フランク・シューバーツ
ノルウェー警察犯罪心理捜査官。
南オスロ大学卒業後、ノルウェー警察署の行動科学班に配属され、犯罪心理学の研究を行っていた。
心理学的プロファイルの導入するに伴い、警察側の実務面での責任者としての任を与えられた。
かつての恩師バートン教授とともにプロファイルの研究を行なっている最中に、今回のシザーマン事件が起こったため、テストケースとして分析を行っている。

備考
イラストはぼやけて描かれているものの、服装は紺色のスーツに白のワイシャツと赤いネクタイ姿で、髪型はスキンヘッドと思われる。
また、彼の愛用品思わしき薄緑色のサングラスと革製のケースなどが報告書の背景写真に使われている。
公式ガイドブックに登場した裏設定的な人物で、クロックタワー本編には登場しない。



PSYCHOLOGICAL ANALYSYS ~REPORTED BY FRANK SCHUBERT~
・フランク・シューバーツの心理分析
【ジェニファー・シンプソン】
+ ...
ジェニファーはこちらを参照。
【ヘレン・マクスウェル】
+ ...
ヘレン・マクスウェルは優秀な犯罪心理学者であり、プロファイラーである。
しかし、カウンセラーとしての彼女は、学者やプロファイラーとしての彼女ほどは評価されていない。
それは、ヘレンのセッションが攻撃的であるかのような印象を、クライアントに与えてしまうからのようだ。
ヘレンは、特殊な人々からは歓迎されるが、一般の人々からは敬遠されるという傾向が強い。
それは、好意的にみれば”凡庸さを脱してる”ということになるが、見方を変えれば、彼女は社会性や現実理論を完全には身につけずに育ってきたということになるのではないだろうか。
この観点からヘレンの分析を行なってみると、幼年期の彼女にとって自我理想像が欠如していたか、あるいは通常のものとは違っていたであろうことが推測される。
我々は、誕生と同時に理不尽な世界に投げ込まれる。
そこで体験するのは、対象とのアンビバレンス(両面性)である。
このアンビバレンスの中で我々の心は不安定になり、ともすれば乖離しようとする。
これをつなぎ止めるのが自我理想像との同一化なのだ。
多くの場合、それは同性の年長者(ヘレンにとっては母親)との同一化からはじまり、成長するに従ってテレビなどの同性の主人公とのそれへと変わっていく。
そして、自我理想像との同一化を行ないながら、ともすれば乖離しようとする自分の魂をつなぎ止め、そしてその理不尽な状態を受容できるような解釈を創出していくのだ。
そのため、同じ文化の人々や同年輩の人々は類似の価値観を持ち、それによる安心感で集団の凝縮性が維持され、ここに社会としての超自我が「常識」として形成される。
しかし、幼年期に自我理想像が欠如していた場合は、対象とのアンビバレンス体験は他者を敵と見なすことによって解決されやすく、一種のパラノイア的性格の萌芽を準備することになる。
また、「常識」としての超自我を形成する機会を逸してしまうため、社会からいわゆる”変わり者”として敬遠されやすい存在となる。
そして、幼年期でのアンビバレンス体験の解決方法に無理があった場合は、成人後もあらゆる局面における人間関係で、最終的には敵となるような関係を創出してしやすくなる。
ヘレンにおいてこの傾向が強く出るのは、異性との関係においてであろう。
サミュエル・バートン教授やスターン・ゴッツ警部補との関係に、特にそれが見られる。
ヘレンは両者との関係で、具体的は恋愛関係に至らずとも増悪と恋愛との間に渡された細い橋を、好んで渡っているように見える。
しかも、この2人が既婚者であることを考えれば、増悪に落ち着く可能性がとても高いにも関わらず、否、高いからこそ、この道を選ぶ。
彼女にとって敵になりやすい人間を、最も近くに呼び寄せたがっているようにすら見えるのだ。
 現在一緒に暮らしているジェニファーに対して、彼女のこの傾向が出なければいいのだが。

                                     F. Schubert
【スターン・ゴッツ】
+ ...
プロファイリングとしての心理分析は、対象者を容疑者としての視点から分析していく。
スターン・ゴッツ警部補のように同業である者に対しても、当然その原則が適用されねばならない。
ゴッツ警部補に対してプロファイリングのための心理分析を行なうにあたっては、気質の観点から始めたいと思う。
現代の多くの心理学者は、気質の類型論について否定的である。
だが、犯罪心理学に限って言えば、気質の類型論は実際の捜査に役立つ。
特にクレッチマーの提唱するそれは、犯人像のプロファイルにも寄与するところが大であるため、我々はよく採用している。
例えば、今回のような動機の希薄な連続殺人事件の犯人は、分裂気質の人間が多く、その体系はクレッチマー類型でいうところの「痩せ形」に属する。
顔も丸顔か細面で、本心を見せることが少なく、目に落ち着きがないことが多いのが特徴だ。
そこでゴッツ警部補だが、彼は体形的には「闘志型」で、気質は粘着質に分類される。
この気質は、いわゆる連続殺人の犯人像からはもっとも遠いところに置かれる。
もし、ゴッツ警部補の属する粘着質の人間が殺人を犯すとすれば、それは大義名分や正義のための殺人か、興奮性が引き金となって突発する場合が多い。
ゴッツ警部補の「警部補」という地位に対する異常なまでのこだわりは、警察上層部に対する彼の無意識の批判から出ていると思われるが、粘着質の人間は自分の価値観を基準にして、それに合致しない事項を強度に批判しがちだ。
そして、それがある飽和点を超えたときに、彼は自身の価値観や大義のために、殺人をも犯すこともある。
また、興奮性による殺人も粘着質の特徴である。
はじめのうちは普通に話していても、次第に自分の言葉によって自分が興奮させられ、語調が変化してついには感情が爆発する。
そして、一度爆発すると意識は後退してしまい、無意識となっている間に相手を抹殺することすらあるのだ。
しかし、この両様の殺人形態は、今回のような連続殺人事件とはその性格を異にする。
このことにより、ゴッツ警部補を本件の犯人として想定することは困難であると結論する。
しかし、本報告書は彼が殺人を犯したか否かは確定せず、また今回の犠牲者の中に彼の手にかかった者がまぎれている、という可能性までも否定するものではない。
なお、今回の関係者の中では、オスロウィーク新聞の記者であるノラン・キャンベルも、ゴッツ警部補と同じ粘着質に分類できることを付記する。

                                     F. Schubert
【謎の少年、エドワード 】
+ ...
エドワードはこちらを参照。



INVESTIGATIVE REPORTING  BY FRANK SCHUBERT
・フランク・シューバーツの捜査報告書
【催眠療法】
+ ...
プロファイリングにおいて、催眠は犯人の無意識の動きを探るという目的で用いられることがある。
通常の取り調べやインタビューで犯行の動機が明確にならなかった場合に限って、催眠を用いてその動機の把握が試みられる、というものだ。
事前に犯行を計画し、論理的で一貫した行動をとる「秩序型」殺人者なら、その動機は比較的判断しやすい。
しかし、衝動的な殺人を繰り返す「無秩序型」殺人者の場合は、通常の取り調べによる動機の把握は住々にして困難となる。
と言うのは、「無秩序型」殺人者の犯行動機は精神疾患が原因となっているケースが多く、幻想や妄想から生じた歪んだ思考を伴った供述は、日常的な文脈の中では理解が困難だからだ。
こうした状況において、催眠の適用は行われる。
我々は、催眠を使って犯人の内なる領域にまで降りていき、そこに流れている隠された一貫性と動機を把握するように務める。
催眠誘導は、一般的には時間をかけて徐々に行なうオーソドックス法が用いられるが、「無秩序型」殺人犯には誘導困難な者が多いので、ソデューム・ペントタールやスコプクロラローズなどの薬物の薬物注射により、強制的に深い催眠状態へと誘導する。
そこで捜査官は、犯人のさまざまな思考や行動を把握し、そこから彼の動機を推測するのである。
このように催眠療法は、プロファイリングにおいては犯人に適用されるのが通例であり、本件のように被害者であるジェニファーに対して施されるというのは、極めて異例であると言えよう。
確かに、催眠の最大の効果である催眠弛緩は心身医学的治療にも有効であり、ジェニファーのような大きなショックを受けたことによる心身の不適応状態の治療に催眠療法を用いれば、使用方法次第では成果も期待できる。
しかし同時に、催眠弛緩状態になった心は極めて無防備な状態となり、容易に外傷を受けやすいということをも考慮に入れておく必要がある。
ジェニファーの場合、当該事件については意識のレベルでも未整理の状態にある。
せっかく無意識の領域に押し込めた事件の記憶を、催眠によってむりやり意識の表面に引きずり出してしまうことは、彼女にとっては苦痛以外の何物でもないであろう。
それが彼女の限界点を超えたときには、彼女を精神的な疾患に追い込むおそれすらある。
特に、バートン教授の催眠療法の意図が、ジェニファーの治療というよりは、事件の記憶の詳細なる再現にあるようなので、早晩このような事態は起こり得ると危惧している。

                                     F. Schubert
【プロファイリングとは①】
+ ...
~心理学的プロファイリングとそのプロセス~
心理学的プロファイリングとは、犯罪の中に何らかのパターンや特徴を探し、そこから犯人像を予想する技術のことをいう。
特に、快楽殺人や連続殺人といった動機が不明瞑な犯罪捜査に用いられるときに、効力を発揮する。
その基礎的理論は、過去の犯罪者の行動パターンや容貌、さらには人間行動のあらゆる局面などの膨大なデータを数量化し分析する、行動科学が中心になっている。
将来類似の事件が起きたときに、蓄積された分析データと、新たに収集されたものとを付き合わせることによって類似性を見出し、同様の志向を持つ犯人像を割り出そうというものだ。
そのため、プロファイリングにおいては数量化のための資料収集が最重要ポイントであり、これが作業の第1ステップとなる。
収集されたデータは、コンピューターにインプットされた後に整理・体系化されて、その犯罪が「大量殺人」・「耽溺型殺人」・「連続殺人」のどれに属するかという犯行形態の分類がなされる。
そして、さらにその分類に従って、犯行の基本的目的が「利益目的殺人」・「感情的殺人」・「性的(快楽)殺人」のいずれに属するかについても探られる。
次の段階では、犯行の順序や、被害者および犯人の行動の再構成が行われる。
ここではまず、その犯罪が「秩序型」か「無秩序型」かの仮定を立てることになる。
これは被害者の選択方法や犯人の行動・手順とも深く関係し、さらには犯人像の特定にも重要な影響も与える。

「秩序型」の犯人は計画的であり、実際の犯行現場においても自分の考えを実行に移すために冷静に行動する。
そのため、被害者には一定のパターンが見られ、犯行現場にも一種の秩序が見られる。
また、拘束具の使用などにより殺害以前に被害者に服従を要求し、暴行を加えてから殺害に至ることが多い。
一方、「無秩序型」の場合は、ある程度の空想的計画はあるものの、細部に渡る事前検証がなされていないために、被害者間のパターンを発見や犯行現場に一貫性を認め得ることが少ない。
また、被害者に対する暴行も殺害後のことが多く、殺害は衝動によって行われる。
社会生活という観点からみると、「秩序型」犯罪者は平均以上の知能や社会性を備えているが、その能力以下の仕事にしかついておらず、殺人の前にはストレス下にあることが多い。
「無秩序型」犯罪者は社会性や職歴に問題があり、その容貌も痩せ過ぎか太り過ぎのどちらかである。
以上の分類と仮定を、データからのフィードバックとともに繰り返し行ないながら、犯人と思われる人間のタイプ、容貌とその行動様式とを判断して、捜査本部に報告する。
現場はその犯人像(プロファイル)に従って捜査を行うが、逮捕に至らない場合は、データの検証から何度でも繰り返されるのだ。

                                     F. Schubert
【プロファイリングとは②】
+ ...
~プロファイラーになるための資質~
プロファイラーとしての最低要件を満たすには、心理学の修士以上の学歴があればよい。
だが、すぐれたプロファイラーになるためには心理学の知識の他に、
(1)人間全般に対する深い洞察、(2)自分自身の客観的把握、(3)高度なエンパシー(感情移入)能力、そして(4)柔軟性の4つが必要となる。

(1)人間全般に対する深い洞察
プロファイルとは、現場に残された証拠を元に犯人を推理していくという、高度に分析的かつ論理的な作業である。
しかし、同時に長年の経験と、人間や人生に対する深い洞察、そしてていねいに磨かれた勘とが要求される作業でもある。
頭を使って複雑なパズルの解答を探すと共に、心と勘を使って交差した心理の網をも解いていくのだ。
それゆえ、この作業に携わるには、人間を理解するためのさまざまなアプローチを体得しておく必要がある。
そのためには、自分より上級のプロファイラーによる、スーパービジョンも含めた定期的な訓練が必要となる。

(2)自分自身の客観的把握
プロファイラーは、自分自身の性向についても熟知しておく必要がある。
特に重要なのは、自分では気づかない認識のバイアス(偏見)だ。これは、犯人の誤認などの実務的弊害を生み出しやすい。
自分のバイアスを知るために、プロファイラーになる者は長期に渡る教育分析を受け、自分自身に対して徹底的に直面する。

(3)高度なエンパシー
プロファイリングが必要となる事件は、通常の論理では理解不能であるものが多い。
犯行の動機も含め、犯人像がまったく見えてこないときに、はじめてプロファイリングが要請されるというのが現状だ。
プロファイラーはそのようなとき、現場の状況や証拠群から犯人像を仮定して、その仮想の心の中に入りこみ、容疑者がどんな人間かを探り、その人格を示すどんな証拠を残しているかを推測しなければならない。これには高度なエンパシー能力が要求されるが、訓練だけで身につくものではなく、才能も要求される。

(4)柔軟性
プロファイラーとして経験を積めば積むほど陥りやすい罠がある。
それは“自己過信”だ。
新たな事件に遭遇しても、過去の経験の枠内での解決を試みようとしてしまうようになると、真実への道は遠のく。
特に、今回の「クロックタワー事件」のようなケースを扱うときには、経験からの類推ではほとんど解決不可能だろう。
それゆえ、この項目を最後に挙げておきたい。

                                     F. Schubert
【異種交換】
+ ...
今回の事件では、リックの死亡原因を「飼い犬による噛殺」とする報告があった。
近隣の住民からの事情聴取によると、リックの虐待などの事実はなかったようだ。
それなのに、なぜ飼い主である彼を襲ったのだろうか?
事件の特異性もあり、警察内部でもこの疑問に対するさまざまな見解が出されている。
報告直後は、「何者かが犬に薬物を投与した」とする見方が主流を占めていた。
しかし、これはすぐに撤回されることになる。
当該の犬を検査した結果、薬物やそれに類する反応は検出されなかったからだ。
さまざまな意見の中で、私が個人的にとても引かれているのが、「シザーマンが犬に取り憑いたのではないか」というものだ。
あまりにも荒唐無稽であり、ほとんど議論の対象とされていないのだが、動物や虫といった“異種”との意思疎通が可能な人間は、学術的な研究においてもその存在は記録されている。
ゆえに私は、前述の死亡原因としての可能性はゼロではない、とみている。
こうしたコミュニケーション能力は、一般には“異種交換”と呼ばれている。
これがさらに高まると、異種の体や意識の中に入り込んでしまったり、あるいは入り込んだ体のままで異種と生殖行為を行ない、その子供を設けてしまうまでに至ることすらあるという。
古代から中世にかけて、異種交換能力は特定の人々に重要視されていた。
それはシャーマンや魔術師と呼ばれた人々、そして他ならぬバロウズ一族のような一国の領主や王である。
彼らは、部族や一族の勝利と繁栄とを得るために、ライオン、熊、虎、豹などといった、“霊力が強い”とされた動物のパワーを、その体内に取り込もうとした。
仕留めたばかりの応物の内臓を食べる、その生き血を飲む、剥いですぐの生皮を血がしたたるままに身にまとう、という行為によって、である。
それがいつしか「異族の勇者の力を身につけたい」という欲求へと移行し、人肉を食する、人血を飲む、ていねいに剥いだ人間の皮(それも、生きたままで剥ぐのが最高とされていた)をかぶる、といったカニバリズム(食人風習)となって定着したのである。
ある映画のワンシーンで、人の顔の皮を仮面のようにかぶる、というものがあったと記憶しているが、これはまさに他者の力を自らのものにしようとする儀式だったといえよう。
この”カニバリズム“との関連性こそが、私が「死亡原因としての異種交換」にこだわる理由である。
捜査官としての直感ではあるが、これはバロウズ一族に隠された秘密を解くためのキーポイントとなるのではないか、と私は見ている。

                                     F. Schubert
【ポルターガイスト】
+ ...
図書館での事件で、ヘレン・マクスウェルに事情聴取を行なったところ、「希観室の電灯が突然爆発した」という発言が得られた。
さらに、リック邸における殺人事件においては、当該現場にいたスターン・ゴッツ警部補が「台所の壁面の仮面などが突然動き出し、宙に浮いた」と報告している。
警察内部には、それは報告者の幻覚だとする意見もあるが、ここではその真偽を問うことはせずに、このようなポルターガイスト現象がシザーマンの出現した現場で発生した意味と、そこから推測される事件への関連事項を考察したい。
ポルターガイスト現象というのは、心理学の研究においては既視感(デジャ・ヴュ)や共時性(シンクロニシティ)と同様の扱いを受けている。
すなわち、その現象の存在は認めても、それを無意識の生みだす一種の錯覚である、とするものだ。
ユング派の流れを汲む一部の心理学者の中には、さらに積極的にその意味を見出そうとする者もいるが、しかしながら学会では異端者扱いをされている。
そして、ポルターガイスト現象と、他の類似現象とされる既視感や共時性との相違点は、それが思春期以前の子供に特有の現象であるという部分だ。
報告された事象が子供特有の錯覚ということならば、成人であるゴッツ警部補やヘレン・マクスウェルは体験するはずがなく、ここに矛盾が生じるため、幻視説が正しいことになる。
しかし、このふたりの言述に虚偽がないものと仮定するならば、今回は解釈について問題が発生し、超心理学の説明を用いる必要性が出てくる。
超心理学においては、ポルターガイスト現象について、やはり思春期以前の子供との関係は認めている。
だが、子供のみがそれを体験するというわけではなく、同一の建物内部に思春期以前の人間が存在すればポルターガイスト現象は生じ、その場合の体験者の年齢は無関係であるとしている。
つまり、リック邸並びに図書館がそうした状況にあったなら、ゴッツ警部補やヘレン・マクスウェルのような成人でもこの現象を体験し得るというわけである。
さらに、ポルターガイストを錯覚ではなく無意識としての「人格の断片」のなせる現象とし、その断片的無意識がある特定の場所、あるいは特定の人に対して強度の指向性を持つと、それは特に生じやすい、と超心理学は説明する。
断片的無意識であるがゆえに、子供のように開示された無意識がそこに存在すれば、自ずとそれに招かれて出ていってしまう、特にそれと深い関係がある子供がいれば、事象の発生はより顕著となる、としている。
以上のことから、ゴッツ警部補ならびにヘレン・マクスウェルの言述に虚偽がなく、彼らの体験した現象が幻覚でないと仮定するならば、以下の2点が導き出されることになる。

1. シザーマン襲撃時に、リック邸および図書館内部に思春期以前の子供がいた
これは報告されていないので、新たな推測的事実として重要であろう

2. リック邸および図書館内部には、バロウズ家に関わる重大な事実が残されている
これが断片的無意識となり、ポルターガイスト現象を引き起こしたと思われる

                                     F. Schubert
【バロウズ家の歴史】
+ ...
事件現場において、我々は1枚の文章を発見した。
それは羊皮紙にラテン語で書かれ、銀製の聖榧の中に固く封印されて納められていた。
内容は、13世クェンティン・バロウズがシザーマンと化したわが子を抹殺する決意をしたときの神への祈誓分のようだが、これによって我々はバロウズ一族の秘された歴史とシザーマン誕生の因果とを知ることができよう。これを以下に記したいと思う。

英国の深き闇の時、百年戦争の終わりて人の心すさびし時に戻れかし。
深き闇の、またさらに深き漆黒の寒天質の闇路の中を馬並めてセオドオル・バロウズの城郭へと向かう騎士たちがいた。
彼も同じバロウズ家の者、セオドオルの弟どもと伝え聞く。
登りつめたる階の重き扉を開きてみれば、そこには千、二千、累々たる白骨の積み重なりて、また新たなる屍の腐臭を放ち、中にはすでに膨張し膿血の流滴せしもあり。
その真ん中に己が裸体のその上に血にて染めし紅の薄衣一枚むざとかけて、金泥塗りし髑髏の盃もて、微笑せしセオドオル・バロウズを見た。

「兄上!」

彼の同胞どもは眼前の様に呆然とせしが、やがて兄を取って押さえ、かねて持ちたる毒の盃を彼の口にもって行きしが、セオドオルは莞爾としてこれを受け、そのまま果てて失せにける。
この部屋の白骨、屍はセオドオルが領民のものなり。彼は、「汝が子は我が領主に召されしぞ」と言いて、領民の美しき子どもらを拐かし、我が城郭にて凌辱し、果ては血を啜り、血肉を喰らう。
それを諌める傍臣は「こはそも秘教の儀式なり。汝らいかにしてそれを妨ぐるぞ」とて誅殺し、姫は地下牢に幽閉せしが、民の噂と神の告げに導かれし弟たちにあさまになされ、今ここにその暗き習いは終結す。
一族の者ども「これは闇の夢のこと」とて口を箝し、兄は病に倒れしとて、その弟君が城を継ぎしが、殺されし子らの呪いか、バロウズ家には暗き狂気の血が今も流れ留まらず。
ついに我が子にも、その兆しの現れたるか。
不憫にては候へども、我は今宵、我が子を殺さんと思う。
闇夜より暗き闇にぞ入りにける我が冥闇を助けよやとて、微かに照らす山の端の月の刃に望みをかけしクェンティン・バロウズの祈誓、神よ請けたまえ。

 ヴィクティメ    パスカリ    ラウデス
VICTIMAE PASCHALI LAUDES

 インモレント   クリスティアニ
IMMOLENT CHRISTIANI

(基督を信ずる同胞よ。犠牲となりし子羊達を讃えよ)

                                     F. Schubert
【リトルジョン】
+ ...
「Little John from the Castle」 「大きな城のリトルジョン」

1.Little John from the Castle 1.大きな城のリトルジョン
Plays with a little boy 元気な男の子と遊んでる
Snip,snip,off goes his head チョキチョキ頭を刻んだら
Bright red, bright red 中から出てきた赤い水

2.Little John from the Castle 2.大きな城のリトルジョン
Play's with a little girl かわいい女の子と遊んでる
Stab, stab, she loses her sight チョキチョキ瞳を刻んだら
Bright white bright white 中から出てきた白い水

3.Little John of the Castle 3.大きな城のリトルジョン
Has found another friend 小さな坊やと遊んでる
Slash, slash, in to his tummy チョキチョキお腹を刻んだら
Out it slides, red and rummy 中から出てきた赤い紐

Little John from the Castle 大きな城のリトルジョン
Little John from the Castle 大きな城のリトルジョン
Little John from the Castle… 大きな城のリトルジョン…


これは、バロウズ城がある地域において、かつて子供たちの間で流行した童謡である。
今回の事件の現場であるバロウズ城から、以下の文章とともに発見された。
文体から見るに、文章は多少錯乱した精神状態の中で書かれたものと思われるが、今回の事件との関連性を考え、原文のまま参考資料として掲示する。

リトルジョン……なんておぞましくも能天気な歌詞なんだ。
ここには死とエロティシズムという快楽の二大要素が、童謡の姿を借りて無邪気に遊んでいる。
この歌詞の深層にはもっと暗い漆黒の闇が妖しく光っているんですよ。おわかり?
だって、“リトルジョン”といえば男性性器の象徴でしょう?
そのリトルジョンが、元気な男の子、かわいい女の子、そして小さな坊やと遊んでいる。
その上、男の子と遊ぶときには赤いものが、女の子と遊ぶときには白いものが出るんです。
バイセクシャルな快楽の願望が見え隠れしているでしょう?
しかも、チョキチョキ切られてしまうなんていうのは、去勢願望と去勢恐怖の混在以外の何ものでもないんだ。
大人になりたくない少年、男になりたくない坊や、でもちょん切られるのはもっとイヤだ! という少年の叫びが聞こえてくる。
男の子なら頭を刻む、お腹を刻む、でも、女の子だけは瞳を刻んであげよう。
瞳を刻むという行為は、古代中国からシルクロードを渡って世界中に輸出された習慣でした。
美しい少年少女は、幼い頃にその瞳を刻まれ、童子として宮廷に仕えさせられました。
目がないから、余計なものは見えませんし、考えません。
いつまでも純真な童子のままで、宮中にとどまっていられるのです。
 だから、“瞳”という漢字には“童”という字が入っているのだ。
少年ならば去勢もします。これで後宮でも安全。
去勢をすれば、カストラートのように声もいつまでもボーイソプラノ。
これぞ「神の声」というわけなのです。


……歌詞の中の“大きな城”とはバロウズ城“リトルジョン”とはシザーマンのメタファーなのだろう。
文章の中にある“宮廷”とは、初代の大量殺戮者から綿々とつながる暗黒の家系のことを暗に示している。
そして。瞳を刻むシザーマンは、暗黒の家系を背中に担った記憶の伝達者なのかも知れない。

                                     F. Schubert
【鉄の処女】
+ ...
バロウズ城の拷問部屋にある女性の形の拷問器具は、“鉄の処女”と呼ばれているものだ。
これは、鉄製のカラクリ人形で、その前に人間が立つと、人形の腕がそれを捕まえるようにできている。
次に胸部が開き、捕まった人間はそのまま内部に抱き込まれる。
人形の内側には多数の鋭い針が仕込まれており、犠牲者の体には瞬時にして無数の穴が開く。
流れ出すおびただしい血液は、人形に取り付けられた樋を通ってバスタブに送られ、そのまま血液風呂が焚かれたとされている。
この拷問器具を生み出したのは、ドラキュラ伝説を生んだトランシルヴァニア地方の伯爵夫人、エリザベート・バートリーである。
彼女は、処女の血によって満たされた血液風呂に入ることによって、永遠の美と不老不死とを得ようとした。
彼女の美への渇望に貢献した処女の数は数百人ともいわれている。
しかし、実は彼女は単に美へのあこがれだけによって処女を狩り続けたわけではなかった。
エリザベートには、同性を求める性的性質があったのだ。
彼女の行為には、男性の女性に対する快楽殺人の根底に見られる充足欲求に類似するものがあると言えよう。
しかし、狂気ともとれる彼女の性癖に対して、当時のヨーロッパの貴族たちは、“賛同はせずとも理解はできる”という態度を示していた。
これは時代の生み出した病、いや嗜癖とでも言うべきものだったのである。
バロウズ城の初代、そして二代目の城主は、このエリザベートと活躍する世紀を同じくしている。
歴史に残されているエリザベートの記述と、ジェニファーらがバロウズ城で目撃した拷問器具の血の染みからは、相似点の存在が想像できる。
つまり、両者は同じ嗜癖を持っていたのである。
こうした歴史的観点からの見地に立つと、バロウズ城でどのようなことが行われていたか、さらにバロウズ一族の呪われた血脈にゆいてもが推測できるであろう。
最後に、エリザベートの最後についても触れておこう。
王族だった彼女も、事件の発覚によって暗黒の部屋に閉じ込められ、終生を暗闇で過ごすことになる。
だが、その最後に関しては「本当に不老不死になった」、「吸血鬼と化した」など、さまざまな伝説が残されている。
その中でも、もっとも声を小さくして語られている(そして、それゆえに一番真実に近いと思われる)のが、「ある呪いを成就して永遠の時を得た」というものである。
記録には、彼女の暗黒の遺伝子が、肉体を超越し、場所や時すらも超える、とある。
しかもそれは、”記憶の遺伝“という形で体内に入り込むため、エリザベートの物語を一度でも耳にした者は、その意識や肉体に遺伝子を取り込んでしまう、というのだ。
それが事実なら、シザーマンや……クロックタワー事件についてを深く知る人々にも災厄が起こる(または起こっている)ということになるのだろうか。  

                                     F. Schubert
【今回のケースにおける総括的報告】
+ ...
シザーマンによる連続猟奇殺人事件は一応の解決を見た。
しかし、我々の分析が正しければ、この事件は本当の意味ではまだ解決していない。
いつまた同じ事件が起こるとも限らないのだ。
そこで、今回の反省点も含めて報告書をまとめる。
これが、次の事件が発生したときの早期解決の一助とならんことを願う。

(a)凶器による分析
シザーマン連続猟奇殺人事件は、被害者相互の関連性が少なかったために、被害者の分析によるプロファイリングという通常の手法を取ることができなかった。
そこで今回は、その凶器であるハサミを端緒としてプロファイル作成を試みた。
ハサミを犯罪の主要な凶器として用いることは希有なケースであり、その背景に何らかの精神的要因があると思われる。
ハサミの精神分析学的意味は、「ファルス(男根)」、「去勢」、「分離」の象徴である。
これらの要素に対して否定的もしくは肯定的感情のいずれを持つかはともかく、犯人がこれらの要素に対して複雑な感情(コンプレックス)を抱き、そのイメージに囚われていることがわかる。

(b)カニバリズム
(a)の裏付けとして、事件の進展につれて露出してきた人肉や人血の存在がある。
これらを嗜食するカニバリズムは、一種の異常行為として現代社会でもその例が報告されている。
人肉供食を行なう犯人は、口唇的性欲の異常発達か、あるいは口唇的性欲期以降の正常な性欲の発達の停止・抑止が行なわれていると考えられる。
これは、犯人が思春期以前に正常な精神的発達を止めてしまったということを示唆する。

(c)死体と犯行現場の状況
死体の状況には一貫性がない。
きれいに首だけが切断されているものもあれば、腹部を抉られ内臓が引きずり出されている場合もある。
この点だけに着目すると、犯人は無秩序型であると断定しがちだが、きれいな死体の場合には犯行現場も整理され、乱雑な死体のときには犯行現場も乱れていることを考えると、本件が複数の犯人によって行なわれている可能性も見えてくる。

(d)犯人像―プロファイル―
上述したように犯人が複数で構成されている可能性もあるが、これまでの情報を元に、その中のひとりのプロファイル作成を行ないたい。
犯人の身体的特徴としては、痩せ形の男性で、気が弱そうには見えるが、それ以外の外見はごく普通であろう。
女性と個人的にデートすることは苦手で、性的体験も乏しく、相手としては年下かあるいはとても年の離れた年長者を選ぶ傾向が強い。
また、発達段階の比較的早期に両親か片親との離別を体験したか、あるいは逆に成人後も両親の庇護を受けているかであろう。
そのため、自立の希求とそれを拒否する気持ちとが常に葛藤しており、そのための精神の不安定さが彼のエネルギーを内面に追いやっている。
そして、その葛藤が飽和点に達したときに、犯罪として爆発するのだと考えられる。
犯人の両親像は、厳格すぎる父親と過保護な母親である。
ハサミに象徴される去勢の恐怖は厳格な父親にその源を発していると思われるが、その恐怖感の反動として、彼は母親と性交渉をもつ夢を多く見て、その罪悪感に苛まされているはずである。
その感情を断ち切るのがやはりハサミであり、またその器物が彼の性的欲求をも満足させるのであろう。
このプロファイルにもっとも合致する人物が誰であるかは、捜査員の裁定に任せる。

(e)犯人が子供である可能性
上記の分析において、我々は犯人が子供である可能性を意図的に排除してきた。
しかし、元来ハサミに象徴される去勢コンプレックスは、男児の幼児期における自己の性の受容と、母親との分離の過程で起こるファルスの意味の変遷とともに生ずるものである。
さらに、母親との分離期には必ず登場するものだ。
また、その被害者たちの多くに性的暴行のあとは見られなかったが、死体を凌辱された形跡はあった。
これは、幼少年期の性感帯が性器に限定されないために、その性欲は倒錯的であり、性器の使用に限定しない快楽殺人を犯す要素は十分にあると考えられる。
ただし、非力な子供が殺人を遂行できるかという点では、疑問は残る。

(f)プロファイラーに対する警鐘
最後に、自戒を込めて、プロファイラーのシステムに対する警鐘を鳴らして論を閉じたい。
本件において、我々の同業であるサミュエル・バートン教授がこのように深く関与していたことは、正直なところ盲点だった。
しかし、これは冷静になれば考えられないことではなかった。
精神を破壊された人々と職業として長く関わっていると、蛇の穴に投げ込まれた人間のように、自分の精神も破壊されてしまうことがある。
しかも我々が関わっているのは、凶悪犯の心である。
死への欲求や殺人への興味は、我々の本能に備わっている欲望のひとつだ。
普段は法律や道徳などの現実理論によってその欲望を封印しているが、凶悪犯の心理に深く関わりすぎると、その欲望は膨張してきて、いつしかその封印が解かれるときがくる。
若いプロファイラーは、その危険を避けるために上級者からのカウンセリングやスーパービジョンを定期的に受けているが、バートン教授ほどの人になると、彼をカウンセリングしたり指導したりする人がいなくなっていた。
そのため、シザーマンの魂に乗っ取られてしまったのだろう。
これからこのケースを教訓に、特に上級者に対するカウンセリングとチェック機能の整備について早急に対処したい。

                                     F. Schubert

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最終更新:2012年01月26日 22:12