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絶え間なくエラーメッセージを吐き続ける
XTA-45HLを背に、ダークスーツの男とセーラー服の少女が対峙する。
全てに絶望しているかのようないずみの陰鬱な視線を、男は冷徹な黒い目で、ただただ機械じみて観察している。
(攻撃手段は斬撃。接近戦を挑んできた事からしても、炎の魔人とは別と考えて良いだろう。
しかし、能力は……)
男は今しがた脇腹を切り裂いて足元に落ちた、『単なる文庫本』に視線をやる。
初手が死角からの攻撃だった事もあって、能力は未だ不明だ。
少女がぎこちなく笑って、頭を下げる。
「は、初めまして……わわ、私……速川いず」
カシュ、という音と共に、P9Sのスライドが後退する。
魔人能力者の自己顕示に付き合う趣味はない。
額に銃弾を受け、仰け反ったかに見えた
速川いずみだったが――
その顔面を守るかのように、セーラー服の首元からは銀色の刃が生えていた。
男が拳銃を持っている事は、先ほどの次動との観察で既に知っている……!
(――チェーンソー!)
斬撃武器。奇襲の際に聞いた振動音とも符合する。
いずみの体から生えるチェーソーの刃は、もはや首元だけではない。胸。肘。背。脚。
全身からハリネズミの如く凶悪な刃が伸び、直後、一斉に回転を開始する!
「は、速川……」
「速川いずみと……申し……ます!」
文字通り全身凶器と化したいずみは、もはや本能のままに殺戮に取り掛かるのみだ。
靴裏のキャタピラ状チェーンソーで体躯そのものを加速、前方の男を挽き潰しにかかる!
「……!」
一瞬でその能力の凶悪性を悟った男は、先ほど回収したワイヤーの片端を、突進するいずみに投げ込む。
攻撃を目的とした投擲ではない。ワイヤーは全身で駆動する回転刃に巻き込まれ……
その力はワイヤーのもう片端を握る男を、不規則な方向へと引きずり倒す。
「ぐぅッ!」
倒れた男の真上を、空気を切り裂いて通り過ぎる刃。
ワイヤーを介し、敵の回転に敢えて『巻き込まれる』事で、銃撃直後の回避を無理やりに間に合わせた。
わずか1秒にも満たない、一瞬の判断である。
ワイヤーは握った手から離れ、刃の回転に巻き取られて消える。
いずみは男の3m前方に着地。ガリガリと地を削りながらドリフトし、こちらへ素早く反転した。
男は直線上の位置取りを外すかのように、本棚の角を曲がり通路へと退避。
「……」
視線を切った隙に無言で右手の拳銃を懐に仕舞い、新たなワイヤーとナイフを、ポケットから引き出す。
あのチェーンソーの刃は、こちらを削り取る武器であると同時に、身を守る鎧だ。
先の銃撃でも少なくない衝撃が彼女本体には伝播したろうが、残り2発の銃弾を撃ち込むには効率が悪い。
「に、逃がし……ませんよ、ふ、ふふ……」
男を追って、いずみがゆらゆらとその姿を現す。
男が逃げ込んだこの通路は特に火勢が強い。男を挟んで、速川いずみと炎。
(全身のチェーンソーは解除している……か)
現れたいずみは、先ほどのようなハリネズミ状の異形ではない。
全身にチェーンソーを生やした状態で格闘戦を試みれば、自身がその刃で傷つけられる。
頭部を守れば、分厚い刃で視界も狭まるのだろう。解除そのものは妥当だ。
裏を返せばそれは、先の銃撃に反応した時のように、
一瞬で防御の盾を生やす事ができるという自信の表れとも言えるか。
(付け入る隙があるとすればそれは)
男は思考する。魔人能力には必ず弱点が存在する。
、 、 、 、 、 、 、 、
(攻撃の予備動作を見せないこと)
「あ、あの、私……こんな……不束、ですけど」
炎が、少女の陰鬱な笑みを赤々と照らす。
エンジンの駆動音が高まっていく。
先ほどと同じように、突進する気なのだ――男の背後に炎が控えているのにも関わらず。
「私、あなたを、殺し……たくて!」
(来る!)
突撃と同時、男は右手で懐に手を差し入れる。
拳銃を取り出す動き。それをいずみへと『見せる』ためだ。
だがそれよりも数瞬速いタイミングで、既に左手は最小限の動きを済ませている。
手首のスナップによるナイフの投擲だ。
先ほどと同じように、柄にワイヤーを結んだナイフを投げつけ、刺す!
「ふふふっ……!」
(避け……?)
拳銃を警戒しての動き出しであれば、対応できないタイミングだったはずだ。
だが彼女は、ごく小さな左手の動きに即座に反応して、ぐにゃりと柔らかに上半身を反らし。
「っあはッ、ご、ごめんなさい! ごめんなさい……!」
上半身ごと横の本棚に突っ込むかのように、チェーンソーでそれらを切断!
炎で焼かれた本棚が丸ごと傾ぎ、倒れる……男の頭上から、本棚の残骸と燃える本の束が振り注ぐ!!
「げはッ! あッ……!」
苦痛の呻きが喉から漏れる。
伸し掛かる質量は軽い。だがこの一瞬では致命的だ。
この体勢では、速川いずみの直線的な突進を回避する事は叶わない……
……が。
「!?」
瞬間、いずみの体が空中へと投げ出される。
(……。あの動作に反応されたのは予想外だった……が)
、 、
ナイフを投げたのは……いずみに対してではない。その突進軌道上。床だ。
動作に対して反射的に回避したのだろうが、元より狙ってはいない。
いずみの転倒は、床に刺さったナイフに躓いたためである。
「本能的な回避だったか? ……無駄な行動だったがな」
まるで坂道の自転車事故のように、成す術なく宙を舞ういずみ。
その困惑の表情は、本棚の残骸から右手を突き出す男の姿を捉えている。
銃声。即座にチェーンソーの刃を生やし、銃弾を防いだ。
男の予想通りの反応。空中で体勢を崩したいずみは弾かれる。
その進行方向……通路を包む炎の中へと。
「これで二人か」
ワイヤーを引き、ナイフを回収する。
炎の中のいずみにも油断なく気を配り、次の襲撃へと備える。
だが、その視界も炎も、直後に無数の水滴で覆い隠された。
……室内に雨が降り注ぐ。スプリンクラーが作動したのだ。
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「予定通り……予定通りでは、ある」
事務室でスプリンクラーの設定を変更した
次動ギルロイは、しかし冷や汗を浮かべている。
ホストの弱点は、炎。ならばそれを敵に逆用される事こそ、最も恐るべき事態だ。
、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、
故に燃やした。燃え得る薪を、全て燃やし尽くすために。
紙飛行機を用いた放火戦術は、この段階を見越した上での策である。
初手で事務室のシステムを掌握し、いざという時の放水を可能にしておいたのも、この時のためだ。
焼け焦げた水浸しの図書館。これでもはや炎は使えないだろう。敵も味方も。
しかし、これほどまでに敵が手強い点……その一点だけは、予想外だ。
何らかの手段でXTA-45HLの『感染兵器』を防いだ事は明らかだ。
少なからず消耗してはいるだろうが、それとて次動が期待した成果ではない。
速川いずみの殺戮本能は強い。その強さ故に、今回は虚を突かれたが……
「次は助けらンねぇぞ……」
事務室の中央に鎮座するバイクが、場違いに夕日を浴びている。
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「ハァーッ……ハァ――ッ……」
「投降してもこちらとしては構わない。が、その場合は仲間の情報を吐いてもらう」
男は無慈悲な眼差しのまま、焦げ跡で息をつく速川いずみへと銃口を向けている。
纏うセーラー服は所々焼け焦げ、その下の白い肌を露出させている。
だが、それが致命的なダメージであるか……と問われれば、外見からは判断できない。
この最後の一発を撃ったところで、防御されずに銃弾が届くものだろうか?
「随分消耗しているが、戦闘を続ける動機が君に存在するのか?」
「ハッ……ち、違う……そういうの、じゃあない……です……」
むき出しになった小さな肩を見せるように、半身になって構えるいずみ。
「ふふふ、ふふっ……死んだ人と、なら……話せますので……
わ、私でも、あなたと…………
だから今まで……た、たくさん、殺し……」
「……」
その体がゆらり、と動く。少女の体躯に相応しい、柔らかな動きで上半身を捻り。
半身で隠していた後ろ手の武器を投擲する……手芸用リボン!
「決裂か」
リボンからは当然チェーンソーの刃が生え、凶悪な分銅の如く男の首を刈りにかかる!
だが男は身を沈めてワイヤー付きナイフで迎撃、リボンを弾く!
「回転刃でワイヤーを切断する事はできない。
切断する前に、回転に逆らわず巻き込まれてしまうためだ――故に」
男は投げたナイフをそのまま手元で翻して、いずみへ向けて投擲……
信じ難い手際で、首に巻き付けるようにワイヤーを絡ませる!
「……『絞め落とす』。それが考えられる対策の一つとなる」
「う、うゥ……かはっ、けほっ……!」
悶え苦しむいずみだが、首にぴったりと巻きつくワイヤーをチェーンソーで切り落とす事は不可能だ。
精密な調整の効かないチェーンソーの斬撃は、間違いなくワイヤーもろとも自らの頸部を傷つける。
更に男が言ったとおり、回転刃にワイヤーが巻き込まれれば……
それは自らの首を文字通り絞め、切断する事になりかねない。
「始末させてもらう」
だが、いずみはチェーンソーを生やした。
位置は首ではない……自らの手元だ!
「ちッ!」
足元から走る激痛! 予期せぬダメージに男が呻き、拘束が緩む!
、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、
チェーンソーが巻き取るのは、先程攻撃に使ったリボンとて同じだ。
男が回避したはずのそれは、手元のチェーンソーの回転でヨーヨーのごとく巻き戻され――
今、男の右足を斬りつけた!
土壇場の状況判断で危機を脱したいずみは、絡むワイヤーから逃れるように床へと倒れる。
その行為に危険を察知した男は、ナイフを回収すると同時にバックステップで逃れる!
刹那、床からチェーンソーが突き出す!
「……能力射程は」
『触れた物体にチェーンソーの刃を生やす』。
これが速川いずみの能力。『東亰チェヰンソウマサクゥル』。
「2m……といったところか」
床であれ衣服であれ、接触した物体上であれば、その2m圏内に『チェーンソー』を生やす事ができる――
「ハァ……ッ、ハァ……
お、お願い……お願いします……お願いします……」
長い前髪に隠れた瞳から涙をぽろぽろと流しながら、少女は再びエンジンを駆動させる。
「ば、バラバラに……なって……!」
本棚の残骸を越えて、男は距離を取らざるを得ない。
しかしその時、背後の本棚から化物じみた巨体が飛び出し、男を強襲した。
それは二輪の機械だ。スズキGT380。
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(決まった……確実に! 奇襲だ!)
総重量183kg。最大時速にして175km/h。それ自体が全身の骨を砕く質量砲弾。
自らをバイクごと絵画化して本棚の平面に潜んでいた……
次動ギルロイは、勝算のない賭けはしない。
「……君が最後の一人か?」
しかしその勝算は、男の呟いた一言で呆気なく崩れ去った。
背後からの奇襲を如何にして関知したのか、男は事もなげにステップで特攻を回避し――
「甘ェ、んッ、だよッ!」
長く伸ばされた腕が、そのダークスーツの襟首を後ろから掴む!
上級ホストの筋力に任せた、型破りな路上喧嘩殺法。
次動は十分に加速の乗った体をバイクから投げ出し、掴んだ男を回転と共に地に叩きつける!
「残念だが」
だが、男は絶妙な体重移動で投げの衝撃を殺し着地!
低い姿勢で体全体を回転させるように、襟首を支点に振り回される次動へと正拳を叩きこむ……!
「ゲホォッ!!」
(クソッ! 分かって……分かってたはずだ!
今までの戦いを見れば分かったはずじゃねぇか!)
胃液を吐き、不毛の焼け跡を転がる次動。
苦痛と、苛立ちにも似た感情が胸の中を駆け巡る。
(回避の精度に……射撃と投げナイフの正確さ!
こいつの格闘能力は、俺らの誰よりも上だ!
近接戦闘を極めてやがる!)
痛みを頭の中でカットし、即座に起き上がる。
しかし既に男は、既に次動の眼前十数cmの至近距離へと迫っている!
「うおお!」
苦し紛れに繰り出した前蹴りは無言のまま手の甲で逸らされ、当たらない。
手首のスナップによる裏拳が次動の顔を打つ!
ダメージに怯みつつも後方への回避を試みるが、不可能だった。
足だ。男の爪先が、次動の足を踏んで押さえ込んでいる!
「君は、近接向きの能力ではないな」
「ひ!」
恐怖。あまりにもレベルが違いすぎる。まるで作業のような、精密極まる格闘……!
生まれ持った臆病な精神性が次動の中で頭をもたげる。
ゆっくりと流れる視界の中で男は既に、ナイフを取り出している……!
(し、死ぬ……ッ!)
片手でねじり込むように心臓を、
――パン、という硬質な音が、二人の間に割って入った。
「殺す」
ナイフの刃が折れている。割り込んだのは速川いずみだ。
リボンに生やしたチェーンソーで、ナイフの一撃を遮った!
「こ、こ……殺す殺す……殺させて……殺させてください……!」
そして次に繰り出されるのは、当然リボンの『巻き戻し』の一撃!
飛来するチェーンソーに男は距離を離すしかなく、
次動はその機を逃さず後方に突っ込んだバイクへと逃れ、エンジンをかける!
「……君からか?」
特に怒りも敵意もなさそうに、男が無表情をいずみへと向ける。
暗い衝動に燃えるいずみの目が、再びその本能を取り戻す。
それが合図となる。
「シッ!!」
靴裏の刃を稼働させ、野獣じみて襲いかかるいずみ。
男はワイヤーを首に絡ませようと試みるが、それは首を交差するように守る両腕のチェーンソーに阻まれる!
回転刃に巻き取られたワイヤーごといずみの方向へ巻き取られ、加速で宙に浮く男。
しかし男は逆にその加速に乗り、片手に隠し持った木片を投擲する! 軌道は眼球!
「クッ……!」
咄嗟に顔面を覆うチェーンソーの刃。視界が隠れた衝突の一瞬。
防衛のため再びハリネズミ状の刃を纏ういずみ!
だが男はそのタイミングに合わせて折れたナイフの鋸部(セレーション)を振るい、
チェーンソーの刃の一本へと引っ掛け……引き切る!
「そう――チェーンソーの場合、刃を出現させてから『回転』させる必要がある。
故に出現の瞬間は切断力を殆ど持たないタイムラグが存在する……」
いずみとゼロ距離まで接近した男は、しかしまだ絶命してはいない。
この近距離では、次の突進に対しての回避には間に合わないだろう。
しかし回転開始までのタイムラグの一瞬、その僅かな隙間に潜り込んだのだ。
男はいずみの体を蹴って彼我の距離を取り――!
「死ッ……ね!」
いずみを覆う全身のチェーンソーが駆動!
その時、切れ込みの入った一本のチェーンがレールから弾け、回転の勢いで暴走する!
「うぁあっ!?」
体表で暴れまわる刃に、苦痛の叫びを上げるいずみ。
しかし、弾けたチェーンはさらに隣接するチェーンソーへと命中、
切断された二本目のチェーンが連鎖して弾ける!
「グッ……アアアアッ!! うぐぁっ、あっ!?」
「私が『切れ込みを入れた瞬間』は、顔面を防御したチェーンソーで見えてはいない。
が、その状態で駆動させてしまえば……」
「あっ、ああッ、んッ、グッ、ぐブッ」
「――それが君の能力の弱点だ」
暴れまわるチェーンは、チェーンソーの刃を次々と断ち切り、連鎖する。
ハリネズミのように全身に生やした、全ての刃を。
連鎖、連鎖、連鎖、連鎖、連鎖――!!
肉を引き裂く絶叫と共にズタズタの切断死体と成り果てて倒れる、小さな塊。
不吉な夕日の血溜まりに沈んだ速川いずみを見下ろす男の目に、やはり感情はない。
銃を取り出し、構える。
敵はまだ存在する。
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二次元の世界の中でも、持ち前のバイク技術は活かすことができる。
XTA-45HLと速川いずみが刻んだ、無数の切断跡。
『整った平面』という制約がある『ギルロイ参上』の絵画化状態での移動では、
それらの痕跡は避けながら移動しなければならない。
(ついに……俺一人か)
旧式兵器と狂人が相手では望むべくもない事だったかもしれないが、
次動は仲間との連携を蔑ろにしていたわけではない。
むしろ、環境を整え、スプリンクラーを起動させ、致命的な状況で奇襲を仕掛けるといったサポートでいえば、
彼こそが最も仲間と『協力』した魔人であったと言えるだろう。
だが現実として、三対一のこの戦いは、こちらが二人の魔人を失い……
そしてダークスーツの男には、未だ有効打を与えるに至っていない。
ワイヤーやナイフといった単純な現代兵器のみで戦い、魔人能力すら見せないこの謎の男に。
(『図書館の男』――)
――この男は何者だろうか?
最初に脳裏に浮かんだ疑問が、今更になってリフレインする。
武術家じみた凄まじい戦闘能力。その判断力。
だがそのスペックそのものはやはり、人間の域を超えるものではない。
池松叢雲のような超人であれば、正面からあのXTA-45HLと戦ったとて、装甲を貫く事が可能だろう。
兼石次郎が相手ならば、次動もいずみも、身動きすら取れず殺戮されていたに違いなかった。
彼らと比すればあの男とて、人外と呼ぶには程遠い。
、 、 、 、 、 、 、 、
あるいは、戦闘力以外の理由なのか?
(考えても仕方ねェ。やるしか……やるしかねぇ)
そうだ。残っているのは、次動ギルロイ一人だけなのだから。
環境は整いきっている。
完全に万策尽きた今。次動の優秀な頭脳は、この今をすら想定していた。
(ヤツらは、標的のダメージ以外の部分じゃあ十分に働いてはくれた……つまり)
今の状況を見渡す。大半が焼け焦げ、水に濡れ……
そして本棚から散乱した本に埋め尽くされた、今の大図書館を。
、 、 、 、 、 、
(散らかすこと。これが俺の環境だ)
水に濡れて床に張り付き、あるいはグシャグシャのペースト状になって飛び散る、無数の『紙』。
それらはおあえつら向きに、次動の能力の媒介を隠してくれる――
即ち、絵画化し得る平面。『床』の存在だ。
(俺はこのまま床に潜み……テメーを殺すッ!
二次元の空気は三次元とは別の『空気』だッ!
絵画の中でいくら全速でエンジン吹かそーが、三次元のテメーには聞こえねェーッ!
さっきの奇襲みてェに、一瞬でも三次元に出て察知させたりもしねェッ!)
無音にして一撃。敵に察知されない状況から一方的に、自分だけが攻撃する。
チキンの覚悟を心に秘め、次動ギルロイは待ち構える。
食虫植物のように、静かな殺意で。
、 、 、 、 、 、
(今のその戦場から離れて……傷ついていない床に一歩踏み出した時!
その時が、スーツ野郎!)
(テメェーの最後だッ!!)
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「はぁ……はッ……」
疲労を押さえ込みながら、傷口の応急処置を済ませる。
脇腹はともかく、リボンで切りつけられた右足の傷は相当に深い。
傷口を縛る布には、肉塊と化した速川いずみのスカーフを用いている。
男は元より、そのような行為に何らかの感慨を持つ人間ではなかった。
単独で対魔人兵器と二人の魔人能力者を相手取ったのは、初の経験だ。
自分の腕も鈍ってはいるとはいえ、一筋縄ではいかない相手ばかりである。
(だが……故に、もしかしたら)
連戦の憔悴の中に浮かぶのは、淡い期待。
この戦いは今男が抱えている疑問に、答えを出してくれるかもしれない。
(この目で、それが分かるかもしれない)
ずるずると足を引きずりながら、男は本棚の間を抜けて、最初のホールへと出る……
破壊の痕跡のない、ホールへと。
今やドロドロの塊になった本の残骸を、革靴の底が踏んだ。
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――今だ。今しかない。
エンジンを全開に。特攻の初速は最大でなければいけない。
平面から絵画化を解除する時……当然ながら、物体はその面から垂直の方向に飛び出す。
、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、
故に、奴の足元から最大加速で飛び出すことができるというわけだ。
平面から三次元世界を見る時、その世界はモニタに写ったように『面』を通した視界で見ることができるが……
当然、本の残骸が散乱した今は、こちらからの視界も劣悪になる。
真っ白なペースト状の紙が一面を覆って、まるで敵の位置が分からないように見える。
「……だが、違うんだな」
平面の中で呟く声は、三次元に漏れることはない。
次動は自らの能力の弱点など、とうに把握している。
この床からの奇襲が有効となる、平面が不透明な物体で覆われた状況下において……
明確な『目標』となり得る存在が、一つだけある。
「それは」
、 、 、
「それはテメーの『靴の裏』だ」
床に潜む次動の目は、既に前方遠くに、男の革靴を捉えている。
「万が一にも『靴を脱いで回避』なんてマヌケな真似はさせねェからな……!
だから動きの止まった瞬間じゃねぇ、歩いているその時を狙うッ!」
スズキGT380の大質量で……175km/hの最高時速で床から垂直に飛び出し!
回転する前輪でただ直接に、標的を砕き散らす!
捻りも何もない。この上なくシンプルな策だ。
だが、まだ奴に自分の能力は知られていない! そこが他の2人と異なる点だ!
――故に、この奇襲だけは決して避けることは……できない!!
「実力を……能力を発揮できねェーまま!
砕けッ散りやがれェェェェァァァァァ――――――ッ!!」
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男は一瞬だけ足を止めた。
背後ではやはり彼の予想した通りの事態が起こっており、
男はそれを当然のように冷徹に眺めた。
「……ゲハッ、くそっ、な……なんで……」
そこにはバイクごと転倒した次動ギルロイが、床に呻いていた。
肩は脇腹までにかけて深々と切り裂かれており、『絵画化』も無論解除されている。
奇襲は完全に失敗した。男の足元に辿り着くまでもなく。
「お、俺の戦略は……完璧だった、はずなんだ……
失敗する要因なんざ……一つもなかった……」
「君の能力は、傷ついた平面上で発揮できる性質のものではない」
「……!?」
次動の能力を的確に指摘する呟きに、目を剥いて男を見上げる。
『能力は看破されていない』。その前提で動いていた彼にとってそれは、あまりにも予想外の一言だった。
「絵画となって壁面を移動しているとき、
45式の破壊痕やチェーンソーの切断痕を避けていた点が決め手となった。
これは仮定だが、君の能力は……絵画化した状態でも、絵画を破壊すればダメージを受けるのだろう」
「な、なんで……? そこまで……」
絵画化の状態でダメージを受ければ、それは対応する部位へのダメージとなる。
その特性はこの戦いの中で、一度も発揮されたことはない。
もっとも、そのリスクがあるからこそ次動は最後まで裏方に徹し、直接戦闘を避けてきたわけだが……
「『既に破壊された平面に突っ込むとどうなるのか?』
……そこから演繹すれば、その結論にも辿り着くことができる。
絵画の状態で平面を破壊される事で、それが伝達してダメージとなる。
そして君は破壊された平面を避けて動いている。
ならば君の能力は、絵画化した状態で破壊された平面に接触してもやはり、ダメージとなるはずだ。例えば――」
――このような、小さな切り傷でも。
次動は、持ち上げられた男の右足裏を見た。
遠目では判別出来なかった靴の裏。
その溝の中には……いずみの一撃で折り取られたサバイバルナイフの先端が、ワイヤーで固定されていて。
、 、 、 、 、 、 、 、
「ぐ、足を……引きずってやがったのは! そのためだったのか……!
負傷の『せい』と見せかけて! 床に……床にナイフで『傷』を刻むために!」
次動ギルロイのバイクは、既に平面に『刻まれた』切り傷へと、自分から突っ込んでいったのだ!
本来ならば、傷の存在にも気づくことができたかもしれない!
だが……あの状況、ドロドロに溶けた紙が床を覆い尽くすあの状況では……
ナイフの小さな傷は、他に溶け込んで見えなくなってしまう!
「……種明かしは、終わりだ。
君たちの正体を教えてもらおう。
こちらの銃弾はまだ一発残っているし、答えによってはそれを君のために使うこともできる」
、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、
「いや……待て……まだだ……どうしてあんた、俺の能力が絵画化だって分かった!?
炎の時だって、巧妙に隠して……バイクで奇襲した時も本棚の平面に隠れたッ!
最後に平面化したのだって、あんたがあのガキと戦っている間にだ……! なのに……」
「こちらから言うことは、何もない」
負けだ。自分の負けだ。
それだけは完全に自覚している。
だが銃口を突きつけられながらも、次動の頭脳はその事だけを目まぐるしく思考していた。
何か、何か違和感はなかったか。この男の強さの正体は――
「それに……それに『感染兵器』だ……
ずっと、見えていたとしかッ……!!」
「……」
、 、
「…………。 『見て』、いたのか……!」
夕闇に包まれつつある窓の外を、次動は弾かれたように見上げた。
黒く揺れる枯れた並木には、烏の群れがまるで――
――まるで監視するように。
やはり『感染兵器』は、この男の視力を奪っていたのだ。
そして、いずみや次動が何度も繰り出した死角からの攻撃への、異常な対応力。
それは空気の震えの感知や、ましてや第六感などではない!
次動の『絵画化』の能力など……一階での出来事は、一部始終を俯瞰で見られていたのだ。
彼らの人数が全部で3人であった事すら、この男は知っていた……!
「カラスには人間の6倍の視力がある、らしいな」
男はやはり何の感慨もなく、無表情に呟いた。
「……俺の負けだ。名を聞かせてくれ」
「フジクロ」
次動を見下ろす端正な顔は、夕闇の逆光に暗く染まっている。
、 、 、 、
「陸軍一佐、フジクロという」
最終更新:2011年12月03日 01:08