SSその2


 “彼”が飲み物を買いに出て行った選手用ホテルの一室。
 少女は一人、彼について考えていた。

――「次の勝利もまた、そなたに約束しよう」

 一回戦の終わりに、彼はそう言ってくれた。
 でも。

――「もし真に相応しき器の持ち主であれば、願いを用いこの剣を捧げることも厭わぬ」

 次の次の、さらに次の勝利は、一体誰のためのものなのだろう。
 と、そこまで考えた後、首を横に振る。
 彼が自分を捨てるなんてありえない。
 しかし、その時が来たらもしかして……。
 二つの思いが交互に彼女の胸に行き来する。

 彼女が経験したことのある“人間との関係性”はただ一つ。
 主と従。
 ゆえに彼女は見い出せずにいた。
 いずれ主の主となるべき王女に対するこのほの暗い感情の正体を。
 あるいはただの『未調整のバグ』の延長かもしれない。

(いけません)

 気分を落ち着けるため、シャワーでも浴びようかと席を立ったその時、ノックの音が聞こえた。

「はい」

 彼女が扉を開けると、筋骨隆々としたオールバックの男が、スーツ姿で立っていた。
 間違いない。
 彼の二回戦の対戦相手である男だ。

「アナスタシア、だな」

「ええ」

 それを確かめると、男はにっこりとして――。




「さあ始まりました! グロリアス・オリュンピア二回戦!
 “戦場跡”での闘いは、井戸浪濠(いとなみごう) 対 暗黒騎士ダークヴァルザードギアス!」

 流れるアナウンスに、観客は大きな歓声を寄せる。
 だが、暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは、それどころではなかった。
 キョロキョロと見渡すのは彼の設定ではないのでゆっくりと目線を移動させながら、観客席に目的の人物がいないかどうか探る。
 こんな人数の中、見つかるはずがないと思いながら。

「誰を探しているんだ?」

 濠が話しかけると、暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは逡巡の後に答えた。

「我が侍女が少し前より姿を見せぬ」

 それを聞くと濠は口先を釣り上げる。

「君は、大会規定をよく読んだかな?」

「何のことだ?」

「『対戦相手以外に危害を加えた者は失格となる』」

 暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは濠の言いたいことを察し目を見開いた。
 この条項には、一つの但し書きが添えられている。

「『ただしサンプル花子を除く』」

「貴様……」

 暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは今にも掴み掛からんという勢いで濠を睨みつける。
 しかし試合時間以外での戦闘行為はご法度。
 彼は震える腕を押さえなんとか踏みとどまる。

「覚えておくがいい、我が暗黒瘴気剣ダムギルスヴァリアグラードの錆にしてくれようぞ」




「ぴんぽんぱんぽ~ん! やっぱりここだけ二人だと不公平なので、
 グロリアス・オリュンピア運営本部からリザーバーを一名派遣しました!
 お二方には“彼女”も含めた三つ巴で戦っていただきます!」

 転送直後、やたらと場の雰囲気にそぐわないアナウンスが流れた。
 正体不明のリザーバー。
 まったく、グロリアス・オリュンピア運営本部ときたら、粋なサプライズをしてくれる。

 ただ、そちらも気になるが、まずは目の前の敵だ。
 名も分からぬ、戦国時代の合戦場。
 二人の男は互いの姿を遠目に認める。
 暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは手近の死体に刺さっていた刀を引き抜く。
 暗黒瘴気剣ダムギルスヴァリアグラードの使い手である彼だが、本物の刀剣を握ったのは初めてである。
 そのずっしりとした重みに少したじろぐ。
 しかし一つ空振りをして気の迷いを断ち斬った。
 刃から闇が零れ落ちる。
 この時既に刀は暗黒瘴気剣ダムギルスヴァリアグラードと化していた。
 『イーヴァルディの砥石』の効果時間を考えると、刀は濠にギリギリまで近づいてからダムギルスヴァリアグラードに変えたほうがいい。
 それを思いつかないほど彼は馬鹿ではない。
 ただ、彼は愛剣でない刀と戦場を駆けること自体、ダムギルスヴァリアグラードに対する裏切りと信じた。
 彼は一つ呼吸をしてから走り出した。




「『永劫滅砕・カタストロフ=ディアス』!」

 剣が頬を掠める手前で、濠は顔を引く。

「またしても……」

 闘いは膠着していた。
 濠は避けることに専念しているようだった。
 辺りには亡き兵士たちが遺した武器がいくらでもある。
 いくらでもダムギルスヴァリアグラードを補充できる。
 だが無限ではない。
 三分が経つ度、暗黒騎士ダークヴァルザードギアスに焦りが募る。
 試合が動いたのは、そうやって五本目のダムギルスヴァリアグラードを消費しきった時だった。

「わたしも混ぜてくださいな」

 突然の少女の声に二人は揃って顔を向ける。
 見ればそこには、色素の薄い銀の髪を肩口に垂らした、おっとりとした少女。
 華奢そうな身に纏うのは、戦場(いくさば)にそぐわない真っ白なワンピース。
 片方の手で、大きなトランクを握っている。

「王……女?」

 その少女は、フェム王女と瓜二つであった。
 二人は試合開始時のアナウンスを思い出す。
 リザーバーの“彼女”とは、フェム王女のことであったのだろうか。
 暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは一歩前に進み出ると、跪いて名乗りを上げた。

「よくぞいらっしゃった、フェム王女。
 我はコンビニバイト土屋一郎……!?」

 暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは自分の口から出た言葉に驚き、ショックを受けた。
 せっかくあの子が呼んでくれた、その名。
 グロリアス・オリュンピアで轟かすと決めた、その名。
 それが、名乗れないなんて。

 一方、濠の方も動けないでいた。
 彼には少女がフェム王女でないことは分かっていた。
 なぜなら彼は既に密かに『敢行使命(チャレンジノルマ)』を発動させていたからだ。
 濠は一回戦の際、既にフェム王女と名刺を交換している。
 あれから名刺の内容は変わっていないので、仮に彼女がフェム王女本人なら、能力が発動することはないのだ。

 もう一つ分かることがある。
 それは『敢行使命』の発動条件の違いによる。
 相手が名刺を持っている場合は名刺同士の位置が入れ替わる形になる。
 しかし相手が名刺を持っていない場合、濠の名刺は必ず相手の手元に行く。
 見える位置に名刺が現れた様子が無いということは、彼女は自分の名刺を用意してきたということだ。
 流石リザーバーとして出てくるだけあり、こちらへの対策もきっちり打ってある。

 濠が冷や汗を垂らす。
 今、この交換された名刺を読む隙を見せていいものか。
 少女はその吟味の暇すら与えてはくれなかった。

「暗黒騎士ダークヴァルザードギアスさん、【わたしと一緒に、井戸浪濠さんを倒してくれませんか?】」

 少女の言葉をトリガーに暗黒騎士ダークヴァルザードギアスの動揺はなぜかいきなり治まったようだ。

「仰せのままに」

 彼は虚ろな目をしながら濠の方に向かってくる。
 まずい、二対一はまずい。
 濠は名刺入れから素早く自分の名刺を取り出すと、能力を発動させ“とある人物”と名刺を交換した。
 そしてそれを、暗黒騎士ダークヴァルザードギアスへと投げた。
 暗黒騎士ダークヴァルザードギアスはそれを受け取って目を向けたところで、我に返った。

「アナスタシア……」

 それは、濠が暗黒騎士ダークヴァルザードギアスとのタイマンを想定して用意していた、揺さぶりのための切り札。
 折を見てアナスタシアから暗黒騎士ダークヴァルザードギアスへのメッセージを送るために、濠が用意した、彼女の名刺。
 本来なら濠がモニター越しに合図を送って30秒後に能力を発動させるつもりだった。
 それが濠の咄嗟の判断で不意になり、文字を書く暇は与えられなかった。
 しかし、その名刺には何よりも強いメッセージが刻まれていた。
 落ちたのはついさっきであろう、涙の跡が。

「全く悪いとは思わないが……」

 名刺を見つめたままの暗黒騎士ダークヴァルザードギアスに濠が話し掛ける。
 この言葉には少女の能力に対する検証の意味も含まれていた。
 濠は「悪いが」と言ったつもりであった。

「君の侍女はホテルの私の部屋で匿っているだけだ。危害は加えていない」

「それは真か」

「ああ、なぜなら我々は今そちらの彼女の能力によって“嘘が付けない”状態だからな」

「なっ……!」

 能力の一つを看破され、少女は絶句する。
 それが何よりの肯定。

「だが、アナスタシアをたぶらかしたことには違いない」

 暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは話を戻す。
 嘘を付けない。濠にとって一見不利な状態だが、メリットもある。
 今はすべての話を信じさせることができる。

「私は彼女から相談を受けた」

 セールスマンは、まずは何気ないトークによって交渉相手との交流を図る。
 それは例えば天気の話であったり、コイバナであったりする。

「君が王女サマに取られるのではないかと心配していたぞ」

「それは……」

確かに、この闘いの始まりは王女だったかもしれない。
だが今は。

「彼女は君にとって何なんだ?」

「……大切な者だ」

「王女サマよりもか?」

「……無論だ」

「ならそれを、今も見ている彼女の前で証明してみせるんだな」

 暗黒騎士ダークヴァルザードギアスはフェム王女そっくりの少女を見据えた。

「我はアナスタシアに勝利を約束した! なれば、いずれ主君となるそなたと刃を交えることも厭わぬ!」

 背中のリュックから取り出した、ダンボール製の暗黒瘴気剣ダムギルスヴァリアグラードを手に、彼は駆け出す。

「ええっ! ちょっと! なんでこっちに向かってくるんですか! 【止まって】!」

 しかし彼女の“お願い”はもはや暗黒騎士ダークヴァルザードギアスには通用しなかった。
 仕方なく、少女は手を変える。

「ま、『護れ』!」

 叫ぶ少女の前に、突如金属製の盾が現れる。
 暗黒瘴気剣ダムギルスヴァリアグラードが弾かれる。

「そうです、そのまま……『襲え』!」

 盾が少しずつ千切れ多数の槍となって暗黒騎士ダークヴァルザードギアスを襲う。
 またこの手の攻撃か。
 暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは少女との距離を開け、槍を十分引き付けてから、横回りでかわす。
 アナスタシアとの特訓の成果だ。
 攻撃が外れたことを受け、少女は次の手を打つ。

「『壊せ』」

 攻撃的な台詞に、暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは身を構える。
 しかし、少女が狙ったのは彼自身ではなかった。
 金属の槍が襲ったのは、戦場に多く転がる刀。
 彼らの周囲のそれらが、ことごとく破壊される。

「これで、あなたはもう武器を補充できません」

 暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは何も答えず、少女の元へ走る。

「『護れ』」

「『疾風突撃・ギルガ=アーク=ヴァイラス』!」

 残りの二分ほど、彼は剣を叩きつけ、突き、薙ぎ、とにかく我武者羅に当たっていった。
 だが、その分厚い盾を突破することは叶わなかった。

「暗黒騎士」

 そこに濠が呼びかける。

「こいつが必要だろう」

 見れば、濠はペットボトルを逆さまに掴んでいた。
 ああ、いかにも剣っぽい。
 暗黒騎士ダークヴァルザードギアスがこくりとうなずく。

「待ってください。井戸浪さんは暗黒騎士さんの味方をするんですか!」

 少女が抗議の声を上げる。

「私は水を売りたいだけだ。戦闘に加わるつもりはない」

 少女は納得いかない、という風に膨れる。
 濠は構わず続けた。

「このリュックの中身全部だ。いくら出せる?」

 突然の値段交渉。
 暗黒騎士ダークヴァルザードギアスはキョドルる。
 自分で決めろというのか。
 いくらが適正なのだろうか。

「い、いちまん……」

「100万円です!」

 そこに、少女が割り込んできた。

「わたしが100万円で買い取ります」

「そうか、分かった」

 えっ、そっちに売っちゃうの!?
 暗黒騎士ダークヴァルザードギアスはしょうがなく、震える声を絞り出す。

「ご……5億……だ…………」

 二人が一斉に彼の方を向く。

「我は……この大会で全ての試合に勝利を収める。
 なれば、その優勝賞品とやらをここで使ってやっても惜しくは……ない」

「なるほど、では君に……」

 えっ、そっちに売っちゃうの!?
 確実に後払いだし、回収できるか分からないのに。
 少女は焦って口を挟む。

「ではわたしは5億5000万出します!」

 最も魅力的な戦いをした者に送られるという5000万円、それを少女は上乗せしてきた。
 対する、暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは。

「ならば、我は6億5千……」

 当然、ベストバトル3試合分を上乗せしてくる。
 が、彼はそれだけでは終わらなかった。
 頭の中に預金通帳を思い浮かべ、

「たしか……7万……」

 さらにモッズコートから財布を取り出し、開く。

「8万……6億5008万、3千……2百……16円! 6億5008万3216円だ!」

 少女は暗黒騎士ダークヴァルザードギアスのその台詞に圧倒された。
 「6億5000万円」と言うことは虚勢を張れば誰にでもできる。
 だが、「8万3216円」。おそらく彼の持つ全現金。
 これを失えば来月の家賃の支払いすらままならない。
 それを口に出すことができる者がどれだけいるというのか。
 少女は高い桁の方ではなく、あくまで現実的なその下位五桁に言葉を奪われた。

「決まりでいいか」

 少女は黙ってうつむくしかなかった。
 本当のところ、最初の100万円すら彼女に工面できるかどうかすら怪しかった。
 少女は王女ではなく、王宮製の人工魔人の一人でしかないのだから。

 最初の一本が、濠から暗黒騎士ダークヴァルザードギアスの手に渡ろうとする。

「『阻め』」

 その瞬間を、エプシロン産の金属睨天鉄(エプシリウム)が襲う。
 すんでのところでペットボトルを掴んだ暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは直ちにそれを暗黒瘴気剣ダムギルスヴァリアグラードに変え、振り払った。

 睨天鉄は人工のものに対して強く、自然のものに対して弱いという性質を持つ。
 故に睨天鉄の塊はペットボトルを容易く破壊した。
 しかし中の水は『イーヴァルディの砥石』によって一緒に暗黒瘴気剣ダムギルスヴァリアグラードと化し、ペットボトルの形を保ったままであった。
 そしてミズリーの『おいしい水』は100%天然水!
 よって、今度は睨天鉄の方が打ち砕かれる番だった。

 剥き出しの水の剣を、高らかに掲げた。

 魔人・土屋一郎の能力『イーヴァルディの砥石』は、それと認識したものを暗黒瘴気剣ダムギルスヴァリアグラードと化す能力。
 決して自身を暗黒騎士ダークヴァルザードギアスとする能力ではない。
 なぜそうならなかったのか。
 彼は分かっていたのだ。
 憧れた暗黒騎士ダークヴァルザードギアスには、自力でならなければ意味がないのだと。

「我は……暗黒騎士ダークヴァルザードギアス!」

 今度こそ、その名を名乗り上げる。
 少女は叫んだ。

「どうしてです! わたしを見ている間は嘘はつけない、そういう道理(ルール)のはず……!」

 それは、嘘ではない。

「我は邪法の元に生まれし高貴なる暗黒騎士」

 それは、信念。

「道理に従う理由などなし!」

 彼は少女に向かって真っすぐに駆け出す。

「うっ、『襲え』!」

「『清廉潔白・アクエリオ=イノセンス』!」

 暗黒瘴気剣ダムギルスヴァリアグラードが襲い来る睨天鉄を残さず叩き落とす。
 少女は決意した。
 彼に追いつかれる前に……トランクを開ける。
 中には数十の宝石。
 その中から一つを手に取った。

 既に暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは少女の目の前に迫っている。
 彼女は勢いよくワンピースの前をまくり上げた。
 下には何も着けておらず、生まれたままの肌が風に晒される。
 お腹には先ほどと同じ形の三つの宝石が埋め込まれており、くぼみがひとつあった。

「【やめて】!」

 暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは思わず手を止めてしまった。
 仕方ないよね。彼女いないんだもの。
 どこかのホテルの一室で「むぅ……」という唸り声が聞こえた気がした。
 その隙に少女は手に取った宝石を残りのくぼみにはめた。
 暗黒騎士ダークヴァルザードギアスが手を止めたのは一瞬。
 再びダムギルスヴァリアグラードが少女を襲う。
 彼女は慌ててトランクをバタン!と閉じる。
 すると、彼女はトランクごとその場から掻き消えてしまった。




 ハローワールド。意識の覚醒は良好。
 わたしは、与えられた体を確認します。
 さっきまでよりもちょっとゴツゴツとしています。ほんのちょっとです。
 触ってみると肌はやっぱり硬いです。
 それに、なんか「ついてる」っぽいです。
 ええ、男の子ですね。
 鏡が無いので確かめられないのが残念ですが、わたしのことだからきっと美少年なんでしょう。
 世の中には男性であってもこういう肉体の方が劣情を催す人もいるらしいです。なにそれこわい。
 ふう。さあみなさんお待ちかねのあの台詞行きますよ、さんはい!

 ……ばっっっっかじゃないですか!?

 いえ、この体のことではないです。
 これは独空ゆうきさんの『一人分の双子』の効果です。
 メンタリティが変わっていないのであまり別人という気はしないのですが、ともかくわたしが“弟”ということでしょう。

 それではなく。
 馬鹿なのはあの二人のほうです。
 強敵だとは思っていました。
 五賢臣に最も早く推薦された方と、最も強く推薦された方ですからね。
 だからきちんと対策してきたのです。
 自分への嘘を力にする暗黒騎士さんと、嘘を武器にする井戸浪さん。
 “正直伯爵”さんの『走れ正直者(ラン・ローラ・ラン・トゥルー)』はうってつけのはずでした。
 それに加えて暗黒騎士さんを取り込むため、花浦小春さんの『お砂糖とスパイスと素敵な何か(ハニートラップ)』です。
 参戦経緯からわたしのモデルである王女にちょっとは気があるんじゃないでしょうか。
 八剱聖一さんの『墜放騎士の栄光』はわたし自身が睨天鉄のカタマリなので相性ピッタリです。
 さらにはいざというときのための空きスロット。
 さすがわたし、完璧な布陣なんじゃないでしょうか。
 それを……それを……

 なに妄想で洗脳打ち破っちゃってるんですか!
 なに真実縛りで暗黒騎士さんをコントロールしちゃってるんですか!
 アナスタシアさんもアナスタシアさんで、なに乙女見せてくれちゃってるんですか!

 所詮、紛い物のわたしじゃ、ついていけない闘いだったんでしょうか。
 作り物の生命。
 にせ物の精神。
 借り物の能力では。

『我は……暗黒騎士ダークヴァルザードギアス!』

『私は水を売りたいだけだ』

『自分が他の誰でもなく、誇るべき自分自身であると断言するように――自分の能力を、全力で揮える。
 そんな光景を、いつかこの目で見ることができれば、(わたくし)の中を流れる日本人の血も、きっと歓喜に震えてしまうのでしょうね』

 二人の台詞と、ついでに聞いたことのないはずの王女の演説がリフレインします。
 いいですね、誇るべき自分自身がある人は。
 わたしなんてどうせ……

「イヤ……です」

 思いの他低い声が出てびっくりですが、とにかく、不快な気持ちになりました。
 わたしは確かに作り物でにせ物で借り物かもしれないですけど、
 それでもあの時「面白い」と思った感情は、わたしだけのものです。
 誰にも渡しません。
 「予選落ちしちゃった人たちの戦い」をフェム王女に見せる。
 そんな唯一無二(二人になっちゃって何言ってるんでしょうって感じですが)の役割を与えられたのです。
 わたしはわたし、他の誰でもない、恵撫子(えぷし)りうむです!

 ええ、やる気になってきましたよ。
 わたしはシャツの裾をたくしあげます。
 そこには、『一人分の双子』の宝石と、新たな三つの空きスロット。
 取説には四つ以上の能力を使おうとするとやばいことになるなんてありましたが、構うもんですか。
 どうせりうむは、最初からブッ壊れているんですから……。




「あれはフェム王女ではない」

 少女が消えたことでひと段落ついたと感じ、濠は名刺入れを取り出した。

「『恵撫子りうむ』、『グロリアス・オリュンピア二回戦リザーバー』だそうだ。
 最小限の情報だけしか載っていないとは、本当に用意がいい」

 暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは濠の一言一言に真意を見極めようと睨みつけて聞いている。
 構わず濠は続けた。

「言葉をトリガーにする能力かもしれないと思ったが、どうも効果が多すぎる」

 嘘を封じる、相手を操る、不思議な金属を操る、さらにはワープまでする。

「制約はあるかもしれないが、現状“なんでもできる”と思っておいた方がいい」

「そのような相手に、抗う術はあるのか」

「……私に考えがある」

 嘘である。
 考えなどない。
 これは暗黒騎士ダークヴァルザードギアスを敵にしないための台詞でしかない。

「これを渡しておこう」

 ペットボトルが一本、濠から暗黒騎士ダークヴァルザードギアスの手に渡される。
 その瞬間。
 光の矢がペットボトルを貫き吹き飛ばした。

「なっ!」

 二人は矢が飛んできた方向を向く。
 そこには一つの陣地があった。
 中から射てきているのだろう。りうむの姿は見えない。
 二の矢が飛んでくる前に、濠は素早く背中から新たなペットボトルを取り出して暗黒騎士ダークヴァルザードギアスに投げつける。
 暗黒騎士ダークヴァルザードギアスがペットボトルをキャッチしたのと次の矢が飛んできたのは同時だった。
 矢は彼の方を狙っていた。
 が、遠くから直線で狙い撃つだけの矢など速くとも簡単にかわせる。
 どうやら一本ずつしか使えないのだろう。
 それも含めて余裕の回避を見せた暗黒騎士ダークヴァルザードギアスであるが、ふと違和感を覚えた。
 こんな不毛な攻撃を、わざわざやってくるだろうか。
 一射目ならまだしも、手の内を見せてしまった後に?
 そして、一回戦の阿呂芽ハナとの闘いを思い出した。

「還り来るぞ!」

 言うが早いか、彼は濠の背後に回る。背中合わせの形だ。
 思った通り、光の矢はUターンしてきた。
 矢が本当に狙っていたのは、濠の背負うリュック。
 ダムギルスヴァリアグラードのストックの方だった。
 暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは、ペットボトルを暗黒瘴気剣ダムギルスヴァリアグラードに変え、光の矢を弾き飛ばした。

 息をつく暇もなく、今度は濠の正面に、見知らぬ少年が突如として現れた。
 『敢行使命』を試してみるが、発動しない。
 ならば考えられる可能性は少ない。

「君はおそらく……恵撫子りうむ本人!」

 少年は答えず、既に引き絞っていた矢を放つ。
 殺気の“価値”の高まりを感じて濠は横に大きく飛び退く。
 必然、矢の向かう先は暗黒騎士ダークヴァルザードギアスの背。
 声と動きから大体の状況を察した彼は振り向きながら暗黒瘴気剣ダムギルスヴァリアグラードを払う。
 しかし完全に防ぎきることはできず、手の甲に傷を負ってしまった。

「くっ……」

 その間に、少年の姿が変わっていく。
 体が大きく膨れ上がり、体色はドス黒く塗りつぶされてゆく。
 全長三メートルほどの、暴力の化身。
 それが大きく腕を振り上げる……。

 先ほどとは比べ物にならないくらいの攻撃オーラのハイパーインフレを肌で感じた濠は、
 暗黒騎士ダークヴァルザードギアスに向かって飛び付き、化け物から引き離す。
 次の瞬間、見えない速さで腕が振り下ろされ、遅れて風の音が唸った。

「あれを喰らったら、即死だろうな」

「かたじけない……」

 ところが、二人が恐ろしさを感じている一方で、化け物もまたなぜか苦しんでいるようであった。
 我武者羅に腕を振り回す化け物。
 相変わらず速いものの、今度は目で追える程度の速度である。

「なんだか分からんが、今がチャンスのようだ。私がおとりになるからその隙に……」

 二人揃って駆け出す。
 化け物が濠を掴みにかかろうとした隙に、暗黒騎士ダークヴァルザードギアスが跳ぶ。

「『震撃……断絶』!」

「オオオオオオオオオオオオオ!!!」

「『ダムストラスト=グラヴィティ』!」

 暗黒騎士ダークヴァルザードギアスの剣は……空を切った。
 化け物は雄叫びを上げた瞬間、またしても忽然と消えてしまった。




「はぁ……はぁ……」

 わたしに戻ったわたしはどっと疲れてその場に崩れました。
 “弟”の分のダメージはフィードバックされないようですが、記憶は残るので精神的にはとてもやばいです。
 七つも能力を使ったので、自慢のエプシロンボディから睨天鉄がうにうに飛び散ろうとしています。こわい!

「……『鎮まれ』」

 『墜放騎士の栄光』でなんとか体をごまかします。
 それにしても酷いじゃないですか。
 生まれたてのわたしに対して、大の成人男性が二人掛かりなんて。
 だから、なるべく強力な能力を選ばせてもらいました。
 安倍川アオイさんの『オレンジスカイアロー』、ジャックダニエル・ブラックニッカさんの『ヴィオェンセ』、そしてプランク・パーセクさんの『我に届かぬ物は無く、また我に触れる者は無し』です。
 最後の能力は超音速パンチに使いましたが、やはり祝詞無しでは代償が厳しかったようです。
 さて、説明パートみたいになっていますが、実はわたしがいるの、二人のすぐそばなんですよね。
 見ている方向が違うのでまだ気づかれてないんですが、あまり時間は掛けられません。
 そうですね、この作戦で行きましょう。

「『伸びろ』!」




 りうむ(姉)の声に二人は振り向いた。
 しかしそこにりうむ(姉)の姿は無く。

「うおっ!」

 暗黒騎士ダークヴァルザードギアスの立つ地面がそこだけ隆起していく。
 睨天鉄の柱が現れたのだ。
 暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは慌ててペットボトルを取り落とす。
 さらに、目の前に再び化け物が出現する。りうむ(弟)だ。
 りうむ(弟)が腕を振り上げる。
 当たれば一撃必殺。腕を振る開始位置と到達位置の間の距離を無視した超音速パンチ。
 それが急激な足場の変化に体勢を崩した暗黒騎士ダークヴァルザードギアスを襲う。
 絶体絶命。
 かと思われた。
 が、腕が通りすぎるギリギリ直前に暗黒騎士ダークヴァルザードギアスの体は下に落ちていった。
 自分で飛び降りられる状況ではなかったはずだ。
 ではなぜ。
 その答えは、柱の下で濠が持っていた“水の剣”にあった。
 そう、『イーヴァルディの砥石』でダムギルスヴァリアグラードとなった物体は、暗黒騎士ダークヴァルザードギアスの手を離れても、時間が切れるまではダムギルスヴァリアグラードのままなのだ。
 濠はそれで柱を斬り落としたのである。
 そして水の剣は役割を果たしたと言わんばかりに地面に滴っていった。
 りうむ(弟)が追撃に出る。
 衝撃波で傷を負った暗黒騎士ダークヴァルザードギアスに向けて腕を振り下ろす。
 彼は何とか横に転がり、これを回避した。

 大きな音が地に響き、またりうむ(弟)の姿が消える。
 代わりに元の場所に現れたりうむ(姉)は、二人が状況を飲み込む前にささやくような声で言った。

「『隔てよ』」

 暗黒騎士ダークヴァルザードギアスと濠の間に睨天鉄の壁ができる。
 りうむ(姉)が取り込んだのは、濠の方であった。

「こっちで、よかったのか?」

 濠が問う。

「水は井戸浪さんから一本ずつ暗黒騎士さんに渡されていましたから、先に補給路を絶つべきだと考えました」

「なるほどな」

「【降参してくれませんか?】 なんて、あなたには効かないんでしょうけど」

「洗脳か? 確かに降参したくはならないが」

 『お砂糖とスパイスと素敵な何か』は能力者への好意が前提にある。
 濠に使うことが難しいのは最初から分かっていた。

「ま、どちらにしろ、“ハズレ”だったな」

「それは、どういう……!」

 言いかけてりうむ(姉)は気付いた。
 睨天鉄の壁に、ヒビが入っている!

「や……【やめて】!」

 りうむ(姉)の必死の“お願い”にも、今度は止まらなかった。
 暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは、水の剣を携え、壁の向こうから現れた。

 彼はいつペットボトルを手に入れていたのか。
 それは、りうむ(弟)が初めて現れる直前、濠と背中合わせになった時である。
 この時は彼も気付いていなかったが、濠はこっそりと彼のリュックに水を一本移していたのだ。

 りうむ(姉)が叫んだことによって、りうむ(弟)が交代で現れる。
 が、りうむ(弟)はすぐに膝をついた。
 能力使用数の上限突破による悪影響は、りうむ(弟)にも平等に降りかかっていた。
 ただ『ヴィオェンセ』の巨体の体力が、その影響を押しとどめていただけなのである。

(見せるん、です。あのクソ王女に、“わたしの”……闘いを!)

 暗黒騎士ダークヴァルザードギアスがりうむに向かって駆ける。
 りうむは光の矢を宙に放った。
 矢は軌道をコントロールすることができる。遊ばせておけば、いつでも使用可能な切り札だ。
 暗黒騎士ダークヴァルザードギアスが接近すると、りうむは腕を振るった。

「『剛腕絶無・ゼロ=イグニス=ニルヴァーナ』!」

 暗黒瘴気剣ダムギルスヴァリアグラードに斬られるのも厭わず、殴り抜ける。
 軽いめまい、動悸、息切れがりうむを襲う。睨天鉄の暴走と合わせると今にも意識が飛びそうだ。
 りうむはしかしそれを必死で押しとどめる。
 チャンスなのだ。
 暗黒騎士ダークヴァルザードギアスの利き腕がだらりと垂れ下がり、ペットボトルを取り落とす。

(今です!)

 りうむは暗黒騎士ダークヴァルザードギアスの体を掴んだ。
 そして、遊ばせておいた矢の軌道を定める。
 『我に届かぬ物は無く、また我に触れる者は無し』。
 矢は、距離の概念を吹っ飛ばし、たどり着く。
 それはまさに光。
 その光こそが、暗黒騎士ダークヴァルザードギアスの体を貫いた。

「ああああああああああああああ!!!」

 今まで経験したことのない痛みが彼を襲う。

「ア、ナ……」

 最後の声を絞り出し、最愛の侍女の名を唱える。
 彼の意識はその途中で途絶えた。

(王女……やりました……わた、し……?)

 一方りうむの方は耐えられるはずだった。
 祝詞を省いた代償、先ほどの拳の傷、睨天鉄の暴走、全てを勘定に入れても大丈夫だと思っていた。
 その胸の傷さえなければ。
 そこには、暗黒瘴気剣ダムギルスヴァリアグラードと化したあるものが刺さっていた。
 丸められた名刺である。

(そう、井戸浪さんの能力……全然気にしていませんでしたが)

 この時のために濠が暗黒騎士ダークヴァルザードギアスと名刺を交換していなかったのだとしたら。

「初めから、わたしたちの、相打ち、狙い……だったのですね」

「言っただろう、戦闘に加わるつもりはないと」

「そのわりには、随分暗黒騎士さんに、肩入れしていたようですが」

「直接手は出していない」

 そう言うと、濠は暗黒騎士ダークヴァルザードギアスの体を漁り、財布を取り出した。

「あるだけもらっておく。残りは出世払いだと伝えておけ」

「……ふふ、わかりました」

 りうむはそう言って、目を閉じた。




「そうか、彼はそのようなことを」

 医務室で一足先に目を覚ましたわたしは、復活した暗黒騎士さんに井戸浪さんの台詞を伝えました。
 わたしはエプシリウムのカタマリで、普通の人間さんとは体の構造なんて全然違うはずなんですが、なんだか治せてもらえちゃったみたいです。
 って、なんでですか! もう準決勝に進めないんだから、素直に機能停止させてください!
 わたしはこの先一体なんのために生きればいいのでしょう。

 そんなことをぼんやり考えていると、医務室に来客がありました。

「ってええーっ! 王女……様!」

 まさかまさかです。実は生で見るのは初めてなのです。
 本当にわたしそっくりですね。いえ、そっくりなのはわたしのほうなのですが。
 心なしかアナスタシアさんが暗黒騎士さんを掴む力が強くなったような気がします。

「りうむ、あなたには大変な役割を押し付けてしまったようね」

 まったくですよ! わたしにはもっと王宮でぬくぬくするような生活が似合っているのです!

「これからは王宮でぬくぬく暮らすといいわ。皆歓迎するわよ」

「いやです!」

 ごめんなさい、嘘です。わたしはもうぼんやりおっとりな女の子ではありません。
 「面白い」を知ってしまいましたから。

「わたしは、世に出ます」

 暗黒騎士さんがぴくりと反応しました。
 世に出る、と書いて出世ですね。

「我々も、もっと広い世界に旅立たねばならぬということか」

 そうですよー。コンビニバイトでどうやってアナスタシアさん養うんですか!
 せめて正社員になりましょう!

「りうむ、でも、私が見ていないところで大丈夫なの?」

「王女様に見られたら、わたしの能力減っちゃいますから!」

「そう……」

 あーもう! なんでそんなに心配するんですか!
 お母さんじゃないんですから!

「とにかく! わたしは旅に出たいんです! 世の中の面白いことを、もっと見つけたいんです!」

「……ええ、わかったわ。でもたまには帰って来てね」

 だーかーらー!
 ま、まあ、ともかく。わたしの人生は始まったばっかりです。
 Hello, World. またどこかで、会いましょう。




 ホテルの与えられた一室で、濠は昔を思い出していた。
 何もできない新人だった日のこと、魔人能力に目覚めた日のことを。

 彼が新卒で入ったのは名もない中小企業だった。
 ある日彼はとある大手企業に取引を持ち掛けにいく。
 門前払いだった。
 挨拶すらさせてもらえなかった。

「あいにく名刺を切らしておりまして」

 ところがそうのたまった担当は、濠の目の前で別の大手企業の相手と名刺交換を始めたのだ。
 濠は大学で学んだ自分の営業知識に自信を持っていた。
 名刺さえあれば、名刺さえあればあんな奴……。
 その強い願いが生んだのが『敢行使命』であった。

 だが、その考えは間違いであった。
 営業は知識だけではない。
 人の心を理解する力、肉体の力、商品そのものの力。
 あらゆる力が必要で、それを知る度、濠は営業の道にのめり込んでいった。

 彼はこれからも、売ることを続けていく。
 次の闘いでも。




おまけ:恵撫子りうむ使用能力まとめ

キャラクター名 性別 特殊能力名 プロローグSS プロローグ文字数
“正直伯爵”&大正 直 不詳 & 男性 『走れ正直者(ラン・ローラ・ラン・トゥルー)』 & 『嘘八百万(ヤオヨロズライ)』 プロローグSS 2435
花浦 小春 男の娘 お砂糖とスパイスと素敵な何か(ハニートラップ) 『花浦小春プロローグ ~オ●●ノコは、お砂糖と、スパイスと、素敵な何かで出来ている~』 4705
八剱聖一 男性 墜放騎士の栄光 プロローグSS 5917
独空 ゆうき 女性(可変) 一人分の双子 プロローグSS 7386
安倍川アオイ 女の子? オレンジスカイアロー プロローグSS
「安倍川アオイ完結編」
3006
4337
ジャックダニエル・ブラックニッカ ヴィオェンセ プロローグSS 5763
プランク・パーセク 女性 我に届かぬ物は無く、また我に触れる者は無し プロローグSS 1541
最終更新:2018年03月26日 01:06