千駄ヶ谷トンネル〇二二七――「〆切り」、に至るまで



姫代学園学生療〇二〇七「スカイフィッシュの日」その2


私は「山ノ端一人」、「キーラ・カラス」の隣に立つ一人。
唐突な話だが、私は困ってる。
なぜなら、目の前をスカイフィッシュが泳いでいるからなの。
スカイフィッシュとは中欧ヴィシェグラード諸国で多く見られるUMA(Unidentified Mysterious Animal(未確認動物))。
そんなものがなぜ日本の、東京「姫代学園」にいるのかを語るには月並みながら少し時を遡らなければいけない。

東京駅出姫代学園行〇二〇二「節分‐補遺」


私たちが通う姫代学園とは、正確にいうと上から大学にはじまり中・高等部、それから小等部と幼稚舎を含んだ「妃芽薗学園」を設置する学校法人の総称である。
その学び舎は東京の深層部おおよそ地下27km、日本の地殻とマントル層の境界ギリギリのところに位置する――、
というのは嘘だ。

私のとなり、肩に頭をなかば預けて寝息を立てている顔のいい女に吹き込まれたから、だったりする。
本日、定期的な揺れにおそわれるのは二度目。嫌な予感がするかしないかでいえばどっちも選べなくってきっと半ば。
心の中で逡巡(しゅんじゅん)しているのは確かなのだけど、体の方はぶるりとした震えを抑えるのに必死かと言えばそうでもなかったりする。

むしろぶわっとした暖房に負けて、頭は火照ってしまった。
手に握られていたはずの冷たさだって短い間にどこかに行ってしまってた。

今まで十八年間付き合ってきた「山ノ端一人」。
つまりは自分という女は、「私」は図太いのだと驚いてしまった。今日はいつになく、心の声が騒がしい。
人気もなくしんと静まり返った車内の裏返しかもしれない。辺りはひとつばかりの埃も傷もなくって、なんだったら透き通ってた。けれどそれと引き換えにつるりとした無機質さと合理性だけに支配されていたんだ。

「ガラスの棺に入れられた白雪姫かシンデレラ」だなんて、うそぶく奴らはごまんといる。
だって、これに乗って妃芽薗に向かう女はそれを言って許されるのだから。
隣で寝ているキーラが言い出したことかもしれない。
だけどね。実際のところ地下何階にあるんだろう? という私の問いかけは何度だってはぐらかされるんだ。

「B29は爆撃機、アメリカ人もたくさん作ったものね。なら日本人ならB290Fくらいの建物は作れるんじゃない?」
そう、それくらいは地下にあるのかもしれない? えっと……ようくよく考えれば疑問だらけの仮説というか、妄説なのだが、ちょっと納得できちゃった自分がなんか嫌だった。
……いい加減はぐらかされていること楽しんでいる気がしないでもなかった。正直に言えば、お行儀のいい箱庭育ちのお嬢様の巣「姫代学園」は、殺人事件が不定期に発生したり複数の怪異の目撃談があったりと恐ろしい話が絶えなかったりする。

学生間抗争のメッカである東京湾に浮かぶ人工島「希望ヶ崎学園」に比べればマシなことに変わりはなく、通うこと自体がステイタス。
魔人に対する福利厚生や教師陣の層も手厚く、国内外でここでしかない施設や部活動、蔵書も豊富と、図らずも魔人の愛娘を得た親御さんたちが飛びつくには十分だったりで、ああなんとも即物的。

ただし、兆しさえ見逃さなければ安全であることに変わりはない、そんなトコだ。
広大な地下空間は常に退路を視野に入れる必要はある、だけど軽々とは侵入者の存在を許さないのだから。

「はうっ!」
あ、こっちには兆しはなかったわ。
何が起こったかと言えば背筋に電流が走ったような、切羽詰まった声を出してキーラが飛び起きちゃった。
いや、別につねったとか猫だましをしたとかじゃないよ? キーラが自発的に目覚めたの。

「着いたみたいね」
キーラは、たった今の醜態をなかったことにでもしたいのか必要以上に落ち着き払った風情だ。
ピンと上体を起こすとスタンダップ、なにか目についたのかスカートのプリーツに指を添わせてから私に向けて手を差し伸べた。

地下を駆け下りていった硝子の箱、列車ではないの私たちが乗ってきたこれは秘密のエレベーター。それはキーラのカッコつけに協力しているみたいに機械音、ついでどういったメカニズムなのかは知らないけれど、呼吸に思える空気を吐き出す。ごまかしの音を差し込んだ援護射撃? そうなのかもしれないと思った。
いや、いいの。無事に帰ってこれたのならなんでもよかったの、差し伸べられた手に指を絡めた。

紆余曲折を経て、私たちは姫芽薗学園に帰ってきたのだ。
そして私たちの寮の自室前には段ボール箱が置かれていた。


姫代学園〇二〇三「決意の日」


乳酸菌の日でもあり、大豆の日でもある二月三日は例年なら「節分」というお題目を襷のように肩にかけて「えっへん」とふんぞり返るはずだった。
だけど、その看板を前日「二月二日」に取られてしまってなんだかかわいそう。

だなんてことを朝のいのいちに言い出したキーラという女を前にしてどうしてくれようかと思ったのもつい先ほど。
私、山乃端一人は朝ご飯を食べてるの。
今日の献立は「糖麩のヨーグルト漬け」に、購買で買い置きのプレーンベーグルを添えてだ。
ご飯あらためパンである。豆腐ではない、糖麩である。昨日は結局、激動っぷりが祟って帰るなり簡易的にシャワーを浴びて最低限の身支度を済ませるや、各々のベッドめがけてばたんきゅーだったりする。

なので私は、ヨーグルトに必要以上に色づいた甘さを前に目を白黒させている。
すべてはいち早く起きて朝食を用意したキーラの仕業である。こうやって「豆腐」の書き数19画に代わって読み方はまったく同じでも「糖麩」の31画に具を変えることで世界を積極的に欺き、私たちの方で主導権を握ろうという作戦――というのはヤツのいつもの戯言であるのだが。
そもそも糖麩ってなんだ。

キーラは複雑な漢字が好きという無駄な外国人らしさを発揮して、今日も「憂鬱」と真正面にデカデカと書かれているのがすべて台無しになっているけど、なんだか可愛らしいパジャマ姿でにこにこと私の食事する風景を眺めていた。
よって私は、私だったら、こんなありきたりの朝食作らないぞっと決意を新たにするのだった。

ということで決意ついでの話だったが、私、山乃端一人は話を切り出すことにする。
ほっとくといくらでもタバコならぬ言葉をふかして煙に巻こうとする女だ、ちょうど食べ終えを流しに下げ終えたタイミング、どうせはぐらかせるのだろうけど、なんとなしに切り出してみた。

「さて、キーラ。洗いざらい話してくれてもいいよね。「『ダンゲロスSS エーデルワイス』というのは馬鹿どもが集まって、あなたを殺そうとしている現象、いや……、企画よ」
! 割り込まれた、キーラの言葉は即答だった。咥えたばこを口から外すや、言ったのだ。
理不尽を睨み殺そうかといわんばかり、キーラの瞳は力強く見開かれていた。眉も逆立っていた。確かな意志を世界に向けようとしてキーラは告げたのだった。

「絶対に守り切る。あなたを殺させやしない」

続く言葉も、キーラらしい茶化しやゆらぎは微塵も見られなかった。
断言だった。ああきっと、この子は私を殺そうとするやつらに怒っているんだろう、いや、怒ってくれているんだろうと微塵のゆらぎもなく確信できた。

だから私も断言で答える。
「絶対に殺されない。百五十歳まで生きてやる」
その言葉を言い切るかの間際、灰皿に、言葉だった燃え殻がぽとりと落ちた。あとは、ふたり黙って頷く。
私たちは生き残るのだ、勝つのだと無言で証明すること、その象徴のようだった。

そして私たちの寮の自室前には段ボール箱が置かれていた。


姫代学園〇二〇四「下調べの日」その1

話し合い、そして来るべき日に向けた準備が昨日からはじまった。
「秋葉原、渋谷、新宿、スカイツリー? に、東京タワー……かぁ。ねぇ、キーラ、冬の間にこういうランドタワーに近づかなければいいだけじゃない?」
「いやいや一人? わたしが思うに、この手のイベントもしくは儀式は避けようと思う時点でドツボにハマるのよ。『父を殺し母と結婚する』という予言から逃れようとした王子さまはどうなりましたか?」
「『ギリシャ神話』のオイディプスの話? あれも大概悲劇ですよね……」
「だったらやることはひとつよ。なにがあっても三回戦わされる羽目になるのなら――?」

こんな話をした。これが私たちの基本戦略になるのだろう。
もちろん、二十六ある戦場すべてに目を通して、事前に対策を練ることは忘れない。
あと善意の情報提供者として、戦場の候補地を警察当局に通報しておく手間は幸いなことに省けた。
テレビやインターネット、それとある筋からの情報によると東京で今のところ騒乱が起こっているという話は聞かない。だけど、兆しがないだけで種は撒かれているという可能性はなくはないのだと、キーラは言った。

変に使い慣れていない銃器があっても仕方がないし、傭兵を呼び寄せるような伝手だってもとよりない。
なにより私達には魔人能力がある。これさえあれば問題ないだろう。
だから、「えいえいおー」と気勢を上げるのだった。使い古された掛け声とポーズだけど、きっとお互いやってみたかったんだ、二度三度やったら流石に飽きたけど。

そして私たちの寮の自室前には、引き続き段ボール箱が置かれていた。


姫代学園〇二〇五「下調べの日」その2


出席単位をほぼ取り終え、あとは卒業を待つばかりという時節が大きく功を奏した。
ちなみに私たちがこうして戦場のひとつである姫代学園に留まっている理由は、引き払うまで残り一ヶ月と迫ってしまえば仮宿に思えてもなんだかんだで愛着がわいてしまったからだ。

拠点を手放したくないから。なんて気取った言い方でキーラは言ってみせたけど、それを強がりだと私は知ってる。
ライトノベルや漫画の主人公みたいに、上手くできるわけじゃない。
所詮、私たちは振り回されるだけの一般人で、殺し殺されの鉄火場とかとは無縁のシロウトだと思うよ。

言ってしまえばなんだけど、友人(キーラの定義の方じゃないよ? 一般的な意味の方)を巻き込みたくない! なんて殊勝な考えじゃなかったりする。
あいつの言うことをそっくりそのまま認めるようだけど、私たちには互いに互いしか友達がいないのは事実だし。
いや、いなかった(・・・・・)というのが本当のところかな。

昨日の結論にまでさかのぼれば下手に逃げ回っても意味がない。第二も第三もなくて、第一の理由として挙げられるそれだけの理由だ。
ご丁寧にも宿泊施設という括りでホテルを点々とするという選択肢、もちろん公園でテントを張るなんてサバイバルな展開もごめんこうむる。

戦場っていうならもっとピンポイントにランドマークを並べてよ、雑な括りはやめて、って文句をつけたくなるけど一方で「山乃端一人を助けたい」と言っている誰かさんのことを問い詰めるのも酷な話ね。

「プレイヤーはプレイヤーでもPrayer(祈る者)ではなくて(遊ぶ者){Player)になりたいと一人は思ってる?」
「そんな言葉遊びをした覚えないけど? ま、どうせやるなら楽しんじゃおうって思ってるのは正解」

国際政治を語る上ではゲーム理論に由来する「拒否権プレイヤー」だなんて言い回しが用いられる。
くわしーくは省くけど、「山乃端一人」――つまりは私の生死なんてミクロな概念を巡っても話はおんなじ、いつだって答えは「No!」……なんてね、これは言うまでもない事実だった。

東京を離れても意味がない、銀時計を捨てても意味はない、改名したって意味がない。
性転換したって人間を辞めたって意味がない、きっと誰かさんは私が私をやめるために手っ取り早い手段をお気に召さないんでしょうと、心で思った。もちろん、逃げるつもりはないけれど、受けて立つ!

ご親切に「山乃端一人の定義」まで教えてくれた。
このキャンペーン(せんそう)を仕組んだ誰か(タニ)さんに一応お礼を言っておく。

「ねぇ、一人でくたばれなんて言わないで? 一人言?」
「じゃ、くたばらないって言って打ち消しときますよ、キーラ」
ま、私が助かるためのお膳立てをしてくれていたとも取れるわけだし。


思ったより時間が生まれて早くにベッドに向かうことにした。
ちなみにキーラは消灯時間がまだ遠い時間の具体的に言えば、いつも夜の九時に寝ている……小学生か!

よって、珍しく行われた寝物語は……別にえっちな話とは限らないよ?
今日は将来について、そしてお互いに今まで辿ってきた出会いと別れについて話が及んだの。
人に歴史ありというけれど、やっぱり人一人について話題が尽きると、ほかの人に及ぶのはセオリーという奴なのかもしれない。

キーラからは「ファーティマ・アズライール」、「口舌院言葉」。計二人。
そして私からも今まで出会ってきた知人について語っていく。計……何人だろう?
知人というわけのわからない縛りなのは、彼女たちのことを頑なに友人と認めないキーラのせいだ。
がんばって思い出してみるけど……、いじめられてたあの子は大丈夫かな?

そして私たちの寮の自室前にはやっぱり段ボール箱が置かれていた。


姫代学園〇二〇六「深夜未明」

そして私たちの寮の自室には当たり前のように段ボール箱が置かれていた。
置かれているのはいつも通りだが、置き配指定にしているので宅配の人と顔を合わせる機会は皆無だ。

そんなわけで今日もによによしながら開封用のナイフを手に、嬉々として中身を確認にかかるキーラだった。
「ねぇ、キーラ、卒業も間近なのにそんなに買ってどうすんのさ」
「甘い恋愛小説は別腹なのですよ、一人。黄連雀先生の一年ぶりの新刊、読書用、保存用、熟成用に三十冊は買ったのですよ。ああ、積読で熟成させての煙がどのように薫るのか、楽しみでなりません。うきうきうきうき」

なんだか最後の方は浮かれ気分を言葉に出して言っていたような気がするが、別に食べるわけでもないのに美味しいのか? 非喫煙者にとってはよくわからない話である。

まぁ、それとは別に玄関先に立てかけられた――。
身長168cm、体重60kg、91・65・90のスリーサイズを持つ成年女性を収納するに足りる段ボール箱を見て、気を引き締め直す。

「こんばんは、すーぱーブルマニアンさん十七歳さん、遅い時間ですね。いつもは午後の便ですのに」
まぶたをこすりながら、今日は「薔薇」と描かれたセンスの悪いけどかわいいパジャマを着たキーラが尋ねる。
あざとい。この女は妙に外面がいいのだから見逃せない。いやいや、今はキーラの反応はいいとして。

「いつも言ってるんだけど……、ブルマニアンでいいわ、かわいいお嬢さん?」
段ボール箱を内側から器用に開封して、出てくるなりお決まりの文句を返すブルマ姿金髪アホ毛の成年女性がいた。
ばちんっと、イカす(?)ウィンクを返すことも忘れない。……このことからもわかる通りに、なんだかキーラはこの女性のことを気に入ってしまったようだ。

それからグッとガッツポーズを合わせるふたり。なんだこいつら。

そう、目の前に立っているのは、通称:「すーぱーブルマニアンさん十七歳」こと魔人警察官の「正不亭光(せいふてい・ひかり)」さんである。
最近、毎日のように段ボールで配送されてここ姫代学園にやってくる。
とは言え、これ自体は魔人能力によるものであり、驚くには値しない。事前に警察の人に連絡もいただいていることだし。到着し始めるのが遅れたのは一度誤配送されたかららしかったり。

その体験を正不亭さんからは涙ながらに語られたんだけど、同情した。公務員って大変なんだなあって心の底から思った。

んっと。確かに、学園当局と自治総連の許可を得るという正規ルートだと時間がかかり過ぎる。
それに姫代の背景を考えれば、桜の代紋だろうと門前払いを喰らう可能性は大なり。
そして忘れてはいけない学園自治法。法の壁はそれだけ分厚いのだ。
なら裏からこっそり侵入して連れ出そうと考えても、外敵の侵入経路が極めて限られている上に厳重な警備をかいくぐらないといけないこっちのルートもぺけなの。

でも、貨物なら?
姫代には爆発物対策の金属探知機、麻薬探査犬の導入など税関並みの対策が施されているけど、ナマモノに関しては甘いのよね。アンゴラウサギや鳩、スッポン、チュパカブラまで素通しだったりする。

だから毎回あちこちぶつけながらもやってくる。そして毎回送り返されていく。
万が一発見されるわけにはいかないとしても、私たちを説得するためにスニーキングミッションを繰り返す羽目になっている正不亭巡査部長には心の底から同情する。

それを思えば60kgある荷物をえっちらおっちら購買にまで運んで部員に金を握らせつつ、毎回一万円ほど払って手続きをしている私たちの苦労と財布の痛みはさしたるものではない。ちなみに一度着払いにしたら着拒された。

話を進めよう。

正不亭さんは生活安全課の刑事さんである。
ちなみに警察組織における刑事とはいわゆる交番のおまわりさんである地域警察官を除いた専業の任務を担う職務のことを指し、生活安全、刑事、交通、警備に最近新設された情報通信を加えた五つの職分が日夜縄張り争いを繰り広げているのだそうである。

これら区分は魔人警官であっても、規模が縮小されるだけで変わりはない。
風営法に基づいて青少年の安全を守るため、日夜奮闘しているのだ!

「いや……正直に言うと『山乃端一人』という存在が殺されることで破局をもたらすなら、もっと厳重な警備が付いて然るべきだと私は思うわけなんですよ、どうなんですか? 正不亭さん……」
「それについては、昨日おとといと話し合った通り、東京都に限ったところで『山乃端一人』と同姓同名の女性がごまんといるから手が回り切らないってことで決着がついたと思うよ、一人」

「ごめんなさいね、私たち警察官が至らないばっかりに」
「い、いえいえ。先日に鉄道警察に口添えいただいたことは大変感謝しております。顔を上げてください」
心の底から申し訳なさそうに頭を下げる正不亭さんを見てあわてて取り成すキーラを見て少々妬けるのは気のせいだろうか。

先ほど、言った刑事の四部門のうちテロ関係に駆り出される警視庁警備課はほぼほぼ手一杯なのだろう。
だから何が襲ってくるかわからない要人警護に警察内のなんでも屋さんな生活安全課が関わる羽目になった。

ちなみにちょっと補足しておくと先日、新潟の件よりもっと前だけど私たちがちょっと繁華街を通り過ぎてみたら不審者に襲われた時に助けてもらったという事件があった。その縁から彼女が送り出されたという事情がある。
こういう助け助けられの恩があればこそ、当事者間同士で話が通りやすくなったのだからこの青写真を描いた人は相当切れ者だね。うん、そうだね、とふたりしてうなづき合った記憶だってあるのだ。

ちなみに警察官に採用されるには高卒が最低条件であり、巡査部長に昇任するための試験を受けられるのが六年目から。よって、17歳という若齢でこの任務に従事する正不亭さんにキーラは尊敬の目を向けている――、といってもキーラのことだ、どこまで本気かわかりはしないけれど。
もっとも、キーラがワイロが効かない日本の警察官のことを本気で気に入ってもいるのは確かだ。

と。銀時計を見ると日付が変わろうとする頃合いだ。
誰かとまでは言わないけれどかわいらしい音色がおなかの方で鳴ったのでおや? と見ると二人ともそっぽを向いた。

「珍しい食材が手に入ったんですよ」
今日も、明日か? 自慢の腕を振るうことにする。


姫代学園〇二〇七「スカイフィッシュの日」その1


スカイフィッシュとは、ハンガリー、ポーランドなどからなる中欧ヴィシェグラード諸国に大生息地を持つUMAであり、現地では古くからひっそりと、しかし綿々と食文化として受け継がれてきた食材である。
高速で空中を遊泳し、空気中の微生物を捕食し、雌雄がトンボのように交接することによって繁殖する。

言うまでもなく一般での知名度はいちじるしく低く、肉を持つ生物種というより幻想の住人として世の周縁部に存在を許されてきた彼らだが、近年ではカメラ技術の発達によってその姿を捉えられ、大きく打撃を受けつつある。
かといって、存在を暴露するのも彼らの価値を大いに毀損する。存在があやふやで、物理法則に従っているかどうかも怪しい胡乱であるからこそスカイフィッシュたちは生きていられるのだ。

ハエや蛾などの虫の飛行に伴って発生する軌跡が彼らの正体、だなんて風説が流されることで自身の存在に疑問を感じたスカイフィッシュたちはバタバタと斃れていった。
今となっては大型であるザトウスカイフィッシュ、シロナガススカイフィッシュなどは絶滅のおそれからワシントン条約附属書IV(カテゴリーは幻想生物等)に記載されており、生息地の国内外への輸出入は厳しく制限されている。

などと、長々と語ったが要はスカイフィッシュは美味しい。
スカイフィッシュの空揚げは絶品である。キーラも正不亭さんも舌鼓を打ってくれている。

「ワシントン条約違反って日本国憲法に照らし合わせれば外国為替及び外国貿易法に触れることになるのかしら?」
護衛対象にワッカ嵌めるのもねぇ、だなんてつぶやく正不亭さんを安心させるようかのようにキーラは補足する。

「日本で羊肉(マトン)より億倍手に入りにくいことは確かです。だけど体長30cm未満のミンクスカイフィッシュはワシントン条約でも扱いを留保されていますし、何よりここは日本国内の法が適用されない学園構内ですから」
趣味の悪いブレスレットはいりませんよ~、と言いたげにひらひらと手を振るキーラを見て正不亭さんも毒気が抜かれたみたい。立ち上がりかけた二本目のアホ毛がしなしなとしなびていくのだった。

「さ、それより例のwikiが更新されたみたいですよ。一人も手を止めて一緒に見ましょうよ」
美味しいものを食べて、精神的に充足したところだ。私も深夜になって油で揚げるのが楽しくなってきた気がする。
よし、この辺で切り上げよう。

実際のところ幻想生物は栄養価という意味ではさして優れてはいなかったりする。むしろ精神の回復に大きな効力を発揮するのだ。要はHPよりMP回復である。人によっては貴重でラストダンジョンまで溜め込んで腐らせてしまう食材かもしれない。
ただし私たちは目の前の熟成した大人のおねーさんではなく、未成熟で刹那的、青い春を生きる小娘どもなので惜しげもなく使う。

「あっ!」
どうやら冷凍保存されていただけなので生きていたらしい個体がするりと私の手のうちから零れ落ちて、滑空する。
スカイフィッシュは、にげだした! しかし、まわりこまれてしまった。
コマンド?

姫代学園〇二〇七「スカイフィッシュの日」その3


以上が冒頭で申し上げたことの次第である。
スカイフィッシュ? あれから速やかに正不亭さんに鎮圧されて、みなさんの胃袋に収まったよ。
大仰に語ってみても日常なんてこんなものだと私は思うな。

「じゃ気を取り直してwikiを見ましょうか。良く信じてくれましたね、ブルマニアンさん……ありがとうございます」
そうそうWikiというけれど、キーラが操作する情報端末からしか繋がらない怪文書を警察はよく信じたものだと思う。と思ったんだけど、その当人から説明されると案外腑に落ちた。

「それは簡単。だって私も自分の首がかわいいから上にあげる情報は選んでるのよ。まー、世の中には自分の知りえない情報がリアルタイムにWikiに反映される魔人とかもいるから納得だけどね。私が信じた基準? 決め手になったのは転校生『鏡介』の情報かな。
あいつ自身は最近表に出てきてて結構目撃例はあるし、外見を知っただけでは信じる決め手にはなんない。だけどね。ただ能力名を相手から率先して教えてくれるとは思えないでしょ? 過去の例と照会して一字一句間違いなく『虚堂懸鏡』って言い当てたあなたたちの情報は確度が高いと私は判断した」

想像以上に地に足の着いた回答を前に、私は正不亭さんの評価を何段階も上方修正するのだった。
それから何度となくF5キーをクリックして肝心要のページを私たちは目にする。





「え、何この人クトゥルフの眷属?」
「げ、遠藤ハピィいるじゃん、警察内じゃいい意味でも悪い意味でも有名よアイツ」
「なんなんですかこの人? なんなんですかこの、コレ? あなたたち、一人を守ろうという気はあるんですか……」

「「「関わりたくない」」」
三者三様の三人が心の底から思った心の声は奇しくも同時に声に出ていた。具体的に言えばハモった。
実際、接触すらためらわれるヤバい連中が跋扈していた。キーラが振り絞ったかのように言葉を出す。

「ま、まぁ、でもこの人(?)たちが同じ世界にいるとは限らないんですよ。だって複数の世界をまたいで存在する転校生がいるように、このwikiにまとめられた内容も複数の世界に起因するんです。要はこの人たちが同時に存在すると考えてしまう罠! 英語で言えば叙述トリック!!」
「キーラ、叙述は日本語よ。相当テンパってない? でも。気持ち、わかる。わかるよ……!」

肩を抱いておいおいと泣く姿を見て正不亭さんはどう思っただろうか。
でも、こんな私たちを見て彼女は微笑んでくれた。ついでにドーンと太鼓判を押すかのように胸も叩いてみた。
やっぱり大人の人は頼りになるんだなあって思った。

「一応共闘するというお題目のもとで戦闘は避けられると思うわ、たぶん。いや、この事件が終わってしまった後はどう転ぶのかわからないけど」

正不亭さんのまとめの一声を受けて、私たちはどうしても抱えきれない不安を投げ捨てながら次のページを開く。
第一話大都会MAP




同じく山乃端一人(わたし)を殺そうという潜在的な敵の群れを読み進めていった。
単なる不審者の域をはみ出しつつある魔人にはじまり、敵対以前に目視することすら叶わない神話存在
そして同じ姫代に通う後輩まで、戦場とNPC()の数である二十六体が山乃端一人(わたしたち)を守ろうと寄り添う二十六人(?)と同じ数であるという偶然、だけどその偶然を偶然と片づけられるくらいには私たちは幼くなかった。

だけど、思うことはただ一つ。

「「「死んでくれ」」」
三者三様の三人が心の底から思った心の声はもちろん同時に声に出ていた。具体的に言えばハモった。
ほとんどどいつもこいつも身勝手な理由で私を殺そうとする奴らばっかりで嫌気が差した。嫌で嫌でたまらなかった、怯えよりも先に怒りが私を支配した。私のために怒ってくれたキーラのことが愛おしくてたまらなかった。

だから今一番差し迫った脅威「加古川死檻」についてこう答えることができる。

「私に流加(るか)なんて友達はいません。いたこともありません。私の友達はキーラだけです。だからこんな奴はこの世にいません死んだも同じです」
正不亭さんがほっとため息をつき、キーラがはっとしたかのように見えた。
緊張一色に支配された空気が少しゆるんだと感じた。決断すること、白か黒かと決め打つことは緊張の糸を断ち切ることでもあるのだと思ったけど、やっぱり急に立ち上がって宣言するってのは自分で自分をビックリさせたみたい。

へなへなと、腰を椅子に降ろす。
なっさけないや、どうせ私は戦乙女にはなれない小市民。だからおまわりさんは私を助けてくれるのだけれど。

「大丈夫……? 山乃端ちゃん」
「大丈夫です。私は私がキーラと一緒に生き残れば勝ちなんですから、こんな人たちのこと一ヶ月後には忘れてやりますよ。あ、正不亭さんのことは忘れませんし、死にませんからね」
軽口を叩く余裕を見せる。そう、私は負けてやれないのだ。

さて、と。とりあえずみんなで話を進めよう。キャラ一覧をみて疑問に思ったことを潰していく。
「そもそも正不亭さんの性別が『男』になっている時点でこのwikiは半ばは信用に値しないと思います。誤植か何かだと思いますけどね」
「このwikiを運営しているのが鏡介っていう転校生だとしても同じ人間だもの―、きっと間違いだってあるわー」
「ブルマニアンさん、このwikiを更新してるのが転校生とは限りませんよ」

ん?
なんか、ギクッと言ったり冷や汗をかいたりと今度は正不亭さんのほうがあやしい。
そうだ! さっき言ったハピィさんとかいう人ってそれだけ警察内では問題児なのかな。そう指摘するとぶんぶんと首を縦に振った。言葉を受けてハピィさんのページを精読しているキーラもつぶやく。

「ハッピーさんですけど、わたしこの人苦手ですね。『ごんぎつね』や『人魚姫』が嫌いって人と仲良くできる気はしません。それに自分から面倒ごとに首を突っ込みたがる人に一人を任せられますか。わたしは手に手を取って一緒に逃げられるところまで逃げます」

って、嬉しいことを言ってくれるけど恥ずかしいって……。
と、幸いなことにそれからキーラが実務的なことを提案して一同の了承を得たことで事態を先に進めることができた。運動量も上がったので赤面を隠すこともできた。あ、なにかあった時すぐ逃げられるよう荷造りは先に済ませていたりする。用意周到ってすばらしい

「たくさんいるほかの一人ちゃんはきっとハッピーさんみたいなお節介さんたちがなんとかしてくれると思っています。だからわたしはわたしだけの山乃端一人を守ります。とは言え、協力できる人とは協力すべきだし、情報交換はすべきなんですよね……。だったら、信頼できる人、今この世に存在している人をみんなで探しましょう。

それに姫代学園からいったん離れた方がいいと思います。警察署内に保護を求めた方が安全。
さすがに学園関係者が多すぎて、不安が隠せないんです。それに、これから情報の裏を取る上でブルマニアンさんは署に戻ってもらった方がいいでしょうし、今まで通りの段ボールでの往復は無駄が多すぎる」







姫代学園〇二一五「アルミラージの日」その1


そしてそれから八日後、私たち二人(ふたり)は住み慣れたもう一つの我が家ともいえる姫代学園に戻ってきていた。正不亭さんは私たちの護衛から離れて別行動を取ってもらうことになった。
引き続き、情報交換は続けている。だけど不意の襲撃に対応できる戦力として数えることができなくなったの確かだ。

バレンタインデー、恋人たちのお祭りに浮かれた街は戦場と化した。
それを予想できず、期せない形で巻き込まれたという意味で私たちは敗北だ。
事前にどこが戦場と化すか誰が敵としてやってくるかを選べるという特権を前に、私たちは驕っていたのかもしれない。もちろん、それを口に出すことは目の前のキーラを侮辱することを意味した。

必然、食卓を囲みながら行う会話は重く沈んだものになってしまう。
ぼそぼその黒パンは単独で酸っぱくて硬かった。これはシチューに浸して食べるものなのだけど、食卓の上では呼吸の音さえ差し挟むのがはばかられたの。最初に噛みしめたパンの音、唾液を飲み込む音だけで精いっぱいだったの。食べるということと歓談することが結びつかずに非難される時代って今だっけ。そんなの、ひどいよ。

「ごめんなさい。わたしのミスだった。この戦いは春までには終わる、だから遅く見積もって三月までには三度の戦場を設定しないといけないってのはわかっていなければいけなかったの。
だけど、現れた敵は情報にない奴だった。全然わからないの、事前の情報にあったほかの敵は確かに予想された戦場に現れたし、ブルマニアンさんもギリギリ首は繋がった。けど、これじゃあ意味がないの」

ちがう。
私では細かいところはまだ詰め切れてないけど、きっと話し合えば答えは見えてくるんだ。
だから、

「その、」
キーラは悪くないよと言おうとしてその言葉は飲み込まれる。
席を立ったキーラの言葉は切なかった。

「ごめんなさい。食欲がないの」
これも一つの暴力だよ、ズルいよと言おうとしてあまりにも儚いキーラの姿を見るとこの口はこの心に黙らされてしまう。アルミラージ(一角ウサギ)のシチューは冷めるのを前にしてよく冷やされる道を選んだ。
かちゃり。きっと外の気温よりは温かい冷蔵庫は、自分の存在意義を問い直していることだろう。

私も、きっと同じだ。
予期せぬ戦いで守られるだけの私は、自分が生きることの意義すら疑い始めていた。

キーラが何かを隠している、もしくは画しているというのは薄々察していた。
だけど、何も言うことができないままに次の十日間は過ぎ去っていくことになる。

姫代学園〇二二六「ケサランパサランの日」(表)


今日のデザートはケサランパサランだ。
結局、この日までキーラは私と食卓を囲むことはなかった。

誰かと連絡を取っていたり、どこかに発注の電話をかけていたり、と私を置いてけぼりにしたままキーラは知らない話を進めていく。そんな彼女を励まそうとせめて珍しいUMAを取り寄せて美味しい料理を振舞うしかできない。
何も起きないことに安堵しながら私は現実から逃避しているだけなのだろうか。

今は、決定的な、取り返しのつかない事態は進んでいる気はしない。自分にできることと言いながら穏やかな惰眠を貪るだけなのだろうか、その先に待つのが緩慢な死だとしても受け入れてしまいたくなるほどに、

(ケサランパサラン、世界的に広く生息するUMAの一種。エンゼルヘアーとも言い、天使の落とし物。また、宇宙由来の物質という説もある。その綿毛にも見た姿はとても愛らしく地域によっては愛玩用、観賞用としても供される。食した時ほのかな甘味が口内をくすぐるフルーツとして食されることも。近縁種のタンブルウィードと一線を画す。)

言おうと思っていた口上が脳内で虚しく響く中、ひょいとお皿の上から摘まみ上げたキーラは口中に放り込む。
そのまま、すたすたと共有スペースから自分のベッド手前に歩いていこうとして立ち止まると、言った。

「甘い、これはなんですか?」
「ケサランパサランです」
「すごい」
「あ、いえいえ」

英語の初歩のイディオムだろうか? 極めて間の抜けたやり取りだった。
食べてくれた? だけど、あまりに自然な動作だったので気づくこともできずに固まってしまう。
そういえば、だ。お好み焼きを食べに行ったときに鉄板の上で踊り狂う鰹節を見て、びっくりするキーラのことが好きだった。それを思い出してしまった。
そうだよ、彼女は怖がりなんだよ、キーラはそんなに後に尾を引くような嘘をつき続けられるような器用な女じゃない。そうだよこのチキン女、カラスだって飛べるだけでニワトリの親戚じゃないか?

そうだよ! だから、今はどんなことでもいい、こまっしゃくれていて、すっとんきょうで、私を困らせて遊んでいるような、かの女から言葉のキャッチボールを引き出したい。だから軽く叫ぶんだ。

「キーラ!」
と。


ああ……、言ってしまった。でも後悔はなかった。
「今まで……黙っていてごめんなさい。今は何も言えないの、全部終わったら、三月になったら全部話せる」
少しびくりと体を震わせたキーラはいつになく元気がなくて、だけど確かに答えてくれた。
続けて、呼吸を二度、三度と肩がふくらむのが見える。なにかを言うための沈黙の合図だ。


その沈黙は、なにか決定的なことを言おうかとこらえているかに思えた。
だから待てる、いくらでも待てると思った。だから、それから時を置かずにやってきた言葉は、短くも頼もしいものだった。
「明日、トンネルに行きましょう。勝ち筋ができた」

千駄ヶ谷トンネル〇二二七「〆切りの日」(表)


千駄ヶ谷トンネル、直上に墓地があるというトンネルである。
全国的に見ても珍しい立地は1964年の東京オリンピックに伴っての一時的な移設に起因するという。
東京都渋谷区内にある61mの短いトンネルは、当然というべきか逆さ女の霊など数々の幽霊話、怪談奇談で彩られていた。その真正面に私たちは立っている。

車の流れは断ち切られて喧噪は遠くに聞こえる そこだけが台風の目になったかのような、奇妙な静寂に満ちていた。 
警察の配慮だろうか、よほどの自信があるのだろうか、それともトンネル自体が異界を招き寄せたから?
あり得ない妄想がけして妄想で片づけられないくらいには怪異が身近で、理不尽が日常で……だけどユーモラスに、私を煙に巻くキーラは手を繋がずに私の右に立っていた。

23時50分、短い二月が終わるために二十四時間と十分を残した今、隣に立つキーラの姿はひどくおぼろげなものに見える。
まるで今までが墨絵の幽霊画というのなら、たった今から画材が水煙に移り変わってしまったのでは、とそう錯覚させてしまうくらいには生気が薄い。

それからキーラは沈黙、呼吸、沈黙、呼吸、一歩、不思議なリズムを繰り返してく。
そしてその合間合間に一言、一言ぽつりぽつりと自分が言いたいことをのたもうていく。私が知りたいことではないのが、なんとももどかしいのだけれど、それはけしてあきらめるとかそんなではないのが救いだった。

「少しだけ、話してもいいかしら?」
のたもうてく。
「あれから、いくつかブルマニアンさんに調べてもらったことがあるの」
ぽーんぽーんと、踊るように飛び跳ねてく。
例えるなら「けんけんぱ」、だなんて子供の遊びをするかのように小刻みに、気持ちよく。

「宵空あかねの命日は今日ではないの」
宵空あかね…………、」

結局、即答できなかったのが私の答えだった。じゃあ誰の。という質問ができなくなるのがズルかったけど。
私はあの時、宵空さんを助けた、それだけなのに彼女は今も私のことを申し訳なくなっている。
それがすべてだ。だけど、キーラはそんな私について好き勝手に言った。

「やっぱり一人は覚えていなかった。でも、あなたの善意は確かにあの時に一人の人間を救った、それは事実」

「その後、宵空さんがどんな目に遭おうとも、ダメだよ、自分を責めちゃ」

「彼女は死んでしまったけれど、自分の手で復讐を果たした。一人の知らないところで」

「その判断を責める意志はわたしならないし、もちろん「よくやったね」だなんて無責任なことも言わない」

「一人はなんだかんだでわたしによく似てるから、きっとそういうどっちつかずで、でも自分のやりたいことに我儘な、そんな自分でいてほしい。だからわたしもあなたの隣で好き勝手にやれるんだ」

一足飛びごとに声は遠くなっていく、はずだった。
けどその勢いはまったく変わらずに段々とトーンが上がっていくのを感じていた。それでも声は聞こえずらい。
だって、騒音もやってきているから。うるさい、誰だよ、私への語らいを邪魔するな。

「それともうひとつ、わたしの誕生日覚えてた? ヒント、それは今日ではないのよ」
二月二十七日を殺した犯人は悲鳴に似たブレーキ音だった。キーラは高笑いと共にそれを受けとめる。
そして私は銀時計を投げ捨ててキーラに向けて走り寄っていった――!

姫代学園〇二一五「アルミラージの日」その2


姫代という学園が寝静まるには頃合いだった。
慣れてきた夜回りは知らない学校でやるには心細くて、私が犯してきた罪を思い知らされる気がした。

(不法侵入か……)

殺人、放火、死に値する罪を何度も犯してきた自分が何を恐れるのかと思ったけれど、この気持ちを高揚と思うのもまた罪なのだろうか。
シリンダー錠が回される音がして扉を開く音がする。私は招かれ、部屋に入る。分厚いカーテンを閉めれば、灯りは漏れない。私は今新たに罪を犯しているのか。今はない心臓が高鳴る気さえした。

ここまでは無言でここからは電子端末のメッセンジャーアプリで会話をする。目の前の女がスプーンを動かす音を除けば、静寂が満ちて。暗く閉ざされた室内は私の持ち込んだ鬼火が煌々と照らしてくれる。

《こんばんは、宵空あかね。来てくれると信じていたわ》
《お招きいただきありがとう、キーラ・カラス》
《鏡介から聞いたわ。私に頼みだって?》

目の前には黒髪を御簾のように垂らした少女が座っていた。
カラスというのは外国の名字なのだろうけど、その形容は恐ろしいほど彼女に似合っていた。
黒く暗くて美しく、ちょこちょこ歩くのが可愛らしい。それにきっと臆病で獰猛かもしれない。それから嘘つきだ。

《はい、二点だけ条件を飲んでいただければ。》
《毎日指定した時刻にあなたの食事を共にすること。そして指定時刻に指定した場所でテディベアを燃やすこと、だっけ? で、それを私がするメリットは?》
《山乃端一人の危機を一回救えるといったら?》

知ってる。
これはただの確認だ。事前に鏡の中の世界で引き合わされて話をしてみてわかった。
この女は山乃端一人、私の知る彼女のためなら何でもやる。そして何でもはできずに志半ばで力尽きてしまう。
キーラ・カラスはそういった類の、愚かで悲しい女だ。私みたいだ。

《わかった。条件をひとつだけ追加させて。山乃端さんに私のことは言わないで。手紙でもアプリでもテレパシーでも手段は問わない、とにかく伝えないで。》
《交換条件です。二月二十七日までわたしのやることを止めないでください。約束を破ったが最後、絶対に一人をあなたに引き合わせます。地の底まで追いかけます。あなたがゲヘナやバルハラに行ったならその限りではありませんが。》


《…わかった》

少し迷ったが、答える。
ひとまずの要件が済むと見るや戯言を口挟みながらキーラ・カラスは山乃端一人の作ったシチューを口に運んでいく。
シチューの具はアルミラージ、《おいしい》のだそうである。
アルミラージは日本だと梅田地下ダンジョンなどに生息し、首狩りウサギを凌駕する危険度を持つモンスターらしい。だけど、さすがに討伐危険度が高すぎるのでアメリカワイオミング州に生息するジャッカロープを代替えとして主に用いるのだとか。

……なんだか、いらない雑学が増えていく気がするのはなぜだろうか?
もう死んだ幽霊の身では山乃端さんの手料理が口に入らず、口惜しいという気持ちはなくもないのだけれど、それを軽減する配慮にしてはなんだかズレてるって私は思う。

結局、その夜もその次の夜も、とズルズルと彼女の紡ぐ言霊に絡め取られていて、気付いた時にはもう遅かったことになる。それと、二月七日の時点でとっくに私のことは山乃端さんに伝わっていた。正直詐欺だと思う。

姫代学園〇二二六「ケサランパサランの日」(裏)


私の名前は宵空あかね。三年前に死んだはずの女だ。
誰かと食卓を共にするということ、それはもう果たされないはずの日常だった。
追憶、郷愁、悔恨、それらと共にクリスマスの寒空を見上げたのが二か月前か。
だが、それがもう果たされてしまったと知った後、私はどうすればいいのだろうか?

「もう、やめない? このごっこ遊び」
「あら、約束を破るんですか?」
「最初から破られていた約束は約束と言わないと思うよ。ついでに言えば今日はこんな催しやめるつもりだったんでしょう?」
今気づいた、バレたかとでも言いたげに、すっとぼけた顔で言ってのけるこの女のことが嫌いだった。
どういうわけか、死んだ後も働いていた五感のうち味覚がよみがえっていたことになぜ今の今まで気づけなかったのだろう。もう、言葉すら失せていた。

血の気は失せていたし、お前の瞳を通して背中の、その先が見えるんだ。
だからカラスが聞きもしないことをさえずるのが、耳をふさいでも聞こえてくるのかもしれない。
「『共飲共食儀礼』ってご存じですか? 古事記で言う『よもつへぐい』、ギリシャ神話で言う『ベルセポネの四粒のザクロの実』です。死者の食べ物を食べた生者は正者と共にいられない体になるという逸話です。
なら生者が用意した生きているとも死んでいるともわからない幻の食べ物を生者と死者が一緒に食べたらどうなるのか、興味がわきませんか?」

結果がこれか。
不意とばかり、繰り出された腰の入っていないパンチをぼすんとおなかで受け止める。
はいはい負けましたよとお手上げのポーズである。どうせこんな軽いノリの女だ、後遺症なんて残らないと踏んで

「一緒にごはんを食べられるなら、当然触れられる、か。嫌な理屈ね。あと、山乃端さん相手の弱った演技は同情でも買うつもり? 悪趣味」
「そっちは本当ですよ、どうも夜型人間になってしまったのかもしれませんね。ふふふ。
のぞき見はだめですよ、知ってましたけど。それとこんな自殺行為をした理由はみっつですけど。
もしかしたら死者を生者の側に引き寄せられないんじゃないかと思ったのがひとつ。
あなたを閻魔大王とかいう顔が赤い中年男性に引き渡すのが惜しくなったのがひとつ。
お友達は無理にしても、お知り合いにはなれるんじゃないかなーって思ったのがひとつです」

聞いてもいないことをぴーちく囀るカラスがいい加減馬鹿らしくなったので、口直しにケサランパサランを口中に投げ込む。あぁ、甘い。虫唾が打ち消されていくのを感じる……。
とは言え山乃端さんの手料理が映画館のポップコーンのノリで消費されるのがなんか嫌だったので二個目に手を伸ばすのは止めにして、端的に聞いてみることにした。

「で、結局あなたは私になにをさせたいんですか?」
と。……っと、これだけ聞くとまた煙に巻かれると思うじゃない? でもね、ああもう、真面目な答えは期待してなかったんだけど、ふざけなしのまっとうな答えが返されたの。これはこれで腹が立つものね!

千駄ヶ谷トンネル〇二二七「〆切りの日」(裏)


どうもこんばんは、宵空あかねです。
本日私は本崎鈴葉という知らない女性の法要に来ておりまーす。幽霊が故人の一周忌に参列するとか世も末だと思いませんか?

でも来ているんだから仕方ありませんよね。
どういう理屈なのかは全く理解不能なんですが、一年前にバイク事故に遭って亡くなった本崎鈴葉さんの霊に「東京ダンゲロスシリーズにおける轢殺バイクの概念太郎」とかいう意味不明の概念存在が乗り移って首なしライダーもかくやという都市伝説存在と化し、私の知る山乃端さんを殺そうとしてるんだそーです。

ハァ、言葉で説明されたところで上位次元の人間様の考えることは全くわかりませんね。
本気で捉えないでくださいね、これってただの皮肉ですから。
それはそうとこの概念さんなんですけど、存在が破綻してますよね。第一ふざけてます。

古今東西のあらゆるテディベアを操る能力の何が悪いって言うんですか。
私たち魔人は能力に誇りを持っています。長かろうと短かろうと能力の説明文に一文一句手を抜いたことなんてないんですよ。それをこの男はどういいましたか? 草? つまんねぇ?

ぶっちゃけキレましたね私。ついでにキレると人間敬語が使えるようになるのかもしれませんね。
まぁいいや。もちろんキーラも切れてたので、概念太郎様とやらに憑依された本崎さんの霊を引きはがして上にもう一度上がっていただこうと作戦を開始したわけです。

作戦内容は簡単、本崎さんが生前大好きだったテディベアを万単位で借りてきて眠らされている彼女の霊魂の意志を呼び覚ます。
それと、〆切りギリギリ前である二月二十八日直前に概念なんちゃらが襲撃場所に選んだ「トンネル」前に待ち伏せして、奴を呼び寄せるというものでした。
それから最後のひとつ。

「これはたった今断末魔を上げながらお空の星になった概念太郎さん(笑)をみればわかってくれますよね、刑事さん」
「そうね。花火にカラスさんの、思いの丈が籠っていればいるほど激しく燃焼する『サリュート-451』。
それに、午後四時の校舎に差し込む夕日(ギルティカラード・サンセット)を加えることで、とある細工を施し概念存在であるなんちゃら太郎をお空の星にした、と。セリフもない末路は彼らしくていいんじゃないかしら」

正直、細かい理屈は意味不明だったので聞き流したが、意味不明に意味不明をぶつけて対消滅したとでも解釈すればいいのかもしれない。こんな意味不明な存在は金輪際出現してほしくないし、なんだったら締め切りを守らないとかいう概念はこの世から消し去ってほしい。

時計の針は十二字を指して、シンデレラだったら魔法の解ける時間。
だけど、体操服にブルマ姿の寒そうな刑事さんは普段着の野暮なスーツ姿にはならない。
ねぇどうしてそんな恰好をしているのですかと聞いたら、これも魔人能力と同じで私が私であるためのアイコンなのよ、と答えた。これもまた、()の決意なのかと思い、私はもう白くはならなくなった吐息を吐き出す。

「幽霊である私を捕まえに来たんでしょ、刑事さん」
「そのつもりだったんだけどね、ワッパが通らない人は捕まえられないのが今の法律なのよ」
「そうですか、不備ですね。私の罪、数えます?」
「いや、いいわ。放火、殺人、家屋侵入……その先は知らないでしょうあなた」
「もっと勉強したかったです、ねぇならせめて隣で一緒に花火を見てくれませんか?」

言葉はなく、無言で腕を組み佇む彼の姿がその答えのようだった。

一度だけ弾けて消えたと思った八尺玉は、煙が流れて名残を残して消えていくかと思いきや、二度、三度と再度弾けて私たちを戸惑い誤魔化すのだった。
キーラ・カラスはきっとあきらめの悪いこんな女ですよと主張するように、もう二度、三度繰り返して消える頃にはもう隣にいた男性は姿も形も消えてなくなっていた。

千駄ヶ谷トンネル〇二二八「そして決戦へ」


「お彼岸の前にちょっと里帰りした本崎さんは苦労して専門学校に入学して、これから調理師になろうという夢を目指そうというところでバイクの轢き逃げ事故に遭って亡くなったそうです。
だから、わたしはあいつのことが許せなかったんです。自己満足かもしれません。だけど死んだ人の気持ちがわかるためには自分が半分以下であろうと死んだ経験をするしかなかった。つまりはそういうことです」

「わかったわ、キーラ。全部じゃないにしてもフライングして話してくれてありがとう。
うん、今ならちゃんと手も握れるね。じゃ、ちょっと屈んで」
宵空さんに頼んだことを含む大体の話は私がキーラに語らせた。次、私が何をするかといえば。

バシッ

頬を張ることだ。
「ね、キーラ。なんで私にも戦わせてくれなかったの? いいよ、言わなくてもわかってる。だけどね、私はあなたみたいに根性曲がりで大時代的で誇り高い空気を見せてるけど、それ以上に臆病で逃げ出したくって、怖い目に遭うくらいなら死にたいって思うような、そんな弱くてどうしようもないところが大好きなんだから。
勝手にいいところ見せないで、ばか」

言いたいことを言うや、すぐに抱きしめる。
死に近づきすぎて冷たくなったキーラを感じ取るには、手だけでは満足できなかったからだ。
肩の先に温かいものが漏れていて、それが涙だと気付いたから私は抱擁をやめるつもりはなかった。

一度目の戦いは予期せぬところで始まった、それはこれから公開される「第二話」で語られるから。
二度目の戦いはたった今キーラが企図した通りに完全に収まった。それはスケジュールにある予定に嵌ったから。
三度目の戦いはまったくわからない、だけど山乃端一人はキーラ・カラスと一緒に戦おうと誓った。
最終更新:2022年02月26日 23:57