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方針

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目的は…フラメンコそのもの

フラメンコを利用して
  • 舞台作りの達成感(他のジャンルでもよくないですか?)
  • 非日常的な変身願望(衣装にしか興味がない)
  • カラダを動かす(フラメンコダンスはスポーツでしょうか?!)
…等、色々な事を満たそうとするばかりでなく、
あくまでフラメンコそのものを目的にしたい。

遠い日本の、至らない自分たちがわざわざやらなくたって、すでにリスペクトすべきフラメンコが存在するのだから。

舞台よりもフィエスタ


フラメンコは本来「舞台」で「見せる」ためのものではなく、あくまで自分たち・本人たちのたわいもない楽しみだったはずである。

「お客さん・人に見せるのだから」(…ちゃんとしないといけない・がんばれ)
とも言われるものの、そもそも本来は見せなくても良いのです。

舞台作りはやりがいのあることではあるが、それ以前にフラメンコを自分たちで楽しむ喜びを、たとえ未熟であっても(むしろ未熟だからこそ)感じる必要があると考える。

バイレよりもカンテ


フラメンコの根源はカンテであり、カンテ単体で十分に成り立つものである。
むしろカンテが無くてはフラメンコは成立しない。
ギターの伴奏すら邪魔になるときがある・形式によってはそもそも伴奏をも必要としない…ように
本来はカンテに最も価値があり、ギターやバイレのあり方にもカンテが非常に重要である

カンテを、踊りのためのバックグラウンドミュージックのように扱って、肝心の、カンテから発せられるフラメンコに必要なモチベーションやエネルギーを受けようとしない多くの踊りは、とても歪んだものであると言わざるをえない。

よりよい踊りのためにこそ、カンテを重視し、愛好し、その機微をかんじとろうとしなければならないと考えます

まずは楽しむ

カンテを聞くことは、誰にでも出来る。まずは、習ったり練習することではなく、聞くこと、鑑賞する事が先決であり、どこかに所属するか、どれだけのキャリアがあるかは関係がない。

フラメンコに携わらない、一般の方でも楽しむことが出来るはずである。

残念ながら、一般の方どころか、フラメンコに携わっている・所属している人間ですら、フラメンコに触れること・聞くこと・見ること・感じること…それらはまったく不足している。ネットを通じて無数の音源に触れられるようになっているはずだが、あまりに膨大なソースは、フラメンコへのアクセスを容易にした一方で、偉大で尊重されるべき「名作」や「名人」をも埋もれさせている

厳しさより楽しさ


現在フラメンコは、我々日本人に対しても非常に寛容に、フラメンコを楽しむ事を許してくれている…と考える。
我々が日本人同士で寛容にできず、多くの人のそれぞれのフラメンコの楽しみ方を妨げるとしたら、それはフラメンコに対する裏切りであると言える。

ほとんどの日本人が、芸としての厳しさ云々を、声高に言える立場や実力にはない。
そして芸である以前の楽しみを、ほとんど確立出来ていない。

フラメンコのプレイヤーである必要は無いのである。まずファン『アフィシオナード』であるべきである。

場数をふやしたい


数少ない舞台での発表機会は、非日常的な緊張感やモチベーションをもたらす。よってたくさん練習もするだろうし、気合いの入った舞台ができるかもしれない。一方で、機会が少ない分、舞台の空気に慣れる・馴染むことはできないし、良い意味でチカラの抜けた、リラックスしたフラメンコをすることはできない。
場数をこなすことで、リラックスした状態で本来の能力を発揮し、また多くのことを経験することでいろんな場面に柔軟に対応できるようになることを目指す

特にセッション

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