 伊達や酔狂で取り上げたわけではないのです。 人類史上のひとつの証左としてテキストにしておかなければならないのです。 最初にキルケゴールの場合を考えて見ましょう。 つまり、キルケゴールとレギーネ・オルセンの関係性です。 ざっと、簡潔に述べましょう。 レギーネはキルケゴールの好みにあった女性であったわけです。 そのことを、彼は文章にしてますし、客観的な人による証言的な文章も残っております。たとえばレギーネは、キルケゴールが父親から受け継いだ意志=神への嫌悪感=神への攻撃、対決=による彼の苦しい心境に安息を与える存在だった。出会いまでの来し方からすれば、運命的といえるものだった。 人はだれでも、一生のうち、そう呼べるものが一度や二度はあるものです。たとえ、有名無名を問わずして。皆さんも心当たりがあることでしょう。得てして、表現者はそういうものを表現しているものです。話を元に戻しましょう。キルケゴールはレギーネを好意から愛情を抱くまでに至りました。ここまでは神の意志どおりなのです。でも、その次からがいけなかった。彼の、主義=持って立つところ=思想=哲学=生き方、(これなくしたら人は何のため生きるのでしょう)から婚約の承認を得た後ですら愛の形である結婚という形を拒んだ。つまり、彼の考え方からすれば結婚しないで彼女と愛し合う精神の関係性に愛の最もステージの高いものだと思い、婚約を破棄してしまった。キルケゴールとレギーネはお互い好き合い、愛情を持ち合っていたのですよ。彼らの関係の破綻から神のプラン、スケジュール、シナリオからの迷走が始まった。神の思惑は二人は当然、結婚するとばかり思ってた。最後の結婚=do=で、キルケゴールは自分勝手に(神の意志からすれば彼の思い勝手に=彼の意思からすれば当然に「この自発性は当たり前であり正当なことなのです。私はその正当性を支持するものです。」)生きてしまった。ここからが重要なのです。意外と、皆さんは、神なんて漠然と捉えてるでしょう?運がいい、ラッキー、不運、神頼み、運命的な出会い、なんてマルクス辺りから来る科学性からすると、ほほえましい限りの他愛のないことなんです。しかし、人生もステージが上がってくると、大体がそこに至る前に死んじゃうんですけどね、でも、つわものはそこまで至るのです。そこで、それらの人々は神の存在を確認、認識をするのです。たしかに、神は居て在ります。私は宗教で使われる言葉のことを言ってるのではないのです。そして、哲学用語として使ってるわけじゃないのです。理解できなかったら、スルーしてください。さて、神の意に反したキルケゴールは神の圧力(神は人を思い通りにしたいらしい)に猛烈な反撃を試みるが人間ですから限界があります。ある日、神の手によって殺されてしまいます。神は殺人者でもあったのです。神にとっては彼は邪魔で自らの存在を危うくする存在だったのでしょう。 次は、副管理人のアナクスナムーンさんの場合を考えて見ましょう。 彼女は思いを寄せた男性 石原に失恋したことをきっかけに、 なかば、やけくそに上京した。(私はこの心のエネルギーのリバウンドに一票です。ここよく覚えておいてくださいよ) そのことは、彼女のプロフィールを読めば確認できます。 はたして、彼女と彼の間で運命的な出会いであったかどうかは、それらを読む限りでは窺い知れませんが、でも、ここであえて取り上げなくてはいけないことは、彼女のとった行動です。ここが重要なのです。このような類のアクションを私は私の仕事のテーマにしているからです。もはや、ライフ・ワークといっても差し支えないでしょう。 話を纏めましょう。 二人を登場させて共通項といったら恋愛、失恋、その後の自発的な行動といったところでしょうか? 神に対する認識は両者とも同じだったかどうかはわかりませんが。 さて、さて、最後に私の場合を述べましょう。 私は一年半前に町田に引っ越してきました。 では、なぜ、それまで住んでいたところから東京に引っ越したのでしょう? いいでしょう、話しましょう。 5年前離婚し、単身私は三年前までは東京で暮らしておりました。 そして、東京生活に一区切りをつけるため、生まれ故郷に引っ越しました。 つまり、リタイアしたわけです。 故郷とは会津若松市です。 ゆっくり隠居暮らしを楽しみたい、かったはずなんですが、世間はそうは甘くはありませんでした。 ひとつの答えがそこにはあります。 人間はどこへ行こうと自分に関わる社会は付き纏う。 これが、ワン・アンサーです。 そこから演繹されるのが、人はどこへも逃れられないということです。 本題に戻しましょう。 では、なぜ、再上京したか? 述べましょう。 田舎での一年半の暮らしの中で、こういうことがありました。 そこは会津若松市材木町2丁目の市営住宅D棟です。 私は4階の7号室に住みました。単身でも入居できました。 引っ越して、ニケ月もする頃、多くの出会いの中に運命的(苦笑気味にいうしかないのですが)ないち出会いがありました。 出会いには、幸運と不運のふたつがあります。私の場合は後者にあたります。 それは、決して、今までの人生の中であった何度かの運命的といえる出来事からすると、意味合い的にも(今となっては序章は芥子粒ほどであったと)、位置的にも、ドラマツルギー、価値的にも、それらあらゆることを考えても取るに足らない微小な運命性しか見出すことが出来ませんが。つまり、皆さんが、あるところに引っ越したとして、その辺の近所のだれかさんと顔を合わせて、あら、まあ、越してこられたのですね、はい、そうです、宜しくお願いします、と、挨拶を交わしたぐらいに捉えてよろしいでしょう。 でも、後々暮らしていくうちに、大きく意味合いを与えられていったとしたらどうします?その、何気ない事柄に何らかの意図が秘められていたことに気づくのは誰にだって容易ですし、生活そのものがそのように誘導されていくのです。 それが、前に出した、キルケゴールの場合の、神の意図なのです。 その、日常的な些事に神のプラン、スケジュール、シナリオ、に入場するきっかけが込められていたのです。 普遍的な神は存在します。 でも、ほとんどの人が錯覚、もしくは自分の願望で作り上げています。 普遍の神は姿形を変えてヨーロッパ、アメリカ、アジア、アフリカ、ユーラシア、日本、と存在します。既成の宗教の神もそのひとつに過ぎません。 トータライゼイションして普通名詞の「固有名詞の神」は存在します。居ます。 「The God 」ですね。ここでカオスの概念を入れると、後に述べるvsが明確にならなくなり、西部劇になります。インディアンが悪のままです。むしろ、善悪の対立が後には逆転しなくてはいけないのです。新天地に誰が踏み込んできたのですか? また、話を元に戻しましょう。 私を引っ越さざるを得なくした、運命的な出会い。 キルケゴールとレギーネ・オルセン。 アナクスナムーンさんとイケメンの男 石原。 私の場合は、一人の田舎娘(20代) 佐藤(同じ棟2階に住む)でした。 キルケゴールたちの場合は、両想いでした。 アナクスさんたちの場合は彼女の片思いでした。 私の場合は私の片嫌い、娘の片思い(後、彼女の我侭でしかなくなり、後、女の病気でしかなくなる。そして、医療行為を受けずとも元気に生きている矛盾から来る答え=ポーズ=ここを良く覚えておいてくださいよ、これが後の誰かさんの意図に繋がります。)でした。 それぞれのケースをよく考えてください。 それで、一年以上も、ただ、ある夕方挨拶を一度交わしただけで、 じわじわと、休む日もなく関係性を求められる、圧力に嫌気がさして 町田に引っ越してしまったわけです。 だって、挨拶を交わしたからって結婚せねばならない理由も義務も責任も人間愛もへったくれもないわけでしょう? 周りでは、(D棟では斉藤=夫婦2人と息子、娘、二宮=旦那1人、南向かいの棟の1家族=夫婦2人と小学不登校児1人、北向かいの棟の1家族=夫婦2人と小学不登校児2人、あと部屋番号不明な3人くらい、積極参加でなくとも組長の金田と民生委員の榊原)それを、自分らを神の存在としてこれしかないと絶対的に言ってくるのですから、こっちでも、絶対的にキルケゴールが神に対峙したように存在するのです。 普通、恋愛で振られた場合、例えば、付き合いを断られた場合、 アナクスさんのように断られたほうが動くんでしょう? 断られたほうが、さも自分の主張に正当性を見出し居座るごとく 毎日のように「私と付き合って、あなたと付き合いたい。来てー!」と来られても、困り、迷惑なのは断ったほうですよね。 政府の法務省の出先機関にも相談しました。 市議会議員にも相談しました。 警察にも相談しました。 民生委員にも相談しました(その人こそぬけぬけと私にうそを付いていたのですから) 組長にも相談しました(話をつじつま合わせると、なんらかの住人たちの口裏あわせがあったと思わざるをえない) でも、問題は解決しませんでした。 周辺の印象。ともかく、その住人たちは外出しないということです。 一日一切外に出る気配がないのです。 一日中、部屋の中で大声で叫んでるか、仕事で出かけるわけでもありません。 せいぜい出て階段の踊場くらいでした。 声の様子から病気のようにも感じられないし、むしろ、健常者より健康的で元気でした。それでいて、年金受給者ほどの年齢も感じられませんでした。それは声の質でわかります。近くに銭湯があり、それら、市営住宅のすべては、入浴設備がありませんでした。こんなことがありましたよ。ある日、銭湯に入ってると女風呂に低い野太い男の声が混じってました。そんなところです。 その動機に神の存在を確認したわけです。 これは、狂気でも、幻想でも、捏造でも、詐欺でもありません。 現実で事実です。 だから、私は引っ越したのです。 さて、長々とこれらを引き合いにして 論述せねばならないかというと、 神はキルケゴールを自分の意志にそぐわぬといって、殺したくらいですから 神にそぐわぬ私も、いつ、その憂き目に合わんとはかぎりません。 だから、そうなる前にこのことを書いておきたかったのです。 みなさんの、サポートを願うばかりです。 あなたがたの個人情報は守ります。 神に合理性がなく、人生の決断をあるひとつに強いるなら、それには正当性がなく、もはや悪意でしかありません。それは悪神=悪魔と名辞されております。断固、対峙しましょう。その時、神はもはや我々の側の存在となります。明分化されるのです。悪魔vs神。         はるの        2009/1/17                at 町田 私は対立概念を遊んでいるわけでは在りません。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 何らかの心に悩みがある人は、 物質的には大して、サポートできませんが、 相談に乗ります。 いままでに、そうして、 相談に乗ってあげた、そして、私の元から元気に、 現実に帰っていった、もしくは、お付き合いしてる子が、 結構おります。 新宿の母ならぬ、 mixiの父になりたいと思ってます(笑) 20009/10/27 はるの かつて、2009年前に、こういう人物がおりました。 その人は、弟子に自分の教えを諭す、 リアリティにおいて、荒野で40日間、 悪魔と対峙して、勝利を得ました。 それで自分の教えに確信を持ちました。 でなかったら、単なる、ホラ吹きに過ぎないでしょう。 で、私の場合、3年半亘って、悪魔と戦い、 結果として、彼らとの関係性はまだ絶てないけれど、 おおむね、よい結果を得てます。 だから、私は決してカルト的な 悪魔祓いとか、エクソシストなどの 非現実なことを、状況として捉えているのではありません。 あとは、これを読んだ人の判断にお任せします。 You may say I'm a crazer ? ♪♪♪♪♪♪♪♪ ***&bold(){要するに関わってはいけないタイプの人間である。}
***&bold(){2009年12月26日深夜、終電後、えみ宅を訪れるも追い返され、凍死。他界。享年61歳。} 私の Bee arts Inc. で、 総合芸術プロモート(テクスト、ヴィジュアル、ミュージック)の、 相談、プランニング、出版、を承っております。 お気軽にMixi mailで連絡ください。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 近々、町田市周辺(地域は限定するものではないが)(通常に通えることを最低限最低条件として)引きこもり者、もしくはコンプレックス、悩みを持ってる人を、 対象とした、会話法、自立のための生活法(料理の調理法、部屋の整理法、身辺をクリーン・アップする法、生活費の管理法)、心の合理的持ち方の訓練の、 ボランィアのムーヴメントを始めます。 場所は、町田市フォーラム。 時間は半日。 日にちは月4回。 費用は料理の実費を等分したくらい。 後は必要ありません。 それによって自信がもたれたら、卒業していただきます。 無職の方は就活へ、あと、婚活、学活などへの生活に戻っていただきます。 あえて、NPO法人はとりません。 私の個人の主催にこだわるつもりです。 コミュニティの名称「モアウェル・ネット(morewell.net)」 具体的にアクティヴになる日にちは未定です。 決定したら、ここで告知します。 気軽に問い合わせてください。          協賛法人、個人の方も          お気軽にmailください。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー )春野 一樹のブック・サイト https://www.digbook.jp/advanced_search_result.php/search_in_writer/1?keywords=%BD%D5%CC%EE%A1%A1%B0%EC%BC%F9&osCsid=lbca2oqgksko94qus58jtr8pb2&x=11&y=5 )抜粋も読めますよ 以前、私のサポーター・コミュニュティに トピックスとして書いたものを、 限られた範囲で読まれるより、 もっと多くの人に読んでもらうために、 日記にコピー・アップロードしてたけど 日と日に埋もれてしまうのを恐れて、 いっそ、トップ・ページにアップ・ロードすることにしました。 そのほうが恒久的でしょう? どうぞ、よろしく。 はるの アップ・ロードの目的は、 私を個別に知っていただくとともに、 この事例が、何らかの人にも同じように、 見られたら、普遍性があるということで、 今後の、こういうことで困った状況に置かれた人がいた場合、 力になれる、ということもあります。 生きることは、決して捨てたものじゃありません。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー 春野一樹のサポータ・コミュニティ ワントピック なぜ、かつての偉人たちを引き合いに出さねばならなかったかの、 弁明。 ーーーーーー なぜ、私がトピックにアンデルセンとキルケゴールを登場させたか? この動機を述べておきましょう。 いや、述べておかなければならないのです。 伊達や酔狂で取り上げたわけではないのです。 人類史上のひとつの証左としてテキストにしておかなければならないのです。 最初にキルケゴールの場合を考えて見ましょう。 つまり、キルケゴールとレギーネ・オルセンの関係性です。 ざっと、簡潔に述べましょう。 レギーネはキルケゴールの好みにあった女性であったわけです。 そのことを、彼は文章にしてますし、客観的な人による証言的な文章も残っております。たとえばレギーネは、キルケゴールが父親から受け継いだ意志=神への嫌悪感=神への攻撃、対決=による彼の苦しい心境に安息を与える存在だった。出会いまでの来し方からすれば、運命的といえるものだった。 人はだれでも、一生のうち、そう呼べるものが一度や二度はあるものです。たとえ、有名無名を問わずして。皆さんも心当たりがあることでしょう。得てして、表現者はそういうものを表現しているものです。話を元に戻しましょう。キルケゴールはレギーネを好意から愛情を抱くまでに至りました。ここまでは神の意志どおりなのです。でも、その次からがいけなかった。彼の、主義=持って立つところ=思想=哲学=生き方、(これなくしたら人は何のため生きるのでしょう)から婚約の承認を得た後ですら愛の形である結婚という形を拒んだ。つまり、彼の考え方からすれば結婚しないで彼女と愛し合う精神の関係性に愛の最もステージの高いものだと思い、婚約を破棄してしまった。キルケゴールとレギーネはお互い好き合い、愛情を持ち合っていたのですよ。彼らの関係の破綻から神のプラン、スケジュール、シナリオからの迷走が始まった。神の思惑は二人は当然、結婚するとばかり思ってた。最後の結婚=do=で、キルケゴールは自分勝手に(神の意志からすれば彼の思い勝手に=彼の意思からすれば当然に「この自発性は当たり前であり正当なことなのです。私はその正当性を支持するものです。」)生きてしまった。ここからが重要なのです。意外と、皆さんは、神なんて漠然と捉えてるでしょう?運がいい、ラッキー、不運、神頼み、運命的な出会い、なんてマルクス辺りから来る科学性からすると、ほほえましい限りの他愛のないことなんです。しかし、人生もステージが上がってくると、大体がそこに至る前に死んじゃうんですけどね、でも、つわものはそこまで至るのです。そこで、それらの人々は神の存在を確認、認識をするのです。たしかに、神は居て在ります。私は宗教で使われる言葉のことを言ってるのではないのです。そして、哲学用語として使ってるわけじゃないのです。理解できなかったら、スルーしてください。さて、神の意に反したキルケゴールは神の圧力(神は人を思い通りにしたいらしい)に猛烈な反撃を試みるが人間ですから限界があります。ある日、神の手によって殺されてしまいます。神は殺人者でもあったのです。神にとっては彼は邪魔で自らの存在を危うくする存在だったのでしょう。 次は、副管理人のアナクスナムーンさんの場合を考えて見ましょう。 彼女は思いを寄せた男性 石原に失恋したことをきっかけに、 なかば、やけくそに上京した。(私はこの心のエネルギーのリバウンドに一票です。ここよく覚えておいてくださいよ) そのことは、彼女のプロフィールを読めば確認できます。 はたして、彼女と彼の間で運命的な出会いであったかどうかは、それらを読む限りでは窺い知れませんが、でも、ここであえて取り上げなくてはいけないことは、彼女のとった行動です。ここが重要なのです。このような類のアクションを私は私の仕事のテーマにしているからです。もはや、ライフ・ワークといっても差し支えないでしょう。 話を纏めましょう。 二人を登場させて共通項といったら恋愛、失恋、その後の自発的な行動といったところでしょうか? 神に対する認識は両者とも同じだったかどうかはわかりませんが。 さて、さて、最後に私の場合を述べましょう。 私は一年半前に町田に引っ越してきました。 では、なぜ、それまで住んでいたところから東京に引っ越したのでしょう? いいでしょう、話しましょう。 5年前離婚し、単身私は三年前までは東京で暮らしておりました。 そして、東京生活に一区切りをつけるため、生まれ故郷に引っ越しました。 つまり、リタイアしたわけです。 故郷とは会津若松市です。 ゆっくり隠居暮らしを楽しみたい、かったはずなんですが、世間はそうは甘くはありませんでした。 ひとつの答えがそこにはあります。 人間はどこへ行こうと自分に関わる社会は付き纏う。 これが、ワン・アンサーです。 そこから演繹されるのが、人はどこへも逃れられないということです。 本題に戻しましょう。 では、なぜ、再上京したか? 述べましょう。 田舎での一年半の暮らしの中で、こういうことがありました。 そこは会津若松市材木町2丁目の市営住宅D棟です。 私は4階の7号室に住みました。単身でも入居できました。 引っ越して、ニケ月もする頃、多くの出会いの中に運命的(苦笑気味にいうしかないのですが)ないち出会いがありました。 出会いには、幸運と不運のふたつがあります。私の場合は後者にあたります。 それは、決して、今までの人生の中であった何度かの運命的といえる出来事からすると、意味合い的にも(今となっては序章は芥子粒ほどであったと)、位置的にも、ドラマツルギー、価値的にも、それらあらゆることを考えても取るに足らない微小な運命性しか見出すことが出来ませんが。つまり、皆さんが、あるところに引っ越したとして、その辺の近所のだれかさんと顔を合わせて、あら、まあ、越してこられたのですね、はい、そうです、宜しくお願いします、と、挨拶を交わしたぐらいに捉えてよろしいでしょう。 でも、後々暮らしていくうちに、大きく意味合いを与えられていったとしたらどうします?その、何気ない事柄に何らかの意図が秘められていたことに気づくのは誰にだって容易ですし、生活そのものがそのように誘導されていくのです。 それが、前に出した、キルケゴールの場合の、神の意図なのです。 その、日常的な些事に神のプラン、スケジュール、シナリオ、に入場するきっかけが込められていたのです。 普遍的な神は存在します。 でも、ほとんどの人が錯覚、もしくは自分の願望で作り上げています。 普遍の神は姿形を変えてヨーロッパ、アメリカ、アジア、アフリカ、ユーラシア、日本、と存在します。既成の宗教の神もそのひとつに過ぎません。 トータライゼイションして普通名詞の「固有名詞の神」は存在します。居ます。 「The God 」ですね。ここでカオスの概念を入れると、後に述べるvsが明確にならなくなり、西部劇になります。インディアンが悪のままです。むしろ、善悪の対立が後には逆転しなくてはいけないのです。新天地に誰が踏み込んできたのですか? また、話を元に戻しましょう。 私を引っ越さざるを得なくした、運命的な出会い。 キルケゴールとレギーネ・オルセン。 アナクスナムーンさんとイケメンの男 石原。 私の場合は、一人の田舎娘(20代) 佐藤(同じ棟2階に住む)でした。 キルケゴールたちの場合は、両想いでした。 アナクスさんたちの場合は彼女の片思いでした。 私の場合は私の片嫌い、娘の片思い(後、彼女の我侭でしかなくなり、後、女の病気でしかなくなる。そして、医療行為を受けずとも元気に生きている矛盾から来る答え=ポーズ=ここを良く覚えておいてくださいよ、これが後の誰かさんの意図に繋がります。)でした。 それぞれのケースをよく考えてください。 それで、一年以上も、ただ、ある夕方挨拶を一度交わしただけで、 じわじわと、休む日もなく関係性を求められる、圧力に嫌気がさして 町田に引っ越してしまったわけです。 だって、挨拶を交わしたからって結婚せねばならない理由も義務も責任も人間愛もへったくれもないわけでしょう? 周りでは、(D棟では斉藤=夫婦2人と息子、娘、二宮=旦那1人、南向かいの棟の1家族=夫婦2人と小学不登校児1人、北向かいの棟の1家族=夫婦2人と小学不登校児2人、あと部屋番号不明な3人くらい、積極参加でなくとも組長の金田と民生委員の榊原)それを、自分らを神の存在としてこれしかないと絶対的に言ってくるのですから、こっちでも、絶対的にキルケゴールが神に対峙したように存在するのです。 普通、恋愛で振られた場合、例えば、付き合いを断られた場合、 アナクスさんのように断られたほうが動くんでしょう? 断られたほうが、さも自分の主張に正当性を見出し居座るごとく 毎日のように「私と付き合って、あなたと付き合いたい。来てー!」と来られても、困り、迷惑なのは断ったほうですよね。 政府の法務省の出先機関にも相談しました。 市議会議員にも相談しました。 警察にも相談しました。 民生委員にも相談しました(その人こそぬけぬけと私にうそを付いていたのですから) 組長にも相談しました(話をつじつま合わせると、なんらかの住人たちの口裏あわせがあったと思わざるをえない) でも、問題は解決しませんでした。 周辺の印象。ともかく、その住人たちは外出しないということです。 一日一切外に出る気配がないのです。 一日中、部屋の中で大声で叫んでるか、仕事で出かけるわけでもありません。 せいぜい出て階段の踊場くらいでした。 声の様子から病気のようにも感じられないし、むしろ、健常者より健康的で元気でした。それでいて、年金受給者ほどの年齢も感じられませんでした。それは声の質でわかります。近くに銭湯があり、それら、市営住宅のすべては、入浴設備がありませんでした。こんなことがありましたよ。ある日、銭湯に入ってると女風呂に低い野太い男の声が混じってました。そんなところです。 その動機に神の存在を確認したわけです。 これは、狂気でも、幻想でも、捏造でも、詐欺でもありません。 現実で事実です。 だから、私は引っ越したのです。 さて、長々とこれらを引き合いにして 論述せねばならないかというと、 神はキルケゴールを自分の意志にそぐわぬといって、殺したくらいですから 神にそぐわぬ私も、いつ、その憂き目に合わんとはかぎりません。 だから、そうなる前にこのことを書いておきたかったのです。 みなさんの、サポートを願うばかりです。 あなたがたの個人情報は守ります。 神に合理性がなく、人生の決断をあるひとつに強いるなら、それには正当性がなく、もはや悪意でしかありません。それは悪神=悪魔と名辞されております。断固、対峙しましょう。その時、神はもはや我々の側の存在となります。明分化されるのです。悪魔vs神。         はるの        2009/1/17                at 町田 私は対立概念を遊んでいるわけでは在りません。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 何らかの心に悩みがある人は、 物質的には大して、サポートできませんが、 相談に乗ります。 いままでに、そうして、 相談に乗ってあげた、そして、私の元から元気に、 現実に帰っていった、もしくは、お付き合いしてる子が、 結構おります。 新宿の母ならぬ、 mixiの父になりたいと思ってます(笑) 20009/10/27 はるの かつて、2009年前に、こういう人物がおりました。 その人は、弟子に自分の教えを諭す、 リアリティにおいて、荒野で40日間、 悪魔と対峙して、勝利を得ました。 それで自分の教えに確信を持ちました。 でなかったら、単なる、ホラ吹きに過ぎないでしょう。 で、私の場合、3年半亘って、悪魔と戦い、 結果として、彼らとの関係性はまだ絶てないけれど、 おおむね、よい結果を得てます。 だから、私は決してカルト的な 悪魔祓いとか、エクソシストなどの 非現実なことを、状況として捉えているのではありません。 あとは、これを読んだ人の判断にお任せします。 You may say I'm a crazer ? ♪♪♪♪♪♪♪♪ ***&bold(){要するに関わってはいけないタイプの人間である。}

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