【墓地跡】その1「ジュウサンカイダン:■■■■」



「十三怪談? 七不思議じゃなく?」

 曰く、姫代学園には、七不思議の代わりに『十三怪談』がある。

 曰く、十二個まで怪談を知ったものが、学園のどこかにある「十二段の階段」を登ると、階段がひとつ増えている。

 曰く、増えた十三段目まで登ると、そこには血まみれの少女がいて、

 ――ワタシが十三番目

 と、怪談を全て知ったものを殺してしまう。

「怪談が多すぎる状況、七不思議を全て知ると呪われるという学校怪談の類型、夜中に増える階段というテンプレ、絞首刑の階段が十三段だという俗説、これらを背景にした、創作怪談だろう」

「すごいねえ、山口さんは」

 賞賛を込めて、私はカバンからとっておきのモノを贈呈した。

「……メロンパン?」

 とまどっている彼女になおも押しつけると、おずおずと受けとってくれた。
 流暢な話しぶりに反してその仕草は少しぎこちない。

 一口かじって、少し目が開かれる。
 どうやらお気に召したらしい。
 そうでしょう。我が水泳部でも人気の購買商品なのです。

「それにしても、なんでそんなすらすら分析できるの?」
「怪談は口伝だからね。文化と人の本能を背景とした動機がある。
 代表的なのは「忘れ(られ)たくない」という想いだ。

 四谷怪談、鍋島騒動、番町皿屋敷。
 題材は、悲劇で破滅した人々だ。歴史として語り継がれないその物語を残したい。残さずにはいられない。そうした想いが怪談を結実させる」
「じゃ、私も怪談になれば、ずっとみんなに覚えててもらえる?」

 口にしたのはただの思いつき。
 でも山口さんは縁起でもない、と盛大に顔をしかめる。

「同級生を怪異にするなんて勘弁してくれよ。ええと……」
「ひどい。普通に話してるし名前くらい覚えてくれてると思ったのに」

 バツが悪そうな山口さんの瞳を、私は覗き込んだ。


鶴屋 論子(つるや・のりこ)。親愛の情を込めて、ろんちゃん、って呼んで!」

 そこに映るのは、少し大柄な女子高生。
 ショートボブの黒髪、大きなたれ目。

 ああ、そうか。

 それで理解した。
 これは夢。あるいは情報の残滓。

 おミツさんが、ろんという怪異の隣にいてくれる理由。



/     /     /



 神星翠による『旧校舎跡の学園祭』の解決とほぼ同時期。
 姫代学園は、別の理由によって、存亡の危機にあった。

 その元凶こそ『復讐の獣イオマンテ』。

 この国の霊的防衛の要、”怪異喰らい”『遠上家』。
 その最高傑作と呼ばれた少女、遠上多月を喰らった獣霊である。

 遠上多月は、怪異の神秘を剥ぐために、カメラで撮影、webで中継した。
 その上で、「発した言葉を炎上させる」異能で怪異を矮小化しようとした。

 しかし、結果は、彼女の敗北。
 その目論みは逆に作用した。

 圧倒的な暴力が中継されたことで喚起された恐怖。それが怪異の力となった。

 今も蹂躙劇の様子はwebで「炎上」し、広がっている。
 時間が経過するにつれ、かの怪異は力を増す。

 公安と内調は『イオマンテ』の動画削除に躍起だが、拡大の勢いを弱めることしかできていない。

 対応のため理事会に招聘された、遠上多月の祖母、遠上蛙手は、孫と同系統の異能者だ。
 しかし、一度広がったものを止めることは難しい。

 理事会は事態を甲種事案、学園の維持よりも事態鎮静化を優先すべき案件と判断。

 生徒を避難させ、学園の『光迩力結界(こうにりょくフィールド)』――魔人能力の暴発を防ぐため敷地内に張られた「学園内と外は別世界である」という認識結界――の出力を最大にし、『イオマンテ』の敷地内への封じ込めを図った。



/     /     /



「ウンタラ・レポートの対価は払ったはずだよ。約束通り『噂』は流したろう?」

 姫代学園理事会非常事態対策本部。
 遠上蛙手と、『イオマンテ』について理事会に最初に報告した生徒、山口ミツヤが対峙していた。

「一日待ってもらえませんか」
「無理だ」

 蛙手の見立てでは、学園の『結界』での足止めは、一週間が限界。
 『イオマンテ』が外に出れば、国を喰う怨霊になりかねない。
 もはや事態は、国防の懸案であった。

「どうやって『イオマンテ』を?」

「アンタのレポートと、佐藤伝助の報告書でタネは割れた。

 『直視したら一対一を余儀なくされる』
 『傷を負わされると、連動して記憶が失われる』
 『様々な姿に変容する』
 『霊体ゆえに通常兵器の効きが悪い』
 『単純にタフネスとフィジカルが高い』

 要はそれだけの相手だろう?」

 遠上蛙手は、淡々と語る。

 『イオマンテ』の異能、『見ただけで周囲にその存在を伝えることを忘れる』――は、カメラを通すと無効化されることが、中継に反応するwebの書き込みで証明された。

 米国陸軍開発の戦術拡張現実システム用ヘッドアップディスプレイを改造し、カメラ映像を非透過性ゴーグルの内側に投影することで、『イオマンテ』に対し連携戦闘が可能であることを、斥候が確認している。

 鏡の盾越しに石化の魔眼を防ぐメドゥーサ退治を、最新技術で再現した形だ。

 連携さえできるなら、人の群れと個の怪物との単純な力比べである。

「今、全国の退魔人を集めている。それでおしまいさ」
「犠牲は」
「出るだろうね。国が滅ぶよりは少ない犠牲が」
「学園は」
「潰す。姫代が残れば怪談として復活の可能性が生まれる。多くの異能者の犠牲を出したならばなおさらさ。跡地には社を建てて御霊として祀る」

 大団円など、もう存在しない。
 ならば、数百数千の犠牲を出した非難を己が引き受ける。
 それが、孫に対する責任として、遠上蛙手が出した結論だった。

「学園を残すチャンスをください」

 遠上蛙手は冷ややかに目を眇める。
 しかし、山口ミツヤは引き下がらない。

「策は」

 少女は、遠上蛙手に自らの作戦を開示した。
 これまで『イオマンテ』と相対するために集めたてきた手札を。

「……それじゃ同士討ちだ。学園祭事件の後始末に来てる記憶操作能力者に、一つ『消して』もらいな」
「それでは」
「突入は12時間後。こちらは準備で手一杯さ。小娘の独断専行を止める余力はないね」

 山口ミツヤは深く一礼すると、その場を後にした。
 溜息をひとつ、遠上蛙手は黒電話のダイヤルを回す。

「二風谷の。今出てった小娘にアイヌサニの流儀を教えてやってくれ」

 これは情ではない。

 うら若い少女を鉄砲玉とする、冷徹な打算だ。

「アタシもヤキが回ったね」

 だから、彼女への手助けも、情ではない。
 それが情であるならば、孫を突き放し、失ってしまった己を、遠上蛙手は許せない。



/     /     /



 夢を見ている。

 美しき無数のイナウ。
 捧げられる酒と供物。

 朗々と歌われる熊神に捧げる叙事詩(カムイコユカラ)

 皆が敬意を払い、仮初の肉と皮を脱がせる。

 叙事詩の語りが止まる。
 続きは、あなたが戻ってこられた時にお話しますと。

 だからまた、糧を我らにお恵みください。
 再び、帰ってきてくださいと。

 神の国、山の世界へと、矢が放たれる。
 それは、帰還への道筋を導く清めの矢(イエトコチャシヌレアイ)

 夢を見ている。
 忘却に霞んだ、交流の残滓を眺めている。 



/     /     /



 まどろみから覚め、『イオマンテ』は周囲を伺う。

 獣が眠っていたのは、地下墓所(カタコンベ)だ。

 襲うべき人間が敷地から消えて数日。
 獣は、この地下墓所を住処とし、力を蓄えていた。

 暗く湿った巣穴は、熊としての本能にとって住みよい環境であったし、何より、この地下墓地に渦巻く、忘れられた妄念が、『イオマンテ』には心地よかった。

 獣は自らの内に漲る『畏怖』を確かめる。
 昨晩よりも一層、強くなっている。
 早晩、厄介な『結界』も砕けるだろう。

 遠上多月によって『復讐の獣 イオマンテ』と名付けられてから、獣には二つの変化があった。

 ひとつは、時を経るごとに力が、『畏怖』が増していくこと。

 もうひとつが、純然たる山の獣の集合体ではなく、『イオマンテ』の名に相応しく、性質が作り変えられていくこと。

 無数の山の獣の想念の中から、イオマンテのそれを想起することが増えた。
 元は「最強であるから」とっていただけのエゾヒグマの姿が、主たる姿だと規定された。

 北方の熊送りの儀(イオマンテ)

 その「名付け」が不特定多数に中継されたことで、「そういうものだったことにされた」のだろう。

 信仰により神の姿が変わる。
 伝播によって怪異の性質が変わる。
 その法則は、この獣にも例外なく作用したのだ。

 結果として、獣は、さらなる力を手に入れた。

 獣の目的は、人への復讐である。
 たとえこの身の性質が、名付けで変わろうとも。

 それにより向けられる『畏怖』が増すならば、
 復讐のための力が増すならば、

 それは喜ばしい変化に他ならない。



/     /     /



「ウンタラ氏に、『生物室の獣』の顛末を聞いてから、考えてきた」

 おミツさんは、私の手を引いて、ゆっくりと古い階段を降りる。
 一段、一段、ゆっくりと。

「『イオマンテ』と相対して、ボクに何ができるだろうと」

 旧校舎跡の脇にある、廃教会に面した墓地跡。
 力任せに破壊されたコンクリ瓦礫の中に、地下墓地に続く階段があった。

「アレには、『解談(ネタバレ)』が通用しない」

 学園祭の裏で、日本中にその名を知られた『復讐の獣イオマンテ』は、ここにいる。

「大抵の怪異は『わからないこと』が畏怖の源泉だ。その解明による神秘の剥奪……それが『解談』だ。
 けれど、アレの核は人類の自然への恐怖。それは不明性に依存しない『畏怖』だ」

 握ったその手は、震えている。

 ひとりで『喰魔』から隠れ続けていたときより、十三層の陰府を進んだときより、はっきりと、おミツさんの恐怖が伝わってくる。
 それでも、一段、一段、一段、踏みしめるようにおミツさんは歩を進める。

「しかも、アレは一度、怪異の解体を目的に行使された、遠上多月の『竜言火語(フレイムタン)』を克服した。
 元来の性質による相性と、類似能力克服により周囲の認知を味方につけたことでの耐性、二重の意味で、『解談』は、アレには効かないと考えるべきだ」

 一段。
 一段。一段。
 一段。一段。一段。

 最後の一段を降りたところで、おミツさんは、降りてきた階段を見上げた。

「……もしや、ここだったか(・・・・・・)
 校内まで誘き寄せる必要はなくなったのは幸先がいいな」

 そして私たちは、熊神の巣へと降り立つ。

「ともあれ、相手を弱体化して対処する方法は取れない。
 必要となるのは万全の相手をさらに上回る火力だ」

 すべてのおわりを、はじめるために。

「だから、ボクは、『怪弾(タマ)』を集めた」



/     /     /



 地下墓地について、おミツさんは、惜しむように私を振り返った。

 確信した。
 たぶん、私と、おミツさんが手を繋いで歩けるのは、これが最後だと。

 『イオマンテ』と遭遇すれば、私か、おミツさんか、どちらもかが死ぬ。

「そうだね」

 柳でできた杖をつき、中腰で進みながら、おミツさんは頷いた。

 おミツさんは、敷地の外で、安全に事態をやり過ごすこともできたはずだ。
 けれど、それをしなかった。

 本当は言いたかった。
 大人たちが万全の対策をしているのなら、もうそれでいいじゃないか。

 どうして。

 なんでそんな、おミツさんが自分を危険にさらさなきゃいけないのか。

 けれど、疑問の言葉を、いつか見た夢が邪魔をした。
 もしも、私が。例えば生徒達の噂を基にした存在なのだとしたら?

 大人たちの一斉突入で姫代が無くなれば、学園で生まれた怪異はきっと全て消えるだろう。

 おミツさんの作戦で学園が残れば、生徒が残れば。噂が残れば。
 たとえ一度消えた怪異でも、蘇るかもしれない。 

 だとしたら、おミツさんが守ろうとしたのは、学園ではなくて、

「この地下墓地は、姫代での、怪異の犠牲者のものだ」

 おミツさんの声に我に帰る。
 しばらく歩いた先にあったのは、比較的新しい墓標。

 そこには、『鶴屋 論子』という名が刻まれていた。

「彼女は、ボクの同級生だった。……水泳部でね。
 夕方、少し遅くまで残っていて――やられた。おそらく『トイレの花子さん』だ」

 思い出すのは、おミツさんと出会ったときのこと。
 あれは、鶴屋論子という少女のおしまいの再現。

 その先に生まれた私の、はじまりとして、当然の状況で――

 ――きっと、おミツさんが、間に合いたかったと、願った光景。

 そうだ。よく似た例を、私は知っている。

『聖人を核にした人造怪談『ツェルベルスの喰魔』』

 つまりーーろんという存在は、死んでしまった友人を核とした怪異で。 
 人間を核として、怪談を意図的に方向づけて生み出されたもので。

 だから、私は、怪異を喰らう怪異でありながら。
 感情だけが、最後まで人間じみていて。

「けれど。キミは、鶴屋論子じゃない。ろんだ。私の友達で……私の戦友だ」

 おミツさんは、私の手を握りなおした。
 粘液でぬめり、触手めいた様に変わり果てた『手』を。

「勝つよ、ろん」

 ありがとう、おミツさん。
 こんな私を、信じてくれて。



/     /     /



 地下墓地。

 その戦いは、闇から放たれた一発の弾丸で幕を開けた。


 ――第一の『怪弾:ツェルベルスの喰魔』


 浅く、毛皮を弾が打った。
 物理的なダメージはない。

 だが、

『獣は一切の容赦なく、■■■■の足元から黒い竜巻を出現させた。
 竜巻はまるで杭のように■■■■を貫き、その肉体を切り刻んだ。舞い上がる血しぶきに、獣は目を細める。』

 純然たる『畏怖』が、全身を削るように苛む。
 概念としての恐怖。
 人の感じた慟哭。

 畏れの物語が叩きつけられたのだと、獣は理解した。

 物語を唄うのはいつだって人である。
 即ち、獣が喰らうべき獲物が現れたことを意味する。

 『イオマンテ』は地下墓地の暗がりの奥、奇妙な眼鏡をかけた、二つの姿を視認する。

 片手に柳の杖、逆の手に拳銃を構える少女と。
 名状しがたい軟体を無理やりに人の形に押し込めたような異形とを。

 獣は吠えた。
 数日ぶりの狩りである。

 『イオマンテ』は鋭い爪を真上から振り下ろした。


 ――第二の『怪弾:生物室の獣』


『その振り下ろしに、■■■■は逆に踏み込むことで対応した。
 イオマンテのリーチの長さを、敢えて懐に飛び込むことで殺して見せたのだ』

 踏み込んでくる軟体の異形の姿に、いつか見た何かの姿が重なる。

 軟体の手から先が霞む。
 黒い靄となり、刃となって、毛皮を、皮膚を、その奥の脂肪と筋肉とを浅く抉る。

 なんだこれは。


 ――第三の『怪弾:ムラサキカガミ』


 世界が、変色する。

『何か、巨大なものに、のぞきこまれている。
 首筋に、湿気混じりの呼気が吹き付けられる。』

 青、藍、紺、蒼、藤、碧、緑、翠、苔
 黄、金、橙、茜、丹、朱、紅、緋、赤

 落ちる。落ちていく。地獄の底へと沈んでいく。

 次々と性質の異なる『畏怖』が叩きつけられる。
 軟体の腕が、獣の首へと巻きついてくる。

 獣はその身をシロオコジョへと変化してその束縛を掻い潜る。
 かの動物は、見隠しの術を持つカムイとされるものである。

 そのまま、シマフクロウへと姿を変え、『イオマンテ』は宙へ身を躍らせた。

 敵は、怪異使いと怪異。
 怪異使いの人間を殺せば終わる。

 空中で変化を解除して、エゾヒグマの姿へと戻れば――


 ――第四の『怪弾:カタハネテンシ』


『無数の炎の矢が、雨のように降って広範囲の異形に突き立った。【却火の恩寵】。人間に一発も当てない、精密極まる掃射。天使の権能の後先考えない解放である』

 弾丸の威力は、獣を寸毫も動かすほどの衝撃すらない。
 けれど、そこに込められた『畏怖』が、エゾヒグマの姿の獣すら押し返す。

 『畏怖』の弾丸だけならば、致命傷ではない。
 だが、同時に軟体の異形が切り出す斬撃は、少しずつ威力と精度を増していく。

 まるで、『イオマンテ』が外界で『畏怖』を広げることで強化されているように。
 この異形もまた、己に関わる『畏怖』を獲得しているというのか?

 だが。
 獣はひるまない。

 『イオマンテ』は山の獣の集合体。

 獣には、山に捨てられた人を含む。
 その知性が、発想が、眼前の異形の腕の、曖昧で変幻自在たる姿に手がかりを得て、己の力の可能性を開花させた。

 ――『復讐の獣イオマンテ』は、エゾヒグマを核とした獣の怨念の集合体である。

 ならば。ならば。ならば。
 ひとつ時に、ひとつの獣の姿しか取らぬ理由など、ありはしない。

 咆哮する。その額から鹿の角が生える。
 咆哮する。その尾が、白蛇のそれとなる。
 咆哮する。その背から、フクロウの翼が生える。
 咆哮する。その身のあちらこちらから、無数の獣の顎が口を開く。

 悪夢の、はじまりであった。



/     /     /



 『イオマンテ』の動きが、変わった。
 まるで、蓄えていた力の使い方を、理解したように。

 私が、『ツェルベルスの喰魔』を喰らって得た『ホロウクリエイター』のような、輪郭の不確定化と操作。


 ――第五の『怪弾:鏡の国のアヤちゃん


 ――第六の『怪弾:宿直室の口裂け女』


 ――第七の『怪弾:チャペルの怪物』


 おミツさんの『怪弾』による怯みも、少しずつ減っている。
 耐性が生まれているのだろうか。

 私はじりじりと後ろに下がりながら、『イオマンテ』の牙と爪をいなす。
 認識の不確定化による物理防御を、『捕食』という概念が突破する。

 おミツさんが調達してきた軍用ゴーグルは、連携を阻む忘却の力を防いでくれている。

 おかげでまだ致命的な一撃は受けていない。
 だが、わずかにでも傷を受けるごとに、意識に、欠落が生まれる。

 なんて、たのしい。

 その欠落を埋めるように、衝動が漏れだす。
 だめだ。それに身を委ねたらきっと、私は、


 ――第八の『怪弾:旧校舎跡の学園祭』


 ――第九の『怪弾:姫代の切り裂きジャック』


 後退する足が、段差にぶつかった。
 いつの間にか、地上へと繋がる階段まで、追い詰められていたらしい。


 ――第十の『怪弾:かこさま』


 獣に応えるように、私は叫ぶ。
 私の中にある、星名紅子さんの『厲鬼』の呪詛を解放する。

 獣の白蛇の尾が、脇腹を噛む。

 ――そして、■■さんを忘れた。

 一段、また一段。
 逃げるように、『畏怖』においやられるように後退する。
 獣は追い詰めるように歩みくる。

 エゾヒグマの爪が、肩口を切り裂く。

 ――そして、いつかの旧校舎裏での■■■を忘れた。

 一段、一段、また一段。
 折れそうになる心に引きずられて、体が後ろへと下がっていく。


 ――第十一の『怪弾:ハッピーエンド・コレクター


 一段、一段、一段、一段。

 四肢が切り落とされる。
 曖昧な輪郭から手足を再生するたび食い千切られる。

 忘れる。忘れる。忘れてしまう。

 なんで、ここにいるのか。
 なんで戦っているのか。
 目の前のものはなにか。

 それでも、立っていたのは、まだ、心の奥に、はじまりの日の光景があったから。

『結構。ボクは、山口ミツヤ。親愛の情を込めて、おミツさん、と呼んでくれて構わない』

 今ならわかる。
 彼女が、どれほどの感情を押し殺して、あの言葉を口にしたのかを。


 ――第十二の『怪弾:屋上の川赤子』


 一段、一段、一段――そして、もう一段。

 私を追って、『イオマンテ』は、階段を、登った。

 降りたときには、十二段しかなかったはずの、階段の。

 その、十三段目に(・・・・・)、足を、かけた。




 ――十二の怪談を知った状態で、その階段を登るとね。階段が一段増えてるの

 ――そこには血を流した女の子がいて

 ――全部の怪談を知ったものを、殺してしまうんだって



 それは、姫代学園に伝わる創作怪談。

 そして、山口ミツヤが、死んだ友人を怪異として留めおくために利用した物語。

 私という怪物の正体。


 ウンタラ・レポート提供の対価に、おミツさんが遠上蛙手に流させ、『炎上』させたことで爆発的に知名度を増した、急ごしらえの信仰。

 十二の怪談を喰らうもの(・・・・・・・・・・・)

 力量差など、『畏怖』の差など関係なく。
 ただ、「十二の怪談を知ったものを殺す」という、概念的な即死攻撃。

 これまで十二の『怪弾』を受けた『イオマンテ』は、間違いなく私の『獲物』である。

 そして、私は、血にまみれた腕を広げる。
 十二の怪異の『畏怖』を、収穫するために。


 ――ワタシが十三番目


 その必滅の一撃を。

 受ける、直前に。


 『イオマンテ』は、自らの爪で、己が心臓を抉った。

 かの獣は、爪牙で与えた傷に応じて、ランダムに、記憶をも傷つける。
 傷が深ければ深いほど、より多くの記憶を、より重要な記憶から奪っていく。

 そして『イオマンテ』は、自傷した。
 己が記憶を傷つけた。

 致命傷に近い傷だ。
 ならば、たとえ消える記憶がランダムであろうとも。
 十二ある怪談の記憶の、ひとつくらいは、必ず消える。

 なぜ。この獣が、十三怪談の発動条件を知っていたのか。
 校内を闊歩している間に漏れ聞いたことを覚えていたのか。
 あるいは、私の殺気から読み取った、野生の勘によるものか。

 どうあれ事実は変わらない。
 即ち、私の、決殺権限の条件が、消えたということ。


 私の手刀は、イオマンテの眼窩を貫いた。

 手ごたえはある。
 もう一撃加えることができれば、完全にこれを消滅させられると、断言できる。

 同時に――だからこそ。
 仕留め損ねた、という、確信もあった。

 『イオマンテ』は、血を吐きながら、真っ赤な牙で、私に喰らいついた。

 半身が食い千切られる。

 ――忘れる。忘れてしまう。

 血と肉とともに、オモイデが消えていく。
 ■■■さん。私の■■。

 ――ああ、私は、何のために、誰のために、戦っていたのだったか。


 後ろには、孤独な魂の女の子。

 十二の香りをまとわせて、なんて素敵で、おいしそう。
 けれど、ひとつはぼやけて消えて。
 だから、わたしは、同士打ちせず、なんとかがまんできたのね。

 なんて、さかしい、かわいいこ。

 熊さん、少し待ってくださいな。
 おいしい食事のそのあとに、もういちど、おどりましょう?



 さあ――いただきます。












/     /     /












「性質は、収斂と統合。動機は懐旧。愚かな怪談使いが、亡き友の面影を取り戻すために、学園に元から生まれていた『怪談を喰らうモノ』の方向性を捻じ曲げることで生み出した人工怪異」

 少女の、感情を押し殺した声が、地下墓地へ繋がる階段に響く。

「『解談(ネタバレ):■■■■』」

 ろん、と呼ばれた怪異は、消え去った。
 からん、と、残されたゴーグルが床に転がった。

 『イオマンテ』には、何が起きたのかはわからない。
 ただ、確実なのは、厄介な敵が消え、あとは、獲物が一匹残されたということ。

「全てを忘却させる異能の源泉――キミの怒りは、絶望は、忘れ去られてしまうことだ。

 忘却の認識すら両断する虚無。心を亡くす傷跡。

 名付けるならば――『亡キ心(ナキゴコロ)』」

 獣はもはや満身創痍だ。

 だが、豆鉄砲ひとつ構えるだけの小娘に、背を見せる道理はない。

「ボクは忘れない。物語る」

 ふざけるな。

 忘れない。
 誰もがそう言った。
 けれど、変わってしまった。

 もう聞けない。
 熊送りで途中まで聞かされた、叙事詩の続きは。
 永遠に。永遠に。

「怪談は、忘却への、抵抗だ」

 少女は、鞄からおもむろに、それを取り出した。

 イナウ。

 熊送りの儀式の供物。美しいもの。
 神の世界にはない、人のみが作れるもの。

 無数の獣たちが叫ぶ。
 フクロウの姿となって、喉笛を裂け、と。

 だが――『イオマンテ』としての獣は、エゾヒグマの姿のまま、少女の左手を、イナウごと、食い千切り奪い取った。

 野生の熊に、女子高生が弾丸を当てられるはずがない。
 威嚇突進で無駄撃ちを誘われていたことだろう。

 しかし、相手が『イオマンテ』と定義されたモノならば、話は別だ。

 アイヌの教えに従い、墓地を柳の杖で中腰で歩けば見逃される。
 イナウを差し出せば拒めない。

 ――叙事詩を好むエゾヒグマ(キンカムイ)は、物語の結晶である『怪弾』を避けられない。

 遠上多月の刻んだ呪詛が、獣に牙を剥いたのだ。

 非透過性ゴーグルが弾き飛ばされ、少女と獣との視線が交差する。

 『イオマンテ』の牙に傷つけられたものは、傷が深ければ深いほど、より多くの記憶を、より重要な記憶から奪っていく。

「キミを。キミたちを、ボクは、語り続ける」

 ――ああ、自分は、何のために、誰のために、戦っていたのだったか。

 もはや動機は失われた。
 ただ、その「絶対に失いたくないもの」の喪失と引き換えに。
 山口ミツヤは「今やるべきこと」の忘却を免れた。

 理由すらわからない涙とともに、少女は、最後の弾を撃ち放つ。


「――『怪弾(net-a-bullet)流血少女(ジュウサンカイダン)』」


 十三弾目(ジュウサンダンメ)怪談(カイダン)

 友がなり果てた、怪異の結晶。

 それが、全てを終わらせる銀の弾丸だった。



/     /     /



「ねえ、知ってる? 『イオマンテ』の話」

「聞いた聞いた。『ジュウサンカイダン』にやられたって」

「えー、できすぎじゃない?」

「でも、ほんとにうちの学校ヤバかったらしいし……マジなんじゃない?」

「そういうの好きなら、詳しい人いるから、紹介したげよっか?」

「知ってる、あの人でしょ? 私も聞いてみたい!」

「「ミツヤさんのカイダン!」」



/     /     /



 かくて、姫代学園は、元の生活を取り戻す。

 怪異は全て共倒れ。
 明かされざる謎はあれども、当座の危機は一区切り。

 ならば、山口ミツヤの相棒は?

 十三怪談、流血少女。

 ソレは今日も、学園のどこかで不気味な咀嚼音を響かせる。

 生徒たちがその怪談を語る限り。
 忘却に抗い、いつまでも、いつまでも――




     くちゃり。
                           ぞぷり。



最終更新:2022年12月23日 13:58