シンテーア管理主義革命(永帝革命)とは1530年にシンテーア帝国?で発生した管理主義革命である。学者階級(科学者・技術者・作家からなる知識階級)による統治とテクノロジーにより相対的な自由を実現しようとする思想であり、シンテーア管理主義革命は管理主義を国是とする国家を世界で初めて建設しようとした運動である。


概要

歴史

国栄党独裁による社会の無気力

 シンテーアは1499年から国栄党の事実上の独裁体制に入っていた。国栄党は新自由主義を掲げる、保守自由主義政党である。国栄党の政策により、シンテーア帝国では中産階級が減少し、貧富の格差が拡大した。新自由主義政策によって富を得た新貴族と呼ばれる勢力が台頭し、政権の恩恵を受けて支配構造が固定化した。
 国民の実質賃金が下落を続ける中、AI技術の台頭とロボット工学の発展により、人間の雇用はますます奪われることとなる。国民はAIや自動化された生産に税金を課し、ベーシックインカムを導入するよう求めたが、新貴族に支えられた国栄党は国民の要求を拒否し続けた。国民の政治に対する失望から投票率は下がり、生活は困窮するも行動する力もないという社会全体に学習性無気力が蔓延していた。

管理主義勢力の醸成

 管理主義思想はジクラール共和国出身で、サーヴァリア王国連合に亡命していたギャッコー・セーヴェルにより発明された。ギャッコーはジクラール共和国での社会主義の失敗とサーヴァリア企業連合での急激なIT技術の成長と格差の拡大を経験し、これを解決する新しい政治体制としての管理主義を提唱した。
 現代レーウスでは第二次レーウス世界大戦後、社会主義に対する失望から社会主義勢力は息をひそめていたが、AI失業をはじめとする社会不安から再び勢力を強めていた。シンテーアでは共産主義勢力が勢いを増し、国栄党政権による引き締めを受けていたが、管理主義はその陰で成長を続けた。
 シンクトレア国際大学の政治サークルである管理主義研究会ではアオン・シオンがリーダーシップを発揮し、全国の学生や科学者の取り込みを開始した。社会全体が資本主義か共産主義かで揺れる中、それらのいいとこどりともとれる管理主義は、国栄党の警戒をそらしながら成長を続けた。また、シンテーア皇太子であり、シンクトレア国際大学の学生でもあったルニアス・ジヴェジルスは管理主義研究会に秘密加入しており、管理主義勢力の切り札となった。

共産主義勢力の蜂起

 1529年13月、シンテーア共産党が全国武力蜂起し、シンテーア社会主義共和国の建国を宣言した。シンテーアにおいて社会主義は歓迎されていなかったが、社会に溜まっていたうっぷんがこれを契機に爆発し、多くの低所得労働者階級が蜂起に参加した。
 特に、「後のない人たち」と呼ばれる、極度の社会不満を抱えた不満分子がうっぷん晴らしに武力蜂起に参加したた。シンテーア共産党はこれらの資本主義階級に対する怒りを歓迎したため、武力蜂起は破壊性を帯びるようになった。

管理主義勢力の台頭

 共産主義勢力の装備は貧弱で粗悪だったが、衝動性と同時多発性により帝国政府は苦戦を強いられた。帝国政府はこれらの共産主義勢力を抑え込むため、民間の被害を考えずに空爆を行ったり、容疑者を略式裁判で極刑にするなど、威圧的な政策が目立つようになってきた。
 管理主義勢力はこれらの勢力への反発の受け皿となり、さらに民衆への浸透を深めていた。特に、エリート階級を重視する管理主義勢力は、すでに帝国軍内の学者はもとより、実業家や軍将校などエリート階級に広く支持を広げており、アオン・シオンは1530年4月にシンテーア管理主義共和国の名のもとに武力蜂起を宣言した。皇太子ルニアスは管理主義勢力の支持を表明し、変革を求めた若い世代の多くが管理主義勢力へと加入した。

帝国の混乱

 帝国軍はエルトワール王国の支援を得るため、皇帝のケルザード2世と王妃ヴォイウャナが交渉へと向かったが、首都レーオント・レイオンに潜伏していた共産主義勢力が離陸直後の航空機に攻撃を仕掛けるという事件が発生した。制御を失った航空機は森林に墜落し、残骸からは乗客は身元の特定が不可能だった。帝国政府ははじめ、皇帝夫婦は安否不明と発表し、捜索を行ったが、混乱下での空位を避けるため1週間後に死亡を発表した。
 帝国は管理主義勢力に加入した皇太子ルニアスはすでに乱心しているとして、その妹のアルニエアをレギアル3世としてシンテーア皇帝に即位させた。しかし、すでにシンテーア皇帝の権威は失墜しており、政治的な権限は一切持っていなかった。
 皇帝の突然の死に、管理主義勢力と帝国軍は皇帝の国葬の為の一時的な休戦を実現させ、皇帝ルニアスをはじめとする管理主義勢力の代表は首都レーオント・レイオンへと向かった。実のところ、帝国政府の新貴族はエリート階級を支持している管理主義勢力と協力が可能と考える派閥が存在し、葬儀に訪れた管理主義政府の要人を暗殺すべきとの強硬派との論争に発展し、対立を深めた。

波乱の演説

 管理主義四銃士の一人とされる、ウーナ・ヴェーデインは皇帝の葬儀の場で演説を行ったが、壇上に注目が集まる中、強硬派の帝国軍将校がルニアスを銃撃した。護衛を務めていたサリエムがかばったため、ルニアスは無傷ですんだが、皇太子を狙ったことがあだとなり、帝国政府は求心力を一気に低下させた。
 その後、シンクトレア陸軍大学出身の管理主義四銃士の一人、ケナイント・ルニャが帝国軍勢力を説得し、帝国軍は管理主義政府に帰順した。

共産主義勢力の一掃

 軍事力を吸収された帝国政府は管理主義勢力に屈服し、シンテーア帝国は崩壊した。ほとんどの新貴族は管理主義勢力で好待遇を得られると信じて帰順したが、アオン・シオンはインサイダー取引やマネーロンダリング等、新貴族が行っていた犯罪行為をすべて洗いざらい公表し、厳重に処罰した。元皇帝のレギアル3世は帝国軍の戦争犯罪を黙認した容疑で裁判にかけられた。彼女の反骨精神と嘘の供述により裁判は混乱したものの、ルニアスの弁護によりレギアル3世は無罪となった。
 また、アオンは戦争犯罪を行った軍人は厳重に処罰すると声明を発表し、ケナイントは軍規の引き締めを行った。統率力を高めた管理主義共和国軍は、しばらくして、民心を失い、内部紛争の混乱で弱体化を始めていた共産主義勢力を一掃するに至った。

帝国の復興

 ルニアスはシンテーアを共和国のままにするつもりだったが、アオンは帝国の正統な政府として皇帝が必要であると主張した。シンテーア皇帝は古来より学者の長としての性格が強く、管理主義政府には都合がよかった。これによりルニアスは国事行為以外の際は市民権を妨害されないことを条件に永帝ジヒラート8世に即位に同意した。
 革命の最中、管理主義の父、ギャッコーは病死していたが、彼の残した教えの通り管理主義経済の運営が始まった。大手IT企業や大規模な自動化工業は国営化された。管理主義経済は統制経済と考えられていたが、ふたを開けてみると中小企業の自由な経済活動はおおよそ保障されていた。その代わり、すべての企業に国家のもとに統合された受発注システムが導入され、金銭はすべて電子化され、あらゆるリソースが国家の監視下に入ることで経済が効率化されたのである。
 管理主義政府は、大学までの教育費無償化やベーシックインカムの導入を実施したほか研究の奨励も行った。新しい政権への期待感もあり、民衆のモチベーションも高まり、経済成長期へと突入した。

関連項目

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ジエール 歴史
最終更新:2024年09月18日 08:49