「で――どうかな?」

決して広くもないアパートの一室、目の前で白い少女が可憐に微笑む。
ニヤニヤと、赤ら顔の老人が見守る。

唐突な『主催者』の来訪。
唐突な『同盟』の提案。

長考の果てに、天才たる香篤井希彦が出した答えは――

「……同盟、いいでしょう。ただし、それには条件があります」
「うん、うん。
 そうだよね。
 それが普通の反応だよね。条件くらいは出してくるよね。
 同盟申し込んだのはこっちだもんね。言ってみて、大抵のことなら聞くから」
「そうですか。では改めて……」

そこで希彦は、少女に向かって深々と頭を下げた。
真摯に、きっちりと、頭を下げて、そして言った。


「同盟の条件として――神寂祓葉さん。

 貴女と、結婚を前提としたお付き合いをさせて下さい!」


「…………」
「…………」
「……えーーーーーーーーっ!?」
「……ぶわっはっはっはっはっはっは!」

数秒の間をおいて、少女が素っ頓狂な叫びを上げるのと、老人が大爆笑するのとは、ほぼ同時だった。


 ★


「え、結婚って、えーー!」
「ひゃっふう、ここ一番という所で儂の予想を超えてきおったわ!
 おい希彦、おぬし、どこまで本気だ?」
「男を見せろと言ったのは貴方でしょう。僕は本気も本気ですよ」

未だ衝撃冷めやらぬ様子の少女の前で、笑い過ぎて目の端に涙を浮かべた老人は問いかける。
青年はどこまでも真剣な表情のままだ。

「仮にその提案が受け入れられたとするじゃろ。
 その場合、目の前のこの聖杯戦争はどうする」
「どうしましょうかね。
 一応、マスターが全員死ななくても聖杯戦争は終了できるシステムなんですよね。
 僕と彼女の2組が最後まで残るように立ち回るのは当然として、そうですね……
 最後の仕上げに、そこのキャスターに令呪でも切って自害でもさせましょうか」
「おいこら小僧。
 本人を前に言う企みじゃねぇだろ、それ」
「もし万が一のことがあったら、互いを聖杯の奇跡で蘇生させてもいいんですけどね……それは奇跡が勿体ないかな……。
 彼女がこの催しの主だと言うなら裏技とかもあるんでしょうけど、ズルはしたくないって言ってましたしね。
 僕も嫌がることはやらせたくないし、悩ましいですね。
 まあその辺のことは、おいおい考えます。
 いずれにせよ、2人揃って生き延びて、2人揃って幸せになります。
 僕が貴女を幸せにします。これは確定した未来です」
「あの、えと、幸せにするって、その……えーーーーっ」

祓葉は顔を真っ赤にして叫ぶ。
老人はそれを見て笑いながら手の中のカップ酒を煽ろうとして、改めて空になっていることに気付く。

「あの、その、私、まだ17歳だし……」
「なので『結婚を前提として』です。法的な手続きとかは後回しでいいんですよ」
「ううっ、その、私たち、会ったばかりだし……」
「恋愛に時間なんて関係ありません。これは運命なんです。
 何より僕に会いに来てくれたのは貴女の方だ」
「そ、そうだけど、別にそんなつもりじゃなかったというか……!」
「僕では貴女に相応しくありませんか?
 そうではないはずだ。
 最初に会った時に言ってくれましたよね、『かっこいいお兄さん』と。
 僕はまだ貴女のことを多くは知りませんが、それでも断言できます。
 貴女はああいう時に、心にもないことを吐けるような人物ではない」
「あ、あううう……」

希彦はグイグイと迫る。少女は少しだけ身を引く。
上目遣いで、目の前の整った顔の美青年を見上げる。

「その、えーっと、『お友達から』、ってのじゃ……ダメ?」
「もちろん僕も常識的に段階は踏みますよ。
 何をするにも貴女の意思を無視して進めることはありません。
 無理やりに、だとか、力づくで、だとかは僕の流儀ではない。
 万が一にも不快を感じたのなら、そこで前言撤回して絶縁を告げて貰っても構いません。
 男女の仲というのはそういうものですから。ただし」

希彦は一息つくと、キラリと眼鏡を光らせる。

「ただし、『お友達』などという、使い古された言葉で時間稼ぎができるとは思わないで頂きたい。
 もし貴女がこの同盟条件を受け入れてくれるというのなら、僕は『お友達』で終わる気はないのでガンガン行きますよ。
 全ての段階において貴女を満足させ納得させるだけの自信もあります」
「ううう……っ」
「攻めるのぉ。さっきまで縮こまって悩んでいた小僧とも思えんわぃ」
「腹を括りましたからね」

香篤井希彦は真顔で応える。
どこまでも真摯に言葉を重ねる。

「もしそれだけはダメだと言うのなら、仕方ありません。
 同盟の話も、なかったということで。
 貴女は魅力的なだけではなく、とてつもなく強い。それくらいのことは今の僕にも分かります。
 そうと分かった上で、失恋の痛みを胸に、貴女と戦います。
 貴女を永遠の思い出として僕の心に刻みます。
 仮に力及ばず僕が貴女に倒されたとしても、僕の存在は貴女の心に残り続けるでしょう」
「ううう……っ!
 それはそれでなんか怖いっ……!」
「なんにせよ、中途半端な関係での同盟だけはない、と思って頂きたい」

青年は少女を見つめる。少女は頭を抱えて悩む。
まるで立場が逆転した両者。
やがて少女は、嘆願するかのように、上目遣いで囁いた。

「……あの、ちょっと考える時間、貰ってもいい?」
「もちろんです。その場の勢いで不本意な決断をさせる気は、僕にもありません。
 ただ、のらりくらりと回答を先延ばしにするのはなしですよ。今ここで期限を切って下さい」
「えーっと、じゃあ……明日の朝。
 明日の朝、改めてここに来るから。
 返事はその時でいい?」
「少し長い気もしますが、許容範囲でしょう。
 いいでしょう、
 明日の朝、改めて、お返事をお待ちしています」


 ★


「……おい。さっきの、どこまで本気じゃ色男」
「だから本気も本気だと言ってるじゃないですか」

白い少女が、赤く火照った頬を押さえながら、来た時と同じようにフラッと立ち去った後。
改めて新旧2人の陰陽師はアパートの一室で言葉を交わしていた。

もはや飲む酒も残っていない。
つい開けそびれていた雑多なつまみを乱雑にテーブルに広げる。

「たぶん僕は彼女と巡り合うために沢山の恋を経験してきたんです。
 彼女をエスコートするために経験を積んできたんです」
「重症じゃの。
 もし断られたらどうする」
「その時には頭を丸めて仏門にでも入りますかね。
 もはや彼女以上の相手と会えることはないでしょうし。
 それを悟るためにも、ここまでの女性たちとの出会いにも意味があった」
「重症じゃの。
 ほとんど〈狂気〉じゃ。
 さしずめ、〈恋慕〉の狂気とでも呼ぶべきかの」
「これが狂気であるというなら、もはやそれで構いません。
 むしろ狂気が醒めぬことを願うでしょう」
「重症じゃ。完全に当てられおったわ」

どこまでも真顔な希彦の目には、どこか迫力のある力が籠っている。
そんな青年を前に、裂きイカの一片を咥えたまま、老人は獰猛な笑みを浮かべる。

「じゃがな。希彦よ、おぬしは見事に射止めたぞ。
 あの小娘の、『まだかろうじてヒトであった部分』を、見事に打ち抜きおった。
 どうもあのお嬢ちゃん、ああいうやり取りについては、まだおぼこ同然じゃ。
 いや、比喩でなく、未通女(おぼこ)じゃろうな、おそらく」
「僕の想い人相手に下品な表現はやめてもらえますか?
 ただまあ、半ば納得ですし、半ば驚きもするんですよね。
 あれほどに魅力的な彼女が、どうも男性からの告白すらもロクに受けたことがない。
 不可解です」
「そりゃあアレじゃな、アレがああも『化けた』のはつい最近、ってことなんじゃろうよ」

手持ち無沙汰になった希彦は、柿ピーの袋を手に取って封をあける。
キャスターのために買ってきたつまみだが、カネの出所は希彦の財布だ、遠慮はない。
ボリボリと音を立てて咀嚼する。

「向こうのキャスターの餓鬼は、違うと断じておったがの。
 彼奴らの思惑を越えられるとしたら、まさしくここくらいしかなかろうよ」
「そういうもんですかね」
「ヒトであれば誰もが抱く、より良い相手との間に子を残したいという、原初の願い。
 決して抑えきれぬ本能。
 確か……今どきのハイカラな言葉じゃ、『エロス』とか言うんじゃったかの?」
「それはハイカラではなく、ただのギリシャ神話の神様の名前ですね」
「性と生の同根性。
 命の始点に必ずあるモノ。
 陰陽和合して次の命が生まれるという真理。
 喜べ希彦、貴様の下心は、見事に陰陽道の真髄を体現し、かの巨星にしっかりとその爪を立てたぞ」
「それ褒めてないでしょう」

陰陽道の開祖からのお墨付きに、天才を自認する希彦はむしろ眉を寄せる。
希彦自身の認識としては、ただ必死だっただけだ。
必死に考えて、悩んで、そして結局、自らの衝動に素直に従っただけだった。

「まあ前途は多難じゃがの。
 まずもってあの餓鬼なキャスターが邪魔になるじゃろう。頭の中身は幼稚じゃが、決して侮れぬ存在よ。
 それに、どうせあの娘に惚れたのはお前だけじゃあるまい。競争相手はきっと多いぞ?
 その中には、とんでもない災厄も混じっておろうて」
「そりゃ当然、彼女はモテるでしょうけどね。
 そうは言っても告白もできないような腑抜け相手に負ける気はしませんよ。
 あの様子だと過去には誰も…………………あっ!!!!」

そこで希彦は、とあることに思い至って、立ち上がって叫んだ。

「どうした?」
「しまった、大事なことを忘れていた!
 僕はあの子に『好き』だと伝えてられていない!!
 僕もちゃんと告白できていなかった!! うっかりしていた!」
「あーあ。
 やらかしおったの。
 そういや確かに、結婚がどうこうって話しかしておらんわな。焦り過ぎじゃ」
「畜生、明日の朝では遠すぎる。今からでも追いかけて……いやそれは逆効果か……?!」

恋する青年は悩む。
呵呵と笑いながら老人はサラミを口に運ぶ。

若き天才陰陽師は、特異点を直視した。
ならば元のままでいられないのが道理というもの。
恋多き極東のドンファンは、かくして一途な恋の使徒と化す。

芽生えた狂気は、〈恋慕〉。
それはまだ小さな芽に過ぎないが、確実に、青年の深い所に根を下ろした。


【中央区・希彦のアパート/一日目・午後】

【香篤井希彦】
[状態]:健康、〈恋慕〉
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:式神、符、など戦闘可能な一通りの備え
[所持金]:現金で数十万円。潤沢。
[思考・状況]
基本方針:神寂祓葉の選択を待って、それ次第で自分の優勝or神寂祓葉の優勝を目指す。
1:神寂祓葉の返答を待つ。返答を聞くまでは死ねない。
2:すっかり言い忘れてしまった。次に彼女に会ったら「好きです」と伝える。それまでは死ねない。
3:上手く行ったときのデートコースも考えておかないと。夜にはホテルに連れ込むことを目指すとして、そこから逆算で……!
[備考]
二日目の朝、神寂祓葉と再び会う約束をしました。

【キャスター(吉備真備)】
[状態]:健康
[装備]:
[道具]:『真・刃辛内伝金烏玉兎集』
[所持金]:希彦に任せている。必要だったらお使いに出すか金をせびるのでOK。
[思考・状況]
基本方針:知識を蓄えつつ、優勝目指してのらりくらり。
1:面白いことになってきたのぉ。
2:と、なると……とりあえずは明日の朝まで、何としても生き延びんとな。
[備考]



 ★


行政区分上では中央区となっていても、実はその中身は多彩だ。
東京駅の八重洲側や、天下に名高い銀座もあるが、下町の風情を残すエリアも含まれている。
築地市場だって中央区のうちだ。
探せば安アパートの一軒や二軒は残っている……普通は空き部屋なんて残っていないというだけで。
三階建て程度の小ぶりなビルや、二階建てくらいの民家が肩を寄せる細い路地を、少女は歩く。

「えーん、どうしよー、ヨハンー」
『知らん。ボクを煩わせるな。
 きみが誰と乳繰り合おうと、誰と腰を振ろうと、ボクの知ったことじゃない』

ぽてぽて、と道を歩きながら、神寂祓葉は白いアホ毛を揺らして天を仰ぐ。
念話で応えるのは彼女のキャスター。
その声はどこまでも不機嫌で。

『すべてはきみの自業自得だ。
 どうでもいい相手に変に気を持たせるからだ。せめて自分で解決しろ。ボクの所に厄介ごとを持ち込むな』
「じゃあヨハンは私が希彦さんと付き合っちゃってもいいって言うの?!」
『今さら君が戯れに旧人類の生殖行為を試してみたって、きみの愚かさは下限記録の更新すらされないよ。
 それに』
「それに?」

遥か遠い場所で今も作業をしているのであろう、少年の姿をしたキャスターは、少しの間を置いて言った。

『それに――その程度のことでは、きみとボクの間の関係は揺らぎもしない。
 誰と結婚しようが誰と離婚しようが、それこそ子供を産もうが、ボクの知ったことではないが。
 その程度の下等な肉の交わり程度で、このボクとの縁が切れると思うな』
「…………ひょっとしてヨハン、やきもち焼いてる?」
『なんでそうなる』

念話越しにも伝わるクソデカ溜息。

『ともかく、この件でこれ以上ボクに意見を求めるな。それだけだ』
「あっ、ちょっと、待って、ヨハンってばー!
 ヨハンーー!? 聞こえてるでしょーー!?」

それっきり、少年の声は少女に返答を返さない。
がっくりと肩を落として、少女はぽてぽてと歩く。
通りすがりのおばさんの、変な人を見るかのような視線が痛い。

「うーん、ヨハンがダメなら、誰に相談すればいいんだろー。
 こういうの、ずっと縁がなかったから、よく分からないんだよね」

神寂祓葉に突き付けられた、突然のプロポーズ(とも言っていい申し出)。
逆に押し付けられた、難しい選択。
いくら考えても答えは出ない。
ならば自分ひとりではなく、誰かに相談すればいい。
そこまで思いついたのは良かったのだが、神寂祓葉という少女、実に交友関係に乏しい。
ある意味で誰よりも信頼するパートナーに突き放されてしまうと、途端に困ってしまう。

頑張って誰かを思い浮かべるとして……
自然とその相手は、例の6人の姿になる。

「分かんないことを聞くならミロクだけど……でも、たぶんこれは違うよねー」

造られた時点で膨大な知識を有するホムンクルスは、辞書の代わりに使うのならば優秀だ。
あるいは、計算問題の類であれば、超高速の計算能力で軽々と解決できる。
けれども、こういう人生相談においては何の役にも立たない。
特にミロクは文字通りの0歳児。いくら何でも、人生経験が無に過ぎる。

「契約とかの話ならノクトさん。弁護士じゃないけど、法律とかも良く知ってた。
 けど……ううん、早すぎるよー。
 ホントに結婚すると決めた後ならいいんだろうけどさー」

熟練の契約魔術師が通じているのは、魔術だけではない。
ヒトとヒトの間の取り決めについても、ヒトを動かす手札のひとつとして精通している。
けれど、そういった知識の出番はもっと後だ。

「ジャック先生は、産婦人科とかも詳しいんだろうけど……
 だめだめ、これはもっと早い! 気が早すぎるよ!! えっち!! ばか!!」

本職は外科とはいえ、医学全般に通じる老医師。
出番が来るのなら頼れる相手だが、まだ相談するには早すぎる。あらゆる意味で。

「アギリさんは無口だけど信頼できる……
 けど、だからこそ、何も言ってくれないだろうし……。
 あの〈脱出王〉は、確か今は女の子なんだっけ?
 いまなら男の子の気持ちも女の子の気持ちもわかりそう……
 だけど、たぶん捕まらないし、捕まえてもはぐらかされるよねぇ……」

数少ない知り合いの存在が、次々と消去法で消えていく。
果たして、最後に残った候補は。

「……うん、そうだね。イリスに相談しよう。
 恋バナって言ったら女の子だろうし!
 こないだちょっとバッタさんを焼いちゃったけど、きっと流石にもう怒ってないよねー」

ぽてぽてぽてぽて。
少女は呑気に結論を出すと、呑気に火薬庫に向かって歩き出した。

特異点。世界の中心。主役として生まれたもの。
脇役の苦悩も煩悶も全て無視して、それは己の都合だけで歩を進める。



【中央区・希彦のアパート近傍/一日目・午後】
【神寂祓葉】
[状態]:健康、混乱
[令呪]:残り三画(永久機関の効果により、使っても令呪が消費されない)
[装備]:『時計じかけの方舟機構(パーペチュアルモーションマシン)』
[道具]:
[所持金]:一般的な女子高生の手持ち程度
[思考・状況]
基本方針:みんなで楽しく聖杯戦争!
1:どうしよう……悩むー!
2:よし、イリスに相談しよう。
[備考]
二日目の朝、香篤井希彦と再び会う約束をしました。


【???/一日目・午後】
【キャスター(オルフィレウス)】
[状態]:健康
[装備]:
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:本懐を遂げる。
1:本当に心底下らないことに時間を使わせないでほしい。
2:あのバカ(祓葉)のことは知らない。好きにすればいいと思う。言っても聞かないし。
[備考]


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最終更新:2024年09月17日 23:54