空は、闇へと向かう。
 宵の影へと沈みゆく。
 この世界に呼び寄せられて。
 幾度目の夜なのだろうか。
 考える余裕などない。 

 聖杯戦争。
 英霊を従える、魔術師同士の殺し合い。
 その戦局は加速し、数多の闘争を呼び起こしている。
 そんな混沌の渦中に、“自分たち”は存在していた。

 夜は、空を飲み込んでいく。
 星の輝きが、世界を覆っていく。
 闇と影が、世界を彩っていく。
 小さな月が、世界を見下ろしている。

 ひどくちっぽけな“自分たち”は、ただ前へと進むことしかできない。
 道標のない世界で、ただ駆け抜けていくことしかできない。

 ――“蝗害を止めて、無事に離脱する”。
 完璧とは言えずとも、一定の目的は果たした。

 紙一重の作戦。一歩踏み外せば、破綻へと転落していた戦い。
 琴峯ナシロは、自らの同盟者と共に生還を果たしたのだ。

 得るものは無くとも、何も失わずに切り抜けるという奇跡を掴み取った。
 それでも、ナシロの胸中には蟠りが残り続けた。

 楪依里朱。ナシロの級友であり、この聖杯戦争に参加するマスター。
 前回の聖杯戦争を戦った者の一人であり、かの“蝗害”を従える張本人だった。
 彼女の凶行を止めるべく代々木公園に乱入し、確固たる意思を以て対峙した。

 しかし、イリスからは拒絶の言葉を叩きつけられ――彼女と接触していた“別のマスター”からは、自身の矛盾を突きつけられた。

 ――どうでもいい。皆生きていないんだから。
 ――わざわざ省みる必要なんてない。
 ――所詮、ぜんぶ作り物なんだから。

 あの時の言葉が、脳裏で反響し続ける。
 自らの殉教を否定する、この世界の現実が木霊する。
 何の悪意もなく、ただ純粋な疑問としてぶつけられたであろう反論。
 自らの同盟者との対話を経てもなお、それは心に影として纏わりついていた。

 自分の歩む道は、果たして正しいのだろうか。
 それとも、欺瞞でしかないのだろうか。
 ナシロの胸の内で、そんな疑問が込み上げてくる。

 込み上げるものは、不安と焦燥。
 自らの信じていたものへの苦悩。
 それでも、足を止めることだけはしたくなかった。

 懐に手を伸ばし、“ロザリオ”に触れた。
 雪村鉄志から託された、あるシスターの忘れ形見。
 運命の導きを示す、ひとつの道標。
 それを右手で、静かに握り締めた。

 神に仕えながらも、神を本気で信じたことはなかった。
 それは拠り所、規範としての支柱。故に在不在を問うべきものではない。
 けれど、今ばかりは――――神に祈りたかった。神がいるならば、答えを聞きたかった。

(なあ、神様)

 ロザリオを握りながら、ナシロは心中で呟く。
 脳裏によぎる、この一ヶ月の日々。

(こんな作り物の世界でも、偽りの存在であっても――)

 学校で顔を合わせた同級生たち。
 教会に通い、祈りを捧げる町の人々。
 例え虚構であっても、作られた存在であっても。
 それでも彼らは、日々を懸命に生きていた。
 この世界に存在して、普通の人間と変わらずに毎日を過ごしていた。

(あんたは、私達を見守ってくれているか?)

 そんな彼らにも――神は、慈悲を与えてくれるのだろうか。
 神に仕えし少女は、心の中で問いかける。神からの答えは、返ってはこない。
 神は、静寂を貫く。ただ沈黙が続くのみ。

 分かり切っている。だから、憤慨は感じない。
 神とは元より、そういうモノなのだから。
 それは迷える人間にとっての心の支えであって、道を切り開くのはあくまで人間に他ならない。
 故に、この葛藤もまた――自分の手で答えを掴み取るしかない。

 ――僕にこのやり方しか選べなかったように、君にしか選べない方法があるのだろう。
 ――当然のことだ。だから、君が僕と違う答えを出すことに、異議がある筈もない。

 あの電車の中で、共に肩を並べて戦う少年――高乃河二から告げられた言葉を振り返る。
 君には君の進む道があり、君は自分の意志を貫いている。その在り方には、率直な好意を抱く。
 そんな河二からの真っ直ぐな肯定が、胸の内で暖かな光として根付いていた。

 握り締めていた十字架を、掌から離す。
 息を吸って、吐いて、自らの意思を調律する。
 それから顔を上げて、夜空を見つめた。

 壮絶な戦禍が繰り広げられる中でも、闇夜の星々は輝きを絶やさない。
 それが自分に残された希望の道標であることを、それが“神の慈悲”であることを、琴峯ナシロは信じ続けたかった。


「――――Amen」




 ――同盟者である“雪村鉄志”へと、一連の状況に関する連絡を終えた後。
 代々木公園を離れた高乃河二と琴峯ナシロは、閑静な住宅地を小走りで移動していた。

 つい先程、“魔力の気配がマスター達の方へと迫っている”とベルゼブブから念話があった。
 彼女は所謂“見張り役”として、空中で気配遮断スキルを発動しながら周囲の魔力反応を探っていた。
 暫くは“異常なし”として、さしたる連絡は入ってこなかったが――雪村へとメールで情報共有をした矢先に一報が入り込んだ。

 十中八九、あの渋谷区での戦線に関わった主従による追撃だろう。河二とナシロはそう察していた。
 代々木公園からの紙一重の離脱は果たせたものの、やはり敵もまた安々とこちらの撤退を許してくれる訳ではないらしい。

「――追撃に来るのは、恐らく“騎兵のライダー”だ」

 現在の状況を鑑みながら、河二はナシロにそう告げる。
 言葉を続ける河二に対し、ナシロは視線を向けた。

「代々木公園に存在していたマスターは四人。うち楪依里朱は“蝗害”のマスターであることが確定している。
 残りのマスターは三人。そのうちの一人が、“蝗害”と交戦していた“幻術のキャスター”のマスターだろう」

 彼女達はサーヴァント同士の交戦に際し、何らかの交渉を行っていた。
 ナシロの説得に口を挟んだ小柄な女――にーとちゃんである――曰く、“協力者になるのはまだこれからっていうか”とのことだった。
 一時は決裂していたものの、蝗害主従と三主従の間で結託の取引か、あるいは何かしらの協定が行われようとしていたのは間違いない。

 そしてイリスの無力化によって、その話が再び進んだ可能性が高い。
 そうでなくとも、恐らくあの場にいた三人と二騎が消耗著しいイリスの身柄を確保する形になっているだろう。

 “蝗害”の魔力は残留し続けているとエパメイノンダスからの報告があった以上、少なくともまだイリスは脱落していない。
 他の状況も加味して、イリス達と例の三主従は以後何らかの形で“休戦”や“取引”が成立している見込みが大きい。
 あの場において、彼らが敵対し続けている可能性は低い。

「そして先の戦局において、僕のランサーが足止めをした“蝗害のライダー”と“幻術のキャスター”はこれ以上の継戦は避ける可能性が高い。
 ランサーに手を貸したという“陰陽のキャスター”は、少なくとも僕達の不意を突くことを狙うような輩ではないとの見立てだった」

 河二は既にエパメイノンダスから念話で最低限の報告を受け、スクランブル交差点における激戦の顛末を把握していた。
 関与したサーヴァントは計四騎。うち“陰陽のキャスター”はエパメイノンダスと共闘し、その助力なくしては“幻術のキャスター”を打ち破ることは出来なかったとのことだった。

 “陰陽のキャスター”はあくまで聖杯を狙ってると、当人の口からの明言があったが――少なくとも即時敵対する可能性は薄いとエパメイノンダスは判断していた。
 彼に関しては他にも重要な話があると言っていたが、今はあくまで現状の脅威を優先する。

 あの戦局における台風の目は紛れもなく“蝗害のライダー”と“幻術のキャスター”であり、両者は相応の消耗を背負っているとのことだった。
 前者は“繁殖”によって規模は増やしたものの、マスターであるイリスの魔力消費が激しいことを河二達が既に確認している。
 後者はエパメイノンダスに対して明確な敵視の言葉を手向けたが、その手傷ゆえ即座に追撃を行えるだけの余力はないとの見立てだった。

「だが、先の戦闘で明確に敵対した“剣鬼のセイバー”と“騎兵のライダー”は最小限の消耗で済んでいる」

 されど、恐らくは“幻術のキャスター”の陣営と結託している二騎の英霊に関しては別だ。
 彼らは先程の交戦における消耗は少なく、大規模な宝具行使にも至っていない。互いに一定の余裕を残している。
 そして片方、“剣鬼のセイバー”はあくまで単体の近接戦闘に特化した英霊であることは明白であり。

「……“追撃”に向かわせるなら、機動力と軍勢を兼ね備えたライダーの方が適任って訳か」

 ナシロの理解に、河二は「そういうことだ」と頷いた。

 “騎兵のライダー”。霊格ではセイバーに劣り、あの場においてもあくまで後手の役に回っていた。
 されど腐っても英霊、そして無数の騎兵を召喚する物量と機動力は撤退戦において十分な脅威となり得るものだった。

「琴峯さん。場合によっては、アサシンとその使い魔の飛行能力をまた借りることになる」
「分かってる。私もあの騎兵隊と足で勝負するのは避けたいからな」

 徒手空拳で戦う河二と、黒鍵の投影のみが武器となるナシロにとって、あの騎兵隊との正面対決は避けるべきことだった。
 “剣鬼”のセイバーよりは御せる余地のある敵といえど――軍勢の物量攻撃に加えて、一騎一騎が軍馬による高い機動力を備えているのだ。
 英霊の存在を抜きにしても、まともに相手をすれば不利は避けられない。

 ベルゼブブは眷属の大半を失っているうえ、戦力としては未だに不安定だ。
 暫し前に「いやその……ごめんなさい……さっきハチャメチャに撃ちまくったせいで……掴みかけたコツが……ハイ……スミマセン……」と彼女自身がしなしなと申告していた。

 普段ならナシロから呆れられたり詰られたりする場面だが、つい先程の活躍に免じて大目に見てやることにした。
 河二も「さっきはよく頑張ってくれた、アサシン。いずれまた感覚を掴んでいけばいい」と伝えて責め立てはしなかった。
 騎兵隊に対してベルゼブブの“産卵行動”を行使することも考慮したが、魔力消費や隙の大きさも踏まえると実戦での発動は現実的ではなかった。

 現状の主力であるエパメイノンダスはじきに合流するものの、先の戦闘で大きな消耗を背負っている。
 万全の状態での迎撃が難しく、尚且つ宝具の全容も明らかではない“騎兵のライダー”との交戦は避けるべきだと二人のマスターは判断したのだ。

 そして――。

(……市街地での交戦は、可能な限り避けたい)

 ナシロは内心、そんな思いを抱いていた。

 あの代々木公園で、イリスを庇ったマスターから突きつけられた言葉が脳裏で反響する。
 これも所詮、自己満足でしかないのかもしれない。最後は全て、消えてなくなる――そんな現実から目を逸らしているだけに過ぎないのかもしれない。

 しかし、それでも。
 自分が貫こうとしたものに容易く屈して、膝を折るような真似はしたくなかった。
 それが正しいことなのか、誤った道なのか、今はまだ分からないけれど。
 “これまでの選択に何の意味もなかった”と諦めることからは、せめて抗いたかった。

 それが、琴峯ナシロにとっての矜持であり。
 一人の修道女にとっての、神への祈りだった。

 河二もそうしたナシロの意図を、無言のままに汲んでいた。
 決して同じ道を歩む二人ではなくとも、それでも譲れぬ矜持を察することが出来るだけの信頼が生まれていた。

「――琴峯さん。あのライダーの真名に心当たりは?」
「――かなり近代の英霊だと思う。あれはたぶん『第7騎兵連隊』だろうな」

 ナシロの返答に対し、河二もまた頷く。
 あの米国風の出で立ち、彼が呼び寄せる蒼い騎兵隊、そして“ギャリーオーウェン”という単語。
 この聖杯戦争を生き抜くに当たって歴史や神話について一定の知識を身に付けていた二人は、ライダーの真名にも行き着いていた。

「恐らくあいつは『カスター将軍』……19世紀アメリカ、西部開拓時代の軍人。
 ネイティブ・アメリカンの殲滅戦争の最前線で戦っていた指揮官だ」

 将軍――その肩書きに思うところを抱きつつ、河二はナシロと認識を共有する。
 戦略的に秘匿の意味が薄いのか、あるいは単なる虚栄心によるものか。恐らくあのライダーは“真名の露呈”にそれほど頓着していない。
 あの風貌、あの言動、あの宝具。あまりにも象徴的な要素の多いライダーの真名を察するのは、そう難しいことではなかった。

 そして河二は“剣鬼のセイバー”と比較して、あのライダーの霊格が明確に劣っていた理由も悟った。
 19世紀。産業革命や資本主義の到来により、多くの文明が近代化の道を歩んでいった時代。
 世界から神秘が失わてゆく中、歴史の浅い新大陸で名を馳せた英雄――それがあのライダー。
 毀誉褒貶の激しい人物であることも含めて、英霊としての信仰や神秘で一歩も二歩も劣っていることには納得があった。

 それでも、敵がサーヴァントであることに変わりはない。
 古今東西の歴史や伝説で名を馳せた英傑たち。凡百の戦士達とは一線を画す、人類史の神話。
 故に、決して油断はしない。先程の代々木公園での一幕を振り返り、河二は改めて気を引き締める。

 河二とナシロは、騎兵隊に対して一定の優位を取れる“空中”への退避を視野に入れていた。
 先の戦闘でベルゼブブは飛行能力を駆使して騎兵隊の銃撃を躱し続け、戦場からの離脱においても彼女とその眷属の機動力が大きな役目を果たした。

 地上での物量と機動性こそ優れども、空中の敵に対する決め手に欠ける騎兵隊。
 彼らから逃れるための術として、ベルゼブブの飛行能力は間違いなく有効だった。 
 故にナシロは、自らのサーヴァントであるベルゼブブを眷属共々呼び戻したのだが――。


「――ナシロさん!!!ナシロさんナシロさんナシロさぁんおぼふッッ!!!」


 そのベルゼブブが、大騒ぎしながら空から降ってきた。
 猛烈な勢いで斜めに急降下してきた蝿王――そのまま着地に失敗し、がきに蹴り飛ばされるサッカーボールのように地面を転がる。 
 河二とナシロは、咄嗟にその場で足を止めた。

 至って真面目な様子で「アサシン、大丈夫か!?」と呼びかける河二に対し、まぁいつもこんな感じだよと言わんばかりにやれやれとナシロは額に手を当てる。
 さっきの戦闘で頑張った反動で、ちょっと気が抜けちゃったのかもね。

「いやどうした、落ち着けって」
「空!!そら!!空から来ますよ、追手!!」

 慌ただしいベルゼブブを窘めるように呼びかけたナシロ。
 そんな彼女に対し、ベルゼブブは声を上ずらせながら叫ぶ。

「――――空……?」

 空から、追手が来る。
 ベルゼブブはそう言っているのだ。
 ナシロは最初、率直にこう思った。
 何を言ってるんだ――――と。

 “騎兵のライダー”は勿論、“剣鬼のセイバー”も飛行能力の類は見せていなかった。
 ならばスクランブル交差点の連中か。あれだけの激戦を経たうえで、わざわざナシロ達を追撃しに来る可能性は低い。
 まさか、更なる新手が割り込んできたのか――?

 半信半疑の思いを抱きながら。
 ナシロは、訝しげに顔を上げた。
 妙な胸騒ぎを感じながら、空を仰いだ。

 その矢先だった。
 少女の頬が感じ取った。
 風が、荒れ始めていることを。
 それが何を意味しているのか。
 理解を果たす前に、事態は動き出す。

 ぶろろろろろ。
 ぶろろろろろろろろ。
 ぶろろろろろろろろろろ――。

 音が、聞こえてくる。
 何かが激しく駆動する音が。
 何かが回転し、風を裂くような音が。

 そして――――次の瞬間。
 眩い光が、ナシロ達を包んだ。
 河二は既に、拳を構えていた。
 その瞳に、驚愕を宿しながら。




 東京都渋谷区、代々木公園。
 そのすぐ隣に“公共放送局”の本部が存在することはご存知だろうか。

 この聖杯戦争の舞台は“虚構の世界”であるものの、しかし現代における東京23区の様相をほぼ忠実に再現している。
 渋谷駅前のスクランブル交差点が再現され、国立競技場が再現され、そして代々木公園が再現されているのだから――“公共放送センター”が存在することもまた必然である。

 首都圏内における公共放送の中心地であり、全国放送番組の大半もここで制作されている。
 更には衛星放送や国際放送など、より広域に渡るメディアの放送施設としても運用されている。
 要するに、このセンターとは日本屈指の大規模な報道拠点なのだ。

 昨今の都内では“蝗害”を始めとし、数多くの不可解かつ大規模な事件が発生している。
 様々な事件が連続的に、目まぐるしく発生し続けている現状に対し、首都圏の報道機関は逸早く情報を発信すべく常に万全の体制を整えていた。

 故に平時ならば湾岸地域の施設に駐留している“報道用ヘリコプター”もまた、つい最近になって“公共放送センター”屋上のヘリポートに停泊するようになった。
 いつ如何なる時も、迅速な出動を行えるようにするためだ。

 ――尤も、現在は報道どころではなくなっていた。つい先程のことだ。“公共放送センター”の近辺、渋谷駅前のスクランブル交差点にて蝗害が発生したのだ。
 混乱に陥った市街地では多数の犠牲者が発生し、その余波を受けてセンター内でも避難指示が出されたのだ。
 近場で蝗害の情報が少しでも流れたら、迷わず避難するように――それはこの混沌の一ヶ月のさなかに各自治体が下した警告であり、無辜の市民達も学んだ鉄則だった。

 されど、これまで統計されてきた“法則”を無視するような蝗害の情報によって、局内は混乱に陥っていた。
 あまりにも唐突な大繁華街への襲来。それもセンター間近の、つい先刻まで平穏そのものだった駅前交差点で。聖杯戦争も何も知らない人々が動揺し、恐慌状態に陥るには十分だった。
 誰もがそうなのだ。頭では理解しているつもりでも、実際に直面しなければ正しく“覚悟”をするのは難しい。
 職員の統率は乱れ、半ば冷静さを失い、誘導を無視した行動に出る者も現れていた。

 センターの施設内は半ばパニック状態となっている。
 超常の魔人ならば、どさくさに紛れてその隙を突くことなど造作もない。
 例えば追跡の片手間に、斥候を施設内に侵入させ――“何か”を盗ませる程度のことは朝飯前である。






「YeeeeeeeeHaaaaaaaaaaw!!!!!!!」



 ――その男は、空にいた。
 ――ラッパの快音が、響き渡った。



「ふふふふッ――はははははははは!!!!
 ふぅーっはっはっはっはっはっは!!!!
 ふははははははははァァァァァッ!!!!」 



 宙を切り、風を切り、けたたましく――。
 エンジンを燃焼し、プロペラが嵐のように回転を繰り返す。
 空を仰ぐ人類の文明が生んだ発明。天を翔ける鉄の塊が、鮮烈に姿を現す。
 公共放送のロゴが刻まれた鉄製の白いボディが、宵闇の空に浮かび上がる。
 機体の下部からはサーチライトの光が放たれ、夜影に紛れる河二やナシロ達を眩く照らした。

「実に!!実に壮観だなぁ!!だって空だぞ空!!人が空を飛べる時代が来るとは!!
 きっとこれは勇気と信仰の賜物!!人類は空をも望んだのだ!!その飽くなき“開拓精神”に神が応えて下さったのだろう!!」

 そう――報道局のヘリコプターが、猛烈な勢いで飛翔していたのだ。 
 両側のドアは開かれ、蒼い騎兵服を纏った数名の兵士が外へと向けてライフルを構えている。
 そして機体の側面には、わざわざ星条旗が後付で貼り付けられていた。

「私は今!!!“人の叡智”を操っている!!!
 私は今!!!“神の祝福”を駆っている!!!
 これほどの歓びがあるだろうかッ!!!
 自由を求める意志に限界はないのだ!!!」

 異常な速度で空を舞う機体の内部からは、高らかな哄笑が響き渡っていた。
 まるで演説を捲し立てるかのように、並べられる言葉には異様な熱――自己陶酔と呼ぶべきか――が籠もっていた。
 そして機体は低空飛行へと移行し、河二達の前へと滞空する。

 河二も、ナシロも、曲がりなりにも英霊であるベルゼブブさえも、ただ呆気に取られていた。
 玉石混淆あれど、サーヴァントとは総じて超人だ。時に風をも超える疾さで駆け抜け、時に厄災にも匹敵する権能を行使する。
 それこそが英傑。それこそが伝説。だからこそ、敵がわざわざ“こんな手段”を恥じらいもなく堂々と使ってくるとは思いもしなかったのだ。

「――そういう訳で、御機嫌よう!!
 先刻ぶりだ、勇敢なる少年少女諸君ッ!!」 

 操縦席に座するのは、蒼き騎兵隊長。
 星条旗を背負いし、侵略の使徒。
 その男は歓喜に喚き、不敵に笑う。
 操縦桿を握り、巧みに機体を操る。

「また空へと逃がす訳にはいかないので、私も空を飛ぶことにしたのだ!!はっはっはっは!!」

 そう、彼こそはライダーのサーヴァント。
 第7騎兵連隊の指揮官、カスター将軍である。
 彼は今、ヘリコプターを乗り回していた。

「――――“騎乗スキル”か……ッ!!」
「――――Exactly(その通りである)!!」

 ヘリコプターを操る騎兵という奇想天外な光景を前にし、河二はその原理を理解する。
 河二の口から吐き出された言葉に、カスターは満足げに応答した。

 “騎乗”――それはライダーのサーヴァントが等しく所有するクラススキルである。
 乗り物を乗りこなす才能。高ランクにもなれば幻獣や魔獣をも操り、低ランクであっても現代の乗り物を一通り操れるだけの技巧を得られる。
 騎兵隊のカスターがヘリコプターを自在に操っているのも、そのスキルによる恩恵だった。

 カスターとそのマスターである伊原薊美。彼らは日中にずっと渋谷区とその周辺に滞在していた。
 召喚宝具によって騎兵のみならず“斥候”を呼び出すことも出来るカスターが、その一帯における最低限の偵察を済ませていたのは当然のことだった。
 故に代々木公園近辺に報道施設が存在し、その屋上ヘリポートに報道用ヘリコプターが停泊していたことも把握済みだった。

 そして河二達の追跡に際し、カスターは同じく“騎乗”スキルを搭載する使い魔の騎兵を施設に差し向けた。
 そのまま施設内の混乱に乗じてヘリコプターを盗ませ――合流と共に自身が操縦を代わったのだ。

 飛行能力を持つ敵に制空権を獲らせないため、という戦術的な意図もあったが――何よりただ、カスターは乗りたかったのだ。空を飛んでみたかったのだ。
 歴史曰く、人類史で初めて空を飛んだのはアメリカ人。なればこそ、星条旗の英雄たる己も空を飛んで然るべきである――カスターはそんな訳のわからない理屈に駆り立てられていた。

「英雄がヘリ盗むかよ、普通……!」
「盗んだのではない――軍務のために接収したのだ!!」
「それを“盗んだ”って言うんだろ!!」

 驚愕と共に忌々しげに空を仰ぎ、ナシロはそう吐き捨てる。
 ナシロからの指摘に対し、カスターは見事に開き直った。

「はっはっはっは!!何とでも言うがいい!!どれほど罵られようとも、私は己の意思に躊躇いを持たない!!
 そう、勇敢さが私の美徳!!『強くあれ、雄々しくあれ、怖気づいてはならない』のだ!!」
「あんたに相応しいのは寧ろ『驕り高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ』だろうが――ッ!!」

 聖書を引用した応酬を繰り広げながら――ナシロは既に駆け出していた。
 同時に「アサシン!」と呼びかけ、我に返ったベルゼブブを急いで追従させる。
 そしてナシロの行動に合わせるように、河二もまた地を蹴り併走した。

「威勢がいいなぁ、修道女のお嬢さん!!まあ私はプロテスタントだがね!!
 君は“蝗害の魔女”に対しても己の矜持を貫き通していたが――その気骨、実に好ましい!!」

 ナシロ達は理解している。敵はこれより、強硬手段に乗り出してくる。
 攻撃にせよ、尋問にせよ、此処で敵の掌中に収まる訳にはいかない。

 この場にいるのはマスター二人と、眷属の大半を失ったベルゼブブのみ。じきに合流するエパメイノンダスも消耗が激しい。
 余力を残したサーヴァント、及びその同盟との真正面からの対峙は間違いなく悪手だった。

「そんな君の勇気に祈りを捧げてやりたいところだがッ、あいにく今の私は令嬢(マスター)に仕えし騎士なのだ!!」

 そんなナシロ達の判断を既に察していたように、カスターは捲し立てながら操縦桿を操る。
 滞空していたヘリコプターが、再び機動を開始したのだ。

 けたたましいプロペラとエンジンの音。風を切り、空を裂き、眼前の敵を追い詰めに掛かる。
 走りゆくナシロ達の姿をサーチライトで追い立てながら、彼は堂々たる声を張り上げる。


「故に、諸君らに告ぐ――――投降せよッ!!!」


 その“通告”と共に、魔力の気配が吹き抜けた。
 そして彼方より、無数の足音が迫り来る。
 塗装された地を蹴る“蹄鉄の音”が、数多に重なり響き渡る。

 “それ”が意味することを、迫り来る音と気配の正体を、河二とナシロは同時に理解する。
 故に河二は駆け抜けながら、ナシロへと即座に視線を向けた。


「――――琴峯さん!!」


 河二の叫びに、ナシロはすぐさま頷く。
 取るべき行動を即座に悟り、べルゼブブへと呼び掛けた。


「頼むぞ、アサシンッ!!」


 ナシロの声に応えるように、飛行したベルゼブブが慌ててナシロを抱えあげる。
 続けて先ほどと同じように、一体だけ生き残っていた眷属も河二を掴んで飛翔した。
 両者は飛行する悪魔二人に抱えられる形で、瞬時にその高度を上げていく。


《Garry Owen,Garry Owen,Garry Owen――!!》


 ナシロ達が飛び上がった、その直後――――。
 まるで猛牛の群れにも似た軍勢が、次々に地上を蹂躙していった。

 荒れ狂う濁流のような勢いで突き進む“騎兵隊”。かつての民族浄化を体現する、殲滅の使徒たち。
 栄光なる第7騎兵連隊。カスターの宝具であり、彼という英雄が背負う伝説の象徴。
 あと数秒遅れれば、彼らの波に押し潰されていたのは明白だった。

《Garry Owen,Garry Owen,Garry Owen――!!》

 アサシンに支えられて飛翔したナシロ達は、地上を走り抜ける騎兵隊を上空から見下ろす。
 まるで堤防を打ち破る鉄砲水のような軍団の波を、俯瞰した視界から見据えた。
 それから間もなく――上空のナシロ達を狙って、騎兵達がライフルによる銃撃を繰り返す。

 地上から迫り来る数多の銃弾を、ベルゼブブとその眷属は機敏な動きで躱し続ける。
 飛行による空中機動力を駆使し、騎兵隊の攻撃は全ていなしていく。
 少なくとも空を飛べば、騎兵隊との正面対決からは逃れることは出来る。
 無数の軍勢とそれを使役するサーヴァントによる、熾烈なる波状攻撃だけは避けねばならなかった。

 迅速に高度を上げながら、地上の騎兵隊から逃れていくベルゼブブ達。
 そう、あの軍勢からの挟み撃ちは避けられた。
 ならば、これより追手となるのは――――。

「はっはっはっはっは!!忌まわしき悪魔よ!!君は当世において『映画』は見たかね!?」

 この勇猛にして傲岸なる、騎兵隊長である。
 彼はヘリコプターを巧みに操り、ベルゼブブを激しく猛追する。

「私は見た!!そう、何本も見たぞッ!!サブスクリプション!!マスターが契約している月額2189円の『動画配信サービス』でなァァ!!」

 有無を言わさず捲し立てるカスター。
 ベルゼブブ達は耳を貸さない。そんな暇などない。
 夜へと向かう空の下で、ただ只管に駆け抜けていく。

「つい先日にもマスターと共に見たのだ――“Apocalypse Now”!!まぁ長かったし正直よく分からん映画だったが、あのシーンに関しては実に胸が踊った!!」

 カスターの演説に呼応するように、機内に搭乗する兵士達もドアから上半身を乗り出す。
 左右2人ずつ、合計4人。しゃがみ、中腰――それぞれ器用に姿勢を変えながら、ヘリの前方へと向けてライフルを構えていた。
 彼らも“騎乗”スキルを保有するが故に、飛行中の機体という不安定な足場においても体勢は決して崩れない。

「こんなふうにヘリコプターが空を舞い!!荘厳なる管弦楽を響かせながら、敵を殲滅するのだ!!ふははははははははは!!」

 そして、騎兵隊長の歓喜と共に――。
 搭乗する兵士達が、次々にライフルの引き金を弾く。
 硝煙の匂いと着火の爆音が、夜風の中を駆け抜ける。
 無数の銃弾が、飛翔するベルゼブブ達へと向けて殺到した。

「ナシロさん!!もうほんっとーーーに!!悪魔使いが荒いんですから!!」
「後で好きなもん食わせてやるから!!もう一踏ん張り、頼むぞ!!」

 空中を縦横無尽に飛びながら、紙一重で回避していくベルゼブブとその眷属。
 虚空にて主従の悪態と激励が交差する中、高乃河二は無言で迫り来る敵を見据える。

 綱渡りの作戦、一つでも掛け違えれば全ては破綻していた。そんな状況を乗り越えて、河二達は“魔女の茶会”からの離脱を果たした。
 しかし、試練はまだ終わらない。これより先は無策の撤退戦。
 何の勝ち筋も無ければ、確たる打開策も存在しない。それでも、自分達の力で此処を切り抜けなければならない。


 ――――“将軍”の到着まで、もう少し。
 ――――戦禍の幕引きまで、残り僅か。




 情報の入手を頼まれたカスターだが、初めから武力行使を前提にして追跡を開始していた。
 どのように追いかけようとも、あの少年少女のマスター達は間違いなく“逃げの一手”を打つと判断したからだ。

 代々木公園において、彼らは何故アサシンのみを連れていたのか。もう一騎は何処に居たのか。
 十中八九、あの説得の場に“蝗害”と“仁杜のキャスター”を割り込ませないための足止め役を努めていたのだろう。カスターはそう推測していた。

 “蝗害”も参戦する戦場での足止め役を任されたことからして、アサシンを超える戦力であることは間違いない――同盟の“主力”である可能性は極めて高い。
 そしてあれだけの魔力の衝突に加えて“蝗害”ですら梃子摺る程の激戦となれば、“もう一騎”も間違いなく相応の消耗を経ている。
 即ちあの少年少女の陣営は今、万全の状態ではないのだ。

 そして“もう一騎”こそが主力であるならば、裏を返せばあの“悪魔のアサシン”は足止め役を果たせるだけのサーヴァントではないことを意味する。
 思えば先程の戦闘においても、アサシンには不審な部分があった。

 ――ヤツは何故、“あの光弾”を乱射した?

 あれだけの強大な魔力を備えた光弾を放ち、一度はカスターをも戦慄させたのだ。
 にも関わらずベルゼブブは突如として“当てに行くこと”を放棄し、使い魔さえも巻き込む無差別爆撃を開始した。

 振り返ってみれば随分と奇妙だった。あの乱射によって、確かに戦局は混乱に陥った。
 だが実際のところ、あの一連の行動は撹乱を目的としていたのか?きっと違うだろう。
 無意味かつ乱雑なフレンドリーファイアを繰り返していたことも含めて、殆ど場当たり的な暴走のように見えた。

 有り体に言えば“まるで新兵のようだ”と、カスターは思ったのである。 
 小さな成功体験や一時の功績で増長し、調子に乗り始める青二才。ベルゼブブの狂喜乱舞を見たカスターは、米国陸軍にも度々いた“そういうお調子者”の姿を連想したのだ。 
 自分も人のことはあまり言えないかもしれないなぁ――などと思いつつも、とにかくカスターはベルゼブブという英霊に対して言い知れぬ違和感を抱いたのだ。

 カスターは“ロキ”の本質を見抜けるだけの洞察を持っているが故に、あのアサシンの不審さにも気付くことが出来た。
 恐らく奴は“場馴れ”していない。何かのトリックか、あるいはハッタリがある。
 あの光弾も、基本的にはまともに当てることさえ期待できない代物なのではないか。
 真に強い英雄は“足止め役”の方であり、アサシンは魔力の大きさが示すほどの脅威ではない可能性が高い。 

 ――話を戻そう。
 アサシンは恐らく主力足り得ず、“もう一騎”も多大な消耗が予想されている。
 そんな万全の戦力状態ではない陣営が、明らかな余力を残した陣営との“話し合い”に勧んで臨むだろうか?
 答えは否である。“敵側の優位が明確な状況で交渉のテーブルに座れば、まず不利益は避けられない”――相手はそう考えるだろうとカスターは判断していた。

 故にカスターは“相手はまず逃げる”と考え、躊躇わず攻勢に出た。情報を得るための手段として、敵の鎮圧を選んだのである。
 そもそも騎兵隊から逃げ延びたインディアンだって、また追手が来たなら有無を言わさず“逃げる”に決まってるのだ。
 この英霊、必要と判断すれば常に大胆不敵。強かにして無鉄砲。己の令嬢(マスター)とは時に真逆だが、故に互いに補完を果たすのだ。

 追うことには慣れている。
 あの果てなき荒野で、先住民どもをずっと追い続けたのだから。
 それが第7騎兵連隊。それが米国の誉れ高き戦士。
 今回もそれと同じ。何も変わりはしない。
 相手が健気な“日本人(ジャップ)”になっただけのこと。

「例え蛮族であろうと、敵が勇敢であるのは良いことだ。敵が気高いのは良いことだ。それこそが“英雄”の敵に相応しいのだから」

 ――――いつも通り、堂々たる姿で。
 ――――幕引きの凱歌を上げてやろう。




タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2025年02月09日 06:59